はてなキーワード: 星を継ぐものとは
プロジェクトヘイルメアリー、星を継ぐもの、バビロニア・ウェーブ、天冥の標、息吹を読んで、今は果てしなき流れの果に、を読んでいる。
ランキングみたいなものを検索してみても似たりよったりのちょっと古い作品ばっかり
予想を超えるSF読者先輩様方からのコメント、ありがとうございます
自分の考えるハードSFが分からんとのコメントがあったので...
自分にもハードSFが何なのかよくわかってないが、空想科学の裏付け感が強くあるみたいな感じかなぁ
実際には、「読んで面白かった作品の作家がハードSFというジャンルで紹介されていることが多かった」、と帰納的な感覚でハードSFって呼んでるところがある。
星を継ぐものは進化論とかの話で「ああ自分も知ってる気がする!」となりながら一緒に考える気になるのが面白かった。そうなるとミステリー的な楽しさか。
バビロニアウェーブは解き明かすというより舞台装置としてあるって感じだったけど、人間の未知との向き合い方にリアリティとロマンを感じた。
三体は普通に映画みてるみたいだったな。暗黒森林理論とかなるほど感があった。それと、三重振り子的なカオスが天体規模のものに適用されるとこうなるみたいな発想が面白かった。
ブクマの米にもあったけど、天冥の標が他と比べてソフト気味というのもそうだと思う。ただ天冥はサーガ感がすごい良かった、でかい物語感。キャラが分かりやすくて入りやすかった。
息吹は宇宙モノじゃないけど、人の心みたいなのが表れてると感じて、それが良かった。特に息吹は命とは何なのか?を考えさせられた。
実際の科学(あるいは説得力のある架空理論)が下敷きに置かれたファンタジーって、ともすればこの世界もこうなる可能性があるのかもしれないみたいな感覚になることがあって、
そういう物語を経ると世界とか命とか自分について問い直すことがあって、その体験が得難い...自分の求めるSFってハードかどうかに限らずそういうものかもしれません(わかりません)
半ばトランス状態になっているのかもしれない。夢中になって読んでしまう。
すると「犯人は誰だろう?」だとか推理ができなくなってしまうのだ。
そのため、気付いたら推理せずに一気に最後まで読み切ってしまっていたということが頻繁に起きる。
もし自分が推理小説をパズルとみなして挑戦するとしたら、あえて物語に夢中にならないようにするしかない。
それは「夢中になって一息に読めてしまう小説ほど素晴らしい小説だ」と信じている私にとってとてもつらいことだ。
「名探偵皆を集めてさてと言い」のシーンに差し掛かったら我に返り、自分の推理がまとまるまで次を読み進めない……のように謎に挑戦しているのだろうか?
そして私のように「面白かった!」の感想が主となり、謎には強く頓着しない読み方は邪道なのだろうか?
【2020/07/07 追記】
同じく読書が好きな私の友人たちと感想を交換している際に違和感を感じたことがその発端となった。
友人たちはどうやら推理小説を読んだときに推理できているようなのだ。
私といえば物語の謎には触れず、いかに物語が読者を夢中にさせるものだったかを感想として述べていた。
私は劣等感を感じたのだ。そして羨ましいとも思ってしまったのだ。
推理小説であるからには推理をして楽しむのが一番楽しい読み方ではないのか、とその時思ったのだ。
推理できないことに劣等感を覚え、推理できている友人のことを羨ましいと感じたのだ。
【2020/07/07 再追記】
以下の再追記はタイトルからずれた内容となり、完全に蛇足である。
思わず膝を打ったコメントをtwitterで見かけ、それが私が本当にもやもやしていたことを気付かせてくれた。その内容を要約し、箇条書きで記載する。
(引用のほうがいいのだろうか?マナーがわからないので不適切でもご容赦していただければ幸い。)
・推理小説を無理に読む必要はなく、他ジャンルを読めばいいのではないか?
・推理しながら読むようなスタイルは、他ジャンルでは「考察」と呼ばれる。
・この増田は他ジャンルでも「考察勢」に引け目を感じているのではないか?
……といったものだ。
全くその通りである。考察勢に憧れ、自分がそうでないことに引け目を感じている。
私の属しているコミュニティの他の方々が考察を述べている横で、私は主観的に私がどういう体験をしたか(≒ほかの方も読むとこのような心の動きを得ることができますよという喧伝)を述べている。
さて、そのコメントを書かれた方含め複数の方から「もし推理/考察をしたいのならば再読するとよい」と解決方法を示していただいた。
なるほど道理である。確かに自分はおおむね1回しか通して読まないことが多い。なんと単純な解決方法だろう、そんなことに自分で気づけないとは。ありがとうございます。
ただこの解決方法をとると、積みあげている本の高さがさらにうず高くなってしまうだろうが……
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自分は「星を継ぐもの」をきっかけに数年前からミステリにも手を出し始めたSF好きです。
「あんまり有名ではない」ものは面白くない可能性が高く、実際ここのコメントでは「そこそこ有名」なのが多いなー。私もそれなりに有名なものしかあげられない。
『暗黒太陽の浮気娘』を挙げている人を見て連想したのが『天使墜落』。リアルSFとSFファンジンの邂逅。バカ設定だけどSF的にはめちゃ凝った傑作だった気がするが詳細は忘れた。『フリーゾーン大混戦』も思い出したがこれはまた全然違う方向性だな。
『時の果てのフェブラリー』はすでに誰か挙げているかもしれない。ラノベという言葉を聞いたことがなかった頃のラノベ、だけれども、重力理論を踏まえたハードSFでもある。
SFでありミステリでも『星を継ぐもの』がお好きなら、そこそこどころかかなり有名だけれども、『鋼鉄都市』なんかはどうでしょうかね。刑事物、バディもの、そしてロボットSFものとてんこ盛りで、しかしどの視点からも一級品。
マニアックというなら『暗黒太陽の浮気娘』※だな(マニアックの意味が違)
例に挙がってるのがドラマ性より「王道かつ知的なひねり」系なので、
半村良『岬一郎の抵抗』(超能力が発現したサラリーマンと国家権力と町内の三つ巴)、
フレドリック・ブラウン『火星人ゴーホーム』(ある日いきなり地球に大量の火星人がやってきて全世界がパニック)
野尻抱介『太陽の簒奪者』(異星文明のナノマシンが太陽を改造しだして地球が危機)
『星を継ぐもの』的な知的なひねりならスタニスワフ・レムはお薦め。
存在しない本の書評や序文という体裁の『完全な真空』&『虚数』は読んでおいて損はない。
どの架空の本も本当に読めないのが残念になるほどのアイデアが詰め込まれているから。
>書評https://1000ya.isis.ne.jp/1204.html
宇宙活劇いけるなら『虎よ!虎よ!』は是非読んどいて欲しい。
「百万回生きた猫」(ネコノナマエ) を「星を継ぐもの」(ベンジャミンバトン) で継承するとどうなるか(★)。
まずベンジャミンがカミーラを殺す。カミーラの死後の念として念獣ネコノナマエが具現化する。念獣はもちろん死んでいる使い手の操作を受けることはできないので予め定めたプログラムにしたがって自律動作するはずだ。だからネコノナマエは攻撃してきたベンジャミンを殺す。奪った命を糧にカミーラを蘇生する。ネコノナマエは消える。ベンジャミンバトンによりベンジャミンにネコノナマエが継承され、しかしベンジャミンは死んでいるので直ちに再びネコノナマエ発動。カミーラを殺害する。そしてベンジャミンを蘇生する。終わり。いや違うな、カミーラが死んだ時点で能力はベンジャミンに移るのか。ならネコノナマエは発動しない? 能力の継承を奪取と考えないで、同じ能力を得る、とすると、カミーラが死んだ直後にベンジャミンバトンでベンジャミンもネコノナマエを得るが、カミーラのネコノナマエがベンジャミンを殺す。ベンジャミンのネコノナマエが具現化。カミーラのネコノナマエがカミーラを蘇生、直後にベンジャミンのネコノナマエが復活したカミーラを速やかに殺害。ベンジャミン復活するも即座に死亡、カミーラ生き返る、すぐ死ぬ… 果てしなく繰り返す。いやそうじゃないか。ネコノナマエの説明は「死後発動し攻撃して来たものの命を以って蘇生する」だった。だから命を奪う相手は術者でなく念獣だろうか。ならばカミーラが殺害されたあと念獣はベンジャミンの命を奪う。この時点で能力継承、念獣具現化。ベンジャミンのネコノナマエがカミーラを蘇生しようとしているネコノナマエを攻撃する。蘇生が間に合わなければカミーラ死亡のままベンジャミンだけが息を吹き返す。間に合ったならカミーラ復活するも念獣は失われ、ベンジャミンが復活してカミーラはやはり殺される。いやいや最初にベンジャミンが死んだあと継承された念獣がでてくる前にカミーラのネコノナマエが急いでカミーラを起こして消えられればベンジャミンのネコノナマエは攻撃失敗となる。するとどうなる? おそらく標的を失った念獣ネコノナマエは地縛霊みたいにその場にとどまり、主人の仇をずっと待ち続けるだろう。カミーラは去る。すべてはタイミングの問題だ。
皆さんありがとうございました。
未読かつ複数あがっていたり、スターが集まっていた作品から読んでいこうと思います。
(敵は海賊、GROUNDLESS、軍靴のバルツァー、ガンスリンガーガール、エンダーのゲーム、サイレントメビウスあたり)
なお、挙げたいただいたもののうち、既読未読の区別や、好みは以下のとおり。
天冥の標
デュラララ
彼方のアストラ
不死の猟犬
メイドインアビス(設定は好き)
ソフトメタル・ヴァンパイア(設定はすごく好きなんだけど、セクハラキャラが苦手。それ言ったらワートリもなんだけど、ワートリは他の部分の面白さでカバーできているので良い。)
死が二人を分かつまで
クローム襲撃
ブレードランナー(読んだのが小学生か中学生だったので、今読んだら楽しめるかも)
BTOOM
GROUNDLESS
AUTOMATON
女子攻兵
銃と魔法
灼熱の竜騎兵
老人と宇宙
航空宇宙軍
ホーンブロワ
DRAGON BUSTER
復活の地
嵐ノ花 叢ノ歌
とある科学の超電磁砲
火星の人
ジョンルカレ作品
ジャポニカの歩き方
雪の峠・剣の舞
土漠の花
FRONT MISSION DOG LIFE & DOG STYLE とか太田垣康男さんの作品
エンダーズ・シャドウ
シャドウ・オブ・ヘゲモン
Implicity
終わりなき戦い
マルドゥックアノニマス
ああー。返信含め全文読んでなんとなくわかったような気がするけど、自分の中の「面白い」の定義が狭くて、相手もその定義で使ってると考えていて、だから必要以上にバイアスがかかっちゃうってこと?なの?
例えば増田自身がストーリーに興味があるタイプで、これ面白いよってすすめられたら(大体ひとが面白いと思うストーリーがわかるから)台無しだって思うってこと?
でも、実際は面白いって言葉はもっと広い意味で使われてて、逆に増田のようなバイアスがかかるものじゃないと思うけどなあ。
例えばジャニ好きのひとが言う面白い映画って、推しメンがたくさん映ってたとかそういう意味だったりするし、ミリオタとか鉄道オタとかもそうだし、特にオタクじゃない普通の人でも結局は個人の好みなので同じ。
普通は自分の好きなものを「面白い」と表現するだけで、別にストーリーがとか描写がとか言わないから、逆に増田的にはノーカンなんじゃないかなあって気がするけど。他人が面白いと思うものが増田の面白いものなわけじゃないんだし。
ホラー映画ファンなら、ロメロゾンビの絶望感とか悪魔のいけにえの狂気とか、人体破壊とか不快感とか暴力描写とか、一般的にはネガティヴでしかないものを「面白い」と言うし。具体的な箇所を言うとネタバレになるから、ただ面白いよって勧める場合もある。
で、つまらない作品もオススメしろって話になってくると、それはオススメの大前提が崩れるので意味がない気がする。それはもう目隠しして探せば?って感じでは。
オススメって、結局勧めてくれた人との交流が前提とか目的にあるわけで、だから「面白いよ(自分が好きだと思ったものを友人と共有したい)」という文句になる。だけど、増田の文章を読んでると作品と自分との関係を一番に考えてるから、オススメ文化そのものが向いてないってこともあると思うんだけど。
それでも交流もしたいんなら、面白さとかじゃなくて今月読んだ作品を友達に聞くとか。
「「何か面白いやつ教えて」と聞いてくるやつには自分が面白いと思うものを教えてやればいい」って書いてるように、逆に面白いか不明なものをオススメされたいなら、自分からそうやって工夫して聞くしかない。果たしてそれに意味があるのかわからないけど。。
またあえて「面白くない作品」を聞いた方が、面白いか面白くないかの期待と不安のドキドキ感は逆に高まる気がする。あんまそういうことしてると友達減りそうだけど。
あとは、当たり外れも欲しいけどなるべく質を高めて外れの確率を小さくしたいなら、機械的に名作を選べばいい気がする。
名作とされる作品って時代遅れだったり難しかったり逆に簡単だったり皆が見て面白いわけじゃないし、名作である理由も技巧とか思想とか時代性とか歴史とか、ちゃんと勉強しないとわからない面倒くさい部分も多いから、当たり外れはよくある。でも読んでる人口とか話題に上る確率は高いから、他人と共有もしやすいと思う。
でも名作だと「以前にどこかで話題になっていたことがすでにバイアス」とまで考えるなら、やっぱりランダムに探すしかない。
そうなってくると「自分が名前を知っている作品は全て内容に対して余計なバイアスがかかっている」から未知の作品しか読まない、とかいうことになりそうだけど。
あと、結局作品との関わりを何が何でも大事にするなら、友人とかとそのジャンルについて話すのはやめた方がいいよ。うっかりネタバレとか変な対抗意識が生まれたりとかは絶対あるし。
「葉桜の季節に君を想うということ」歌野晶午
「最後まで行く」
「羅生門」
「L.A. コンフィデンシャル」
「アフタースクール」
「情婦」
「八つ墓村」
「トールマン」
「告白」
「手紙は憶えている」
「双生児」