はてなキーワード: 実業とは
実際に地元を離れてみて初めて気付いた良さは沢山ある、けどまぁそれなりにありきたりな事ではある。
高校卒業後特に定職に就かずフリーターをしてみたり、彼氏の家に入り浸ってみたり、進学したものの在学中に妊娠し就職しないまま卒業後実家で育児してたり、そんな感じで進学率は全国トップレベルで低いし、貧困率もそりゃ高くなるよな、というような環境。
そんな地元の同級生と繋がっているSNSでは常識を疑うような行為をアップしていたり、今私がいる場所とはあまりにもギャップが大きくてたまにショックを受ける。大学の友達と話すと更にギャップを感じて自分の地元の事が嫌になる。
私は幸いにも幼い頃から親が「大学には行きなさい」という環境で育ち、ありがたいことに地元から遠く離れた土地への進学を許してくれた。
親に言われてきたから''私は大学に行くものだ''と思って育ってきたのもあるが、平均年収も低いこの田舎で女が生きていくには、何か資格を取り安定した職に就くために、大学に行く必要があると考えそれなりに努力してきたつもりだし、安定した職を掴むことが出来そうだ。
でも高校受験の時に工業に進学した人から「普通科行く意味がわかんない」と言われた事はずっとずっとずっと根に持っている。そいつはそんな事なんて忘れてるだろう。
でも最近何が幸せで何が正しいんだろうな、とふと考える事がある。
若いうちに家庭を持って楽しく(見えないとこで苦しみがあるんだろうなとは思う)地元から出ずに生きるのと、私のような生き方はどちらがいい選択なのか。
独り身で生きていくにしても、たとえ結婚し子どもをもうけたとしても、離婚率も片親率も貧困率も高いこの田舎では高卒やフリーターなんてリスク以外の何でもないのではないか。
先日その田舎で全国ニュースになるような恥ずかしい事件が起きた。
その件でネットでは「(地名)は低学歴だからな」みたいな意見が見受けられ、とっても恥ずかしくなった。
他の都道府県に比べると特殊な環境だから並べて語ることは出来ないしする必要も無いので比べはしないが、本当に2022年か?と疑うような出来事だった。
無免でバイクとか死亡事故とか耳に入ってくることもあったけどその頻度は他の都道府県の比じゃないんだろうな、と改めて思わされた。本当に恥ずかしい。
親の貧困は子の貧困にも繋がるし、親の学歴が低ければ多くの子の学歴も低いものだと思っている。
もちろん親が中卒高卒でも子は大卒という家庭があるのも分かるし、大卒が全てでは無いのも分かる。
明確にやりたい事があり専門学校や短大に行く事も、実業系高校で技術を学ぶのも、卒業後働きながら学び続ける事も、自分の趣味を優先して生きる事も私には真似出来ない事なので純粋に尊敬している。
しかしこの全県的な貧困問題であったり学力的な問題であったり治安的な問題であったり、頭が痛くなるようなこの課題を解決するにはどうすればいいんだろうなぁ、とぼやいてみたり。
読んでくださった方ありがとうございました。
それはともかく、このコロナ禍において実際にいわゆる「文化」への憎悪が高まってきているのは間違いないだろう。
初期の頃から他業種を軽視する発言やクラスター発生などで顰蹙を買い、度重なるイベント開催要求もじわじわと不満を広げる結果になっている。
ちなみに今現在絶賛ヘイト消費中なスポーツ関係も攻撃する層からすれば別口の体育系になるが広く見れば文化である。それが今は矢面に立っている状態であるがその後はどうなるか、今は悠長に嗤っている他の文化エンタメに矛先が向くことになるのは確実だ、何せ飲食や実業と違って同情されにくい。あの分野とこの分野は違うと言いたくなるだろうが、そんな利口に区別をしてくれるわけないのは既に前例が証明してしまっている。
既に責められた分野は他の分野を攻めるのに躊躇なんてしないし、そうやって責められた分野もまた立場が変わればやり返す、逆恨みの連鎖はもう止まらない。
ストーリーのキーとなるのは試合の勝ち負けであり、試合の内容はブレイクダウンするとピッチャー対敵バッター、バッター対敵ピッチャー(+守備陣)の勝負になる。
梁幽館戦は敵ピッチャー吉川・中田 敵バッター陽、中田との勝負が描かれた。
熊谷実業戦は敵ピッチャー久保田と 敵バッター久保田との勝負が描かれた
柳大川越戦は敵ピッチャー朝倉・大野(+守備陣)と 敵バッター大島ら(+浅井)との勝負が描かれた。
深谷東方線は敵ピッチャー松岡(-守備陣)との戦いが8割、敵バッターはほぼモブだった(ラストのみバッター松岡)
熊実、深東とも、”立っている”キャラクターが一人しかいないので(姫宮戦は二人)、梁幽館、柳大戦に比較してあっさり終わっている。
「マンガはキャラクターだ」(小池一夫)を引くまでもなく、「名前と特徴(強み)のある敵キャラクター」がドラマ作りには必須。球詠世界の試合でボリュームある試合運びを作るには、勝つにしろ負けるにしろ3人以上の敵選手が必要だったのだ。(梁幽館は非選手ベンチメンバー/データ分析者もいるので実質4人)
で、60話で始まった咲桜戦だが、相手にネームドキャラクターが一人もまだいない。初期に俊足などの特徴を付した名前のある選手が二人いたが、3年生であり夏大会で引退済み、過去に因縁のある無名の偵察メンバーはベンチ入りしていないはずである。
柳大戦のように、試合が始まってから回想シーンでキャラクターを追加するという方法もないわけではないが
・・・どうすんのこれ?
それぞれ多かれ少なかれ、胡散臭さがにじみ出ている
「それでべつにいいです」っていうなら止めはしない
しかし、みずから「胡散臭い人間になりたいです」って人は少ないだろう
そうなのであれば、実直な製造業などに就職することをおすすめする
コンサルと製造業では、メンタリティが180度どころか720度ちがう
とにかく、「無形の商品」を扱い、かつ、
それに該当するのは受託専門のソフトウェアハウスとコンサルだけである
この3つの要素が、コンサルという存在を輪をかけて胡散臭くする
ホリエモンさんみたいな人間になりたければまずは実直な業界に就職しろ
若いころはまずその中で苦労したほうがいい
もともとコンサルは工場運営の相談役から始まったことを忘れてはいけない
ホリエモンの場合も大失敗(ライブドアショックと収監)があるが、
それを乗り越えた先にエヴァンジェリストとして説得力が増す存在になれたのである
もしホリエモンさんが実業の失敗をしていなかったら、今も胡散臭かったろう
すくなくとも実業で苦労して、それからコンサルなりに転業すれば、
詐欺を何十年も生業にして訴訟と課税から外国に逃げた結果として
ナチュラルににじみでてくる胡散臭さはとは無縁の人間にはなれると思う
早慶・東大以上であれば「到達性のない」空疎な議論でプロレスして
アクセス数で金を稼ぐ、というようなことをしなくても稼げるだろうから、
というオナニー人間になりたいか、それ以上に大切なものがある、
と気づけるかどうかの違いだと思う
以上である
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210611/k10013078681000.html
高橋さん 衛藤さん
「東大の文系の学生でコンサルを検討しない人はほとんどいないと思います。官僚になるのがかっこいいという価値観は通じなくなって東大生の就職活動では、とりあえずコンサル=『とりコン』という言葉もあります」
プロスポーツや演劇と同列にオリンピックを語ろうとする人がいるけど、それは違うと思う。
プロスポーツや演劇の選手、役者、スタッフは、そのスポーツや演劇を生業としていて興行ができないことになったら一気に失業者になってしまう。
一方オリンピックはどうなのか。
スタッフはボランティアだし、選手も手当は出るかもしれないが基本無給だ。(働いていたり、実業団に入っていたり、プロだったりで彼らの生業は別にある)
オリンピックには、オリンピックを生業として生きている人はいない。
スポンサーだって、協賛金は払っていてもそれは実業務で得る収入以外の+αを求めるものであり、
それがペイされないと会社が傾くなんてことは基本無いだろう。
傾くならそれは経営陣が間違っている。
マスコミだって、オリンピックがあれば更に儲けることはできるだろうけど、なくても会社は潰れないだろう。
オリンピックとプロスポーツの比較は仕事で仕方なく電車を使っている人と遊びに行く為に電車を使う人、それを同列に扱っていいのか?という話だと思っている。
オリンピックは遊びに行く為に電車を使うほうに属すると思っている。
そういう意味ではオリンピックはプロスポーツよりもコミケ寄りのイベントだと思っている。
オリンピックはコミケと同じくアマチュアリズム(の中に一部プロが紛れている)、ほっとくと客がめちゃんこ来るという点で一致している。