はてなキーワード: 中毒とは
例のPremiumの動画についての件。
いや、俺は別にPremiumがどうとかはどうでもいい。金銭感覚は人に依る。
問題は以下の、
どれだけ大切な時間か…YouTubeなんかに使うくらいならそっちにお金かけたほうがいい
『そういう普通から逸脱した人が僕は成功すると考えてます!』
俺はこれに大変失望した。幻滅した。
Hikakinに対して抱いていた「尊敬」が一瞬にして「憎悪」に変わった。
そんなわけないだろうが!
いや、「普通」、つまり常識なんかを疑い、新たな道を見つけること、これは確かに成功に繋がることがある。
だが、言及元のコメントで言えば、「Youtubeより、友達との大切な時間に金をかける」ということを「普通」として、それから「逸脱」した方が良いと言っている。
もう一度言う。
そんなわけ、ないだろうが!!!
Hikakinがこれまでやってこれたのも「支援者」、「人の繋がり」があってこそだろう。
そしてHikakinもそれに応え得るために様々な活動を行ってきた。それには当然金銭的コストが掛かるだろう。
Hikakinを中心としたオープンなコミュニティみたいなものが形成されるために、Hikakinは毎日様々なことをして、様々なもののために金をかけてやって来た。
そう言った、「人」の温かみに囲まれてやってきたはずの人間が、「友達」よりも「動画」至上主義となり、言葉は汚いが『Youtubeの犬』に成り下がってしまったことに俺は大変失望している。
俺がわざわざはてなのアカウントを作ってまでこの匿名ダイアリーにこの記事を載せようと思った理由はたった一つ、
この考えがユーザー、特にそのメインである「学生」に波及してしまったら大変まずいと思ったからだ。
それは、自分の話になるが、そんな「動画至上主義」が「学生」の自分を社会から置いてけぼりにしてしまったからだ。
Youtuberが台頭し始めた頃、俺は丁度高校生になりたてだった。
もちろんHikakinもそうだが、はじめとかマホトとか様々なYoutuberがいて、俺はそれにどっぷりのめり込んでいった。
動画の時間は短いようで、長い。平均10分の彼らの動画を夜に30本見るためには300分、5時間かかる。
実際はもっと見ていた。大体の人気のYoutuberをフォローしていた。
俺の人生が、俺の昼の時間までもが、Youtuberに浸食されている危機感に、俺は気付いていなかった。
昼休みに動画を見ていた。気付けば、生身の友達の横で、まだ見ぬYoutuberを捜索していた。
元々高校に入る前からネットにはまり気味だった俺にも、高校のネット仲間、別にネットについて詳しくはなくても他の繋がりで仲の良い友達がわりといた。
部活に入っていなかった俺にだって、クラスで友達を作ることは簡単だった。
放課後に、部活に入っていない友達同士で色んなところに遊びに行ったり、食べに行ったりすることが、学校生活一番の楽しみだった。
楽しみだった。
いつからか、「あー、今日は帰るわ」と、無意識に口をついて出るようになるまでは。
俺が下校時まで、下を見ながらYoutuberの動画に笑い歩くようになるまでは。
今思えば、どう見ても面白くない内容の動画が、学校での他愛ない雑談よりも「面白い」と考えるくらいには。
その先は言わなくても分かるだろうが、一日中スマホを見続ける俺から友達は離れていった。
「それでもいい」と思っていた。ここまでくれば明確に「頭がおかしい」、と今の俺でも思う。
受験になって、時間の大切さを改めて知るまで、正確に言えば、スマホ中毒だと俺を病院に連れて行った母とそこの医者に言われるまで、それは治らなかった。
スマホ中毒自体はYoutubeに限ったことではなかったが、俺はそれによって初めて自分の異常さに気付いた。
大量にチャンネル登録していたそのアカウントは消した。今はサブ垢一つになった。
動画を見るのはすっかり一日一時間程度になった。俺にとってはかなりの進歩だと思う。
もう昔ハマっていたYoutuberを見ることもほとんどない。今でも面白いと思えるチャンネルしか見ない。
でも、フォローがやめられない。
いや、書いた通り日本のYoutuberはほとんどフォローしていない。
海外だ。
今の冷静な頭で、面白いと思える動画が、世界にはまだまだある。
あの頃に「友達との喋り方」みたいなもの、いやもっと根源的に言えば「友達の作り方」みたいなものをすっかり忘失してしまった一浪大学生の俺に、今も友達は一人もいない。
言い過ぎているわけではなく、文字通り友達が「一人もいない」。
自業自得だった。
Hikakinのあの一言が、恐らく安易な気持ちで返信したあのコメントが、そんな事態を不特定多数に遭わせようとしている。
もう自業自得ではない。
あのコメントを見たユーザーが、Hikakinの考えは意識が高いな、じゃあ自分も…となり、俺のような事態になってしまったら。
その責任は、言うまでもなくHikakinにある。言い逃れはできない。
そんな「影響力」が自分のコメントにあることに、彼は気づいていない。
正直Hikakinの活動については俺はかなり肯定的であったと思うが、今回の一言でさすがに幻滅した。
これを書くためにキーボードでタイプしているこの手もまだ怒りで震えている。
これまでHikakinが行ってきた人道的な活動や好意的な交流については変わらず称賛したい。それは誰も文句が言えないことだと思う。
しかし、Hikakinよ。お前の影響力がどれだけか、まだ分かっていないのか。
そもそも小学生の夢がYoutuberって時点でヤバいのは分かる、だがそれは「個人」の影響ではない。
ただ、お前の「一言」には確実に大きな、莫大な力があるんだよ。
お前の普通を語るなよ。
『人それぞれいろんな考えやお金の使い方、自分への投資、あると思うけど』と言うなら、お前の普通を社会の普通と思うなよ。
『僕は~と考えてます!』という予防線は「普通」という単語を使った時点で矛盾してるんだよ。
お前は才能があったから、「コミュニティ」から逸脱しても、ネットで囲われることができたんだ。
大多数の人間には、「独り」から広げられる人脈はごく限られている。俺に限っては無かったんだけどな。
友達がいなくなる。
「それでもいい、『普通から逸脱する』ことが成功につながると、Hikakinも言ってた」
俺はそんなことを言い始める学生が一人でも現れたら、発狂しそうなくらい悔しくなると思う。
ネットにはわざわざ自分からムカつくものを見に行っては罵倒や批判をまき散らす人がいる
一見ストレスマッハで早死にするんじゃないかとも思うがその実彼らは楽しんでいるのだ
1 ムカつくものを見に行く
2 ストレス、怒りをためる
溜めた怒りが大きいほどスッキリする
しかし気持ちよく叩ければいいが反論されたりすると消化不良になって余計ストレスがたまる
でもやめられないとめられない。あの気持ちよさが忘れられないからだ
ネットで簡単手軽そして馬鹿げた方法で気持ちよくなろうとした、あわれでみじめな連中の成れの果てが
アルコール中毒パチンコ中毒オナニー中毒膀胱中毒にならぶ社会問題だ
あるネトウヨは裁判で訴えられても後日また同じことを繰り返していたという、、
はてなブックマーク - 「シャブ山シャブ子」を信じてはいけない | プレジデントオンライン
全体として正しそうな感じがするし。ご専門の方の意見として真っ当なんだと思うけれど。
「薬物中毒は犯罪では無く健康問題である」と言われても。そういう方向性になっているのは水際での食い止めに失敗した国ばかりなので、「多様性の為に経済移民の受け入れはメリットがある」みたいな話と似た臭いを感じるなぁ…ドラッグ恐怖症的な対応で殆どの国民がドラッグに触れずに一生を終える国の方が、カジュアルにドラッグ中毒になる確率が高い国よりマシなんじゃないかと。運悪くドラッグ中毒の人には生きにくいかも知れないけど。
最近メディアに出る人の中に、大麻解禁とか言い出している人を見かけるようになって、なんとなくなし崩しにしたいのかなぁ?とか危惧しています。
こう、記事ってフックがあるじゃないですか。タイトルにせよ、本文にせよ。
個人的な感想を言えば強すぎるタイトルのフックは好きじゃないですね。釣り記事とか言うんでしたっけ。
それでフックに引っかかって記事を読むと案外論旨は別のことを主張してたりとか、多いですよね。
まあそれはいいんですけれど、ブコメ。ブコメでフックに引っかかり続けてるコメントをみると実に腹立たしく思えるんですよ。
君が感想を述べている項目はあくまで衆目を引くための餌で、筆者が一番言いたいことは別だろうと。そっちに言及して差し上げてはいかがかと。
いやね、わかるんですよ。そのフックが気にかかるから記事を読んだわけですし、文中で気になってることを書かれたらなんやかんやと申し上げたくなることは。
とくにブコメですとね、100文字でしょう。短い。Twitterより短い。驚きの短さなわけです。この文章ここまでで大したことを書いて無くて300字オーバーなわけです。
なんでしたっけ。フックに引っかかり続けて一番言いたいことに対しての感想を返さないのは少々悲しいものであるなあ、とそう思ったことをお伝えしたくこうして延々と文字列を伸ばしておるわけです。
お読み頂けました?読んだ方ね、あなた一昔前なら薬の瓶の説明書きまで読むタイプの活字中毒でいらっしゃる。
手元に文字があれば一瞬のスキが空き次第読まずにはいられない、そんな中毒者ではないでしょうか。いや、スマホが発明されて本当に良かった。読む文字列に事欠かない良い時代です。
ではまた。
こんなゲームに夢中になっていたのかメタ視点で冷めた気持ちがある一方、うまくいったときの楽しい部分は残っていた。
かなり腕がなまってしまってショックだった。そしてまた中毒パターンにはまって一日が終わった。
現実世界でイライラがあったとき、FPSでストレスを発散している。
ストレスは発散されるより勝ったり負けたりで発散されるというより疲れて曖昧になって寝ている。
なのに、今日、楽しくもないのにまたゲームのイメージがフラッシュバックしてやりたくなってしまった。
まだこらえてゲームはやってない。
この映像記憶の再生は真剣にやり始めてから発生するようになって、状況判断や上達のきっかけに貢献しているが誘惑にもなっている。
冷静に考えたり他のことをして紛らわせている。
タバコが規制されないで、大麻が規制されているってやっぱり納得がいかないな。
片方は法律で許可されていて、もう片方は法律で禁止されているから。と言えばそうなんだけども。
何が納得いかないって大麻禁止にするくせに、吸った本人にも周りにも影響が出るタバコはOKって腑に落ちない。
大麻は許可されるかべきか的な話になると、中毒性やら毒性やら言われるけど、タバコって中毒性と毒性の固まりやん。
にも関わらずタバコが禁止される、もしくは大麻が認可されるって状況にならないのは何故なんだろう。
個人的なイメージだけど、世間的に大麻・覚醒剤・麻薬などは細かく理解されてなくて、「こういう薬物系=ヤバイ物」という漠然とした認識しかしてないからじゃないのか。と考える。
そこら辺は知識をもう少し持った方がいいんだろうけど、ただ、ヤバイ物と認識するなら何故タバコはヤバイ物と認識されないのだろうか。
どうせ「今まで皆吸ってたから」とかなんだろうけど、これ仮にタバコが禁止されて大麻が許可された世界だったら「タバコ=ヤバイ物」と認識されたりと似たような事になるんじゃないのかと思う。
とまぁ、ここまで書くと大麻推進派みたいなイメージもたれそうだけど、そういう訳ではなく、ただ単に納得いかないので文字に起こしてみた。
「嘘」は悪である、というのがあなたの提起したい問題だと思う。
だが、ある行為が「悪」なる意志により行われた「悪」な行為であっても、それが「善」なる結果を生む、ということは起こりうるのではないだろうか。
極論だが、空き巣が盗みをするために窓をぶち破って家屋に侵入したら、図らずも一酸化炭素中毒で死ぬところであった家人を救う結果になった、とか。この場合、もちろんこの空き巣の悪が消えるわけではないが、同じように彼の行為が善なる結果を生んだことを否定しても仕方がないだろう。前者を取り上げて「嘘は悪である」と主張するのも一面だが、後者に注目した人が「嘘も善(なる結果を生む)」というのもまた正しい一面だ。
ネトゲやっていた時間なにもすることがなくて本当はあるけど、退屈をネトゲの替わりにネットや動画で埋め、ただただ虚しい。
本来やりたいネトゲをやれず「ああネトゲやりたいなあ」って思い続けてる。
最近は、ネトゲが面白いわけじゃない。ネトゲやってる時が自分の時間になってる。
一日の業務やっと終わった!自分だけの時間。息抜きのネトゲ。ごほうびのネトゲ。
これが無くなる。
PDCAもネトゲなら回せる。何がいけなかった?どうすればいい?
勉強して効果が出たことを確認できる。昨日より成長した。明日への自信につながる。
こう思える。現実に戻っていける。
今は折れた気持ちでいつ終わるかわからない現実と消耗戦していくしかない。
暴飲暴食くらいだが、食うと太る、飲むと内臓に響くので飲めない。
あいた時間にネトゲしてストレス解消できるのが一番充実していると思う。