はてなキーワード: あっちこっちとは
例えばマイナンバー使って発行/変更できる任意のユーザー名のメールアドレスとか。hogehoge@japan.go.jpみたいな。
そうすれば大手キャリアがメアド囲い込んでる件は解決できるよね。
転送専用にすればサーバ負荷も低いし、国勢調査や投票用紙の送付、給付金などの一斉告知も簡単にできる。スパムフィルター付けておけばスパムも弾けるし。
税金で運用するなら、転送設定はネット申請に加えて役所でも紙での申請でもできるようにしたり、高齢者や視覚弱者のためは転送じゃなくて届いたメールを自動で電話で読み上げるようなサービスがあっても良い。
実名登録だから転送されてないメールも把握することができるだろうし、そういったところにだけリアルで補足するようにすればだいぶ節約できるんじゃないか?
例え構築で1兆、運用で年間2000億かかったとしても、毎月あっちこっちの役所から届く郵便物に比べれば安いもんだろ。国民1人あたりにすれば月数百円だし。
朝1でちらっとついったで回ってきたリンクで無事心を殺された
職場も言語も何もかもが異なるけれどこんなのあっちこっちにあるんだなと思いならコメント見ててさらに死んだ
自分も3X歳の使えねーやつ側の人間だし、最初の会社がこんなんで就職してから猛勉強して単体で仕事を任されたりもしたけれど、
全部独学でやってた上で先輩の「あいつは成長してない」なんて悪態をつかれていた事実を知って仕事辞めたから。
勉強したって会社単位でやってることを学べなきゃ役立たずもいいとこ
それを理解していながら裏でせせら笑っている先輩たちが上記の作者と被って仕方ない。
ある程度のことはできる。
それを一生懸命応用を身に着けて工夫したところで、現代にマッチしてなきゃニーズもほとんどない。
別言語の基本習得して自分が仕事で作っていたものくらいならきっと作れるだろうなという
自負くらいはある。
だけどそれは同じレベルの同じところまでという意味で、じゃあWEB関連だとか、インフラ関連だとか、
業態レベルで違う分野に飛び込んでやっていけるのか?と考えると体がすくむ
裏で日記の著者たちのように笑われてんだろうな、んで聞いても教えても貰えないんだろうななんて思ったら
その意味ではこの著者に出てくる取り返しのつかないやつの就職時の根性はすごいと思う。
頑張ったなって素直に思う
それ以上ができなかったのはもう、なんともだが
自分が死んでるのは3X歳と自分の立ち位置は大分おんなじなんだよなって再自認と
じゃあ「ああダメだな」って自覚したところでじゃあどこに進めばいいんだよってなったときに途方にくれちゃったんだよな
なんも思い浮かばないんだわ
ひたすらに自分のできる土台を整地して、新たな部分を少しずつ付けたしていくこと以外に、できることの選択肢が浮かばないんだよ
それを馬鹿にされようとその分野終わってると言われようと、そこからまっさらな飛び地に行く勇気ないわ
こんな日記読んだら
「撮影機材の方針が定まらないのは、あっちこっちのジャンルに中途半端に手を出してるからですかね。旅写真でも食べ物でも何でも撮りますが、特に旅に関していえば忙しい詰め込みツアーに参加してしまうことが多く、ガチで三脚を立ててじっくり撮るよりも、いかに短時間で良い風景を撮るかの勝負になってしまってついつい雑に撮ってしまいがちなんですよね。自分で車を運転できればもっと自分のペースで旅をして、じっくり撮影できるでしょうが、何しろペーパードライバーなので突然車の運転なんてすると非常に危険です。
一番やりたいのは動体撮影で、」
ここまでで結論が出ているので、四の五の言い訳をせず、動体撮影のために一番ベストな機材選びをしましょう。
自分が望んだ通りの動体が撮影できなかったとき、それを機材のせいにしてはいけません。
機材は常にベストを装備していなければ、自分の撮りたいと思った動体と出会うたびに機材に言い訳を求めてしまうことでしょう。
中途半端な装備をしているので、どちらつかずの写真になってしまっていることはそろそろ気づいてもいいかもしれません。
逆を返せば、そのための装備を固めていれば、他の写真を撮ること自体に諦めが付きます。
あれも撮りたい、これも撮りたい、しかも装備は軽くしたい、が許されるのは一部の富豪だけです。そうではないなら現実を受け入れるべきです。
しっかりと装備を揃えていれば、望んだ動体が取れなくても、その動体を撮るための経験は他の導体で積むことができるはずです。
その機会を逃して、動体がないからと手持ちの装備で中途半端な写真を取り続けていれば、結局はどの分野においても人の写真を羨む生活と、スペックに踊らされて所有欲だけで無駄遣いをする生活を繰り返していくばかりです。
人生において一番の写真を撮りたいと思ったとき、機材の重さなんて些細な問題でしかありません。
それよりも、自分の求める写真に対して、今現在において最もレスポンスに答えてくれる機材を選ぶべきです。
それをそうではないと感じているなら、望んだ写真が取れなかった理由を機材など別の要因に逃げていることをやめることから始めるといいと思います。
人に褒められる写真を撮りたいのか、自分が撮りたいと思う写真を追い求め続けるのか。
もし動機が前者であれば、死ぬまでカメラメーカーの肥やしとしての人生を送り続けることでしょう。
何も恥じることはありません。大半のカメラユーザーが前者であり、そういう人がいるからこそ成り立っているのがこの業界です。
相談に対して中途半端な質問しか帰ってこないのは、もしかしたら中途半端な質問をしているからかもしれません。
自分が撮りたいものを明確に持っている人と、なんとなく楽しい写真をストレスなく続けていきたいだけ人とは、当然答えるべきアドバイスも変わってきます。
いや〜、ブクマ稼ぎが目的だとしても、なかなかここまで丁寧に書いてくださる方はいないですよ。書き込むにしても自分の好みを押し付けたり、こっちの対応や意見が気に入らないと、文句を言ってきたり…。正直あまり客層の良くないWEBサービスだと思っていますが、個人ブログに書くより、こっちの方がいろいろなリアクションが得られるのでここに書いています。
撮影機材の方針が定まらないのは、あっちこっちのジャンルに中途半端に手を出してるからですかね。旅写真でも食べ物でも何でも撮りますが、特に旅に関していえば忙しい詰め込みツアーに参加してしまうことが多く、ガチで三脚を立ててじっくり撮るよりも、いかに短時間で良い風景を撮るかの勝負になってしまってついつい雑に撮ってしまいがちなんですよね。自分で車を運転できればもっと自分のペースで旅をして、じっくり撮影できるでしょうが、何しろペーパードライバーなので突然車の運転なんてすると非常に危険です。
一番やりたいのは動体撮影で、競馬とか馬術とか水族館のイルカショーとかいろいろありますが、その割には年数回しか行っていないのでなかなか上達しません。昨今はコロナ禍で、競馬も無観客レースとなり、入場できないので当然撮影もかないません。また、戦闘機も撮影してみたいのですが、今年はことごとく航空祭が中止になってしまい、行くことができません。昨年は練習のため、せっせと旅客機撮影をしたのですが、無駄になっちゃいましたね。
動体撮影するならAPS-C機、風景とかをじっくり撮るならフルサイズ機と思っていますので、APS-C一辺倒ではなく、フルサイズ機も持っている方が有利だとは思います。が、フルサイズ機やフルサイズ用のレンズの値段と重さを見ると逃げ出したくなる代物が多くて、気持ちがふらふらしてしまうのです。
CANONも最近高性能なミラーレスフルサイズ機を出して来ましたが、ソニーの方がたぶん軽くて安いので、フルサイズ機買うならソニーかな…と漠然と思っています。が、レンズもろとも買い揃えないといけないのでフルサイズ移行には勇気がいります。
いちいち絶景スポットに行ったり見栄えのする被写体のいるところに行かなくても、お散歩写真のようなノリで面白い写真を撮るプロカメラマンもいますので、あまり構えずに日常を撮れる人を尊敬してます。
で、お前は結局どういうカメラが欲しいんだと聞かれると困るんですが、まずは手持ちの小型軽量機を使い倒した上で、将来的に機材(と腕前の)グレードアップが図れると良いなと思っています。
プロ同士の囲碁の対局は、広い盤面をあっちこっち行ったり来たりするので、初心者から見るとかなり意味がわからなくてキツい。
初心者が学ぶ囲碁は、手筋や石の生死、九路盤での実戦などが続き、とにかく「局地戦」に特化して成長してしまう。
ところが実際の十九路盤の対局はそうではない。
あっちに仕掛けたと思ったらこっちに仕掛け、相手するかと思いきやさっき無視した場所の防御を始めるので、異次元の試合にしか見えないだろう。
この原則を頭に置くだけで、だいぶプロの対局は見やすくなるはずだ。
たとえば、ある箇所を確保しようと石を置く。相手はそれを妨害すべく、自分の石を近くに置くだろうか?
もしそれが最序盤であれば、普通そんなことはしない。別の空いているところに石を置く。
なぜか?相手が既に手を掛け始めた土地にちょっかい出して半分分けてもらうより、未開の土地を自分ひとりのものにするほうが得だからだ。
局面が進むと、その場所より価値の高い場所がなくなって、ここは渡すわけにいかぬとちょっかいを出したりもする。
だがその場合も、即その場で戦いになることは少ない。
なぜなら石が競り合っている場所は、基本的に全部自分の陣地にすることできないので、その場所を一生懸命防御するよりもっといい土地を逆に取りに行くほうが価値が高いからだ。
このあたりは、「もしその場所に2手打たれたらどれくらい困るか」を考えるとわかりやすい。
「あなたはそこに2手入れていいですよ。その代わり、その間に私は別の場所に2手入れさせてもらいますよ」
この取引に利があるとなれば、平気で他の場所に手を移すことになるだろう。
中終盤になってもこの考え方で観戦が可能だ。
コウの競り合いも、寄せの順番も全てこの「そこに2手やられるのと別の場所に2手置けるのとどっちが大きいか」で見ることができる。
再婚した妻の連れ子18歳がとにかくだらしない。
自分の出した紙ゴミや食べおわったゴミを放置、スリッパを揃えない、水道出しっぱなし、無くなったトイレットペーパーの芯は放置、気分の良い時だけお手伝い(中途半端にやって途中でやめる)
その他もろもろ。
妻にそれとなく伝えても
「もう治らない」
「優しいところもある、良いところを伸ばせばいい。」
とのこと。
机の上にはゴミがちらかり、トイレのスリッパはあっちこっちに向き、シャワーを捻ればいつまでも冷たいまま、設定温度はなぜか15度
自分の「べき」と相手の「べき」が違うことを認識するってよく書いてあるけど、
いやいや、ゴミは捨てるべきだろ
と思ってしまう。
自分が細かすぎるだけなのか、教えてください。
原爆資料館に行った。すげえ大規模な、誰もが参拝しておくべきお墓参りの場所だった。
落とすのが正しいとか正しくないとかじゃない。ただただ死んだ。たくさん死んだ。覚えておいて、おもいださなくちゃいけない。人間はこれができる。やってしまう。ということを。
展示見て出てきてから、すこしのあいだなにもできなかった。あのお土産売ってるとこ、あー記念品買おう―ってテンションじゃないよな。やってけんのかなあれ。
それはそれとして腹は減るので適当な食堂で食ってお城(コンクリだ)行って刀とか甲冑とかみてカキのたくさん入ったお好み焼き食って次の日大和ミュージアム行って鉄のくじら館行って地元に帰った。
こっちはエンタメ寄りなので原爆関連より心が重たくない。ちょっとだいぶ心に胃もたれしてたので助かった。
大和は沖縄に死にに行くところ以外全然働いてないし役にも立ってない(≒あんまり殺してない)ので。乗組員ほとんど死んでるけど悲惨だけど原爆前の日に見てるとレベルがほっこり程度である。
展示も「いやー作るの大変だったっすわー」「期待すごかったんすわー」「作るの大変大変」「あっちこっちいって遠目から砲撃したりはしました」「あ、沖縄で壮絶に討ち死にしました」みたいな。あっさりなんですね最後みたいな。
でもたまにあの「お墓参り」にまた行きたくなる。