はてなキーワード: パーキンソン病とは
母が亡くなった。
手の親指や人差し指を手術で取った。
面会に行くと暴れた。
哀れすぎる母だった。
包丁を持って暴れるので逃げて回った。
子供の私と鍵のかかる部屋に篭る、
窓の隙間から覗く父の姿は
自分は忘れられない。
だが結局、酒はやめきれず
酒に酔って、
当時住んでいた家の近くの
船着き場の桟橋から落ちて亡くなった。
そのあと
濡れ衣をきせられた。
母は病んでいった。
妄想が始まる。
「誰かに追われる、覗かれている、聞き耳をたててる」
生活がある、家庭がある
躊躇なく入院させた。
それから30数年
だから、、、、
母が亡くなった時
切望した。
そんな自分勝手な望みなど叶うはずもない。
自分も長く病んでいて
今
母と同じ病院に通っている。
いつか母と同じようになるような気がする。
母は私の病みを持って逝ってはくれなかった。
母の遺骨の前で泣きながら苦しいと吐く。
らしい。
実家を出て、あるいは捨てて、遠い場所で看護師をしている私はそのことを今知った。なんでも庭で転倒してICUに運ばれていたのだと。長年のパーキンソン病でもともと身体の動きはぎこちなかったし、退院後に寝たきりになるということはまったく不思議ではない。遅かれ早かれこうなっていただろうという感じ。むしろ、パーキンソン病の発症時期を考えれば、寝たきりになるまでずいぶんと持った方だと思う。
だから、諦めという感情で割り切れていた。母親から「入院している病院の看護師を私の名前で呼んでいる」と聞くまでは。
パーキンソン病はつまるところレビー小体型の認知症だ。発症が認められたそのときに身体症状と精神症状のどちらが強く出ていたかで、診断名が異なるのだろう。たぶん。知らんけど。
ここ一年の祖母の精神症状というか、認知症症状というか、ちょっと見ていられなかった。(元々の性格もあるのだろうけれど)不安や焦燥は強かったし、幻覚がそれに拍車をかけていた。忘却はもちろんあった。転倒する前から親族のこと、たとえば一緒に暮らしている私の母親のことさえも、覚えていたり忘れていたり。
でも、孫の中でいちばん不出来だった私のことだけは覚えていたんだよなあ…
なーんで私のことを覚えているかな、と思う。いっそ忘れてくれればよかった。私はICUで働く看護師のように真面目に働いてはいない。病棟でもやっぱり不出来であるし、それでいて、勉強熱心でもないのだ。志も低い。だから、忘れてくれればよかったのに。どうして覚えているんだろう。悔しい。苦しい。私がいちばん心配をかけたからだよね、わかってるよ、ずっと不登校でごめんね。家を出てごめん。帰省しなくてごめん。もっとあなたに親身になってくれる人たちのことを覚えていてほしかったよ。私のことなんて真っ先に忘れてほしかった。忘れられても、私はきっと、たいして傷つきもしなかった。それくらいに薄情なのにどうして覚えているのかな。どうしようもない。苦しい。
2/25
コロナ19確診者のうち、9人目の死者が発生した。去る24日漆谷慶北大病院で死亡した患者1人が死後にコロナ19陽性判定を受けた。この患者は、23日腹部膨満症状などを訴えて来院した音圧病室で治療を受けていたの急性呼吸不全で死亡した。
17:00確定者84人増え、合計977人... 10人目の死者が発生
コロナ19の中央防疫対策本部が25日午後4時の基準国内10人目の死者が発生したと発表した。確定患者は、午前60人、午後84人が追加され、合計977名である。一日に確定者144人に増えた。現在の検査を進行中の人は1万3888人である。
18:00 11人目の死者、35歳、モンゴル人の男性···外国人初の事例
新型コロナウイルス感染症」(コロナ19)確定判定を受け、京畿道高揚ミョンジ病院で隔離治療中だったモンゴル人男性(35)が25日、死亡した。国内11人目の死者で、外国人初の事例だ。保健当局によると、この男性は慢性肝疾患と末期腎不全を患っ南楊州市別耐凍家で療養していたし、24日午前6時病状が悪化し、病院に運ばれた。ミョンジ病院の関係者は「この男性の死亡原因がコロナ19と関連しているか調査中」としながらも「(サインは)持病のためだと見ることが合理的だ」と明らかにした。
2/26
国内コロナ19確定者のうち、12人目の死者が発生した。大邱で3番目確定判定を受けた患者で新天地信徒に伝えられた。糖尿病と高血圧を患っていたが、男性は20日、大邱医療院選別診療所を介して入院した後、啓明大学東山病院に移送され、呼吸器治療を受けてきた。 24日連鎖球菌ショックが発生して集中治療を受けて26日午前1時ごろ死亡した。
2/27
27日、国内の新型コロナウイルス感染症(コロナ19)確定者のうち13番目の死者が発生した。死亡者は74歳の男性で、新天地信徒全数調査の過程で確定判定を受けた。腎臓移植に基礎疾患を患っており、この日の呼吸困難の症状で救急搬送中に心停止が発生して死亡した。大邱地域でコロナ19死者は計4人に増えた。
2/28
大邱で新型コロナウイルス感染症(コロナ19)検査後が隔離中の患者が死亡した。国内14人目の死者に自己隔離の死亡2番目の犠牲者だ。死亡者A(69・女)氏は、この日の午前5時39分ごろ、呼吸困難を訴えて救急室で緊急搬送した。彼は心肺蘇生法(CPR)を受けたが、病院に到着して1時間後に死亡した。大邱市は、彼の死に関連ブリーフィングを29日午前にする予定である。
大邱英病院で女性A(63)氏が死亡した後、コロナ19確定を受けた。続いて、大邱医療院で23日確定を受けた女性B(94)さんが死亡した。これ国内コロナ19死亡者数は、合計16名である。
2/29
12:05大邱でコロナ19確定77歳の男性死亡... 17番目
大邱地域でコロナ19の17人目の死者が出た。大邱市によると、29日午前7時20分ごろ、漆谷慶北大病院音圧病床で治療中の77歳の男性確定者が死亡した。この感染者は普段糖尿パーキンソン病を患った。
3/1
14:24コロナ19国内18人目の死者が発生... 82歳の男性
国内新型コロナウイルス感染症(コロナ19)確定者のうち、18人目の死者が発生した。疾病管理本部の中央防疫対策本部は1日午後行われたブリーフィングで大邱で18人目の死者が出たと述べた。ジルボンは「18人目の死者は82歳の男性で基礎疾患に脳梗塞、高血圧、糖尿病などを患っていた」と語った。
大邱でコロナ19確定者のうち2人が死亡した。この日一日の間に3人が相次いで死亡し、死者は20人に増えた。大邱市によると、同日午後2時25分漆谷慶北大病院に入院していた80歳の男性と午後4時18分大邱カトリック大学病院に移送された86歳の女性が死亡した。 80歳の男性は、28日コロナ19確定判定を受け、高血圧を患っていた。 86歳の女性は、去る28日コロナ19確定的にあることが判明され、この日の午後、呼吸困難で病院に搬送されたが死亡した。
大邱で1日コロナ21度、22人目の死者が発生した。この日の午後6時30分頃、大邱寿城区した家庭で確定判定を受けて自宅で入院を待っていたA(77)氏が亡くなったことを警察が確認水性保健所に通報した。これ進ん1日午前1時40分頃には、前日ファティマ病院に入院した77歳の女性Bさんが死亡した事実が一歩遅れて確認された。これにより、大邱では、この日だけ5人コロナ19に命を失った。
3/2
大邱確定者のうち、追加死亡者4人が発生した。 2日、保健当局によると、ファティマ病院の緊急治療室で冷えなどの症状に移送された80歳の男性、慶北大学病院で隔離治療中だった71歳の男性、嶺南大病院で入院中だった64歳の男性、啓明大学東山病院音圧室から分離されていた86歳女性が死亡した。死者のほとんどは、糖尿病・高血圧などの持病を患っていた。これ国内の死者は26人に増えた。
大邱でコロナ19確定者のうち死亡者2人が追加で発生した。これコロナ19国内の死者は28人に増えた。大邱市によると、この日の午後1時13分ごろ、79歳の女性が肺炎症状で啓明東山病院に運ばれたが、心停止がと死亡した。この女性は、事後検査でコロナ19確定者が明らかになった。また、この日の0時46分ごろ、大邱カトリック病院で入院治療中の78歳の女性が死亡した。この女性は、高血圧などの基礎疾患があり、死亡後陽性判定を受けた。
大邱確定者のうち死亡者1人追加された。 3日、保健当局によると、同日午前3時ごろ啓明東山病院で確定者A(78)氏が死亡した。 Aさんは、先月29日の緊急治療室を介して、この病院に入院して内科集中治療室で隔離治療を受けていた。コロナ19確定判定は入院した日の午後8時40分頃出てきた。 Aさんは、基礎疾患に糖尿病と肺炎を患っていた。これ国内の死者は29人に増えた。
17:16 43日で5000人を超えた。確定者5186人・死者31人
中央防疫対策本部は3日午後4時の基準国内新型コロナウイルス感染症(コロナ19)確定者の合計5186人と発表した。この日0時と比較して374人増え最初確定者発生後の43日目に5000人を超えた。死者は大邱で3人追加で発生して31人に増加した。保健当局によると、同日午前11時47分ごろ、啓明大学東山病院で呼吸困難の症状に見えたA(83)氏が死亡し、同日午後2時37分ごろ、慶北大病院で確定者B(75)さんが死亡した。
大邱でコロナ19死者が1人追加で発生した。まだ確定番号が付与されなかったが、大邱では22回目だ。大邱市などによると、この日に死亡した78歳の男性は、2日コロナ19陽性判定を受けて自己隔離中倒れた。 119救急隊が到着し、当時心停止状態だったが、患者はファティマ病院に移送された後、死亡した。高脂血症と高血圧、前立腺肥大症、心筋梗塞などの基礎疾患があった。これ国内コロナ19死者は32人に増えた。
3/4
10:30基礎疾患のない大邱60代の女性が死亡...死者33人
大邱で基礎疾患のないコロナ19確定者が死亡した。 4日大邱市によると、死者は67歳の女性で、先月25日に大邱カトリック大学選別診療所で検査を受けてコロナ19確定判定を受けた。特別な基礎疾患はなかった。以後着実に人工呼吸療法を受けたが、この日の午前1時50分に死亡した。これ国内の死者は計33人である。
大邱でコロナ19死者1人追加で発生した。これ国内の死者は34人に増えた。大邱市によると、同日午後4時23分ごろ、大邱医療院で隔離治療を受けていた87歳の女性が死亡した。この女性は、先月24日、南区保健所でコロナ19検査の後、確定判定を受けた。この女性は、心臓肥大と高血圧、認知症、不安障害などの基礎疾患を患っていた。
22:51大邱でコロナ25人目の死者が発生...国内総35人
大邱でコロナ19死者が追加で発生した。大邱市はこの日午後5時25分ごろ、啓明大学東山病院音圧病床で治療を受けていた72歳の男性が死亡したと発表した。この男性は先月22日、大邱(テグ)医療院でコロナ19の検査を受けた後、24日確定判定を受けて大邱東山病院を訪れた。当日呼吸困難の症状を示してい啓明東山病院に電源た。糖尿病、高血圧などの基礎疾患があったと伝えられた。国内累積死亡者は合計35人になった。
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08:51慶60歳の男性1人が死亡... 36番目
慶尚北道でコロナ19確定者1人が死亡し、国内の死者数が36人に増えた。慶尚北道によると、4日午後3時16分頃、順天郷大欧米の病院で60歳の男性Aさんが死亡した。 Aさんは1日、脳梗塞の症状に欧米の病院に移送されCT撮影検査をした。この検査で肺炎の症状が現れコロナ19の検査をし、3日陽性判定を受けた。保健当局によると、Aさんは、高血圧・糖尿病・高脂血症などの持病を患っており、肺炎の症状が悪化して死亡したとみている。
コロナ19による死者が慶北2人・タラ1人が追加され、死亡者数が39人に増えた。慶尚北道によると、青島に住むA(84・女)氏と城主に住むB(81)さんが5日午前、安東医療院で死亡した。 Aさんは、心不全・脳梗塞など基礎疾患を患っていたが、Bさんは何基礎疾患がなかったことが分かった。この日の午前7時34分頃には、大邱ファティマ病院でC(77)さんが死亡した。 3日発熱と呼吸困難の症状を見せたC氏は4日、ファティマ病院に移送され、コロナ19確定判定を受けた。保健当局は、Cさんが普段糖尿病を患ったことが確認された。
5日大邱でコロナ19確定者60代男性が死亡した。保健当局によると、この日の午後1時24分頃、慶北大学病院では、A(67)氏が死亡した。先月27日、確定判定を受けたAさんは、糖尿病などの持病を患っていたことが分かった。これ国内死亡者は40人に増えた。
17:12確定者322人を追加されて6088人...死者は41人
新型コロナウイルス感染症(コロナ19)確定者が5日午前0時以降322人追加された。これにより、累積感染者は6088人になった。慶尚北道では、患者1人より息ながら死亡者も41人まで増えた。慶尚北道は4日午前10時頃、清道郡立老人療養病院で認知症を患っていた86歳の女性が死亡したと発表した。この患者は3日検体検査を依頼して死亡した後の5日コロナ19確定判定を受けた。
19:40今日だけ死者7人増え42人...メールス記録破られた
大邱で新型コロナウイルス感染症(コロナ19)死者1人追加で発生して、5日午後7時50分あたりの国内死亡者数が42人に増えた。この日一日だけ大邱・慶北で7人の死者が出ており、全体の死亡者はメールス死者39人を超えた。メールス感染者2015年5月20日、初めて発生した後、同年12月23日終息まで総186人出た。
3/6
大邱でコロナ19確定者1人が追加で死亡した。大邱では29番目、国内全体では43人目の死者である。大邱市保健当局によると、6日午前2時35分、大邱漆谷慶北大病院音圧病室で80歳の男性患者が呼吸困難に死亡した。この患者は、先月28日コロナ19の検査で確定判定を受けて入院した状態であった。基礎疾患として高血圧と糖尿病があったことが確認された。
19:30奉化て性病願書亡くなった90代の事後」コロナ確定」...国内44番目
慶北奉化分解病院に入院中死亡した90代の胃がん患者が死後検査でコロナ19確定判定を受けた。保健当局によると、4日に亡くなった患者の死後コロナ19検査結果陽性判定が出た。正確な死亡原因は調査している。これにより、国内コロナ19による死者は44人に増えた。
3/7
11:20永川で70代のコロナ19に死亡...国内死亡45人
慶尚北道永川でコロナ19確定者1人が死亡した。これにより、国内の死者は45人、慶北死者は14人に増えた。 7日慶尚北道は永川に居住する78歳の男性が、この日の午前、自宅で119救急車で病院に運ばれ中に死亡したと発表した。去る5日、発熱、悪寒などの症状を示してい病院で検体を採取した後、帰宅したが、男性は6日、確定判定を受けた。男性は心臓病や脳卒中などの基礎疾患を持っていた。
11:55基礎疾患のない確定者大邱でまた死亡...国内死亡合計46人
コロナ19確診者のうち、基礎疾患のない患者が、また死亡した。国内46人目の死者に大邱で発生した。 7日、保健当局は前日の午前10時36分ごろ、大邱の漆谷慶北大病院で78歳の男性が死亡したと発表した。この患者は、死亡後、コロナ19確定判定を受けた。保健当局は「この患者は基礎疾患がないことがわかった」と述べた。先に4日と5日にも基礎疾患を持っていなかった確定者2人が死亡した。
12:30喘息患っ大邱80代の女性が死亡...国内死亡47人
大邱でコロナ19追加死亡者が発生した。国内の死者は47人に増えた。 7日、保健当局によると、同日午前11時22分ごろ、大邱慶北大学病院で83歳の女性が死亡した。先月22日に確定判定を受けた患者は、同月26日、大邱(テグ)医療院に入院したが状態が悪化して1日慶北大学病院に運ばれた。この患者は、基礎疾患として、喘息を患ったことが分かった。
大邱でコロナ19(新型コロナウイルス感染症)を追加死亡者が発生して、合計33人に増えた。大邱で33番目に死亡した91歳の男性Aさんは、この日の午前9時18分、大邱医療院で死亡した。Aさんは、先月29日、パーキンソン病に文星病院入院中の病院苦労コロナ19の患者発生的に検査を受け、1日確定判定を受けた。以後2日大邱医療院に移送されたが死亡した。Aは、パーキンソン病のほか、高血圧を患っていたことが確認された。
3/8
09:38奉化青い特別養護老人ホームの最初の死亡...死者50人
慶北奉化青い特別養護老人ホームでコロナ19確定判定を受けた70代の女性が死亡した。 8日慶尚北道によると、死者は大邱居住者である78歳の女性である。コロナ19が集団発症した青い特別養護老人ホームで確定判定を受けて金泉医療院に移送され、治療を受けて昨日の午後2時5分ごろ、死亡した。この女性は、心臓病や認知症、痛風などに苦しむことが分かった。これ国内の死者は計50人に増えた。
母が自殺した。
もう3年も前の話だが、私の中では現在進行形だ。
いつもならば眠い時間で、無視して必要があればかけ直すのだが、父の名前が画面に表示されたので、何事かと思って電話を受けた。
え?お母さん?自殺?え?
一瞬にして混乱の海に投げ出される。
父は続けて「救急車を呼んで、今待っている」というような事を言った気がするが、信じたくない現実に面と向かう事に必死でよく覚えていない。
鮮明に憶えているのは、呼び鈴と同時に入室してくる救急隊員の声と、それに答えて「救急車が来たからまた連絡する」といって電話が切れた事。
切れた電話のツーツーという音を聞きながら、その後どうしたか憶えていない。
夫の話を聞く限り、隣で眠っていた夫が話し声で起きて、どうした?と聞き、私は事情を話したらしい。
とにもかくにも、実家に帰って詳しい状況を聞かないといけない。
夫は会社に欠勤の電話をし、身支度をして二人で車で2時間の実家に行くことになった。
私はタバコを吸うのだが、母はタバコもタバコを吸う私も嫌っていたので、お風呂に入る時間をちょうだいと言って、急いでシャワーを浴び、髪についたタバコの匂いを落とした。
気持ちとしては、悪い夢の続きを見ているような変な浮遊感でふわふわしていた。
長い道中の事も憶えていない。
義父に頼まれた枕花を持った重さだけが、私を地上に結びつけているような気がした。
母の自殺が本当だとしたら、第一発見者の父の気持ちは荒れる海の波のようだろうから私はしっかりしないと…と、平静を装おうとしたが、玄関を開け、並ぶ見覚えのない靴を見て、父の兄弟が先に来ている…つまりは母の自殺は本当だと感じた瞬間、涙が溢れ出た。
しばらく泣いて落ち着いたところで、居間のテーブルに用意された席についた。
ふと、母が居るであろう場所を見ると、そこには何もない。
父にお母さんは?と聞くと、今は警察署に居ると言われた。
なんでも、救急隊員が駆けつけた際に死亡が確認された場合、救急車には乗せられないルールがあるらしい。
そして、自宅での死亡の為、原因の追求をする為に警察署での検死に回されると。
母は一人で冷たい場所にいるのだろうか。
早く会いたい、顔を見たい、それだけだった。
夕方、警察署からの連絡で、母の遺体を収容する施設に移すという連絡があり、その場に居た全員で手続きに行った。
涙を流さず、冷静に見える父の、必要書類に記入する手が度々止まる。
「妻っていう字が思い出せない、書けない」
ああ、父も心の中は混乱していて、いっぱいいっぱいなのだな、と思った。
叔母が字を教えて、ゆっくり、一画一画確認しながら書類を書く。
刑事さんが書き終えた書類を確認し、ご面会はこちらです、と案内された部屋に行った。
私は死んだ直後のままの母が居ると思っていたが、既に白装束に着替え、箱に収められていた。
首には吊った後が残っているのであろう。
首周りに綿の詰められたクッションのような物が巻かれていた。
枕花を頭の横に置き、周囲に流されるように手を合わせる。
これは悪い冗談なのではないかと、そうとしか考えられなかった。
母は残された苦しみから、「どんなに辛い事があっても、自殺だけはだめよ」と言っていた。
私はその言葉に助けられていた。
長い期間、学校でいじめられ続けていた私にとって、生きる事の大切さを教えてくれた母の為にも生きようと、これまで生きてきた。
でも、その母が自殺を選んだ。
母はパーキンソン病で、近い将来介護が必要になる事を嫌がっていた節があった。
その苦労を父や私にかけない為に死を選んだとしか考えられない。
苦労かどうか決めるのは私達なのに。
母の葬儀は、式場の都合で一週間程先になった。
それまでの間、毎日霊安室に通い、好きだったカフェオレを供え、なんで死んだの?と疑問をぶつけていた。
母は自分の将来に、綺麗に決着をつけたと思っているだろう。
実際はそうじゃない。
私も父も親戚も夫も、事情を知った全員がそれぞれに苦しんだ。
その罰があたったのか、もうすぐ葬儀だというタイミングで、綺麗だった母の死に顔に死斑が出た。
人前に出る時に化粧は欠かせない母だったから、このまま葬儀には出せないと、葬儀屋さんに頼んでプロの化粧をして貰った。
過去の心の傷と仕事のストレスで鬱になった私は、抗うつ剤と睡眠薬を長い事飲んでいたが、母の死を知った日から、それらの薬が効かなくなった。
父と母に会う時間の合間にかかりつけ医に臨時でかかって、強い抗うつ剤と睡眠薬を処方して貰った。
葬儀が終わるまでは、四十九日が終わるまでは、一周忌が終わるまでは…とにかく倒れる訳にはいかない。
それだけで動いていた。
https://www.jmedj.co.jp/journal/paper/detail.php?id=10093
部分抜粋だけど。食後じゃなかったらまた別原因かなぁ
「食後の傾眠・だるさの原因は?【多くは食事性低血圧による】」
③収縮期血圧が食前100mmHg以上あった場合に90mmHg以下になる,のどれかに該当する場合を陽性としています3)。
しかし,健康者に起こる眠気のように,これらの基準以下でも軽い症状が出ることもあります。
食事性低血圧は,自律神経不全,パーキンソン病,アルツハイマー病,脳血管障害などの神経疾患だけでなく,高血圧,糖尿病,透析,そして高齢などにより起こることも報告されています。
食べると眠くなるのはなぜ?脳科学でわかる食と睡眠のメカニズム
https://www.dtod.ne.jp/omoshiro/article30.php
やっぱり 👻のせいかな。
https://www.tyojyu.or.jp/net/byouki/rounensei/senmou.html
これは主に認知症等の方向からこういう情報を載せているんだろうと思うが、ここにあるせん妄の原因としては、
1.疾患によるもの
脳卒中、認知症、パーキンソン病、神経変性疾患、髄膜炎、脳炎、電解質異常、腎不全、癌、甲状腺機能異常、インフルエンザなど
2.加齢によるもの
高齢者では、若年者では影響のない疾患や薬剤でもせん妄が起こりやすくなります。
脱水、尿路感染症、便秘、インフルエンザ、睡眠不足、ストレス、チアミン・ビタミンB12欠乏症、合わない眼鏡や補聴器の使用や社会とのつながりを絶たれることによる感覚遮断など
違法薬物の使用や急性アルコール中毒、モルヒネ、鎮静薬、睡眠補助薬、抗うつ薬、抗精神病薬、抗ヒスタミン薬、コルチコステロイド薬、筋弛緩薬、パーキンソン病治療薬(レボドパ)など。
長期間服用していた薬剤を急に断った時にも症状が出ることがあります。
特に外からの情報が遮断され、夜間は機械音が響いて不眠となりやすい環境のICU(集中治療室)や、手術で使用する酸素や鎮静剤の影響、ストレスなど
どうやら心も風邪をひいてしまったようで、テレビやネットを見るのが辛くなっていることに気づきました。
なんでかな??と思ったら、
その返済のため、父は年に数回帰宅するだけで、
母も平日はフルタイムで働いていました。
親せき宅をたらい回しにされたりしていました。
虐待を受けていたのはその頃です。
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怒鳴られたり、はたかれたり、ぶたれたり・・
仕方なく引き受けたものの、
どう扱ってよいものか困ったのでしょうね。
いうことも聞かないし‥
それで小さい子供に"言うことを聞かせるため"に必要なのは「力」だと思ってしまったのだと思います。
でも力をふるう方って得てして、相手との「差」をあまり意識していません。
それまで、従兄弟のことはどちらかといえば、いいお兄ちゃんと思っていたのですが、
叔母のことは好きだったので、
叔母宅に行くのはむしろ楽しみですらあったのですが、
それ以来、今日は叔母の家に預けられる日だ思うと憂鬱になりました。
苦しくって、つらくなって、
母にももちろん言いました。
「虐待」なんて言葉は知らなかったから、そのときの自分なりの伝え方で・・
でもね、一切信じてくれないんです。
なぜかっていうと、
あげくこちらは「〇〇お兄ちゃんの言うことをちゃんと聞きなさい!!」とさらに叱られます。
「余計な事しやがって」と、虐待はさらにエスカレートしていきました。
いじめでいう「チクった」あとと一緒です。
モノを投げつけられたり、刃物を振り回されたりと恐怖レベルが上がりました。
で、そのトラウマってずっと残ってるんです。
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これ、実はもう40年前の話です。
悲しいかな
「殺される!!」と思った恐怖感
繰り返される怒鳴り声
時間が経ったから、セピア色になる・・・なんてことはありません。
その後も母にS.O.Sを出し続けたのですが、
同じバターンの繰り返しでした。
そのうち大好きだった母のことさえも、
自分がこんなに言っても信じてくれない、
まったく頼りにならないという不信感を持つようになりました。
そんな中で、唯一、私のS.O.Sを受け止めてくれたのが母方の祖父でした。
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気が付けば、叔母の家を飛び出して、
電車に乗っていました。
叔母の家から祖父の家までは電車で1時間くらい離れていました。
年に何回か行く程度でしたし、
我ながらよく迷子になることもなくたどり着けたものだと思います。
一人で泣きながらやってきたことに驚いて飛び起き、話を聞いてくれたのです。
その上で母や叔母に電話をかけて、一斉招集をかけてくれました。
叔母に連れられて、従兄弟もやってきました。
いきなり呼びだされて、殴られたことで、
「このじじい」みたいな感じで殴り返していました。
「力」には「力」で教えないとわからないんだ!!
虐待されることもなくなりました。
今までのように叔母の家に送られて、迎えに来るまで待つ必要もなくなり、
母を含めて、身近な何人かの大人に必死でS.O.Sを出していたのに、
いまもどこかにあの日の私みたいに「助けて」を言っている子はいるのでしょう。
それを聞いてあげられるかどうか、気づいてあげられるかどうか
研修医として思うのは、増田よりコメ欄の「医者」「医療」への過大評価。
初診外来は医師にとって嫌というか難しいものだけど、1人に数時間かけられるわけじゃないし、病歴や身体所見上緊急性(命に直結するもの)や典型的な所見がないと判断できれば大した検査もしないし、対症療法的な処方して終わらせることも多い。
通常はそれで問題ないからこそそれで済むわけだけど、中には症状が持続する人もいて、再度受診してきたとき改めて次の一手を考えるということもある。
初回の受診で全て済ませろや、というのが患者としての本音だろうけど、緊急性もなく非典型的な所見でいちいち採血してX線撮ってCT撮ってMRI撮って、、などとしていたら医療費が10倍あっても足りない。X線やCTは被曝するからメリットないと撮らないし。MRIは予約で埋まってるし。その他技師さんにやってもらう検査だって予約埋まってて入院患者だって2週間後まで施行できないとかままある。
おそらく医療費やマンパワーが無限にあるとすれば即検査入院して数多の検査して必要な情報集めて診断下すことは今よりはできるようになるとは思うけど、そもそも時間経過しないと重要な所見が取れないこともある。インフルエンザだって発症すぐに検査したって偽陰性になることが多いわけだし。
増田では整形外科が槍玉に挙げられているけど、開業医レベルの無床診療所で骨折等緊急性のある所見がなかったら、初回は痛み止めや湿布処方するのは当たり前だろうと思う。もちろん大病院の救急外来に行っても同じことになる。半年も痛みが変わらない、という重要な情報があればそれで改めて何が原因なんだろうね、となることもあるだろうけど、整形外科も診療の幅(専門性)が高いし私は研修してないので実際どうなのかわかりません。
id:tkomy ずっと同じ病院にいき、「腹痛」だといわれ続け、破裂寸前で「盲腸」だとわかり別の病院で緊急手術になった私が通りますよ。自分の判断もヤブ医者の判断も正解かはわからない。別の病院でちゃんと診てもらって。
急にお腹が痛くなる「急性腹症」は原因が色々ありすぎて診断が難しいもののひとつ。特に急性虫垂炎(いわゆる「盲腸」)は一見ありふれているけど診断は難しいし遅れると大変なことになるのでしんどい疾患ではある。私は、高齢者の虫垂炎が進行して穿孔した汎発性腹膜炎を危うく見落とすところだった経験があります。。足が痛いとは言うけど全くお腹が痛いと言わないのでお腹のことは綺麗さっぱり鑑別から抜けていたというもの。炎症反応がやたら高値だったので原因検索のために撮ったCTで診断がつき、即緊急手術となりました。
id:FlowerLounge ウチの親とかパーキンソン病と診断されるまで数年かかったよ。何度も病院をかえて診察してもらった。
神経変性疾患の症状を来したので神経内科受診してすぐ診断がつく、というのはあまり考えられない。大学病院でも神経変性疾患疑いで紹介してもらって長々と検査してようやく、ということも多い。然るべきタイミングで然るべき専門機関を受診する難しさもある。
id:abababababababa 平熱が35度の祖母が微熱訴え続けてたけど、36度にしかなってないから『微熱とは言え一般的な体温なので』とあしらわれ続けつつも、病院を回った。その中去年亡くなった。肝臓ガン末期。最後の医者は手遅れ、と。
お悔やみ申し上げます。腫瘍熱は診断基準があるわけでもないし、36度の熱のみで癌を疑うのは相当に無理めだなあというのが正直なところ。。よく平熱は低いんで、と言われるけど発熱は医学的には定義されていて、平熱をどこまで考慮できるかというとわからない。平熱の状態の患者を医者は見ていないわけだし。
id:naruoe 最初の医者に処方されたクスリ飲んでも全く咳が止まらない上「飲んで即効く薬などこの世の中に存在しない」と諭されたが、耐え切れず別の医者に処方してもらったら、ピタリと咳が止まったことがある。
咳の原因が感染症ならば咳を止めることを目的としても意味がないし、咳を止めてくれ、という受診は割と困る。むしろピタリと咳を止める薬を処方した、という方がなんか怖い。。ちなみに最初の医者と別の医者の処方薬は何でしたか?後学のために教えていただければ。
セカンドオピニオンは、一度診断がついたものについて、別の医師から再度診断を仰ぐ相談なので、この場合全く別物です。
増田へ。
慢性疼痛というのも医学的に対処が難しくて、麻酔科領域でも研究対象の領域になっているくらい。
どうしても痛いならペインクリニックに行ってみるのもひとつの手ではある。非医療従事者が思うような「完全な完治」が望めるかはわからないけれど。
診断をするには必要な情報を集めなければなりません。年齢、性別、社会背景(職業も)、家族歴、既往歴、現病歴、陽性症状、陰性症状、身体所見などなど。必要に応じて、採血したり各種画像検査したり、と情報を得ていくわけですが、検査にも当然不確実性があり、偽陽性や偽陰性なども多々あります。身体所見上の各種徴候にも、感度が高いとか特異度が高いとか特性があって、100%の所見はありません。
症状があって受診しても、緊急性や顕著な所見でもない限り経過観察になることが多く、それを不満に思う方がAIを望むことがあるのだと思うのですが、必要な情報を取らないことにはAIが鑑別を挙げることも不可能でしょう。初めに述べた通り、あらゆる訴えについてあらゆる所見を取ることに医療費的にもマンパワー的にもメリットがないし、不可能です。保険診療上では無理なので、むしろ患者の望む通りになんでも検査して診断しようとしてくれる自由診療機関が必要なのかな、と思いました。
id:nannimonai そう初診で全てなんて無理。あなたも書いているが初回は経過観察と伝え「痛みが引かなかったらいらっしゃい」と伝えることが抜けている。それをコメ欄はヤブと言っている。
急性発症だが軽症の場合、突然のことで患者さんも不安になっていることも多い。なので当院では「対症療法的な処方なので痛みが強くなったりしたらまた受診してくださいor近くのクリニックを受診してください」と必ず伝えるように指導されている。それがないのは、それを言えないくらい外来患者数が多い(疲弊している)のか、そもそもそういう指導を受けたことがないかのどちらかなんだろうなと。若い医師ほどそういう接遇力は向上していると周囲を見ていると感じるのだけどいずれ気にしなくなってしまうような気がしないでもない。。
id:zeromoon0 ブクコメが気になった。
id:narukami 風邪が元で咳が止まらなくなって何度も薬変えた挙句で出たユニコンが劇的に効いたんだけど同じ人を感染源として同時に風邪引いた別の友人は最初からユニコン処方されてたので咳が一発で止まった話「あるある」としか
風邪による咳にユニコン錠(一般名テオフィリン徐放錠)を処方されたと。テオフィリンは気管支喘息やCOPDに適応があり、咳を止めたり息苦しさを和らげたりします。テオフィリンは中毒になりやすく血中濃度が少し高まるだけで不整脈やけいれんを来すリスクがある(特に小児)ため血中濃度モニタリングが必要、というのは医師国家試験レベルの知識なので、実際成人への内服薬投与ではそこまで気にしてないのかもしれませんが、どのみち感染による咳には本来適応はないので、研修医としてはなかなか恐ろしい話だと思ってしまいます。。
id:AyanoIchijo 私も元増田、他の病院行こうぜって書いちゃったけど、同じとこにもう1回行ってもいいのかー。/でもまあ「なんかあの医者やだった」感があったなら、他のとこ行くのも手よね。
上で書き忘れたのですが、病院を変える最大のデメリットは、【初診時の所見がわからない】ことにあります。最初の受診時の情報がない、というだけで再び診断の難易度が上がります。患者さんは初診時の医師がどういう意図でどういう治療方針を立てたのか十分に説明できないうえ、初診時の医師の説明が不十分なことも多いので(外来では十分に説明して納得してもらう時間もない)、病院を変えたところで、新しい医師に医学的に重要な情報が伝わらず同じことが繰り返されることもあるでしょう。
http://www.dr-hori.com/media/mag/20101002_kn.php
ガン、動脈硬化、高血圧、心臓病、狭心症、糖尿病、肝臓機能障害、腎臓機能障害、脾臓機能障害、脳出血、メタボリック症候群
アレルギー性疾患
腰原病、リウマチ、ぜんそく、アトピー性皮膚炎、べーチェット病、花粉症、鼻炎
美容系
ニキビ、吹き出物、小じわ、シミ、肌荒れ、ひび、あかぎれ、早期老化、若白髪、更年期症状
心の病気
明るさがない、積極性がない、暴力行為、うつ病、パ二ック障害、拒食症、過食症、登校拒否症、出社拒否症、集中力欠如、不眠症、神経衰弱、居眠り
痛み
朝起きられない、体がだるい、疲れやすい、風邪が治りにくい、むくみ、貧血、めまい、立ちくらみ、便秘、冷え症、虚弱体質、食欲不振、低血圧、息切れ、イライラ
脳神経の病気
その他
バセドウ病、くる病、前立腺肥大、頻尿、排尿困難、血液不良、白血病、胃潰傷、慢性胃炎、ストレス性十二指腸潰傷、腸疾患、慢性下痢、不妊症、虫歯、弱視、骨格形成不全、生理痛、水虫
全身をよく操む
首のストレッチをする
大地を素足で歩く
おしやぶりをする
唇を閉じて紳創一骨を下唇から上唇の方向にはる
口を閉じて日頃使わないほうの歯で無糖ガムを噛む
鼻の両側と鼻の下の真ん中の部分を指で刺激する
約1%の食塩水で「あーいーうーえーおー」といいながら上を向いてうがいをする
母が言った。
「本当はいい人を見つけて、結婚して、その人を頼って生きて欲しい。最後に『いい人生だった』って思ってくれたら、それでいいんだけど」
「いい人生だった」
って思うの、本当はすごく難しいことなんじゃないかな?と、泣きながら話す、母の言葉を聞きながら、少しだけ思った。
ここから先は少し昔話になるけれど、私の父は私や妹には優しいけど、母や店員さん、「自分より下」だと彼が思っている人間には、凄く横柄な人間だった。「DV」という言葉が出来る前からずっと、父は怒ると母に手をあげて、家の物を壊して、暴れた。
基本的には父が好きだったけど、そういう面がずっと苦手だったし、怖かった。
そんな父を相手にいつの間にか母は鬱になってしまって、暫く精神科(心療内科、という言葉はまだ耳馴染みのない時代だった)に通うようになった。
少しだけ母の様子が落ち着いてきた頃、父はパーキンソン病になった。
若年性パーキンソン病の患者さんって、すごく「ギャンブル」や「アルコール」に依存する可能性が高いらしくて、礼に漏れず、父は今までほとんどしなかった、パチンコをするようになった。
「あと数年で動けなくなる、だから今のうちに遊ぶ」とでも言うように、父は、何年も何年も、湯水のようにお金を使った。何を言っても聞かないし、暴れて、怒鳴って、「自分だけが可哀想」なのだと言う。病気のせいだし、薬の副作用のせいだと最初の頃はわかっていた。けれど、いつの間にか、そう納得することも出来なくなった。父を憎く思い始めて、もう何年も経った。
ここまでが前置きで、心身のバランスを崩した母、初めて人に対して「憎い」という感情を抱かせた父、そんな二人を見て育ってきた私(なんとか社会人として慣れてきて、ギリギリの生活を送っている)が、「結婚」に対していい印象を持てるだろうか。
って思えるかとか、思ったより色々考えてしまって、本当に「楽しい人生」なんか送れるのかなって、一瞬遅れてめちゃくちゃ不安になっている。
多分、こんなこと誰にも相談できないけど、相談できないから、こんなところに吐き出してるんだと思うけど、私、自分の家族がちょっとした弾みで「不良品」になってしまったと、思ってるんだと思う。
その「不良品」になった瞬間が、例えば私が社会人になってからだとか、30を越えてからだとか、立派な「大人」になってからなら、まだ受け止められたんだろう。
ただ、それを受け止めるには私はまだまだ小さい子供だったから、抱えきれずに「家族ってこんなもんなんだ」とか、「好きになって、結婚して、子供が出来たって結局これなんだ」って色々思うし、結局のところ、
っていうのが今さらよくわかんないのだ。
そういう像を思い描くことは出来るけど、めちゃくちゃ他人事で、自分が「母」としてその中心にいることは考えられないし、「子供」だった時分の事を思い出すには、余りにも時間が経ちすぎていて、もうわからないのだ。
楽しかったし、幸せだったはずなんだけど、その上に重なった「家族」への別の印象が、余りにも大きすぎるのだと思う。
結局私は何とか大人になったけれど、中身はまだ幼い子供とさほど変わらないのだろう。
最近「機能不全家族」という言葉を知って、「あ、うちの家じゃん」と、ものすごく思った。
家族の形として、人間として、うちの家は不良品の集まりだと思う。勿論、私自身も、自分の事を「不良品」だと思っている。めちゃくちゃ情緒不安定だし。
不良品の中で育った「不良品の子供」が、「幸せな家族」なんか、作れるのだろうか?
っていうのが、まず、大きな疑問。
不良品の子は結局不良品だと、思う。なら、その不良品がまた子供を産んだら、その子も「不良品」になってしまうんじゃないだろうか?
なら、「不良品」になってしまうことがわかっていて、態々産んでしまうなんて、その子がかわいそうなんじゃ?いらない苦労をさせてしまうんじゃないだろうか?生まない方が、結婚なんかして、元を辿れば「ただの他人」に不良品の人生まで背負わせるなんて、どうかしてるんじゃないだろうか?
色々ぐるぐると考えた結果、「不良品」が母の望む普通の人たちの「幸せな人生」を送るのって、めっちゃ難しいことなんじゃないか?って、思ってしまったのだ。
ここまで書いたけど、多分、母は私が自分の事を「不良品」、自分の家族も「不良品」だと思っていることを知れば、多分、また泣くと思う。
読みにくい文章でごめんなさい。
モハメド・アリ(ボクシング) パーキンソン症候群、体の震えや筋硬直、喋りと動作の緩慢を特徴とする神経変性疾患[8]。
シュガー・レイ・ロビンソン(ボクシング) アルツハイマー病[9]。
高橋ナオト(ボクシング) 著書「ボクシング中毒者」で告白。自転車で真っ直ぐ進むことが出来ず電柱にぶつかる、手の震えを抑えきれずにラーメンの汁をこぼしてしまう。
たこ八郎(ボクシング) 引退の原因となった。一時期二桁以上の文字すら記憶できなかった程の記憶障害や寝小便等の排泄障害にも悩まされたという。
佐竹雅昭(空手) 著書「まっすぐに蹴る」で、日常生活も困難になっていたことを告白した。
前田宏行(ボクシング) 自らのブログで告白し、引退することを明言。
フロイド・パターソン(ボクシング) アルツハイマー病、妻の名前を覚えられないほどの記憶障害が原因でアスレチックコミッションを辞任[10]。
ゲーリー・グッドリッジ(K-1、総合格闘技) - 告白し、引退。自身の発言によると軽い認知障害があるといい、会話の途中で何を話していたか分からなくなるとしている。
ジェリー・クォーリー(ボクシング) アルツハイマー病、認知症、1983年にCTスキャン撮影で脳萎縮を確認。引退後、食事と着替えに介護者が必要となる。
ジミー・エリス(ボクシング) アルツハイマー病、晩年は既に亡くなっていた妻をまだ生きていると思い込んでいた。
エミール・グリフィス(ボクシング) 晩年は全面的な介護が必要となった。
メルドリック・テーラー(ボクシング) 医学的理由でボクシングライセンスの交付を拒否され引退[11]。引退後、テレビのインタビューで現役時代とは違い酷く吃った喋り方で話し現役時代を知る視聴者に大きな衝撃を与えた。
ジミー・ヤング(ボクシング) 自身の麻薬関連の裁判で慢性外傷性脳損傷であるとして減刑を求めた。
http://b.hatena.ne.jp/entry/341995429/comment/sirocco
TVでCMが流れているからと言って良い製品とは限らない。健康食品のCMはみんな怪しそうだ。ネットもそれと同じなんでしょう。
http://b.hatena.ne.jp/entry/281878296/comment/sirocco
ミトコンドリアが重要なのですね。「水素水とサビない身体」。ミトコンドリアで消費される酸素の1%~2%は活性酸素になってしまい、それが病気を引き起こすそうです。水素水は:悪玉活性酸素を水に変換するそうです。
http://b.hatena.ne.jp/entry/324316047/comment/sirocco
「水素が入っているのか、いないのか」と「水素は健康によいのか、影響ないのか」が混じってしまっている。個人として、草津温泉のお湯の方が自宅のふろよりいいと思うように、水素風呂は水の風呂よりいいと思う。
http://b.hatena.ne.jp/entry/301898580/comment/sirocco
久しぶりの水素水炎上。みんな水素の効果を認めてしまったのかと思ってしまいました。毎週のようにスーパー銭湯に行って水素風呂に入り、水素水を飲んできます。ぐっすり眠れて疲れが取れます。
http://b.hatena.ne.jp/entry/284920249/comment/sirocco
水素水を調べないで「ニセ科学だ」と言っている人たちは、好奇心がないのでしょうか。調べると面白いことがいっぱい見つかります。
http://b.hatena.ne.jp/entry/286937278/comment/sirocco
水素水が炎上しているけど、大田教授のサイト、「水素水とサビない身体: 悪玉活性酸素は消せるのか」、「ミトコンドリアのちから」などを読んでから判断して欲しい。
自分が「戦争はいやだなあ……」と漠然と思う気持ちの根底が、この二人の体験を聞いたことによって、
戦争が人の人生を強烈に歪めるということを肌で感じたことによるものっぽいので、ちゃんと覚えているうちに一度書き出しておきたいと思う。
(1)
一人目は離れて暮らす祖母で、確か終戦時10歳かもう少し上か、その辺りだったと思う。
祖母は満州から引き揚げてきたそうだが、祖母の父が警察?か何かの職に就いていたらしく現地で一時投獄されていたそうだ。
警戒されにくい子供の祖母が差し入れとして羊羹を持っていくのだが、その羊羹の中に毎回カミソリの刃を忍ばせていたという。
そのカミソリが何用なのかは教えてもらえなかった。
祖母が住んでいた町は、ある日やってきたロシア兵に制圧されたそうなのだが、
「女だけの家があると知れると、夜になるとロシア人が数人で来て、朝になると帰るのよ」
「お菓子で子供を釣ろうとしていたけれど、近所のお姉ちゃんやおばさんに何をしているか知っていたから、私は一度も受け取らなかったわ」
「日本に帰るために街から逃げる直前に、遂にロシア人が私たちの家にも来たのよ。でも、お母さんは病気だったでしょう?妹はまだ5歳でしょう?」
俺がまだ子供だったからか、それ以上の事は語られなかったが、祖母は今もロシアが大嫌いだ。
しかしそれ以上に天皇を「コイツが余計なことを始めたせいであんな目に」と毛嫌いしているようで、今でも酒が入るとすぐに「天皇家は早く滅びろ!」と喚きたてる。
同時に、幼少時に現地の子たちと一緒に遊んでいた影響らしいが、中国・韓国への親近感が非常に強いようで、
成長後バリバリの左翼になって共産党に入党し、国交が本格的に再開する前から限定的な市民交流として招かれて中国に渡ったりもしていたらしい。
最終的には自分が人生で最も重視するもの=活動のために動きやすくなろうと、子(俺の母ら)を残して祖父と離婚したというから筋金入りだ。
ちなみに、祖母が漬けたキムチはめっっっちゃ美味い、そして市販品がサラダに感じるくらい辛い。ポイントはアミ(エビ)を入れることらしい。
(2)
祖母から話を聞く以前、誰かから初めてきちんと戦争体験を聞いたのは、
ノストラダムスで世間が盛り上がっていた小学生の頃、「戦争体験者を探して話を聞きに行ってインタビュー記事をまとめる」という宿題が出た時だった。
大抵の子が自分の家のばーちゃんあたりから「この学校の校庭で芋作ってた」的な話を聞いてきた中、
先述の祖母が遠方住まいだったので身近に戦争を体験した人がいなかった俺は、近くに住んでいた清さんという90歳越えの元兵士の爺様に話を聞きに行った。
清さんから聞いた話の中で一番印象に残っているのは、
「戦争の時、大陸にも行ったけど、捕まえた女の人の股に一升瓶がどこまで入るかって遊びをやって、途中で女の人が死んでしまっても笑っているような連中をたくさん見た。」
という随分エグい話だ。
まだ女性の体の仕組みもよくわかってなかった時分だけれど、淡々とした話を聞くだけでとにかくゾワゾワと怖くて、その時感じた嫌悪感は今も強烈に覚えている。
「あーいうことをやるのは陸軍ばっかりだ、陸軍はロクでもないのが混じってる。」
その後清さんは、太平洋戦争中に南方(東南アジア?)の島で滑走路の脇にいたところ、
戦闘機に機銃で近くを撃たれたか、すぐ近くに爆弾か砲弾が着弾したかで左手の指を数本持っていかれて、氷川丸という病院船で日本に帰ってきたそうだ。
当時の俺は、一番印象深かった話は少々ショックが強すぎたのか一旦記憶にフタをしていたようで、
清さんが途中途中で妙に楽しそうに話してくれた、上官に木の棒でぶん殴られる話とか、南の島で現地の人と仲良くなって食べ物を分けてもらった話とか、
魚雷を回避するための航法とか、合図のラッパの話とか、氷川丸(生き残って今も展示されているらしい)の話とかを中心に無難にまとめて提出した気がする。
「私は運よく五体満足で帰ってこられた」(指ぐらいは清さん的にはノーカンらしい)「ただ運がよかっただけだ」と繰り返し言っていた清さん。
隣を歩いていた仲間が一瞬後にミンチになって自分は"たまたま"生き残ったり、
手足がもげて臓物をまき散らしながら殺してくれと懇願する仲間を拳銃で介錯したりしながら、
明日は自分もどうなるかわからないという地獄を繰り返し繰り返し味わいながらも、自分たちの行い・戦いが正しいものだと信じてそれを頼りに耐えていたのに、
帰ってきて戦争が終わったら「あれは全部間違いでした」と言われても、頭ではわかっても、
どうしても自分のしてきたことや仲間の死の存在が大きすぎて、90歳を超えてもまだ心で受け入れられない、と仰っていた。
戦争はよくない、あんな思いをこれからの若者たちにさせてはいけない、ということを強い口調で語る一方で、
「天皇陛下万歳」と唱えると、先ほどまでパーキンソン病で若干フルフルしつつ話してくれていた温和そうなおじいちゃんが、別人のように背筋がピンと伸びて腕を振り上げよく通る声を出す様子や、
軍歌やラッパの音の入ったテープを何本も持っていて、今でも毎日聞いてしまうのだと言っていた清さんの様子を今になって思い返すと、
これってすっごく今流行りのPC関連な話だけど、2chはもとよりはてブでも宮崎氏の発言を白々しいものとして捉えている人が結構な数でいるので、自分なりに補足してみたい。
パラリンピックなんかで活躍するような、四肢が欠損した人物だろうか?
あるいは、24時間テレビなんかで見かける知的障碍の子供だろうか?
ひと口に障碍者と言っても、その病状、症状は様々だ。
例えば、脳に障害を負ったとする。後天的なもので多いのは、やはり脳梗塞。いわゆる脳の血管が詰まることで起こるそれは、急性期においては命に係わる危険なものだ。また、一命をとりとめたとしても、後遺症として深刻な障害を負うことは避けがたい。左の脳に梗塞ができた場合、右側の身体に後遺症が出る。四肢の麻痺やあるいは半身麻痺、言語障害となる場合も多い。
麻痺とは自分の意志で体が動かせない状態のことだ。それとは逆のパターンで、不随運動と呼ばれるものもある。自分の意志とは関係なく、体が動きコントロールできない状態のことだ。パーキンソン病の主な症状のひとつ安静時振戦などがそう。震えのような症状から手足をくねらすような動きまである。
こういったことを念頭に置いて、川上氏の提出したCGを観たとしよう。その動きはどんぴしゃであの障碍者の動きだ! というものではないが、四肢の奇抜な活用の仕方は、身体のコントロールがきかないそうういった方々を容易くイメージできるものだと言える。
おそらく宮崎氏もそういった連想により障碍者の友人に思い当たったのだろう。故に川上氏の「気持ち悪い動き」を面白がる態度を強く批判した。
要は、かなり平たく状況を述べるなら、駅で見かけた変な動きの人(あえてこう書かせていただく)を見て面白がる無邪気な小学生を怖そうなおっさんがゴラァ! とした、とでも言おうか。
……表題としてはこれで以上ではあるが、ポリティカル・コレクトネスを考えるうえで、個人的に気になることを書く。
今回の件は確かに川上氏の態度に嫌悪感を抱いたし、宮崎氏はそこを鋭く突いたなと感じている。
が、同時に川上氏に対して「他人の痛みが理解できていない」といった批判はできんなーとは感じている。
といのも今回は、自分がたまたまそういった障害を持った方を知っていたからにすぎないからだ。
こういった配慮を想像力だけで補うのは不可能だろうとは感じている。要は知識の問題で、それ故に川上氏を無邪気な小学生と例えたわけだ。
これが企業ならそういった豊富な知識を買うことができるんだろうけど、個人レベルにおいては難しいよなあと、2chやはてブの反応を見て思った次第。
結局のところ、「知らないものは配慮しようがない」といった話になってしまうが、そう考えたときにアイスバケツ・チャレンジのようなムーブメントほ重要なのかもなと思うが……(どんどんと取り留めなくなってきそうなので終わる)