はてなキーワード: 空港職員とは
こんなんばっかり
中国「TPP加入してやるから感謝しろw」日本「お断りします」TPP加盟国が中国加入を断固拒否する理由【ずんだもん&ゆっくり解説】
1.7万 回視聴 1 日前
ずんだもん #ゆっくり解説 #voicevox解説 【参考】 https://jp.reuters.com/article/idUSKBN2ZC1WR/ ...
【実話】南米エクアドルの空港で中国人と間違われてしまった日本人。。しかし空港職員が「とある日本のもの」を見つけた瞬間態度が急変!!【ずんだもん×ゆっくり解説】
皆様ご視聴ありがとうございます! 今回は南米エクアドルで起きた日本人と入国管理局と日本の医療支援についての物語について ...
【営業利益4.19億円の赤字⁉】朝日新聞が発行部数半減と大赤字で苦境!さらにリストラでエグイ 2
3.9万 回視聴 1 日前
中国地方で生まれた。父は勤務医、母は空港職員。幼少期に両親が離婚。兄は父が引き取り、俺は母と母の実家がある関東地方に引っ越した。教師の仕事を定年退職したばかりだった祖父母と暮らしはじめ、母は税理士事務所に就職。
地元国立大学附属小学校、私立中高を経て中国地方の国立大学医学部に進学した。本当は家から通える国立医学部に行きたかったが、地元国立は旧六医大、他は東京医科歯科と東大理三だったため学力が足りなかった。
父の暮らす隣県だったこともあり、父と頻繁に会うようになった。既に父は再婚し開業していた。兄からの話と写真だけでしか知らなかった異母妹とも初めて会った。
俺は大学を卒業したら地元に帰るつもりだったが、部活の先輩に誘われるがままそのままそこの医局に入った。
一方、兄は都内の大学に進学し、卒業するとそのまま都内で地方公務員となった。
結婚した兄は祖父母が亡くなり一人暮らしをしている母の近くに家を買い、ちょくちょく会っているようだ。
気がついたら兄と俺が入れ替わっていた。
2020年12月にハワイに入るためにやる必要があったことのメモ。
2020年1月に仕事の都合で米国に行ってしまった恋人に会いに行く4月のチケットを購入したのは1月3週目のこと。その前週から中国で感染症が流行っているニュースが入りあれよあれよという間に予約したフライトが飛行しない事になり、日程変更の為にサポートに問い合わせどつながらず、アメリカのサポート経由で別の日のチケットを手に入れたのも束の間、出発18日前の3月26日よりハワイ州への入境が完全制限され、フライトも欠航が決行。
一晩失意で枕を涙で濡らしているのを、どこ吹く風の恋人に慰められつつ、在宅勤務でほとんど家に出ることないまま様子を見続けてやってきた秋9月の末。フライト自体はほとんどない状態、にも関わらず収束することを願って12月のチケットをゲット。この予約した羽田便も11月になる前の週にはキャンセルされたけれど、入境後の行動規制が出発72時間前に取得したPCR検査の陰性証明書を所持している人には免除され成田便は飛ばすことが分かったので、急いでハワイアンに電話して飛ぶ予定の便に切り替えました。
あとは12月に無事に飛ぶのを待つばかり。感染者数も抑えられてきているのでこのまま収束を超期待。(ここまでが10月末)
出国というか搭乗のためにPCR検査の陰性証明書が必要なのだけど、ハワイで14日間の自宅退避を免除するには別途指定機関で発行されたPCRの陰性証明書が取得が必要。
https://www.allhawaii.jp/covid19/prepare/certificate/
他の診断やってないんじゃないかって位小さなクリニックで、取得。ハワイの他、グアムと中国入国の両方の証明書を発行していた。ビジネス?
ハワイ・グアムが大体26000円で中国用のが30000円を超えていたと思う。
来客も英語を話す人か中国語を話す人で(勿論日本語も)受付の人はどうやら中国語と英語と日本語がわかる様子だった。
出発前々日の午後に仕事を早退して検査して、出発前日の終業後に発行された証明書を取りに来るスタイル。
三密をここ14日間避けていたか、外食14日していないか、狭い空間で人と話したりしていないか。等。リモート勤務で友達の存在すら危ぶまれているので楽勝。
検査にはパスポートとフライト番号、保険証を持っていけばOK。
次の日に受け取った陰性証明書は、前日の検査結果から陰性を証明する、と医者の手によって書かれたハワイ州の規定の紙が用意されていて、自筆で名前と住所と生年月日と出発日・フライト名を書く感じ。
出発日欄を間違えて生年月日で書きかけて、書き損じで再発行手数料500円が追加で取られた。
ハワイに来る人は前日の健康情報を所定のデータベースに登録する作業が義務付けられています。
https://travel.hawaii.gov/#/trip
オアフ島だけでいいかと思いきや、オアフから尋ねる離島までの間の登録も別途必要だった。
登録する来島理由について、再移住、トランジット、観光、友人・家族への来訪、エッセンシャルワーカー、航空機の乗務員、とあって、この場合は友人家族への来訪を選択。
ステイ先に、ホテル、ホステル、コンドミニアム、自宅、時間貸しスペース、B&B、友人親戚宅、の他にキャンプサイト・ビーチやシェアルームと言う選択肢があって、この状況下でビーチとかキャンプサイト選ぶ人いるのかなとか疑問に思ったり。
健康情報の登録では熱はないか、解熱剤は飲んでいないか、インフルエンザの予防接種は打ったか、どこか別の国から移動した14日間の自宅待機期間ではないか、14日の間にハワイ州以外の自国ではない所に旅行していないか、などの登録が必要。
フライトごとにこの健康情報の登録は必要。サイトにはPCR検査の文書も登録できる場所があって、ハワイ州認定の陰性証明書をpdfにしてアップロードされていると到着時に空港を出る時の手続き項目が減って非常に簡単に出られます。
これが終わるとQRコードが飛んでくるので、入国後空港から出る時の手続きで、パスポートと一緒に見せればよい様子。
これは通常のアメリカ入国でも必要。ちょうどパスポートを切り替えてESTAの登録も切れてしまってたので、再登録。
SNSの登録箇所が以前はTwitterとFacebookだったのに、LinkedInとInstagram が追加されてた。
当然この手の情報はどれも持っていないので登録していません。はてなは無かった。
ESTA登録後の初回は有人の審査も必要になるとかで、結局有人の入国審査もやりました。
どんなに万全を期しても罹ったら現地の医療機関を使わざる負えずなにかあった時の医療費が怖いのでとりあえず3000万まで保証してくれる会社のにしました。結構高いです。4500円。
※やらなきゃいけないことの詳細は
ここ(https://www.allhawaii.jp/covid19/prepare/)に全部書いてあった。
家の冷蔵庫の中身を減らして、残りは帰国後14日間外出しない間に食べられるものを残し、不織布のマスク(VFE99%)の上に布マスク(中に不織布フィルターが入れられる物)を重ね付けて出発。当初の予想も外れて東京の新規感染者数は増え続け、この日は250人弱。
この時期にわざわざハワイへ向かいたい人は、現地で生活がある極限状態の日本人の買い出しかビジネスか家族がいるかで持ち込み荷物の多さを感じるような人ばかりかと思いきや、小さなスーツケースで必要最小限の装備のカップルや、地方から出てきてホノルルで何をして遊ぶという話で盛り上がっている親子連れや、ゴルフに行く様子の人もいて、不要不急の出国をカジュアルに実行する為にPCR検査をする人が居るのに本当にびっくりした。私も引きこもる予定だけど、不要不急の出国者側の人間なんだろうなってここで気づいた。
空港はこのハワイ便に乗る人と他の便待ちの人がいるくらいで、全く人がいなかった。旅行代理店のエリアの座席のところは前の方に空港職員の人がお弁当広げて食べている位、誰も居なかった。三密は全く無いけどレストラン街もほぼしまってて(土産屋もしまっている)いつも入るお店もやってない。出国手続きをした先の免税店もレストランも一切閉まっており、自販機で買った乳酸菌飲料の糖分でかろうじて空腹感をごまかす。おにぎりを食べている集団に羨ましくなりながら、搭乗待ちの間に携帯にアメリカのeSIMを設定したりしてた。
もともと間引きでの座席の提供。大体半分くらいは予約不可席で選べなくなっています。隣の四人席には人が一人しかいなく、気がついたら4席使って横たわって寝てた。
当初は機内食は食べるのをやめようと思ってたけど、機内の空気の循環は良いことや、空腹でおかしくなりそうだったので、ありがたく与えられた糧をいただく。
食後は、前の席にいる老人夫婦(多分片方別の席)がたまに咳をする(喘息っぽい音)上に時折マスクを外す。読書灯つけっぱなしで席移動して寝る、など普通に迷惑な人達なので映画を見て過ごす。目の前の座席が咳したあたりで、ダブルマスクの上にプラスチックのフェースカバーを付けてた。流石に読書灯つけっぱなしで移動されたのが鬱陶しかったので注意したら、装着してたマスクを外して謝ろうとし始めた。やめてほしい。
オアフ島から別の島に移らないといけないので乗り換え。入国審査と入境時健康検査(熱はないか、喉は痛くないか、などの口頭アンケートとQRコードの提出)してから一旦国際線ターミナルを出て国内線へ。米国人もマスクしているし、地面にはこれでもかというほどキープディスタンスを守らせるためのシールが貼られていた。時期をずらしてバカンスにきてたっぽい米国内の人がちらほら居た。結構普通に国内を動いているメリケン。
国内線の搭乗検査で身分証明書(旅券)とマスク外して顔を見せるなどをして無事次の便に。食事をしようと思ったけれどホノルル空港内の飲食店はほとんど動いておらず、BURGER KINGもこの日はやってなくて、スタバでカロリー高そうな飲み物を頼んだ。土産物屋は一軒のみ営業してたけど、ほとんどお客さんは入っておらず。
離島到着。軍服着た人に囲まれながら、再度事前登録のQRコード見せて健康状態のアンケートを受けて、やっと空港の外へ!
あーよかった。きてよかった。生きててよかった!
1年ぶりに会う恋人に狂喜乱舞エキサイティングしつつ、恋人の家で居候。しあわせ。恋人とのご飯。しあわせ。
最初数日間は様子を見ていたけれど特にコロナの初期症状もないので、たまにスーパーに買い物に行ったり散歩に行ったりドライブして海を見たりしてました。
一回だけガラガラの店内でご飯食べた以外は周りの人と距離非常に保たれたアウトドアか家でご飯。飛沫感染リスクかなり低め。
それ以外は延々と仕事する恋人の後ろでゲームしたりお茶のんだり仕事のメール読んだりしてた。完全に邪魔してた。休暇とってよかった。
(後編 anond:20201231031222 に続く)
韓国の金浦空港で空港職員とトラブルを起こし、現地警察の取り調べを受けた厚生労働省の武田康祐・前賃金課長(47)が、その2日前にも同空港で同様のトラブルを起こしていたことが分かった。厚労省が27日、衆院厚労委員会の理事会で明らかにした。
武田氏は今月16~19日に私的な旅行で韓国を訪れ、帰国直前の19日に金浦空港の職員に暴行したとして警察に一時拘束された。厚労省によると、この時の拘束は現行犯逮捕によるものだった。さらにこの2日前の17日にも同空港でトラブルを起こし、飛行機への搭乗を拒否されていたという。また、海外に行く際に必要な上司の承認も得ていなかった。厚労省は、武田氏を20日付で大臣官房付に異動させた。
https://www.asahi.com/articles/ASM3W4J9MM3WULFA014.html
この時は英雄扱いだったくせに随分と都合だな
マブロポロス氏は非営利団体「国際固形廃棄物協会(International Solid Waste Association)」の会長を務めており、事故当日はナイロビで開催された国連環境計画(UNEP)の年次会議に出席する予定だったという。
しかしマブロポロス氏が搭乗口に到着したのはゲートが閉まってから2分後だった。その後に続くフライトを予約したが、空港職員は搭乗しようとした同氏を空港内の警察署に向かわせた。
マブロポロス氏は「警官が私に抗議せずに神に祈れと言った。なぜなら私は墜落したET302便に乗らなかったただ一人の乗客だったからだ」と、ショックをあらわにして述べた。マブロポロス氏が搭乗しなかった唯一の乗客だったため、身元の照合や搭乗しなかった理由などを職務質問する必要があったと空港当局は説明した。その後同氏は解放された。
以前、友人の結婚式でハワイに行った時の笑い話。
ハワイに一人で到着したら、入国審査で「たったひとりで!?ハワイに!!??リゾートだよ!さびしいよ!!」と、審査官のオジサマに延々と語られた。
そして、渡されたのがこれ。「出国までにボーイフレンドを3人つくって、申告するように」だって。 pic.twitter.com/Ut0E0RjcLu— フラヌール (FRAN) (@flaneur_fran) 2018年8月13日
この後、この入国カードの半券は税関やらなんやらで散々笑い話となり、あちこちの空港職員に「なんて人だった?これ書いたの!」やら「ボーイフレンドを見つけるならこのスポットがいいよ!」やらのお喋りにつかまってしまって、なかなか空港の外に出してもらえず😅教訓:ハワイに一人でいくべからず。— フラヌール (FRAN) (@flaneur_fran) 2018年8月13日
引用RT、リプ等たくさんいただいておりまして、通知を追い切れておりません。パッと目についたもの以外、個別のリプはしませんがご容赦を😅
あくまでもジョークなので、深く考えず、面白いと思ったらクスッと笑っていただければと思います!— フラヌール (FRAN) (@flaneur_fran) 2018年8月15日
本人は何とも思ってないし、相手も何も思っていないが
外野が「セクハラセクハラ!」「投稿主はいいかもしれないけど、セクハラ許されたことになる!」と外野が騒いでいて笑う。
そもそも海外って挨拶で頬にキスするんだから、日本とは違って当たり前だろ。
日本人も頬にキスする文化だったら、もう少し何か違ってたかもしれないがな。人の腹探って勝手に傷ついたりな。
日本人から「京都一人で行くなんて寂しすぎる!ガールフレンド3人作って申告してね!」って言ったら完全セクハラになんだろうが
当人両方共「OK」って言ってるのに外野騒ぎまくっててほんとクソw
その場の雰囲気とか状況とか文章では表現できない何かも存在するのに、本当に面白いわ。
一部の日本人は過剰反応しすぎて、何に置いても「私だったらセクハラ!」「一人旅disってる差別!」って騒いで本当にウケる。
hagex氏の件。色んな方向で再発防止策が語られていて、正直すごいモヤモヤする。
私たちの社会では、原理的に通り魔の発生を完全に抑止することなんてできない。
私が台所に立って包丁を使って料理するとき、そのまま外に飛び出して道行く人を斬りつけることは「物理的には」可能である。私も含めて普通の人はそんなことやらないというだけだ。
包丁を使うのに個人情報を登録させたり免許制にしたり包丁を使う度に複雑な認証をクリアしなきゃいけなくしたとして、そんな社会誰も住みたくないでしょ。
そういうガッチガチの事前規制をして実行のハードル上げたってやるやつはやるんだから、通り魔を減らすことはできても完全にゼロになんてできないわけで。
だから、電話番号認証導入しようぜとか、そういう議論見てると、なんか、ちがうだろー、という気分になるんだよな。
私は、転生者だ。
はてなの片隅で失敗をしたので、アカウントを消して転生した。チキンの私には、気軽に逃げて再出発できるはてなのユルさがありがたかった。
そしてそのユルさは、捨て垢をいくつも作り住民に粘着し続けることのできるユルさとつながっている。
捨て垢で粘着がやりにくいウェブサービスは、同時に、なにか失敗したと思っても簡単に転生できない窮屈なサービスになるだろう。
それでいい、とモヒカンは言うのかもしれない。一貫したIDで一貫した内容を書き続けるウェブ論客たちは。
でも私にとって、それはちょっと窮屈にすぎる。
往々にして、犯罪を犯すことが物理的に可能な環境は、同時に、自由で開放的で(犯罪に遭わなければ)居心地のいい環境でもある。
新幹線で隣の乗客をナイフでめった刺しにできる環境は、手荷物検査などなく直前に駅に着いても悠々と乗車できる快適さの裏返しだし、
セミナー参加者じゃなくても入り込めるセミナー開催場所は、受付で個人情報を渡す心配がなく安心してセミナーに参加できる場所だし、
荒らしが簡単に書き込めるウェブサービスは、ちょっと尖った意見を持った異端者であっても排斥されない空間だし、
性犯罪の前科者が子供のいる家庭の近辺に住める社会は、罪を償った前科者が石を投げられずに暮らしていくことのできる社会だし、
学校で銃をぶっ放せる社会は、趣味で猟をする人たちにとってはきっと天国なのだろう。
もちろんすべては程度論だ。包丁を使う度に免許や認証が要る社会は狂っているが、銃の購入に身分証の提示も必要ない社会も同程度に狂っている。
極端に自由な社会と極端に安全が重視された社会、その両極端のあいだのどこかに合意すべき点はある。
しかし現状の私は、極端に安全が重視された社会では安心できない。自由もプライバシーも何もかもを「安全」のために捧げる気にはなれない。
そしてそのような自由な社会を望むなら、hagex氏のような事件を「事前に防ぐ」ことは諦めるべきだろうと思う。
重ねて言うが、hagex氏の事件が起きて当然というつもりは毛頭ない。彼に殺されなければならない理由なんてどこにもなかった。悪かったのは運だけだ。
運だけが悪かった。そんな死者の発生を、完全に防ぐなんて無理だろう。
完全に防ぐのは無理にしても、減らせるのではないか?
しかし減らしたところで、それによって我々の自由とプライバシーが損なわれるのなら、それは我々にとって安心して暮らせる社会なのだろうか?
犯罪者は「事後に」厳しく罰せられるべきだ。強く非難され、その行為の報いを受けるべきだ。
だが、「事前に」規制しようとするなら、それは無関係の者の自由をどこかで奪ってしまう。
現状、私がその利益を享受していることは否定しない。私がこれまでスクールシューティングの被害者にも危険運転の犠牲者にもならずに済んでいるのは、銃を所持する自由や車を運転する自由が制限されていることのおかげだ。
飛行機の搭乗手続きは煩雑きわまりないが、おかげで私はこれまで飛行機でテロに遭ったことはない。
しかし私はかわりに、好きなドリンクを気ままに飛行機に持ち込んで飲む自由を放棄している。いちいちカバンの中身を空港職員にX線で見られている。
飛行機なんて、せいぜい年に数回しか使わない乗り物だ。だからこの程度の自由やプライバシーの侵害だったら、私は安全の方を優先する。
でも、日常生活の中で、こんな自由の欠如やプライバシーのなさに耐えられるのか。私には無理だ。
ああした通り魔事件が起きてしまうこと自体は、言い方は悪いが、自由な社会の代価なのだろうと思う。
だから仕方ない、とは言わない。殺されて当然、なんて思わない。殺人なんて、しちゃいけない。
だけど、それを理由に、犯罪をすることができる環境を制約しようとすることにも賛同できない。
私たちが自由な社会を望むなら、テロを毅然と批判しつつ、テロを「やろうと思えばできる」環境はそのままにしておくべきだ。
テロをする自由。人を殺す自由。それらが法的な意味で「自由」なら北斗の拳だが、物理的な意味で「自由」でなくなるならディストピアだ。
ここでは航空会社側についてのみ書く。
車椅子客について書かないのは、法的に間違いを犯したわけではなく、個人の倫理観の問題になるので客観的に意見を述べるのが難しいからだ。
「関空-奄美線では、自力で歩けない車椅子のお客さまから事前に連絡があった際には搭乗をお断りしていた。」
http://www.huffingtonpost.jp/2017/06/28/vanilla-air_n_17315034.html
関西国際空港での搭乗時、「奄美空港ではタラップを上り下りできない人は乗れない」と説明された。「同行者の手伝いで乗降する」と話して搭乗し、奄美空港では知人が木島さんを車椅子ごと担いで降りた
行きの便の時点で認めたのにもかかわらず、帰りの便でそれを覆したというわけだ。
当然ながら、空港に車椅子客が降りたことは空港側は知っていたはずだ。
5日、今度は関空行きの便に搭乗する際、バニラ・エアから業務委託されている空港職員に「往路で車いすを担いで(タラップを)下りたのは(同社の規則)違反だった」と言われた。
3日の降機時点で空港側がストレッチャーを用意していれば帰りの搭乗はスムーズだった。なぜそれができなかったのだろうか。
ストレッチャーの準備に時間がかかるから? ならば、規則を遵守した場合この車椅子客は奄美に数日閉じ込められることになる。
この状況では、車椅子客は無理矢理でも登場しなければならなかった。
http://i.imgur.com/LaaNeCR.jpg
上記の画像のような空港専用のものではないが楽天でも売っていて、そちらは15万程度。
規則が「安全上の理由」であるなら搭乗時点で断るべきであったし、特例を認めるならば奄美空港側ときちんと合意を得るべきだった。
上に書いたとおり、ストレッチャーは15万という代物だが、車椅子客だけではなく怪我をして歩けなくなった人の搭乗にも利用されるものだ。いくら格安航空会社だからといって、このレベルの設備すらないのは疑問。この過ちは会社側も認めている。
同社は「関空-奄美線では、自力で歩けない車椅子のお客さまから事前に連絡があった際には搭乗をお断りしていた。搭乗を想定した対応をすべきで専用のストレッチャーを導入して改善した。今後も階段昇降機を導入していく」としている。
http://www.huffingtonpost.jp/2017/06/28/vanilla-air_n_17315034.html
また、車椅子客が復路でもバニラ・エアを利用することは事前にわかっていたはずなので、トラブルが起きないよう事前対応をすべきだった。
障害者の人を差別せず扱うべく合理的配慮を求める法律があるので、事前申告があってもなくても搭乗拒否はできない。これはもう必須条件。
例えば米国でも「航空機における障がいに対する差別の禁止」という明確な規則があるが米国就航便がないバニラエアには適用されない。つってもほとんどの先進国共通のコンプライアンスである。
だからバニラエアも即対応しているし、これはこれで解決している話。
現在の奄美空港は車椅子の場合「事前の確認事項がございますので予約センターまでお問い合わせいただきますようお願い申し上げます」とあり、車椅子の場合連絡が必須ということになっている。
木島氏も「面倒」と言っているが、本来論としては空港のバリアフリー設備を利用するのに事前連絡が求められるべきではなく、いつでも使える状態(Available)でなければいけない。
階段横のスロープやビルの障害者用トイレや駅の車椅子用エレベーターを使用するのに事前申請が必要だったらそれはAvailableではない。
もちろん個別事情があるので100%すべてのバリアフリー設備が24時間365日使用可能でないといけないとか極論をぶつつもりはない。通常フローで申請が必要な状態はおかしいというだけだ。
各航空会社のサイトを見ると、どこも「特別な補助(介助・サポート)が必要な場合は事前に連絡を」と書いてある。
アレルギー持ちの人が特別食を頼むときと同じで、航空会社側に何か配慮を求める場合は連絡が必要ということだ。
バニラエアのサイト https://www.vanilla-air.com/jp/guide/special-assistance にも全体的に「お手伝いをご希望のお客様は」とある。つまりバニラエア側にお手伝いを求める場合の手続きということ。
航空会社側に補助をお願いしたい場合は事前に連絡。これは双方不合理は感じないと思う。
一方、同ページに「インシュリン・エピペン等の自己注射器を使用する場合」とあり、自分で注射をうつ場合は事前連絡は必要とされていない(針なので保安検査時に申告する必要は当然あるが)。
なので車椅子でも特に手伝いを求めていないならガイド的には事前連絡は不要であると読めるし、そうであるべきだろうという信念で木島氏は行動していると推察される。
言うまでもなく車椅子を使っている人にもいろいろな状況の人がいて、自力での移動がまったく不可能な人もいれば電動車椅子の人もいるし自らの腕で移動できる人もいる。
木島氏は自らの腕で移動できる人。 さらに同伴者もいる。それで何十か何百の国を行き来できていた。
木島氏はもともとバニラエアに特別な補助を求めていたわけではなく、一貫して「自分と同行者でなんとかできるから普通に乗せてくれ」という主張をしている。
もし木島氏が「事前連絡なしでも空港職員は私を手厚くサポートすべきだ」と主張していたら「そらおかしいやろ」と思ったろうが、特別扱いしないでくれと言っている。
例えば目が悪い人にも矯正器具で自力歩行可能な人もいれば付き添いが必要なレベルの人もいるが、仮に「視力が悪い人は全員事前連絡が必要」となったらおかしい。
サポートを求める人には適切にサポートする、自力で対応可能な人には自力でがんばってもらう、それが正しい受容のありかたかと思う。
前段の繰り返しになるが、木島氏は車椅子ではあるが総合的には動けるほうの人だ。
ラグビーをやっていたとかで腕っ節も強そうだし、どこの国にでも出かけていく度胸もあるし財力もある。
自分が理不尽と思ったことと戦う覚悟もあるし、自分の論を強く主張する知恵もある。
こういう人間は普通「弱者」とは呼ばれず「強者」の範疇に入れられると思う。
ノブレスオブリージュなどと言うつもりはないが、バリアフリー研究所所長という肩書きで講演等している人間が障害者全体の代表のような面をして矢面に立つわけだから言動には注意する必要がある。
人格者たれというよりもリスクコントロールの範疇だ。自分の希望する方向に世の中を動かしたいならツッコミどころを作ってはいけない。
http://www.asahi.com/articles/ASK6H4HCWK6HPPTB004.html?iref=comtop_8_01
半身不随で車いすの男性が、階段式のタラップを腕の力で自力で上らされる事態になっていたことがわかった。バニラ・エアは「不快にさせた」と謝罪。車いすでも搭乗できるように設備を整える。
木島さんは関空の搭乗カウンターでタラップの写真を見せられ、「歩けない人は乗れない」と言われた。木島さんは「同行者の手助けで上り下りする」と伝え、奄美では同行者が車いすの木島さんを担いで、タラップを下りた。
同5日、今度は関空行きの便に搭乗する際、バニラ・エアから業務委託されている空港職員に「往路で車いすを担いで(タラップを)下りたのは(同社の規則)違反だった」と言われた。その後、「同行者の手伝いのもと、自力で階段昇降をできるなら搭乗できる」と説明された。
同行者が往路と同様に車いすごと担ごうとしたが、空港職員が制止。木島さんは車いすを降り、階段を背にして17段のタラップの一番下の段に座り、腕の力を使って一段ずつずり上がった。空港職員が「それもだめです」と言ったが、3~4分かけて上り切ったという。
増田B「いや!規則は規則!ちゃんと新しい規則が出来るまで我々はそれに従うべき!」
でも、そんな沢山あるケースじゃないんだからさ、手伝えばいいと思うけどね。
当時のインドはまだ外貨が不足していて、USドルのキャッシュで航空券を購入する場合に限り、インド国内航空インディアンエアラインのカルカッターバンコク間の片道切符が60ドル程度の格安で手に入った。
今でこそIT大国なんて言っているけど、その頃は空港のチェックインカウンターには端末もモニターも無くて、空港職員が奥の部屋へ引っ込んでいったかと思うと、暫くして漸く乗客のリストが印刷されてるらしいパンチ穴のついた長い紙を引きずる様にして出てくる有様だった。
そうして、どうやらオーバーブッキングらしいと言うことが、周りの乗客の話し声から聞こえてきた。中には職員に金銭を渡してるらしきツーリストもいた。
外貨が不足する中でインドを出国しようとするインド人には、厳しい外貨の持ち出し制限があった。確か一人400ドル位じゃなかっただろうか。全然足りないよね。遊びに行くわけじゃない。殆どがビジネスだったと思う。
僕のツーリストビザの期限にはまだ余裕があったし、予定があるわけでもなかったので、別にこの便に乗れなかったところで一向に差し障りがあるわけじゃない。
対して、インド人ビジネスマンは違う。どうしても、その便に乗らなければならない事情もあるだろう。一人のインド人男性が職員に食って掛かった。インド人が手を出すのはよっぽどのことがあってなんだけど、彼は職員に対して相撲の突っ張りのようなことをした。職員もやり返した。お互いに突っ張りの張り合いをしながら、二人とも遠くへ小さくなって見えなくなった。
営業マン、社長、駅弁の売り子、自動車工場の社員、空港職員、人形浄瑠璃の演者、農家、伝統工芸の職人、撮影スタジオのカメラマン、楽団員等々、様々な職業の人の働く様子とともにその人のランチ風景を紹介する。
全く知らなかった職業、各人の仕事への取り組み方や職場の雰囲気を知れる面白さと、日本各地の美味しそうなランチが魅力的。
その家独特のおにぎりを紹介する「おにぎり百景」や、お昼どきのオフィス街で道行く人に声をかけスタッフと一対一でランチをさせてもらう「サシメシ」、視聴者の投稿したお弁当写真を紹介する「みんなのサラメシ」等、毎回3〜4つのコーナーに分かれている。
印象に残っているのはおにぎり百景で紹介された桜おにぎり。桜農家が収穫時期に1日だけ満開の桜の木の下に集まり、桜の塩漬けを混ぜ込んだピンク色のおにぎりを食べている様子は素敵だった。
何の気なしに見れるので録画しておいて見たいものが無い時に見ている。
「おくのほそ道」、「風姿花伝」、「般若心経」、「アラビアンナイト」、「遠野物語」等、大抵の人が題名くらいは知っている名著を、25分×4回の計100分で月に1冊ずつ、その分野を専門とするゲスト(基本的に大学教授、たまに僧侶や詩人)が分かりやすく解説してくれる番組。
本の内容はもちろんのこと、毎月登場するゲストの人となりも楽しみの一つ。いかにもその分野っぽい人が登場することが多いのだ。
毎回伊集院光が面白い着眼点で質問したり感想を述べたりしていて感心する。
「いい質問ですね!さすがです!」なんて派手なリアクションの先生もいれば、興味無さそうに受け流しちゃう先生もいたりして掛け合いも面白い。
印象的だったのは「種の起源」の回で紹介されたダーウィンの生い立ちで、ダーウィンは医者の息子だったので医者になることを望まれていたが、当時は麻酔がなかったので子供の手術なんかに耐えられないタイプで医者になれず研究者になったというエピソード。昔って麻酔無しで手術してたの?!という衝撃が…。全然本の内容関係無いけど。
録画して100分まとめて見ている。
視聴者のお悩みを専門家の手を借りて解決するという極めてシンプルな内容の番組。司会の松嶋尚美と三宅裕司のおかげで重たい悩みでも番組の雰囲気は明るい。
強烈だったお悩み1「キレイと言われたい」
容姿に自信のない相談者(女性48歳・既婚子持ち)は過去の経験でがんじがらめになって自分に本当に似合う服を受け入れることが出来なくなっていた。解決策としてスタイリストが提示した方法は、町や駅で見ず知らずの人に「今日の私の服、似合っていると思いますか?」と聞いて回ること(!)。見ていてほんとに居たたまれなくなったけど、みなさん案外フレンドリーに答えてくれていてホッとした。
最終的には結構いい感じに解決していた。
家には大量のマニュアル本を揃える婚活中の相談者(男性)。「女性には寒くないですか?と声をかけよう」とのマニュアルに基づき、人混みで熱気ムンムンの婚活会場で「寒くないですか?」と声をかける相談者。みんなから「むしろ暑いです」と答えられていた。
お悩みを解決してくれるきわめびとは冒険家、解決方法としてグループで山登りをするというよく分からない展開になるのだが、山登りのために買ったマニュアル本を山に持ってくる相談者。コントか?!
山登りで自分の殻を一枚破れた様子の相談者だったが、まだまだ道のりは遠そうであった。
タレントやクリエイターが母校の小学校に出向いて6年生の1クラスに2日に渡って授業をする番組。
テレビで見たことある人が先生だからなのか子供達が素直に授業を楽しんでいる様子が好ましい。
詳しく紹介しているブログがあったので貼っておく。てかすごいブコメ付いてるから今更感が…
http://d.hatena.ne.jp/yyamaguchi/touch/20140516/p1
子供達が今までと違う視点を身につけて少し自由になれたように思えるいい授業だった。
まず自分で思い出せるだけのことを詳しく年表に書き出し、次に家に帰って親に書き足してもらう。ここで「お母さんこんな話知らなかったよ」と親が子の事を知る事が出来たり、子が自分の覚えていない小さい頃の事を親に教えてもらう事が出来たりと、家族にもよいきっかけになっていた。
次の日はクラスメイトがそれぞれの相手に持つ思い出を一つずつ書き加えていって年表は完成。体育館に全員分を貼ってみんなで読んで回って授業終了。「クラス替えの後初めて話しかけてくれた」なんて思い出を書き加えてもらい「そうだっけ?全然覚えてない!」とまた新たな自分を発見。中学校に上がる前に一つのいい区切りとなる授業だった。これは水道橋博士がいなくてもどこでも出来ていいと思った。