はてなキーワード: 客演とは
誰にも言えないので書き捨て。
このあいだいっしょに芝居してた知り合い(以後Aとする)が死んだ。
客演でたまにいっしょにやるくらいだったのでそんな深い関係ではなかったため
なんで自殺したのか全然わからないし、なんで?とも効けない雰囲気。
お別れ会が開かれ、みんな「いいやつだったな」とか話してて
確かにいいところがあったやつだったんだが自分にはひっかかるところがあった。
Aから「もろもろまとめた資料を自分の持ってるサーバーにアップしたからとっておいて」と連絡がきた。
そのURLにとび資料を取ったあと、ちょっといたずら心でサーバーを探ってみた。
B子 もうすぐやれる
C子 キープ
D子 落とした
みたいなことが書かれたものだった。
Aはちなみに妻子持ち。
もちろんそれを見たとは本人に言えないし
彼を慕っている人も多いし、もめて公演が中止になっても嫌だし誰にも言えずに現在。
もろディケイドじゃねえか。
でもメイン購買層の未就学児童は3年周期ぐらいで入れ替わってるはずだし、
5〜10年スパンぐらいで同じネタ題材にしても別に全然問題ないんだよね。
大友は「これ前にやったよ!●●じゃん!」とか言いつつも結局のところ見るし買う。
もうクウガ〜剣ぐらいまでの「販促縛りの中でもちゃんとした物語を!」という気骨は残って無いしこれで良いんだろう。
てかさ、大体の特撮っていつもこのパターンで周ってるんだよね。
真面目に作った素晴らしい作品が大当たり、それに味を占めて続編を乱発するもネタ切れして客演などの使い回しが横行。
徐々に子供向けが子供騙しにすり変わって終焉する。で、十数年ほど経って心機一転で真面目に作った復活作がヒット、てな感じ。
現時点でも新作が出続けてるウルトラマン・仮面ライダー・ゴジラ、全部そうやって周ってる。直近だとシンゴジラが良い例だ。
数少ない例外が戦隊シリーズで、最初っから子供騙しと割り切ってる。平気で同じ題材使い回すしプロットも毎回陳腐だ。
車や恐竜、忍者なんて何回モチーフになったか分からないだろう。だからこそゴレンジャーからシリーズが途切れていない。
その代わり物語を評価されることは殆どない。水戸黄門や暴れん坊将軍みたいなもんだ。同じ時代劇でも黒澤映画等とはまるで違う。
落語聞きに行くのは、寄席よりも落語会の方が好きだ。寄席は当たり外れが大きい。好みじゃない人が出てくると眠くなるし眠みと戦うのが疲れてしまう。
思えば、子供の頃からまんがも雑誌派じゃなくて単行本派だったし、ミュージックステーションをぼーっと見ながら
お気に入りのアーティストが出るのを待つより、CD1枚聞く方が良いなぁと思っていた。
寄席の木戸銭は若手の栄養、ひいては落語全体へお金が回ることになるので云々ということを、落語家の皆さんは言ったりするのだが、
席主の取り分だってバカにならないはずで、それなら2、30人の小さい落語会なら直接好みの落語家の懐を潤せる割合が高くなりそうだし、
落語会の前座や客演?でも色んな落語家を見ることができるし、元々好みの演者を見に行っているという保険もあるし、
何だかんだでストライクゾーンを外さないことが多いから、寄席でカタログを見る必要がないかなと思ったりしている。
寄席文化が、と言う人もいるのかもしれないが、寄席の客は年寄りだらけだし、マクラが終わりかけるや否や「○○だね」とか言う、
割とうっとおしいのが少なくなかったりするのが、割とウンザリする。
タイガー&ドラゴン」に出てくる尾美としのりのそば屋は、それでも愛嬌があったが、小汚いごく普通の通ぶった中高年老人のドヤなんて誰も見たくない。
同じようにマンガや雑誌の連載も、気になって追いかけていたマンガ1本のためだけに数百円を毎週払って買うのがなんか違和感がある。
読みたいものが2,3本入っていたとしても、「興味がないその他大勢」も結果的に所有してしまった、というすっきりこない気持ちである。
そして、読みたいものが5,6本やそれ以上入っているマンガ雑誌には、まずお目にかかれない。
紙の雑誌だったころは捨てればよかったが、電子書籍の場合はなおさら「興味がないその他大勢のデータがあるなぁ…」と思いながら暮らす羽目になってしまうので
原作と旧アニメがパラレルの関係であることは周知であると思うが、前者のカードの枚数は19枚(原作11巻等で確認)、後者は52+1枚(クロウカード→さくらカード+『希望』のカード)である。
ではクリアカード編がどうなっているかというと、雪兎宅でのカード確認シーンにて明らかにカードが19枚以上描かれている。(因みに該当シーンではバラけたカードが18枚とカードの束が一つ描かれており、「目視できるカードの枚数は19枚」である。これは狙ったのか…?)
つまり「カードキャプターさくら原作とクリアカード編は直接繋がるわけではない。」CLAMPお得意のパラレルなのである。
木之本桜と詩之本秋穂の名前の類似性はホントに原作でさらっと触れる程度だけなのか?とか海渡クンのミドルネームDとツバサの某キャラの関係性とか色々不穏はあるだろうが、おそらく他作品との関連性は匂わせこそすれ断定できる程明示はしないだろう(これは原作・アニメともにCCさくらではダーク描写を極力排除したことからくる希望的観測です)し、それでも気に入らなければ「ツバサの中学生さくらはクリアカード編ではなく原作ないしそれとよく似たパラレルワールドからの客演である」と解決可能なのだ。便利な設定だね。
ちなみにアニメ版(さくらと小狼の別れの回想が空港だったので旧アニメ準拠か?とも思うがそれだとエリオル宅の問題を解決できないのでこれも原作とアニメ版の中間を通ったパラレルである)での該当箇所を確認するとなんとカードの枚数は72枚。歴代最多である。
奇しくも漫画版とアニメ版のカードの総数は19+52+1で72枚となる(カードのダブりが発生するためこれはこれでおかしいのだが)。これが作画ミスでなければその真意とは…?
(この匿名ポストは、口下手な俺が近しい人間に近況をまとめて報告するための書き込みなので、「ワケわからん」という人は、無視してほしい)
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別の人ってのは、そうだな……あるところで、超っ絶美形、お耽美系おまけにXジェンダーという、やたらキャラが立ってるモデル兼役者さんを見かけたと思ってほしい。
そのヒト、ビジュアルと毒のあるキャラを買われてライブや芝居の客演に引っ張りダコで、思わず本人を確認しにライブハウスに行ってみたのよ。
期待にたがわぬ超絶美形だったんだけど、本題はこの人ではなく(いや、このモデルさんも追っかけるつもりだけど)。
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「ほんとかぇ?」と最初は思った。
その劇団、サブカルとか下北沢とか、そういうのを全然わからん俺でも知ってるくらいの有名劇団で。
旗揚げ公演のときは、ギラッギラのお耽美系女優でキャストを固めていて、そこにサブカル大好きティーンが「あ~ん、お姉さまぁ~」とかいって群がってるような感じで。
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で、その女優さん。
いっつも学ラン、学帽のショタ扮装で、ほんとうに純朴な少年みたいなキャラで、セリフ回しもトツトツとしているし、どっちかというと「あ~ん、お姉さまぁ~」とかいって群がってるサイドのヒトじゃね? と思ってた。
あるときまでは。
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ところがね。
とあるライブのゲストパフォーマンスで2人がコンビで出演した時。
そのままユラっとたちあがって身体を動かし始めたら、いきなり周囲の空気が変わったのよ。
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もうね。
ダンサー。
超ダンサー。
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ボディコントロールの精度とダイナミックレンジがハンパじゃない。
スタイルとしては、最初は土方巽的な暗黒舞踏の系譜かな、と思ったんだけど、見てると洋モノのコンテンポラリーに近い感じ。
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でも、それにしてもね。
ああいう動きは、それこそモーリス・ベジャールなんとかカンパニーとかに10年くらい所属しないと出来ないんじゃないの? まだ若いのに。
そう思ってチャラっと調べたら。
母娘2代、姉妹そろっての舞踏家ファミリーで、子供のころから母君の手ほどきを受け、美大に進学して上京してからは、もう在学中から現在にいたるまで、
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個展で踊る
有名ミュージシャンのMVで踊る
ミニマルミュージックのセッションでゲストパフォーマーとして踊る
そして、誰からもお座敷がかからないときは自主活動として踊る。
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踊る踊る踊る。スキあらば所かまわず踊りだす、踊りの国の踊り姫であることが判明。
(いやマジメな話、ソロのフリーランサーってどこで仕事を取ってくるんだろう?)
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ほかにも。
その女優さん、最初は普通のチンマリした女の子だと思っていたら、ネット上に、背中出しのコスチュームでプロに撮ってもらった宣材写真があって。
もうね、肩甲骨の自由度と張り付いてる三角筋の厚みが、完全にアスリートのそれ。
いやもちろん、シルヴィ・ギエムみたいに絞りに絞った体型ではないけど、学ランの扮装に完全にダマされてた。
完全に本職のダンサー。
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というわけで、がぜん興味がわいたんで、その“伝統の小劇団”の公演を予約して、行ってきましたよ、もう。
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もうね。
シンガー。
超シンガー。
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少しかすれた、でもよく伸びるアルトで、ピッチとアインザッツをガチキープしたうえで、朴訥な少年みたいなキャラクターをいい感じにのっけてくる。
ほぼ本職のシンガー。
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ところで、ここまで劇団の女優、女優と書いておいて、演技に一言もないのは。
だから、客演の寸劇とかで短く少ないリハーサルではアドリブがきかない。
(在学中に自主制作の映画に1本出ているらしいが、内容までは知らない)
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・ただし、所属の劇団でガッチリ稽古をすれば、プロ水準の演技はできる。
実際、主役級のキャスティングを的確にこなしていた。
少なくとも、演技といえば映画とTVしかみたことのない俺にはそう見えた。
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という感じ、なのかなぁ。
(ダンスになると手持ちの材料ですごい振り付けをするのと対照的)
ともかく、その意味ではキャスティングが当て書きとハマり役に限られる感じで、「アクトレス! 超アクトレス!」とは言えない感じ。
まだ今のところは。
案外、早い時期にその域に到達するかもしれないけど。
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劇団の公演自体はおおむね満足。アートでビザールで猟奇的な感じ。
そこで今度は彼女が時おり客演しているバーレスクチームのパフォーマンスに行ってきましたよ。もう。
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で、見てきた印象を簡単に書くと、
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・ダンスを見て、
やはり動きのキレすさまじき。
チップばら撒き、飲み代払いまくりなれど、かぶりつきで見た。元は取った!
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・ダンスが終わって
話を聞こうとしたら、追っかけが周りを取り囲む(俺も含む)。
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もともと芝居好き。
劇団オーナー氏の文芸思想面に共鳴、心酔、ならば何も言うまい。キャリアとか。
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・余談、『草迷宮』以外にも女力士がいるらしい。寺山修司好みのモチーフらしき。
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というあたりで。
……興奮冷めやらぬ中、この3ヶ月の自分を振り返る。
自分は何をこんなに、このダンサー(と周辺の人たち)に入れ込んでいるのか?
あれだ。
何が楽しいかというと、若い人たちが劇団やライブで頑張ってるのを見ると、その、あれだ。
大森望とか小林よしのりがAKBにハマっているのを「自分の娘みたいな年頃のアイドルに入れあげるって、それはどうよ?」とか思ってたのがね、これが自分がハマってみると、
_人人人人人人人人人人_
> スッゲー楽しいの <
 ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y ̄
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そしてね。
この歳になって「和風アングラもいいな」という自分を今さら発見した。
夢野久作とか寺山修司とか麿赤児とか唐十郎とか横尾忠則とか佐伯俊雄とか『ガロ』とか古屋兎丸とか、そういう日本の猟奇的な世界とは無縁で生きていくものだと思っていたんだけど。
これがねぇ。若い人が過去の作品群や事件を掘り返しながら、自分にしてもまだガキだった'60年代の新宿的世界をガチでやろうとしているのが面白くて。
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ほかにもね。
その女優さんと美形モデル氏を起点に人脈をイモづる式に掘っていくと、面白い人たちが出てくるわ出てくるわ。
誰に頼まれたわけでもないのに、全身を蛍光色にペイントして街角にくり出してフォトセッションをやってるギャルの集団とか。
どこから出演料が出るわけでもないのに、「調香師の貴婦人と助手たち」みたいな架空のストーリーでコスプレ衣装合わせをして、参観料を取って企画として成立させてるコスプレイヤーとか。
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みんな“何か”になりたくて、
“何か”をしたくて、
でも、それが“何か”はっきりしていなくて。
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みんな若さにまかせて、アルバイトを掛け持ちしながら、もがいてる。
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おお! こりゃ、リアル日本版『レント』(と、その元ネタの『ラ・ボエーム』)の世界じゃないのよ!?
いいねぇ。じつにイイっすねぇ。
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この歳になると、知り合いで創作的なことをやってる人間は、
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・その周辺で稼げる分野に落ち着くか(←俺のことだ)、
・完全に足を洗って別の仕事を見つけるか
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どれかになるんだけど、まだ、そのどれでもない状態でやっている、やれている人たちが、まぶしくて、まぶしくて、もう。
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この女優さんにしてもね。
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っていう流れに乗る前に、
っていう流れに乗る前に、
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多少無理をしてでも金と時間を作って四方八方にコネのある舞踏家に師事して、それをテコに国内でも海外でもいいから名前の通ったダンスカンパニーにもぐり込むことを最優先にするだろう。
その後は、
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・一般人にも名の通ったポジションを取ることを最終目標に、有名振付師のゴーストから経験をつむか、
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・彼女の母君みたいにレッスンプロとして“ダンスを見たい人”より“ダンスを演りたい人”を客にするべく、行政とかに売り込みをかけるか、
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・あるいは、ヨーロッパみたいにハイカルチャーに一定の需要がある国にイチかバチか、飛び出してみるか。
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……10年後、20年後も踊っていたいなら、これくらいしか選択肢はないんじゃなかろうか。
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でも、おそらく、それじゃ満足できない何かがあって、それに衝き動かされているんだろう。
(と思ったら、海外留学が決まったらしい。いいぞ、行ったれ行ったれ!)
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ま、ともかく。
独立起業という名の引きこもりになって、はやЖ年。なんか世界がせまくなる一方だった自分の生活が彼女ら彼らのおかげでムチャムチャ彩り豊かになった。
この人たちには、いくら感謝してもしたりないが、直接言うとキモいので、ここでこっそり発言。
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なんかひょんなことから月蝕歌劇団の公演を観てきた。
『怪人二十面相 黒蜥蜴復活篇-ガス人間第二号とフランケンシュタイン-』
『ピーターパン 月蝕版』
自分にとっては初めての月蝕歌劇団。
忘れてしまわないうちに記憶を記録に変えるため、レビューを残しておくことにする。
(月蝕歌劇団を知らない人は目の前の箱でググってほしい)
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■全体として
これ、過去の演目を見る限り、そう間違ってはいないはず。
自分のボキャブラリでいうと、ボルヘス、池澤夏樹、イタロ・カルヴィーノ、筒井康隆、このあたり(マルケスは積ん読状態なので知らん)。
『怪人二十面相』やら『ピーターパン』やら、もとからマジカルな舞台設定の既存作品をさらに2つも3つもカットアップ、マッシュアップして、"魔法世界の中で、さらに有りえねぇ超現実が起きる"ある意味なんでもありの“ごった煮”的な世界設定を作って、舞台の制約が許すかぎり絢爛豪華なスペクタクルに仕立てる。
で、そこに昭和風俗をまぜ込んで(たとえば突然、山口百恵のワンフレーズが出てきたり、吉本新喜劇的なシークエンスが乱入してきたり)、さらに'60年代新宿のアングラシーンの楽屋オチ、「唐十郎と李麗仙が~」みたいなネタをチクリ、チクリと混ぜ込めば月蝕歌劇団になる。
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あと、これはどうかな……はずれてるかもしれないけど。
60年安保、70年安保的な新左翼の臭いと、その文化の“祭りの終わり”みたいな寂寥感が通底しているような気がする。
自分が当時のアングラシーンの空気と政治的な空気を混同しているだけかもしれないけど。
でも、“岸信介”とか、“ロシア革命”とか、そういうワードはちらほら出てくる。
2演目とも、終盤クライマックスにマシンガンの乱射をきっかけに急速に話が収束するところも、かならず流血をみるところも、まあ、ほら、いろいろと。
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ともかく自分にとっての月蝕歌劇団はそんな感じ。
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あと、演目の間に『詩劇ライブ』というのがあって、基本は歌唱ショー。短い芝居と群舞。
キャストの紹介も兼ねている、のかな?
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良かったかって? うん、良かった。
ただね。
大正末期(1910年代)の冒険小説、明智小五郎シリーズが戦後(1945年~)に伝奇ロマン化したものをアングラ時代(1960年代)の空気感で舞台化しようとして、当時の若手(高取英、1985年)が古豪となって2017年に上演した作品世界に、どの時代の気分で接すればいいのか、混乱するところはあった。
寺山修司とかが登場する楽屋オチに、どの時代の気分で笑えばいいのやら。
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良かったところは……、
舞台は超現実的なんだけどプロット自体は、なんというか、それぞれの人物群が自分たちの課題の解決を目指して動くような、破綻も不条理も無いオーソドックスな作り。
ときどき舞台袖で狐舞が始まったりとか、解釈に困るような隠喩的な演出が入るほかには、ストーリーを楽しむのに支障はない。
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くわえて、これは自分が舞台観劇の初心者だからだろうけど、衣装と舞台と演技と、つまり色々と作りこんだ箱庭を見ているような感覚。
これが新鮮。
そりゃ、どんな超現実もCGでリアルに作ってしまうハリウッド映画はすごいけど、いっぽうで、いろいろと“作りもの感”のある世界を、19世紀の見世物小屋のパノラマのぞき窓みたいに見ている感覚が良い。
(どうしても想像できない人は、映画でいうと
あたりを思い浮かべてください)
同じビジュアルスペクタクルでも、モデリングとレンダリングが古びてしまったら一気に観る価値がなくなってしまうVFXではなくて、どんなに古びても観ていたくなる、吊り操演とミニチュアと火薬の特撮みたいな。
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で、そこに少女歌劇団(厳密には若手女性主体の歌劇団)の、なんというか、キャッキャウフフ感がのっかってくる。
実際、終演後にはチェキの時間があったりと、アイドル公演的な。
(昨年だか一昨年だかに『アリスインデッドリースクール』を観たときにはチェキと握手会があったけど、そういうのって少女演劇のスタンダードなのか?)
というわけで、全体として
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1)呪術的なストーリーテリング
2)箱庭的な幻想感
3)若い娘さんたちが頑張ってる感
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が、それぞれX軸、Y軸、Z軸に広がって立体的にホンワカした気分になってくる。
これで役満。いい気分。
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■岬花音菜
歌、ダンス、芝居、3枚そろって超人。
もともと彼女がアンテナに引っかかったから舞台を観に行ったわけで。
行く前は「ひょっとしたら芝居が弱いかなー」と思ってたけど、そんなことはなかった。
純朴ショタ(少年探偵団の小林少年)からガラッパチ女子高生まで演じ分けていた。
いま確認したら、全体の振り付けもやってる。スゲェよこの人。
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■白永歩美
上に書いた岬花音菜嬢がトップか一枚看板かと思ったら、すごい人がいた。
白永歩美。
OG客演なのか、現役トップなのか、よくわからん。(そもそも一般的な意味でのトップと、月蝕歌劇団の“ヒロイン”とか“トップ”の意味が違うのかもわからんが)
動いて良し、喋って良し、歌って良し。加えて舞台向きの強力な眼と唇、長い手足その他ビジュアル。
ピーターパンになって最後は飛ぶ(榊原郁恵ばりとは行かないけど)。
普段は何やってる人だ? 専属か?
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■白川沙夜
コメディ、アクション、ストーリーテリング、怪盗紅あざみのパートはほとんど彼女一人で回していた。
アンサンブルも彼女が周囲をブン回している感じ。(いや、周りが抑制しているのか? そこまでの鑑賞眼は俺にはない)
イヤそりゃ紅あさみ役なんだから当然といえば当然なんだけど、そういう長時間の高負荷に耐えられるキャストなんだから、信頼性の高い人なんだろう。
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■新大久保鷹
で、この人。
発声から演技まで、一人レベルが違った。
いや、レベルというのとは違うな。
キャラクターの性格と感情と現在の意図がわかりやすい、演劇らしい演劇をしていた。
キャリアの違いか。
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■河合瑞恵
この人というか、この人を見て思ったことを書く。
河合瑞恵さん、男役として帝国軍人とラスプーチンを好演。なんだけど、それとは別に幕間のライブで『夢は夜ひらく』(藤圭子)を歌っていて、これが実に良かった。
そこで気が付いた。
いや、大人の女性のキャラクターは出てくるのよ。でも、『二十面相』の誘拐少女の母親にしても、『ピーターパン』のアレクサンドラ皇后にしても、設定上の年齢よりは10歳か20歳は若いキャストが演じてる。黒蜥蜴も紅アザミも、おそらく。
少女とショタと男役とサポートの男優だけで構成されていて、大人の女性の存在がすっぽり抜け落ちてる、この劇団。
いつもそうなのか? そういうコンセプトなんだろうな。暗黒タカラヅカだし。
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■嘴音杏
上手い、凄い、空気も変わる。専業で本業なんだから当然か。
ただ、ほかのキャストが黒を基調にした演出で、おそらく劇団のストック音源をバックにJ・A・シーザーの幻想世界や女心とかを切々と歌ってるところに、パーソナルカラーの赤コルセットと赤ドレスで生バンドの高音質2MIXをバックにブルースをゴリゴリ歌って月蝕歌劇団を3分間だけ痴人倶楽部にしてしまった感じがする。
良いか悪いかは別として。
芝居は。んー、良しあしが言えるようなキャラクターじゃなかった。
政治的に正しくない、だけど、ある意味では由緒正しい戯画化された“インディアン”だったので。
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明智小五郎+α役。オフの顔を見たら、アラかわいいお嬢さん。ベテラン主体の劇団だったら、小林少年をやっててもおかしくない。
客演らしい。
「美丈夫ですか? やりますよー」といってこなせる彼女みたいな人が、実は隠れた高能力者なのかもしれない。
だってあれよ? 明智小五郎と黒蜥蜴といったら、つまり天地茂と丸山明宏よ? そういうダークで苦みのあるキャラを演じて象徴的にせよベッドシーンまでこなす。役者ってすごい。
そういえば高畑亜美さん。一緒に観劇した元同僚が「あの黒ボンデージの人は役者魂を感じる」と言っていた。
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■北條華生
緊縛師をエキストラで連れてきたのかと思ったら、そのままシレっと芝居を初めて、V・フランケンシュタイン博士を演じきってしまった。しかもうまい。
調べたら緊縛師ではなくて緊縛もこなす役者さんだった。みんな多芸なのね。
吊るしのとき、役者の影で見えなかったけど、1/2なり1/3なりのプルアップ・システム(滑車みたいに距離2倍、荷重1/2にするロープワーク)をやってるはずで、一瞬、芝居が停滞したように見えたけど、あれでも相当手際が良かったんだなと後から思った。
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■はるのうらこ
北條さんのロープワークもさることながら、吊るしというのは吊るされる方にも技量がいるわけで、ハーネスをガッチリつかんだまま気絶するという難しいことをやっていた。
男役。
悩める青年将校をきっちり演じきっていたけれど、華奢なのはいかんともしがたい。女性役であらためて見てみたいと思った。
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■中村ナツ子
な!に!も!の!だ!? こ!の!ひ!と!
Web/エディトリアルデザイナー、ライター、イラストレーター、Photoshopper。
チャラっと調べてみたけれど、原稿(というか体当たりルポ)もロゴデザインも依頼主のテイストに合わせて手堅くこなす。
役者で声優。前説もこなす。となりの知乃さんにも目配りしながら観客席と当意即妙のやり取り。
舞台にも立つ。しかも端役じゃなくてしっかりスポットのあたる役どころ。
これでJavescriptとSQLが書けたらホンマモンの超人や。
こういう人が一番まぶしい、そして怖い。
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足りぬ足りぬは工夫が足りぬ。いやそうなんだけど、せめて南部十四年式拳銃は用意してほしかった。ポスターにもあるんだし。
ネバーランドの崩落シーン。大道具の意地と苦労がしのばれる。というか、そのための柱だったのね。
周囲の柱といい、中央の小部屋といい、随所に設けられたピットといい、演目に合わせて必要十分な空間の設計がなされていることに、いまさら感心する。
意地と苦労といえば、ピーターパンの飛行シーンも、無くても成立するだけに、「これをいれねば!」とウィンチを仕込んだ意地と心意気がうかがえるよなぁ。
ところで、いま調べたら、中央の小部屋は常設みたい。
なるほど、上手と下手のほかに中手があると、バーン! と登場するシーンとかに便利だよね。
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『絶対運命黙示録』『私の中の古生代』(←だったっけ?)しか知らなかったんだけど、「ほかにどんな曲があるんだろ」と思ってたところ、つまりはこれこそがシーザー節だった。
主旋律の音域を広く取ってロングトーン多用おまけに変拍子の幻惑的なスタイル。
これがそのまま歌手泣かせの難易度となって跳ね返ってくるわけで。ノリで合わせていたら絶対にロストする、ブレスで死ぬ、超絶覚えゲーみたいな世界。
こりゃ役者さんが大変だろうと思った。
あと音でいえば、既成の歌謡曲のダビングもの、J・A・シーザー氏の打ち込み音源、ボーカル無しで舞台で歌うもの、ボーカルありの既成曲で舞台でも歌うもの、マイクあり、マイク無し、古いローファイ音源と新しいハイファイ音源、とバラバラのチグハグだったのが気になった。
歴史の長い劇団だから地層のように多種多様な音源が混ざってるんだろうと想像するけど、どこかで専門家がDAWで新録して整理しないと、大変なことになると思う。
あとマシンガン銃声のポン出し、キャストにトリガーを渡せるような仕組みはないものか?
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……んー、こんなところか。
機会があったら、一度は観てみても良いと思います。そこでハマるかハマらないかは、あなた次第。
自分? チャンスがあったら、もう何回か行こうと思ってる。
プリズムヤクザだけど、こちらでも男女の絡みが問題になってる。元が女児向けという点でアイマスと違うけど、それ以外の境遇はだいたい同じ。
でも、自分らの界隈では、作品間の越境が公式から与えられているケースがある。映画での客演もあったし、今度プリパラに旧作キャラも出る。
そもそも、プリリズでは男子と女子が同じ世界観に存在していて、女子が主役のアニメでは男子と恋愛している。
一方で、公式から与えられない形の作品間の越境はプリリズでも盛ん。プリリズの場合は、同じ技を使うもの同士とか同じ性格・役割同士で絡むことが多い。
プリリズからの古参で全作品好きな人は、それでよかった。でも、キンプリ(アイマスでいうSideM)から入った人の一部は、公式から与えられたNLですらも否定する。
今、一部の新参の力が大きくなってきて、古参が作品を嫌いになろうとしてる。「絡ませないでほしい」も新参のわがままであるということはわかってほしい。
メビウスの41話「思い出の先生」はなかなかに過去の作品をリスペクトしていて
食いつぶせる遺産とは思っていないと思うけど…
俺も「思い出の先生」好きだし、ティガの「ウルトラの星」も大好きだよ。
古いとこだと「ウルトラセブン参上!」や「ウルトラの星光る時」なんて脳汁出まくるしね。(帰マン好きなの)
こういう愛に溢れた感じでたまーにやってくれるなら全然歓迎なのよ。
新作が始まるとYouTubeで予告だけは見るからどんなのかは知ってる。
ポケモンみたいに山ほどカードやら人形、ガジェットを持ち歩いてて、
「行け!ゴモラ!」「頼むぞ!タロウ兄さん!」みたいなのでしょ?
そこにはまったく愛を感じないね。カプセル怪獣じゃないんだから。
だよね。ライダーも同じだよね。
その後は買収先とバンダイナムコが主導で作ってる
今週も何もなかったがとりあえず今を生きている。
趣味に時間をつぎ込み、精神的に追い込まれたので誰も得しない自分語りでもしよう。
12歳で人間不信になった自分は、ただ家にいることと学校に行かなければならない苦痛の日常であった。
だが、そんな自分でもその時期に人間関係以外で救いになったものがある。それは「特撮」という存在だった。
それは8月の夏休み、東北地方の田舎でいつも通り帰省していた時であった。
自宅にいる時のように家庭用ゲームがある訳ではないので、携帯ゲーム機は外出時の出需品だった。
好きなようにやれるが、両親がいるので止めるように言われるのが嫌でセーブしている。
そして、暇でテレビを見ようにも関東ローカルの再放送番組が多いので結局籠っていることに変わりない。
日曜日の朝はニュース番組だったりとつまらなかったので、その時はテレビ朝日系列のチャンネルを回していた。
そこで最初に衝撃を受けたのは、8時に放送されていた「仮面ライダー電王」だった。
ただ普通になんとなく見てはいたが、自分は「今まで見ていた仮面ライダーとは何かが違う」と感じた。
当時放送されていた電王という作品はこれまでの平成ライダーにはなかった「コメディタッチ」の部分が多かったからだ。
ヒーロー作品は生まれて間もない頃から見ていて「テレビマガジン」や「てれびくん」を定期購読していた程だった。
子供ながらにハマっていたのは「激走戦隊カーレンジャー」という作品だった。
この作品も電王同様にコメディシーンがいくつもあり、借りてきたレンタルVHSを最後まで見終わってはもう一度最初から再生するので、父親がビデオデッキ内蔵のブラウン管テレビを半分壊したレベルだった。
2000年代に入り平成仮面ライダーシリーズが放送されたのだが、当時の内容としては人間ドラマを重視していたのと同時に一般人を殺害する描写が生々しかったからである。
アギトの頃から始まった夏の映画では、そのような部分が規制もなく突然始まるので特に龍騎やファイズの序盤のシーンは衝撃的だった。
テレビの本放送はライダーだけは知っていて、ストーリー自体はあまり覚えていなかった。
その為、2006年に放送された「仮面ライダー響鬼」はこれまでのライダーの風潮を一新とした作品であったため子供ながら理解しがたいものであった。
そこから2年程完全にヒーロー番組とは卒業し、当時流行っていたポケモンなどに時間を費やしていた。
その後久々に見ていた電王は自分が想像していたものとはかけ離れていた。
「ライダーなのにあんなに飛んだり跳ねたり、仰天するものなのか」と思った。
そして、帰ってきてからも戦隊までは見ていなかったが電王だけは最終回まで見ていた。
当時の自分はお正月のお年玉を貰うと電王関連のグッズにつぎ込み、「さらば電王」までのものは何でも買ってしまっていた。
しかし、翌年のキバで電王ロスが始まり、1話から最終話まで見ていたが微妙な反応であった。
それが「仮面ライダーディケイド」であった。
ディケイドは平成ライダー10周年作品として制作され、最新の映像技術で再び歴代のライダーが登場するというお祭り番組であった。
平成ライダーはあくまで全体的な内容でしか記憶していなかったので、昭和ライダーまでの作品は把握しきれてない。
だが、当時のライダーが再び現代で蘇るというこの企画には正直嬉しかった。
この頃から戦隊シリーズも再び見始め、夏と翌年に始まった冬の劇場版も見るようになった。
幸いにも部活以外の友人で話の話題として使えたのがこの特撮ヒーローの話だった。
その友人も当時はダブルにハマっていてハットやジャケットを着ていたことを覚えている。
そこからは、東映作品だけではなく円谷や東宝作品なども少しずつではあるが廉価販売していない作品だけレンタルしていき、サントラや円盤も買って個々の作品の世界観などを知ってきたつもりである。
それは今も変わらず同じではある。
少し愚痴をこぼすと、今の特撮ヒーロー作品が、段々歴代の登場人物が当たり前のように登場する演出をよく目にするようになったと思う。
それは近年始まったことではなく、昭和作品である設定の理由から、何度か出てくる客演シーンが存在していたことには変わりない。
それが現代になると、これまでの歴代のヒーローが大勢で登場するようになり、演出も以前よりも派手になったというだけの事であると感じている。
もう一点は仮面ライダーがばら撒いた伏線を回収しきれていないまま物語が進んでいることである。
昔であれば謎とされていた部分を本編内で解決することがあったのだが、後日談、物語の補完としてVシネマ作品やノベライズ展開などで別の主役にスポットを当てるスタイルが増えてきた。
これはファンにとっては悪いことではないが、本来あったはずの個々のキャラクターの設定が生かされずに抹消されてしまっている部分があったりすると感じている。
そして、話の進展が細かく丁寧に描かれている時と何も起こらないまま進んでしまっている時があるなと時々思っている。
これはあくまで視聴者としての意見であり、アンチなどを助長している訳ではない。
しかし、以前のように殺人を彷彿とさせるものやクウガや響鬼、電王などのそれぞれの違った見せ方というのが減ってきているような気がしている。
これからも死ぬまではライダー問わず特撮作品を見届けようと思うが、子供番組と同時に今まで見てきたものとは違う新しいギャップは生まれるのかどうか期待している。
劇団は公演経験を積むことはできるけど、演技の訓練にはならないと思う(併設の養成所に入る、とかでなければ)。
音楽や漫画はやりながら腕を磨いて行くってことができるんだけど、劇団の場合、(1)一人だけでは成果が出せないので逆に自分の「伸び」がわかりづらい、(2)優秀な演出家や劇作家が優秀な演技コーチであるとは限らない、(3)その劇団・演出家特有の方法論が学べたとしても別の演技法の訓練を受ける機会があるとは限らない、ってあたりがなあ。まあ探せばトレーニングをやっているところがあるし、どこかの劇団に軸を置きつつあちこちオーディション受けて客演することもできるから、積極的に動いていけばいいんだけど、「劇団員」を頑張れば芸が鍛えられて行くって期待しちゃうとまずいだろうと。いやもちろん劇団にも色々あるんで、ある劇団の方法論が自分の求めているものにぴったりだからそこに集中するって道もあっていいんだけど。
ライブ映像が好きで、好きなミュージシャンのライブ映像をよく漁っているんだけど、彼らが若いころの(若いってほどでもないかもしれないけど)映像を見ていると、表情や全身から大量の熱を振りまいていて、そのエネルギーを見ていると泣けてくる。あるいは、今となっては見せない一生懸命感とかね。
そんなわけで、おれが涙した映像を紹介させてほしい。
それぞれのファンにとっては既知のものばかりだろうが、その辺はご容赦願いたい。
https://www.youtube.com/watch?v=3od114a4o7Y
1982 のライブ映像らしい。彼は 1949 生まれらしいので、33 かそこら。年をとっても自信たっぷりで確信にみちた表情は変わらなかった彼だが、晩年はやはり体も縮んで声が出てないところも多かった。このライブ映像では声はもちろん、表情からも体からも、あらゆるところから熱を発しており、その輝きはおれの涙腺を強烈にキックするわけです。残念なことに彼は 2011 に他界。
彼を知らない人はまずは 49:40- の Alien を聴いてみてほしい。ついでに言うとこの映像に含まれない名曲もたくさんあるので興味あれば掘り下げていただければ。
https://www.youtube.com/watch?v=9ZNVhiOY_ug
ギターを手にする人にとってはスライドギターの人として、映画好きの人にとってはヴィム・ヴェンダースの劇版の作家として、もっとも一般的にはブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブの仕掛け人として知られる Ry Cooder。この映像は日本の BS で流れたモノらしく 1987(日本語字幕では88と表記されてるけど。。) のライブ映像とのことで、このとき彼は 40 かそこら。
ゴスペル/テックメックス/カリビアン といった要素のミックスなんだけど、それぞれのプレイヤーがズブズブに土着音楽をやってる感が強い。それを一つにしているのは Ry Cooder の才能という他なく。。それぞれのプレイヤーがそれぞれのバックボーンから全力で音を発しているにもかかわらず、たった一点に収束するその集中力と音楽への愛情はおれの胸を深く打つのです。
https://www.youtube.com/watch?v=EkM3Wiy7j5Q
ジャズを聴かない人にとっては「誰?」って感じかもしれませんが、長年にわたって最重要プレイヤーの一人。ジャズ界隈で活動してるんだけど、彼もまたアメリカンルーツミュージックの求道者。(ただ、多作で時期によってやってることが全然違うため一言で説明しずらい人でもある。)
この映像は彼が 42 ぐらいの時のものでボブ・ディランのカバー。カバーを良くやる人で、いずれもオリジナルのもっとも重要なエレメントをきっちり握っている。
また、彼は客演で非常に良い仕事をする人。驚くほどあちこちに顔を出しており、どこに行っても自分の世界全開にもかかわらず、それがその曲の重要な要素を際立たせるという触媒のような人です。
映像の演奏は奇をてらわないアレンジで、美しいコードの上で朴訥としたメロがフォーキーさを増しており、それはやさしくおれの心に触れるのです。
結構大変そうなアレンジを楽器にかじりつくように弾いていて、弾き終わった後に見せる表情は今となってはあまり見られないものではないかと。
https://www.youtube.com/watch?v=lYbrrbbnXnA
現在では WAR と LOW RIDER BAND の 2つに分裂してしまった WAR の 76 年(だそうだ) gypsy man のライブ映像。キンキンに集中したライブ演奏は 70年代の WAR の特筆すべき点の一つだと思う。なかでもこの映像の BB ディッカーソン のガッツあふれるベースは何度聴いてもおれの胸の奥に熱いものをあふれさせてくれるのです。
個人的には、ディッカーソンはソウル/ファンクにおいて最重要ベーシストの一人だと思うんだけど、あまり注目されない(おれが知らないだけで、ベーマガなんかで特集されてるのかもしれないけど)のでぜひ。
WAR は主要メンバーの何人かはすでに他界しているが、ディッカーソンは LOW RIDER BAND で健在なもよう。
https://www.youtube.com/watch?v=wln_zQsynNY
spilit が凄いのでこちらもぜひ。ダルな前半からサックスソロをきっかけとして風景が変わっていくこの流れは WAR にしかできないと確信できる。
https://www.youtube.com/watch?v=zSnbV1FrIhA
最近ではベースはTMスティーブンスに弾かせて、自分は歌ったり叫んだり、ライブハウスの壁を登ったりしている Bootsy ですが、ただただ全力で音楽をやっていたころがあったようで。
I'd Rather be with you は今でもライブのハイライトなわけですが、若いころは熱の入り方が全然違う。映像は 1976 年とのことで、51年生まれの彼は 25歳?ですね。。そら熱も入るわ。wiki 見ると、75 年ぐらいまで P-funk 界隈とかかわっていたようで、映像は初リーダーアルバムが出た年。
funk 独特の時間をかけてじわじわ熱を込めていく前半のあの感じから、キックとコーラスがモゴモゴと盛り上げていく中盤、そしてついに歪んだベースソロに入って行く流れ、もう涙腺崩壊するしかないという。