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29歳男 170cm 54kg
大丈夫すかね。この冬乗り切れますかね。
横だけど。
こう問われると「存在する」と言う人はいるだろう。
しかし、実際には、それが本当に「自殺だからこそ」なのかは解釈の問題かもしれない。
死を止めようとする人は、自殺だろうと他殺だろうと、事故病気だろうといる。
それが防げたのではないかと後悔する人もいるし、迷惑だろうと思う人もいる。
ただ、向ける矛先は人それぞれだろうし、納得できる人、納得せざるを得ない人もいるだろう。
殺人を犯した人を非難したり、交通事故を起こした人を非難したり。
病気を何とかできるなら何とかしたい人は多いだろう。
バイクを走らせないように説得できないから、乗ろうとする人を説得する人。
人が口を出すのは、死の可能性を感じ、同時に何とかできる可能性を感じているから。
人を殺そうとしている人がいたら止めようとする。時には自身の危険を顧みず行う人もいる。
原因に直接手を出せるなら手を出そうとする。しかし、原因に関わる人に口を出せるならその人に出す。
それが最善でなくても、今出来ることを行おうとする。
自殺もそう。
目の前であれば、止められるかもしれないと、可能性を感じるだろう。
病気相手では説得できないが、人相手では説得できる可能性を感じるだろう。
ただ、自殺の場合は、働きかける相手が自殺者本人だというだけ。
殺そうとしている人に殺すな、医者に治してくれ、ドライバーに飛ばすなと言うように、
ただ、自殺者の「自殺する」と言う意思表示に、もっとも簡単に出来る事が「自殺するな」と意思表示することになってしまうだけ。
「7+8は15じゃないかも」というのは、「ペアノの公理は間違ってるかも」というのと等しいでしょ。
今思いついたけど、人間原理的なものを持ち出すのがいいかもしれない。
「7+8が15になったり14になったりする世界はどこかにあるけど、そういう世界では人間の身体は突然崩れたり、別人になってしまったりして、今こうして生きている世界は成り立たないだろう。今自分たちが生きているということは、7+8は14になったりはしない世界ということだ」
今までいくつかwebサービスを作ってきたが、さっぱり儲からない。
でも、なんとなく儲からない理由が分かった気がした。
作ったサイトは、管理が楽そうだからとか、作れるから、という理由で作った。
でも、作ったサイトは流行らなかった。だって、マーケティングしてないもん。
他人からみて、必要とか、欲しいとか、お金払ってでも使いたいモノは何かを考えてなかった。
作れば、自然と流行ったりなんかして、広告をつければ、じわじわとお金が入ってくるものだとばかりおもってた。
お金を稼ぐのが目標なのに、稼ぐための手段というか、目標までの道のりを全然考えてなかった。
webサイトを作れば何とかなると思ってた。
で、今、お金を稼ぐために、稼ぐ仕組みを考えているけど、思いつかない。難しい。今まで考えたことないからだろうか。
困っている人が使いたいサービスって何だろう。
好循環を生む仕組みも必要。好循環を生む仕組みって絶妙なバランスで成り立つんじゃないだろうか。僕にはそのバランス感覚がない気がする。いや、作ろうともしていなかった。
難しい、これを運によって手に入れる人もいるんだろうが、自ら作り出す人もいるんだろうなぁ。
どうやればなれるんだろう。良い本などあるのだろうか。
僕の会社でパソコン持ってる人って10人に1人ぐらいしかいない
そもそも普通の人はネットといえばケータイだし、ケータイといえばガラケー
モバゲーやGREEは知ってても、Twitterどころかmixiすらほとんど知らない
君たち情強は一体どこにいるの?
※謙遜ではなく本当につまらないです。「くだらなくて逆に笑える」という類でもないです。
8世紀末、ノーサンブリア王国に暮らす少年が主人公。ある日父親・妹と一緒にリンディスファーン島に出かけるとヴァイキングの襲撃に遭う。主人公はからくも逃げ延びるが、父は殺され、妹は連れ去られた。
父を亡くした主人公は叔父のたくらみによって(この時点で主人公はそのことを知らない)奴隷として近東に売り飛ばされてしまう。
10年後、逆境の中でたくましく成長した主人公は、アッバース朝カリフのハールーン・アッラシードに気に入られ、奴隷の身分から解放される。彼は復讐のため、故郷のノーサンブリアに戻った。叔父は父の遺産を手に入れ、母は叔父の妻になっていた。叔父は主人公を歓迎するが、ひそかに亡き者にしようとする。母の助言で主人公は逃げ出す。
主人公は魔女の元を訪れ、復讐のための力を与えて欲しいと願う。魔女は交換条件として、復讐が終わった後は戻ってきて自分の夫になるようにと言う。他の女に心を移した場合は恐ろしい呪いが降りかかるとも。
魔女に力をもらった主人公は北に向かい、故郷に帰る途中のヴァイキングの首領と知り合う。初めは父の敵の仲間、と思っていた主人公だが、彼の人柄に次第に感銘を受けていく。
首領の村にたどりつき、歓待される主人公。そこで出会ったのは成長した妹。つまり首領は父の仇だった。妹は何も語らず、周囲の人々も「あの子は喋れないから」と言う。しかし一人でいる時に妹がやってきて「逃げて」と言う。「一緒に国に帰ろう」という主人公だが妹はそれを拒む。
いろいろあって、父の仇を討つチャンスがやってきた。しかし主人公の前に立ちはだかり、首領を守ったのは妹。絶望した主人公は「私が愛したのはお前だけだというのに。お前を心の支えに今まで生きてきたのに」と叫ぶ。
主人公は魔女の呪いによって「死ねない体」になり、終わりのない旅を続けることになった。
誰が読むんだこんな話。
たぶん、793年のリンディスファーン島略奪、ヴァイキング、中世アラビアといった自分の好きな要素をつめこみ、「捜索者」の影響を受けつつ神話の英雄の悲劇みたいなものを書こうとしてたんだろうなぁと、当時の自分を振り返ってみる。
なんてふうにはならず、普通に地方国立の文系学部に通ってます。
当時のように可憐ではなく、幼児体型140cm前半という超がつくロリっ娘ではありますが、可愛さは残念ながら普通で。
今日、こんな懐かしい思い出が甦ったので、今度再会したときはペアノの公理を持ち出して7+8=15の証明をしてあげようと思います。
ウソです。
今年で22になるはずなんで、一緒に酒でも飲み交わします。
この手のサービスをまず使うユーザーってのは日本では言い方悪いけど基本的にオタクであることが多い。もちろんユーザー数も。
そのオタクは(私も含めてだけど)あまりリアルでの(というよりオタク趣味以外での)人間関係に知られるのを恐れる。
そんな状況で利用規約で実名使用が謳われているFacebookを使ったらどうなるだろう?
会社の人なんかに知られたくないよねぇ
親兄弟にもあまり知られたくないよねぇ
オタクばかりがユーザーじゃないでしょ?twitterなんか特に。
とか言うかもしれないけど、これまた言い方悪いけど、オタク、技術系集団、以外でtwitter使うような人ってのは
ガラケー系サービスなんかをメインに使ってる人で、その手合いの人がFacebookのようなごちゃごちゃしてる高機能ツールを
使いこなせるとはとても思い難い。
何を言いたいかというと最近やたらFacebookを持ち上げようとしてる奴らからは金の臭いしかしないってことだ!(結局これ言いたかっただけ)
直接金銭の授受があるとかじゃなくてね。
自分の金儲けの道具にしようって臭いがキツすぎるように感じるわけですよ。
言葉のキャッチボールが、いちいち答え合わせ(正解がある)ような感覚に陥ってしまうと辛いよね。
でも仲良くなりたいんだよなー。
相手も同じ気持ちでいてくれたらいいのにね。
返信にいちいち悩む。
バカみたいな気軽な言葉が出ても。
それが正解なのか、受け入れられているのか分らなくなった。
相手との距離が分らなくなった。
相手が良く見えなくてキャッチボールの玉をどう投げれば良いか分らない。
そんな感じ。
7+8が14かもしれないということは、16かもしれないし、任意の自然数nかもしれない。下手すると一般の複素数zかもしれないよなあ。
7+8が15になる確率が1でない世界を考えて、無矛盾な系を構成できるんだろうか…。
ま、リンゴとか例えを出した段階で数学じゃなくて物理学の領域になるから、死ぬほど実験してどうも間違ってないっぽいと言うしかできない気がする。
量子効果とか非可測的な何かによって数が変わったりすることはあるかもしれないけど、まぁ一生数え続けるくらいの試行回数じゃそういうことは見られないという感じ。
純粋に数学だと思うと、無矛盾性をもって「15だと思って良い」くらいしか言えないと思うけど、ゲーデルの不完全性定理があるから無矛盾性は証明できないだろう。
というわけで、飽きるまで数えさせ続けるくらいしか無いんじゃなかろうか。
いやね、宇宙の法則は不変か?みたいなことを大きなお友達がいうもんだからさ、
従姉妹が聞いてきたのは
7+8=15
の問題だったんだ。
7個のリンゴと8個のリンゴを足しても15にならないかもしれないって問いかけてきたんだ。
8個のリンゴと7個のリンゴを足して15になるかどうかを聞いてきたわけじゃない。
ところで、8個のリンゴと7個のリンゴを足すのと、7個のリンゴと8個のリンゴを足すのは本質的に同じ問題なんだろうか?
8個のリンゴと7個のリンゴを足したら15になるかもしれない。
でも、いつだってそうなのだろうか?
たとえば、リンゴじゃなくて栗だとしても同じなんだろうか?
8個のクリと7匹のリスについて考えよう。
クリとリス?
えっとだな、クリトリスというのはだな。
はぁはぁ