はてなキーワード: 仮面夫婦とは
ちなみに自分は29歳の彼女なし=年齢。恋愛ゲーはセガサターンのサクラ大戦だけ。
そんな自分が上手く結論を出せたのか不安なので増田民にも相談したい。
その旦那は、30代後半で出来ちゃった婚をして、そのままマンションを購入。
マンションのローンに四苦八苦しながらも子供も生まれて順風満帆に歩んでいたところ
旦那さんは大変悲しんだそうだが(見てる側が辛いとのこと)
すぐに嫁さんには不倫の事は言わずに、不倫に気づかないふりをする仮面夫婦をしているそうだ。
・仮に離婚となり、別居したとしても二人で生活するにはマンションがでかすぎる。
ここまで聞いて、子供と経済的な理由で仮面夫婦を演じているのは
多少納得は言ったのだが、そのあとの嫁さんの話を聞いて判断が変わった。
嫁さんは金遣いがかなり荒い。またそれをコソコソやってる気概がある。
ローンで四苦八苦して、預金残高が2,3万しかないというときに
その他にも余罪が数十件くらいある。
旦那さんはローンを払うお金が工面できなくなった事を、両親に相談して
援助して貰っているのを知りながら、金を散財するのだ。
理由としては、このまま結婚生活を継続することができないからだ。
・嫁さんの散財っぷりを見るからに、このままいくとマンションのローンは払えない
・嫁さんを更生するのが一番だが、不倫+金使いの性根を治すのはたぶん無理(治る確率が低くリスキー)
・仮面夫婦を演じられるとは思えないし、何より旦那さんが幸せになれない。
増田民的にはどうだろうか。
後は余談なのだが
この話を仕事仲間男性3人に話して、自分の考えは妥当かを聞いた。
あなただったらどう結論出す?と話したところ3人が返した答えは
「旦那さんの心を癒す」だった。
その後どうするかを聞きたいと伝えところ、帰ってきた返事が
っという答えが返ってきた。はじめは伝え方が悪かったのかと思ったのだが
その後も変な答えが返ってきたので「あぁ、この人たちはこの話に関わりたくないんだ」と思って
ここで聞きたいのはこの男性3人がこの話を避けたのは
自分は困ってる人の話があれば、一応話を聞いたうえで
自分なりの答えを出して伝えるようにしているが
普通は答えないもんなんだろうか。
友達が少なすぎてわかりません。
以上。長く書きましたが自分が聞きたいのは
です。
あなたは勘違いしているかもしれないけど、元増田の私は、「結婚したら配偶者の家のために尽くせ。配偶者の親のため献身しろ」などという主張をしていない。
結婚はあくまで両性が個人間で契約を結べばよく、それは必ず夫婦別姓でやれと主張している。
一方、改姓は「他家に入ってその家の人間になる」ということだ。だから結婚では改姓をすることを認めず、やりたい人だけが結婚+養子縁組してやればよい。
以下、こまごまと補足。
遺言で財産を譲れるって話なら、「うちの娘は他家に嫁いでしまって、よその家の人間になってしまったが、それでも可愛い我が子には違いない」「わが娘は嫁いでからも実家との付き合いが深かったなあ」と考えている人が遺言状を書けばいいだろう。
そもそも普通の養子縁組は、元の親子関係が消失するものではない。相続権は残るから、我が子が養子に出てしまっても遺言状は不要。
そもそも、一人っ子が多い昨今、一人っ子同士が結婚することだってあるし、相手の家への献身を誓ったら、誰が自分の親の面倒をみるんだ?
相続権が残るのと同じで、他家の養子になっても実父母への扶養義務は残る。だから通常その心配はない。
それで、もし「自分の親だけを大切にしたい」と考えているなら、結婚後にも夫婦別姓で我慢するべきだろう。逆に「自分の親だけじゃなくて、配偶者の親も大切にしたい」と思う人たちは養子縁組してほしい。
後者にかぎって夫婦同姓を認める。すなわち明治以降の家制度の価値観(=嫁にいったらその家のために尽くす。夫の両親に尽くすetc)を重んじる人にのみ夫婦同姓を許可するべきなのだ。
それを言うなら、「結婚」も「養子縁組」も最初から法制度の話だよ。
尽くすかどうかは主観的な問題だから、訴訟がないかぎり法律はそこに立ち入らない。年に数回しか会わない仮面夫婦でも、男女双方が納得しているなら法律はそれを夫婦と認めている。
実態がどうであれ制度上は、「結婚」は夫婦がおたがいに尽くし合う関係だし、「養子縁組」は義理の親子が尽くし合う関係ということになる。
なので法律では後者にのみ改姓を認めればよい。夫婦同姓になりたい人は配偶者の親と協議して、結婚前か結婚後に養子縁組の手続きをしてくださいねってわけだ。
追記
私は家制度の価値観を尊重しているから、それを守りたい人にのみ夫婦同姓を認め、逆にそれを守るつもりがない人は夫婦別姓でいるべきだと思う。
ただ、この案がまずいところは、配偶者の両親が死去している場合、その家の養子になれないから、夫婦同姓になれないということである。
これを解決するためには死後にも遺言次第で養子をとることを認めるとか、両親が死んだ男は妻を「義妹」「義従妹」としてその家の一族として迎え入れることができるとか、そういう形の縁組ができるような法改正が必要となるだろう。
よく「なんで子供作らないの?夫婦仲悪いの?」と言われるが、子供がいないと夫婦仲悪いと思われるんだろうか。
妻は根っからの子供嫌い、というか自分嫌いで「自分の遺伝子などこの世に残したくない。世の中の子持ちの人たちはどれだけ自分が大好きなんだろう。理解できない。」と言い放つ。
妻は絶対に妊娠したくないといい、一度ゴムが破けて以来ピルを常用するほどになった。(その時はアフターピルを飲んで、無事だった。多分失敗していたらおろしていただろう。)
その意見には自分もだいたい同意する。自分の遺伝子などこの世に残さないほうが世の中のためだ。
自分たちに子供ができたとしても、遊べないストレスで子供を殴っているイメージしかわかない。
ただ、世間的には
妻の年収400万、夫の年収600万でお金に余裕があり妻の会社は産休育休完備
ということもあり、なぜ産まないのかとせめられる。まさにお前らが少子化の元凶なのだと言わんとばかりに怒られらる。特に職場の人たちに。
怒られるだけならハイハイ、と流していればいいのだが、あらぬ夫婦仲が壊滅しているとか仮面夫婦だとかそんな噂が立てられるのは納得がいかない。
妻とは趣味や価値観も合うので一緒にいて楽しいし、金銭的に余裕があることもあり美味しい食事をしたり、旅行に出たりと、楽しく過ごしている。
なんの予定もない日も家でのんびりしても楽しく過ごせる。
少なくとも職場にいる、子供はいるけれど不倫している同僚や妊娠して身重になった奥さんを横目に風俗に通っている同僚よりは、
よっぽど妻を大事にしていると思っている。
自分は不倫も風俗も行かない。(一度だけ誘われて風俗に行ったが妻はトラウマになった。そのボロボロ具合がこちらもトラウマになり、もう行く気がなくなった。)
キャバクラとスナックは付き合いで行くが、妻はそれを容認しているし怒られたこともない。
妻も妻で職場のおじさんに食事をおごってもらったりとしているようだが、まぁなんとも思わない。
実際に休日にスーパーや出掛け先で妻と二人でいる所を目撃された人には、 仲睦まじいねと言われるので良いが、
その次に出てくるのは「あんなに仲睦まじいのになんで子供いないの?」というような疑問である。
そこまでストレートに言っていなくてもそれに類した発言をされる。
子供がいても不幸な家庭はあるし、子供がいなくても幸せな家庭もあると思うのだが、なぜ世の中はそれを認めてくれないのだろう。
「子はかすがい」だとか言うけれど、子供しか夫婦をつなぎとめることができないのか?
http://gendai.net/articles/view/news/145975
口を封じられないか――と、首相周辺が困り果てている。安倍首相(59)の昭恵夫人(51)が、公然と政権批判を始めているからだ。これまでも「私は家庭内野党」と公言していたが、どんどんヒートアップしているのだ。
12日に行われた北海道新聞主催の講演会では、安倍首相の原発政策を、こう批判している。
〈自分の国の事故が収束していないのに、海外に売り込むことに対し、私は『どうなんだろうな』と思っている〉〈主人にも『いま、売り込むべきではない』と言っているが、聞いてもらえない〉
さらに、消費税率アップについても、自分が始めた小料理屋の経営の厳しさを挙げて、
〈主人には『小さいところは大変なので消費税は上げないで下さい』と毎晩言っていた〉
先月末には衆院議員会館で開かれたフォーラムに参加し、被災地に建設予定の巨大防潮堤について、〈本当に造っていいのか、本当に美しい日本の復興なのか、考え直して欲しい〉と正面から否定しているのだ。しかも、近くの居酒屋で行われたフォーラムの打ち上げでは、ボロボロと涙を流して挨拶したという。
これまで官邸は、昭恵夫人の奔放な言動を「政権にとってマイナスじゃない」と放置してきた。
「首相のブレーキ役と国民には映り、むしろ安心感を与える」「女房の自由勝手を許す寛大な夫に見える」と、なかば歓迎していた。昭恵夫人が暴走しないようにと女性キャリア官僚2人をお目付け役としてつけている。ところが、さすがに、ここにきて頭を抱えはじめているらしい。
「ただでさえ小泉元首相から“総理が決断すれば原発ゼロはできる”と名指しで批判され、安倍首相は困惑しています。アッキーの発言と結びついて“脱原発”が盛り上がり、首相が批判のターゲットになったらたまらない。心配なのは、どこまでアッキーをコントロールできるかです。もともと、2人は仮面夫婦とみられている。女性記者との女子会でアッキーは、〈夫には『私の存在が邪魔でしたら、どうぞ病院に入れて下さい』と言っているの〉と漏らしています。要するに、邪魔だったら、いつでも離婚しますよ、ということ。イザとなったら、夫が困ることを気にせず突っ走る恐れがある。女性官僚2人のコントロールが利かなくなったときが怖い」(官邸事情通)
2人は互いに信用し合える相手と信頼し合いながら、生活をおくるのであった。
三年後、悲劇は起こる。男が浮気をしたのだ。女は裏切られたといい、男は男の性だという。
結局男のもう二度としないという言葉と、周りの説得で、女は押し切られるように泣く泣く男を許した。
その後の生活は、表面上は何事もなかったように前と同じ仲の良い生活に戻ったようみ見えた。
だが、実際は冷えきっていた。仮面夫婦だった。
そんな状態が暫く続くと、それに耐え切れず、男はまた過ちを犯した。
女は知っていたが、知らないふりを通した。そして小声でこう呟くのであった。
結婚とは相手を許すこと...
女の密かな楽しみは、男の朝食の味噌汁に唾を入れ、トイレ掃除に男の歯ブラシを使うこと。
男は最近口臭がキツくなった事を度々自虐ネタにし、その都度2人は笑った。
男は自分の歯ブラシがいつの間にか違う用途に使われていることを薄々感じていた。
自分の行動のうしろめたさ故か、男は女にそれを問いただすことをしなかっった。
なにか問いただすと、自分も問いただされるのではないか?という恐れもあった。
結婚とは相手を許すこと.... 男はそう頭のなかで唱えると、鏡に写る鼻毛を一本抜いた。
学生時代、一緒に切磋琢磨するサークルの友人、先輩後輩はいたが、自分は誰かにとっていなくてはならない存在ではないことに気がついた。
最後の飲み会でも、自分も参加はしていたし、酒を呑み交わして語らいあってもいたが、この場に自分はいなかったとしても同窓や後輩たちは少し心配するだけで、きっと同じように楽しめていたのだろうと、一歩引いて考えてしまった。
逆に自分がいないと盛り上がらないとか、自分がいないことで場が成り立たなくなってしまうほどの存在だったらと考えると、それも迷惑を掛けてしまうので、不要でよかったと思う。
社会人になって、学生時代から付き合っていた彼女と仕事の関係で遠距離になり、段々と付き合う意味が消えていき苦しんでいく彼女を見ているのに耐えられなくなって、仕事を捨てて彼女を取るというドラマのようなかっこいいことも出来ず、別れを切り出した。彼女は彼女を選ばなかったことに対する落胆か、遠距離の孤独に理解を示したことに対する安堵か、どちらが強かったかあるいは等しかったのかは分からないけれど、ごめんなさい、ありがとうと言って別れを受け入れた。
彼女にとってお互いに最も必要な存在にはなれなかったけれど、そうなってくれる別の相手を見つけてくれたら、悔しくはあるが、嬉しくもある。大事な存在には幸せになっていてほしい。自分が幸せにしてあげられなかった代わりに、そう願う。
更に月日は経って、別の相手と付き合うことになり、結婚して子供もできた。この新しい家族のために頑張ろうと思っていたが、ちょっとした不信からお互いを尊重して認め合いながら生活を共にするという環境が保てなくなり、子供の生活を考えて我慢することも考慮したが、笑顔の無い家庭に育つ子供も不幸であろうと思い、離婚に至った。(笑顔を作る仮面夫婦になるという選択肢もあったろうが、僕はそこまで器用でも心が強くもなかった。)
まだ子供も小さいので、もし早いうちに新しい父親が現れて、せめて母子ともに幸せになってくれれば、と思う。これについては、たかだか養育費を払っているだけの分際で父親の役目も果たさず何を偉そうに、と自分でも思っている。ただ、幸せを願っていることだけは言いたかった。
また独り身になり、上記のような経験や責任を抱えながらも、未だに心を許せ合えそうな人と友人になろうとしたり、告白をしてより近い存在になることを試みたりしている。しかしこの歳になると最も心を許せる相手となことは容易いことではなく(既にそのような友人が別にいることが殆ど)、告白も失敗する。そのような失敗の経験、あるいは必要とはされていないと気づく瞬間を経る度に、また必要な存在にはなれなかった、または必要とされる期間が終わった、と周りがすうっと一歩遠くなる感覚に襲われる。
これだけを聞くと必要な存在となるべく十分な努力ができなかった男の言い訳にしか聞こえないかもしれない。ただ、自分が必要ではないことが必ずしも悪いことではなく、例えば自分が離れたサークル・コミュニティで後輩たちがめいめい活躍して盛り上げていたり、自分の部署の部下がすっかり成長して自分が不在でもしっかり仕事を回しているのを見ると、少なくとも自分の働きで組織を壊してはいなかった、迷惑を掛けていなかったと、安心する。
かつて家族を作りかけることができたように、必要とされ合える存在をまたいずれ持つことができたらきっと安心するだろう。
ただ、もしもうそのような機会が得られなかったとしても、今まで接した家族、友人、先輩後輩、同僚や部下、全ての人たちが必要な存在と共にいられて、心の安息を得てくれることを願ってやまない。自分が幸せになれない分、皆が幸せになってくれなければ、自分はただ不幸なだけで救われない。
心の安息は得たいが、他人の幸せを願えなくなるような鈍感にはなりたくない。日々揺れながら生きている。今のところは、とりあえず、いなくてもいい存在である自分自身を、こうして自分なりに受け入れてやりたい。
どうか幸せでいてください。私は幸せではなくとも、あなたは幸せでいてください。
蛇足になることを恐れつつも。
批判や肯定や慰めのコメント、ありがとうございます。どなたかが言われていたように、現実世界で言われたらイラっとする系の吐露だったので増田に書きました。
基本的には前を向いて生きています。必要とされるよう努力をし、いろんな感情だったり困難な仕事だったりと付き合う/乗り越えるために友人/恋人を必要とし、自分なりには助け合って生きています。
友人とバカ話をして笑い合うこともあります。ただたまに、時節と心情の揺れの組み合わせが悪く、かつ自分の(きっと主に自分が傷つかないために)自省する性格も災いしてこの文章のような諦めの気持ちが強くなることがあります。苦しかったので、誰かに何かを言ってもらいたく、書いてしまいました。ですので、これだけコメントがあったことがとても嬉しく、どの種のコメントでも正直に気持ちを伝えてくださっているものはとても心に響きました。ありがとうございます。
もし同じように八方が塞がったような心情の人がいたら、自分にも同じ気持ちはあると、励ましてやりたいと思います。皆さんもぜひそうしてあげてください。
この日記が読めてよかった
あれに感動できない1人です。
感動する理由は理解はできる。それだけ家族関係がおかしくなっているのだと思う。
うちは家族関係がぶっ壊れていて、オモテ向きは家族を演じていて
ケンカもそんなにないし、まあ外から見ればよくやっている家族だった。
内情はお互いに実のある話はないし、なにかを共感する、お互いを理解するという努力が全くない家族だった。
そういうのがいやになり、家を出た。
その後友達や同僚に家族について聞いたり、話したりしたら、大体どこも同じ様なもんだった。
関係が薄っぺらなんだよね、それで別にそれを変だとは思わない。
それでも、それが普通らしい。というか大部分そんなもんみたいだ。
1人だけ、全然違う答えが返ってきた奴がいた。
そいつの家は厳しくて、一切の不正やウソが許されない家族らしい。
親父が絶対的で、厳格で、それなのに仲は良いらしい。両親の仲もめちゃくちゃ良いらしい。
その話は聞いていて羨ましかった。