はてなキーワード: マヤとは
音ゲーの楽しみ、煎じ詰めれば「タイミングよくボタンを押すと楽しい」に行き着くんじゃね?ガラスの仮面でも音楽の素養がないマヤがペンキ塗りのパントマイムで「音楽に合わせて体を動かしたら楽しいと思って」って言ってたやろが。
高難易度で高速ノーツをビタ押しするのはほとんどアスリートの領域っていうか、高難易度STGとか死にゲーの達成感みたいなのが楽しい。まあ高難易度音ゲーの音楽ってみんなピロピロしてて違いわかんないっつーか、音楽自体を聞いて楽しいかと言われると疑問は残る。
音ゲーは果たして音楽を楽しんでいると言えるのか、という疑問はわからないでもない。でもリズムに乗って楽しむのは音楽の楽しみ方の一つでしょう。個人的には音楽世界をイメージしたMVを見るのが好きなので初音ミク Project DIVAみたいな音ゲーがいっぱい出てほしい。シアトリズムとか
マヤ!木になりなさい!
つまりはそういうことなんだが、アクタージュ好きなんよ。私はね。
ちょっと前にチェンソーマンおよび藤本タツキ激推しお気持ち長文書いたんだけど、この増田に対してあのレベルの激推し文が書けるほどのバックボーンが私にはない。ただアクタージュってワードに反応して語りたく成った迷惑な早口キモオタだ。許せ。
漫画マニアなら、演劇漫画と言えば大御所も大御所、金字塔も金字塔のガラスの仮面が思いつくだろう。累も大好きだけど、あれは演劇が主体かと聞かれたら微妙なところだ。アクタージュの凄さ、面白さは、ガラスの仮面を下敷きにしながらきっちり少年漫画に落とし込む上手さ、現代性の取り入れ方だ。演劇なんてジャンプっぽくない題材で、どうやって少年漫画に落とし込むか?という方向性に疑問が行くだろう。しかし、違うのだ。元々のガラスの仮面、このガラスの仮面こそが、極めて少年漫画的で、かつ化け物じみた少女漫画なのだ。
ガラスの仮面において、しばしば主人公マヤの狂気性がクローズアップされる。どれだけ弱めても「狂気」だ。少女漫画はえてして、人間関係のドロドロを誇張含めて描きがちである。ガラスの仮面ファンも、アンチも、なんとなく読んだことがある人も、「こいつはヤバい」と思っただろう有名エピソードとして「泥まんじゅう」がある。ネタバレは出来るだけ避けるが、この狂気性はどうしても伝えたい。ガラスの仮面をこれから読む人でネタバレが気になる人はさよならだ。まあ流石に居ないだろ。
基本的には、マヤは「月影先生や速水の寵愛を受け、美味しいところを持っていく」役柄で、作中でもきちんと周りから指摘され、嫉妬される。なろう系のように「さすマヤ」状態にはならない。それこそ、ほぼ殺人未遂の石(本物)を舞台上で投げつけられたりする。まんじゅうを泥団子にすり替えられたりする。さすがのマヤも手が止まる。だが、「おらぁトキだ!」と、マヤが演じるトキになりきって、泥まんじゅうを満面の笑みで食ってしまうのだ。もはや「さすマヤ」である。あまりにも強烈過ぎる自己否定だ。彼女はマヤではなく、あの瞬間、間違いなくトキだったのだ。マヤは、自らがマヤであること、演技力がある人間であること、紫のバラの人に憧れを抱く人間であることなど、そんなアイデンティティにほとんど執着がないのだ。劇中で自分ではない何かに成った自分こそが彼女のアイデンティティなのだ。物語に没入していなければ「なんだこいつ」だし、没入してても「狂気」だ。「演劇をやりたい」という極めて明確な目標を元に、自分すらも捨て去る。演劇を主体として見ればとても少年漫画的であり、生き様としてみれば少女漫画のエッセンスがこれでもかと濃縮されている。不朽の名作だ。
さて、アクタージュの話だ。主人公の夜凪景は、いわゆる演目になりきる憑依型のアクターだ。まんまマヤである。さらにライバルキャラの百城千代子もほぼ亜弓である。そして主人公を演劇界に引っ張り上げた演出家には、いつかやりたい「幻の演目」……当然ながら「ガラスの仮面」への類似性への指摘されるし、あの名作と比較してどんな差別化をしてくれるのか、と比較される読み方をされていたと思う。ガラスの仮面を読んだことがない人も、ガラスの仮面ファンにも、ちゃんと面白いと思ってもらわなければ連載は続かない。
アクタージュは、必ず「この人はなぜこうなったか」「なぜそれができるか」「なぜそうするか」が描写される。つまり、描写される演技には必ず「アクター個人としての」アイデンティティが関わってくるように描かれている。ガラスの仮面のあまりにも強烈過ぎる自己否定など、微塵もない。この一点こそ、マヤと夜凪の、ガラスの仮面とアクタージュの決定的に違うところだ。ガラスの仮面ファンもニッコリ。
そしてもう一つ大きな違い、「個と組織」の違いだと考えている。ガラスの仮面は圧倒的に「個」だ。読めば分かるが、ガラスの仮面は組織が組織の強みを生かしたシーンが実は少ない。組織の良くない、ドロドロしたところの描写のほうが多いくらいだろう。マヤの理解者である、月影先生も劇団の主催ではあったものの、強烈な周りに理解されない天才、「個」だ。速水さんも明確な「個」である。強烈な個がぶつかり合う様でガラスの仮面は成り立っている。
アクタージュは、組織的なものがちゃんと組織として役割を担っている。それだけだと、ただ主人公とライバルが活躍するだけの漫画かと思ってしまうが、きちんと「組織」が役柄をもっているため、組織の存続に関する視点が本筋に関わっていく。商業的な視点も取り入れながら、きちんと少年漫画をやっている。実に現代的な視点であり、ガラスの仮面リバイバルとしても十分に面白い作品となっている。ガラスの仮面知らない人もニッコリ。
強烈過ぎる自己否定からくる演技への執着、それによって誰にでもなる、なってしまうガラスの「仮面」のマヤ、時には暴走するが、自らのバックボーンを捨てることなくリアルを演出する「アクター」ジュの夜凪。対比として美しいって書いてて思った。
どっちかのファンでもどっちも知らない人でも、片方読めば楽しめるし、両方読めば4倍楽しめる。1+1で2じゃないぞ、2の2乗で4倍だ4倍。読んでくれ、特にガラスの仮面。
マスラダ・カイ。オリガミ作家であった青年。ニンジャを殺すニンジャ。
1−3部の主人公フジキド・ケンジからニンジャスレイヤーの代替わりをしている。フジキドは存命。
アケチ・ニンジャ。かつてオダ・ニンジャをゲコクジョした際にオダと一つになろうとした結果、腕を4本もつに至った強大なリアルニンジャ。
カナダ。故郷を懐かしんだアケチ・ニンジャによって生態系を歪められネザーキョウと称されている。
野にはカラテグリズリーなどの黒帯を生じた凶悪なカラテビーストが徘徊し、人々の間ではインターネットが惰弱なものとして禁止されている。
かつての舞台であったネオサイタマはアケチ・ニンジャの放ったハマヤが着弾した直後であり状況は不明。
俺の事は気にするな、じゃなくて、そこは「そうか…でも俺はおまえが好きだから別れない、辛いけど、一緒にいて欲しい。心が俺にないのは分かっているけど」みたいにマヤって奥さんの罪悪感を刺激しながら一緒にいるのが一番だと思うけどな
『ハリー・ポッター』J.K.ローリング、「一件のツイート」が大きな非難を浴びた背景
これは、イギリスの研究員マヤ・フォーステーターが、ある裁判で敗訴したことに言及したツイート。マヤは不平等問題に取り組むシンクタンクで働いていたが、「生物学的性別は2つしかない」、「性別は生まれつきでなく性の自認で決まるという考えの“セルフID”を中心に性別変更を可能にすると、女性の権利が守られなくなる」と主張し、解雇された。これを受け、マヤは失職が不当として訴えていたが、18日に敗訴した。
マヤが発言によって職を失うことになったのは、彼女の表現がトランスジェンダー(※)を排除していると判断されたから。マヤは、トランスジェンダーの人々が差別を受けるべきではないという考えを示す一方で、自認による性別変更を可能にすると、これまで女性専用とされてきたホステル、刑務所、病院、更衣室などの場所が危険にさらされるかもしれないと主張。しかし、これがトランスジェンダーの排除を肯定しているとみなされ、判決では他者の尊厳と安全とを侵害する考えと判断され、解雇が決まった。
※心と体の性が一致しておらず、性転換をしたい・した人のこと
そんな「トランスジェンダーに嫌悪感を持っている」とされてきたマヤの立場を擁護したと取れるツイートで、J.K.ローリングがトランスジェンダー嫌悪に賛同していると大炎上。ツイッターでJ.K.ローリングの名前がトレンド入りするなど、大きな騒ぎとなった。
こういう、一切同情する価値のない、自業自得の人への攻撃に反対できるかどうかが「人権」に対するスタンスの分かれ目だと思う。
先に向こうが喧嘩を売ってきたのだから、暴言が飛び交うのも必然ではある。喧嘩を「買ってはいけない」とは言わない。あなたの怒りももっともではある。しかしそんな喧嘩をわざわざ買ってやる必要はないのだ。あなたの正義の立場をみすみす手放してやる必要はないのだ。最も強い武器を捨ててまで拳で殴りかかる必要はないのだ。
一度冷静になろう。正義の実現のために、何が必要なのか。何が不必要なのか。
太田啓子弁護士が献血の萌え絵ポスターを「環境型セクハラ」とした件
僕は是非を判断しかねているけど彼女へのリプライの中に批判とはいえない「性的な嫌がらせ」が少なくない。
例えば、彼女の写真を論って「ババア」や「(胸が)出っ張ってない」と書いたりしている 例証多数↓ pic.twitter.com/jmJaHWS8QS— 土佐のこの下駄とマヤの子の木 (@fek_ml) October 19, 2019
昔、2chだかBBSPINKの同人板だか801板で「801に初めて目覚めたきっかけ」を語るスレがあって
そこで「子供の頃特撮見ててヒーローが敵に倒されて傷だらけで荒い息してるのを見て目覚めた」とか
「古代文明の本のマヤの儀式の絵で生贄の男が生きたまま心臓取り出されて捧げられてるのを見て」とか
そういう、それ性欲というより加虐欲やんけ、ってのを挙げる人が結構いたのをふと思い出した
同じように戦隊ピンクが倒されて以下同文な幼き少年も山ほどいるであろうことを考えれば
男女とも変わらない、ってだけの話になるし、
そういう感情が異性に行きやすいのは同性だと自分と重ね合わせてしまって痛々しいけど異性なら他人事だから、ってのが大きいだけで
同性でも他人事認定出来るような自分とはかけ離れた属性の相手なら、痛めつけられて苦しんでるのを見て興奮してる人なんか山ほどいるだろうけど
同じようなシチュでも相手が同性なら性欲じゃないけど異性なら性欲なのか?と考えると性欲って何なんだろうとか考えだして
どうでもよくなったので止める
昨年はなんかゴールデンウィークぐらいに付け初めて使ってたように記憶してるんだけど
もう帰ってきて室内の温度が30℃超えてるとか!
もうガッデムだわ。
哀しい川を超えると書いて読む哀川超もこの暑さに耐えられないと思う。
おかげで涼しくなって快適よ。
ただ一つ苦情を言うとすれば、
つ買ってるエアコンのスイッチオンのタイマーが最大で12時間後しかできないってこと。
夜に帰ってきて涼しい!ってなりたいのに、
その間ロスってる感じも否めないわ。
まあ快適さを優先!そっちを取るけど。
うふふ。
鮭焼いたので鮭モーニングよ。
そんなにいいのじゃなくていいんだけど、
ちゃんと魚が焼けるヤツ!
この時季の白菜は葉っぱが特に外側固くてあんまり美味しくないのよね。
外側の葉をスライスして使うのよ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!