はてなキーワード: カントリーマアムとは
私は車で10分ほど走らなければコンビニもスーパーもないようなど田舎で生まれ育った。
以前は近所に数軒家もあったが、住んでいたご老人たちも皆亡くなり今はすっかり寂しくなった。
「何もないのがいいところ」と田舎を褒めたりする人もいるが、ずっと暮らしていると普通にしんどい。あれは嘘松。
お店はおろか人も歩いていない。増えるのはソーラーパネルと空き家ばかり。
そんな田舎に嫌気がさして20代後半で上京し、30代前半になった今でも何だかんだ楽しくやっている。
半年に一度くらいは帰省しているのだが、その度に親が小さく見えるのは気のせいだろうか。まるでカントリーマアム。
60代だしまだパートとして働いていて病気もなく元気ではあるが、どこか弱々しく見える時がある。
駅まで迎えにきてくれた親の車に乗りながら、いつか訪れるであろう免許返納のことをいつも見て見ぬふりをしてしまう。
電車もなくバスもとうの昔に廃線になったこの山奥のど田舎で、車が無くなってしまっては生きていけない。買い物にも病院にも行けない。
ワケあってもう1人の兄弟には頼れない。私がどうにかするしかないのだ。
でもこんなど田舎には戻りたくない。
地元の小学校はいつ閉校してもおかしくないくらい子供が減ったらしい。
私が通っていた頃はあんなに賑わっていた運動会も今はきっと規模が縮小されたものになっているに違いない。
子供会もどうなっているんだろう。カルタ大会はまだあるのかな。
楽しい思い出もたくさんあるし家族のことも大好きだ。感謝している。
生まれ育った県がたまにテレビで取り上げられたりネット記事で見かけるとやっぱり嬉しさはある。
幸いなことにパソコンさえあればどこでも出来る仕事だが、それでも「犠牲になりたくない」と思ってしまう自分が嫌だ。
自分でお金を貯めて転職先を見つけて移り住んだ都会での生活に不満はない(家賃は高いけど)
休みの日には近所を散歩したり友達と遊んだり楽しく過ごしている。まだまだいろんなお店を開拓できる。
あのど田舎ではそれができない。山の裾なので基本的に上りだし平らな道も少ない。歩いたら人ではなく熊や猪に会う。
似た状況の人はどうしているのか、将来的にどうする予定なのか知りたい。
こういう時こそ「老老介護」「ミニマリスト」「推し活」みたいなわかりやすい名称が欲しい。何かコミュニティが欲しい。
地元で結婚して近所に家を建てて孫を見せるのがやはり「正解」に近かったのだろうか。
そんなことをここに書く暇があるなら親孝行の一つでもしろよとか思いつつ、
今日も中央線に揺られてはすっかり過疎化してしまった地元から目を背けている。
賑やかな商店街の灯りが愛おしい。人もたくさんいる。
もうめんどくさいし、帰りは近所のほっともっとに寄ろう。
私の場合
・BMI18.5は何も言われないけど、18切ると医者から注意を受ける
・痩せてる女扱いは47kg台から
・48kg-52kgは何も言われない
・53kgあたりはガタイがいい判定
・58-60kgはデブ
⭐︎⭐︎痩せても頭のサイズは変わらないので小顔にはなれない⭐︎⭐︎
でした。
以下はダラダラ長文書いてるだけなのでお暇な方はどうぞ
「BMI◯◯以上はデブ!」など過剰にダイエットを煽る文句やそれに反発する声、様々な意見がネットだけでなく実社会においても飛び交う世の中において、個人の一例を示すことによって「この体重だとなんとなくこう見られる」の参考になればいいなと思った あと単なる記録用
●プロフィールについて
→10代〜20代において10kg以上の増減を過去3回繰り返してる女 身長160cm、最高60kg、最低45kg なお後述するけどダイエットの参考にはならないです
→はい。あくまで「運動大嫌いな筋肉皆無160cmの女」のサンプルとしてご覧ください
成長が早く小4ぐらいには今の身長になってた 帰宅後にポテチファミリーパックorカントリーマアム大袋をむさぼり夕ご飯も平らげるわんぱく小中学生時代
以下周囲の反応
→小学生のころ。男子に言われることが多かったけど女子にも言われた 本当に気持ち悪いし親御さんの教育どうなってますか? あと全身満遍なく脂肪がついていたので巨乳ってわけでもなかった
→中学生のころ。クラスメイトの一部が巨乳女子ランキングを作っており、◯◯さん(私)の名前が挙がったときにとある女子から出た発言 声がデカいので普通に聞こえた 後から知ったことだけどその女の子は自分の巨乳が自慢だったらしい
前述のポテチとカントリーマアムを辞めたら痩せた それでも思春期故に増減が激しかった
以下周囲の反応
→中3のころ。50kgぐらいだったと思う 同じ部活の女の子に言われた ちょうど痩せ始めた時期
→高1か2のころ。クラスメイトに言われた たぶん53kgぐらい
受験勉強のストレスで過食 それでも60kgは超えないように気をつけてた
以下周囲の反応
→高3のころ。たまたまBくんの隣に並んだ時にクラスメイトの男子に言われた Aさんの時はなんとも思わなかったけどBくんは男子なので、同じ肩幅って言われたのはちょっとショックだった 5kgの差ってこわい
→高3のころ。たまたま良い成績をとった時にクラスメイトの男子に言われた Bくんの話と違って単なるやっかみなので気にならなかった(でも書く)
→受験勉強が終わったので痩せた
以下周囲の反応
→50kg切ったあたりでよく言われるようになった
なおこの期間は体型について何か言われることがあんまりなくて、周囲の反応もこれしか思い出せなかった。 おそらくこのあたりが「普通の女子(筋肉皆無)」に見える体重なのだと思う
→資格試験と就活のストレスで太った。「ぜんぜん食べてないのに〜」とか言いつつ週3で深夜にラーメン食べてた
この頃になるとみんな大人なので、体型について言われることは無かった よって周囲の反応は無し
→ラーメンをやめる+野菜スープダイエットで体重を落とした。 一ヶ月ぐらい昼夜野菜スープのみという生活を送り、5kg落としたけど水様便ばっかり出てくるようになったので中止した その後もあんまり食欲が回復せず今に至る しぬほど疲れやすい身体になったのでオススメはしない
以下周囲の反応
→久しぶりに会った先輩に言われた。体重58kg時代に会ったきりだった 10kg痩せると別人だと思われるらしく、最初声をかけても不思議そうな顔をされた
→デブ時代を知らない人たちからの発言。三番目は47kgのころとある男性から、四番目は45kgのころ健康診断を受けた時に医者から言われた SNSをみるともっと痩せてる子がいっぱいいるけど、実際は160cm/47kgあたりからガリ判定なことに注意が必要です 骨格的に細い子は特に
太ったときより痩せたときのほうが圧倒的に見栄えがよくなるのは確かです!
長年自撮りを撮り溜めているのだけど、周囲から何も言われなかった時代(52kgぐらい)のころの写真すら今見ると顔まんまるなので…
でも私は運動せず痩せたので体力が全くなく、今ではちょっとお外にでただけでもへとへとになってしまうようになりました。
ダイエット効果が食事制限>>>運動なのはその通りなのだけど、運動をおろそかにしてはいけないと痛感しています
それではまた!
乱獲はカントリーマアムだったよな
https://x.com/chilime/status/1829523640901370328
午後11:16 · 2024年8月30日 141.4万 件の表示
俺はちっちゃくなったカントリーマアムも買ってるが?
男性は後悔していないとは言っていたが「自分の子供がいたら、と色んな場面で想像してしまう」と言っている時点でそれは後悔じゃないのかと思う。
理由としては大きく3つある。
私はアトピー、ワキガ、天パ持ちだ。完全に詰んでいる。顔は可愛くないし身長も並、運動神経も頭の良さだって平均くらい。こんな遺伝子を子供に継がせる方が可哀想だ。
自分のことは昔から好きじゃなかった。ようやく最近好きになれたが自分の特性を好きになれたわけではなく、自分自身が好きになれたというだけだ。自分のワキガは全く好きではない。
そんな遺伝子を継いだ子供を可愛いと思えるわけがない。20数年ずっと共にしてようやく好きになれたものを自分の股からひょいと生まれた別の生命を簡単に好きになれるわけがない。
物心ついた時から父親は別居と同居を繰り返し、学校行事は大抵母だけだった。
ことあるごとに母と父が喧嘩をしては母が苦しんでいるのを見るたびに、早く離婚をすればいいのに私たち子供がいるから出来ないんだと胸が苦しくなった。
母は子供がいなかったら、父と早くに離婚できていれば、もっと違ういい人生を送れていただろうと思う。母は本当に良い人なのでそういう想像をしてしまう。
そして自分が子育てをして幸せな家庭を築くという想像ができない。
三つ目は私ですら将来が不安な日本に、大事な子供を産むなんてさらさら出来ないからだ。
私が生まれた時は年収300万の人の手取りは290万だったそうだ。ところが今は253万。
50万弱が税金やら何やらで持っていかれ、物価は当時よりも何倍も高くなっている。
マクドナルドはどんどん高くなり、カントリーマアムはどんどん小さくなる。
今後経済が良くなる見通しもなく、私が今払っている年金も定年後受け取れるかわからない。
私でも将来が真っ暗で希望もないのにそんな世の中に新たに子供を産めない。可哀想だから。
子供を産む気がないと言うと「結婚したら価値観変わるって〜」や「産んでみたら本当に違うから!」や「老後はどうするの?」など言われるがそんなことを言われても持たない理由が多過ぎて一切産む気になれない。
結婚したところで私が10年以上考えていることなのでおそらく揺らがないだろう。産んでみたら、というもしもの話で産めるほど子育ては甘くない。老後の世話を期待して子供を産むというほど失礼なことはない。
そもそも大金をかけ、子供を育てたところで真っ当に育つと言う保証もなければ、自分の老後の世話をしてくれるという保証もない。
それならば、子育てにかかったであろう費用を自分の老後に回す方が確実だ。
確かに今後の自分の人生に子供がいないことで大きな楽しみはないかもしれない。しかし、子育てによるものの大きな心配を抱えなくていいというのも事実だ。
子供が無事五体満足で生まれてくるか、発達の遅れはないか、ちゃんと幼稚園で馴染めるか、学校で友達はできるか、いじめをするような子じゃないか、ちゃんと学校に通えるか、犯罪を犯さないか、定職に就けるのか…心配し出したらキリがない。そして、どこかでも踏み外せばそれは”親の責任”になる。
いつだか、俳優の高畑裕太が性犯罪を犯した時も母親が謝罪していたっけ。もうあの時彼は22歳だったのに。
自分が股から産み出したというだけの別生命の不祥事を、22歳になろうが尻拭いをしなければならない。それが親ってものらしい。