はてなキーワード: 返り討ちとは
SNS上での論争では丁寧に議論を積み重ねて結論を得るのは難しいので、局地戦を仕掛けて勝利を積み重ね、相手陣営が如何に非論理的で頭が悪く、自分たちがその割りを食った被害者かを第三者に主張することが有効と言える。具体的な方法としては、浮いた駒(用意に破綻する主張をしてしまう無能な敵陣営)を晒し上げてTogetter等にまとめればそれを見た大衆は「○○派って変な主張ばかりだし、馬鹿にしてもいい存在なんだな」と思ってくれる。まあ所謂セレクティブエネミーというやつである。
暇空氏以前の表自と規制派の戦いを振り返ると、これまでは表自側が優勢だったという印象は拭えない。これは表現規制派が問題とする萌え表現について問題ではなく受忍限度内であるとの判断をする人が若者を中心に多い[1]にも関わらず、表現規制を要求する際の根拠や基準を明確には示せない(少なくとも聴衆を納得させられる状況ではない※)こと。またこれまで性的な被害を受けてきた被害者であるがゆえの強い言葉での否定が晒し上げられてしまった際にパターナリズムや男性嫌悪に基づいて規制をしようとする人達という印象が先行してしまったのではないかと考える。実際に日経新聞の月曜日のたわわ広告や大阪駅の広告では規制派側の要求は通らず、広告事業者側も客ではない規制派のクレームは社内基準等を盾にあしらう、という対応が(少なくとも商業広告では)定着しつつあるように思える。またそもそも問題であると感じた萌え絵表現をアドホックに叩くという戦術は、中立であった少なくないその作品のファンが根こそぎ相手陣営につきかねない危険な方法だったように思える。
前置きが長くなったが、これらを踏まえた上で暇空氏は現在表自側の浮いた駒になりつつある。暇空氏が現在戦っている土俵は表現の自由ではなく仁籐氏の本業であるColaboのアウトリーチ活動であり、表現規制に反対する立場の人でも仁籐氏の本業の活動については肯定的な人も多い。暇空氏は生活保護ビジネス陰謀論と会計の杜撰さを武器に戦いを挑んだが、陰謀論は返り討ちにされ、会計だけではColaboを潰すには足りない。また会計の問題についても意図的な不正で大金をせしめていたというよりは単に杜撰だったという印象があり、仮に「東京都と相談の上、今後は適切な会計処理を心がけます、それはそれとして暇空氏の誹謗中傷は許せません」となった場合にどちらに理があるのかは明らかである。また暇空氏自身だけであれば良いものの暇空氏は過激なファンネルを抱えており、彼らが誹謗中傷を行ってまとめて浮いた駒として負けてしまうことは世間への印象として非常にリスクが高い。これに関連して、暇空氏と同じく表自側のインフルエンサーである青識氏はColaboへの誹謗中傷をやめるよう注意喚起をしている。これはColabo憎しで本業に影響を与えた輩がまとめて敗北する事を危惧していると考えられ、青識氏の行いはあまり好きではないがネット上での喧嘩のやり方については流石にプロであると感心した。
Colaboの本業を叩きに行く暇空氏の戦いはほとんどギャンブルであり、今後の展開によっては大敗する可能性がある。また表現の自由の枠組みの中で戦っていれば有利であった表自にとって戦線を拡大するギャンブルを犯す意味は薄い。暇空氏はすでに暴走しており止めようがないが、良識ある表自としては一度暇空氏とその過激なフォロワーに肩入れすることはせずに推移を見守るべきと考える。
※自分の意見としては規制の基準は必ずしも規制派が示す物ではなく関係者の合意によって双方で作り上げるものとの認識なので、規制派が皆が納得する基準を示せないからといって即座に主張が無効とはならないと考える。一方で規制派も表自に対して基準を検討するためのテーブルに着けとの方向性を示せず、自身らの暗黙的な基準を押し付けたのはパターナリズムとの批判は免れないのではないと考える。
[1] JR大阪駅「性的広告」に見る日本で炎上が続く真因 https://toyokeizai.net/articles/-/636895?display=b
例えば「多くのゲームは女性の露出が多い」「男性主体のゲームばかり」「ゲームばっかりしていると性犯罪者になる」などという意見があるとする
そういうのに対して「いや、こういう物もいっぱいありますよ」「そのデータは誤りです」と提示する人がわんさか出てくる
それはそれでまあわかる
ただ、その程度でなにか良いこと言った気になり、相手の主張全体を打破した気になっているのは良くない傾向だ
偏っていたり知識不足であることに対して正しいデータを提示することは基礎的なので全く問題ないにしても、それは大抵の場合初学者同士でのやり取りに過ぎない
そしてそういうところに罠がある
相手の偏った知識を正そうとする人はたいていの場合自分の持ち武器を過信している
だから自分が浅い知識で挑んでいることに気づいていないし、誤解・誤読をしていてもわからない
そしてそういう上澄みだけの知識だけで対戦をしていると、相手方が全てその程度の人間と思い込んでしまう
ようは、ゲームにおけるチュートリアルだけで全てを理解した気になると言うことだ
宗教の勧誘おばさん達は単なる末端で大した話術も知識も無い、詐欺師未満の存在
そういう人は相手にする必要も無いのだが、時々「俺はあの宗教団体に喧嘩売ってくる」といって逆に返り討ちにあう人が居る
彼らの表層的な知識不足や論理の破綻だけを見れば大したことがないと思いがちで、自身に大した武器や準備もないのにラスボスも余裕と思っている人が大勢居る
フェミVSオタクみたいな構図を見ていると、相手の単純な誤解や知識不足に無駄な虚栄や知識で対抗している事が多い
開廷表の記載に準じ開廷日時、開廷場所、事件番号及び当事者名等をインターネット投稿した行為がプライバシー権侵害に当たると判断された事案 – 齋藤理央ウェブログ
> 令和 3年 9月10日東京地裁判決(令3(ワ)15950号・発信者情報開示請求事件)ウェストロー・ジャパン(2021WLJPCA09108009)は、東京家庭裁判所に掲載された開廷表の記載に準じ開廷日時、開廷場所、事件番号及び当事者名等をインターネット投稿した行為がプライバシー権侵害に当たると判断された事案です。
> 開廷表は公開のものであり、さらに閲覧制限を申し立てた場合は当事者名なども墨塗になりますので、違法という判断はやや厳しい印象があります。しかしながら、離婚事件という私事性の高さなども影響してプライバシー権侵害という判断になったのでしょう。
公開情報を晒して訴えられた前例として破産者マップ事件のように広く知られている件もあるし、返り討ちに遭うことは必至だから迂闊なことをしてはいけない
客観的記録を示して「どうだ!潔白だろ!こんな潔白で、良いことしかしていない人間が、共産党の支持者なんだぞ!すこいだろ!」と返り討ちにして、大々的に世間へアピールが出来るボーナスチャンスじゃん?
暇な人の意見に批判的な人は暇な人が叩いている人を完全に「潔白で良いことしかしてない人間」とみなしているはずだって前提がよくわからん。
高々100字のブコメでは暇な人に対して個人的に賛同できないと感じる部分を書くだけにとどまるってのが現実なんじゃないん?
別に叩かれてる相手に全く問題がないとは思って無くても、「叩き方」の部分に疑問を感じたブクマカがその点を批判するコメントをするのは許されるべきでしょ。
暇な人に批判的ならば暇な人の批判対象には全面肯定であらねばならないってなるんだったらかなり意味がわからんと思う。
そもそも共産党との繋がりが云々ということに関してのみ文句を言ってるだけの人なんて、
言ってしまえば暇な人の主張の根幹には別に大して反対してない可能性まであるわけで。
例えばちょっとした「言い方が悪い」ことに対する軽い指摘ぐらいで、ここまで過激というか問題視するような勢いで
まず誰もが疑問に思うであろう、何故荒らしが特定個人だと分かるのか?という点。
非常に単純だが荒らし方が完全に同じであり、IPアドレスも一致。語彙も変わらない。
5年眺めていれば「またあいつか」「まだ居んのかよ」と半ば呆れてしまう。
大体の場合、ソシャゲのちょっとしたマイナス意見、愚痴、あとは彼の好きな女性キャラの話題でスイッチが入る。
IPアドレスが表示されているので、ロックオンしたユーザーを荒らし認定、書き込みを手元に保存し、あまりレパートリーの無い罵倒と共にひたすら掲示板に貼り付けていく。
コピペbotとした彼の方が荒らしだという指摘には当然耳を貸さない。
文盲なので他のユーザーからすぐ揚げ足を取られたり言葉で負かされるが、荒らしらしい意地と謎の根性でひたすらコピペをしていく。
何が彼を掻き立て、何が彼にちからを与えるのかまったく分からないが、とにかく書き込みを見る限り、自治をしているつもりらしく、正義は我にありとばかりに1週間、10日、或いはそれ以上の期間コピペをしていく。
流石の公式も重い腰を上げ、木を削除したりBANしたり、ルールを明記したりもしたが意味はなかった。
法的措置をするかもとの案内が出た時は流石に静かになったが、結局訴えられなかったらしい。今も元気に荒らしと粘着をしている。
昼夜問わずいるものだから、おそらくニートだろうという話もある。
無課金宣言もしており、課金者をゲームが下手だとバカにする事もあった(そして即返り討ちにあい、コピペbotと化していた)
こいついつまで居んのかな、ソシャゲがサ終するまで居そうな気もするけれど、サ終したらこいつどこに行くのかな。
なんかまともな生活も能力もなさそうだけど、どんな私生活送ってんのかな。