はてなキーワード: 猿山とは
それも一つのこたえだと思いますが、私はそうは思いません。もちろん差別的な待遇を変えるために何らかの行動が必要であることは疑いようがありません。しかし、差別者と同じ手段を用いて待遇回復がなされたことが果たしてあったでしょうか。黒人差別も、女性差別も、いわゆるポリコレ的なアファーマティブアクションが実を結ぶことはないでしょう。現在そうなっているように、逆差別と呼ばれ分断を煽るのみです。本当に必要なのは啓蒙による意識改革で、一足飛びに結果を求めても片手落ちにしかなりません。
以上はマクロの話ですが、のび太くんのようなミクロの話では人間はある種猿山のようなパワーヒエラルキーを作り上げ、これは「同じことをやり返す」ことで下剋上がしばしば行われます。この例も覚えがあることでしょう。だからこそ、野生的で幼稚な考えであると私は考えるのです。
人生どうでも良くなってきてるときに露骨なパワハラ野郎がノビノビ暮らしてるの見ると「あーもういっそコイツを殺して俺も死のうかな」みたいになることはある。
ぶつかりおじさんでさえも放牧されちゃってるしさ。
この世界の辛さって、誰もが礼節を求められているはずなのに平気でハラスメントをする奴らがいて、そういう奴らに限って他人に対してはやたら厳しいっていう矛盾が「コイツの相手するの面倒くさいから……」で放置されていることに集約されている部分はあると思うんだよ。
こんな世界で生きるしかない人生とかもうどうでも良くなったけど、じゃあせめて少しでも風穴を開けて同じ苦しみを持ってる人の救いにでもなる形で人生使おうって気持ちがそんなにおかしいのかな、と。
なんかヤフコメとか見ると「ちょっと厳しくされたぐらいで~~」とか他人事として言う奴らめっちゃいるんだけど、相手はセクハラかまして形だけ土下座する奴らの巣窟なんだぜ?
95%はまともだろうと5%もハイパーウンチッチモンキッキが潜んでいて、ソイツらは階級をたてにすれば何言ってもいいと日夜ニタニタしながらセクハラパワハラを繰り返してるわけじゃん。
軍隊という檻の中にいる猿山の社会なんて放っておけよって考えもわかるんだけど、そういう連中が結局子供を作って家でも伴侶に「誰のお陰で飯が食えてんだよテメー」って職場で鍛えたパワハラムーブして、それ見て育った子供が学校で自分より立場の弱い相手にそれをやって、それを見て他の人も真似をしてって割れ窓ループの出処としても側面もあると思うわけ。
せめてそれをちょっとだけでも塞ぐのに俺の体を使います!社会が変わるかも知れねえんだ!やって見る価値はありますぜ!って消えかけの命を全部ッパしたくなる気持ち、全く理解不能とは思えねえんだよなあ……。
これ、俺がおかしいのか?
追記:うわあああああ急に伸びるなあああああああ
実はパワハラじゃなかった説が出回ってきてるタイミングで伸びてきたので「レッテル貼り失敗乙!死者を冒涜するクズは消えろ!」みたいな感じかと思ったら、『ニュースはあくまで触媒程度にして本当に語りたかった部分』についての言及が多くてはてなをちょっと見直したぞ。
犯人も被害者も部隊もまだ真実を語る段階にない(ヤバイときほど本心を隠す必要性を必要以上に感じがちなのが人間の本能)というのは俺も分かっているから、今回の件の正体はしばらく憶測の域を出ることはないと思う。
その人は「俺はこの猿山でふんぞり返って暮らすんだ!」と夢を見て、前世代のボス猿に媚びへつらって必死に出世してきたんじゃん。
それをいきなりやってきた余所者が「は?まだこんな所でボス気取ってる奴がおるんか?は?全世界に晒して煽ったろ」とか。
やってることがひどすぎる。
「受験生がこんなお遊びに熱を上げて……よく分からんけど最近やっと成果が出たらしいじゃないか。その思い出を大事にもうやめたまえ。予算の無駄だし廃部だよ」
みたいなノリでしょ。
クソすぎないか?
誰かが頑張って頑張ってようやくたどり着いた夢なんだぞ?
今どきくだらんボス猿ごっことか言われたって、その人にとっては人生全部かけてたどり着いた理想郷なんだぞ?
そんなに田舎が嫌なら出てけばいいだろ。
来たお前が悪いとしか言えないな。
田舎は勝手に滅びれば良いんだから、それを余所者があーだこーだ言って安らかな死を妨害すんなよ。
別に田舎だって「食べたいけど痩せたい」みたいな話はしてないよ。
「デブとして死んでいいから食べたい」ってノリで昔ながらのクソ田舎ムーブ続けてんだよ。
死なないでって勝手に外野が下剤食わせたりしてるのが悪いんだろ。
勝手に殺させてくやれよ
それはつまり、社会全体に既に共有されているルールを守るということだ。
順番に並んでいるならそこに横入りしないとか、相手とあまり親しくないなら敬語を使って心理的な距離を近づけすぎないようにするとか、そういったルールがこの世界では概ね決まっている。
ただ道を歩くだけにしろ、逆方向から来る人とお互いが邪魔にならないように片方によるとか、曲がり角では見通しを確保するためにインコースを攻めすぎないようにするとか、常に周囲に気を配って衝突を回避するとか、そういったルールがぼんやりと存在する。
そういったものは一部に儒教的な年功序列感がノイズのように交じることもあるが、概ねはどちらかが一方的に損をしないようになっているものだ。
そういったルールを破り、自分だけが得をする行為を一方的に相手に押し付けること、これが「礼を失する」というものだ。
「相手にだけ挨拶をさせて自分はふんぞり返る」とか、「自分は悪口を言っているのに相手が言ったら不機嫌になる」とか、そういった不平等を平気で行うものこそが無礼者なのだ。
こういった無礼行為は「俺は、特別だから、特別扱いされるべきだ」という俺ルールの元で行われている。
既に一般的に存在するルールとは違う独自のルールをでっち上げ、それによって自分だけが得をし続けようとするのだ。
「他人にやって欲しくないことは自分もやらない」というのは当たり前のルールだが、無礼者にそれは通用しない。
彼らは自分にとっての快不快だけを絶対の指標としており「俺が気持ちいい物が正しいこと、俺が気持ちよくないのが悪いこと」と考える。
この「俺」の主体が「相手」となることは絶対になく、「俺がお前を殴るのは楽しいから正しい。お前に俺が殴られたら痛いから間違っている」と平気で考えるのだ。
そういった謎の尺度という意味では、一部のオタク界隈や競技者界隈にある「この競技に強い奴が人間的に全面的に正しい」という概念はまさしく全人類に対しての無礼行為だ。
「勉強が出来る人間だけが正しい。だから勉強ができない人間には何をしても良い」という奴に限って、それが「野球が出来る人間が正しい」に置き換わると途端に文句を言いだすものだ。
これは当然、野球が出来る人間やサッカーが出来る人間、将棋だったりゲームだったりでもよく起きるものであり「この界隈において最優先される能力があるものが全て正しいのだ」はいつだって人間社会への侮辱行為に等しい。
つまる所、「万能の権力」なるものが存在する空間は限りなく無礼であるということだ。
「社長に部下が逆らうのは無礼だ」「上官にヘコヘコしない部下は無礼だ」などというものがいるが、これらの発想こそがまさしく無礼そのものと言える。
「相手に無礼を一方的に働くことが可能な権利が存在する」という謎のルールを展開した時点で、そこには礼儀なんてものは既に無いのだ。
つまる所、自分には権力があると信じるものは皆礼儀知らずなのである。
権力などというものは存在せず、役割の中において力関係が生じてしまうが故にそれに対しての恐怖で縮こまった態度を取られているだけだと自覚できない人間ほど惨めなものはない。
そういった構造的な力関係を背景にして他人を脅しつけるのは、年功序列社会においては年老いたものほどやりがちだが、実際にはそれらの行為は非常に幼いものだ。
だってそれは「親に言いつけるぞ」とえばり散らす幼稚園児と何も変わらないのだから。
子供じみたことをして他人に忖度を求めることほど人間として小さいものはないが、恥を学ぶことが出来ないまま体だけ成長した大人はすぐにそうやって振る舞いたがる。
本当に惨めで哀れな生き物だ。
自分だけが有利になるルールを押し付けるというのは、ハンディキャップをつけてくださいと手を擦り合わせて乞食しているようなものなのだが、それでよく惨めにならないものだ。
この理論よく見るんだけどさ
それって意味あるの?
完全に悪いって明らかなことを悪いって今更俺が言ってどうなるの?
うわあ~痴漢をネットで批判されてたから反省しましゅう~明日から痴漢辞めましゅう~ってなると思ってんの?
もう死んだ面識のないホモジジイの影響が一般男性にあるわけないだろ常識的に考えて。何が猿山だよアホくせえ
ネットの書き込みのやりがいっていう意味ではさ、誰が見ても悪いやつを悪いっていうよりも、正義の味方面してるけど実は悪いやつとか間違った理屈を堂々と押し通そうとしてる奴や別の視点を見落としている奴らに誤りを指摘して認知を改めさせる方がやりがいがあるんだよな
例えばお前
こういう構造に気付いてなかっただろ?ここまで考えたことあった?
例えばフェミ
面倒がって誰も言わんし俺も仁藤がそれだとは言わんけど、女性人権関係者の攻撃的振る舞い、まさにこの自称恩知らず少女が克服した振る舞いなんだよな。
本当に申し訳ないけど、当時は支援者の方々に感謝の気持ちなど1mmもなかった。「本当に助けなきゃいけない人は助けたくなるような人ではない」と言われてるけど、そう言う感じだったと思う(辛いことだけど、助けたくなるような弱々しい子は助けられる前に亡くなっているとか再起不能になってるとかもあると思う)
・助けてくれてありがとうとかではなく「金持ちの家に生まれて愛されて何不自由なく生きてこれた人もいるのになんで自分だけ」としか思ってなかった
・「見下してんじゃねえよ」と思い常にイライラしていた
もちろん今思えば見下されると感じるような態度を取られていたわけではない。こちら側の受け止め方の問題
・何をしてもらってもとにかくムカついてた
今思えば十分すぎる環境だったけど常に不満しかなかった。あれ以上ご飯が豪華だろうとめちゃくちゃいい部屋だろうといつまでも文句を言ってたと思う。その感情の底には過去親に大切にされなかった悲しみや怒りがあったんだろうなと思う。
・なんか、本当は甘えたいとか泣きたいとかありがとうと言いたいと思うタイミングもあったんだけど
そうすると自分が今までの自分を否定することになるような気がしてできなかったんだと今思う。
説明しづらいけど、恵まれて育った子の与えられた愛情+余裕が100だとすると私は3くらいしか持ってなかったから
この「大人」とか「環境」とかを暇空とかインターネットとか他の補助金事業とか適当に読み替えると、今燃えてる界隈の行動とメチャクチャきれいに複合すると思わないか?
例えば「支援者ぶって何千万寄付したくらいでいい気になるんじゃねえよ、たかだか公金何千万がなんだよ、インターネットのオタクが見下してんじゃねえよ、社会に服従したら私の愛情が擦り減って0.1に減っちゃうんだよ」みたいな。
そういう人が猿山のボスやっちゃいかんと思うし、毒抜きと支援が必要なのはこいつら団体トップじゃねえのと思うんだよな。
あと私が飲食店でバイトしてた時、私の事情を知ってたキッチンの方がシフト被るたびに「明日の朝食べなさい」とご飯とおかずを持たせてくれてたのだけど
お礼を言ったことが一度もない
普通の人は意味がわからないし非常識すぎると怒って当然だろうけど、おそらく当時の私の頭では「なんか押し付けられたけどあるから食っとくか」みたいな感じだった
ところで直接は関係ないんだが、こういう雑な善意を押し付ける側に立つと「礼を言われるよりお前が腹ペコでやってきてキレ散らかしてるのを見ると俺の手間が増えて悲しい」くらいの感情だったりするんだよな。だから感謝の念を持つのは自分自身の改善として大切かもしれないが、「過去に犯してしまった消せない過ち」レベルではないんだなあと思う。ある意味では意志があって判断できる一個人として見ていないからこそ勝手に「こいつは明日飯を食う必要がある」という勝手な判断を押し付けることが出来る。
だからこういう行動の渦中にある人は無理に今すぐ感謝の念!とか考えず、言われるがままで良いんだと思う。もらえるもんはもらっとけ、気持ち悪かったら捨てとけ。