はてなキーワード: 特養とは
で、足りない足りないと巷で言われている、特別養護老人ホーム(特養)のお偉いさんと話す機会があった。
曰く、「優先して受け入れるのは要介護度4、5の、手がかからない人」だそうな。
「要介護度4、5で手のかからない人」と言うのは、一般人からすればよくわからない文言だが、要するに
「報酬が高く、ロボットのように動いてくれる人(ただし本人一人では何もできない)」という意味である。
今年度の改正で、「特養入所は要介護度3から」となったが、これは要するに「大変な人を優先的に入れて
いってくださいね」ということである。しかしながら特養側の解釈は上記のようになるようだ。
まあ当たり前の話なんだけど、「入所判定会議なんてしてるけど、結局楽なの選んでるんでしょ?」という
それには同意しますが、「日本で盛り上がっていない」という事実は無いと思います。
たとえば、政府予算的には、脳科学研究戦略推進プログラムというのが政府主導の事業プログラムというのがあり、実績額ベースで34億7797万7千円が精神・神経疾患の発症メカニズムの解明に関する研究推進のために平成25年度文教科学振興費として使われました。
http://www.mof.go.jp/budget/budger_workflow/account/fy2013/kessan_25_05.pdf
いま優先して取り組まなければならない課題は、研究よりもむしろ"研究成果"を現実の認知症の患者さんや、介護しているご家族のために還元していくことです。
労働生産力があって実際に労働で成果をあげていたひとが、家族介後のために仕事を辞めて在宅介護で消耗して人生が終ってしまう昨今の状況は、介護される認知症の方も、介護する方も、退職を認めざるを得ない会社も、日本社会の国益としても、解決されなければならない優先課題だからです。
先日政府が提案した平成26年度予算では、消費税増税による増税分税収約3.2兆円のうち、約1.5兆円が認知症施策などの地域包括ケアシステムの新規構築に使われることになっています。政府は多くの政策予算を削減していますが、認知症政策は予算も政策もしっかり作られ重視して取り組んでいます。
○ 消費税引上げによる増収分は、全て社会保障の充実・安定化に向けることとなっており、基礎年金国庫負担割合の1/2への恒久的引上げ等*による社会保障の安定化のほか、以下の社会保障の充実を予定している。
*2017年度時点では、3.2兆円程度の見込み。
介護が必要になっても住み慣れた地域で暮らせるよう、介護・医療・予防・生活支援・住まいが一体的に提供される地域包括ケアシステムを構築するため、以下の取組を行う。
http://www.mof.go.jp/comprehensive_reform/setsumeikaikoro.pdf
消費税増税の負担が重いと言っている人がいるなか、たしかに負担は軽くは無いのですが、増税分の4割が主に認知症介護で使われることによって、認知症の負担をみんなで少しずつ負担していく政策の方向性自体は、自分は間違っていないと思いますし、その点では与野党間で意見の相違は無かったと承知しています。
ただ「効率化」の部分で、たとえば特養施設の利用条件の引き下げだとか、介護職員の人件費給付の引き下げだとか、政府予算が後退している部分があり、認知症重症化を逆に増やしてしまう結果になりかねない「効率化」だとは思うのですが、そうやって介護の人件費や介護条件を切り下げつつも、認知症対策費を増やしているのは事実なわけで、それはそれとして評価しなければならない事実だと思っています。
毎月60~100時間以上も残業してるのに「みなし残業」扱いのせいか、給与はいくら働いても額面では15~18万の間で、酷い所はそこから
某かの会費を徴収されて手元に残るのは10万を切る事態になってる。
これは正社員のケース。
バイトは更に酷い。
時給制パートの扱いだと、社保無しにも拘らず満額で8~10万前後と異様に低い。
特養も老健も施設は凄く豪華なのに、働いてる介護士さん達は難しい試験をパスしてやってきた専業介護士という奴で、それなりに貰えるはずの給与が殆ど貰えず
このような状況で人手不足だなんだと嘆かれても若者は食指が動くはずがない。
もっと〇〇手当などを充実し契約書も交わして一般的な労働者と同等額かそれ以上を支払う事が出来れば、この3Kと呼ばれる「きたない・くさい・きつい」にも耐えられるんじゃないか。または、更に敷居をもっと低くしなければならんと思う。
大卒で相談員とか上級職になろうとすると社会福祉士のように社会福祉系の大学を出ていないと取れない免許が条件となると、
仮に法学部を専攻して卒業しても新たに介護関係の大学ないし専門学校に通わないと行けない二度手間に果たして給与が全く魅力的でない
比較的簡単に取れると言われてる二級ヘルパーを取って3Kを味わうのも良し、か。
今の介護業界が不人気なのはそのきつさに見合う給与が全く支払われていないためなのだ。
若者は悪くない!
祖母が99歳。両親が世話ができなくなって特養に入った。
待ちが多いと聞いていたが割と待たずに入れた。
父の兄弟は本人の了承はとったのかと聞いているみたい。
面と向かっては批判はしないけど、長男である父に最後まで面倒見てもらいたいようだ。
というか特養に入れるのが納得いかないらしい、その気はわかる。
あなた方は遠くにいて年1、2回しか会わないからそうなんだよ。
財産は確かに両親が引き継いだ。財産というほどでもないけど土地と家はある。
取引というものでもないんだろうが、最期までよろしくというのはあったと思う。
でも99歳まで元気とは思わなかったでしょ。
耳がもうあまり聞こえなくなって会話にならない。下が駄目みたい。そしてたまにあっちに行ったりする。
ほかは医者が驚くくらい元気らしい。
母が嫁いで来てすぐ、祖父は駄目になった。20代の新嫁がいきなり下の世話。そんなに長くはなかったが。
それから40年。祖母の世話。小姑はたまに顔出すだけ。世話と介護は母任せ。
母は祖母を特養に入れた後ろめたさと、そのような環境に祖母をおいてしまったことに
悩んで泣いている。それは小姑たちは知らない。ねぎらいの言葉もない。
長く生きるって何だろう。
職安にも今夏大量の求人が届いたが、月収例15万円以上を超える求人が殆どない。
この給与体制が結果的に求職者が介護医療業界への出向に二の足を踏む状態になっている。
にも拘らず、高齢化社会の煽りから、需要がどんどん高まるにつれて様々な所に老人保健施設や特別養護老人ホーム(通称特養)の設置が増加し続けている。
いつまで経っても変わる事のない介護医療業界の人件費削減の様相では、高齢者へのサービスが低下してきている現状もよく分かる。
他業界を見ると、清掃業や警備業、広告印刷業なども同様に給与体制が最低基準値を上回る事がなく、職種別に見ても事務職などデスクワークを必要とする職種も時給に換算して
都道府県の定める最低賃金(大阪では800円(平成24年9月付))より上がる事がない。
他業界を見ても給与体制が最低賃金と同程度を維持しているため、それと同等の介護医療業界でサービスの向上は土台難しいといえる。
また、就労者の給与はサービス水準に比例している。そのため、最低賃金と同程度の給与体制でやりくりしなければならない就労者が、会社の理想とするサービスの向上を遵守できる可能性はきわめて低い。
メールで言われた○○支部に行くと西船支部で早速やってほしいと言われた
しかも、おまけに車で送ってくれるとまで言ってくれた
車内の中で二人っきりというのもあれなのでそこそこに気になっていることについて聞いてみた
支部のある人が言うには共産はこういう感じのスタンスで動いているらしい
その後、西船支部につき、ビラ配りをやった
共産党の本部は結構豪華の建物だと言われているが、西船支部はなんとアパートの一室だった
さぞ台所事情が苦しいだろうなと思っていたら、ビラ配りの途中で政党助成金を受け取っていないのでCMも出せないし、
ちなみになぜか知らないが二つの支部ともじじばばが結構な比率でいて若い人は結構少なかった
老人が喜びそうな政策ばかり出しているのもそのせいかもしれない
西暦2037年、俺は退職金を切り崩しながら、細々と年金でひとり暮らしをしていた。妻には6年前に先立たれた。平均寿命が90年にも届こうという時代であってみれば、ずいぶんと早くに死んだものだ。不摂生の極みのような生活を送っていた俺が生き残り、日々きちんとした生活をしていた妻のほうが召されていくのだから、人生というのもなかなか理不尽なものだ。
そんな俺の日々の慰めといえば、エロゲしかない。もともとオタの第二世代くらいにあたる俺の世代は、二十代で鍵ゲーの洗礼を受け、その後も世代が持ち上がるのにあわせて「我々の世代」向けのメディアが常に存在していた。俺のように貯えらしきものもあまりなく、かつかつの生活を送っているものもいるだろうが、その一方で、日本が名実ともに先進国だったころの最後の余慶があったのも俺たちの世代で、うまいこと逃げ切って余裕のある生活をしているものもいる。
なにより俺の世代は、趣味に金をかけることをさほど厭わない。これが俺の下の世代になると、すでに日本に未来がないという前提のもとで十代、二十代を送っているし、それに、あれはニコ動だったか、ああしたものが登場してから、娯楽は無料であり互恵の精神で相互に提供しあうもの、という意識が育ちつつある。2010年から今年で25年、「素人の時代」ともてはやされた時期を通過して、いまやエンターテイメントは、無料のコンテンツに収益を載せる構造が完全に成立している。
そんな状況のなかで、いまでも「金を払って」たとえばエロゲのようなコンテンツを買う俺の世代は、上客には違いないわけだ。ただ、雰囲気としては商売というよりも、かつて俺が十代を過ごした「同人誌」の世界の雰囲気と、いまのエロゲ業界は似てきているようにも思う。よくも悪くもサロン的な空気がただよっている、というわけだ。
還暦を迎えた俺たちの世代は、エロゲを通販で買うことはあまりしないようだ。これはおもしろい逆行現象だと思う。ソーシャルメディア全盛の時代を経て、俺たちの世代では「ネット経由の知人」を持つ人間が多い。にもかかわらず、こんな業態が細々とでも続いている理由は――決して認めたくはないが――さびしいのだろう。
見かけるようになったのはここ10年くらいのことだろうか。最初は古本屋からの発展形だったと思う。滞在時間が長く、現金払いで直接儲けにつながる客に、休憩スペースを作ったり、茶のサービスを始めた、というのが原初的な形態なのだろう。いつしかそれは、初老のオタ世代の溜まり場的なものとなっていった。
オンラインで呼吸をしていたような俺らの世代が、最終的にオフラインに慰めを見出すようになったのは、この年になってくると、コミュニケーションというものは、やはり顔と顔をあわせなければ通じない、というつまらない真実がひしひしと感じられるようになってくるからだろう。
あれほど夜型の生活をしていた俺も、朝5時となると目が覚めるようになった。軽く散歩をして、朝食を取り、朝7時となると近くのショップに顔を出す。
目が覚めるんじゃない。単に眠りが浅くなっただけか。
俺は自嘲的に思いながら、家を出た。
「よう」
木のテーブルとコーヒーの香り。流れるBGMは、この季節だ、夏影に決まっている。もう40年も変わらない、俺たちのテーマ曲だ。ただ感じかたは昔とは違う。最近の俺は、この曲にどことなく「お迎え」の影を感じるようになっていた。
「俺らの生きてるうちには出るさ」
定番の挨拶を経て、新作の話などをする。
エロゲ業界もクラス化が激しくなった。若年層においては、すでに「テキスト+ボイス+立ち絵」の形式のADVは死滅しているに近い。ここ四半世紀のあいだに画期的なアニメーション作成ツールがいくつも出て、敷居が大幅に下がったためだ。
しかし俺らの世代にとっては、やはり昔ながらのADVがしっくり来る。
ジャンルもずいぶん変わったと思う。いまでも思い出したように学園ものは出るが「こんな学園どこにもねえよwww」は、より切実な響きを持つようになってしまった。いまや学制自体が違うからあたりまえだ。
かつて、そう、俺らが三十代だったころ、冗談半分によく言っていたものだ。将来は孫ゲーが来る、と。その予測は当たったかといえば「なんとなく当たった」というのが実情だろう。結局還暦を越えても「そういう部分」での精神的な構造はあまり変わらない。むしろ老いには直面したくないのが実際で、いちばん多い設定はといえば、やはり若返りもの、ということになる。典型的なテンプレは、癌の告知から始まって、主人公がタイムスリップ、「あの夏」を体験したうえで現実に戻り、幸せな死を迎えるものだ。孫ルートのあるゲームは全体の3分の1くらいだろうか。
特養老人ホームを舞台にした介護ゲー、なんていうのも昔はよくネタとしてあったが、これはむしろ陵辱ものに多い。現状の自分のルサンチマンを反映したような設定が陵辱ものに多いのは、いまも昔も変わらない。最近だと、恵まれない家庭環境にある女の子ばかりを集めて決死の肉体看護をさせるも、それらの女の子にひどいことばかりしているうちに、だんだん精神的におかしくなってきて、瞳の光が失われていき、最後は性奴隷になる描写が秀逸だった「奴隷介護―地獄のエデンで少女たちは何を見たか―」がヒット作だ。
そう、当時予測しておらず、現在隆盛になっているジャンルがある。ロリババアものだ。当時、なんでこれに気づかなかったのか、自分でもわからない。かつては純愛系のゲームならば、たいていは妹ルートがあるのがふつうだったが、いまではそれがロリババアに取って代わられている状況だ。
エロゲ業態全体が同人的な雰囲気になって、大ヒット作というのは生まれづらくなっているわけだが、そんな中で気を吐いた例の作品における、あの名セリフに殺された人は多いだろう。
「時間を止めて、待っていましたよ」
そんなわけで、考えようによっては25年前となんら変わらない生活をしている俺らだったが、最近は俳句がちょっとしたブームだ。俺たちが若いころから俳句なんていうのはジジイくさい趣味だったわけだが、この年になってみて、なぜ年寄りが俳句を嗜むのかわかったような気がする。
この年になると「言葉を紡ぐ」のが億劫になってくる。表現欲がなくなるわけではない。それ相応に人に認められたいという気分もないわけではない。しかしそのために多くの言葉を紡いで「人に伝える」ということに価値を見出せなくなるだけだ。しかし溜まっていく日々の鬱屈を言葉にしたいと思ったときに、俳句のような形式はとても都合がよい。
「それじゃまあ、新作の披露といきますか」
3人のなじみのじーさんを前に俺は言った。そしてそのじーさんたちは、俺の姿でもある。
では一句。俺はのどに絡む痰を切ってから読み上げた。
「コンドームかぶせてむなし秋茜」
「ほぉ……」
「確かにむなしい……」
「もう勃起しねえしな……」
場を、いい感じに絶望的な空気が支配した。ちなみに「秋茜」は人生の黄昏を迎えた俺たちの心境を、秋の夕暮れのイメージに重ねたものだ。
「では次はオイラが」
オイラ。またなつかしい一人称が出たものだ。映画監督としても有名だった某芸能人が他界してから、この一人称を使う人は滅多にいなくなった。
「我慢汁 集めて臭し俺の川」
「川になるほど出ねえだろ……」
「てゆうか我慢汁自体もう出ないよね」
「つーか最近さぁ、オナニーの途中でめんどくさくなるんだよね……」
「あんたまだ現役だったんだ……精液だけに、原液、か……」
「もうだめだ」
「だめだなぁ……」
俺たちがそうやって淀んだ空気の中で薄ら笑いを浮かべていると、店主の孫娘が姿をあらわした。夏休み中で家にいたものらしい。健康的な肉付きの太ももが眩しい。
「あんたらまた来てんの? いい年としてくっだらねえシモネタばっかしゃべって、店内がイカ臭くなるからやめてくんない?」
ああ、罵倒が心地いい。あの太ももに挟まれながら罵倒されたら、そのまま昇天できるのではなかろうか。
「ってうっとりした表情浮かべてんなよ! 歯槽膿漏くせえ口あけてぼんやりすんなよ……」
店主、あんたは勝ち組だ。
人生において、後悔なんぞは役に立たない。そんなあたりまえの事実を笑って受け入れられるこの年になってなお、妄執は残るのだ。
予約しておいたソフトを受け取って、家に帰った。PCの電源を入れてインストールする。
全エンディングが腹上死ということで、発売前から話題になっていたソフトだ。もっともそれだけでは俺は買わない。エンディングのひとつに、顔面騎乗による窒息死があったのが俺の直接の購入理由だ。
ゲームを起動する。
「登場する女優さんは、すべて60歳以上だからね、まちがえないでね、おじーちゃん♪」
老眼の進んだ俺にもやさしい極大フォントとともに、ボイスが流れる。
さあ、残り少ない日々を謳歌しよう。
ディスプレーの中には「あの夏」が詰まっている。
特養ホームにおじいちゃんをお願いして、自分が好きな事やってもいいんですよ。一人だって楽しみは探せば沢山あります。そこで悲しんでいてはもったいない。