はてなキーワード: 成人式とは
もういい年だけど、ワイも成人式行ってないな。というか、行けなかったな。
いい年になって振り返ってみたら、なんであんなに世間体を気にしてたんだろうと思った。
仲良くしていた友達はその時絶賛浪人中で成人式なんて言っている雰囲気ではなかった。
その時、別に気にせずに一人でふらっと行けばよかったのになぜか友達と連れ立っていかないといけないと思い込んでしまったんだ。
今の俺ならおひとり様でも全然気にしないし、むしろ、気を遣う連中とわざわざ連れ立っていくなんて気疲れしちゃうと思うのだが、あの時は友達と行かないと心が休まらず、恥ずかしいみたいに思ってしまった。
やぁやぁ、数年前だか、十数年前だか、数十年前だかに成人式を終えた諸君。私だ。久々だな。
成人になる前よりも、成人になったあとの方が歴史は長い。
これを機会に、我々の知見を新成人に分かち合おうというのが、この日記の目的だ。
世の中のものは大抵3大○○に落とし込むことが出来る。
身近な所では都市銀行だ。
他にはキャリア。
他にも様々な3大○○があると思う。
賢いはてな村の諸君であるならば、様々な例を挙げることが出来ることを期待している。
どれだけくだらなくても良い。
エアポートまで急いで!
もはやどちら分からなくなって久しいところなんだけど、
大はしゃぎして新成人が
一升瓶でワインかっくらって酔っ払うニュースが微笑ましいと思う、
今年19歳本厄来年成人式!フレッシュな感覚でお送りしたいと思ってるんですけど!
昔はそうだったらしいわよ。
これハッピーマンデーどころの話ではないわよね。
そう思わない?
そんなわけで今年もまた夜のニュースチャンネルで、
微笑ましい荒れる成人式のニュースがたくさん流れることを期待しちゃうわ。
もうこんな時間で私はお友達の家からの帰り道帰路についているところを数キロメートル走ったところで
便利は便利なんだけど、
それはさておき
今日はなんとしてでも
夜までに帰り着いて
また銭湯に浸かりたいとも思ってるので、
書いている暇もないこともないことはなくもないんだけど、
あの関東の人がよく使う、
なくなくない?って泣くに泣けないと思わない?
「と言い過ぎるのは過言ではない」ってこれもどうなのかしらって思うし、
成人の人してはしっかりと言葉を今日だけは正したいところだけど、
じゃあ先生が言ってるなら言ってるで
それでいいんじゃないの?とも思うのよね。
と言うか、
もうそんな「なくなくない?」って回りくどい言い方してる人の話なんか端から聞いてないんだけど、
でもこの地方のWi-Fiが弱い問題はなんとかならないのかしらね?って思っちゃうけど、
ネットに辛うじて繋がってるだけでもパソコンはただの箱じゃないから、
なんとか遅くても我慢してるんだけど、
この山の中の山中、
とりあえず、
そろそろ給油して出発することにするわ!
お友達のところで頂いた朝食が超美味しくて超ショック!
激ウマピザトーストよ。
薄めの食パンなんだけど、
美味しいからって、
ただただ足せばいいといわけじゃなく、
思ったほど美味しくならなかったわ。
やっぱり定められた定量の粉とお湯で作るべきだったのね。
熱いホッツお茶の
これお砂糖入ってるんじゃない?って不信感をいだきそうな
本当に低温で抽出した急須職人の人が丁寧に作られた急須で煎れらてたから美味しかったのかしらね?
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
それほど裕福な家庭というわけではないけど、せめて晴れ着くらいはと両親は知り合いの呉服屋に頼んで一揃え買ってくれた。大学の卒業式の袴も無料でレンタルというオプションがあって、それも一緒につけてもらった。今思えば成人式用でそれほどいいものでもないけど、思い出として大切に取ってある。
成人式当日はこれも呉服屋のオプションで着付け会場が決まっていて、成人式の会場で朝の7時くらいから着付けが始まった。スタイリストさんが言うには「早い子は5時頃からやってる」ということで、あちこちに晴れ着姿や髪だけセットアップしてもらっている子がいた。
その後、成人式まで時間があるので一度父の車で家に帰り、写真撮影大会が開かれる。どこでポーズしてとかそこに立ってろと父母がカメラを片手にバシャバシャ撮りまくる。早起きして眠いのもあり、この時点で結構疲れてくる。
成人式の時間になり、再び会場へ向かう。会場には晴れ着姿の女性ばかりで、正直誰が誰なのかわからない。何人か中学の同級生を見つけて「久しぶり~!」などと盛り上がる。
会場では中学ごとに席が決められていた。そういえば仲の良かった子が成人式実行委員会やってるとか言っていたなと思い出す。式が始まって、最初こそシーンとしていたが会の進行がかなりグダグダだったため、祝辞などよりも隣に座る旧友との昔話に花が咲いてしまう。一応大人として話を聞こうかとも思ったけど、真面目に何を言っているのかよくわからなかったので聞くことを放棄してしまった。なんか話が終わった後にレクリエーションがあります、みたいなアナウンスがあったけどほぼ参加した人はいなかったようで皆ロビーへ出ていって昔話の続きをしていた。
今思えば敗因は「若い人の手で作るナントカ」というのが流行っていた頃なので若い人に任せた結果、かなりグダグダになったのではないかと思っている。実行委員会というより、それを丸投げした市側にも相当問題があったのではないだろうか。
ロビーでこれまた懐かしい顔に何人か出会う。中でも印象に残っているのが「今お水やってんのー!」と言っていた友人。彼女とはそれきりだけど、今は何をしているんだろう。
家に帰ってくるとお祝いとして親戚を数人呼んで軽い食事会になっていた。この辺は着物に疲れていたのであまり覚えていない。食事会のあと着物を脱いで、ぼやーっと違う自治体の成人式に出ている彼氏にメールするなどする。
夜はクラス会があるということで参加。仲の良いクラスだったので出席率も90%くらいで楽しい夜だった。高校卒業して働いている奴とか妊娠している奴とかいろいろあって大変な奴とか面白かった。ただみんなこうやってそれぞれの道で大人になって行くんだなと思った。
クラス会の後は自然発生的にカラオケになった。徒歩で行けるカラオケ屋では既に他のクラスの2次会が行われていて、カラオケ屋全体が成人式の2次会のようなものになっていた。そこで中学時代1番仲の良かった友達に再開し、カラオケ屋のロビーでアイスを食べながら駄べり、他のクラスの部屋に突入して「久しぶり~!」をかましたり、そんなこんなで駄べり倒したような気がする。
あんなにベタベタした夜はもう二度と訪れないと思っている。冬の寒さだけは身に染みるのに、気持ちだけ子供に返って、でも体はすっかり大人になってしまってそんな子供時代に別れを告る夜。今でもあの日食べたアイスの味は忘れられない。ただのソフトクリームなのに、すごく儚い味がした。ただそれだけ。
希望通りの大学に行けずとにかく世の中に引け目を感じて成人式には出席しなかった。
今思うと、それは単なる幻想で、今生きているこの瞬間に感じていることも、
幻想なのだと、アラサーになってやっと気づいた。(遅いと思う)
20歳という年齢は、当事者からみても他人から見ても「人生これから」の年齢で、
本人がどう感じるかはさておき長いスパンでの目標を持つ時期なのだと今更思った。
新成人に何かを自分が言えるなら「目標」を持つことはすごく大事だということ。
これに尽きる。それが実現不可能であれ簡単なものであれ、「幻想」だと割り切れば
あとは「思い込み」でどうとでもなる。
自分の同級生には、旧帝国大学を卒業して「作家」になることを夢見て
本人は本気でも、はたからみれば単なる「自分の才能を信じた勘違い」としかいいようがない。
けれど、本人は本人の人生を生きている。その様子を見て私は感動した。
生きている限り「今」が最も新しい状態なのだけど、自分の中に「歴史」を
感じるということも大切だと思った。過去を振り返り、今と未来を測るモノサシになる。
人間はどうしても自分を他人と比べがちになるから、様々な比較が行われる。
だからTwitterで「成人式 マウント」で検索すると色んなものが見えてくる。
20歳は学歴や性体験でマウント、30代では所帯持ち、仕事経歴でマウント
40代になると性体験も所帯持ちも仕事があることもある程度「当たり前」(本当はそうじゃない)と
思われているから、いよいよ人間のマウント合戦は混迷を極めてくるのだと思う。
自分はもうすぐ30代に入り、今更気づいたモノサシの存在を意識して生きていきたい。
僕は嫌だったんだけど親がどうしても思い出を残しておきたいと言って写真館で家族写真を撮った。
それから、会場である市立体育館へと向かった。昼前の日差しが眩しかったのに、車をぬかるんだ地面に止めたことを覚えている。
式典の内容は覚えてない。外では毎度ニュースでおなじみの派手な紋付袴を着た連中がいて、住む世界が違うなと強烈な感情があった。
式典では中学校ごとに分かれていて、懐かしい友人や大して付き合いのなかった人たちに会った。
自分も翌日からテストだったので、気が気でなかったけれどテストより一生一度のイベントが気になってしょうがなかった。
誰か仕切りたがり屋の学生が夕方からクラス会をやりますと案内してくれて、ありがたく参加させてもらうことにした。
仲の良かった連中、つまり落ち着いた人畜無害なオタクたち数人で昼食を食べに行くことにした。
駅ビルのレストラン街、ちょっと高いお店でテンションが上がった。
ところで、学年に一人いるようなどう考えても知的にハンディを抱えているような、ボーダーっていうのかグレーっていうのか、中学生になっても小学校低学年の子供と遊んでいるような、そういうやつっているじゃない。
勝手についてきたのか、誰かが誘ったのか、グループの中になじみのない彼が混じっていた。
そして、僕の目の前に座っていた。みんな彼とは話したがらないから、結局僕が話し相手になっていた。
みんなが楽しそうに会話していた横でコミュニケーションをどうとっていいのかわからなかった。
彼は憎めないやつで、悪意や嘘と無縁な奴ではあったが、特に接点もないし何もできなかった。
一体、彼はどんな風に生きているのか気になって聞いてみたら、カーディーラーに勤めているらしかった。世の中よくわからない。
そんなことがあって、何となく不満を感じながらいったん解散し夕方のクラス会で再開した。
クラス会は夜の駅前ロータリーが見える洒落た飲み屋の貸し切りだった。
工業高校卒業してサラリーマンとか、フリーターからの動物園勤務とか、帰ってエロゲがやりたいと連呼するごくごく普通の大学生とか楽しいやつらばかりだった。
女子連中の半分は一見して水商売かと思うほど派手な格好で、少し引いた。男子はあまり変わっていなかった。
騒ぐ人たちを、遠巻きから観察する。それがいつも僕のやり方だった。
今にして思えば途中でメインの輪に入って挨拶くらいしておけばよかった。
今ならできるかもしれないけれど、当時人と接することに神経を尖らせていて、誰かに話しかけるということがすごく勇気のいることだった。
美術部で仲の良かったほら吹きのY君と再会した。
彼は革ジャンにグラサンという出で立ちで、すっかりイメチェンしていたけれど中身は当時のままだった。違うことはやたらと女子に話しかけていたとこ。
工業高校から地元の私大の化学科に入って、大学から学ぶものは何もないと中退して3DCGのデザイナー専門学校に通っているらしい。
おう、僕は引きつった笑顔で「おう、頑張れよ、期待してるぞ」みたいなことしか言えなかった。
唯一話すことのできた美術部の女子とも一言二言言葉を交わした気もするけれど、記憶は定かではない。
友達と色々話せるのもいいな!友達いなさすぎてその視点が消えてた(白目)
じゃあ30万あったら振袖着て成人式行くかって言われたら「そのお金で単身海外旅行行きたいな~」って思っちゃうあたりダメだわ...
めちゃくちゃ増田は見るし、日記は良いものだみたいな認識があるからやってみようかなと、
来年にはもう成人だ。
多分行かない式だろうけど。
今日は1月12日。令和二年成人式が開かれる日だ。成人式って、なにも成人の日に開催されるわけじゃないんだな。まさに今年度に成人を迎えた人間なのに、そんなことすら知らなかった。お察しの通り、成人式には出ていない。
理由はいくつかある。昔の知り合いに会うのが面倒くさい、当時付き合ってた仲の良い友人には別にいつだって会える、そもそも式に着ていくスーツを持っていない、高校を卒業してからはニートをやっているのでなんとなく気恥ずかしい、など。
どれも言ってしまえば、すべて俺の社会不適合性に由来するものだ。
「類は友を呼ぶ」のことわざ通り、俺の周りにも社会不適合者みたいなやつばかり集まってくる。成人式が近づくにつれて、自然とその話題になったときだって、みんな「面倒だしどうすっかなー」なんて積極的ではなかった。
内心ではそれを聞いて安心していた。成人式なんて別に行かなくたっていいよな、と。
さて、前述したように本日は成人式。蓋を開けてみれば、案外俺の友人たちも式に参加していたようだ。というか、本当に出ていないのは俺くらいのもんだった。
普段と同じように昼間に目が覚めて、何とは無しにスマホを開いてみると、そこにはLINEの通知がいくつか来ていた。
「お前成人式来ないの?」
俺はそのメッセージで今日が成人式だと知ったよ。と、思ったことをそのままに返信した。寝耳に水とはこのことだ。
朝飯(昼飯と言った方が適切か)を食いながら、俺は考える。そういえば、あいつらと過ごした中学生の頃も、似たようなことを感じた覚えがある。
定期テストだ。
定期テストといえば「やべー、俺全然勉強してねーよ」でお馴染みだが、俺もクラスメイトと同じように、紋切り型のそのセリフをテストが近づくたびに口にしていた。俺はバカだからみんなも勉強なんてしていないのかと思い込んでしまったが、マジに勉強していないのは俺だけだった。
だけど、思えばみんなが裏で勉強してることなんて、本当は俺だって気がついていた。気がついているくせに、「みんなも勉強してないから大丈夫だろう」なんて、浅薄な安心に浸っていたくて、それに気付かないフリをしていた。
中学を卒業してから五年も経つのに、ガキっぽいところは変わっちゃくれないんだな。その歳月で俺が得たものと言えば、そういった自分のダメさを素直に受け入れる諦観だけだ。子どもと大人のしょうもない部分だけを継ぎ接いだのが20歳の俺だが、もはやそんなことすらも「どうでもいい」と受け流せる。
そう、思っていた。
揺らいだのは、飯を食った後に再びLINEを開いたせいで、もっと正確に言えばそこに送られてきた一枚の写真のせいだ。
仲の良かったグループが集まって撮った写真。そこに、当時好きだった女の子が写っていた。
固まった。振袖を着たその子を見て。そして、(遅れて気が付いた)同じく振袖やスーツを着た友人たちを見て。
みんな俺とは違って、これまでの五年間、時間の流れにきちんとしがみついて生きてきたんだな。我に帰るとそんなことを悟っていた。
どうして成人式に行かなかったのだろう。俺は時間の流れについていけなくて、途中でドロップアウトしてしまったけれど、もしかしたら再びその軌道に戻るための、最後のチャンスが今日だったのではないか。
なにより、この機会を逃したら、もうこの先の人生で彼女に会うことは二度とないのではないか。別に今まで引きずって生きてきたわけではないけれど、中学を卒業して別々の道に進んだあと、俺は誰かを好きになることすらなかった。だから、なんとなく、一度でいいから会って他愛もない話をしたかった。
一人だけ本当にノー勉でテストを受ける羽目になったり、成人式に行かなかったり。
子供から大人になる自覚を持たせる、というのが元来の意味付けらしいけど、いまや惰性で続いているだけ。
成人の日という祝日は末永く存続して欲しいと思うが、式典は要らない。
こどもの日や敬老の日と同様、各家庭でお祝いで良いのではないか。
いくらお金をかけて大人が頑張って準備したって、あの式典に価値を見出してる人は少ない。
私個人的にはなかなかない機会だと思って市長の話を聴いたけど、会場に来ても中に入らず外で仲良し同士で喋るだけの人も相当数いたようだ。
ほとんどの人にとって、同窓会という一大イベントの付属品という捉え方だと思う。
もちろん全くの無意味ではないと思う。何をしたって少しくらいは価値がある。
成人式に関しても存在意義は多少なりともあるだろう。しかし効果は極めて低いと感じる。
開催にかかる実費を新成人から徴収するなら、意味もあるかもしれない。
その場合、「金がかかるくらいなら行かない」という人も多いだろう。
中学校が一つしかない小さな町なので、成人はみんな同級生で仲がよさそうに見える。
みんな若くて、元気。楽しそうだ。
今日、地元で成人式がある。自分が成人式に行ったのはもう三年も前のことだけど毎年成人式の時期になると思い出してしまう、根も葉もないうわさを流して私の人生をめちゃくちゃにした女の子たちがキラキラしていたことを。私はあの頃から時が止まったままで、後悔することしかないのに、あの子たちはきっと何も覚えていないし、後悔するなんてこともない。私のことなんてそもそも覚えてすらない。同級生が成長しているなか、ずっと時が止まったままの自分がみじめで情けなかった。でも、非情な現実に直面したおかげで、「そっか、その程度の出来事だったんだ」「いつまでも引きずってる自分だけが取り残されるなんて悔しい」と思えたからよかった。元々、過去を清算するつもりで友達なんて一人もいないのに成人式に行ったし。この季節になるといろんなことを嫌でも思い出してしまうけど、行ってよかった。ばいばい、過去の私。すぐに変わる事なんてできないけど、幸せになろうね。