はてなキーワード: 外人とは
とあるニュースサイト(という名の三文記事ばかりかくただのアホなスピーカー共)のとあるライターは、いろんな作品に喧嘩を売り、自分の空想で「オワコン」「ファンから批判続出」と毎日の様に書いてる
例をあげるとやべぇ悪霊に取り憑かれた主人公が正しく死ぬためにやべぇ悪霊共と戦う漫画とか、まぁヲタ人気が高いやつ全方位に喧嘩売りまくってんのよ
おかげでもう、PIXTAの外人が怒ったりしてる顔の商用画像見るだけでウンザリしてきた
どっからどう見てもエアプ記事なのに、まいどまいど書いてるわけ、批判されまくってもやめない
リスクマネジメントはしっかりしてんのか、そいつSNSとかブログとか一切やってねぇのよな
あーあ、腹立つわ、ゴミクソが
漫画アプリでポイントが貰えるというので、パズルでゾンビを倒すゲームを始めた。
遊んでみると、課金圧がエグかったり、日本語訳が怪しいものの、無課金でも案外面白い。
この面白いというのは、夢中になって遊ぶって訳じゃないけど、Steamのクソゲーに比べたら全然いいじゃん、というくらいの面白さだ。
パズルはまぁ普通のパズルだし、キャラを強くするための素材集めのために採掘したりなんだりするけど、基本的には時間経過を待つだけ。
ドロップ率が低いレアアイテムを探すために、延々同じ敵と戦うとかそういうのはない。
めちゃめちゃ夢中になることはないが、だからこそ気軽に遊べる感じ。
あと、明らかに映画のキャラクターをパクったとしか思えないキャラばっかりなところとかも面白い。
例えば怒りのデスロードのイモータン・ジョーみたいなやつとか、アイアンマンみたいなやつ、ジョーカーみたいなやつ、なんかキアヌ・リーブスみたいなやつ、そういうどっかで見たことあるキャラが揃っている。
もし日本のゲームだったら、レアキャラに藤原竜也がいたりしそうな感じ。
リアルっぽい絵柄なのにLive2Dのモーションが甘くて、重そうなバズーカを持ちながらくねくねしてるマッチョとかもちょっと面白い。
で、最初の方は適当でもよかったけど、だんだんレベル上げにかかるコストが高くなってくる。
攻略を調べてみたところ、アクティブなギルドに所属したほうがいいらしいので、適当に入ったギルドを抜けて、ランキング上位のギルドに入ることにした。
外国のギルドだったが、翻訳しながら話すと結構親切にしてもらえた。
そうしたら、なんだか外人と交流するのってそんなに難しくないんだな、なんて思って、ちょっとだけ感動した。
今は言葉も翻訳できるし、ゲーム内なんてそんな難しい会話しないし、なんかシンプルな他人とのコミュニケーションが結構心地よく感じた。
両者は2本別々の作品だが、文庫化された当時、一冊にまとめられたもの。
共通するテーマは旅。いずれも見開き2ページで一話完結。さまざまなエピソードを収録している。
高度経済成長を経て経済大国となった70年代半ば、ブームになったのはハワイや香港などの海外旅行。
おりしもジャンボジェット機が就航し、高価だった海外旅行が庶民の手に届くようになった時代。
それまでの日本人の旅行といえば、熱海など温泉旅行。そして企業など慰安旅行が当たり前で、宴会どんちゃん騒ぎに温泉コンパニオン。
そんな温泉社員旅行のノリで、庶民たちが海外ツアーに出かけると、一体何が起こるのか。。。
バスタブを初めて使い、トラブルになる場面、当時のお土産の定番だったジョニ黒をネタにした作品、常磐ハワイアンセンターにダンサーを引き抜かれて本場のハワイではすっからかん、お土産にアロハシャツを棚ごと買い占める成金、といった当時の世相をユーモラスに描いている。
こんな客もいた。
英語をしゃべってみたくて、外人のスチュワーデスをコールするが、全く通じない。ワンスカッッチャンドワーラープリーズ!などと必死に連呼するも歯が立たず、添乗員を呼びつける。
スコッチの水割りを頼んでるのに英語が通じないんだと添乗さんに話すと、そばでその日本語を聞いていたスチュワーデスがオー!スコッチ・エンド・ウォーターのことね、とはじめて理解した、という。
全く英語のわからない外人スチュワーデスも困ったもんだねえ!と添乗さんに文句をいうオチ。
こういう人、いるよねぇ。。
安孫子先生の人間観察とそのユーモアあふれる描写の仕方は本当に好きでした。
海外旅行ツアーが大ブームになった70年代、一方、国内では、一人旅がブームとなっていた。
当時の日本の歌謡曲も、心の旅(1973)、岬めぐり(1974)、いい日旅立ち(1978)など一人旅をテーマにした曲が流行していた。
こちらの作品ではサラリーマン生活に疲れ、癒しを求めて一人旅にでた孤独な青年の旅先での小話が描かれている。
添乗さんが日本人の集団心理を切り取ったものだとすれば、こちらは日本のそうした組織風土に疲れて旅に出た青年を描いている。
モーレツ、と言われた時代が去り、しらけ世代という言葉が登場した70年代半ばというのは、どこかに誰も知らないところへ出かけたい、そういう時代だったのだろう。
なかでも印象深いのは、寝台列車に乗って、普段通勤していた駅に到着した朝、カーテンを開け、ホームで通勤列車を待つサラリーマンにわざと、お酒を飲んでくつろぐ姿を見せつけるエピソード。
線路わきでのんびり昼寝をしていたら、蒸気機関車の音にむっくり目が覚まし、
いまどきSLなんてめずらしいねーなどと、近くでのんきにSLを眺め、見送るエピソード。
驚愕したのは、朝からポジションを決めて待っていた撮り鉄たち。
線路わきから突如、人がにょきっと立ち上がって姿を現したため、予想外の出来事に動揺。邪魔だ、どけー!と叫んでも機関車の音で聞こえない。
「添乗さん」では、ホンモノをゲットすること、象徴的な意味での旅の証明としての戦利品を収集したり体験することが旅の重要なアジェンダとなっている。
例えば、マカオでニセモノに騙される日本人や、ビーチでナンパを試みたツアー客が間違えて日本人女性に声をかけながらも外人女性だけを探し求める姿などを風刺している。
一方、「さすらいくん」のほうでは、旅の目的は疲れ切った日常から逃避する場所を求めた癒しであり、ぬくもりだ。旅先の情報など何一つ収集しないし、旅の思い出を語る誰かもいない。
どちらも哲学的な意味での旅の本質をさらっと描いているのが秀逸だ。
この2作品は、旅というテーマを通じて、当時の日本人が何を思い、旅先にどんな夢を描いていたかを、
藤子不二雄Ⓐ先生にしかなしえないユーモアでもって簡潔に描写している、という点で同氏の傑作のひとつ。
どうもありがとうございました。
ネトゲの外人で「日本産コンテンツにちなんだ名前つけてた奴」というのは
ただでさえ当たりハズレの大きい外人の中でも、殊更ハズレ率が高かった印象がある
人が何かを成し得ているときに、自分には何を言ってるのかすら理解できないことがある。その時に俺は一生そいつが目にしてる物を自分の感覚として飲み込むことができないような気がして、なんかとても悲しくて、悔しくて、力が抜ける感じがする。理解とは何だろうか。何をどうしたら俺は理解をすることができて、とりあえず自分の観測範囲のものについてアクセス可能な状態になれるのだろうか。
「Everything is hard to know...But I want to know everything...」
これ全然知らん外人のTwitterプロフィールに書いてあって思わずスクショしたやつ。
これに尽きる。そんで、そうじゃない今が辛い。
「原作の声と違う」という議題が既にあるんでそっちを参考にしたほうがいい。
・昨今日本で急速に広まりつつある「誰も傷つけない笑い」はグローバルスタンダードでも先進的でも何でもなくただのガラパゴス文化だった
逆に聞きたいんだけど、「カタコトでしか喋れない無能」として扱われながらでも海外で働くメリットがそこまであるの?
言っておくが、海外でも高い地位にいる外人(現地人ではない人物)の多くはその国の言語がかなりペラペラか、凄まじいレベルのスキルによって上から殴りつけてくるゴーンのようなタイプ。
元々公用語として英語を使っている国の人間が同じように英語圏で働くようなパターン。
日本は英語が公用語として数えられていない国であり、そこで成人まで育ったらもう英語が公用語だった国の産まれの人間とは絶対に同じになれない。
その差を埋められるレベルのスキルが有るならともかく、そうじゃないなら絶対に差別を受ける。
たとえば君の会社に外国人がやってきて「ワタシ、美味しいと思うよナットー。日本好きですかなりの」程度の喋りしかできなかったらよっぽどスキルが達者でもない限りは笑いものにされるだろう。
日本で成人まで育つというのは、どこの国に行ってもそういう人間になってしまうということを意味している。
そのデメリットを受け入れてまで海外で働くメリットがあるのか?
普段はいいかも知れないが、いざという時にその差は如実に出るぞ?
「助けてよ。ぶっ壊れたパソコソ、してないのかもね何もが」みたいな言い方しか出来ない人間は修羅場には切り捨てられるぞ。
「ポンポン。痛い。なんかこううまくいえないけど凄い。痛い」より先がない人間は医者から受けられる支援が限られるだろう。
そういった積み重ねに人生を少しずつ蝕まれる覚悟をしてまで海外に行くほどのメリットがあるのか?
日本で暮らすのは紛れもなくデメリットだが、日本語以外をまともに喋れない人間が日本語が一切使われていない国に行くのも凄まじいデメリットだぞ?