2024-09-17

何言ってんだ、親は子の下僕でなければならないに決まってんだろ

何故って、自ら望んで生を受ける子はこれまでにただの一人も存在せず、一方で親は子を為そうとして子を為し、また子を育てようとして子を育てるからである。「食べる」の受動態が「食べられる」であるのと同じように「生む」の受動態が「生まれる」である。猫に食べられたいと望んで食べられる鼠なんてのがせいぜいフィクションの中にしか存在しないのと同じように、親に生まれたいと望んで生まれる子なんてのは現実には一切、全く、金輪際存在しない。まずここまでの話に同意できないやつは創作の読みすぎ、そうでなきゃ宗教の影響を受けすぎだ。どうせ宗教をやるなら禁欲を徹底して処女懐胎くらい起こしてみろやw

よって親は子に対しあらゆる贖いをしなければならない。もちろん(それが子の望みを叶える手段または子の望みそのものでない限り)肉体的な死は贖いにならない。何故ならそれは独善しかありえないかである。贖いとは子の望みの一切を叶えることであり、またそれ以外を一切行わないことである社会的に死に、子の魔法の杖でのみあれ。老いずとも子に従え。自ら贖うことの叶わないときには同等かそれ以上の代償を払ってでも叶えよ。子の望みが下僕に伝わらないのは下僕能力に難があるのであって、断じて子に望みが無いことを意味しない。解釈をするな。正解を出せ。そもそも子の望みを子に伝えさせている時点で下僕として不適格である本来、子がステーキを食べたいと望んだときには既に子はステーキを食べ終わっているべきであるしかし非常に不本意なことにそれを叶えるのは誰にとっても現実的でない。したがって下僕はあらゆる所作の初めと終わりに「申し訳ございません」と発さねばならない。これは「御望みをお叶えすること能わず申し訳ございません」であり「御自ら直々に御言葉を発させてしま申し訳ございません」であり「生んでしま申し訳ございません」である。この程度のことで得られるものは少ないが、何も無いよりはよほどマシである。それくらいの態度は示せ。許しも得ず勝手に生んでおいてその程度の贖いすらできぬ者が傲慢でなくて何であろうか。

これを完璧にこなせる者のみが親である資格を得るべきである。俺には無理。既に親である者には無理と言わせねえぞ。しかほとんどの人には無理だろう。だから人は子を為してはならぬし、子を為し得る行いもしてはならぬ。あらゆる人生自死のいずれかでしかない。親でないうちに死なねばならぬ。そういうわけでとっとと去勢したいのだが、どこでやってくれるんだろう。阿佐ヶ谷ロフト人肉食事件当事者に聞けばいいのかな。俺のこの望みが未だ叶っていないのも、俺を生み俺を育てたと勘違いしている者が一度たりとも正しく俺の親であったことが無いかである。恥を知れ。

  • 社会が金と教育と医療を与えるのの代理人してるだけなんだからそう重くとらえなくても。 なんで罰みたいにおもってるのさ、おまえ子どもの時からそんなにひどかったのか。

  • あー、またひとのせいにしてるー

  • 鼠に贖う猫がフィクション以外のどこにいるよ?創作の読み過ぎはおまえじゃねーの

記事への反応(ブックマークコメント)

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