はてなキーワード: ケラーとは
長文。
25のときにプロジェクトがおおこけしてから、課長にパワハラを受けながらのプロジェクトが続いた。終電、タクシー、徹夜を繰り返す毎日。若さと馬鹿さは紙一重。当時は身体など気にせず、心がおもむくまでの天才プログラミングが毎日続いているなどと勘違いしていた。
最終的にそのプロジェクトは、新卒がぶらぶら入ってきて、自分は「あいつらのほうがおまえよりも生産性高いし、まじでいままで何やってんだよ」と罵倒され続け、心がくじけてしまった。最終的には、どうでもいいテスター業務なんぞやらされ(実装屋としてはそのころからテスターは大っ嫌いな仕事)をやらされて、もう気持ちが参ってしまった。
その時まで、いろんな組み込みをしてきた。SCSIとか、USBとか、画像処理とか、JPEGとか、MPEGとか。会社で勉強して、組み込んで、間違えて、直して、テストして、OK/NG見て。心がNGラインの曲線を描きながら、父に殺せ、母に殺せ、と実家暮らしが災いした。死ななくてよかった。(そこから数か月工場に通ったが、朝が早すぎて体力的に持たなくなってしまった。同時にパワハラからのうつが、どんどんとひどくなり、結局持たなかった。(その後パワハラ上司は窓際に追いやられたらしい。)
会社を辞めてから、なぜかコピーライターになりたくなってしまった。そして実際に2つの会社を経験し、泣きながらやめることになる。
一つ目の会社は、有給がなかった。コピーライター養成講座に通いながらハローワークで見つけた求人で、「有給ないんですか」って言ったら「んなもんねーよ」と、確かに誰も文句ひとつ言わずに、有給なし、ボーナスはデザイナーのみ(デザイン事務所だったから)、うつは隠して働かないとで、結局、夜は全く帰れず病気が辛くなり辞めてしまった。
それからもう一社で働いたが、Macの起動音を聞くと辛くなるほど追い詰められ、結局退社。(それ以降、Macでどや顔している人たちにはちょっと嫌な気持ちを抱く)
さあ、じゃあ、自分は売り物があるんだ、結局プログラミングしかないじゃないか、とJava屋さんに転向。この時の身売りが結局今までを何とか結び付けた。
月の残業は20時間程度、終わった後の主な業務は飲み会っていう天国に(一回終電もあったけど、すげえ怒られた記憶もあったけど、一回土曜日出勤してピクニック気分で派遣さんがお弁当作ってきてくれたけど、ほんとにいい思い出しかねえ)。
3年ほどプログラマをしてから、ライターに転向したり、自分にとって屈辱的なテスターに転向したりなどしつつも、幸せな生活を保っていられたのが崩れたのは会社の上場。それによって何もかもぐちゃぐちゃになった。社内政治が生まれ、嫁をとった自分には再び苦しい現実が続き、「あの野郎、ぶっ殺してやる!」という罵声が飛び、結局従い、残る人は残る人、辞める人は辞める人といった選別が行われ、結局辞めざるを得なくなった自分は、何のあてもなく千切れる糸を眺めていた。
そのころ、地震があった。テレビから逃げられず、結局3か月休んだ。フラグは立ちまくった。
その後、何とか働かしてくれる取説の会社があった。まじめに働いててもそもそもの英語力のなさで各方面に迷惑をかけた。
迷惑をかけながら、結局自分は障碍者ではないのか、という疑念がわいた。それをあまり検証せず、もう現状の仕事を続けていくのは無理と感じた。
でも割と給料暮れるし、そこそこ幸せ。いつかは正社員か。などぼやきながら働いている。
落ちて行っているのか、どうなのか分からないけど、誰の参考にもならないけど、生きるって、こういうのもあるんだよっていうのを増田ってみました。
本気で世間を変えようなんてことは思ってなくて、ただビッグウェーブに乗ってるっていう感覚ばかり楽しんでて、少し経つと飽きて、掌返してカバオのAAを貼ってるタイプではあったけど、
どこか「ほんの少しだけでも変わるといいな」と期待している自分はいた。間違いなく。
変わらなかった。
顔を出していようが金の力が無いならなんの意味もない。
ネットはゴミで溢れてて、ゴミに世間を動かす力はなくて、金になるゴミを掻き回して漁ってる人間が得をしておわり。
こう考えるようになってから、せめてゴミを漁っている人間が得をしない方法を模索し始めた。
ゴミ漁りに意味が無くなれば、よくわからない力に掻き回されずに済む。
せめてよくわからない力とは離れた場所で、議論ごっこや茶化し合いをして遊んでいたかった。
でもこれもすぐ諦めた。
顔を隠した人間が何をしても、何の意味も成さないから、自分の模索には意味がなかった。
好きの反対は無関心だってヘレンケラーだかガンジーだかが言ってたと思うけど
つまるところ自分がネット越しの相手にできることは、ただただ触れるのをやめて、忘れることしかない。
それしかない。
本気で世間を変えようなんてことは思ってなくて、ただビッグウェーブに乗ってるっていう感覚ばかり楽しんでて、少し経つと飽きて、掌返してカバオのAAを貼ってるタイプではあったけど、
どこか「ほんの少しだけでも変わるといいな」と期待している自分はいた。間違いなく。
変わらなかった。
顔を出していようが金の力が無いならなんの意味もない。
ネットはゴミで溢れてて、ゴミに世間を動かす力はなくて、金になるゴミを掻き回して漁ってる人間が得をしておわり。
こう考えるようになってから、せめてゴミを漁っている人間が得をしない方法を模索し始めた。
ゴミ漁りに意味が無くなれば、よくわからない力に掻き回されずに済む。
せめてよくわからない力とは離れた場所で、議論ごっこや茶化し合いをして遊んでいたかった。
でもこれもすぐ諦めた。
顔を隠した人間が何をしても、何の意味も成さないから、自分の模索には意味がなかった。
好きの反対は無関心だってヘレンケラーだかガンジーだかが言ってたと思うけど
つまるところ自分がネット越しの相手にできることは、ただただ触れるのをやめて、忘れることしかない。
それしかない。
一番の理由は寒さだ。
寒さに極端に弱い人間にとって、この時期野外で飲むのは、生きながら味わう地獄でしかない。
そうなると全てが面白くなくなり、完全に心がスニッカーズの泉ピン子になる。
あと、冷えて全然美味しくない自称料理自慢の手弁当を食わされるのも苦痛だ。
もうさあ寿司取ろうぜ、いい歳の大人は…みたいな感情が口に出さずとも全身からオーラの如くほとばしり、場の空気を悪化しかねない。
寒い・泥酔した友人がウザい・トイレもままならない・冷えた弁当が全然味しくねぇ。
と、ヘレンケラーの三重苦を上回る苦痛さに、ここ数年誘われてもことごとく辞退している。
でも、花見をしている人を、外から見守るのは本当に楽しいんだよな。
江戸遊びをしたり、太鼓と笛に合わせて踊っていたり、雀卓持ち込んだり、おっさんの二人組が目を細めて川辺でぷかーっとタバコふかしたり。
みんなこの世の極楽みたいだ。
でもあの仲間に入るのはごめんなんだよな。あの仲間に入りたい気持ちはあるのに。
ライドオン!
ダンディー、最近体重が気になってジョギング始めようと思った。
で、ダンディー読もうとして1ページ目を開いたらなんて書いてあったと思う?
膝に負担がかかるから、まず体重を減らしてからにしなさい、って。
ゲッツ!
いやほんと笑っちゃったわ。
有酸素運動よ!
いろいろとシューズとかトレーニングウエアとか揃えてみたいわね!
ゲッツ!
夜はずっと野菜鍋が多いので、
それで締めのおじやです。
翌朝のご飯にするのよ。
だいたい1回じゃ飲みきれないから
2日分で飲み切っちゃってもいいかしらね。
面白かった超ウケた話。
ヘレンケラーのお芝居で
でも、なかなかうまくしゃべれないから「ウォ、ウォ、ウォーラー」的な感じだったんだけど
日本語でのそのお芝居は
「ウォ、ウォ、みず!」
急に「ウォ」からの「みず!」とか
まさに奇跡ね。
すいすいすいようび~
今日も頑張ろう!
- 自分に言葉や社会のルール、基本的な道徳観を教えてくれのはだれか?
と考えると、遺伝因子、環境因子の両方の影響を両親から受けていたと、思うよ。
ヘレンケラー女史に、サリバン先生がいたみたいに、自分を良く理解した上で適切な方法で根気よく導いてくれる人がいるって大切なことだよね。
だけど、アスペルガーだと、人との関わりが上手くいかないし、ADHDで、感情のコントロールも苦手だったりだと、人から理解されずらいし。
なんだろう、人の助けを得ようにも、得ることが上手く出来ないから、そもそも、困っている。
『人は、支え合って生きているんだよ』という基本的なことであっても、僕も、僕の親も、知らずに育ったように、思うよ。
父親は、僕の祖父へ助けを求めることや、会社の人や学生時代の恩師に助けを求めることが出来なかった。
母親も、父親を支えきれなかった。
両親自体が、彼、彼女らの境遇を受け容れきれていなかったように思うよ。
自分自身の性格・気質・能力について、折り合いをつけることが出来ないでいた。
つまり、元増田が言うように、「頭がくらくらする」為に、どうしていいのか、わからん状態が、一生続くかと思うと、絶望してしまう。
砂に水を注いでいるようで、何も自分には蓄積していないように、感じる。
また、ある程度、落ち着いて来た時に、親は愛情を注いでくれたつもりでも、自分では素直に受け取ることが出来なかった面があったようにも、思えるようになりつつあるのかな。。。
普通の人と同じ努力をしても、報われないのだから、やる気もなくなるべ。
そもそも、僕は、自分の失敗から学ぶということが、苦手だったよ。
短期記憶の能力・認知能力が低いとか。同時並行で、処理をすると頭が固まるとかさ。
これらは、直しようがないわ。
いくら、タメになる自己啓発本(w)とかを読んでも、理解の仕方が一般の人とは異なるし、アウトプットで、いつもつまづく。
相手の立場や理解度に合わせて、表現を選んでいくと言うことが、苦手だったりするよね。
単純なペーパーテストでも、ケアレスミスがあったりで、分かっているのに、点数に結びつかずに、意味が無いってのがあるよな。
増田に何かを書いて、ブクマがついて、スターがついて、文章力が褒められるだけでも、マシになったかとも、僕の場合は、思うよ。
作家とか、プログラマー出身のブロガーとか、コンサルタント的な人の中には、どう考えても、発達障害です、ありがとうございました、
という人も、ちらりほらり、いるし。
長島茂雄の子供(一茂も三奈)なんかは、タレントとしては、空気を読める人たちに思うから、
環境によって変わることも、大きいのだろうね。
奥さんが、定型なのかな。
羽鳥慎吾、ホンジャマカの恵なんかを始めとする優秀な司会者は、定型の代表者だと思う。
多くの人の感情を読み取り、適切な言葉で表現することが、上手いから。
一方で、リアクション芸人とか、特殊な分野で一芸に秀でているタイプの人は、
自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)やらADHDでも、やっぱし成功しているように思う。
極端な例になるが、
松岡修造とか、家庭生活では、イマイチな話を聞いたことがあるし。
アスペルガー症候群って今は、自閉症スペクトラムって呼び方に変わって来ているようだよね。
最近、NHK教育テレビで見て参考になったTEDがあるので、リンクを貼ります。
子供の頃に自閉症と診断されたテンプル・グランディンが、彼女の脳の働き方について話します。彼女の“絵で考える”能力が、一般的な脳が見落としがちな問題の解決に役立つと言います。世界は、自閉症の領域にあるとされる人たち-視覚型思考者、パターン型思考者、言語型思考者や全ての風変わりな天才達-を必要としていると訴えます。
http://www.ted.com/talks/temple_grandin_the_world_needs_all_kinds_of_minds?language=ja
http://anond.hatelabo.jp/20150816190009
を
ボトルゲージ
と呼ぶ人が未だにいますしね。
は
カゴ的な意味で
ゲージ
は
ケージのほうがしっくりくることは言うまでもありません。
ドリンクボトルを保持するカゴ=ケージだから、ボトルケージです。
10年ほど前でしょうか
という単語も、昔は
レリース
http://ejje.weblio.jp/content/release
ちなみに、軍事の、銃で言うところの
ヘッケラーアンドコック
ヘッケラーアンドコッホ
銃器メーカーH&KについてH&K(Heckler & Koch )の正式... - Yahoo!知恵袋
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1256168152
パソコンやスマホ、タブレット、パソコンパーツで有名なASUSに至っては
エイサス
アサス
と4つ以上にのぼる。
増田はよく荒れるなあという印象だけど
私はこの人の言ってることにある程度共感もするし、
まったくズレている感性ではないと思う。
ハングリー精神があるわけでなく、
「性」というフィルターで見えてくる他人の欲望に触れるのが苦手なんだと思う。
それが"モノを知らない子供っぽい思想"という批判はあるかもしれないけどね。
自分が「かわいい」という理由で買ってる服も、文化的商業的に男性へのセックスアピールを内包していて、
「かわいさ」という価値観が男性にコントロールされてしまってる感覚に嫌悪があるんでしょ。
とはいえこの肌感覚・ジェンダー感は、セックスから逃げてるとか拗らせてる、とかではなく
ひとつの理性主義として受け入れられてもいいと思うんだけどな。
元増田さんかい?
一時的にそれらの地域で英語が使われることはあるかもしれないが、人口、経済規模、教育水準あたりが整備されるなら当然のごとく現地語に置き換わっていくと思うよ。
一般論はその通り。ただ実際にはそんな状況にないことは、ケニアなりケラーラの人に聞けば判る。現地語での諸環境整備への最大の障害は「地域圧倒的多数派の言語」と言えるものがないこと。例えばスワヒリ語は東アフリカの大言語だけど、この地域の言語は500以上あって民族意識もあってスワヒリ語公用語化への反発は強い(タンザニアとか国語化しようと頑張ってるけど)。英語の方が抵抗がないし、実際ビジネスにつながるのもあって、意欲のあるキクユ人はスワヒリ語じゃなくて英語を頑張るんだよ。
一番英語に不自由しなさそうなスカンジナビアの地域連合でさえ、英語じゃなくてその地域の言語を公用語にしてるよ。
これは認識不足では?そもそもスカンジナビアの地域連合という組織に思い当たる節がないから、自分の誤解かもしれんけど、北欧の範疇で言えば、確かにノルウェー人とスウェーデン人が会話するなら、お互い母国語で済ませるけど(通じちゃうからね)、それはあくまで私的な会話での話。ある程度オフィシャルだったり、フィンランド人が加わったりすればやっぱり英語で話すのが普通だよ。スカンジナビア人は言語が近いだけあって、英語が流暢な人多いしね。
なんでアフリカの「仏語圏」がわざわざ英語を共通語にするわけ?どう考えても仏語の方が蓋然性高いでしょ
もちろん。ただし西アフリカなんかの仏語優位は一時的な現象にとどまる可能性が高いと踏んでるよ。「英語圏が過半数の地域で国際共通語の地位を占めるような事態になる」ことが(王手がかかっているけど)まだ決定していないのは、ヨーロッパ系言語圏、特にスペイン語圏やフランス語圏なんかが「英語化」に反旗を翻す可能性が残っていると思うから。ただし仏語圏やイベリア語圏(これは既にある程度確立してるね)という形で共通語圏が一旦定着してしまった後、それらヨーロッパ系言語の共通語圏が英語共通語化の流れにどこまで抵抗できるか怪しいはず。母語=共通語のスペイン語圏は残る可能性があるけど、一旦非母語を受け入れた国が、その共通語をさらに英語に置き換えるのに抵抗が強いとは思えないよ。
当然できる。
人とつきあうということは、相手を知る作業を進めていくということ。
相手を知ることはつまり意思疎通をすることに他ならない。
言葉が話せないということは「言葉による」意思疎通ができないだけだ。
言葉を話せる場合よりも難しいことは多いだろうが、筆談やメールやチャットがあれば解決できることも多いだろう。
また、言語的な意思疎通よりも、表情や仕草など、副次的な意思疎通も非常に重要であることは理解してもらえると思う。
やはり結論は、十分に付き合うことができる、だ。
補足だが、正直な感想としては、盲目で耳も聞こえない(つまり言葉も発せない)人が、他人と愛し合うことは不可能であろう。
(ヘレンケラーは意思疎通をする方法を取得したので別枠)
下のほうにも似たような人がいたけど、
ドキュメンタリーばかりやっているよう。
昔の道徳の本にでてきたヘレンケラー、というか障害者でいいの?
人たちにあげて施設とかに入ってもらえばいいのに。
くわしくしらないけどTV番組ってすごくおかねかかるんでしょ?
治らないような病気だったら取り上げるのもどうかと思う。
個人的にはこういう人たちってすごいずうずうしいから実はあまり好きじゃない。
あと、よくみると子供が多いみたいで、親も一緒にでてくるけど
こういう子どもが生まれないようにおなかの中にいるときに
チェックできないのかな。わたしは子供まだ産んだことないからわからない
けど産婦人科に定期的にいってるみたいだし。
もし自分だったらおなかにいる子供がああいう人だってわかったら
即効産むのやめる。自分も子供も周りの人もみんな苦労するだけだからって
本当に思うから。
大丈夫、当に雄飛すべし。中国の故事
良薬は口に苦くして病に利あり。忠言は耳に逆らいて行いに利あり。孔子
聴くことを多くして、語ることを少なくし、行なうことに力を注ぐべし。成瀬仁蔵
昨日が曇りなく公明であったら、今日は力づよく自由に働け、明日にも希望がもてる。明日も同様に幸福であれと。ゲーテ
天高うして鳥の飛ぶに任せ、海闊うにして魚の躍るに従う。大丈夫この度量なかるべからず。
衣を千仞の岡に振い、足を万里の流れに躍らす。大丈夫この気節なかるべからず。石川丈山
志なき人は聖人これを如何ともすることなし。荻生徂徠
よろしく身を困窮に投じて、実才を死生の間に磨くべし。勝海舟
臨終の夕までの修行と知るべし。上島鬼貫
危ぶむこと淵に臨むが如く、慎むこと氷を履むが如し。孝謙天皇
多くの事をするのは易いが、一事を永続きするのはむずかしい。B・ジョンソン
善を見ては渇する如くし、悪を見ては聾するが如くす。太公望
心は非常に楽しむべし苦しむべからず。身は常に労すべしやすめ過ごすべからず。貝原益軒
服従は人間の普遍的義務である。屈曲しない者は挫折するより外はないであろう。カーライル
我日々に三度わが身を省みる。曰く午前中何ほど世界に善を為したりやと。さらに夕と夜に。ブース
完全なある物を創作しようとする努力ほど、心霊を純潔ならしめるものはない。ミケランジェロ
労働は適時にはじめること。享楽は適時に切り上げること。ガイベル
人間が自分の仕事において幸福であろうとするならば、その人間はその仕事を好きでなくてはならぬ。その人間はその仕事をやりすぎてはならぬ。その人間はその仕事を成功するという感じを抱いていなければならぬ。ラスキン
真の閑暇とは、われわれの好きなことをする自由であって、何もしないことではない。ショウ
ひとびとは閑暇を犠牲にして富裕をうる。だが、富裕をはじめて望ましいものにする唯一のものである自由な閑暇が、富裕のために犠牲にせねばならないならば、私にとって富裕が何になろう。ショウペンハウエル
学問は、ただ年月長く、倦まず怠らずして、励み力むるぞ肝要にして、学びやうは、いかやうにてもよかるべく、さのみは拘はるまじき事なり。本居宣長
ランプがまだ燃えているうちに、人生を楽しみ給え。しぼまないうちに、ばらの花を摘み給え。ウステリ
最も純粋で最も考えぶかい人は色彩を最も愛する人々である。ラスキン
「熱望」することはこの上もなく容易なのに、「志す」ことはなぜ、そんなに難しいのか。熱望のさい、口を利くのは弱さであり、志すさいには強さだからである。リントネル
人間が、自分で自分の内から才能をつくらずに、これを他人から貰い受けることができると考えるのは、無理な話であって、あたかも招かれた先で、医者とたびたび晩餐を共にするだけで、健康を養うことができると考えるようなものであろう。プルースト
日に新たに、日に日に新たにして、又日新たなり。大学
機会を待て。だがけっして時を待つな。W・ミュラー
人生の幸福とは何であるかを知ったら、お前は人の持っている物など羨ましがる必要はない。プルターク
およそ事業をするのに必要なのは、する力ではなく、それをやりとげるという決心である。リットン
私は想像する。私はそう思う。私はそう信ずる。私はそのとおりになる。ヨガのことば
人事を尽して天命を待つ。古諺
艱難汝を玉にす。日本のことわざ
問題を正しく掴めば、なかば解決したも同然である。C・ケタリング
今日立てたプランは、その日に最高なのであって、次の日には、すでに最高とはかぎらない。周囲の状況は、生きかつ動いているから、毎日毎日、計画を検討すべきだ。加藤升三
真実とは苦い薬である。人はそれをのもうと決心するよりも、むしろ病気のままでいる。コッツェブー
あることを真剣に三時間考えて自分の結論が正しいと思ったら、三年間かかって考えてみたところでその結論は変わらない。ルーズヴェルト
あるのは目標だけだ。道はない。われわれが道とよんでいるものは、ためらいにほかならない。カフカ
われわれが悩めるひとにあたえることができるいちばん正しい助力は、そのひとの重荷を除去してやることではなく、そのひとがそれに堪えうるように、その人の最上のエネルギーを喚び出してやることである。ヒルティ
天才とは自ら法則を作るものである。カント
人間の強い習慣や嗜好を変えるものはいっそう強い欲望のみである。マンデヴィル
読書は人間を豊かにし、会議は人間を役に立つようにし、ものを書くことは、人間を正確にする。ベーコン
平凡なことを、毎日平凡な気持で実行することが非凡なのだ。A・ジード
やってみなわからしまへんで、やってみなはれ。鳥井信治郎
何でも見てやろう。小田実
わたしの前には道はない。わたしのうしろに道ができる。高村光太郎
一度に一つずつ行なえ。あたかも自分の生死がそれにかかっているような気持で。U・グレース
一日に少なくとも一つは自分の力のあまることをなしとげようとしない限り、どんな人間でも大した成功は期待できない。E・ハーバート
相談するときは過去を、享楽するときには現在を、何かをするときには未来を思うがよい。ジューベール
人間とは一つの総合――無限と有限、時間的なものと永遠なもの、自由と必然――である。キェルケゴール
大事な事は数字を使って話すことではなく、数字に裏うちされた行動を起こすことである。中村輝夫
己が欲を遂げんとて義を失ふは、小人と申すべし、されば、義を目的として欲を制し申すべきことと存じ候。広瀬久兵衛
学問ありて、しかるのち先見あり。先見ありて、しかるのち力行あり。カント
死ぬよりも、生きている方がよっぽど辛い時が何度もある。それでもなお生きていかねばならないし、また生きる以上は努力しなくてはならない。榎本健一
若者の遊山を好むは、然るべからず候。御奉公の道油断なく候えば、遊山がましき事存ぜず候。又徒然なる事もこれなく候。藤堂高虎
天才?そんなものは決していない。ただ勉強だ。方法だ。不断に計画しているということである。ロダン
桃李もの言わざれど、下おのずから蹊をなす。史記
今日を捕えよ。他日ありと信ずることなかれ。ホレース
「いったいどれだけ努力すればよいか」と言う人があるが「キミは人生をなんだと思うか」と反問したい。努力し創造していく間こそ人生なのである。御木徳近
日々を神とともに始め、神とともに終われ。ウェスリー
学生よ勤勉なれ。この語の中には学生の有すべき一切の美徳が含まれている。カーライル
美しいバラは刺の上に開く。悲しみのあとに必ず喜びがある。W・スミス
善いものは常に美しく、美しいものは常に善い。ホイットニー
ものを観るのに目をあいただけでは足りない。心の働きがなくてはならない。ミレー
ささいな出費を警戒せよ。小さな穴が大きな船を沈めるであろうから。フランクリン
悦びは人生の要素であり、人生の欲求であり、人生の力であり、人生の価値である。人間は誰でも、悦びへの欲求する権利を有している。ケップラー
汝の敵には嫌うべき敵を選び、軽蔑すべき敵をけっして選ぶな。汝は汝の敵について誇りを感じなければならない。ニーチェ
価値は名声より尊い。F・ベーコン
偉大なる精神は、偉大なる精神によって形成される。ただしそれは同化によるよりも、むしろ多くの軋轢による。ダイヤモンドがダイヤモンドを研磨するのだ。ハイネ
光はわが世に来りつつあり。人は闇を厭い光を愛す。カーライル
花のかおりは風に逆らえば匂わず。されど、善き人のかおりは風に逆らいても匂う。法句経
愛は精神を与える。そして精神によってみずからをささえる。パスカル
春に百花あり秋に月あり。夏に涼風あり。冬に雪あり。すなわちこれ人間の好時節。松尾芭蕉
修身斉家治国平天下。大学
勤めても、また勤めても勤め足らぬは勤めなりけり。道歌
非理法権天。楠木正成
私はつねに、二年先のことを考えて生きている。ナポレオン
人生においては、チェス競技のように用心が勝利を収める。バックストン
いかに快くとも未来を信頼するな。死んだ過去はその死んだものを葬るがよい。生きた現在に行動せよ。意気を心に、神を頭上に。ロングフェロー
現在は過去と未来との間に劃した一線である。此の線の上に生活がなくては、生活はどこにもないのである。森鴎外
さらばここにまた一日、青空の朝は明けた。考えよ。汝はそれを無用に過ぎ去らしめようとするか。カーライル
簡素で高ぶらない生活の仕方は、だれにとっても最上のものである。肉体のためにも精神のためにも最上のものである、と私は信じている。アインシュタイン
労働なしにひとり休息に達することもなく、戦闘なしに勝利に達することもない。T・A・ケムピス
世を長閑に思ひて打ち怠りつつ、先さしあたりたる目の前の事にのみまぎれて月日を送れば、ことごとなす事なくして、身は老いぬ。吉田兼好
冬来たりなば春遠からじ。シェリー