『あずみ』に登場する千代蔵を見ていて考えたのだが、現代のろうあ者はコンピュータを介して言語を習得することが出来るのだろうか。
すこし検索した範囲では、実際に聴覚障害を持つ方がコンピュータ技術者として活躍しているようだ。
ただ、これは事故などで聴覚を失われた場合の話のようで、ヘレンケラーの物語のように物心つかないうちに障害を背負い、基礎的な言語教育を受ける際に困難に直面したケースについてではないようだ。
小説や映画のストーリーとして、ヘレンケラーのストーリーを縦糸の下敷きにして、コンピュータ、特に黎明期のUNIX文化の雰囲気をディテールに織り込んだ物語を考えたら面白いかも。
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