http://anond.hatelabo.jp/20070420222852
社会は「最大多数の最大幸福」を求めるべきである、というのが近代法治国家の常識と思ってるのだが。
大前提:人の死は不幸である
よって、なるべく多くの人が、なるべく長く生きていける社会の方がよい。
もちろん、より幸福に生きていける方がより良い。
より多数の人が死ぬ→不幸になる事を避けるために、人を殺す事もある。死刑、戦争など。
しかし、別の手段で避けられる→より「最大多数の最大幸福」が得られるのではないか?→戦争・死刑反対となる。
社会主義→すべての人は等しく平等で、等しく富をわかちあえば、より多数が幸福である
→だれかが平等となるようにコントロールせねばならず、そこに権力・富・幸福の格差が発生する。
→競争力が奪われ、国力が衰え、結果として多くの幸福が得られない。
自由主義→個々が幸福となるために最善と思われる行動を行なう事で、結果としてより多数が幸福になれる
と、いう場合にはとても居心地が悪いものです。
なかなか上手くならないし。
ただ、コミュニケーションを試みた事によって不愉快になったとしても、それをコミュニケーションの当然な一要素として受け入れられるようになったのが進歩かな。
嫌な気持ちは拭い去れないけれども、必要なことだから仕方ない。
そうかとカレンダーをみて思った。
http://anond.hatelabo.jp/20070420231510
好きな子がいてゲットする方法はわかったけど、
好きな子がいなくなって、誰にアプローチかけていいかわからないときに
どういう行動をとればいいのかわからない。
http://anond.hatelabo.jp/20070420225152
Webアプリはどこまで発展するのだろう。OSを越える存在になってるだろうか。
ユビキタス社会はどこまで浸透しているのだろう。どんな使い方をされてるのだろうか。
P2Pはどこにゆくのだろう。HTTPに変わるなにかになってるのだろうか。
今だと想像できないような事が起こってるのだろうか。
そのはずなんだが、逆に見ればただの「文句言い」とも取れる件。
徹底してネガティブ思考を刷り込まれると俺みたいになるぜ。長所が長所に見えず、逆から見て短所にするようにな。
幸いにして嫉妬の感情が薄いおかげで、他人様に対してこの思考癖が発動したのは「然るべき時」だけで済んでいるが。
14.4kbpsのモデム買って来てInterQの電話料金にビクつきつつ接続してた当時
こんなに生活の中心になるような使い方をするとは思っても見なかった。
ふつーの会話は問題なく出来てるんだが、不意に舌がまわらなくなることがある。
苦手な上司に挨拶する時とか、自分とは異なるタイプの人と喋ってて予想外の話題を急に振られた時とか、ちょっと緊張した時に
「あsdfghjkl;;
(相手の怪訝な顔を見て冷汗)
・・おっ、おはようございます」
てな挨拶になっちまうことが度々あって、私・・社会経験のあるいい歳の大人なのに・・・と後でかなり落ち込む。
(しかし、仕事中お客さんや取引先とお話する時には全然そういうことにならない。)
自分の家族とか、長年付き合いのある友達とは案外、決まったパターンで言葉のやり取りをしてきているもんだなぁ、と思うことがあるんだけど、少し構えてしまう相手と話さないといけない時、舌がまわらなくなるのは何でなのかなー。
増田さんは、こういう時どうしてる?
1日5??10時間くらいの使用が5年ほど続くと、いろいろ支障が出てくるから止めた方がいい。
たぶん、とある社会が「より多くの人を楽にするとか幸せにする」目的で設計されたが故に
その社会の存続が社会の第一目的化してしまう、てなこともあると思うんですよね
大きすぎてもダメなんだけど、場所によってはある程度大きくないと国家の体をなさず、
みたいな地域もあるし、まだ壮大な実験中の国が一つありますよね
失敗しても気づかない。
顧客や取引先から顰蹙買っても気づかない。
さすがにヤバいと思ってフォローしてもフォローされたことに気づかない。自分でやったと思っている。
ぜんぜん気がつかないケースもあるから恐ろしい。