はてなキーワード: きりたんぽとは
https://mainichi.jp/articles/20200204/k00/00m/040/023000c
別にいいんじゃねえの
5万だろうが1000万だろうが
「知らねえよ。きりたんぽは黙ってろ」
とか言われて終わるだろ
本当に止めたいのなら暴力以外ない
http://anond.hatelabo.jp/20161201112500
http://anond.hatelabo.jp/20161201112539
なんだろう、いやこれどっちも言わんとするところはある程度分かるんだけど、
「千葉も埼玉も神奈川も「関東」だけど「東京」だとは思ってない、俺も元増田について「和歌山も兵庫も京都もあれもこれも「関西だ」とは思っても「大阪」だ」とは言ってない」
と思うし、
「似たようなことは思うけどきりたんぽは秋田のもんだーぐらいわ分かるわ、それ言ったらお前ねぶたとねぷたちゃんと区別してんの?」
とか思うし。
個人の知ってる度合いの違いはあるだろうけど、東日本勢からしたら、西日本の方言全般の区別は付けづらいよ。
この感じ、伝わらないかなぁ。
西日本人(近畿人?関西人?西日本全般?)だって、東北弁をこれは青森弁っつうか津軽弁、これは福島、これは秋田だけど市内の方でしか使わない、とか分かんねーだろ?
ネットでは日々様々な議論が行われているが、アウフヘーベンまで昇華しているものは稀で
ほとんどが、それぞれの主張をして、自分だけが正しいという信念を持ったまま何も変わらずに終わり、
なぜネットではそのような不毛な議論が行われるのだろうか。今回はそれについて書きたい。
「ヤバイ」という言葉はシチュエーションや言い方によって幅広い意味を持ち、人によって解釈の幅がある。
にもかかわらず、ネットでの議論はこうした言葉の定義に厳密さを求める姿勢が少なく、
それぞれが自分なりの解釈、時には都合のいい解釈やレッテル貼りをすることで議論がかみ合わなくなる。
そうした結果、相手をバカと認定することになり、各々がバカと過ごすのは時間の無駄と結論づけられる。
例えば「青森」という単語を出したとしよう。それは青森県全域を示しているに他ならない。
しかし、人によっては「青森=東北」と解釈し、東北という意味で捉える。
青森はりんごがおいしいよねと話していても、そうとは限らないとか、きりたんぽの方がおいしいなどという答えが返ってくる。
また、その抽象化した概念に関連したレッテルに置き換わることがある。
「青森=東北=福島=原発」くらいまで飛躍してしまう人もいる。
青森の話題を出しているのに、東京電力が!放射線が!という突飛な単語が出てきてびっくりすることもあるだろう。
彼らにとっては「言葉の厳密さよりも、自分がその言葉から何を連想したか」の方が重要で、それがその言葉の本当の意味になってしまっているだ。
これが、実態を持たない形而上の議論というのはこういうおかしさを確認するのがむずかしくなる。
例えば一橋自殺の事件に対するコメントでも、ゲイに対するそれぞれが持つレッテルや常識が客観的な議論を妨げている。
彼らの中での常識に反している=異常=排除すべき のような流れになっていることも少なくない。
彼らは言葉の定義や自分たちの解釈の「揺らぎ」について把握しようとしない。
指摘をしたとしても実態をともなわないため、図で示して明確にまちがっているということを表現しづらいのだ。
ネット上では愛知県を東日本と考えている人と西日本と考えている人がその違いを把握しないまま、東日本の県の数はいくつなのに
あいつは数も数えられないのかと憤慨しているのだ。
しかしながら、こういう「揺らぎ」を理解しようとするものは少数派だろう。
そもそも「定義付け」なんてものは現実世界の日常会話で行ったら気持ち悪いと思われるのが関の山だ。
ネットとリアルの境界線が曖昧になった今、そんなことをしようものなら気持ち悪いやつというレッテルを張られ、
「定義付け」自体も気持ち悪いやつの行う気持ち悪い行動となり、
彼らをまともな議論に導くことは困難になるだろう。
結局、授業でディベートなどを導入し、言葉の「揺らぎ」を自覚させ、定義付けの重要さを頭がこり固まる前に刷り込ませるしかないのである。
それまでは、ネットでの議論なんてものは不毛で、一部のまともな人の間でしか生産性を持たないのである。
ーたけを
時はいま 星がしたたる 中世ニャッポン時代。創作では無視されがちな天災は忘れた頃にやってくる。
誰が不規則発言をしたのか、増田家(士)の本拠にもある日、赤い星が大量に降り注ぎ、多くの住民が家から焼き出された。
元からよくない衛生環境の悪化が追い打ちとなって、疫病が蔓延する気配が満ちる。
こんな時に台風にでも襲われたら……気象衛星のない世界、人々はいつ来るかも分からない災害の追い打ちに怯えていた。
隣国の窮状を哀れんだ増田家(十)当主は救援物資を南に送った。
食料や衣服、少ないが家を造るための大工道具など、人々が必要とするものを。
「舐められたらおしまいだ」
彼は救援物資を厳しく追い返すと、指をくわえてそれを見送る人々に言った。
「彼の増田家、鼻持ちならない文明人気取りたちは、我らの尊厳を踏みにじろうとした。
敵の哀れみを受ける必要はない、我々には必要なものを勝ち取る力があるのだから。
隣国の豊かさは今、その方等が見たとおりである。いや、あれは不要な余り物にすぎない。
戦って勝てば、より多くの物を思うがまま、なんの惨めさも感じずに手に入れることができるのだ。
生き残るために戦え。勝て。奪い尽くせ!」
むちゃくちゃな演説だったが、食料がなく反乱を起こすこともできない民衆の現実はもっと苛烈だった。
ほとんどやけっぱちになった増田軍は突き返した援助物資の後を追って北へ向かった。
「こんな話があるか!」
恩を徒で返された気分だったが、冷静に状況を検分すれば、増田家(士)は恩を受けないことで戦争の不義を避けたと考えられる。
情報通信に時間が掛かるとはいえ、受け入れ側の都合を問い合わせず一方的に贈ったのも議論のあるところだろう。
しかし、ハイソな当主はそうは感じなかった。怒りのままに遮二無二突撃してくる敵兵を、自慢の手銃部隊に迎撃させた。
轟音。
次々と黒いきりたんぽのお化けが火薬の炎を吐き出し、鉄球に増田兵が倒れていく。
最新兵器の大量運用。大陸と親しい増田家にとっては伝家の宝刀である。
これで敵の第一波はほとんど粉砕されたが、しかし、銃撃からの生き残りは逃走よりも狂気の前進を選んだ。
そのため、増田銃兵と彼らを守る槍兵は戦場の各所で血みどろの白兵戦に巻き込まれる。
「頃はよし」
ここぞとばかりに味方の逃亡を防いでいた督戦部隊兼本命の精鋭部隊を繰り出す。
「もみつぶせぇええええっ!!」
当主は馬の腹を蹴り、大音声と共に先頭を切って突撃する。そうして自身が大脳が壊れていても臆病者ではないことを証明した。
窮状と使われ方に凶暴化した侵攻軍は敵を容赦なく追撃し、掠奪を繰り返しながら北上、ついに増田家の本拠地増屋を炎上させる。
「おのれ、魚拓でも見てろ!」
仁の欠片もない作戦を使った増田家(士)当主は戦勝を祝う宴のあった夜、何者かに暗殺された。
何事もなかったかのように、彼の弟がその跡を継いだ。
西方の緊張状態に鑑みて増田家(八)は増田金吾ほか四名の率いる部隊を増田家(九)領に乱入させた。
ところが増田軍はあっさり蹴散らされ、あろうことか敵の国境警備隊は増田領内まで逆襲してきた。
出撃拠点となる村や砦が焼き払われ、増田家は威厳の面で無視できない打撃を受けた。
前回
http://anond.hatelabo.jp/20160601185528
次回
昇給コンサルタントの資格取得のために長い間研修に行っていたのだが、無事資格取得が出来たので戻ってくることに決まった。
なんと嬉しい事よ。
君は覚えているか。
お尻に汗してシュレッダーをかけたあの夏の日を。
シュレッダーを3台も壊すほど働いたよね。
こっちはとっても寒いよ。
仕事納めと新人カムバック、ダブルでうれしくてきりたんぽ鍋と普段買わない高級ワインを買って帰ったよ。
きりたんぽ食べてると想い出すよ。
昇給疲れがたまった君は、パンツ履いてくるの忘れてタンポンしてた時もあったよね。
きりたんぽんは米だ。
だから純白だ。
だが、きりたんぽんをワインに浸してみると、まさに使用済みのそれそっくりだ。
俺の口の中に、
「ズズズッ」
喉の奥が熱い。。。
唾液ときりたんぽんの融合。。。
「んんん~。うまい。」
やっと一つになれたね。
俺はこんなの書いてない。
このワインのせいだ。
やっと戻ってきてくれたね。
ずっと我慢していたがあえて吐き出そうと思う。
という部分で「お前が言うな」という批判もあるだろうことを承知の上で書く
「あっ…これ…だいじょうぶかな…」
これを見てピンとくる人もいるかもしれない
分からない人はそれでいいとおもう
お土産をやりとりする機会で
断っておくが普段は色々と良くしてくれている、
身近にいる大切な人たちである。
まぁ相手は自分が東北出身だってことは知ってたり知らなかったりするわけだし
どうしても仕方のないことだってことも良く知ってる
でもさ、これ 実は結構傷つくんだよ
たとえ直接的に自分のことを言われたわけではないとわかってはいるけど、
結構というかかなり残念に思う
けどさ、これが何気なく出てくるってことは
「あぁなんだ、やっぱり復興支援だなんだって言っても心の中ではそう思ってんだな」
ってこっちも思うわけでさ
まぁ仕方ないか、とも思うけど
でもさ
「どっちもどっちだよね…」ってポツリと言ったり
「もう東北のもの食べれないよね」なんて意見も目の前で言われて
いや、それは正直どうよ と
でもあぁ、結局そんなもんだよな と
残念には思うけど納得せざるを得なかったりもするわけで
幸い亡くなった人は自分の周りにいなかったけど
家が流されて仮設生活や知り合いが流されてお葬式に行った話や廃業、
原発被害にあって元の地にはもう住めない、なんて友人や知り合いはごろごろいるので
こういう意見を聞いて
どうしても「あーあ…」と思うわけで
一応「それ絶対東北の人の目の前ではいっちゃだめだよ~ww」なんて
ほかの人が諌める場面もあったけど
「そうだねぇ、目の前にもいるからね、気を付けた方がいいかもしれないね」
なんてにっこり言ってしまった
相手も「(あっしまった)」って顔はしたので
多少大人げなかったとは思ったが、
どういう反応するかは想像出来なかったのかな、と
その後は気を使ってるのかは分からないが
なんとなくお土産も渡さないようになったり
また、震災直後に周りによくあったのは
「もっと何か凄い支援が出来ると思ったのに」
どぶ掃除かよwwwww地味な作業だなぁ」
「うちにあるいらないもの送ったら「使えないからいらない」って言われた
確かにボロかったけどせっかく送ったのに」
という実際にあった会話
若者じゃない、4~50代のおっさん達でもこういう事いうんだな
自衛隊みたいな人命救助が出来るヒーローにでもなれると思ったのか
そこに住んでいる人たちはついこないだまで自分たちと同じように暮らしてただけの人たちなのに
震災にあった人たちはずっと「可哀想」であってほしいのか
と、その時は正直憤った
そういうのは
何だか今までは矛先が「アフリカの恵まれない子供たち」なんかに向いていた
「可哀そうな誰かを支援したい」っていうベクトルが
「今までにない津波被害や震災地域」という状況が身近にできたことで
都合のいい「可哀そうな誰かを気軽に“支援して”やってる」
「感謝しろ」といういかにも上から目線に酔ってるような気がして
一時期吐き気もした
今はもう気にしても仕方ないことだと半ばあきらめたが
ボランティア自体も別段することに否定はしないし、むしろ有難いと思う
自分が出来ることなんて限られているので
食べなれた味を求めて東北産を選んで買ったりする
そんなこと言ったら相手に何も言えない、
とか
とか
めんどくせぇなこいつ
それでも、身近な誰かがもしかしたら、っていう
ほんの少しの思いやりくらいはあればいいのにと思う
事実にはお礼を言いたい
ありがとうございました
そんな震災2年目
30日 ANAインターコンチネンタルホテル東京、日本料理店「雲海」、バー「マンハッタンラウンジ」
1日 紀尾井町のグランドプリンスホテル赤坂、中国料理店「李芳」
5日 帝国ホテルで食事
7日 ホテルニューオータニ、日本料理店「藍亭」、「カトーズダイニング&バー」
10日 ホテルオークラ、日本料理店「山里」、バー「オーキッドバー」
11日 グランドホテル浜松、日本料理店「聴涛館」、同ホテル内のラウンジ「サムデー」
13日 帝国ホテルで食事
15日 元赤坂の明治記念館、日本料理店「花がすみ」、広尾の日本料理店「京寿々」
16日 ANAインターコンチネンタルホテル東京、中国料理店「花梨」、ホテルオークラ、バー「バロンオークラ」
19日 帝国ホテルで食事、バー「インペリアルラウンジ アクア」
20日 ホテルオークラ、宴会場「メイプルルーム」、バー「ハイランダー」
21日 赤坂のウナギ料理店「重箱」、ANAインターコンチネンタルホテル、フレンチ&イタリアン料理店『イタロプロバンスダイニング』
22日 官邸での夕食会後(高級料理出前)バーには寄らず、私邸に「直帰」
30日 その後、スタッフと「桜なべ中江」で夕食と打ち合わせ。
1日 19時から2時間強、知人と夕食懇談。
2日 17時半には議員宿舎に戻りました。(夕食不明)
4日 孫と夕食。孫が調理した魚は、白身で実に美味でした。セイゴの幼魚でしょうか。
5日 「日韓市民社会フォーラム」の最終セッションに出席しました。その後は夕食懇談で、
6日 17時半に出て、夕食用の買物をして、議員宿舎でひとりで江田鍋を突きました。野菜いっぱいで、満腹、満足!
7日 議員宿舎への帰途、夕食の買物。きりたんぽが目に付き、買い求めました。もう、その季節になったのですね。今夜も、満腹、満足!
8日 19時から2時間強、中華料理で夕食懇談。楽しいひと時でした。
9日 16時過ぎの新幹線で、帰岡。(夕食不明)
11日 新山口に急ぎ、17時過ぎの新幹線で、帰岡。(夕食不明)
12日 夜は自宅で夕食団欒。
13日 18時に出て、岡山駅付近で夕食を取り、予定通りに19時過ぎの新幹線で、上京。
14日 17時から1時間ほど、サラ・ハイドさんと懇談。英国ケント大学の准教授で、現代日本政治の研究者です。その後、夕食懇談。
15日 17時半ころ退出して、買物をして議員宿舎へ。
16日 18時過ぎに、世界平和研究所の設立20周年記念パーティーに、
17日 17時前に、買物に出掛けました。このところ私が、議員宿舎で一人で鍋の夕食を取ることが多いので、議長公邸と議員会館のスタッフの皆さんが、みんなでこの江田鍋を囲もうということになりました。
参加者17人で、食材は16,600円。鳥挽き団子、鯛のアラ、牡蠣のほか、野菜満載で、ジャガイモや人参まで入れます。大根やレンコンの薄切りを、しゃぶしゃぶ風にします。
18日 18時から2時間半強、「ボニージャックス結成50周年記念コンサート‐早稲田の杜の詩人たち」を聞きました。(夕食不明)
19日 13時過ぎに、昼食の中華丼(夕食不明)
21日 17時半から1時間半ほど、議長公邸で、国立図書館長会議の皆さんの歓迎レセプションを行い、私の歓迎挨拶、