2016-08-19

ネットでの議論不毛理由

ネットでは日々様々な議論が行われているが、アウフヘーベンまで昇華しているものは稀で

ほとんどが、それぞれの主張をして、自分けが正しいという信念を持ったまま何も変わらずに終わり、

相手理解力をけなして自己肯定感を強化するだけにとどまる。

 

なぜネットではそのような不毛な議論が行われるのだろうか。今回はそれについて書きたい。

 

言葉には「揺らぎ」が存在する。

ヤバイ」という言葉シチュエーションや言い方によって幅広い意味を持ち、人によって解釈の幅がある。

これは他の言葉も同様である

 

にもかかわらず、ネットでの議論はこうした言葉定義に厳密さを求める姿勢が少なく、

それぞれが自分なりの解釈、時には都合のいい解釈レッテル貼りをすることで議論がかみ合わなくなる。

そうした結果、相手バカ認定することになり、各々がバカと過ごすのは時間無駄結論づけられる。

 

こうした定義に関しては地理で例えると非常にわかやすい。

例えば「青森」という単語を出したとしよう。それは青森県全域を示しているに他ならない。

しかし、人によっては「青森東北」と解釈し、東北という意味で捉える。

青森りんごがおいしいよねと話していても、そうとは限らないとか、きりたんぽの方がおいしいなどという答えが返ってくる。

また、その抽象化した概念に関連したレッテルに置き換わることがある。

青森東北福島原発」くらいまで飛躍してしまう人もいる。

青森話題を出しているのに、東京電力が!放射線が!という突飛な単語が出てきてびっくりすることもあるだろう。

彼らにとっては「言葉の厳密さよりも、自分がその言葉から何を連想たか」の方が重要で、それがその言葉の本当の意味になってしまっているだ。

 

地理で考えれば、このような変換がおかしいことは明確だ。

これが、実態を持たない形而上の議論というのはこういうおかしさを確認するのがむずかしくなる。

例えば一橋自殺事件に対するコメントでも、ゲイに対するそれぞれが持つレッテル常識客観的議論を妨げている。

彼らの中での常識に反している=異常=排除すべき のような流れになっていることも少なくない。

政治議論についても同様だ。

彼らは言葉定義自分たち解釈の「揺らぎ」について把握しようとしない。

指摘をしたとしても実態をともなわないため、図で示して明確にまちがっているということを表現しづらいのだ。

 

ネット上では愛知県東日本と考えている人と西日本と考えている人がその違いを把握しないまま、東日本の県の数はいくつなのに

あいつは数も数えられないのかと憤慨しているのだ。

 

しかしながら、こういう「揺らぎ」を理解しようとするものは少数派だろう。

そもそも「定義付け」なんてもの現実世界日常会話で行ったら気持ち悪いと思われるのが関の山だ。

ネットリアル境界線曖昧になった今、そんなことをしようものなら気持ち悪いやつというレッテルを張られ、

定義付け」自体気持ち悪いやつの行う気持ち悪い行動となり、

彼らをまともな議論に導くことは困難になるだろう。

結局、授業でディベートなどを導入し、言葉の「揺らぎ」を自覚させ、定義付けの重要さを頭がこり固まる前に刷り込ませるしかないのである

それまでは、ネットでの議論なんてもの不毛で、一部のまともな人の間でしか生産性を持たないのである

ーたけを

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