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2013-11-25

半額シールでも誰にも買ってもらえない、色の悪くなった魚の思い

先月30歳になりました。

彼氏はいません。出会いがありません。

から婚活パーティ合コンにも行っていますが、なかなか難しいなと思います

当たり前ですが、25歳位~女性はいい男を求めて狩っているわけですから

今の市場にいい男の人がいないのも当然だと思います

じゃあ自分は25歳位の時何していたかと言うと、仕事をしていました。

企業プロモーションの企画の仕事をしています

実際仕事は楽しくて、29歳の時にようやく満足いく形になり、周りを見回したらこのざまでした。

実際、何年も何も考えていなかったわけではなく、世の中の女性結婚してゆくのを見ていたわけですが、

実家経済的に厳しく家にかなりお金を入れる必要があり、

なんとしても仕事でやり上げなければという気持ちが強かったことと、これが形になったら、

きっとそれを認めてくれる男性が現れるだろうというほんわりした期待があり、あまり気にしていませんでした。

実家は、弟が就職したこともあり私の負担が減ったため、いまは普通暮らしです。

ただ家の事情で財力重視で仕事に打ち込んだせいか普通男性寄りも稼ぐようになり、

そうなると、自分給与より低い人と言うのが付き合うのが難しいなと感じるようになりました。

別にお金を使うことが好きではないので、お金のものはどうでもいいのですが、

物事の考え方や会話が合わないなと思う事が増えました。


仕事はとりあえずやっておけばよい、言われた範囲だけやっておけばいい」

「無理するくらいなら頑張らない」

「やりたくないことは適当に流す」

という異性とは友達でいるのはいいけど、ちょっと親しくなれないな、と拒否反応を起こします。

26の時に別れた恋人がいますが、その人と別れた原因と言うのが、

仕事で凄く難しい局面があり、どうやって乗り切ろうと必死になっていた時に、

「そこまで頑張らなくていいんじゃない

と言われて、あぁこの人とは物事の向きあい方が根本的に違うんだなぁとガッカリした経験

インパクトが強く、そういうことも影響していると思います

でもそういう人がほとんどなんですよね。

自分に働く力があれば、いざ旦那さんが仕事に疲れたり病気になったり、

やっぱり夢をあきらめきれないということになったとき

私が稼いで彼を支えてゆくこともできるし、

仕事ができる能力ってあって損ではないと思っていました。

自分が親を支えてきたように。

また、結果として、仕事に向き合った努力や出した成果と言うのも、私の誇りであり自信になりました。


でも今は、

私の頑張って来たことってなんだったんだろうなと言う思いが強いです。

本当に無駄だったのかなぁって。

世の中、女性に対してのニーズでそんなもの求められていなくて、

長い目でみたら、何も努力せずとりあえず結婚して旦那さんをATMにして、

そういう人の方が、楽に幸せに、孤独を感じず生きている現実を考えると、

努力した結果こんなことになるなら、何も努力せず生きればよかったなぁと思います

努力って、幸福とは何の因果もないんだなぁと感じます

最近子宮がんの疑いがあり、検査を受けることにもなりました。

妊娠の可能性も健康な人よりかは低くなる病気も見つかりました。

友人の男性大丈夫だよ、それでもいいって人もあるよと言うのですが、

本音は「あー俺の嫁じゃなくて良かった」程度に思っている節を感じた事があり、

なら面と向かってゴミと言えばいいのにと思います

ほんとうに、努力したらしただけ損するようにできてる世の中なんて思いもしませんでした。

自分のことだけしか考えない、そのためなら人を陥れることもいとわない、そういう人が幸せになれるんですね。


世の中嘘ばっかりだなぁと感じます


今何をしたいかと言えば、死にたいですね。

ただ、親が悲しむことを考えると死ねない。

でももう、良いんじゃないかな―と思うんですよね。

自殺ってそんなにいけないんですかね。

自分の幕引きくらい自分で選ばせてくれって思います

2013-09-10

ceroLIQUIDROOM Ebisu

2020年東京オリンピックが決定した9月8日早朝。その日、我々日本人否が応でも7年後の日本想像せざるを得なかったわけだが、日本未来を予感させる出来事は同日夜の恵比寿リキッドルームでも起きていた。

今回のライブは、ceroとして久しぶりのワンマンライブだった。タイコクラブに始まりライジングサンに至るまで、全国津々浦々と様々な夏フェスに出演してきた彼らは、一回りも二回りも成長した姿を見せてくれた。ボーカル高城は自ら今回のライブを「文化祭」と形容したが、オープニングアクト表現(Hyogen)や、サポートメンバーの面々と力を合わせて作り上げられたステージには文化祭のごとく熱いエネルギーが集約されていたと言えるだろう。

満員のリキッドルームで観客たちが開演を待ちわびる中、開幕したステージに現れた高城ZAZEN BOYSよろしく「死ぬほど練習をして、マツリスタジオで練習をぶちあげてきたので」と観客から笑いをとる。そして、告知されていなかったオープニングアクトである表現を紹介するとさっと身を引き、表現演奏が始まる。

アコーディオンバイオリン一曲目のみ)、アコースティックギターウッドベースの4人組からなる表現ceroと関わりの深いバンドだ。ギター古川高城高校の頃からの知人であり、その後もcero表現で互いに切磋琢磨してきた仲だ。お互い尊敬しあえるバンドとして成長を遂げた両者が集い、久しぶりの対バンとして出演する彼らを見て高城舞台袖で涙を流していたそうだ。

さて、表現演奏はというと、全員がコーラスを務めているのが特徴的だ。セリフのような歌詞メンバー全員が声を張って歌いあげる様はまるでミュージカルのようであるスキャットハミングを多用し、途中ポエトリーリーディングのようなシーンも挟まれることによって、声の持つ魔力を改めて感じさせられた。もちろん楽器演奏も素晴らしく、アンプラグド楽器アンサンブルによるオーガニックなサウンドは、その名に恥じぬオリジナルな「表現」となっていた。ceroコンテンポラリーエキゾチックロックオーケストラであるのと同様に、彼らもまた名前通りに素晴らしいバンドであった。

ceroを見に来た観客も大満足のオープニングアクトであったが、ceroの開演までは20分ほどの転換があった。幕の裏から聞こえてくる様々な曲の断片は、これから始まる演奏への期待を高めるには十分だった。

いざ幕が上がり、「セロセロセーロ」と叫び続ける入場曲と入れ替わりで始まった一曲目は“水平線のバラード”。ステージには点滅する6本の蛍光灯を背景に、メンバーが立っており、イントロスタジオ版にないトランペットから始まった。しっとりとした雰囲気で始まったステージだが、ノルウェイの森風のイントロから入り軽快なラップが冴える二曲目“ワールドレコード”でフロアテンションは急激に引き上げられる。続く三曲目“マウンテンマウンテン”の4つ打ち部分では後ろの方までほぼ全員が音に身を委ね踊っていた。

盛り上がった後一息つくかのように挟まれたMCで、高城cero表現の辿ってきた道を振り返る。そして「世界で唯一表現の全員とデュオを組んだことがある人」と名乗る荒内を「音楽ビッチ」呼ばわりするなどしてステージが暖かな笑いに包まれたところで次の演奏へ。

つの間にかステージから消えて戻ってきた高城。傘を片手にレインコート羽織った高城が歌うのは“21世紀の日照りの都に雨が降る”だ。続く“エキゾチックペンギンナイト”では「パーパパパー」と全員が高らかに叫びフロアをより一層祝祭的空間へと引き込む。少し落ち着いて始まった“クラウドナイン”も結局はcero特有の「祭」感へと収束していくのだった。

二度目のMCサポートメンバーの紹介から始まる。今までになく多くのサポートメンバーを迎えた今回は、ceroメンバー3人+サポート5人の8人編成だ。トランペットスティール・パンをこなすマルチプレイヤーMC sirafuのみならず、サックスタンバリン担当したあだち麗三郎表現での演奏とは変わってパーカッション古川麦ドラムの光永渉、ベースの厚海義朗という5人のサポートメンバーがそれぞれ紹介される。

ひと通りメンバー紹介が終わると、スタジオ版に比べて遅く重厚な“大洪水時代”のイントロが始まる。この曲から始まったVIDEO TAPE MUSICによるVJは、フェイザーのかけられたノイズギターと相まって、我々を水中へと誘う。そして、ノイズの海の中へと一筋の光が射すかのように響き渡るのは、高城によるフルート音色だ。最後には全員がしゃがみ、背景であったスクリーンが前景化される。水中の映像、そして流水音のSEと水の映像しか受け取ることの出来ない状況はまさに大洪水時代といったところか。そして、海つながりで次に演奏されたのは“船上パーティー”。VJには男女の横顔が交互に映り、高城一人二役セリフを言い合う。スタジオ版でも印象的な「ちょっと待った!」のセリフの後はじれったいほどのタメにより、聴衆をより一層演奏へと引き付ける。そうして引き付けられた我々観客が次に耳にするのは新曲、“我が名はスカラベ”。メルヘンチックな歌詞VJは、初めて聞く我々も十分楽しめるものであり、聴衆はみなceroのニューリリースへの待ち遠しさを煽られたに違いない。

新曲披露後のMCでは、大洪水時代から加わったVIDEO TAPE MUSICの紹介。そして最近高城のハマっている「文化祭」というキーワードに関連してTwitterにおける高校生つぶやきや、ceroメンバーそれぞれの思い出などと話が弾む。

再びメンバー紹介から入った曲は“Contemporary Tokyo Cruise”。本ワンマンライブ表題曲とでもいうべきこの曲ではミラーボールきらめき、最も「祭」感のある曲だったかもしれない。そして音は途切れることなく、思わせぶりな長い間奏から始まったのは“マイ・ロスト・シティ”。2ndアルバム表題曲でもあるこの曲では「ダンスをとめるな」という歌詞、その通り踊り続ける客、ダンスをする人々を映すVJが一体となっていた。

短めのMCを挟んだ後、演奏されたのはまたもや新曲、“yellow mangus”。ムーディーなサックスからまり展開されるのはceroお得意のディスコビート。そしてこれまた長めの間奏からはじまるのは“わたしのすがた”。途中挟まれる8ビートの部分では赤い照明が似合うほど激しい展開で、普段とは違った一面を見せてくれた。

最後の曲の前には今後の活動を仄めかすようなMCを挟み、演奏されたのは“さん!”。観客と共に「いち!に!さん!」と高らかに叫んだ高城は29歳の文化祭最後の盛り上がりを演出した。

しかし、我々の文化祭はまだ終わらない。アンコールを期待する拍手に応えて登場したのは高城橋本。残りのメンバーも続々と登場し、最後最後演奏されたのは“大停電の夜に”。ゆったりとしたメロディーはまるで蛍の光のように、我々を切なくも満たされた気分へと導き、文化祭は幕を閉じた。

実は、最後MCおいてなんとも頼もしい言葉があった。高城は、表現やVIDEO TAPEMUSICのような仲間たちを見ている中で「日本音楽がこれからまたちょっと変わっていくんじゃないかな」という実感を述べた後に、「俺達が変えるぞみたいな気概を感じている」と宣言したのだ。変わりゆく東京風景、そして変わりゆく日本音楽シーン。7年後、東京オリンピック開催を前に我々はこの日をどのように思い出すだろうか。29歳の文化祭には「ここから何かが変わっていきそう」な予感、そして希望に満ちあふれていた。あの晩、もしかしたら我々は時代目撃者となったのかもしれない。

2013-08-13

Charlie Brownの和訳

自分blogに合わない内容なので、増田で。

とあるきっかけで、ColdplayCharlie Brownという曲を聴き、昔はバカっぽい歌詞ばかりだと思っていたColdplayにしてはなんとも間接的な表現が多いので、これを他の日本人がどう訳しているのか気になった。いくつか検索で引っかかる程度は読んでみたんだけど、ずいぶん直訳で、意図とずれているような気が。チャーリーブラウンというUSで誰でも分かる 象徴的なダメダメ毎日に対する感覚も伝わらないし。

グラミーにもノミネートされた曲のようだし、あまりにもずれたものが多くてもったいない英語が得意なわけではないが残しておく。英語得意な人、もっと完璧なやつ頼むわ。クソな意訳だったらスマン。

元が、"Cartoon Heart"という題名だったようなので、こんな感じで意訳。


チャーリーブラウン

鍵を盗んだ。

その鍵で、負け組たちが集う都会の車に乗った。

そのできごとは僕に自由をもたらした。

あの舞台最後、光が失われて行くのを見ていた。

それはまさに僕の目の前の出来事だった。

しょうもない僕の夢が、

砕けて、破片となって心に刺さった時、

だけどそれはコンクリートを打ち破って伸びる

輝く赤いバラになったとも言えるだろう?

まるで漫画みたいに思えばいいさ、見方次第なのさ。

心の中で、

灯がともり、火花が散りはじめ、燃え上がる。

羽ばたけるはず、

闇の中でも輝けるはず、輝けるはずなんだ!

少年たちよ、少女たちよ

世界中の混乱も、

どんなおかしなことが起こっていても、

どんなに最高なことも、どんなに最低なことでさえも、

まるで政治家インタビュールームみたいに都合良く解釈できるはずなのさ。

変えられるはず、

闇の中でも輝けるはず。

急浮上さ。

きらめき、期待に高ぶり、

僕たちは闇の中でも輝いていく。

2013-05-31

社会人2年目。自分を変えたい。

社会人2年目。

年度末の繁忙期を何とか乗り越え、ひと段落

6月を迎えようとしている今。

仕事へ行くのがつらい。

夜中何度も目が覚め、寝付けない。

ぐっすり眠れないから疲れがとれず、仕事ミスが増える。

週末は引きこもり、ほぼ寝たきり。

そんな状況を親に救い出された。

完治しかけていたうつが悪化したとの診断で、SSRIの量が一気に増え、導入剤も飲むようになったおかげで、なんとか休まず出勤している。

でも、覇気がない。

部屋はぐちゃぐちゃ。

週末は人に会うのがつらく、風呂に入るのさえ面倒でずっとベッドにもぐって寝ている。

職場病気相談できる人は誰もいない。

隠し通すしかない。

近頃、ガチ孤立しはじめて焦っている。

飲み会に誘われない。

雑談の輪に加われない。

ランチはだいたい一人。

仕事終われば直帰。

いつからこんな毎日になったんだろう。

こんなはずじゃなかったのに。

入ったころは大好きな職場だった。と思う。

いつから歯車が狂っってしまったのか。

周りの2年目たちは、仕事に慣れ、職場にも慣れ、同期・同僚同士でどんどん仲良くなっている中、

ひとり取り残されている自分

焦る。

でもどうしたらいいのかわからない。

自分の中の「二年目のジンクス

新しい環境になって2年目からおかしくなる。

中学も高校も大学も、全部そうだった。

新しい環境になるたび、今度こそと思って頑張るのだけど、

やっぱり2年目には思うようにいかなくなる。

今度こそ、うまくいくはずだった。

社会人1年目のスタートは、良すぎる程良かった。

係長はいつも私に声をかけてくれ、先輩たちも手取り足取り。

専属トレーナーさんもついていて、とても心強かった。

私の唯一の長所は、人見知りをしないところ。

なので、最初からがんがん飛ばしていけた。

200人近い同期にも積極的に話しかけた。

係にもすんなり溶け込めたように思っていた。

同期の誰よりも組織に馴染めているような錯覚さえしていた。

一方、同じ係に一緒に配属された年下同期は、かなりの人見知りで、最初は私以外とはほとんど話せない位だった。

いまではまるで逆転だ。

あれほど人見知りだった彼女が、いまでは係のアイドルである

彼女の周りには係長も先輩もみんな集まる。

私の周りには、人がこない。

彼女がいると輪に入れてありがたいなんて、本当に情けないけど事実からしょうがない。

仕事以外で、上司や先輩からしかけられることはほとんどない。

同期とはかろうじて話す程度だ。

別に仕事に支障はそれほどない。と思う。

あいさつ・報連相・お礼といった当然の行動派きちんとしている。

いやがらせをされたり、いじめられたりしているわけでは勿論ない。

表面上は和気藹々としているように見えるかもしれない。

でも、周りとくらべて私に対する態度はみな少し、とげがあって冷淡だ。

小さなミスでもここぞとばかりに注意される。

仕事最後まできちんと教えてもらえない。

新しい仕事はまったくさせてくれない。

そもそも話しかけられない、これが一番つらい。

仕事が多い日はいい。

余計なことを考えずに、ただ目の前の仕事をこなすだけでいいからだ。

から繁忙期はまだ良かった。

これから秋まで、毎日、針の筵かと思うと絶望する。

雑談は小さいこから苦手だった。

相手の言葉自分なりの反応を返すのだが、「?」という顔をされることが多い。

感覚がずれているという自覚はある。

集中すると自分しか見えなくなることも多い。

自己なのだろう、と思う。

でも人の話は積極的に聞くようにしているし、

笑ったり、うなづいたり、笑顔あいづちもうっている。

ウマが合わないだけじゃないか?とも思った。

特に、定年間近の大先輩♂とはことごとくうまくいかないので、これはもう

相性だから仕方ないかな、と。

けれど、うまくいかない相手が明らかに多すぎる。

特に、50代の♂先輩方と、うまくコミュニケートできない。

嫌われはしていないにしても、好かれてもいない。間違いなく。

係長課長部長といった、組織の実権を握る彼ら世代に、

嫌われはしないまでも、「好かれにくい」体質の私は本当に損。

なんとかならんものか。

横柄な態度なのか?

自分がどう思われているのかまったくわからない。

仕事プライベートを割り切れば、それは楽だと思う。

でも、そこまでドライにはなりきれず。

もっと好かれたい。

もっと周りとの距離を縮めたい。

職場の人たちに会えるのを楽しみに、毎日仕事にいけたらどれだけ素敵だろう。

そうなるはずだったのに。

原因は自分にある。

会話、というか、トピックがとびとびに移り変わり当意即妙な返答が要求される雑談が私は本当に苦手なのだ

いつもこのパターンを繰り返してきた。

内気で一人が好きな自分のすべてを根元から変えることは、多分できない。

でももう少し楽になりたい。

雑談への苦手意識

・壁を作らない

・ずれた感覚ごまかそうとしない(どうぜばれる)

ひとりランチさびしくてしかたないのに、平気なふりをしない

光を求めて、

自分の小さな箱から脱出する方法」を読んでいる。

認知の歪みを治す、認知行動療法の本も。

すぐ死にたがるくせに、あきらめきれない往生際の悪さ。

今が正念場。

もう少しでいいから楽に生きたい。

2013-01-23

話をしなければ理解し合えない。毒親に育てられても、そうでなくても。

 そのまま殺されるか、殺されずに殴られるかのどちらかを選ばねばならなかった。ただしどちらの選択肢を選んだとしても、声を出してはならない。助けを求めてはならない。家族殺しというのはそういうものだ。毒親に育てられるとなおさらその呪いが強くなる。被害者共犯者にならねばならない。自分の命よりも、自分の痛みよりも、毒を飲ませた親を優先する。そうしなければならないと思ってしまうのが、毒親に育てられるということなのだ

 首に冷たい指が食い込んでいた。しびれるような重みが体の上にあり、窓ガラスの向こうでは街灯のきらめきがぼやけてはくっきりと影を持ち、私は指を引き剥がそうともがいていた。声を殺し、手の甲に爪を立て、そのくせ冷静に街灯のきらめきの数をかぞえている。いつ舌を噛もうか、死のその時が目の前にやってきたら自殺に見えるように死のうと考えながら、でも体は生きようとしていた。緑、オレンジ、緑、青、黄――頭の上にのしかかる闇の向こうにはっきりとその色が見えていたことを覚えている。

 幸いなことに私は殺されないまま、今も生きている。死んだほうがましだという思いは長く続いたが、それでもまだ生きている。生きていてよかったと思っている。

 その後、ほとんど無一文で家を飛び出したあとの生活を、人は惨めだと言うだろうか。冗談交じりに貧乏話をすると、たいてい驚かれる。その貧乏はおおよそ日本の、五体満足な両親がいて、平均より少し経済的に余裕のある家庭の子どもが陥る最貧の状況から想像できないところにある。一歩間違えば、私は夜の世界に沈んでいたかもしれないし、今もまだ行き場なくまちの中を徘徊していたかもしれない。私の履歴の中に、その崖っぷち生活は滲み出さない。綺麗に取り繕ってまるで日向だけを歩いてきたような顔をして私は生きている。

 自分の力でここまで来たと言ったら、両親は烈火のごとく怒るだろう。また私を殺そうとするかもしれない。それに私の過去をよく知らない人も、知っている人であっても、そう発言した時にいい顔をしないだろうと私は知っている。だからただ笑顔を取り繕って無言の抵抗を貫いてきたのだった。

 でも、君は違った。まるで当たり前のようにやすやすとそう口にしてみせたのだった。自分の力で、ここまで、来たんだから。だからもっと自信を持って。

 私はたじろぎ、それからまた黙り込んだ。私の心のなかにある怯えが口を塞ぎ、息ができなかった。

 君は日本人ではない。日本社会家族がどう振る舞うべきか、君は知らない。そのうえ君は本国でもやはり典型的な家庭の出ではなく、それこそ自分の力でここまで歩いてきた人である。それは君の立ち居振る舞いからも簡単に推し量ることができる。行動パターンや表情や、距離のとり方やあるいは頑固さに、同じ匂いを私は嗅ぎ取ることができる。君だってそうだから、私と仲良くなった。

 しかしだからこそ、君は怯える私のことを理解できないのだろう。不自然に話を逸らした私のことを理解できないだろう。理解できないことがあると育った文化の差が出る。矢継ぎ早に君は私を責め、なぜもっと自信を持たないのかと詰る。なぜだ、なぜだ、なぜなんだ。少ない語彙で君は聞きたがる。この話はもう少ししてからねと私は言うしかない。君の言うことはよくわかるし、そうすべきこともわかっているけれど、心がまだ追いついてこない。言葉もっと足りない。すべて言語化して伝えるしかないのに、私と君の間には言語の壁があり、文化の壁があり、なんとなくで伝わるものはほんとうに少ない。でもいつかきっと話すよと私は言う。いっぱい英語とか、君の国の言葉とか、勉強して、それで話すよ。ちゃんと伝わるように、話すよ。

2012-04-20

処女は他の男と比べないという意見があるけど

お父さんと比べます

家族休日にお出かけするときは、お父さんが車を運転してくれて、施設の入場料もお父さんが払ってくれて、

どのお店で食事するかもお父さんが考えていてくれて、私と弟は楽しんでいるだけで良かった。

(お母さんは弟を生んだ2年後に病死したので、お父さん一人が頑張ってくれた)

初めての彼氏デートしたときは、本当に段取りが悪くて、次にどうするのかもわからなくて、足ばかり疲れて、

でも「こういうものは男がリードするものだ」的なプライドだけはあるみたいで、本当にうざかったよ。

私、長女だし、面倒見の悪いほうではないです。女友達ディズニー行ったりするときなんかも、私がセッティングすることも多いし。

女の子相手なら、プライドがどうとか、配慮しなくていいから逆にラクなんだけど。

段取りが悪いくせにプライドだけは高くて、いいとこ見せようとして失敗するのって、本当にうざいです。

そしてうざいなーと思いながら、思い出すのは「お父さんは段取りすごく上手かったな、仕事もできるのかな」ってこと。

セックスについては、昔の処女なら男を何もしらなかっただろうけど、最近少女向けのエロも多く出回ってるし、

早い子だと小4くらいかBLマンガを手にとっていたりして、ネット無修正AVを見てる女子高生とかも普通に居る。

ジャニーズとか、JUNONみたいなイケメン俳優雑誌とか、K-POPとか、女ウケを考え抜かれたコンテンツもたくさんある。

少女マンガや、恋愛映画小説なんかもたくさん見て育ってる。だからそれなりに恋愛セックス理想像みたいなものを持ってるよ。

から処女でも、理想を裏切られて男にガッカリしたり失望したりっていうのは多い。

むしろ、異性ってこんなもん、って割り切れない分、童貞みたいに異性の理想化とか潔癖さが際限なしに強くなる傾向にあると思う。

振り返ってみても、今の彼氏より、最初彼氏に対してのほうが、期待値が高かったし、色々あきらめきれなくて、

ケンカも多かったし、キツい言葉、相手を傷つける言葉を吐きまくってた。

「お父さんはこういうときこうなのに…」みたいな比較するような言葉も、最初彼氏にはぶつけてた。

なんていうか、繊細な精神男性は、処女と付き合うと結構メンタルずたずたになるんじゃないのと思います

傷つきにくい性格男性じゃないと、処女の相手ってできるのかな?上手くいかない気がする。

処女セックスしたいと思うなら、処女幻想を受け止めてやれる男になって、傷つきにくい精神をつくるのが一番だと思う。

「こんなお姉さんで筆下ろししたいな」とか妄想する童貞いると思うけど、その妄想上のお姉さんって器が大きくて、

男が持っている女への幻想大事にしてやれるタイプだよね。

それの男版になれなきゃダメだと思います

2012-02-18

/の夜

そのときすうっと霧がはれかかりました。

どこかへ行く街道らしく小さな電燈の一列についた通りがありました。

それはしばらく線路に沿って進んでいました。

そして二人がそのあかしの前を通って行くときはその小さな豆いろの火はちょうど挨拶でもするように

ぽかっと消え二人が過ぎて行くときまた点くのでした。

ふりかえって見るとさっきの十字架はすっかり小さくなってしま

ほんとうにもうそのまま胸にも吊されそうになり、

さっきの女の子青年たちがその前の白い渚にまだひざまずいているのか

それともどこか方角もわからないその天上へ行ったのか

ぼんやりして見分けられませんでした。

ジョバンニはああと深く息しました。

カムパネルラ、また僕たち二人きりになったねえ、どこまでもどこまでも一緒に行こう。

僕はもうあのさそりのようにほんとうにみんなの幸のためならば

僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない。」

「うん。僕だってそうだ。」

カムパネルラの眼にはきれいな涙がうかんでいました。

「けれどもほんとうのさいわいは一体何だろう。」

ジョバンニが云いました。

「僕わからない。」

カムパネルラぼんやり云いました。

「僕たちしっかりやろうねえ。」

ジョバンニが胸いっぱい新らしい力が湧くようにふうと息をしながら云いました。

「あ、あすこ石炭袋だよ。そらの孔だよ。」

カムパネルラが少しそっちを避けるようにしながら天の川のひととこを指さしました。

ジョバンニはそっちを見てまるでぎくっとしてしまいました。

天の川の一とこに大きなまっくらな孔がどほんとあいているのです。

その底がどれほど深いかその奥に何があるかいくら眼をこすってのぞいてもなんにも見えず

ただ眼がしんしんと痛むのでした。

ジョバンニが云いました。

「僕もうあんな大きな暗の中だってこわくない。

きっとみんなのほんとうのさいわいをさがしに行く。

どこまでもどこまでも僕たち一緒に進んで行こう。」

「ああきっと行くよ。

ああ、あすこの野原はなんてきれいだろう。

みんな集ってるねえ。

あすこがほんとうの天上なんだ。

あっあすこにいるのぼくのお母さんだよ。」

カムパネルラは俄かに窓の遠くに見えるきれいな野原を指して叫びました。

ジョバンニもそっちを見ましたけれどもそこはぼんやり白くけむっているばかり

どうしてもカムパネルラが云ったように思われませんでした。

何とも云えずさびしい気がしてぼんやりそっちを見ていましたら

向うの河岸に二本の電信ばしらが丁度両方から腕を組んだように赤い腕木をつらねて立っていました。

カムパネルラ、僕たち一緒に行こうねえ。」

ジョバンニが斯う云いながらふりかえって見ましたら

そのいままでカムパネルラの座っていた席にもうカムパネルラの形は見えず

ただ黒いびろうどばかりひかっていました。

ジョバンニはまるで鉄砲丸のように立ちあがりました。

そして誰にも聞えないように窓の外へからだを乗り出して

力いっぱいはげしく胸をうって叫び

それからもう咽喉いっぱい泣きだしました。

うそこらが一ぺんにまっくらになったように思いました。

ジョバンニは眼をひらきました。

もとの丘の草の中につかれてねむっていたのでした。

胸は何だかおかしく熱り頬にはつめたい涙がながれていました。

ジョバンニはばねのようにはね起きました。

町はすっかりさっきの通りに下でたくさんの灯を綴ってはいましたが

その光はなんだかさっきよりは熱したという風でした。

そしてたったいま夢であるいた天の川

やっぱりさっきの通りに白くぼんやりかかり

まっ黒な南の地平線の上では殊にけむったようになって

その右には蠍座の赤い星がうつくしくきらめき

そらぜんたいの位置はそんなに変ってもいないようでした。

ジョバンニは一さんに丘を走って下りました。

まだ夕ごはんをたべないで待っているお母さんのことが胸いっぱいに思いだされたのです。

どんどん黒い松の林の中を通って

それからほの白い牧場の柵をまわって

さっきの入口から暗い牛舎の前へまた来ました。

そこには誰かがいま帰ったらし

くさっきなかった一つの車が何かの樽を二つ乗っけて置いてありました。

「今晩は、」

ジョバンニは叫びました。

はい。」

白い太いずぼんをはいた人がすぐ出て来て立ちました。

「何のご用ですか。」

今日牛乳がぼくのところへ来なかったのですが」

「あ済みませんでした。」

その人はすぐ奥へ行って

一本の牛乳瓶をもって来て

ジョバンニに渡しながらまた云いました。

「ほんとうに、済みませんでした。

今日はひるすぎうっかりしてこうしの柵をあけて置いたもんですから

大将早速親牛のところへ行って半分ばかり呑んでしまいましてね……」

その人はわらいました。

「そうですか。ではいただいて行きます。」

「ええ、どうも済みませんでした。」

「いいえ。」

ジョバンニはまだ熱い乳の瓶を両方のてのひらで包むようにもって牧場の柵を出ました。

そしてしばらく木のある町を通って大通りへ出てまたしばらく行きますとみちは十文字になって

その右手の方、通りのはずれにさっきカムパネルラたちのあかりを流しに行った川へかかった

大きな橋のやぐらが夜のそらにぼんやり立っていました。

ところがその十字になった町かどや店の前に女たちが七八人ぐらいずつ集って橋の方を見ながら何かひそひそ談しているのです。

それから橋の上にもいろいろなあかりがいっぱいなのでした。

ジョバンニはなぜかさあっと胸が冷たくなったように思いました。

そしていきなり近くの人たちへ

「何かあったんですか。」

と叫ぶようにききました。

「こどもが水へ落ちたんですよ。」

一人が云いますとその人たちは一斉にジョバンニの方を見ました。

ジョバンニはまるで夢中で橋の方へ走りました。

橋の上は人でいっぱいで河が見えませんでした。

白い服を着た巡査も出ていました。

ジョバンニは橋の袂から飛ぶように下の広い河原へおりました。

その河原の水際に沿ってたくさんのあかりがせわしくのぼったり下ったりしていました。

向う岸の暗いどてにも火が七つ八つうごいていました。

そのまん中をもう烏瓜のあかりもない川が、わずかに音をたてて灰いろにしずかに流れていたのでした。

河原のいちばん下流の方へ州のようになって出たところに人の集りがくっきりまっ黒に立っていました。

ジョバンニはどんどんそっちへ走りました。

するとジョバンニはいきなりさっきカムパネルラといっしょだったマルソに会いました。

マルソがジョバンニに走り寄ってきました。

「ジョバンニ、カムパネルラが川へはいったよ。」

「どうして、いつ。」

「ザネリがね、舟の上から烏うりのあかりを水の流れる方へ押してやろうとしたんだ。

そのとき舟がゆれたもんだから水へ落っこったろう。

するとカムパネルラがすぐ飛びこんだんだ。

そしてザネリを舟の方へ押してよこした。

ザネリはカトウにつかまった。

けれどもあとカムパネルラが見えないんだ。」

「みんな探してるんだろう。」

「ああすぐみんな来た。

カムパネルラのお父さんも来た。

けれども見附からないんだ。

ザネリはうちへ連れられてった。」

ジョバンニはみんなの居るそっちの方へ行きました。

そこに学生たち町の人たちに囲まれて青じろい尖ったあごをしたカムパネルラのお父さんが黒い服を着て

まっすぐに立って右手に持った時計をじっと見つめていたのです。

みんなもじっと河を見ていました。

誰も一言も物を云う人もありませんでした。

ジョバンニはわくわくわくわく足がふるえました。

魚をとるときアセチレンランプがたくさんせわしく行ったり来たりして

黒い川の水はちらちら小さな波をたてて流れているのが見えるのでした。

下流の方は川はば一ぱい銀河が巨きく写って

まるで水のないそのままのそらのように見えました。

ジョバンニはそのカムパネルラはもうあの銀河のはずれにしかいない

というような気がしてしかたなかったのです。

けれどもみんなはまだ、どこかの波の間から

「ぼくずいぶん泳いだぞ。」

と云いながらカムパネルラが出て来るか

或いはカムパネルラがどこかの人の知らない洲にでも着いて立っていて

誰かの来るのを待っているかというような気がして仕方ないらしいのでした。

けれども俄かにカムパネルラのお父さんがきっぱり云いました。

「もう駄目です。落ちてから四十五分たちましたから。」

ジョバンニは思わずかけよって博士の前に立って、

ぼくはカムパネルラの行った方を知っています

ぼくはカムパネルラといっしょに歩いていたのです

と云おうとしましたが

もうのどがつまって何とも云えませんでした。

すると博士はジョバンニが挨拶に来たとでも思ったものですか、

しばらくしげしげジョバンニを見ていましたが

あなたはジョバンニさんでしたね。どうも今晩はありがとう。」

と叮ねいに云いました。

ジョバンニは何も云えずにただおじぎをしました。

あなたのお父さんはもう帰っていますか。」

博士は堅く時計を握ったまままたききました。

「いいえ。」ジョバンニはかすかに頭をふりました。

「どうしたのかなあ。ぼくには一昨日大へん元気な便りがあったんだが。

今日あたりもう着くころなんだが。船が遅れたんだな。

ジョバンニさん。あした放課後みなさんとうちへ遊びに来てくださいね。」

そう云いながら博士はまた

川下の銀河のいっぱいにうつった方へじっと眼を送りました。

ジョバンニはもういろいろなことで胸がいっぱいでなんにも云えずに

博士の前をはなれて早くお母さんに牛乳を持って行って

お父さんの帰ることを知らせようと思うと

もう一目散に河原を街の方へ走りました。

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