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2023-10-13

ユダヤ人歴史ってハッキリ真実なのってどこから

アブラハムが息子を差し出そうとしてどうたら~とか、

ほとんど全ての動物人類死んだけどノアの方舟で助かって~とか、

エジプトから脱出したけど大海原で立ち往生したけど海が割れユダヤ人だけを通したとか、

それらは普通に常識で考えて全部眉唾なわけやん




イザナミイザナギグルグルかき混ぜて日本列島ができた(神武天皇からたった6代?程度遡る時代の人にすげえ逸話おっ被せたもんだわ)

といい勝負できるレベル眉唾やん

2023-10-10

新海誠の好きなところと微妙なところについて書く

あんまり映画を観る方じゃないけれどね。

ほしのこえ

記憶は定かではないが、おそらくこれが最初に見た新海アニメ

大学在学中はSFに飢えていて、「AKIRA」とか「エヴァンゲリオン」とかを観ていたのだけれど、「ラーゼフォン」にはハマることができなかった。問題は長さなのではないかと思い、26話も見る必要のない映画を手に取った。

この作品が好きだったのは、クラークイーガンが好きだった自分が求めている、別の惑星風景描写があったことだ。僕が映像作品評価するのは、どれくらい思いがけない風景を見せてくれるかだ。火星の大地や、木星イオあいだにかかる雷の橋が美しかった。ヒロインから携帯メールにも確かクラークへの言及があった。

また、日常の美しさを切り取った言葉を、詩のようにつなげていくアニメを見たのは初めてで、そこも新鮮だった。

敵方宇宙人が、鏡像となって話しかけてくるところなど、露骨エヴァの影響を受けているし、詩的な文章村上春樹フォロワーに過ぎないと感じはしたものの、この監督作品もっと見てみたいと感じた。

「僕と彼女の猫」は忘れてしまった。珍しく自分好意を寄せている女性視点失恋の話だった気がする。

雲のむこう、約束の場所

僕が好きな要素がとにかく詰まっていた。架空歴史知的早熟だけれども情緒的には年相応の少年少女、そして天にそびえる真っ直ぐな塔。東京からも見える北海道メガストラクチャーという、自分想像力はるかに超えた世界を見ることができた。

もちろん、欠点もあった。ヒロイン・佐由理を救うか世界を救うか決断を迫られる主人公・浩紀は、セカイ系典型例に感じられて冷めてしまったし、あと、これは前にも書いたのだけれど主人公のやっていることはテロリズム肯定だ。

テロ組織名前も、北海道を手に入れるためなのにアイヌ解放戦線じゃなくて、サハリン樺太先住民族ウィルタ解放戦線だ。ヒロイン祖父名前キノエはアイヌ系の名前だが、そこには一切触れられないし、朝鮮半島のように南北に別れた家族悲劇は、ごくわずしか触れられず、プロットには絡んでこない。つまるところ、政治は装飾でしかない。いいのか。

にもかかわらず、この作品を好きになってしまった。アニメで精密に描かれた東京景色は、当時の僕の生活圏とかぶっていた。自分の暮らす世界彩度を高めた景色は、ぐずぐずとした感傷に僕を引き込んだ。何にもでもなれると、まだかろうじて思い込めていた頃だった。

そして、テーマ曲があまりにも切なく、これがずっと頭の中で流れ続けていた。過剰なまでに作中で繰り返され、露骨でさえある。しかし、悔しいけれども切ない気持ちになるのをやめられなかった。ラストで虚無に飲まれ北海道の美しさで息をのんだ。

自分青春に満足できていなかった僕は、この甘ったるいテーマ曲映画呪縛されていた。批判しつつも、フィルムブックとノベライズを買ってしまうほどだった。これが感傷マゾなのか。

秒速5センチメートル

退屈さを感じる場面や、冗長な個所もあった。でも、日常風景を美しい色合いで描くアニメを他に知らなかった。第2話冒頭の、貴樹が空想する巨大ガス惑星が空にかかった惑星風景は、僕が創作していたSF小説舞台として何度も用いた。

そして、第3話で流れた「One more time, One more chance」ですべてを持っていかれた。ヒロイン・明里と結ばれないラストを見て「そうなんだよ! これこそが人生なんだよ! はっはっは!」と快哉を叫んだ。「鬱エンドだ」「悲しい」と言っている連中を笑っていた。なんてこじらせた大学生だったんだ。これもノベライズを買った。

振り返ってみれば、主人公はいつまでも明里の幻影に惑わされており、サーフィン少女・花苗の気持ちちゃんと向き合っていない。独り身の期間が長かった自分は「応えてやれよ!」とあとになって思ったものだった。そりゃあ、思春期から初めての感情ばかりで、あまりにも未熟で、だから人間関係で目も当てられないような失敗を繰り返すんだけれど、「結局お前モテてんじゃん!」と怒りが湧いた。

後に、貴樹をはじめとした新海アニメ主人公たちはどうやって童貞卒業したのかな、夜のお店かな、などと根拠のまったくない最低な空想をするようになってしまった。自分がそうだったからって投影するなよ。

星を追う子ども

激しくツッコミを入れながら観た作品

統一感のない固有名詞(※僕はファンタジー名前を付ける際には一貫性必要だと信じている。だからアルカンジェリ、ケツァルトル、シャクナ・ヴィマーナと複数言語から安易に引っ張ってくるのを良しとしないし、文法的に怪しいヴィータクアやフィニステラという語も納得できない)、ジブリの表層だけをなぞったような描写主人公明日菜が地上世界と地下世界の両方の血を引いているという重大な設定が劇中ではほとんど描写されないなど、自分が気に食わなかった点は多数あるが、最大の問題点は悪役の森崎(ムスカ揶揄される)のサブプロットのほうが面白く、新海誠思い入れを持っているように感じてしまったところだ。

愛するもの喪失を受容せず(子の喪失ってキーワード村上春樹フォロワーっぽい)、代理品や依り代を求め、神々なり悪魔なりと契約する姿は碇ゲンドウともかぶり、なんにせよ強烈なキャラで、明日菜を食ってしまっている。いっそ明日菜いらなくないか

冥界をめぐり、禁断の知識の代償として盲目になるのは神話的でちょっと良かったけどね。

この頃から、新海アニメを僕はさら批判的に見るようになる。

しかし、作者の意図性癖が透けて見えるというのは一方的に親しみを感じる契機でもある。不完全にゆえに見透かせるものがあり、理解者になれたと錯覚できてしまい、結果的作品を愛してしまうことがある(※これは新人賞を取った作品を読むときもそうなんだけど、「作者はこういうことをやりたいんだろうな。なら、ここをこうすればもっとよくなるだろうな」と考えつつ読むことが多い。創作をしていた人にありがちなことなのかな?)。

言の葉の庭

言いたいことはたくさんある。

けれども、最大の欠点は「何でもかんでも台詞説明してしまうこと」だ。

最後タカオとユキノが見つめあう場面で、高まった気持ちをぶちまけるのだけれど、音楽映像がうるさいなので、台詞なんていらない。

海監督は文章を書く能力はあるのは認めるけれども、「説明小説でやれ」と感じる。「なんでも説明するのをやめてくれ、映画受け手を見くびるな」とも感じた。

そして、鮮やかな色彩がわざとらしく感じられ、反発を覚え始めた。

ただ、この頃から日本古典を扱いだしたのは嬉しい。ささやか愛国心が満たされる。

僕は海外文学が好きなので、逆に外国の人に日本の詩を知ってほしい。

君の名は」「天気の子

観ていない。

言の葉の庭」の一件もあったが、ハッピーエンドになったということを聞いて、寝取られ性癖(というかBSS、「僕が先に好きだったのに」?)を抑える優秀なプロデューサーがついたんだな、とシニカルに考えていた。売れるようになった、大ヒットを飛ばすようになったとも耳にして、新海誠自分からどんどん離れて行ったように感じた。そして、もう二度と新海アニメを見ることはないだろうと思った。友人や尊敬するSF作家が見ていると聞いても、耳を塞いでいた。

君の名は」の予告の「スカート注意、男子目線!」といったセリフにも、新海誠性癖が透けてみるのだけれど、徐々に作者のあけすけな欲望に対して嫌悪を感じるようになっていた。

これは男子出身の僕がそうだからかもしれないけれども、僕には、男性監督女子高生をじろじろ見て偏愛していると気づくと、鬼の首を取ったかのように指摘してやりたくなる悪癖がある。岩井俊二映画を観たときもそうだし、「ラストレター」を観たときは「俺を振った女は不幸になればいい」という怨念を感じた。庵野秀明俳優やってたのはめっちゃ面白かったけどね。

「すずめの戸締まり

ある女性が新海アニメが好きで、じゃあ一緒に見に行こうということになった。ただし、彼女が好きだったのは「君の名は」以降だった。

「お手並み拝見」と思いながら(なんだかんだで楽しみにしていた一方、不安でもあった)観てみると、極めてまっとうな少女の成長映画になっていて驚いた。

被災者のすずめが「死ぬのなんて怖くない」と言っていたのが、逆に震災記憶と向き合い、心底死を恐怖し、逆に生きる実感を取り戻す構成が素晴らしかった。自分を助けに来た謎の女性自分自身だったってのも良かった。周囲の支援必要なのはもちろんだけれども、傷付いた自分を癒すためには、どこかで自分の力を信じて自分の足で立ち上がらないといけないのだ。

ロードムービーとしても優秀だし、周囲の人々が善意にあふれてすずめに手を差し伸べてくれたのも、叔母の環が思わず激高して負の感情をぶちまけるシーンのための溜めだと感じ、よく計算された素晴らしい脚本だと感じた。

今まで肯定的だった(あるいはマスコットしかなかった)猫が、ダイジンという善悪不明存在になったのも面白い。

今まで別の災害という形で間接的に東日本大震災を扱ったと聞いていたが、正面から向き合ったのはとても立派だ。このタイミングでなければできなかっただろう。

恋愛要素を薄めたのも大正解。「シン・エヴァ」を観たときみたいに、「監督大人になったんだな」と感じた。

それでも無念な個所はある。人口希薄になった土地を神々に返すというモチーフと、地震を封じる要石というモチーフが、完全に噛み合っているわけではない(人口が減少している時代から出てきた発想では? なぜそこから厄災が漏れ出る?)。少しぶれている。また、震災は人力で防げる、つまり東日本大震災は防げた、という誤った読解を誘発しかねない面もある。

あとは、震災描写リアルだし、緊急地震速報が頻繁に鳴るので、観ていてずきずきと頭が痛み、かなり気分が悪くなった(御茶ノ水近辺も学生時代生活圏内だったし)。昔は「アルマゲドン」みたいなパニック映画大都市がぶっ飛ばされるのを見たり、「地球大進化」の大隕石地殻津波が起きて日本列島が引き裂かれるのを見て気分爽快になっていたのだが、ある時点で感受性が「まっとう」になってしまったらしい。

ところで、この作品村上春樹かえるくん、東京を救う」のオマージュだとよく言われるけれども、「海辺のカフカ」のパロディも仕組まれている。東北まで中古車ドライブする芹澤青年が車内で流すのが「夢の中へ」だが、「海辺のカフカ」でも星野青年が何を探しているのかもわからない中田老人を連れて車で高松ドライブしながら、「探し物は何ですか~」と口ずさむのだ。誰か気づいてないかな。

そのくせ、村上春樹オマージュにとどめ、影響下からは完全に脱しているように感じた。

疑問点。すずめの三本足の椅子過去自分に手渡されたことで、時間の輪っかをめぐっていないか? 

その他

どの作品かは伏せるが、主人公が僕の名前と同じで、ヒロインから名前を呼ばれるたびに恥ずかしいくらいに動揺してしまった。

当時流行っていたラブプラスをやっていたら、おそらく引き返せないことになっていただろう。

あと、「すずめの戸締まり」に関するウェブ記事で、新海監督が#MeTooのこともあるしパンチラを封じたと聞いて、機を見るに敏だなと感じ、何となく気に食わなかった。正しい判断だと思ったけど、商業性に屈したようにも感じたのだ。正確には、「雲のむこう~」みたいに政治的を雰囲気に使うのをやめたのが、なんとなくタイミングが上手すぎて、逃げ足の早さを感じるのだ。

でも、とっくに青春コンプレックスこじらせオタク向けクリエイターから国民監督に変わってしまったのだ。寂しい。あんなこじらせた作品を書くのに既婚者なのも納得できない時期があった。

まとめ

こういったことを、友人に対してつらつら語っていたら、「それはお前、もう立派なアンチだよ」と指摘された。「アンチじゃない、愛情と憎しみの両方を持っているだけだ。複雑な感情をも抱えているんだよ」と反論すると、「お前が複雑な感情を抱えていない対象なんてあるのか」と笑われた。ひどくない?

これだけ複雑な感情を抱えているので、「君の名は」「天気の子」を見るのがずっと延期になっている。諸般の事情ラブコメ苦手だし。

2023-10-05

結論的には少子化対策は、子作りの努力目標化と45歳以降の子無し税

子作りは個人の「子を持ちたい」という願望への依存だけでは、必要十分ではない。→人間が生まれる源である共同体の維持、持続性には個々人で子作りの負担を分担しようとしないと維持できない。今より格段に貧しかった先祖の苦労で生存できているのに、自分の代になれば、辛ければ後世を残すという責務はなくて良いのか?子作り育児の困難をいかに取り除こうとするのではなく、絶対負担がある子作りの困難をいかに受け入れられるようにするかが肝心。子作りの「位置付け」を、苦労で諦めてしまう「個人意思や願望でもうけるものから個人、および共同体の持続性に必要不可欠なもの位置付け、税のように広く必ず「共同体負担すべきもので個々人が協力すべきもの」へ。現代人の自由人権を守って、貧しければ子供を作らずに少子化でどんどん日本人が減少し、移民主体の国に置き換わっていくか、個人が貧しくても子育て負担を受け入れて生き残るか、突きつけられる究極の2択ーー。いや、子を持ちたい人を支援すれば、子供を欲しがる人の意思だけで、増えていくハズ←増えませんでした(確定事実・少しでも出生率改善しているわけでもないので、量が不足していると考えるより、方向性が間違っていると考えるべき)。

出生率低下の原因】

現代は昔と比べて出生の要素が減少した(子作りを個人意思コントロールできるようになった)。

出生率が高かった時代の子が生まれてくる要素は①「子を持ちたい願望」に加え②「農業労働力や後継男子が生まれるまで子を作ろうとした(インセンティブがあった)」③「道楽としての性欲」④「避妊堕胎がなかった」←そもそも出生率が高かった昔も親の子供を持ちたい希望だけで、人口が維持、拡大できたわけではない。つまり、本意でないのに作っていた群もいて、その結果、人口が維持拡大できた。いわば、不本意でない出生が人口維持や増加を支えていた。もちろん苦労もあり、苦労と出生数はトレードオフ関係だった。

しか現在日本(他の先進国も)は①子を持ちたい願望だけの「一本足打法」になった

子供が生まれる要素が減り、これだけでは出生率2以上には足りない。もともと、子供を持ちたい願望のある世帯だけでは、出生率2に足りない。

・個々人にとって結婚や子作りに消極的な主な理由経済環境があげられるが、人間社会にとっては少子化になったのは願望や愛情をそそぐ満足感を得るためのものになった(子供位置けが生産材→消費財へ)

・原因は子作りや結婚経済環境的な障壁ではなく、障壁に感じるかどうか。

→それは、結婚や子作りが個人主義の台頭でほぼほぼやるべきものから個人裁量対象になり、個人志向

依存することになり、(例・ペットは狩りができなくなったのは、ペットに聞けば狩りは難しい事を原因に上げるが、本当の原因は人間に飼いならされてしまたから)

理想の子供の数の平均は2.5人程度だが、これは貧しければ簡単に諦める人も含まれる「熱量」が全く考慮されていない数値。資本主義という制度上、必然的存在する貧しい層の存在に対し、「賃金を上げられれば」など、無責任で実現できないタラレバを唱えても時間の浪費と共に少子化が進行するだけ。

・したがって、いくら育児支援をしても、子を欲しがる人の数が足りないので効果が出ない。アンケートでも、金銭面や環境面だけではなく、自分時間が潰れるのが嫌だからという回答多数。

先進国ほど少子化、豊かになるほど少子化 ←エンゲル係数は下がり、全自動洗濯機など家電は便利になり、家事負担も減り、保育所の整備は進み、待機児童も減り、育児休暇率も上がり、男性育児参加も進んでいるのに、出生率は低下。結局、子作りや育児負担がある限り、また別の何かに不満や負担を感じてしまう←不満や負担問題解決ではなく、どのみち解消できない不満や負担を受け入れることが重要

個人自分にとって最適な行動(コスト負担を避けるために子供を作らない)をするほど、出生率は低迷する

過去と比べた場合出生率低下の原因=1970年代前半まで既婚率97%、貧乏人でもほぼ結婚して子供を作っていた。「個人主義の台頭による子づくりの優先順位の低下」(経済環境で諦める対象になった。子作りにおける世代扶助より自己実現を優先)経済環境は原因ではなく結果。

・昔「みんな必ず、大変でも子供は作りましょうね」→現在「子作りは各々の自由ですよ〜」→当然、経済的、環境的に大変な人は子作りを避けるようになる

・逆にいうと、子作り圧力などにより、先代が結果として自己利益犠牲(昔の方がエンゲル係数が高かった→昔は今より無理して子供を育てていた)にした結果、現代人が存在できる。

社会のレールは「子作りと仕事の両立」ではなく、実際には「完全に仕事を優先」(新卒一括採用の掟)してしまっている

教育費が高い問題子供の数が少ないから、教育費に金をかけられる→金をかけるから金がかかるになる。

出生率向上の上でのポイント、注意点】

負担回避しようとする(無理=その間に少子化がどんどん進行してしまう)のではなく、いか負担を受け入れてもらうか。出生を子育て世代の願望による産物ではなく、生物学的な道理摂理に根ざしたものにすべき(人口維持に必要な数を目標にすべき)。→手順や方法ではなく、結果(出生率)に拘る。ターゲット戦略型にする

・子作りは楽ではなく、元々大変なもの問題なく少子化解決できる「魔法聖杯」を探し続ける時間が長いほど少子化は進行してしまう。

移民政策では、出生率低下により減り続ける日本人少子化問題解決しない。→単純に減り続ける日本人の代わりに移民と置き換わるだけで、共存が続くわけではない。X字のように、時間の経過とともに、人種構成移民と置き換わるだけ。日本人がいなくなっても日本列島に移民がいれば解決ではない。

少子化対策は質より量を目指す。数字ありきが正解。←質を保ちつつ、量を目指してきたが、結局失敗した(量が競争により質を向上させる面も)。

・出生の機序と誤解

生物学的には性欲→性交渉→出生→愛情が芽生えて育児 

子供が欲しいから作る人が大半だが、全てではない。←ここがポイント。完結出生児数が2ならば、100%の人が結婚しないと少子化確定(そんなの無理)。

そもそも、全ての人が最初から結婚し、子供を望んでいるわけではない。←生物学的にも子供本能希望だけではなく、元から全ての要素ではない。←あくまで授かって生まれ子供愛情が芽生えるのであって、愛情最初からあって作ろうとするのではない(本来は順序が逆)。

労働やりがいではなく、出生率を優先すべき。持続性が生命大前提。それが担保された延長線上に個人のやりたいことや夢がある←人間は目先の報酬を優先してしま

・子作りは生物学原理なのに、個人価値観対象としてとらえらてしまっている。→生物自己価値観合致しているか子供を作るわけではなく、あくま本能人間生物額的本能が退化してしまった可能性がある。

共同体の持続性は、個々人の負担で達成される。(個人利益と相反)共同体というプールがあるから人間存在できる。一代(今の自分自身)の人間利益を最大化すると共同体の持続性が毀損され、やがて人間少子化によりどんどん存在できなくなる。

選択肢が多いほど不幸になる「選択のパラドックス江戸時代農村結婚相手が限られていた

・「出生率向上の目標」は子育て環境満足度や子作りの納得感を上げることではなく、出生率の数値を上げること。子育て世代の満足感の向上への努力出生率向上に繋がっていない。納得感、満足感ではなく、出生率数字向上を重要視する(少子化感情モラル倫理観ではなく、「数」で決まる現実を受け入れる)

子供を増やすことによる副作用より、まずは頭数が重要。無理に増やすと、問題も増えるといって対策を打たなければ、プラマイゼロではなく、出生率低迷の長期化による出生数減はどんどん進行する。

・無理やり増やそうとするデメリットより、少子化デメリットの方がはるかに大きい(子供を無理に増やすことの問題が増えても社会は持続できるが、少子化時間の経過で物理的に絶滅する・例=癌と一緒。痛みがなく治る方法を探しているうちに、どんどんガンが進行して取り返しがつかなくなる。

→痛みがない方法はあるかもしれないが、見つからない段階ならさっさと痛みを堪えて切除するしかない)。現状は、「賃金を上げよう。環境改善しよう」と雀の涙給付無責任念仏を唱えるだけ

→これで出生率が上がるわけがない。

・子作りは自由から逆に責任が生まれ責任回避動機から減ってしまう。

子供を作る方法自体は、性交渉であり、実は簡単動物繁殖もやることは分かっているため、簡単。ただ、現代社会性交渉の機会を増やすことは非常に難しい。また、人間で難しいのは人権があるという点。逆に言えば、出生率改善しにくい原因は子育て世代人権保護を「優先」する為と言える。さらに逆に言えば、かつての子育て世代は周囲のプレッシャーなど窮屈な思いをして、自己実現生活水準我慢した結果とも言える。10割、自分の為に生きるのではなく、3割は次世代の為に負担を受け入れるという考え方の共有が重要

少子化解消への解決策】

・子作り(親世代が子世代を作って育てる=「世代扶助」)の重要性を教え、その価値観社会と共有する

→親や先祖による世代扶助(子作り負担)の結果、現代人が存在できるという仕組みを、しっかり社会で共有する(自由人権を主張できるのも、親や先祖の子作り負担の結果、出生できたから)←この因果関係をしっかり理解する。

・子を持つことの「社会位置付け」を変える

→子を持つことを、子育て世代の「幸福の実現手段の一つ」から社会的に共同体にとって「絶対必要不可欠な原理」に変える。←子育て世代の子どもを作ることへの責任感の向上があり、社会からの協力も得られやすくなる。

→子作りを義務的に考えれば、必然的教育競争は弱まる。現在自由意志だから結婚子育て競争になる。(生物学的に必要不可欠な要素は競争ではなく、分配の方が結果的にうまくいく)義務的になれば、無茶な競争意識から解放され、育ってくれればとりあえずOKとなる。実は義務である方が責任がなく子ができた後は精神的にはかるかに楽。自由意志だから責任が伴う。

↓↓

社会的に解決困難な課題個人にとって避けたい行動を導くにはルールを作り、負担社会全体で分担するのがセオリー。つまりルールを作ることが解決策。出生率が高かった時代事実上、ルールとして意識されていた。

ルール化と政府による積極的な子作り推奨・子作りの「社会的な位置付け」の変更←子育て世代希望者だけ子供を作るのではなく、皆で分担して作る→結婚子供を作る人が増えれば、相手も見つけやすくなる。

個人として避けたい負担でも全体にとって必要不可欠な行動はルール化するのが古今からセオリー、例えば税金貧困者も負担する。国によっては徴兵制もある(こちらは国を守るために命を投げ出せと言ってる)

子作り子育て世代になれば、子供を作りましょう(もちろん健康問題がある人は除く)

・子作りのタスク化(個人の願望の産物だと、モチベーション環境に左右されてて必要出生率を確保できない)

政府による要請

政府は期待、支援するだけではなく、能動的に子作りを「要請し、積極的に推奨」する。あらゆる生物共通する、共同体が持続するための『世代扶助原則負担があるから持続する)』を説明すれば多くの人は理解できるはず)

個人の「幸福手段」の一つとして子作りを位置付けるから幸福でないなら子供を作らないという行動になってしまう(幸福手段という位置付けだから、基本「勝手自助努力でやれ」になる)。大前提として子作りを「幸せの実現手段」ではなく、「個人存在の源でもある共同体の持続性に不可欠な存在」と定義する。そうすれば子育て世代は子作りに対する責任感が生まれ政府会社社会負担を受け入れて協力的になるはず。

②有利不利で動機付ける

実質的な「子なし税」の導入

人間は得をするための行動より、損を避ける行動を重要視する(「損失回避」=プロスペクト理論)例えば45歳以上で子供がいなければ、所得10%を課税される→早めに結婚でもして子供を作ろうとなる。また、子なし税は応分負担原則からいっても、共同体構成や成立、持続性において必要不可欠である子供を作らないのに、福祉だけ享受するのは不公平という理屈もある

・多額の給付金(財源は一般会計とは別枠の「子供国債方式」で持続性を担保→時の政権の介入を防ぐ。不正受給を防ぐために日本国籍限定

一生の納税額は少なくとも3000万円。1000万円配っても十分、ペイできる。

財源節約には、最初動機を高める第1子と子供を増やすための第3子以降を手厚くする。親のパチンコ代のために無責任に生まれても、生まれてこないよりもはるかにマシ。

良いこだけ産まれてくればいい、という都合のいい解決策は存在しないことを良い加減、学習しましょう。現代人が存在できているのも、元々は祖先労働力欲しさや性欲など打算の結果でもありす。もともと「子を持ちたい親の気持ち」だけで子孫たる現代人が存在しているわけではない。

子育て支援(そうはいっても大事)

・誰でも使える認可保育園学童保育の24時間営業バカ親に育児放棄されるより100倍マシ、育児負担感は大幅軽減、効果的な幼児教育もやればいい)

繰り返すが、人権個人自由などを一部、我慢して、仮に自身環境が悪くても、後世を残すことに対する負担をしないと、共同体の持続性が損なわれ、やがて個人少子化により、存在できなくなる。いわゆる移民政策を導入しても、減っていく日本人の傾向は変わらず、日本人が滅んで移民に取って代わられるだけで、日本人の持続性を担保できる政策ではない。

負担を受け入れても、子供が増えれば社会希望が増し、投資が増え、国民は豊かになる。

2023-09-08

少子化対策結論的には子作りの努力目標化と独身税しかないと思う

子作りは個人の「子を持ちたい」という願望への依存だけでは、必要十分ではない。→人間が生まれる源である共同体の維持、持続性には個々人で子作りの負担を分担しようとしないと維持できない。結果的に、今より格段に貧しかった先祖の苦労で生存できているのに、自分の代になれば、辛ければ後世を残すという責務はなくて良いのか?子作り育児の困難をいかに取り除こうとするのではなく、絶対負担がある子作りの困難をいかに受け入れられるようにするかが肝心。子作りの「位置付け」を、苦労で諦めてしまう「個人意思や願望でもうけるものから個人、および共同体の持続性に必要不可欠なもの位置付け、税のように広く必ず「共同体負担すべきもので個々人が協力すべきもの」へ。現代人の自由人権を守って、貧しければ子供を作らずに少子化でどんどん日本人が減少し、移民主体の国に置き換わっていくか、個人が貧しくても子育て負担を受け入れて生き残るか、突きつけられる究極の2択ーー。いや、子を持ちたい人を支援すれば、子供を欲しがる人の意思だけで、増えていくハズ←増えませんでした(確定事実・少しでも出生率改善しているわけでもないので、量が不足していると考えるより、方向性が間違っていると考えるべき)。

出生率低下の原因】

現代は昔と比べて出生の要素が減少した(子作りを個人意思コントロールできるようになった)。

出生率が高かった時代の子が生まれてくる要素は①「子を持ちたい願望」に加え②「農業労働力や後継男子が生まれるまで子を作ろうとした(インセンティブがあった)」③「道楽としての性欲」④「避妊堕胎がなかった」←そもそも出生率が高かった昔も親の子供を持ちたい希望だけで、人口が維持、拡大できたわけではない。つまり、本意でないのに作っていた群もいて、その結果、人口が維持拡大できた。いわば、不本意でない出生が人口維持や増加を支えていた。もちろん苦労もあり、苦労と出生数はトレードオフ関係だった。

しか現在日本(他の先進国も)は①子を持ちたい願望だけの「一本足打法」になった

子供が生まれる要素が減り、これだけでは出生率2以上には足りない。もともと、子供を持ちたい願望のある世帯だけでは、出生率2に足りない。

・個々人にとって結婚や子作りに消極的な主な理由経済環境があげられるが、人間社会にとっては少子化になったのは願望や愛情をそそぐ満足感を得るためのものになった(子供位置けが生産材→消費財へ)

・原因は子作りや結婚経済環境的な障壁ではなく、障壁に感じるかどうか。

→それは、結婚や子作りが個人主義の台頭でほぼほぼやるべきものから個人裁量対象になり、個人志向

依存することになり、(例・ペットは狩りができなくなったのは、ペットに聞けば狩りは難しい事を原因に上げるが、本当の原因は人間に飼いならされてしまたから)

理想の子供の数の平均は2.5人程度だが、これは貧しければ簡単に諦める人も含まれる「熱量」が全く考慮されていない数値。資本主義という制度上、必然的存在する貧しい層の存在に対し、「賃金を上げられれば」など、無責任で実現できないタラレバを唱えても時間の浪費と共に少子化が進行するだけ。

・したがって、いくら育児支援をしても、子を欲しがる人の数が足りないので効果が出ない。アンケートでも、金銭面や環境面だけではなく、自分時間が潰れるのが嫌だからという回答多数。

先進国ほど少子化、豊かになるほど少子化 ←エンゲル係数は下がり、全自動洗濯機など家電は便利になり、家事負担も減り、保育所の整備は進み、待機児童も減り、育児休暇率も上がり、男性育児参加も進んでいるのに、出生率は低下。結局、子作りや育児負担がある限り、また別の何かに不満や負担を感じてしまう←不満や負担問題解決ではなく、どのみち解消できない不満や負担を受け入れることが重要

個人自分にとって最適な行動(コスト負担を避けるために子供を作らない)をするほど、出生率は低迷する

過去と比べた場合出生率低下の原因=1970年代前半まで既婚率97%、貧乏人でもほぼ結婚して子供を作っていた。「個人主義の台頭による子づくりの優先順位の低下」(経済環境で諦める対象になった。子作りにおける世代扶助より自己実現を優先)経済環境は原因ではなく結果。

・昔「みんな必ず、大変でも子供は作りましょうね」→現在「子作りは各々の自由ですよ〜」→当然、経済的、環境的に大変な人は子作りを避けるようになる

・逆にいうと、子作り圧力などにより、先代が結果として自己利益犠牲(昔の方がエンゲル係数が高かった→昔は今より無理して子供を育てていた)にした結果、現代人が存在できる。

社会のレールは「子作りと仕事の両立」ではなく、実際には「完全に仕事を優先」(新卒一括採用の掟)してしまっている

教育費が高い問題子供の数が少ないから、教育費に金をかけられる→金をかけるから金がかかるになる。

出生率向上の上でのポイント、注意点】

負担回避しようとする(無理=その間に少子化がどんどん進行してしまう)のではなく、いか負担を受け入れてもらうか。出生を子育て世代の願望による産物ではなく、生物学的な道理摂理に根ざしたものにすべき(人口維持に必要な数を目標にすべき)。→手順や方法ではなく、結果(出生率)に拘る。ターゲット戦略型にする

・子作りは楽ではなく、元々大変なもの問題なく少子化解決できる「魔法聖杯」を探し続ける時間が長いほど少子化は進行してしまう。

移民政策では、出生率低下により減り続ける日本人少子化問題解決しない。→単純に減り続ける日本人の代わりに移民と置き換わるだけで、共存が続くわけではない。X字のように、時間の経過とともに、人種構成移民と置き換わるだけ。日本人がいなくなっても日本列島に移民がいれば解決ではない。

少子化対策は質より量を目指す。数字ありきが正解。←質を保ちつつ、量を目指してきたが、結局失敗した(量が競争により質を向上させる面も)。

・出生の機序と誤解

生物学的には性欲→性交渉→出生→愛情が芽生えて育児 

子供が欲しいから作る人が大半だが、全てではない。←ここがポイント。完結出生児数が2ならば、100%の人が結婚しないと少子化確定(そんなの無理)。

そもそも、全ての人が最初から結婚し、子供を望んでいるわけではない。←生物学的にも子供本能希望だけではなく、元から全ての要素ではない。←あくまで授かって生まれ子供愛情が芽生えるのであって、愛情最初からあって作ろうとするのではない(本来は順序が逆)。

労働やりがいではなく、出生率を優先すべき。持続性が生命大前提。それが担保された延長線上に個人のやりたいことや夢がある←人間は目先の報酬を優先してしま

・子作りは生物学原理なのに、個人価値観対象としてとらえらてしまっている。→生物自己価値観合致しているか子供を作るわけではなく、あくま本能人間生物額的本能が退化してしまった可能性がある。

共同体の持続性は、個々人の負担で達成される。(個人利益と相反)共同体というプールがあるから人間存在できる。一代(今の自分自身)の人間利益を最大化すると共同体の持続性が毀損され、やがて人間少子化によりどんどん存在できなくなる。

選択肢が多いほど不幸になる「選択のパラドックス江戸時代農村結婚相手が限られていた

・「出生率向上の目標」は子育て環境満足度や子作りの納得感を上げることではなく、出生率の数値を上げること。子育て世代の満足感の向上への努力出生率向上に繋がっていない。納得感、満足感ではなく、出生率数字向上を重要視する(少子化感情モラル倫理観ではなく、「数」で決まる現実を受け入れる)

子供を増やすことによる副作用より、まずは頭数が重要。無理に増やすと、問題も増えるといって対策を打たなければ、プラマイゼロではなく、出生率低迷の長期化による出生数減はどんどん進行する。

・無理やり増やそうとするデメリットより、少子化デメリットの方がはるかに大きい(子供を無理に増やすことの問題が増えても社会は持続できるが、少子化時間の経過で物理的に絶滅する・例=癌と一緒。痛みがなく治る方法を探しているうちに、どんどんガンが進行して取り返しがつかなくなる。

→痛みがない方法はあるかもしれないが、見つからない段階ならさっさと痛みを堪えて切除するしかない)。現状は、「賃金を上げよう。環境改善しよう」と雀の涙給付無責任念仏を唱えるだけ

→これで出生率が上がるわけがない。

・子作りは自由から逆に責任が生まれ責任回避動機から減ってしまう。

子供を作る方法自体は、性交渉であり、実は簡単動物繁殖もやることは分かっているため、簡単。ただ、現代社会性交渉の機会を増やすことは非常に難しい。また、人間で難しいのは人権があるという点。逆に言えば、出生率改善しにくい原因は子育て世代人権保護を「優先」する為と言える。さらに逆に言えば、かつての子育て世代は周囲のプレッシャーなど窮屈な思いをして、自己実現生活水準我慢した結果とも言える。10割、自分の為に生きるのではなく、3割は次世代の為に負担を受け入れるという考え方の共有が重要

少子化解消への解決策】

・子作り(親世代が子世代を作って育てる=「世代扶助」)の重要性を教え、その価値観社会と共有する

→親や先祖による世代扶助(子作り負担)の結果、現代人が存在できるという仕組みを、しっかり社会で共有する(自由人権を主張できるのも、親や先祖の子作り負担の結果、出生できたから)←この因果関係をしっかり理解する。

・子を持つことの「社会位置付け」を変える

→子を持つことを、子育て世代の「幸福の実現手段の一つ」から社会的に共同体にとって「絶対必要不可欠な原理」に変える。←子育て世代の子どもを作ることへの責任感の向上があり、社会からの協力も得られやすくなる。

→子作りを義務的に考えれば、必然的教育競争は弱まる。現在自由意志だから結婚子育て競争になる。(生物学的に必要不可欠な要素は競争ではなく、分配の方が結果的にうまくいく)義務的になれば、無茶な競争意識から解放され、育ってくれればとりあえずOKとなる。実は義務である方が責任がなく子ができた後は精神的にはかるかに楽。自由意志だから責任が伴う。

↓↓

社会的に解決困難な課題個人にとって避けたい行動を導くにはルールを作り、負担社会全体で分担するのがセオリー。つまりルールを作ることが解決策。出生率が高かった時代事実上、ルールとして意識されていた。

ルール化と政府による積極的な子作り推奨・子作りの「社会的な位置付け」の変更←子育て世代希望者だけ子供を作るのではなく、皆で分担して作る→結婚子供を作る人が増えれば、相手も見つけやすくなる。

個人として避けたい負担でも全体にとって必要不可欠な行動はルール化するのが古今からセオリー、例えば税金貧困者も負担する。国によっては徴兵制もある(こちらは国を守るために命を投げ出せと言ってる)

子作り子育て世代になれば、子供を作りましょう(もちろん健康問題がある人は除く)

・子作りのタスク化(個人の願望の産物だと、モチベーション環境に左右されてて必要出生率を確保できない)

政府による要請

政府は期待、支援するだけではなく、能動的に子作りを「要請し、積極的に推奨」する。あらゆる生物共通する、共同体が持続するための『世代扶助原則負担があるから持続する)』を説明すれば多くの人は理解できるはず)

個人の「幸福手段」の一つとして子作りを位置付けるから幸福でないなら子供を作らないという行動になってしまう(幸福手段という位置付けだから、基本「勝手自助努力でやれ」になる)。大前提として子作りを「幸せの実現手段」ではなく、「個人存在の源でもある共同体の持続性に不可欠な存在」と定義する。そうすれば子育て世代は子作りに対する責任感が生まれ政府会社社会負担を受け入れて協力的になるはず。

②有利不利で動機付ける

実質的な「子なし税」の導入

人間は得をするための行動より、損を避ける行動を重要視する(「損失回避」=プロスペクト理論)例えば45歳以上で子供がいなければ、所得10%を課税される→早めに結婚でもして子供を作ろうとなる。また、子なし税は応分負担原則からいっても、共同体構成や成立、持続性において必要不可欠である子供を作らないのに、福祉だけ享受するのは不公平という理屈もある

・多額の給付金(財源は一般会計とは別枠の「子供国債方式」で持続性を担保→時の政権の介入を防ぐ。不正受給を防ぐために日本国籍限定

一生の納税額は少なくとも3000万円。1000万円配っても十分、ペイできる。

財源節約には、最初動機を高める第1子と子供を増やすための第3子以降を手厚くする。親のパチンコ代のために無責任に生まれても、生まれてこないよりもはるかにマシ。

良いこだけ産まれてくればいい、という都合のいい解決策は存在しないことを良い加減、学習しましょう。現代人が存在できているのも、元々は祖先労働力欲しさや性欲など打算の結果でもありす。もともと「子を持ちたい親の気持ち」だけで子孫たる現代人が存在しているわけではない。

子育て支援(そうはいっても大事)

・誰でも使える認可保育園学童保育の24時間営業バカ親に育児放棄されるより100倍マシ、育児負担感は大幅軽減、効果的な幼児教育もやればいい)

繰り返すが、人権個人自由などを一部、我慢して、仮に自身環境が悪くても、後世を残すことに対する負担をしないと、共同体の持続性が損なわれ、やがて個人少子化により、存在できなくなる。いわゆる移民政策を導入しても、減っていく日本人の傾向は変わらず、日本人が滅んで移民に取って代わられるだけで、日本人の持続性を担保できる政策ではない。

負担を受け入れても、子供が増えれば社会希望が増し、投資が増え、国民は豊かになる。

2023-09-05

anond:20230904221133

国の視点かな?

個人としては、日本列島人口が5000万人くらいに減っても何も困らないが。

日本列島の上空にわだかまる暖かく湿った空気になりたい人生だった

2023-09-01

大東亜共栄圏が成立してたら

5族の上層部北京のんびり

軍事基地原発工場公害もすべて日本列島や南の方に押し付けられる事になったのか?

いや、台風あるから工場は作らないか

2023-08-30

日本列島の上空に流れ込む湿った空気になりたい人生だった

2023-08-27

ツイッターが出来る前の世界って何で繋がっていたんだ?

ツイッター崩壊したら世界バラバラになってしまうぞ!」

インターネットで誰かが叫んでいる。

ツイッターが出来る前はどこが世界のど真ん中だったんだろう?

2chが世界を一つに繋いで、そこからニュースまとめサイト時代があって、そのあと……もうツイッターか??

まとめサイト業者の介入によって滅び、個人ニュースサイトは断絶され、2chはあの頃の力を持たない。

ニコニコYoutubeエコーチェンバー集合体がまた上から無数の泡に包まれ世界のすべてがシームレスに繋がってなんかいない。

かに変わるんだろうな。

世代交代を繰り返して加速し続けたインターネット世代交代に失敗したことスピードを失う。

口裂け女日本列島を駆け抜けるのに今なら2時間もかからないだろうが、インターネットが始まる前は数日を要したという。

ポケモンを100LVにする裏技最初発見されてから日本中小学生の50%が知るまでに何週間かかったのだろう。

その頃のスピードに本当に戻ってしまうんだろうか。

怖いな。

世界ルールがまた変わるんだから

俺はついていけるだろうか。

2023-08-10

温暖化人間活動関係ない

https://twitter.com/arakencloud/status/1689478399964991489/photo/1

チアチになってるのは、ほとんど日本海側。

太陽が海を直接温めて、その熱くなった空気偏西風に吹かれて日本列島にぶつかるから

2023-08-09

ら~ん♪咲~きました~♪

気象庁8月8日南鳥島近海台風7号が発生したと発表した。13日にかけて日本列島に近づく見込みという。アジアにおける名称は「Lan」(ラン)。「ローカルエリアネットワーク」ではなく、外国語「嵐」を指す語だ。

メリケン「マーシャル諸島語で『嵐』という意味やで」

だったらRANだろボケが!😡

2023-07-13

anond:20230713221039

うん、ないね

南に行くほど湿度は上がるよね、日本列島って

2023-07-10

北海道島本州島四国島九州島沖縄島

日本列島を島ごとに分断した場合自給自足できるのはどこで、できないのはどこか?

2023-06-18

徐々にズームインしていく妄想

地球→雲→日本列島都内鳥瞰→人混み→突っ立っている俺の後ろ姿

そこでハッ!と振り向くんだ

主人公みたいな気分を味わえて愉快になる

たまに妄想する

2023-05-09

anond:20230508191146

私も富山出身10東京、数年前に富山に戻ってきてるけど

の子は何もわかってない

この富山20代増田が思ってる以上に富山はクソみたいなうんこだよ

まじうんこ

人間性終わってる

嘘つくとかそういうんじゃなくて

基本的にみんな性格悪い

秒で妬むし秒で回りくどい嫌味言ってくる

特に「秒で回りくどい嫌味を言う」スキル非常に卓越してる

あとみんな浮浪者みたいな服着てる

本読まない

ブサイクばっかり

あとデブも多い

ほらうんこでしょ

しかも冬は雪降るんだぜ?

飯もまずい

魚はうまいよでも飲食店競争とかないかうまい店ない

というか現代は朝富山でとれた魚もその日の内に東京で食えるんだから

魚がうまいからどうしたって話だよな

日本列島から消え失せればいいのにこの県

本当他県のみなさんすみません

クソみたいな富山県民に迷惑被ってる人めちゃくちゃ多いだろマジすみません

2023-05-03

anond:20230503102436

トヨタコケたら日本にはもう輸出品が無くなり、外貨は得られない。つまり石油と食料の輸入が止まって多くが死ぬのだ。日本列島に死体が積み上がる日まで秒読みだ。全て自民党政権の成果だよ。

2023-05-01

anond:20230501170714

そうね。巨大地震が起こるぐらいなら、小さな地震が絶えず起こってたほうがいいよね。

 

でも、日本列島に貯まる地殻の歪みを解消するには、震度2ぐらいでずっと揺れていないとダメなんだと。

ビーズ工作職人さんや米粒に絵を描く職人さんが失業する。

2023-04-29

anond:20230429203439

歴史的経緯を知らないからそうなる。

コナンの作者の前作は何か凄い伝説の剣で日本列島を生きた竜にしちゃったりするバトル漫画だったんだよ。

そういう作家作品なんだからよく分からん謎の薬で大人子供に戻るという設定を見せられても「ああそういう感じね」で終わるんだよ。

そういった経緯を知らない読者が多くなるくらいまで連載を長期化させすぎたというのはあるな。

2023-03-18

ぶち〇すぞヤ◯ト朝廷

なーーにが朝廷だよ

適当な話ぶち上げて天皇を名乗るなよ

大王、でいいじゃん、権威がそんなに欲しいか??

あと古墳作りまくるなよ

だいたい古墳がクソデカすぎるんだよ

後の時代の奴らが困るぞ?ずっと残るんだそ、お前の墓が

お前のせいでこの時代が「古墳時代」って名前つけられたんだぞ

前例がないぞ、墓が名前になってる時代なんてさ、恥だよ恥

あと朝鮮半島まで攻め込むなよ

無理だって、そこまで支配するのはさぁ

日本列島だけにしておけよ、身の程知らずなんだよ

あとさ、仏教とか儒教日本に持ち込むなよ

令和の時代までそれが影響してんだぞ

ややこしいんだわ、お前のせいで葬式仏式がメインになってお金がかかって仕方ないんだわ

とりあえず◯んでくれ、ヤ◯ト朝廷



https://anond.hatelabo.jp/20230318094205

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