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はてなキーワード: レ・ミゼラブルとは

2019-05-30

無敵の人と無情

ユゴー小説レ・ミゼラブル」の主人公の1人はパン一つ盗んだ罪で19年投獄された男バルジャンだ。

19年も刑務所にいたバルジャンは、ごく僅かの刑務の給金だけを手に、仮釈放という札をつけられて社会に放り出される。仮釈放の札のせいで、仕事もなく、泊まるところもない。まさにバルジャンは今で言う無敵の人だったのではないだろうか。

彼はその後、ある司祭に招き入れられ、一晩の宿にありつく。しかし、その恩にもかかわらずその晩彼は司祭財産を盗む。

盗みを働き、逃げる最中バルジャンはあっさり捕まり司祭のところに連れ戻されるわけだが、司祭は「それはあげたのです」と言いバルジャンを庇う。

この司祭の優しさが、まさに無敵の人への救いの手であり、「例え攻撃されたとしても助ける」という聖人君子のような振る舞いだ。

バルジャンは、回想の中で「世界は俺を憎んだから、俺も世界を憎んだのだ」「しかしあの司祭はどうだろう。そんな俺を救った」と考え改心する。

今の世の無敵な人は「世界からまれ世界を憎んでいる」人たちなのだろう。そして救いの手の届かぬところにいるのだろう。

小説舞台フランス革命後の荒れたフランスであり、革命の後にも関わらず格差は色濃く残る。姉の子供に食べさせるパンをたった一つ盗み投獄されたバルジャンも、その格差どん底の人々の1人であった。

小説舞台から200年経った現代でも、格差に苦しむ人大勢おり、かといって物語のように救いの手は存在せず、無敵の人が闇落ちしているのは全く嘆かわしい。

司祭のように右の頬を打たれても左の頬を差し出すことは我々には真似できるものではないし、せいぜい憎まれないように底辺に触らず生きる他ない。無敵の人を追い詰めるなという論調は、触らぬ神に祟りなし、でしかなく、全く根本的な解決ではないのだと思う。

しかし、無敵の人を救う税など余っていないのだから、仕方ねえなあとも思うのだ。

ああ無情。

(ミュージカル版の「バルジャンの独白日本語歌詞ネットで見れるので、気になる人は見てほしい)

2019-01-09

anond:20190109005152

レ・ミゼラブルジャン・バルジャンやエポニーヌをキモイ自己責任!という常識的現代人がいるかね。

ジャベールも貧民層から這い上がって来た自分正義を振りかざしてマウンティングする役だけどラストは哀れだろ?キモくはない。

一方自分から落ちていったテナルディエはキモいし文字通り汚い

2018-05-09

フランス文学を読みたい

具体的にはレ・ミゼラブルモンテ・クリスト伯を読みたい。

今まで何度も挑戦したが、どうにも途中で飽きてしまう。

っていうか長すぎるんだよ。あとストーリーあんまり関係ない世間情勢に行を割きすぎだ。

でも、なんとなく面白い感じはするし、とにかく読みたいという熱意は有る。

だれか、どうしたら最後まで読みきれるか教えて欲しい。

ホント人助けだと思ってお願いします。

2018-04-12

anond:20180412015533

普段から鼻歌を歌うような人はミュージカル親和性が高いとどこかで見た

まあ自分日本語ミュージカルあんまりきじゃないのと、全編歌で進行するレ・ミゼラブル映画は辛かった(あれはオペラ分類?)

2018-03-16

偉大なるジャン・ヴァルジャン

ようやくレ・ミゼラブルを読み終わった。

長かった。圧倒的だった。

崇高な人間というものに胸を打たれている瞬間がたしか存在していた。

その記録。

2018-01-21

売買春相場低すぎじゃね?

リスクのわりにホテル別で2万とか3万とか安すぎかよって思う。レ・ミゼラブル世界かよ……

2017-11-09

anond:20171108141327

父子テーマなら「レ・ミゼラブル」とか、長いけど

自分2012年しかたことないけど、何回見てもラストは来る

2017-02-24

819 名前名無シネマ@上映中[sage] 投稿日:2017/02/24(金) 19:17:19.97 ID:cdCbu3RK [6/6]

>>818

アーティスト

ジャージーボーイズ

ドリームガールズ

ムーランルージュ

シカゴ

レ・ミゼラブル

個人的には一番上の2つがオススメだがミュージカルと言える部分は少ない

この映画に近いのはシカゴドリームガールズかな

820 名前名無シネマ@上映中[sage] 投稿日:2017/02/24(金) 19:17:58.83 ID:bGgtTwRi [5/5]

>>818

最近のでよければシカゴヘアスプレー

レミゼオペラ座はもうちょっと馴れてから

822 名前名無シネマ@上映中[sage] 投稿日:2017/02/24(金) 19:22:15.29 ID:AZHl3Z4B

>>818

いから無いかもだけどキャバレー

823 名前名無シネマ@上映中[sage] 投稿日:2017/02/24(金) 19:23:25.15 ID:+okylYFr [2/2]

>>821

古いけどサウンド・オブ・ミュージック

傑作だよ!

824 名前名無シネマ@上映中[sage] 投稿日:2017/02/24(金) 19:24:06.02 ID:heyiXHX8 [4/4]

俺もミュージカルそんな見ないけどとりあえずニューヨークニューヨーク借りてきた

2016-09-12

民放TV局が邦画製作に参入したことによるあれこれ

http://anond.hatelabo.jp/20160912143056

  地上波TV局が国産映画製作に参入したことによる倫理的構造問題点

  調査会社GEMリサーチ等を分析レポートする。

【1 国産映画と輸入映画宣伝費用格差問題 】

 ○日本市場において、輸入映画認知度に対する動員の相関が国産映画より安定している。

 「邦洋別、認知度の相関」http://column.gempar...ploads/2013/02/1.gif

  http://column.gempartners.com/?p=5608

  >ここでみて明らかなとおり、邦画は、テレビCM番組露出も、出た分だけ興収に結びつくとは

  >限らないという状況にあることがわかります。一方の洋画は、露出量と興行収入がより相関しているのです。

 ○映画製作している地上波TV局にとって、自社以外の映画は競合相手であり、洋画はすべてそれにあたる。

  邦画同士の場合俳優事務所などの横のつながりで他社作品を紹介する可能性はあるが、他社作品用は枠はこれで消化される。

  地上波TV局は、少なくとも結果だけ見ても、洋画番組露出量を低下させている。

  最終興収60億の「レ・ミゼラブル」も番組露出は非常に少量であった。http://column.gempar...ploads/2013/02/3.gif

  ・邦画の自社の電波の強み ←→ 邦画と競合しているためCM枠を買うしかない洋画さらに、TV幹事邦画CM枠代自体がかからない)

  http://column.gempar...loads/2013/03/21.gif

  ・テレビ局別の映画宣伝量と自社出資作品割合

  http://column.gempartners.com/?p=5610

 ○その結果発生した、認知度と興行の変化

  ・メジャー洋画2010年と比べて2013年は平均認知度が13ポイント下がっている◆

  ・認知が低くとも高稼働の作品が増えてきている◆

  http://column.gempartners.com/?p=8994

  http://column.gempartners.com/?p=9069

 ☆何が問題

  地上波放送局は限られた電波を国から借りた免許事業であり、新規参入ができない非自由競争市場既得権益である

  そのため放送法によれば本来、局が出資している別業種製品宣伝違反行為である。  

 ★糾弾が広まりにくいのは?

  テレビ系列媒体新聞ラジオ)、TV依存媒体週刊誌など)は勿論この問題には言及しない。

  ネットメディアフリージャーナリストなどが散発的に指摘するも、マスでアジェンダ拡散されることは決してない。

2015-08-29

キンドル大人買いするから候補ください 追記 ありがとう

少年漫画青年漫画中心に、面白いマンガ大人買いしたいから候補を挙げてほしい。

【◎最近おすすめされて面白かったもの

キングダム

僕だけがいない街

プラネテス

東京タラレバ娘

ぐらんぶる

【×いまいちだったもの

がっこうぐらし

ヴィンランドサガ(後半)

集団自殺サークル


------------------------------------

【追記 & まとめ】

みなさんありがとう。全部買ったらいくらだコレ。

kindleよりこれ使え>

eBookJapan

honto

<この作者の全部読め>

あさりよしとお

うすね正俊

岩明均

九井諒子

おすすめしてくれたマンガまとめ 8/30 20時>

3月のライオンBANANA FISHBLAME!BLUE GIANT、COPPERS、Dimension WGIANT KILLING、Helck、HELLSINGHUNTER×HUNTERMONSTERSLAM DUNK、trash.、アイアムアヒーローアイアンナイトアイシールド21アカギアドルフに告ぐ、アバラ、イティハーサイムリ、インベスターZ、海皇紀ウルトラヘブン、えの素、エマエリア51エリア88おおきく振りかぶってかくかくしかじか風の谷のナウシカガンツギャングース、きりひと讃歌キン肉マンクッキングパパゴールデンカムイこち亀ゴルゴ13ザ・ワールド・イズ・マインさらい屋五葉シグルイシグルイシドニアの騎士シュトヘルスピリットサークルそれでも町は廻っているだがしかしダンジョン飯、ちおちゃんの通学路、ちはやふるデスノートテラフォーマーズドラえもんドラゴンボールドリフターズニンジャスレイヤーノラガミのんのんびよりバイオーグ・トリニティバイオメガハイキューハイスコアガールバガボンドはじめの一歩バリバリ伝説ハルロックハンターハンターバンビーノパンプキンシザーズピースメーカーヒストリエヒナまつりピンポンブッダブラックジャックフリージアベイビーステップへうげものベルセルクホーリーランドぼくらのボクラノキセキポケットモンスターSPECIALマップスマップスネクストシート、まりかセヴン、まんが極道みなみけミナミの帝王モブサイコ100ゆゆ式、リクドウ、レ・ミゼラブルレッドレベルEワールドトリガー亜人暗殺教室宇宙兄弟宇宙大帝ギンガサンダー冒険嘘喰い横山光輝史記王様の仕立て屋乙嫁語り、俺物語夏のあらし、火ノ丸相撲火の鳥覚悟のススメ、岳、楽屋裏、監獄学園寄生獣暁星記極黒のブリュンヒルデ銀の匙銀英伝軍靴のバルツァー、血塊戦線、喧嘩稼業、喧嘩商売皇国の守護者鋼の錬金術師刻刻国民クイズ今日のあすかショー殺し屋1山賊ダイアリー紫色のクオリア七つの大罪実は私は宗像教授異考録、獣の奏者、祝福王、少年の国、食戟のソーマ新世紀エヴァンゲリオン、深く美しきアジア神戸在住進撃の巨人壬生義士伝静かなるドン、石の花、蒼天航路代紋take2大使閣下の料理人大日本天狗党絵詞地獄恋、中間管理職刑事鉄風、天、天空侵犯度胸星土竜の唄東京グール、湯神くんには友達がいない特攻の島、美味しんぼ、描かないマンガ家風雲児たち僕のヒーローアカデミア墨攻無限の住人無邪気の楽園(?)、名無はいったい誰でしょう、幽麗塔、惑星のさみだれ聲の形蟲師

2013-11-09

きんどるでお奨め無料本と意外な使い方(非ステマ

はてブの方でキンドル無料カテゴリーの紹介が盛り上がっているみたいなので(はてぶ記事は「後でゆっくり読む」)

読んだ無料カテゴリーの中から幾つか推奨してみる ここら辺は文体が少々古くても読んでて楽しい

1.北原白秋 「まざあ・ぐうす」

2.知里幸江「アイヌ神謡集

3.夢野久作ドグラ・マグラ

4.岡倉天心茶の本

5.ユゴーレ・ミゼラブル

6.黒岩涙香幽霊塔」

7.太宰治「駆込み訴え」

キンドルは布団で寝転がって読んでいたら何度か顔に落としたので今ではちゃんと椅子に座って読んでいます

真っ暗の夜道を歩く時ミュージックでかったMP3の曲の画面を表示して、ライト代わりにして足元照らしながら僅かな光を頼りに水溝に嵌まらない様に

歩くのに役に立ちました

アプリニコニコ動画見れるようになったのが大きい

2013-08-22

アリエッティ口論

今更ではあるが、「借りぐらしのアリエッティ」のDVDを借りて家族で観た。

これから駄文を端的にまとめるとね、悔しいのよ。俺の負け犬の遠吠えなの。

子どもたちは「髪留めかわいいね」とか「せっかく友だちになれたのに悲しいね」なんていう感想を言っていた。俺は(もうちょっと大きくなったらまた別なものが見えてくるかな)くらいに思って「かわいいね」「うちにもいたら友だちになれるかな」とか相槌打ってたんだ。

アリエッティって窃盗犯じゃねwww」という類の冗談は公開当時からあるのは知っている。妻がよりにもよって子どもたちの前でそれを言い出した。しかも本気で。

俺は(お姉ちゃんも高学年だし、せっかくの機会だから、もう少し深いところまで話し合ってもいいかな)と思い、いろいろ話そうとしたの。

(妻はいわゆる原作厨なので、絶対に原作も知っているはずなんだけど、昨日は映画だけ観たので原作については触れなかった)


もうさ、映画情緒とかなくなっちゃって、法律論とかになっちゃってんの。

  • 俺「なら仮に小人たちも人間ルールを守るべきだとしても、おばあちゃん(奥様の方)も翔くん小人に物をあげるのを認めているんだから…」→妻「認める前から盗んでいたしwww」→俺「この家の人たちは何代も前から小人がいるのを願っている描写が…」→妻「ものが無くなって小人がいるって思ったんだから、先に盗んでいたはずだしwww。(家主が)エサをあげたつもりだなんて、小人は知らないのに持っていってるんだから、盗んでいると一緒wwwジャンバルジャンが食器泥棒なのには違いないしwww


「泥棒はいけない」のはもちろん子供に教えなきゃいけないことだけど、この映画じゃなくてもよくないかもっと他に伝えたいことないか

俺は相手の意見を完全にではないまでも、受け入れてみようとする分、一貫性がなくなるの。そのせいで話がそれちゃってんの。

でも向こうはこっちの仮定や言い分はほぼ無視して、終始「小人は泥棒」を前提に話を展開するんだよ。一貫してるの。俺の話の途中に割り込んでくるの。しかアリエッティの話しているのにレ・ミゼラブルを持ち出すとか、妙に回転速いの。




俺はどうやったら妻に勝てますか?

2013-05-29

まねして本の紹介 その1

http://yuma-z.com/blog/2013/05/student_books/ という人のエントリを見て、自分も(学生じゃないけど、)読んで楽しかった本をまとめてみたくなった。

この長い本の紹介を読んで、読んでくれる人や、ほかにおもしろい本を紹介してくれる人が続いてくれたら自分はうれしい。まだ微修正中で、加筆・修正するかもです。

これから紹介する本の順序について、あまり意識していないけれど、なんとなく読んでいる人が多そうな順。下に行くにつれて、読んでいる人が少なくなっていくと(書いている自分は)予測してます

このエントリで紹介するのは以下の本です。つづきは http://anond.hatelabo.jp/20130530045256 で。

火車

宮部みゆきさんの小説。一人の女性が婚約後にいなくなってしまう。主人公はその女性の捜索を頼まれて、懸命に消息を追う。そして、調べていくうちに、現代資本主義社会の底しれぬ闇が見える――。

とても有名な作品で少し前にテレビドラマにもなったようだ。物語の始まりが冬の寒い時期のせいだろうか、自分は冬の時期に読みたくなる。三日間くらいで読了できるとおもしろさが持続すると思う。

読まれる方は、Wikipediaのあらすじにネタバレの要素があるので注意されたい。Amazon書評にも、ややバレる要素があるかな。この小説についてはあまり詳細について語ると魅力が半減してしまう気がする。読まれる方はできる限り事前の情報収集を避けて読んでください。

フェルマーの最終定理

1995年にそれまで350年にわたり証明されなかったフェルマー予想が証明された。そのフェルマー予想をテーマにしたノンフィクション。著者はサイモン・シンさん。翻訳は青木薫さん。

著者のサイモン・シンさんはこの後紹介する「ビッグバン宇宙論」においてもそうだが、説明がとても丁寧だ。わからないことを教えてもらおうとして、わかっている人に聞いたときに下手な比喩でたとえられて、全くわからないという経験をした人は自分以外にも大勢いるだろう。サイモン・シンさんの比喩はわからないという気にならない。なぜなのだろうか。

数学テーマにした本なので、数学が嫌いな人は手に取ることもないかもしれない。しかし、そういう人もぜひ読んでみてほしい。というのも、この本は数学の「問題そのものを解く」ということが主題ではないから。むしろ数学の問題はどのように生まれるのか、それを解こうとして350年にわたり数学者たちがどのような試行錯誤を続けていったのか、そのもがき苦しんだ歴史の本だからだ。

海外の本はしばしば翻訳調とでもいうべきか、文が堅く読みにくい感じがすることもあるけれど、この本はとても翻訳が丁寧で読みやすい。青木薫さんのすばらしい仕事だ。

自分は単行本ハードカバー)で読んだ。文庫版だと新しい翻訳者あとがきなどがついているかもしれない。

一九八四年

ジョージ・オーウェルが書いた小説ユートピア物質的・精神的に豊かになる、健康長生きできるといったような人間社会幸せで良い方向に向かう社会小説の反対、ディストピアを描いた小説

ここまで暗く描かれるとむしろ読む方の気分は明るくなるような、そんな気にすらさせてくれる小説。ただし、それは読後の感想であって、読んでいる最中は暗いままだけれど。

村上春樹さんの1Q84はもしかしたらこの小説に関連があるのかもしれない。今ググったら、どうやらそうらしい。自分は村上さんの方は読んでいないので何も言えません。(すみません

この小説が書かれた時期も意味があるし、この小説の中で登場するニュースピークという言語体系の設定は、そもそも言葉とは何なのかを考えるきっかけにもなるだろう。

火車と同じくWikipediaはあまり見ないで読み始めた方がよいだろう。

将棋の子

大崎善生さんの小説純粋小説というよりも何割かはノンフィクションかな。

自分は将棋のことは駒の動き方くらいしか知らないのだが、羽生善治さんやほかにも何人かくらいは将棋指し(棋士)の名前を知っている。この棋士の方々は、奨励会という将棋プロ養成する機関の中で勝ち上がってきた人たちだ。勝ち上がってきた人は晴れて棋士になるわけだが、では、「敗れ去った人たち」はどうしているのだろうか。その人たちをテーマに据えた小説だ。

この小説はけっこうずしりとくる。最初に挙げた宮部みゆきさんの「火車」は小説範疇ということもあるせいか、なんとなく怖さを感じることはあるが、現実的な切実さ、哀しさまでは感じないかもしれない。この「将棋の子」は、何かを一生懸命やってうまくいかなかった人の哀しさがよくわかるし、そういう体験をしてきた人(あるいは今そういう一生懸命何かに取り組んでいる最中の人)にはこたえるものがある。

冗談でしょう、ファインマンさん

ファインマンというアメリカ物理学者自伝エッセイ集。著者はリチャード P. ファインマンさん。翻訳は大貫昌子さん。この本もすばらしい翻訳だ。

エッセイ集ということもあって、好きなタイトルから読み始めることができる。エッセイ集なんてつまらんだろう、などと思っている人は読んでみてほしい。物理学者とは思えない言動の数々と、物理学者からこその言動が少々。そして、その間に驚かされるような洞察が垣間見えるのだ。場合によっては論語みたいな読み方もできるかもしれない。

全般に明るく楽しく描かれているけれど、これは意図的なものだろう。第二次世界大戦のロスアラモ時代には、自分の心にとどめるだけの悲しい出来事も数多くあったのではないか、と自分は想像している。

最後の「カーゴ・カルトサイエンス」の節はできれば最後に読んでほしい。この節だけは特別だ。物理学がわかれば、もっとファインマンさんのことをよく知ることができるのだろう。それができないのは残念だ。

プー横丁にたった家

プー横丁にたった家」は「くまのプーさん」の続編だ。「くまのプーさん」というと、単なるハチミツが大好きな黄色っぽいクマだと自分は思っていた。そうではなかった。

この本は子供向けの童話だと思われるかもしれないが、読んだことのない大人の方も読んでみてほしい。自分も大人になってから読んだ。著者はA.A. Milne。翻訳は(童話ジャンルでは高名な)石井桃子さん。

プーさんはもともと、著者が自分の息子に聞かせるためのお話だったようだ。こんな話を子供時代に聞かせられたらすごいことだ。

ところどころでプーさんが代弁する著者の考え方は、Amazonレビューにもかかれているけれど中国の思想家のような、どこか超然としたところがある。このクマがほかの動物たち(と一人の子ども)に向かって話しかける姿が良い。それとプーさんと行動をともにするコブタピグレット)が健気だ。自分は大人になってから読んだせいか、出てくる動物たちの役割に目が向いた。すなわち、物語の筋よりもおのおののキャラクター人間のどういう面を強調したものなのかを考えてしまいがちだった。子供の頃に読んだならば、もっと無邪気な読み方ができただろうと思う。

ビッグバン宇宙論

サイモン・シン氏の2作目の紹介になる。翻訳も前に紹介した「フェルマーの最終定理」と同じ青木薫さん。(本自体は「フェルマーの最終定理」→「暗号解読」→「代替医療トリック」(共著)→「ビッグバン宇宙論」、で四冊目だ)

大人になるにつれて、子供の頃に「なぜだろう」「どうしてだろう」と単純に不思議に思えたことへの興味がだんだん薄れていくと思う。すくなくとも自分はそうだった。どうして鳥は飛べるのに人間は飛べないのだろう、なんでお風呂に入ると指がフニャフニュになってしまうのだろう、どうしてテレビは音が聞こえたり絵が見えるのだろう、泥だんごはうまく丸くなってかちかちに固くなることもあるけど、そうでないこともあるのはなぜだろう、カブトムシはかっこいいけど、クモはすこし気味が悪いのはなんでだろう…、などなど。

そういう疑問の中で、人間がずっと追いかけて考えてきた疑問の一つが「この人間が生きている空間はどういうものなのか」だろう。その考え方の歴史をまとめたものがこの本だ。この本をひもとくと、この百年の間に予想もし得ないことが次々に見つかったことがわかる。ビッグバンという言葉ほとんどの人が知っていて、宇宙は一つのから始まったと言うことは知っているだろう。意外に思えるけれど、今から百年もさかのぼれば、ビッグバンという言葉すらなく、そう考えている人も科学の世界において異端扱いされていた。

宇宙論という非常に大きなテーマを扱っているため、「フェルマーの最終定理」よりも分量があって読むのが大変かもしれない。ただ、自分が読んだ単行本ハードカバー)には各章にまとめがついていて、おおまかな筋はそこを読めば追えるように配慮されていた(これはうれしい配慮だ。)文庫版のタイトルは「宇宙創成」のようだ。

読み終わったら、ぜひ上巻のカバーと下巻のカバーのそれぞれの色に着目してほしい。

モンテ・クリスト伯

今まで見てきた本を読むとわかるかもしれないが、あまり自分は昔の小説を読むことがなかった。一つには風俗文化が違いすぎて、いまいちぴんとこないからだろうか。そう思って昔の小説を読むことがほとんど無かったけれど、このモンテクリスト伯おもしろかった。著者は三銃士でおなじみのアレクサンドル・デュマ。翻訳は竹村猛さん。自分は上に挙げた岩波少年文庫版を読んだ。

復讐劇の代表的な作品だそうだ。「それってネタバレでは?」と思う方もいるかもしれない。そうと知っていてもやっぱり楽しい。引き込まれるようなおもしろさがある。

少し前に「レ・ミゼラブル」が映画になって、そちらの原作も良かった。境遇何となく似ているのだけれど、「レ・ミゼラブル」が愛の物語なのに対して、モンテ・クリスト伯純粋復讐劇だ。その痛快さ。モンテ・クリスト伯超人的な活躍が楽しい

自分はまだ一回しか読んでいないせいか、下巻の最後の方のあらすじはうろおぼえになってしまった。もう一度読む楽しみが増えた。今度は岩波文庫版で読もうかな。

喜嶋先生の静かな世界

森博嗣さんの小説。もともと「まどろみ消去」という短篇集の中に「キシマ先生静かな生活」という短編があって、それを長編ににしたものだ。

(科学系の)研究者世界とはどういうものなのかを丹念に追った小説であり、若干の事実が含まれているのかな?と思っている。森博嗣さんは某大学研究者であった(今では退職されたようだ)人で、その知見がなければ書けない小説だろう。

Amazonレビューを見たら、「自分には残酷小説だった」というレビュー内容もあった。自分は、心情、お察しします、という気持ちだ。ただ、主人公は喜嶋先生と出会えたことは僥倖だったに違いない。この小説の中で登場する喜嶋先生名言は、本家よりもむしろ心に残る。

自分の中では「将棋の子」と双璧をなす青春小説だ。

謎のギャラリー

北村薫さんが選ぶミステリーを中心とした選集。あるテーマを設定して、そのテーマの中で北村さんが編集者と対談形式でさまざまな物語を紹介していく形式だ。テーマは「リドルストーリー」であったり、「中国の故事」であったり、「賭け事」であったりと様々だ。

編集者との対談は実際の編集者ではなくて、北村さんが頭の中で生み出した架空の「編集者であるけれど、この対談がとても読んでいて楽しい気持ちにさせてくれる。いろいろな本が紹介されて読みたくなる。そういう罪深い(?)本だ。これを元に幾冊か叢書が組まれた。

その叢書の中で、自分が気に入ったのは「私のノアの箱舟」と「なにもない猫」だ。このシリーズはまだ全部読んでない。だから、気に入ったものは変わるかもしれないし、増えていくだろう。

自分は中国の故事や旧仮名遣いの本は読みづらく感じてしまうので、「真田風雲録」は読めないかもしれないなあ。

伝記世界を変えた人々 (いろんな人の伝記 図版が多く読みやすい)

海外の人を中心にした伝記シリーズ。主に子供を対象としているためだろうか、シリーズ全体として、文は平易で図や写真を多用している。そう書くとありきたりな伝記に思われるかもしれないが、装丁、ページの中の文と写真の配置の良さが際立つ伝記集だと思う。

全体として、割とマイナーな人も取り上げていたりするし、平和に貢献した人たちを取り上げている点も特徴だろう。気になった人がいたら、その人を読んでみてほしい。

星新一 一〇〇一話をつくった人

星新一は、多くの人がショートショートと呼ばれる一連の作品群で読んだことのある作家だろう。その人の評伝だ。著者は最相葉月さん。

星新一さんはその作品を読むとところどころに冷徹さが垣間見える。その冷徹さがどこから生まれたのかがわかるだろう。もともと幸せ境遇に生まれ育ったが、途中からどうしようもない災厄に見舞われるからだ。それだけが冷徹さの理由ではないだろう、ほかにもこの本を読めば思い当たる点がいくつかある。それらも書くと紹介としてはやや度が過ぎるのでやめておく。

最後の方で著者は有名な芸能人にもインタビューする機会を得て、実際に星新一さんについて尋ねる。そこも印象に残る。その芸能人はちょうど星新一さんの逆の人生をたどるような状況になっている。

自分はこの評伝を読んで、がぜんショートショートに興味を持つようになった。

リプレイ

SF小説はあまり読んだことがないのだけれど、この小説は良かった。著者はケン・グリムウッドさん。翻訳は杉山高之さん。

SFのよくある設定として、「もし過去に帰ることができるとすれば、その人の人生はどう変化するのだろうか」というものがある。その王道設定を利用して、すばらしい小説になっている。

この小説が書かれた時代1988年なので、やや風俗文化の描写が21世紀の現代と比べて現実離れしている点があるけれど、それを差し引いてもすばらしい小説だ。

まりあらすじをかかない方がよいだろう。http://anond.hatelabo.jp/20130530045256 で紹介する「心地よく秘密めいたところ」と全然違う話なのだけれど、自分には似たものを感じる。

自由への長い道

この本は近年読んだ中で最も良かった。

自由への長い道は南アフリカ共和国アパルトヘイト人種隔離政策)が撤廃されるまで闘った人々のノンフィクションだ。著者はネルソン・マンデラさん。翻訳は東江一紀さん。

アパルトヘイトという言葉とその意味何となく知っているけれど、それが具体的にどんなものかを説明できる人は日本の中で多くないのではないかと思う。ネルソン・マンデラさんとその仲間たちは、それをなくそうと政治活動を繰り返す。そしてその度に時の政府の激しい妨害に遭い、その結果そういったグループを作ること自体が違法になり、グループの首謀者たちは収監されてしまう。そこからが圧巻だ。

いかにしてそういう逆境の中で自分の政治信条を保ち続けるか。自分たちの仲間を増やして支持を広げていくか。そして時の権力機構に対して、アパルトヘイトの「非道さ」をアピールし、撤廃にこぎつけるか――。

仲間の反乱分子スパイへの対処国際社会へのアピールなど、常人には思いもよらない方法アパルトヘイト撤廃に向け前進してゆく。ところが、前進したと思ったら後退したりすることが何度も繰り返されるのだ。

この本はネルソン・マンデラさんがアパルトヘイト撤廃後の大統領に選出された直後に出版された本なので、結末に近づくにつれてかなり筆が鈍って、慎重な言い回しが増えていく。現在進行形のことを縷々書くと信用問題になるからだろう。それでもこの本は読んでいて楽しい

この本を読んだ人は「ネルソン・マンデラ 私自身との対話」もぜひ読んでほしい。自分もまだ途中までしか読んでいないが、より素直なネルソン・マンデラさんの言葉と考え方がわかると思う。(「自由への長い道」についての言及もある。)

ほかにも映画インビクタス」や、「マンデラとデクラーク」など、映像作品もある。後者の「マンデラとデクラーク」は「自由への長い道」と同じテーマだ。ついでに、youtubeにあった国連広報映像日本語訳付き)もリンクしておく。


つづきは http://anond.hatelabo.jp/20130530045256 で。

2013-01-21

http://anond.hatelabo.jp/20130121001007

 元増田さんに上手く答えられるか分からないけれど、書いてみる。

 依存症治療の会合、アルコホーリクス・アノニマス手法を書いた本「ビッグ・ブック」の中に神を信じること、っていうのが出てくるらしい。

 元々がアメリカからでてきた治療法だから、多くはプロテスタント的発想なんだろうけれね。

 そもそもの依存症って例えばアルコール依存症にしても仕事依存症にしても、問題はアルコールを飲むことや仕事に重きを置くことにあるのではない。問題は大事な人(家族や友人)に向き合わなければならないときに、アルコール仕事や買い物に逃避して向き合わず人間関係を壊していってしまうことにあるのね。

 (ここ、重要)。それを前提として読んで欲しいんだけど。

 ビッグ・ブックを読んでいる看護師さんと話していて、ここにある神っていうのは、別にキリスト教である必要はまったくなくて、

人間を越えた存在、親よりももっと上の存在

に許し、受け入れられる、っていうことが、心の安らぎに通じている、ってことなんだなって分かってきた。

 無心論者であっても、「超越者」に「私は生きて呼吸することそのものが、祝福されたことなんだ」と認められていることが、がけっぷちに立たされた状態では、必須で、これがないと人は生きていられない。

 私に立ち返ると、父親は仏教徒で、母親根底はシントーイスト。私は仏教って哲学であって宗教ではないと思っているから、仏壇はあるけれど、宗教的な観点神道にあるという、古い日本の一部ご家庭の状況。

 神道っていっても、自然神的なものを「人知の及ばぬ、わたしの上位のもの」だと感じる程度です。

 そんな状態だった私は、幼稚園くらいのころ、桜の花びらが散っているのを見て、

妖精さんだ!」

と思い、それが創ではないと分かってからも、花びらや雪や、さらには汚れた水の中でもわもわと沸き立つごみや土ぼこりを見るたびに

「だからそれが、神とか天使とか妖精かいものだ」

と感じています

 あれ(神様的なもの)は、目を凝らすと周囲にふりそそぎ、ただにこやかにこちらを見ているもので、こっちのことを好きだけれど何の力も無く、ただいるだけのもの

 小説沈黙」や「レ・ミゼラブル」みたいな情熱的な信仰心ではないけれど、家族の死や苦しさの局面に至ったときに、

「それでも神は降り注ぐ、何の力も無いまま、それでも私たちを愛している」

というのが根底にあるだけで、不思議な立ち直りの力が沸いてくるのです。

 多分それが信仰の原型みたいなもので、それは無心論者であっても必要だろうし、持てるんじゃないかなぁ。

 数億分の1だかの確立地球生命が発生した奇跡を、成し遂げた神は無心論者が否定することが出来たとしても、惨事を見つめるだけの無力な神は否定できないんじゃないかと。

 そして無力な神であっても、「わたくし」の生命をことほいでくれているとしたら、それは力の源になると思うんです。

 んで、アルカホリック(というか依存症全体)の、壊れた人間関係に立ち返ると、

「誰かに容認されない自分

のまま、他人に向き合うことはむずかしいこと、らしいのね。

 誰か(上位の、人間のもの存在することを容認できるくらいの存在)に存在を容認された状態でないと、人は人に対峙できない。

 元増田さんの腹が割れないってのは、だから多分その感覚なんじゃないでしょうか。

 他の方が書いているように、それについて鈍感な人や、日本人が持っている古い神や「ひととひとがよりそって人っていう字」っていう感覚を知らず知らずのうちに身につけている人にとっては、

元増田の悩みは宗教ではない」、と言っちゃうけれど、私から見ると宗教っていうか「宗教っていうか、それ以前の、なんだかわかんないものが、私が生きていることそのものを許してるってことを感じられない苦しみ」なんだろうなぁって思います

 感じるのは変なことじゃないし、恥ずべきことでも中学生でもないと思います

 むしろ人生の危機的状況に至る前に、それに気づいていたほうが、対処に悩まないからいいことだと思います。今後宗教を持つかどうかは別として。

2012-05-04

シアターオーブが出来る前に「ミュージカルを中心にした劇場」と聞いて

何を寝言を言ってるんだpgrと思っていた。

自分には関係ない劇場だと思っていた。

ああ、バカだった。

…………

…………

…………

今年だけで「本家ロミオとジュリエット」「ウィーンエリザベート

金がいくらあっても足りない!

来年は何が来るの!どんだけむしりとる気なの!

もしかしてモーツアルト」とか「レ・ミゼラブル」の本国キャスト版とか

上演する気でいたりしないか

やーめーろー!

行かないからな!行かないからな!

ダチョウ倶楽部的な前ふりでも何でもなく、行かないからな!

お金の湧く泉とか、ありませんかねー

(ねーよ)

2010-09-20

初音ミクと見せかけの魔法

 海外blog初音ミクについて熱い(長い)文章を書き込んでいるのを見かけたので試しに翻訳してみた。無断翻訳なので匿名で。urlは以下の通り。

http://deliciouscakeproject.wordpress.com/2010/09/20/hatsune-miku-and-the-magic-of-make-believe/

=====以下翻訳=====

 初音ミクと見せかけの魔法

 初音ミク歴史は18世紀のヘタリアイタリアに始まる。

 そこにはバルトロメオクリストフォリって名前のすげえヤツがいた。こいつの得意技は楽器を作ることだった。何でも作ったわけじゃない。当時はひどく弱々しいちっこいもので、しょぼい羽柄が並んだ弦を引っかいて金属的なチャリチャリした音を出すもの、つまり鍵盤楽器を作っていた。いわゆる「バロックミュージック」ってヤツだ。クリストフォリが音楽技師として、また機械技師としてやったのは、弦を異なる強さで叩くハンマーを使った仕組みづくりで、それによって演奏家は小さい音(ピアノ)や大きな音(フォルテ)で演奏できるようになった。だもんで皆それをイタリア語ピアノフォルテと呼んだ。もちろん、今ではお前も俺もそして誰もがクリストフォリの発明品をピアノと呼んでいる。

 イタリアピアノ発明することによって、日本初音ミク発明するための扉を開いた。

  ***

 俺は今、ここサン・フランシスコの150席しかない小さな映画館で、秋のアイドル公演を待っている。チケット完売した「39[ミク][[Sankyu!]] Giving Day」コンサートの上演を見るために、愚かな時間無駄遣いをする連中が集まっている。コンサートじゃ電子的に創造されたポップアイドルつまり緑の髪をした女神が、ゼップ東京コンサート会場で生演奏するバンドにあわせて踊り歌っている様子がスクリーンに映し出されている。それはまるで、一部はライブなんだが、本当はそうではなく、「本物」のボーカロイドコンサートでお目にかかれるのに近いものだった。言ってみればゴリラズを見に行くのとそれほど違いはない。伴奏は本物のミュージシャンが作り出しているが、客が見ているのはいわば巧妙なごまかしの表層であり、音楽に命を持たせるために使われる動くペルソナだ。これがミクの魔法である。それは見せかけの魔法だ。

  ***

 クリストフォリがピアノ発明した頃、J・S・バッハ平均律クラヴィーア曲集を書いた。そこでは要するに鍵盤楽器の各音程間で一通り数学的な調整をすれば、突然どのような調号でも十分演奏できるようになるということが言われている。言い換えれば、何か妙なことをしようとした際にいつも調子はずれの音を出すのではなく、初心者から中級までのピアノの生徒がやらかす糞を抑えるような5フラットとか7シャープとかそういったことが完全にできるようになる。これによって18世紀の鍵盤楽器は初めて、いちいちくそったれな調律をしなおすことなく新しい楽想を試すことができる原始的なワークステーションとなった。

 数十年後、ようやくピアノ価格が下がり十分なほど生産できるようになったことで、それは非常識なほどの大金持ちだけの特別な楽器ではなくなった。代わりにそれは有名な王族たちのような常識的な程度の金持ちが購入できるものとなり、彼らは好んで地元作曲家を雇い自分たち(とその客)を楽しませるために音楽を書かせた。こうした作曲家の一人があのヴォルフガング・A・モーツァルトであり、彼の特別な才能は主に下ネタ女性音楽生徒に対する性欲の面で発揮された。もちろん鍵盤楽器からふざけた音を引き出す才能もあり、その短い人生の間にモーツァルトは最も好きな楽器ピアノに決定した。彼が書いた27のピアノ協奏曲(本当に素晴らしいのは最後の10曲ほど。アニメシリーズのようにモーツァルトレパートリーは後半になるほど良くなった)は、単に協奏曲形態にとって画期的な礎石となっただけでなく、ピアノ音楽の基礎を築いた。モーツァルト協奏曲はこう言っているようなものだ。「これこそピアノにできることだ! ピアノだけでなく、オーケストラと一緒でもいい! まさか今更ハープシコードに戻ろうってんじゃなかろうな?!」

 モーツァルトより後の時代の人間は皆彼に同意した。ひとたび音量の大小を調整できる鍵盤楽器を手に入れてしまえば、弱々しいチャリチャリした機械になぞ戻れっこない。これが230年ほど前の出来事だ。ミクへの道は一日にして成らず。

  ***

 ミクの公演にやって来たファンの男女はいろんな連中の寄せ集めだ。彼らの5分の1ほどは当然ながらボーカロイドコスプレをしている。何人かはケミカルライトまで持ち込んでいる。コンサート全長1080ピクセルの巨大なスクリーンで始まり、全劇場サウンド・システムが炸裂し、観衆は最初はためらいがちに見ていたが、最初のいくつかの歌の後は雰囲気が盛り上がってきた。彼らはスクリーンの中の群衆と一緒にリズムに合わせてケミカルライトを振り、曲が変わると歓声を上げ、各ナンバーが終わると拍手をした。単なる録音と録画じゃねえか、などというたわ言は知ったこっちゃない。理論的にはゼップ東京の群衆だって同じように録画を見ていたんだ。本当に「ライブ」で演奏される音楽など、現代においてはクラシックオーケストラ民族音楽演奏くらいしかないし、それにシンフォニーホールですら今日ではマイクが使われている。誰もが電子的な助けを借りて音楽を聴いている。ひとたび電子機器楽器として受け入れることを覚えてしまえば、ミクを愛するのは簡単だ。彼女モーツァルト魔笛アリアを歌っている動画を聞いてみよう。

http://www.youtube.com/watch?v=gr9fbQzNpqA

  ***

 19世紀欧州で、もしお前がピアノ演奏ができない作曲家だったとしたら、お前は存在していなかっただろう。それはもはや単に大小の音量で演奏できる楽器にとどまらず、巨大な和音構造物であり、多音パッセージワークであり、一人の演奏家の手で「あらゆる音符を見ることができる」ものとなっていた。もしピアノがなければきっと「2人のバイオリニストビオラ及びチェロ奏者各1人をかき集めて旋律が上手く行くかどうか調べにゃならん」てなことが起きていただろう。そしてもちろんチェリストは、ある音符について「どぅんどぅんどぅんどぅんどぅんどぅんどぅんどぅん」と演奏するようお前が何度も何度も何度もお願いするのにうんざりして1時間後にはそこを立ち去ったことだろう。

 少なくともピアノがあれば、お前の小さな指以外に迷惑をかけることなく「どぅんどぅんどぅんどぅんどぅんどぅんどぅんどぅん」とやることができる。

 かくして1800年代においてピアノは中心的な作曲道具となった。そして同時に社会中産階級が暇と屑な時間を持つところまで進化し、そしてもし彼らがスポーツゲーム発明しなければ、彼らは音楽その他を演奏したいと望み、そんでもって家に持ち込むためピアノを注文できるようになった。欧州だけでなく日本でも、少なくともウィリアムペリーが彼らを開国して西洋化が始まった後には、同じことが生じた。基本的にピアノ文明化の証と見なされ、そして有名な山葉寅楠ってヤツがイケてる連中のため日本製ピアノを作り始めた。

 19世紀末20世紀音楽制作にとって黄金時代だった。楽譜を買って他人の歌を演奏する方法で「音楽を作る」こともできたし、あるいは作曲理論について十分に学び自分の曲を創造するというやり方で「音楽を作る」こともできた。そうした取り組みの多くはピアノの周辺で起きた。ピアニストが力を得た。鍵盤があれば、お前はスターになることができた。

 そして、とんでもないことが起きた。

  ***

 ミクだけじゃない。巡音ルカとリンとレンも公演に出てきたぜ! 全ボーカロイドパーティだ。彼らの異なる声質と、ミクと組む様々なやり方は、見事な音の見本集になっている。他のキャラクターが登場するのを見た観客たちは熱狂している。異なるシンセサイザープログラムマスコットに過ぎないにもかかわらず、彼らはまるで我々の友であり家族であるかのようだ。ようつべニコ動を使って彼らを我が家へ招待しよう。彼らの声を我らの生活のサントラにしよう。電子的に作られたアニメキャラが本当のミュージシャンになれるのかって? おk、ならお前に聞いてみよう。魂のない箱がお前の周囲の空気を震わせているけど、それは本当の音楽なのかい?

  ***

 それこそが実際に起きたとんでもないことだ。録音された音楽。録音された音楽こそ、音楽史の中で起きた最悪の出来事だ。

 ひとたび蓄音機を、ラジオを、レコードプレイヤーを、カセットプレイヤーを、CDプレイヤーを持ってしまえば、音楽を楽しむのに「音楽を作る」必要はない。コンサートホールチケットを手に入れる必要もない。単に座って、電気を使った箱にお前を楽しませればいい。ピアノ専門家のための道具に成り下がった。それは淑女が結婚に必要な才能を覚えるためのものに、あるいは子供が(1)それを憎んでいることに気づく(2)両親が子供に才能があることに気づいてプレッシャーを積み上げ始める――まで稽古を受けるものとなった。もし(2)の現象が起きたなら、最後にはピアノを本当の演奏楽器あるいは作曲用の道具として使うようになるだろう。しかしそれはもはや「音楽制作」の中心にはない。

 さらに悪いことにロックギターをポピュラーにしてしまった。ギターが人気になり、ピアノは役立たずとなった。お前が鍵盤楽器を学ぶのは、ビートルズにしてくれるものを持てずバッハベートーベンにしがみつくしかないある種の意気地なしだからだ。誰が決めたルールか知らねえが最低だ。10代のころ、俺はピアノを使ってランキング上位40の曲を弾けたおかげで女の子たちに「いくらか」いい印象を与えられた。けど、結局はクラスの野郎どものうちその曲をギターで弾けるヤツがいつも勝ちやがった。くそったれ。

 だがここで思い出してくれ。俺は、イタリアピアノ発明したことが日本初音ミク発明への扉を開いたと言ってきただろ? ピアノ21世紀に飛び込むときに今一度変革に見舞われたんだ。

http://www.youtube.com/watch?v=-7EAQJStWso

  ***

 もし音楽を生み出す小さな電気の箱が「本物」であるなら、録音済みのコンサートに向かって「アンコール! アンコール! アンコール!」と叫ぶのは極めて正常だ。その音楽はお前を感動させたんじゃないのか? もっと聞きたいと思わないのか? というわけで映画館の観衆はもっともっとと叫び、そして彼らはアンコールを聞けることが分かっていた。なぜならそういう風に録音されていたから。ミクが公演を終わらせるため最後舞台に出てきた時、もう一度鑑賞力のある人々から歓声が上がった。それは人工的なものだが、とことん楽しむため我々はそれを本物だと見なした。まるでドン・コッブが[ネタバレ注意!!]インセプションラストで回転するコマから歩み去るかのように。ミクは夢のような存在だ。サウンド・エンジニアCGアーティスト音楽家が作り上げた美しい夢であり、決して卒業することも年を取ることもスキャンダルを起こすことも業界から追放されることも惑星上から姿を消すこともない完璧アイドルだ。彼女は実際、いくつもの「映像」を持っている。我々は皆、この音楽的見せかけの共犯者だ。過去の聴衆がモーツァルトオペラを、ガーシュウィンミュージカルを、あるいはかのすさまじいレ・ミゼラブルを本物であると信じたように。我々は十分深く信じられるようになるまで偽りの世界を本物だと信じるふりをする。その世界を感じるまで、見せかけの魔法を感じられるようになるまで。

  ***

 ピアノ最後の変革とは、もちろん電子化のことだ。

 真空管からトランジスタを経て迷宮のような電子回路まで。もしピアノの鍵盤が「あらゆる音符を見る」ことのできるインターフェイスだとしたら、それは作曲家に最も未来を感じさせるインターフェイスだ。そして我々にはシンセサイザーキーボードとMIDIコントローラーワークステーション世界が与えられており、そこでは遂にピアノが単なる「楽想を試す場所」から超越した。ちょっとした波形の調整によって、ハンマーと弦の機構に制限されることなくこれらの楽想を正確に響かせることができる。新しい音を作り上げることもできる。楽想の断片を記録し、他の楽想をその上に並べて電子キーボードを個人的な架空オーケストラに仕立てることもできる。ピアノピアノを超えた。それは作曲家の手の延長どころか、作曲家の心の延長となったのだ。

 一つだけ欠けているものがあった。声だ。

 そして、ご存知の通り、日本日本であり、彼らはやってのけた。彼らは人工物を誰よりも巧みに操った。彼らは本物の料理だと見栄えが悪くなるからという理由でプラスチック製の小さな食品サンプルを作った。本物の労働者は間違いを犯しがちだから製造ライン用のロボットを作った。本物の音楽家を家に入れるのは大変だから編曲家のために電子キーボードを作った。そして、人間の声を合成する技術が十分に発達した時、そしてそれが人工音声のためのペルソナ創造するというアイデアと衝突した時、ミクが見せかけの音楽における21世紀スーパースターになるのは当然のことだった。

 中にはボーカロイドというアイデア音楽家の全てを破壊するという人もいるだろう。全ての仕事ソフトウエアがやってくれるのに、誰が人間を必要とするんだ? 俺が思うに、ボーカロイドってのは偉大なる民主化の旗手であり、音楽家のために沢山の扉を開いてくれるカギなんだ。過去において、もしお前が作曲家編曲家あるいはプロデューサーなりたければ、まず自分の曲を書いてそれから演奏家を探し見つけ出すしかなかった。何しろお前の傑作に生命を吹き込みたければ、5人編成のバンド、20人編成のオーケストラ、そして3オクターブ半の音域を持つ歌い手がいないとどうしようもなかったのだから。マジ悲惨。だがミクがいれば誰もが作曲家になれる。誰もが自宅のスタジオで曲を作り、正しい機材があれば、電子機器を使った完全なポピュラーソングを生み出せる。ボーカロイド音楽家仕事を奪うわけじゃない。それまでミュージシャンには決してなれないと思っていた人々の中からミュージシャンを作り出すんだ。動画投稿サイトで毎日そうしたことが起こっているし、こうしたコンサートではそれまで決して聞いたことのないような人々が突然電子王国の宮廷音楽家になれる。非常識なほどの大金持ちだった王家の人々の手にあった手製の楽器から、平民たちの手に握られた緑の髪の女神へ。それがこの大きな3世紀の違いだ。

 何であれ多くの人々が音楽を作ることは、単に大人しく聞いているだけよりもいいことだと俺は信じる。俺は魔法を、ボーカロイドを、ミクを信じている。

=====以上翻訳終了=====

 誤訳は当然あると思う。でも面倒なので修正はしない。

2010-08-02

今日はてな匿名ダイアリーを読んで思ったこと。

レ・ミゼラブルはすごいよなぁ。

今日テーマシングルマザーの悲哀も、血の繋がらない子供のために命をかける素晴らしさも、全てがこの本の中にある。

みんな夏休みで暇なんだったら、レ・ミゼラブルを読め。

成人するまでに読んだことがあるかないかで人生が変るぞ。

2009-07-23

http://anond.hatelabo.jp/20090723001546

違う違う。

何見たか知らんけど、カーテンコールは出演者の為のものじゃなくて、客の為のものだ。

舞台芸術、っていうかまあ演劇系だな、しかも四季とか東宝松竹なんかの大手だと特にそうなんだけど、演者にファンがついてるから、演者の役をはずれた姿を堪能させる為に何度も出る。

あんなの、客がアンコール拍手しなけりゃ一回で終わるんだよ。金払ってる客が要求するから何度も出なきゃいけないだけ。

自分がもう満足したな、こいつらもう出てこなくて良いなと思ったらそこで拍手やめればいいの。

拍手が鳴り止まないってことは、その人達はまだ演者を見足りないわけ。演者じゃなくて客の満足な。「これだけあなたの出ているお芝居を愛しましたよ」のラブコール。名作だと演目にも固定客ついてるから長くなる傾向はあるね。

レ・ミゼラブルであまりのカーテンコールの長さに子役がぶーたれた顔をしたのとか見たことあるよw

あとこれはお笑いだけどラーメンズ地方公演で、3,4回目のカーテンコールあたりでコバケン半笑いで「もうね、なんにも出すものはありませんよ」っつって拍手強制終了させたりとかもあったな

「片付けが大変なんだ!」とかも言ってた。こういう笑いに誤摩化した切実な叫びはでもやっぱり笑える

2009-04-26

http://anond.hatelabo.jp/20090426222213

もう浮気の時点で何言ってもダメ。あんたの負け。

相手がどんなに悪かろうが暴力ふるった方が負け的なのと同じ

この「負け」は人生全部における挽回しようのない負けでもある。

人間は一瞬の行動で永遠に返せない負債を背負う。実際の借金の方が遥かに楽だと思えるくらいの。

レ・ミゼラブル

2009-02-21

ブンガク格付け

超名作

ドンキホーテ 戦争と平和 神曲ファウスト

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

名作

魔の山 レ・ミゼラブル デイヴィッド・コパフィールド 

人間の絆  白鯨 カラマーゾフの兄弟 重力の虹

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良作

回帰線 赤と黒 阿Q正伝 ボヴァリー夫人 失われた時を求めて 1984年 キャッチ22

ゴリオ爺さん ガラス玉演戯 ユリシーズ 響きと怒り 城 アンダーワールド 異邦人

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佳作

怒りのぶどう 大地  世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド

グレート・ギャッツビー 明暗 老人と海 夜の果てへの旅 スローターハウス5

感情教育 ハムレット 失楽園 オデュッセイア モンテ・クリスト伯

クオ・ワディス 大使たち イワンデニーソヴィチの一日 ライ麦畑でつかまえて

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ラノベ

豊饒の海 ティファニーで朝食を レベッカ 万延元年のフットボール

決壊 初恋 アルジャーノンに花束を グランド・フィナーレ 椿姫

見えない都市 百年の孤独 オネーギン オブローモフ 外套 暗夜行路

ムーンパレス 嵐が丘 ジェーン・エア 伊豆の踊り子 涼宮ハルヒの憂鬱

キノの旅 ダ・ヴィンチ・コード

2008-09-16

一週間経過@禁欲宣言

http://anond.hatelabo.jp/20080909022422 ←これね

とりあえず、一週間経過した今とっても煩悩全開状態で、かなりヤバイです。

とても惨めな気持ちになります。

レ・ミゼラブル

自殺したい衝動と同程度の凹みっぷりですが、まあ大丈夫っす。

一度読み返すと決意が強まる。

己に打ち勝つのだっ。

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