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2012-01-27

http://anond.hatelabo.jp/20120127094757

いや、設計しかできないの意味が分からなかった。

簿記会計の処理するために 自分自身が簿記できるくらい勉強する のは 設計に入るし

デザイン周りの処理するのに 簡単なデザインできるくらい勉強するのは 設計に入るし

プロ並みにとはいわんが、業務知識があって、それをベースにそれぞれのプロコミュニケーションして設計するってのは設計の基礎。

既存システムの巻き取りで、死にながら既存システムコードを読んでコードレベルで、旧設計を理解するのも設計の基礎

って思ってる俺は間違ってるのか?

(俺自身 大規模設計の時はそれをやるので、最初プロと作って業務知識を担当者に教えてもらうところから始める)

設計だけの設計がなんか、半完成のプラモを組み立てるみたいなことをイメージしている気がした。(それ設計違う)

設計はそもそも、そのプラモの型を作るほうだよね。

例えが違うかもしれないけど、楽譜が読めないけど指揮者なら出来る、みたいなことをいわれても、指揮の前提には、楽譜が読めて、総譜を暗記していて、その次に指揮ってのがプロでしょ?指揮しかできない。っていわれたら、普通楽譜は読めるのが前提だよね。一般的には。そうじゃなければ、指揮の真似で棒を振るしかできないという言い方になると思う。

2011-12-10

天空の城ラピュタエンディングテーマ君をのせて」の歌詞意味がわ

天空の城ラピュタエンディングテーマ君をのせて」の歌詞意味がわからない という声は、「君をのせて 意味」でぐぐっても見かけますね。

まぁ、歌の歌詞意味解釈すれば全部意味が分かるというものとは限らないのは前提でしょう。

はいっても、作詞宮崎駿その他関係者の発言を自分は手元に収集してるわけでもないので、調べたら参考資料はあるのかもしれません。

で、ぐぐって見つけたあるページ。

君をのせて授業概要

えーっと、小学生合唱意味をそれぞれにまかせて歌がまとまるんですかね、とか、映画は見てない子どもも多かったようで映画に引っ張られすぎてないなぁとか、それを置いてもこの解釈どうよとか気になる所がいっぱいありますが…。

起・承・転・結のそれぞれがmp・mf・f・mpになっていたのである

あたりは、楽譜も一つの歌詞解釈の資料になりうるなぁとか思いましたけど(常に正しいと主張するつもりはありません)。同様の背景資料で「よく知られている物」の中には、井上あずみがどのように歌ったか、というのはあるかも知れないなぁなどと思ったりするわけですが。

まぁ、それでも敢えて真面目に授業の解釈に突っ込むと

『話者はだれですか。』

 ぼく・ぼくらが出た。「ぼく」と書いてあるから、「ぼくら」と書いてあるからが理由であつだ。話し合ったが決着がつかなかったので次に進んだ。

については、後で映画解釈等で絞られて「ぼく」になっているが、歌詞だけ普通に見れば「ぼくら」は「ぼく+君」と解釈するのが自然だろうから、直前に「君」も出ているし、まぁ話者は「ぼく」でいいんじゃないですかね。地球のどこかにいる<君>を探す旅に出る歌とは言っていいのかしらん。

追記)

映画ラピュタもそもそも構想から完成まででストーリーに変更もあろうからあれなんだけど、少なくとも「公開版の映画ストーリーそのままを歌った」歌ではないものの、公開時点で作詞宮崎駿映画の内容とシンクロして聞くことは当然想定していたと思われるわけで(歌の解釈の唯一の意味というわけじゃなくて)、そのシンクロ解釈では「ぼく」はパズーでいいだろうし、「君」が微妙だけどシータラピュタとどっちもありなんじゃないかな(シータだと固定すると「パズーシータ存在を知ってから近くにいない状態で追跡している時間映画の中ではそう長くない」となって、ラピュタだと固定すると「灯がラピュタかー。空に浮いてるラピュタを乗せて地球が回るのかぁ」とかなる、日本語的には後者の方が矛盾が少ない気はするけどまぁあくまでそれはそれ)。歌の冒険映画の中身を指すのかその前後も指すのかはまぁ自由に、かな。

追記の追記)

映画を前提にした解釈としては映画の前と考えればシータラピュタも不可分な何かとかも言えますね。あと、最初の二行は地平線が輝くのは朝日とも見える、次の二行は灯は普通夜、という対比は何か意図してるやもしれないかなぁとか。

2011-12-09

天空の城ラピュタエンディング曲を聞くと 2011

どれだけの人が、はじまって5分の映画で、涙するだろうか。

金曜ロードショーラピュタがはじまり

シータが空から降りてくるシーンで、私は既に号泣している。

泣きすぎて頭が痛いし、呼吸困難な状態で、

まともに文章を書けない状態だが、どうしても綴りたい。

匿名日記を書くのは、2年ぶりかもしれない。

仕事を早く切り上げ、雨の中、足早に家路に向かう。

コンビニ弁当を食べながら、金曜ロードショーラピュタをみている。

金曜日だというのに、予定がないのは嫌だなと思ったりもした。

でも、ラピュタをみはじめて、すぐにそんな思いが消し飛んだ。

今日、こうして、一人でラピュタを観ながら、

この思いになれることが、

私にとって、どれだけ幸せなんだろうか・・・

金曜ロードショーでの、ラピュタは2年ぶりだ。

2年前と今は違う。

社会復帰して、それなりに認められ、それなりのお金を手にした。

だが、孤独感は、なにも変わっていない。

好きなとき好きな物が手に入る世の中。

季節を問わず手に入る野菜と同じように

いつでもみられるラピュタ

でも、金曜ロードショーで観るラピュタは、私にとっては特別。

季節を感じながら、食べる食物のように、

時をかんじるようにラピュタを観る。

受動的に情報を得られるインターネットもすばらしいが、

そのときしか観れない、テレビ放送のすばらしさを感じる。

多くの人が、同じ映画をみて、違うことを感じる。

これが、テレビなんだ。

孤独はつらいけど、

これほど、せつない気持ちになれるのも、

孤独からこそだろう。

もっとたくさん綴りたいが、そろそろ限界だ。

ありがとうラピュタ

私は、テレビ放送が終わらぬ限り、

ラピュタを観て、涙するんだろう、と思う。

時代は、変わっていき、

どうなるのかは、わからないけど。

こんな作品が作れること、

作品をみて、感じられること、

やっぱり、人間ってすばらしい、と思う。

から、みんな、つらいけど、生きていこう。

私もつらいけど、これからさきも、生きていこうと思う。

ラピュタをみるたび、多くのことを感じたいと思う。

そして、いつか多くの人を感動させられるものを、私も作ってみたい。



以下、私が前回のラピュタ放送のときに書いた文章です

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天空の城ラピュタエンディング曲を聞くと

今日天空の城ラピュタテレビで観て

少し昔のことを思い出してしまった。

この思いを自分ひとりで閉じ込めておくことができなくなったので、

少し綴らせていただきます

私が小学6年生の頃の話です

当時、私は知能が弱い方でした。

私は生まれつきちょっとした障害を抱えています

障害と認定されるレベルではないので、

そう綴ることは失礼になってしまうかもしれませんが、

普通にしていても、普通に見えません。

詳細を書くと個人が特定されてしまう恐れがあるので、

避けさせていただきます

初見の人は、おおよそ目を丸くします。

今まで普通人間として扱われたことがあまりありません。

それが原因であらゆる環境イジメを受けてきました。

イジメだけではなく、冷たい視線や同情、哀れみも受けてきました。

障害のせいかわかりませんが、私は心の成長が遅いようでした。

善悪の区別がつかなく、よく母を困らせていました。

学業音楽運動に対してもまったく興味がありませんでした。

この時代小学6年生と言えば、

好きな音楽アーティストがいたりとか

運動をがんばっていたりするのが普通でした。

そういったことが私にはまったく理解できず、

楽しいこと、いたずらばかりして

喜んでいる本当にイタい少年でした。

ある日、合唱コンクール課題曲を

クラスで決める会が開かれました。

私は毎年、合唱コンクールは歌わず口パクだったので、

まったくその話に興味がなく机に落書きしていました。

クラス女子小学校生活最後ということで

思い出に残る曲をみんなで歌いたいと

言って盛り上がっていました。

そして、ピアノに通っている女子を中心として

合唱曲を天空の城ラピュタエンディング曲「君をのせて」にしたいと

音楽担当教師に持ちかけていました。

当時の私は、天空の城ラピュタすら知らず

物語音楽の良さも、まったくわかりませんでした。

女子意見に対して、

音楽担当教師は、この曲は男女合唱で歌うような曲ではない、

第一、楽譜がないじゃないか

その女子を跳ね返していました。

それでも、女子はめげずに、どこから楽譜を入手して

ピアノ先生変調してもらい、

男女合唱ができるようにしたみたいでした。

しかし、音楽担当教師は、

こういった歌謡曲卒業するときカラオケにでもいって歌えばいいんだ、

と言って結局、よくわからない曲が課題曲に決まりました。

私としては、何事もなかったのと同じで

いつものように、口パクで歌い、それがバレて先生に呼び出され

歌詞原稿用紙に書かかされるといった具合でした。

当時の記憶がどこまで正確かわかりませんが、

そのようなことがあったと思います

小学校卒業後、少し音楽がわかるようになったとき

天空の城ラピュタエンディング曲を聞いて、

この曲いいな、そういえばこの曲、合唱課題にしようとしてた曲か、

あのとき歌えたら素敵だったろうな、と思いました。

その後は、天空の城ラピュタエンディングをみると、

毎回、なんとなく、そのことを考えてしまます

時が経ち、私は大きく成長しました。

心も人並みに豊かになりました。

天空の城ラピュタ物語音楽のすばらしさに感動します。

あのとき女子が取った行動にも感動します。

女子の願いは成就しなかったので

無意味な行動になってしまったのかもしれませんが、

私の心には深く刻まれており、大変、価値のある思い出になっています

私も、もう少し心が豊で

学業運動芸術に打ち込めたらよかったな

と後悔してせつなくなります

今回のラピュタでは、この思いを文章にして表現できるまで、

私の心は成長したのだと思いました。

次のラピュタでは、私はどうなっているのでしょうか。

終わり。

私の近況も少し綴らせてください。

心は成長しましたが、障害の方は変わっていません。

年とともに悪化しました。

いくつかの病院にも行きましたが、治りそうもありません。

未だに世間から冷たい視線を感じる毎日です

ときどき人から注意されますが、

治る代物ではないので、返答に困ります

しかし、イジメを避けるテクニックは身につけました。

自虐です。これをすると、

イジメられなくなるだけでなく、喜んでくれます

私は調子にのって自虐ネタを披露して人を喜ばせます

そのおかげで、ある程度、人気者になれました。

でも、ある日それがとてつもなく嫌になってしまい、

他人とコミュニケーションを絶つようになりました。

今は誰とも接しない日々が続いています

これからどうしていいのかわからないです

テレビドキュメンタリーのように、

障害を乗り越えて何かを生みだしたいなと

思ってはいますが、なかなかうまくはいきません。

努力が必要だと思いますが、努力もできなくて、

泣き言ばかりで・・・

2011-07-10

初音ミクLAライブ外国人感想その4

http://anond.hatelabo.jp/20110707195830

 初音ミクLAコンサート外国人感想その4。今回は初音ミクという存在についてかなり真正面から書いたものを紹介する。筆者はコンサートだけでなくアニメエキスポで行われたいくつかのパネルにも参加したようで、日本から行った関係者の発言も引用しながら初音ミクとそれを取り巻く現象に関する考察を述べている。これを読めば「初音ミクとは何か」について一通りもっともらしい話ができる程度の情報が盛り込まれた、なかなかいいまとめだ。

 urlは以下の通り。

http://behind-the.nihonreview.com/20110707/virtual-diva-hatsune-mikus-popularity-and-the-sound-of-the-future/

+++++以下勝手翻訳+++++

仮想の歌姫:初音ミクの人気と未来音色

 ヴァーチャルディーヴァ(仮想の歌姫)になるということは、正確にはどういう意味を持つのだろうか? 初音ミクの人気について真に理解できるようになる前に、彼女が正確には何者なのかを確認するのがおそらくは最適だ。しかしながらこのテーマは思いのほか扱いが難しい。最も簡明な言い方をすれば、彼女は明らかにセガヤマハによって発展してきた音楽制作ソフトのために藤田咲の声を録音しデジタル化した商品のパッケージ用にデザインされたキャラクターだ。だが同時に、彼女が本当の意味では存在していないという主題もそこにある。我々がミクの歌について話している時、我々は厳密に言えば生きていないものに対して隠喩を使っている。思うに初音ミクとは我々が理解しているより遥かに複雑なものなのだ。

http://www.anime-expo.org/

 アニメエキスポ2011は間違いなくミクの全てを取り上げていた。ミクノポリスは、それがノキア・シアターで行われ、かつ売り切れた唯一のものであった点だけを見ても、明らかに週末最大のイベントだった。他のゲスト――クリプトンメディア伊藤博之佐々木渉ダンスロイド、及び小林オニキス――はミク登場のおまけとして呼び寄せられた。アニメエキスポコンベンション全体のテーマに「ファンの年」を選んだのは、ただのお遊びではない。結局のところボーカロイドは、ヤマハの剣持秀紀マネジャーコンベンション3日目のパネルMirai no Neiroで言及したように、ファン、製作者、及び消費者の間にある障壁を切り裂いている。

 ミクがいくらか人間っぽい性質を備えているのは明らかだが、同時に彼女存在メカニカル機械的)かつヴァーチャル(仮想的)でもある。歌姫という用語は、技術的な能力をほのめかしているのみならず、高い人気という意味示唆している。だがミクの人気はピンポイントで捉えるのは難しい。小林オニキスアニメエキスポ2011の2日目にミク・カンファレンスパネルで発言した内容によれば、彼女の成功は3つの要素に拠っているという。ミク自身、制作過程での自由さ、そして世界規模のインターネットだ。私がオニキスの判断に異論を唱えないのは確かだが、彼の指摘した3つの点をさらに分析すれば初音ミク存在について興味深い事実が判明すると思う。

看板娘としての初音ミク

 トヨタ初音ミクカローラCMを巡る謎がついに明かされた時、トヨタ特にアニメエキスポを念頭に置いて若い客に対する濃密な市場調査を行ったことが判明した。トヨタアニメエキスポ2011に2台のitasha(アニメゲームキャラを描いた車)、スタッフチーム一そろい、車の前でミクのコスプレをする可愛い女性、そして小さなカローラの絵の上で可愛らしく微笑む子供のようなミクを描いた何千枚ものポスターを持ち込んだ。ミクはただソフトに特色を出すため作られたキャラに過ぎないという事実にもかかわらず、彼女自動車企業の公式看板娘となるのに充分なほど人気があった。アメリカにおける市場性存在にはかなりの疑問があったものの、この宣伝活動はミクにとって大きな一歩だった。

 初音ミクの生まれは、実際にはどこの馬の骨とも分からないものだ。彼女は、自身が市場に出ることとなった新しいVocaloid2シリーズの、箱に描かれたイラストとしてその生を始めた。つまるところ、それが彼女の全てだ。だが、日本中の製作者たちが楽しく、突飛で、面白い歌を書き、彼女を描いたり動かしたりすることで彼女性格を付け加え始めたため、彼女はすぐ自らの命を手に入れた。最終的に彼女イメージにはネギが伴うようになった。

 これがなぜ重要なのか? ミクが東方シリーズに出てくるキャラとどれほど似ているかについては、おそらく指摘する必要もあるまい。ゲームに出てくるキャラの多くが極めて限られた背景情報しか持たず、それゆえにキャラ性格をさらに発展させるため製作者とは無関係にファンダム自体が自由に想像をめぐらせる余地があるという事実に、東方厨の一部は対応してきた。同じようにミクの仕様存在する欠落は、歌やビデオという形式をまとった小さな物語の発生を許し、それが巡り巡って単なるキャラを超えた命の有り様をを彼女にもたらした。彼女は利用者が作り出す製品の力に具象化された肖像であり、概念だ。

科学技術としての初音ミク

 そのインターフェイスは、比較的直感的に使える。音楽用語を使う代わりにこのソフトは、メロディーを生み出すためピアノ音程と一致したいくつかの棒の上に長い音符を置く。ピッチテンポ製作者の目的に合うように変更でき、ビブラートと発音も自由に変えられる。完全な楽曲を作るため、ドラムピアノギターなど追加の伴奏も付け加えられる。

 ヤマハの音声技術開発チームを率いた剣持秀紀によれば、初音ミク作曲家歌手にとって伝統的に必要なものを補完する革命的なソフトの顔を務めたからこそ、ヴァーチャルディーヴァなのだという。ミクは、かつてデジタル楽器がやったのと同じように音楽世界のあり方を変えたソフトだと、彼は主張する。それが楽譜制作だけでなく、自然言語における発話パターンの複雑さまでまねしようと試みていることを踏まえるなら、おそらくそれ以上のものと言える。

 剣持はプレゼンの際に彼の議論の核心を効果的に実証してみせた。まず彼は、人間の耳とって自然な音をボーカロイドに生み出させるのが、どれほど困難かを説明した。次に英語ボーカロイドソフトSweet Annを使い、極めて短時間ハッピーバースデーメロディーを生み出してみせた。そしてボーカロイドは単純に人間の声をコピーしようとしているものではなく、その特別な性質故にある意味音楽未来を示しているのだと強調した。極めて広範囲なジャンルにふさわしいものにするため、ライブラリを変更することができる。人間の耳が言葉を理解できないほど速いレートで音を生み出すのも可能だ。どんな歌手より長く引き伸ばして歌うこともできる。最も有名な初音ミク曲の一つ、初音ミクの消失を見るだけでいい。ボーカロイド史の比較的初期段階からソフトが持つこれらの側面を製作者が上手く利用していたのは明らかだ。つまりボーカロイドは、その人間に似たヴォーカルと同じくらい、その機械的側面も売り物になっていたのである

 プロ音楽家アマチュアの双方に販売されることで、ボーカロイドは間違いなく伝統的に音楽存在した境界線を壊し、比較音楽知識の乏しい者たちが数千から数百万ものビューを稼ぐ歌を作り出すのを可能にした。アーティストだけでなく、ネットに詳しい個人がよく知っている視聴者に合わせた歌を作ることもできるようになった。

大衆文化としての初音ミク

 ニコニコ動画日本におけるボーカロイド活動の主要拠点であることは否定できない。この動画シェアサイトには、他の種の動画ランキングに加えて人気のあるボーカロイド曲のランキングもある。つまりミクの成功は、彼女自身と製作者あるいはソフト能力だけではなく、日本ユーザーが新たに作られた歌に関する集計された情報を見つけるのが容易である点にも依存している。

 ミクの人気は彼女の声だけにとどまらない。ボーカロイドコミュニティーから抱き合わせニコニコ上に出てきた他のコミュニティー、例えば「Utattemita」(歌ってみた)、あるいは「Odottemita」(踊ってみた)などは、それらの人気故に今やニコニコメーンページにある案内バーにそれ自体のカテゴリーを載せるまでに至っている。国境を越えたアニメ及びゲームコミュニティーへのウイルスのようなミクの拡散は、製作者及びファンの双方で似ている情報拡散能力に頼っている。

仮想の歌姫

 最初の質問に戻ろう:ヴァーチャルディーヴァとはつまり何か?

 ミクの「仮想性」は要するにオニキスの言う1番目と3番目の要素に起因する。彼女世界中の数百数千という人々の想像力に根っこを持ち、一方で彼女の側は人間としてのどのような制約も持たない、骨格だけのキャラだ。同時に、インターネットにおけるファンに基礎を置いて成長するボーカロイドコミュニティーには、それを統制する法的な枠も基盤も僅かしかないという事実故に、彼女著作権問題から比較的影響を受けない。実際、利用者が生み出しファンが作り出す素材に対して日本企業が示す寛大さは、英語を使うユーチューブコミュニティーが慣れ親しんでいるものに比べれば衝撃的なほどに大甘だ。技術的にも、誰もが歌わせることのできるミクの束縛のない能力は、有名になるためどんな歌姫にも必要とされる人気と広い支持とを提供する。

 理論的にはミクのスターダムへの道は、彼女が完全に作り上げられたキャラではなく、その中身が欠落しているという点にある。オタクの行動様式とポストモダンにおける消費パターンに関する東浩紀の著作から引くなら、ソフトの利用者が作り出した歌と動画に描かれた個人的で小さな物語を生み出すためのデータベースとしてボーカロイド初音ミクが使われている。同時に人間の声を合成することで達成された技術的偉業が、音楽産業内における伝統的役割に新たな裂け目をもたらした。あらゆる種類の消費者製作者、ファン、音楽家、個人的技術者が、あたかも300年前にルソーが思い描いた政府のように有機的なコミュニティーへと参加している。

 初音ミクとは2つの面を持つ現象だと私は主張する。ミク自身は、情報的に遍在する世界の中にいる個人たちの行動様式に根ざしており、世界コミュニティー総体想像力によって生み出されている。一方、ソフト技術革新による製品で、それは技術がミクの成長にどれほどの役目を果たしているか過小評価するのが間違いであろうと言えるほど、過去にあった境界を超越してのけた。

 ミクノポリスの会場で照明が落とされ、初音ミク最初ステージに姿を現した時、聴衆の中で数千のファンが上げた叫びを誤解することは不可能だ。堅実で具現的な光学幻想を生み出すスクリーン投影され、ミクはボーカロイド商品の箱を彩る二次元画像という起源からサイエンスフィクションポップスターへと素早く進化する。来るべき年月におけるボーカロイド発展への将来性を踏まえるなら、Mirai no Neiroパネルこそまさに新たな造語にふさわしい:「未来音色

 The Nihon ReviewAnime Instrumentalityはアニメエキスポにおけるミク関連のリポートを協力して提供する。コンサートそのものに対する詳細な報告は、Anime Instrumentalityに掲載されているzzeroparticleのエントリーをご覧いただきたい。

http://blog.animeinstrumentality.net/2011/07/mikunopolis-hatsune-miku-live-in-los-angeles-concert-report/

脚注

 使用画像Pixivにある。この画像コミケット80で使われたことについて、Moccyにお祝いを申し上げる。

http://www.pixiv.net/member.php?id=191242

 この週末にアイデアを論じるという楽しみを分かち合った数十人、同僚のライターであるShinmaruとEternal、同じくAlex Leavittと、そして日本へ戻ったミクノポリス/未来音色スタッフに、心から感謝を。

http://dph.ninja-x.jp/index.html

 ミクについてよく知らない人へ、ネット上には利用できる多数の英語資料がある。おそらく外国コミュニティーを本当に制限している唯一の問題はニコニコ動画への簡単なアクセスができない点であろうが、十二分な興味を持っていくらか賢い検索ユーチューブで行えば、ニコに投稿されたほとんど全てを見つけだせる。

+++++勝手翻訳終了+++++

初音ミクLAライブ外国人感想その1「再生約束」逐語訳

http://anond.hatelabo.jp/20110707195830

初音ミクLAライブ外国人感想その2「再生約束フリーダム

http://anond.hatelabo.jp/20110708223459

初音ミクLAライブ外国人感想その3「ミクノポリスのボカレタリアートたちよ、団結せよ!」

http://anond.hatelabo.jp/20110709211718

初音ミクLAライブ外国人感想その5「オレはAXには行ってないけど、まあとにかく……」

http://anond.hatelabo.jp/20110711212701

初音ミクLAライブ外国人感想その6「ミクノポリス:7月のクリスマス世界征服

http://anond.hatelabo.jp/20110712205546

初音ミクLAライブ外国人感想その7「AX11:ミクノポリスの印象」

http://anond.hatelabo.jp/20110713211501

初音ミクLAライブ外国人感想その8「ミクノポリスコンサートリポート

http://anond.hatelabo.jp/20110714210122

初音ミクLAライブ外国人感想その9「アニメエキスポ初音ミク

http://anond.hatelabo.jp/20110715222900

初音ミクLAライブ外国人感想その10アニメエキスポ2011(抄訳)」

http://anond.hatelabo.jp/20110716194029

初音ミクLAライブ外国人感想その11世界彼女もの初音ミクはいかにして全てを変えたのか」

http://anond.hatelabo.jp/20110717201147

初音ミクLAライブ外国人感想その12アニメエキスポ2011でのボーカロイド体験」

http://anond.hatelabo.jp/20110719031316

初音ミクLAライブ外国人感想その13「ミク:日本ヴァーチャルアイドルメディアプラットフォーム

http://anond.hatelabo.jp/20110719203237

海外blogに載っていたクリプトンインタビュー

http://anond.hatelabo.jp/20110723142345

2011-05-21

マゼッパの楽譜を見て

手が5本くらい欲しくなったことがある

http://anond.hatelabo.jp/20110521153729

2011-01-21

http://anond.hatelabo.jp/20110121020824

そうですね。

わたしもバンドは贅沢な趣味だと思います。

機材、楽譜スタジオライブ交通費交際費

付き合いなんかも含めればきっと莫大な金額なのでしょうね

私の思いもよらぬほどに。


でもやはり彼女は応援してくれたほうがうれしいですよね?

2011-01-20

Y君、お元気です

 僕が高校を卒業したのはもう何年も前のことで、いい加減高校時代の友人と連絡を取る機会もほぼなくなり、それぞれが自分人生を一人で歩んでいる2011年。とっくに就職し、結婚し家庭を築いているかつてのクラスメート達とは違い、恥ずかしながら僕はまだ文献や論文に囲まれた生活を送っている。

 深夜、PCに向かって作業していると何故かいつも決まって思い出すのが、高校時代にクラスメートだったY君のことである。彼は今どうしているのだろうか。


 僕の通っていた高校の文化祭ではクラスで出し物を企画したりすることはなかったが、毎年クラス対抗の校内合唱コンクールがあり、進学校なのに意外とクラス全員がかなり真剣に取り組んでいた。音楽系のクラブに所属していた僕はいつも合唱責任者指揮者を任されていて、高校三年生の時に僕が指揮者をやるのに対してピアノ伴奏をしてくれたのがY君だった。

 正直Y君とはそれほど仲が良いわけではなかったし、かといって悪くもなかった。仲というものがそもそもなかった。それ以前にY君自体がかなり謎の多い子で、元々大人しい性格が災いしてかクラスでもY君と仲の良い子はいなかった。ただ分かっていることは幼い頃からピアノを本格的に習っていてかなり上手だったということだけだった。

 何の曲をやったかははっきりと覚えていないが確か高田三郎の『水のいのち』より「雨」だったような気がする。この曲はアカペラはな伴奏があるので、ピアノが弾ける生徒がいないといけない。ということで僕は、どうやらY君はピアノが上手いらしいという情報のみを頼りにして、Y君に伴奏をお願いした。

 その時のY君の微笑みは今でも忘れることは出来ない。「なんで自分が…」「僕じゃなくても他に弾く人いるんじゃないの?」ということを、決して口には出さないが目で訴えつつ波立てずごまかすように苦笑い…というのが容易に見て取れた。本来なら考えておいてほしいと選択を任せてその場は一歩退くものなのだろうが、当時の僕はまだ人と接する方法を知らず、Y君の人の良さに浸け込み、無理やり拝み倒してOKを頂いた。今思うとつくづくウザい奴である。そういう訳でY君は(おそらく嫌々ながら)伴奏を引き受けてくれた。

 練習は(僕とY君の間で多少のコミュニケーション齟齬はあったにせよ)順調に進み、合唱コンクールは無事に終了、僕らのクラスは3位を取ることができた。まぁこのへんはなんともなく終わったから割愛する。


 問題はそこからまた少しばかり時が経ち、卒業した後のパーティの席だった。


 卒業パーティで僕らは学校の愛唱歌(校歌ではない)を歌うことになった。これが変わった歌で、構成が合唱部分→独唱部分→合唱部分となっていて、この独唱部分を、我が高校に昔から在籍する外国人教員さんが歌うのが通例になっていた。そしてこのパーティでも例外ではなかった。そしてこの愛唱歌での指揮&伴奏が僕とY君に命じられたのだった。公式の場だから適当に4拍子振っておけばいいので指揮は問題ないが、伴奏はそうも行かない。やはり練習する必要があり、本来なら楽譜が必要なのだが何故かピアノ伴奏楽譜存在しないらしく、Y君は受験前後のバタバタしていた時期だというのに自分伴奏編曲して練習してきてくれたのだった。

 そして本番。愛唱歌を歌い、一つ目の合唱部分は無事に終わった。だが次の独唱部分で事件が起こった。

 肝心の外国人教員さんは結構なお年だからか、完全にその独唱部分を、僕の指揮もY君の伴奏もガン無視の自分テンポで(しかも若干の調子っ外れで)歌い出したのだ。指揮はま適当に振ってるのか振ってないのかでごまかせるが伴奏は完全にストップ。ちらりとピアノの前にいるY君の顔を見ると、どうしようどうしようとパニックに陥っていて次の合唱部分も弾けるか危ういくらいに焦っていた。そんな僕とY君のパニックなんか露も知らず外国人教員さんは朗々と気持よく独唱部分を歌い続ける。

 そして第二の合唱部分は伴奏がなかった。でも生徒はみんな散々イベントのたびに歌わされた愛唱歌なので別に伴奏なんてなくても歌えたのだった。

 この地獄のような愛唱歌斉唱が終わった直後、僕は一礼するとすぐにY君の元に駆けつけて声をかけた。

大丈夫?まぁあの人完全にお年だったから予想できない事故だったし…一番の合唱のところはすごくきれいな伴奏だったよ、ありがとう」

なんかそんな感じのことを彼に言った。実際泣きそうになりながらごめんなさいと呟くY君を慰めるために何を言ったのか正確には覚えていない。ただY君の伴奏は練習では完璧だったし、忙しい伴奏編曲までやってくれたY君には感謝さえ覚えていた。

 そして卒業パーティは僕とY君の心に深い傷跡を残して終わった。

 数日後担任の先生から手紙が来た。そこにはY君とご両親が僕に非常に感謝していたこと、初めてピアノをやっててよかったと心から思えたと言っていたこと、そして良ければ手紙を下さいとY君の住所が添えられていた。

 だがはいつか手紙を書こうと思っていたにも関わらず結局送らずじまい、そのまま引越しドタバタで恩師から頂いた手紙も紛失してしまった。

 以上が僕とY君の思い出である


 今でも自分は薄情な人間だなとこの事を思い出すたびに実感する。

 ただY君にもし逢うことが出来たら一言言いたいのだ、「僕は君の友達です」と。何年もの間、君のことを忘れられなかったよと。会って、あの忌まわしい卒業パーティのことを笑って話し合える日はいつか来るのだろうか…


 超下手くそな文章ですみませんでした。Y君、もしYこの日記見たら返事下さい。

2010-10-27

俺は料理ができない。やり方が分からない。出来る気がしない。

何もかも分からないから、おっかなびっくり試してみても、どんどん気分がみじめになるだけである。

コンロでスパゲッティを煮るだけで、みじめすぎて泣きたくなる。

自炊コストパフォーマンスがよいという。だが店にいけば俺がこさえた出来損ないの生ゴミより、

味も栄養価も遥かによい総菜が色々と売っている。

多少の銭をはたく程度で済むなら、俺はてめぇのエサは店で買うことに決めた。

こういう「出来ない人間」に対して、「こうすれば出来るよ!」とか「やってみれば楽しいよ!」という風に励ますのは

手段としてファックである。とてもファックである。

“やること”自体がみじめなのだ。

「失敗を恐れていては何もできない」かもしれないが、

やらなくても済むような事柄なら、わざわざ失敗なんぞはしなくてもよいのだ。

例えば俺は、手製の爆弾を作ったことがないが、わざわざ試みて失敗し、派手に爆死したくはない。例えうまく爆弾が作れたとて、今の俺に爆弾は必要ない。

例えば俺は、砂金を求めて泥水を一年中すくい続けたことはないが、わざわざ試みて失敗し、ブルキナファソで野たれ死にしたくはない。例えうまく砂金鉱脈を掘り当てたとて、金のバイヤーは俺のやりたい職業ではない。

例えば俺は、本気で人を殴ったこともないし、FXに手を出したこともないし、ギリギリまで峠をせめたこともないし、難曲の楽譜に挑戦した事もないし、恋人の真意を確かめようと詰め寄ったこともない。

興味がなく、やる必要がないことは、多分やらなくてよいのである。

人間一匹、義務教育期間を準備期間と考えて、まともに稼働出来るのは、そこから数えて10〜30年間。短え短え。

失敗を恐れずやらにゃあならんことって、あってせいぜい一つか二つじゃあねぇか?

なんでもかんでもに首突っ込んだところで、リソースが散漫になるだけである。

2010-09-20

初音ミクと見せかけの魔法

 海外blog初音ミクについて熱い(長い)文章を書き込んでいるのを見かけたので試しに翻訳してみた。無断翻訳なので匿名で。urlは以下の通り。

http://deliciouscakeproject.wordpress.com/2010/09/20/hatsune-miku-and-the-magic-of-make-believe/

=====以下翻訳=====

 初音ミクと見せかけの魔法

 初音ミク歴史は18世紀のヘタリアイタリアに始まる。

 そこにはバルトロメオクリストフォリって名前のすげえヤツがいた。こいつの得意技は楽器を作ることだった。何でも作ったわけじゃない。当時はひどく弱々しいちっこいもので、しょぼい羽柄が並んだ弦を引っかいて金属的なチャリチャリした音を出すもの、つまり鍵盤楽器を作っていた。いわゆる「バロックミュージック」ってヤツだ。クリストフォリが音楽技師として、また機械技師としてやったのは、弦を異なる強さで叩くハンマーを使った仕組みづくりで、それによって演奏家は小さい音(ピアノ)や大きな音(フォルテ)で演奏できるようになった。だもんで皆それをイタリア語ピアノフォルテと呼んだ。もちろん、今ではお前も俺もそして誰もがクリストフォリの発明品をピアノと呼んでいる。

 イタリアピアノ発明することによって、日本初音ミク発明するための扉を開いた。

  ***

 俺は今、ここサン・フランシスコの150席しかない小さな映画館で、秋のアイドル公演を待っている。チケット完売した「39[ミク][[Sankyu!]] Giving Day」コンサートの上演を見るために、愚かな時間無駄遣いをする連中が集まっている。コンサートじゃ電子的に創造されたポップアイドルつまり緑の髪をした女神が、ゼップ東京コンサート会場で生演奏するバンドにあわせて踊り歌っている様子がスクリーンに映し出されている。それはまるで、一部はライブなんだが、本当はそうではなく、「本物」のボーカロイドコンサートでお目にかかれるのに近いものだった。言ってみればゴリラズを見に行くのとそれほど違いはない。伴奏は本物のミュージシャンが作り出しているが、客が見ているのはいわば巧妙なごまかしの表層であり、音楽に命を持たせるために使われる動くペルソナだ。これがミクの魔法である。それは見せかけの魔法だ。

  ***

 クリストフォリがピアノ発明した頃、J・S・バッハ平均律クラヴィーア曲集を書いた。そこでは要するに鍵盤楽器の各音程間で一通り数学的な調整をすれば、突然どのような調号でも十分演奏できるようになるということが言われている。言い換えれば、何か妙なことをしようとした際にいつも調子はずれの音を出すのではなく、初心者から中級までのピアノの生徒がやらかす糞を抑えるような5フラットとか7シャープとかそういったことが完全にできるようになる。これによって18世紀の鍵盤楽器は初めて、いちいちくそったれな調律をしなおすことなく新しい楽想を試すことができる原始的なワークステーションとなった。

 数十年後、ようやくピアノ価格が下がり十分なほど生産できるようになったことで、それは非常識なほどの大金持ちだけの特別な楽器ではなくなった。代わりにそれは有名な王族たちのような常識的な程度の金持ちが購入できるものとなり、彼らは好んで地元作曲家を雇い自分たち(とその客)を楽しませるために音楽を書かせた。こうした作曲家の一人があのヴォルフガング・A・モーツァルトであり、彼の特別な才能は主に下ネタ女性音楽生徒に対する性欲の面で発揮された。もちろん鍵盤楽器からふざけた音を引き出す才能もあり、その短い人生の間にモーツァルトは最も好きな楽器ピアノに決定した。彼が書いた27のピアノ協奏曲(本当に素晴らしいのは最後の10曲ほど。アニメシリーズのようにモーツァルトレパートリーは後半になるほど良くなった)は、単に協奏曲形態にとって画期的な礎石となっただけでなく、ピアノ音楽の基礎を築いた。モーツァルト協奏曲はこう言っているようなものだ。「これこそピアノにできることだ! ピアノだけでなく、オーケストラと一緒でもいい! まさか今更ハープシコードに戻ろうってんじゃなかろうな?!」

 モーツァルトより後の時代の人間は皆彼に同意した。ひとたび音量の大小を調整できる鍵盤楽器を手に入れてしまえば、弱々しいチャリチャリした機械になぞ戻れっこない。これが230年ほど前の出来事だ。ミクへの道は一日にして成らず。

  ***

 ミクの公演にやって来たファンの男女はいろんな連中の寄せ集めだ。彼らの5分の1ほどは当然ながらボーカロイドコスプレをしている。何人かはケミカルライトまで持ち込んでいる。コンサート全長1080ピクセルの巨大なスクリーンで始まり、全劇場サウンド・システムが炸裂し、観衆は最初はためらいがちに見ていたが、最初のいくつかの歌の後は雰囲気が盛り上がってきた。彼らはスクリーンの中の群衆と一緒にリズムに合わせてケミカルライトを振り、曲が変わると歓声を上げ、各ナンバーが終わると拍手をした。単なる録音と録画じゃねえか、などというたわ言は知ったこっちゃない。理論的にはゼップ東京の群衆だって同じように録画を見ていたんだ。本当に「ライブ」で演奏される音楽など、現代においてはクラシックオーケストラ民族音楽演奏くらいしかないし、それにシンフォニーホールですら今日ではマイクが使われている。誰もが電子的な助けを借りて音楽を聴いている。ひとたび電子機器楽器として受け入れることを覚えてしまえば、ミクを愛するのは簡単だ。彼女モーツァルト魔笛アリアを歌っている動画を聞いてみよう。

http://www.youtube.com/watch?v=gr9fbQzNpqA

  ***

 19世紀欧州で、もしお前がピアノ演奏ができない作曲家だったとしたら、お前は存在していなかっただろう。それはもはや単に大小の音量で演奏できる楽器にとどまらず、巨大な和音構造物であり、多音パッセージワークであり、一人の演奏家の手で「あらゆる音符を見ることができる」ものとなっていた。もしピアノがなければきっと「2人のバイオリニストビオラ及びチェロ奏者各1人をかき集めて旋律が上手く行くかどうか調べにゃならん」てなことが起きていただろう。そしてもちろんチェリストは、ある音符について「どぅんどぅんどぅんどぅんどぅんどぅんどぅんどぅん」と演奏するようお前が何度も何度も何度もお願いするのにうんざりして1時間後にはそこを立ち去ったことだろう。

 少なくともピアノがあれば、お前の小さな指以外に迷惑をかけることなく「どぅんどぅんどぅんどぅんどぅんどぅんどぅんどぅん」とやることができる。

 かくして1800年代においてピアノは中心的な作曲道具となった。そして同時に社会中産階級が暇と屑な時間を持つところまで進化し、そしてもし彼らがスポーツゲーム発明しなければ、彼らは音楽その他を演奏したいと望み、そんでもって家に持ち込むためピアノを注文できるようになった。欧州だけでなく日本でも、少なくともウィリアムペリーが彼らを開国して西洋化が始まった後には、同じことが生じた。基本的にピアノ文明化の証と見なされ、そして有名な山葉寅楠ってヤツがイケてる連中のため日本製ピアノを作り始めた。

 19世紀末20世紀音楽制作にとって黄金時代だった。楽譜を買って他人の歌を演奏する方法で「音楽を作る」こともできたし、あるいは作曲理論について十分に学び自分の曲を創造するというやり方で「音楽を作る」こともできた。そうした取り組みの多くはピアノの周辺で起きた。ピアニストが力を得た。鍵盤があれば、お前はスターになることができた。

 そして、とんでもないことが起きた。

  ***

 ミクだけじゃない。巡音ルカとリンとレンも公演に出てきたぜ! 全ボーカロイドパーティだ。彼らの異なる声質と、ミクと組む様々なやり方は、見事な音の見本集になっている。他のキャラクターが登場するのを見た観客たちは熱狂している。異なるシンセサイザープログラムマスコットに過ぎないにもかかわらず、彼らはまるで我々の友であり家族であるかのようだ。ようつべニコ動を使って彼らを我が家へ招待しよう。彼らの声を我らの生活のサントラにしよう。電子的に作られたアニメキャラが本当のミュージシャンになれるのかって? おk、ならお前に聞いてみよう。魂のない箱がお前の周囲の空気を震わせているけど、それは本当の音楽なのかい?

  ***

 それこそが実際に起きたとんでもないことだ。録音された音楽。録音された音楽こそ、音楽史の中で起きた最悪の出来事だ。

 ひとたび蓄音機を、ラジオを、レコードプレイヤーを、カセットプレイヤーを、CDプレイヤーを持ってしまえば、音楽を楽しむのに「音楽を作る」必要はない。コンサートホールチケットを手に入れる必要もない。単に座って、電気を使った箱にお前を楽しませればいい。ピアノ専門家のための道具に成り下がった。それは淑女が結婚に必要な才能を覚えるためのものに、あるいは子供が(1)それを憎んでいることに気づく(2)両親が子供に才能があることに気づいてプレッシャーを積み上げ始める――まで稽古を受けるものとなった。もし(2)の現象が起きたなら、最後にはピアノを本当の演奏楽器あるいは作曲用の道具として使うようになるだろう。しかしそれはもはや「音楽制作」の中心にはない。

 さらに悪いことにロックギターをポピュラーにしてしまった。ギターが人気になり、ピアノは役立たずとなった。お前が鍵盤楽器を学ぶのは、ビートルズにしてくれるものを持てずバッハベートーベンにしがみつくしかないある種の意気地なしだからだ。誰が決めたルールか知らねえが最低だ。10代のころ、俺はピアノを使ってランキング上位40の曲を弾けたおかげで女の子たちに「いくらか」いい印象を与えられた。けど、結局はクラスの野郎どものうちその曲をギターで弾けるヤツがいつも勝ちやがった。くそったれ。

 だがここで思い出してくれ。俺は、イタリアピアノ発明したことが日本初音ミク発明への扉を開いたと言ってきただろ? ピアノ21世紀に飛び込むときに今一度変革に見舞われたんだ。

http://www.youtube.com/watch?v=-7EAQJStWso

  ***

 もし音楽を生み出す小さな電気の箱が「本物」であるなら、録音済みのコンサートに向かって「アンコール! アンコール! アンコール!」と叫ぶのは極めて正常だ。その音楽はお前を感動させたんじゃないのか? もっと聞きたいと思わないのか? というわけで映画館の観衆はもっともっとと叫び、そして彼らはアンコールを聞けることが分かっていた。なぜならそういう風に録音されていたから。ミクが公演を終わらせるため最後舞台に出てきた時、もう一度鑑賞力のある人々から歓声が上がった。それは人工的なものだが、とことん楽しむため我々はそれを本物だと見なした。まるでドン・コッブが[ネタバレ注意!!]インセプションラストで回転するコマから歩み去るかのように。ミクは夢のような存在だ。サウンド・エンジニアCGアーティスト音楽家が作り上げた美しい夢であり、決して卒業することも年を取ることもスキャンダルを起こすことも業界から追放されることも惑星上から姿を消すこともない完璧アイドルだ。彼女は実際、いくつもの「映像」を持っている。我々は皆、この音楽的見せかけの共犯者だ。過去の聴衆がモーツァルトオペラを、ガーシュウィンミュージカルを、あるいはかのすさまじいレ・ミゼラブルを本物であると信じたように。我々は十分深く信じられるようになるまで偽りの世界を本物だと信じるふりをする。その世界を感じるまで、見せかけの魔法を感じられるようになるまで。

  ***

 ピアノ最後の変革とは、もちろん電子化のことだ。

 真空管からトランジスタを経て迷宮のような電子回路まで。もしピアノの鍵盤が「あらゆる音符を見る」ことのできるインターフェイスだとしたら、それは作曲家に最も未来を感じさせるインターフェイスだ。そして我々にはシンセサイザーキーボードとMIDIコントローラーワークステーション世界が与えられており、そこでは遂にピアノが単なる「楽想を試す場所」から超越した。ちょっとした波形の調整によって、ハンマーと弦の機構に制限されることなくこれらの楽想を正確に響かせることができる。新しい音を作り上げることもできる。楽想の断片を記録し、他の楽想をその上に並べて電子キーボードを個人的な架空オーケストラに仕立てることもできる。ピアノピアノを超えた。それは作曲家の手の延長どころか、作曲家の心の延長となったのだ。

 一つだけ欠けているものがあった。声だ。

 そして、ご存知の通り、日本日本であり、彼らはやってのけた。彼らは人工物を誰よりも巧みに操った。彼らは本物の料理だと見栄えが悪くなるからという理由でプラスチック製の小さな食品サンプルを作った。本物の労働者は間違いを犯しがちだから製造ライン用のロボットを作った。本物の音楽家を家に入れるのは大変だから編曲家のために電子キーボードを作った。そして、人間の声を合成する技術が十分に発達した時、そしてそれが人工音声のためのペルソナ創造するというアイデアと衝突した時、ミクが見せかけの音楽における21世紀スーパースターになるのは当然のことだった。

 中にはボーカロイドというアイデア音楽家の全てを破壊するという人もいるだろう。全ての仕事ソフトウエアがやってくれるのに、誰が人間を必要とするんだ? 俺が思うに、ボーカロイドってのは偉大なる民主化の旗手であり、音楽家のために沢山の扉を開いてくれるカギなんだ。過去において、もしお前が作曲家編曲家あるいはプロデューサーなりたければ、まず自分の曲を書いてそれから演奏家を探し見つけ出すしかなかった。何しろお前の傑作に生命を吹き込みたければ、5人編成のバンド、20人編成のオーケストラ、そして3オクターブ半の音域を持つ歌い手がいないとどうしようもなかったのだから。マジ悲惨。だがミクがいれば誰もが作曲家になれる。誰もが自宅のスタジオで曲を作り、正しい機材があれば、電子機器を使った完全なポピュラーソングを生み出せる。ボーカロイド音楽家仕事を奪うわけじゃない。それまでミュージシャンには決してなれないと思っていた人々の中からミュージシャンを作り出すんだ。動画投稿サイトで毎日そうしたことが起こっているし、こうしたコンサートではそれまで決して聞いたことのないような人々が突然電子王国の宮廷音楽家になれる。非常識なほどの大金持ちだった王家の人々の手にあった手製の楽器から、平民たちの手に握られた緑の髪の女神へ。それがこの大きな3世紀の違いだ。

 何であれ多くの人々が音楽を作ることは、単に大人しく聞いているだけよりもいいことだと俺は信じる。俺は魔法を、ボーカロイドを、ミクを信じている。

=====以上翻訳終了=====

 誤訳は当然あると思う。でも面倒なので修正はしない。

2010-08-15

IMSLPに楽譜はあるのだが・・・

[TB]とかいうタグが置かれ、見えないようになっている。

技術的な問題と書いてあるが、やはり大手楽譜出版社が巻き返してきたんだろうな・・・

みんな、どう思う?

2010-05-05

http://anond.hatelabo.jp/20100505062214

絵が描きたいのに、ヘタなのでどうしよう、って悩んでる人へのアドバイスだけど、見方を変えると、これって例えば「カラオケで歌いたいけどヘタ」っていうのと一緒だと思った。


ありがちな悩みとしては「音痴・音が外れる」・「自分の歌い方がなんかキモい」ってのがあると思うけど、つまり「歌のエッセンスを吸収・理解してない」って事だから、そこをまず、自分自意識というか潜在意識の中に刷り込む、という作業が必要になってくる。

よく言われるのは「バケツをかぶって歌う」という方法で、つまり『自分の喋る・歌う声を、自分意識で「ちゃんと」認識する』ための回路を、自分脳味噌の中に作りあげるための作業だ。バケツをかぶるのはさすがに恥ずかしい、という人は、右でも左でもいいから、自分のしゃべった声を片方の耳でよく聞こえるように、片手で『耳を大きくするような』感じで覆うといい。お勧めは、左耳(感情をつかさどる右脳と直結してるから、というのがその理由らしいけど)。

それができたら今度は、「自分の歌った声をまず録音し、再生して自分の耳で聞いてみる」というプロセス経験してみる。『自分の行動を客観的に捉える』という作業で、大概の人はここで「自分の声のキモさ」というものに悶絶するようだ。つまりそれだけ、普段は自分の声や喋り方について、無頓着というか、意識して発声している人が少ない、ということ。

そこで目(?)をそむけず、どこがどうおかしいのかって事を、きっちり意識する。上手くなりたいのなら、一連の歌声の中で、自分で気づいた点について、ノートを付けてみるといい。

本当はここで、楽譜が読める(音階視覚的に認識・置き換える)だけの知識があればいいんだけど、それは特に無くてもかまわないと思う。歌詞カードの部分に「ここで一瞬、タメを作る」とかメモを書く程度でも、とにかく「歌う際に、歌詞で気をつけるべき部分」を自覚的に理解しておく。

あと、「俺、滑舌が悪くて、何言ってるのか分からないってよく言われるんだよね」って人もいると思うけど、そこらへんは「お年寄りの人に、大声で、ハッキリ・ゆっくり語りかける」つもりで、歌詞を読み上げる練習をやってみると、あんがいと解消が早い、と思う...


あと、カラオケがうまくなるには、歌手の歌い方のモノマネをするのが有効だ、っていうのはよく言われる話だけど、声のトーンをたんに真似るだけじゃなく、例えば「歌手の表情や姿勢」まで真似てみるというのは、本当に有効。だから歌を聴くだけじゃなく、できればPVとかで歌手の細かいしぐさの格好まで徹底的に真似るのも、いいと思う。

それから、たまには目をつぶって「耳に神経を集中させて歌声を聞いて」みて、歌ってる人がどういうアクションをしてるのかを、想像してみる。なーんとなく曲を聞くんじゃなくて、「歌い手の表情を想像」できるように、意識を高めて聞いてみる。そうすると、真似る対象のイメージがすっと頭に浮かぶ→あとはそれを真似て歌う、というプロセス自然に出来るから、そうなれば歌う事はぜんぜん苦じゃ無くなる。

それができたら、今度は筋トレに相当する「ボイストレーニング」も、簡単なものでいいから並行してやってみるべき。歌う際に腹筋を使える(腹式呼吸)のと使わないのとでは、それこそ雲泥の差がつくし。

ここで高音や低音の部分の声が出ない、という悩みについてなら、高音部分はファルセットというか裏声を使えるならそれで誤魔化す方法もある。低音の場合だと、多少は体格の問題が出てくるけど、秋川雅史(「千の風になって」の人)のような感じで、腕を広げたりして姿勢を変えると出易くなる、気がする。ま、このあたりは、興味があるなら専門家にちゃんとした指導を受けたほうが早いよ。


もちろん、絵が上手く描けなくて悩む人よりは、歌が上手く歌えなくて苦に思う人って、タイプとしては少ないとは予想する(絵が下手なのは見てすぐ分かる事だし)けど、苦痛に思ったりしながら歌の練習をするっていうのは、やっぱり間違ってると思う。だって、気持ちよく歌うことって、単純に楽しいじゃん。上手く歌えたら、かっこいいじゃん。

でもよく、芸能人カラオケ大会とかの番組で、ブサイク芸人が酷評されたりする場面もあるけど、あんなのは無視していいと思う。ジャイアンリサイタルじゃない限り、誰かが歌う事が他人から非難される事って、あまり無いはず、だし。


それと、英語の歌を歌いたいなら、もちろん原曲を何度も聞き込むのは大事なことだけど、簡単な英会話や文法も勉強するとさらにいい。もっともここらへんは、歌える人にとっては「何を今さら」な事かもしれないけど、歌詞の内容を熟知したうえで歌うのと、そうでないのとで、これまた曲の深みがぜんぜん違ってくるのは、言うまでも無いよね。

健闘を祈る。

2010-04-25

昨日は休みなのにめずらしくダラダラしなかった

前日カラオケだったけど、あっさり起きれたし天気も良いので、

海へ写真撮りに行った。

そのあとアウトドアショップに行ったんだけど開店3分前だった。

その3分でタイヤに石が挟まって、カチカチ気になってたやつを取り除いた。

特価品のTシャツ彼氏誕生日(もう過ぎたけど)プレゼントに買った。

次にユニクロ自分の靴下と下着とカーディガンと買うつもりのなかったTシャツを買った。

家に帰ったら、ちょうどトーチャンのチャーハンが出来上がったところで、ウマウマ食べた。

うとうとしながら、録画しておいたシャチョウ英雄伝を観た。

風呂掃除!と思いながら、しばらく寝た。

風呂のフタは、なんでこんなにデコボコしてやがる!とか思いながら掃除した。

天井は、届かなくて面倒だったのでやめた。

掃除終わったら、結構時間経っててあわててシャワーして、

ばっちゃんの見舞いに行った。

カーチャンを送別会に送っていき、帰りにシュークリーム欲しかったんだけど

なかったからプリン買った。

閉店セール楽譜半額になってたのでモシュコフスキーとか買ってみた。

コーヒーも3割増量やってたので、久しぶりに買った。

ちょろっと晩御飯食べて、買ったばかりのコーヒーをこれまた久しぶりのプレスで淹れて

プリンを食べたらうまかった。

洗濯しながら、ちょっとピアノぽろろんして、

オナニーして寝た。

2010-04-15

http://anond.hatelabo.jp/20100414150420

おまえ、専門的な話してるようで絶対ニワカだなwwwそれともわざとそういう発言して様子見か?

.

微分音があまり用いられないのは、楽器の問題もあるが、楽譜記法作曲理論が十二平均律を前提としている事も関係してるだろうな。

それからオクターブを12等分することが絶妙なことも挙げられる。

2010-03-13

グイード・ダレッツォ

ttp://ja.wikipedia.org/wiki/グイード・ダレッツォ

グイードは聖歌を短期間で覚えられる方法を考案し、北イタリアで有名になった。しかし他の修道士からの反感を買い、アレッツォに移った。アレッツォに修道院はなかったが、指導が必要な歌手が多数いた。



当時、音楽を表記する方法が確立されておらず、聖歌隊のメンバーは聖歌を暗譜し、次の代に伝承する、という方法をとっていた。しかし人間記憶力には限界があり、小さなミスが重なり、長い年月の間に聖歌が変化してしまうことも珍しくなく、また暗譜するまでにかなりの時間を要した。そこでグイードは1025年頃、4本の線の上に四角い音符を書くという、現在楽譜の表記法の原型を考案した。これは当時の音楽会革新的な飛躍をもたらし、聖歌を正確に記録し後世に伝えることが可能となった。

2010-03-06

探し求めるのはもうやめよう

ここ数年間、何をしても楽しめない。

後になれば、何故こんなことに夢中になれたのか?

何故こんなことに時間を費やしたのか?と

後悔するであろうことが目に見えるようになった。

昔はそれでも「その時、楽しければいいだろう」精神

色々、同世代の人が大抵やっているだろうことを

曲がりなり自分なりにやっているつもりではいたし、

それで何となく満足していたような気がする。

今は、その精神も失くしてしまった。

新たに何かをすることに対して臆病になった。

休日前の夜に惰性で行くことが多い飲食店

少し親しくなった店長夫婦に、自分休日引きこもって

何となく黙々と読書しているだけなのを知られているので

「明日は何かするの?どこか行くの」と聞かれ否定すると

「たまには外に出た方がいいよ」とか

休みにしかできないことをした方がいいよ」と言われる。

余計なお世話だなんて思わない。むしろ気に掛けて貰える事が

有り難くすらあるし、自分自身そう思うことは多々ある。

実際、毎週そうであり、それを思うと休日前夜から憂鬱でもある。

何かしなければならないという強迫観念に縛られている気さえする。

手始めに昔は楽しいと思い、夢中になっていたこと

少なくともそういう記憶の残っているものをやってみた。

主にTVゲームだったが、案の定、数10分で飽きた。

ゲーム機本体の横に新品・中古合わせて未使用のソフトが山積み。

同じような理由で懐かしさから購入してみたものの

再生どころか未開封のまま山積みの音楽CDDVD

同じく昔習っていたエレクトーンを懐かしみ、

しかしそれはさすがに買えないからキーボードで妥協したものの

結局一度しか弾かず、未使用の楽譜も山積みのまま終了。

熱しやすく冷めやすいという人がいるがそうではない。

熱しにくく冷めやすいという人もいるがそうでもない。

もはや熱しないし、故に冷めることもない。そうなりつつある。

なら何故上記の物を合計すれば結構な金額になるのに買ったのか不思議

それをやっている自分想像妄想と言ってもいいかも)を

愉しんでいるのかもしれない。そうやって主に外的な娯楽が

自分に何かをもたらしてくれると過剰に期待し過ぎているのだろう。

そのせいで自分が当初期待していたようなものを得られない、

というより、そもそも、もたらしてくれると期待していた

その「何か」とやらが何なのか実はよく分かっていないらしい。

やらなければ分からないだろうと言う人もいるだろうが…

室内でできそうなことは一通りやってみたが散々な結果なので、

今度は外に目を向ける。世の中、多種多様な店が溢れているから

何か欲しい物が見つかるだろうと、また過度の期待を寄せて徘徊するも

いざ購入する前になると上記の山積み未使用品状態になりそうで

踏ん切りがつかない。迷っているだけで時間だけが無駄に過ぎていく。

それと普段上記の店以外では殆ど外食しないので

色々な店を回ってみたりもした。次第に割と好みの店が絞られ、

また行ってもいいかと思うようにもなった頃もあったが

公の場所であるから、周囲の客が騒々しくても

愚痴や他人を貶す話、損得勘定丸出しの話等に異常な嫌悪を感じる)

苦情を言える立場にあるわけでもなく、不快な気分で帰途に就く。

それを何度か繰り返すと、出た方がいいのかも…と思いつつも

また前のような目に遭うことを考えると、またしても踏ん切りがつかない。

こちらも買い物同様にそれを迷っているだけで時間が過ぎていく。

だから14時を過ぎてオーダーストップの時間になると

もう迷う必要もなくなり、妙に晴れ晴れした気分になる。

サザエさん症候群なるものがあるが、

自分の場合、逆サザエさん症候群とでも言うべきか。

決して仕事に行きたいとは思わないが、この時間帯を過ぎれば

どこかへ行った方がいいだろうかなどと悩む必要もなく、

それまでの憂鬱が嘘のように残りの時間を健やかに過ごせる。

長くなってしまったが、

結局どうでもいいことで迷ったり悩んだりするのに疲れた。

というより、本当はどうでもいいことだから迷ったり悩んだりする。

この匿名ダイアリーも何か書きたいことがあるような気がして

書き始めるも何も書けないか、うまく言語化できないかで

そもそも書きたいことなどなかったのではないかとさえ思えてくる。

それでブラウザ閉じて PCシャットダウンを何度繰り返したことか…

今回非常に珍しく最後まで書ききれそうなのが半年振りだ。

(何が言いたいのか段々分からなくなるのは相変わらずだが)

書いたら書いたでトラバとかブックマークついてないか

気になって仕方なくない自分にも嫌気が差してくるが。

無駄時間を費やした割には何もしない。変化しない。それが憂鬱

最初からそうなる原因を排除してしまおうと思うようになった。

部屋にある置時計もずっと停止している。

休日前夜には携帯の電源を切ることにしたし、

ノートPC電源ケーブルだけ外して押入れに奥に投げ入れる。

未使用品も数々も捨ててはいないが押入れの奥底で寝ている。

何かした方がいいのだろうかなどと考えなくていいように

たとえ考えても極力できない状況に無理矢理持っていく。

何かしなくてはと悶々と過ごすぐらいなら、その方が良い。

そうやって無駄なもの、迷いや憂鬱の種を取り除いて

残ったのは置き場所に困った山積みの未読本のみだが

何に気を取られる事なく、ただ時間を潰すには適当かもしれない。

2009-12-02

レッペリ

2009/08/01(土)

みんな、泣いてる。とても静かに泣いてるみんなの姿を

僕ははっきりと感じることが出来るよ。

僕は暗闇の中に逃げ込むことで沢山の安息を得たし、

みんなは僕の暗闇を覗き込むことで、あるいは

僕の暗闇にしんしんと降り積もる雪のような悲しみを眺めることで

すこしだけ人を信じたでしょう。

だけどそれももうすぐ終わるんです。終わります。大丈夫

2009/08/01(土)

僕はいつのまにか逃げることが人生みたいに思って

ずいぶん遠くの暗くて静かなところまでやってきたような気がしていたけど

本当はすこしもあの故郷の匂いから離れることは出来なかったと思う。

僕は今も遠いあの故郷にいて、夏の夜にふく風の心地とか

夕暮れが町を包み込むときの空気の触れ合いを少しも忘れていないし

むしろそれをいつも心の綺麗で優しい場所に暖めていた気がする。

2009/08/14(金)

こんばんは。僕です。

みんなには随分不憫な思いをさせてしまってとても僕は反省しています。

殺せ。俺も殺す。

そんな気分でしたから、僕がここにスレを立てるのはすこし大変でした。

人が人として生きることはそんなに難しいことではありません。

でも誰がそうしていますか?あなたですか?では僕もです!

それでこのスレも進みます。昨日のことはもう大丈夫ですか?

昨日の続きが今日です。大丈夫。明日まで待ちましょう。

2009/09/12(土)

こんばんは。僕です。僕は夢をみていました。

絶望だけの夢です。

太陽が死んで、明日のまた次の日も

そこに新しい一日が二度と訪れない世界にいて

僕は死んでいったジョニーや麻井、それからJのことを想っていました。

そうしている僕は、しかし何も感じず何も見ず、ただ世界が終ったあとのこの

風景にやっと時間だけが流れていることをかすかに意識することが出来るだけだったとも思います。

僕は過去現在においてただそこにある時間だけが流れさったということを自覚することができたから、

今ここにいない彼らの過去にあった現在もまた確かに現在過去として存在することを認めることができました。

夢の中にいた僕にはだからそこに彼らの生があることを認めることができたけれど、

その夢が醒めた今となって、かえって僕はまだ自分世界の終ったあの日にいて、

それからすこしの時間にも流されず、ただあの突然の巨大な破壊の前に

焼け爛れた人々の死の壁の前に立ち尽くしたままなのかもしれないと思うようになりました。

みんな死んだのだ。そして僕だけがまだここにいて、こうしてただ振り返ることにおいてのみ生きているのだ。

僕はこうして過去の存在の、失ったものすべてを一つ一つ認めることにおいて現在の生と時間を生きているのだ。

僕は死んでいないのだ。だからこそ僕は死を認めるのだ。

麻井の死を、ジョニーやJのその死を。そしてあの破壊。彼らの生を、魂を簡単に粉砕したあの破壊を。

そして彼らの破壊された時間だけがそこに留まり、僕だけに新しい時が訪れたのだ。

だが本当にそうだろうか。彼らは死に、僕だけが生きている。そんなことが本当にあるだろうか。

あの恐ろしい破壊が僕の時間だけをさらい忘れるというようなことが。否、そんなことはないだろう。

僕はまだ、夢を見ていてこうしてここに過ぎていく時間も全て本当には存在しないのではないだろうか。

時間が止まった後そこに夢だけが、死の数だけの夢がそこにのこされているのではないだろうか。

僕も死に、彼らも死んだ。あるいは彼らが生き、僕だけが死んだということもできよう。

だが僕の夢がまだこうして続くのなら僕はただその夢を、夢の中の生に流されていようと思うのです。

2009/09/12(土)

みなさんこんばんは。僕です。おひさしぶりですね。

この頃は元気ですか、僕は元気です。

今日休日で、大阪の空はひさしぶりの雨雲に覆われています。

雨は降ったり止んだりといった感じで、

せっかくの休日なのにと言う人もあるかもしれませんが、

僕のほうは休日に降る雨のことが好きだし、その雨にしてもどうもこちらに気があるらしいから、

この静かな午後の雰囲気をいっそう穏やかなものにしてくれるし、

僕はそのなかでずいぶん落ち着いた時間を過ごしています。

それで今、パーラメントを聴いています。マザーシップ・コネクションです。

1976年地球征服を企む宇宙人ジョージ・クリントン本名不明)が

小型宇宙船NY路地裏に降り立つとき、

この音楽を人々の脳に直接流し込むことで

街を一瞬のうちにP-FUNKと呼ばれる興奮状態に陥れたという話ですが、

その威力は本当に凄まじく、

いまこうしてスピーカーから流れるボリュームを極力抑えた旋律ですら

その快楽への欲望を限界まで引き出す恐ろしいリズムによって

僕の下腹部の奥に熱を与えそこからごりごりとした欲望が膨らむのを感じます。

アンニュイ休日の午後にはすこし強すぎるスパイスでありました。

2009/09/27(日)

痛みがある。随分苦しい気分でいる僕です。恥かしい気持ちだけが脳を満たしていて

独りでいないとどうしようもない気がするので僕は今日もそうしています。もしもそばに誰かいたら

やっぱり駄目になりそうです。気付いたら誰もいない生活が当たり前なので、人の声がうるさくて仕方ないし

それで怒りみたいな感情がどんどん溢れてきたときには、それがもしもこぼれ出したりしたらと思うと

やっぱり恐ろしくて仕方ないです。わからない間にとんでもないことをしていたりするんじゃないかといった不安

あることと、もうイロイロなことが前とは違う風に見え始めていること。

良くなることが有るような気もしますが、それは記憶が褪せるのと同じように

ただ痛みを忘れているだけの気もします。忘れているのは自分だけでそれは決して許されること

ではないのかもしない。最初からわからないことが多すぎるし、

僕の知らないところで僕が撒き散らした破壊によって今おびえる僕はもうとても苦しい気分でいるのです。

2009/10/06(火)

すいぶん時間の進み方が変わっている。と俺は考える。

朝、と思っていたらもうすっかり夜になっているし、

秋だ、と感じたそばから冬だったりする。

そもそも俺は、過去未来がこの瞬間とどういう具合に組み合わさっていくのだか知らんが、

こうやって生きていくにつれ、過去というのが次第にその体積を増加させ、

徐々に未来侵食しながら進んでいるのだけは分かる。

そして過去は、いずれ俺の現在未来に与えられた全ての時間を少しも残らずに覆い尽くしてしまうのだろう。

それは始め、とてもゆっくりだったのに、今ではもう決して追いつけない速度になっているし、

そのせいでこの現在は、この瞬間はただ過ぎ去っていき、そこに自分が生きたという実感も無く

ただ過去という巨大な闇に飲み込まれていく。

とても速い。と俺は思う。それから、もう遅すぎる。と思う。

俺が歪んでいるのか、時間の方がそうなのか、

どちらにしても俺の精神は既にこの時間の速度を認めることが出来ないでいる。

2009/10/07(水)

精神の悪化が著しい。

このところずっと俺の背後に立っている男が俺の精神の自発的な破壊をもって

俺の完全な抹殺を開始する算段を企んでいることなどもあって、

俺はすこしも心を落ち着ける時がなく、

そうして最近では風呂場の隅の暗いような所からなども、

何者かがこちらの精神の崩壊の瞬間を窺っている様子もある。

そして俺は今日もこうして睡眠などに身を任せるような危険な状態を避け、

俺の抹殺を企てるもの、現在も俺の後ろに立っている男などを筆頭に

俺の精神を一刻も早く破壊せしめ、俺の存在と俺の時間の完全な抹殺を遂行しようとする輩から、

すくなくともまだ、こうしてかろうじて日常生活をぎりぎりで保てる段階に留まっている限りは

その手に安易に落ちることを拒否し続けることにしている。

しかしそれももう長くは続かないだろうことは、俺もそして俺を抹殺しようとする奴らにも

既に大方は了解されていることではある。

問題は、俺がその瞬間においてどの程度人間であるかという点にあり、

そのことが今の俺の最大の関心事となっているのである。

2009/10/07(水)

たしかいつだったかに俺は雨が好きだ好きだというようなことを言った覚えがある。

そのことは今も変わらない。俺は今も雨が好きで好きでそうしてその雨量は多ければ多いだけ好きで、

その時間は長ければ長く降り続くだけ俺の精神を安らかな状態に満たしてくれるから

俺は一層に雨を好きになるという按配なわけだ。

そしたらさっき、台風なんぞが来たる。なんつう声が耳に入ってきよったもんで俺、にたにたしたっきり外を眺めとった。

俺は雨が好きで好きだというようなことが、そのまま台風にも通じるんであって、

俺はベランダに静かに立って、そこから見える景色、家の前を流れる小さな川とその川の向こうにある小さな公園

その向こうにある人家とマンションそれから小学校の校庭と、もっとむこうの山々とに、

今も降り続く雨をこのベランダにも降りかかる雨にしとしととこの身を濡れそぼらせながら見とるわけだ。

そうして俺が恍惚とした表情で見とれておる間にもその雨は、次第に風を増し

雨量を増し、その一粒一粒の重量は益々に肥え、

俺のこの目の前に広がる人の気配のない空間に降り続ける雨の質感が

より重厚によりドラマティックに揺れるのを俺はもう、俺はもうここに俺の時間がただこの瞬間にだけはっきりと

流れその流れが雨の時間と混ざり合っていくのを感じているということなんよ。

つまり今夜だけは俺もこの精神に静かな安らぎを与えられるということなんよ。誰も俺を抹殺にかかるようなことはないんよ。

今日だけは、深く沈む闇の中から俺を監視する視線は消えるんよ。目を閉じてそして狂ったように振りつける雨の呻きも

ふいに静かになる雨の押し引きにもそのどこにも俺の精神に痛みを与える気配はないということなんよ。

2009/10/08(木)

休日のこと

朝、目が覚めて

たしか9時くらいだったと思います。

まず洗濯機を回して、

そのあいだとりとめもない空想に浸りながらストレッチをして、

洗濯物を干して、それからご飯を食べに行きました。

帰りにミネラルウォーターと、電球を3つ買いました。

部屋の電球を交換して、セロニアス・モンクを聴きなが小説を読みました。

しばらくして眠くなったので、本を閉じて眠りました。

目が覚めて、夜ご飯を食べにいって、戻ってきてお風呂に入ってから眠りました。

一体人生とはなんでしょうか。

2009/10/09(金)

Jっちこんばんは。

僕はニンテンドーじゃなくて時給780円の弁当工場に勤務していますけど、

まあ焼肉弁当ラインに立っているので工場内では勝ち組ですね。

高収入?なんすかそれ。幕の内とどっちが美味いの?みたいな世界ですね。

なんつって、来る日も来る日も目の前を過ぎ去っていく焼肉筑前煮見てて

ああ、もうこんなに筑前煮ばっかりで人生うんざりだなってこともある俺だけど、

そこは俺、プロなわけで、なんだかんだ、すんげえ良い感じに盛り付けちゃったりするわけですわ。

だからこその焼肉弁当ラインなわけです。そこは俺の領域なわけね。俺の場所。超クール

とかなんとか、この俺の人生だけど、まあそれ以外にも楽しみはいっぱいあるよ。

一体何に喜べばいいの?

ってそんなもん自分で見つけないといけねえにきまっとるだろが。

生きるっていうことは考えることだし、学び続けることだろが。

昨日より明日、明日より明後日焼肉弁当がもっと美味い。それが人生だし、

今日筑前煮、その煮汁が完璧な旨みを含むまで何回でも煮込む。

それが生きるってことなんちゃうかなあ。と思うけど、

たまにはやっぱり人生ってなんですか。って思う俺です。

2009/10/12(月)

昨日も、朝起きて、やっぱり、何かむなしいような気持ちでいた僕は、

小さな部屋に独り、掃除洗濯などをすませて、

お昼ごろになってご飯を食べて、

それから電車に乗って京都に向かいました。

五条くらいで降りたって、鴨川沿いを歩き始めました。

静かに流れていく川。それを眺めている間だけ、このむなしさも僕から離れていく。

と、そんな風に思いながら僕は歩きました。

しばらくしてベンチを見つけて、そこに座って本を読みはじめました。

堀辰雄風立ちぬでした。ずいぶん綺麗な言葉たちが鴨川の水面に浮かび僕の心をさらさらと流れました。

原っぱには白人家族がいて楽しそうにボール遊びをしていました。

その向こうのベンチには若いカップルが、そんな家族の様子を眺めて幸せそうに笑いあっていました。

空は気持ちよく晴れ、そこにうすい雲が流れています。ゆるい風の中には秋のぴりとする冷気を認めますが、

ふりそそぐ陽光の暖かさがそれを心地よい肌触りに感じさせます。

僕はベンチに寝転がって、本を読みながら、ときどき空を見上げ、うすい雲のそばに淡い空想をゆらしたりもしました。

そんな風にしている僕はいつのまにか眠ってしまったのだと思います。

ふと気付くと、すっかり陽は傾き、辺りは秋の気配に包まれ、周りにはもう誰もいませんでした。

ふらと起き上がった僕は、帰ろうと思いました。そしてまた歩き始めました。

近くのジュンク堂に立ち寄って文庫本を何冊か買いました。

途中のうどん屋さんで夜ご飯を食べました。そうしてまた電車に乗って帰っていきました。

家について、お風呂に入ってからからチューハイを飲みました。やっぱりいろいろ恥かしい気がして、

まだ誰にも会えない、と思いました。それはすっかり冷たくなった夜の風のせいかもしれません。

いろんなことが、駄目になり始めてから、もうずいぶんの時間が過ぎたようです。

2009/10/13(火)

告白します。

8月、私は毎夜モンスターハンター3ばかりやっておりました。

それは真夏の世の夢、日暮れを待っては無法残虐の限りを尽くす暴君と化した私、

気が付いた時にはカーテンの向こうが白々と輝き、

すっかり日が昇っていたというようなことも何度かあったほどです。

そんな風にして過ぎた9月のある日に、私はふと思い立ち

コントローラーを静かに床において、普通サラリーマンに戻りました。

そして今、なにかがふいに私の内を過ぎたのです。

ああ、我が燃ゆる夏、灼熱の鉄槌を再びこの腕に。

誰か、一緒に狩りに行きませんか?HRはたしか30か40くらいだったと思います。

ハンマーを背負っております。テクニックはございません。ただ破壊

振りかぶったハンマーが獣の脳髄を揺らします。

よろしくおねがいいたします。

2009/10/14(水)

僕にはさっぱりわかりません。

破壊したい、あるいは破壊されたい。

僕は日々その間を、あっちこっちに振れている人間です。

2009/10/14(水)

相対性理論パクリ。その指摘が私を酷く苦しめました。

昨夜、私はこの苦しみから逃れるため酒に溺れ、そして苦しみの底でこの世界を強く呪いました。

バーモンド・キッス。いかにも私は、是をパクったことを認めます。

しかし今になって、私はその事実に対してただ一片の後悔もこの心に認めてはいません。

それは相対性理論という楽団こそが、

言わずもがな「地獄先生ぬ~べ~」の周到なパロディに過ぎないという事実を私が知るからです。

その楽曲の全ては、「鬼の手」を持つ小学校教師「ぬ~べ~」こと鵺野鳴介が生徒を守る為に、

妖怪悪霊を退治する学園コメディーを、一話一話、楽譜の上に置き変えただけのものなのです。

であれば今、私がこうして、相対性理論をパクったという一つの現象は

はたして私をこうまで苦しめる理由になるでしょうか。

あなた達がいかに厳しく私を断罪したところで、私の心には今も清涼な風が吹き抜けるばかりなのです。

2009/10/14(水)

言わずもがな私は今夜、言わずもがなという言葉を多様しています。

これは言わずもがな、私の精神記憶の欠落を示しています。

繰り返す時間が私を言わずもがなの罠に誘います。

言わずもがな、私はこの罠を、罠と認めることなく、一度、そしてもう一度、

言わずもがな二度三度とその失態を繰り返します。

私はこの痛みをもったまま言わずもがな次の言わずもがなへと進みます。

すこし度が過ぎたようでう。今夜はすこし酔いすぎたでしょうか。

秋の風が頬の熱を奪い、私は風の王に嫉妬します。

これは現実時間です。そして私の精神は今、確実にその強度を失っています。


2009/10/15(木)

本当のことを言うと、僕は文通がしたいのです。

こうして、誰とも無く世界の果てに向けて自分精神を拡散させるのではなく、

確とした誰かに、己が胸のうちをひっそりと告白したい。

そうして僕は彼方にあるその存在に思いを馳せ、

ただじっと待ちたい。私はその時間を愛し、その距離を空想したい。

文はその遥かなる旅路の内に芳醇な感動を携えて私の心を狂おしく酔わすであろう。


2009/10/15(木)

矢野くんの勝利マンのキーホルダーええなあ。

わし今から自分の住所と名前を念じるから感じ取ったら着払いで送ってください。

替わりに高校のときに使ってた数Bの教科書送ります。

もし数Ⅲの方がいいとかだったら相談に乗ります。念じてください。

よろしくおねがいいたします。

しかしモンハンやろ言うても誰も乗ってくれへんし、

わしも寂しい男やなあ実際。

まあ、こうやって毎晩、部屋で独りビールのんで、絶命しかけた肝臓に毒の油塗り込むような人間なんぞ

そりゃ誰も相手にせんやろってなもんやけど、せやかてまだわしも人間の姿はしとるで。

徐々にやけどまあ顔は獣じみとるけどな。実際狂うように美しいで今のわし。

鏡にもずいぶんはっきりと狂気が写りこんできとるしな。そやしそもそも人の美しさなんつうもんは

ひっくり返してみたらこんなもんや。やっぱり腐りかけがうまいんやな。健康的なもんの美しさには

わしなんぞも興味ないわい。それはしかし生きとらんわな。なんの歪みもない美からは

人を狂わす色気はでえへんで。わし自分の妖気に酔いそうや。そやからまだ誰にも会うわけにはいかん。

人がおったらたまらんで、会うたら畢竟まぐわうことになるのはわかりきっとるからの。くわばらくわばら。

絶望や。なんか知ったかぶりの絶望が攻めてくるんや。

恐ろしいのう。生きることはずいぶん辛いことやのう。

徐々に言葉が離れていくようになった。

脳のしわ。一つ一つアイロンかけて明日の朝には

元通りにしなくちゃ。生きるんだもの私。

無理だ。もう本当に無理だよ。

駄目になるのがはっきりとわかる。

もうすぐだよ。一度は超えたヒューマンの境界線。

もう2度と見たくないあの地獄。いやだ。助けてよ。

酔ってしまったような気もするし、

かといって時間が歪むのを確かに判別できる程の理性は

確保されているような気もする。

すこしの間忘れていたことを思い出す瞬間が訪れる。

しかしアルコールが人を破壊する様はまさに地獄です。

それは、最もおそろしい闇を見るのが溺れていく私だけではないからです。

私の周りにある人々をも同様に捉えて離さない深く濃い闇がそこにあります。

必死で手を伸ばすもの、私を捉えてその暗黒から救い出そうととするものそれら全て飲み込む

闇がそこにはあるのです。今、その闇の中に沈んでいく私にできることは限られています。

選択肢は、そこにある結末は。

2009-10-30

http://anond.hatelabo.jp/20091030212901

音楽にたとえてるけど、それは一体どんな音楽ハイカルチャーの話題なので現代音楽を想定して読んだら、相当戸惑った。どんな楽譜をどんな楽器で弾いたかがまず最初の前提にあるのだから、音符にならなくて曖昧無限な音なんて、正しく正反対だよね。

音だってだけでそんなに謎めいていたら、いつまででもロマン派でやってられたんだろうなあ

2009-07-21

平川哲生「川の光リアルタイムtwitterコメンタリーまとめ (1)

Mon, Jul 20
  • 07:59 幸か不幸か起きていますので、アニメ川の光再放送に合わせてtwitterコメンタリをやります。どこまで書いていいのやら、なにを書いたらいいのやら……。タイピング速度もあるので、ちょっと下準備をしておきます。
  • 08:00 remove覚悟の上で連投します。最初にあやまっておきます、すいません。
  • 08:30 ニュースの放送中ですが、のんびりと、アニメ川の光』のtwitterコメンタリをはじめます。原恵一さんには「すべて正直に言え/書け」と言われているので、たぶん、ぶっちゃけ話もします。
  • 08:31 アニメ川の光』は、6月20日の本放送、28日のBS再放送今日は再々放送になります。本放送の視聴率はふるわなかったのですが、反響の多さから、このような短いスパン再放送になったと聞きました。涙がちょちょぎれるほどうれしいです。みなさま、ありがとうございます。
  • 08:32 まずはじめに、演出未経験の私がなぜ監督に抜擢されたか? メディアでは「原恵一さんの推薦」と語られていますが、本当は茂木プロデューサーの推薦です。原さんは「茂木が言うなら」という感じだったとのこと。私が言うのもなんですが、無謀にもほどがあります……ありがたいことですが……
  • 08:32 演出協力の原恵一さんは何をしたのか? シナリオ打ち合わせに出席して、私の絵コンテをチェックしました。通常のコンテ・チェックは監督が絵・セリフト書き消して直しますが、原さんはメモを残す。たとえば「こんなセリフはどう?」とか「アオリの構図がいいのでは」など。
  • 08:33 その後あれこれ相談して、私がコンテを清書します。全930カットのうち、原恵一チェック後に修正したのは、だいたい50カットほどだったと思います。放送後、私が「作品に原さんのテイストを感じた人が多かったみたいですよ」と伝えたら、原さんは複雑な心境だったようです。
  • 08:34 とはいえ原恵一さんの役割は小さくありません。私はチェックに通るコンテを意識したので。1カットだけ流背(専門用語です)を使おうと思ったら、「これキライ」とメモが書かれていて笑いましたw。キライって……。あとNHKエンタープライズ・廣岡篤哉さんのコンテチェックにもお世話になりました。
  • 08:35 脚本吉岡たかをさんが第三稿まで、私が第四稿を書きました。第四稿は絵コンテを想定して、プロット整理やセリフ改変など、大幅に書き換えたため、部分的にシナリオ打ち合わせの内容を無視する形になってしまい、いろいろ申し訳なかったです。この作品台詞ミス(後述)は私の責任です。
  • 08:35 はじまった!
  • 08:35 冒頭から音楽がいいですねー。レコーディングに立ち会いましたが、栗原さんはその場でがんがん楽譜を修正するんです。音のニュアンスもどんどん変える。楽器奏者はそれに柔軟に対応する。鳥肌モノでした。私は8トラックMTR宅録少年だったので、夢の現場でした。
  • 08:36 原恵一さんも言ってましたが、この作品シナリオ打ち合わせは、とても良かったと思います。アイデアがたくさん出て、それを可能なかぎり活かすようにしました。私は初監督なので知らないのですが、生産的でないシナリオ打ち合わせも多いとのことです。
  • 08:36 動物といえば「丸くなる」作画! でも、これは実は原作どおりだったりします。
  • 08:36 75分の作品なのでB級の系譜は少し意識しています。シーゲル、リュイスなどですね。結果、フォードホークスへのいびつな愛情のしみこんだ作品になったと思います。宮崎駿さんへのいびつな愛情もあり、お父さんのヒゲいじり癖は、これです http://tinyurl.com/kmxl8z]
  • 08:37 こういうところは演出家にとっては大問題ですが、視聴者の方はぜんぜん気にしなくていいと思います。いちおう、せっかくなので、書いておきます。ただ、やっぱり、この作品の演出は映画っぽくはないですね。当時の私は、CMなしのテレビ75分を見せきることを意識していたんだと思います。
  • 08:38 いやあ、声優が豪華ですねー。お父さんの台詞「お前が食べ過ぎなきゃね」は原さんのアイデアですよ。
  • 08:38 ペットボトルあたりの美術男鹿さんです。ふつう背景は美術ボードに似せるものなんですが、もう完全に男鹿流ですね。すばらしい。ありがたや。美術監督稲葉さん、日野さんは「男鹿さんの絵はまねできない」とか「あの絵は、音楽ライブみたいに、再現不可能」と言ってました。
  • 08:38 うう、書いてると見れない。見ていると書けない。コメンタリってむずかしい……
  • 08:39 画面がロングショット主体なのは理由があります。アップ主体のネズミ目線は、地面などの一部しかフレームに収まらず旅の感じが出ないこと。ネズミ目線が面白いのは20分が限界ということ。『ガンバの冒険』の手法を避けること。作画が楽なこと。結果的に美術の負担が大きくなってしまいました。
  • 08:40 金田朋子さんの熱演が! 人差し指くちびるにあてて、ぶるぶるさせて「ぶくぶく」の声を出してました。
  • 08:40 滝に落ちたチッチが浮かび上がって、タミーに助けられるあたりの原画は、加藤寛崇さんです。制作さんに「ちゃんとチェックしてください」と笑われ、私は「完成画面で楽しむからいいのだ」と答えたほど、ノーチェックで通せる、すばらしい原画でした。作画マニアは要チェック。
  • 08:41 現実のタミーは来客に頭からどーんと突っこんでくるお転婆な犬なのですが、平野綾さんはその感じをうまく出してますね。かわいい。タミーは最初・中ごろ・最後と短い出番ながら、印象に残ってもらう必要があったので、華のある平野さんにぴったりだったと思います。
  • 08:42 レイアウト、アイレベルが変だったりしますが、わざわざ変な感じに描いてください、と指示した結果だったりします。数えてませんが、レイアウトは6割くらい自分で描いたと思います。
  • 08:43 Aパート絵コンテの軸がぶれてます。まだスタイルというか、基調というか、トーンというか、そういうものを模索しているような印象。旅立つまでに14分しか使えなかったので、詰めこんでるのは仕方ないとしても、構図、カット割り、いま見るとつらいです。出発したBパートからマシになるような……
  • 08:44 山寺さんのお父さんはいいですねえ。少し頼りないけど、やさしいお父さんの感じがすばらしい。山寺さんは、あっという間に指示に対応できて、プラスアルファで演技を加えてもらえるすごい方でした。私は、山寺さんなら『御先祖様万々歳!』の多々良伴内の役が好きです。
  • 08:45 「川はタータの母だった」と原作では地の文で直接描いていますが、どうやってアニメ化すればいいのか、迷いました。結果、ごうごうという母体のような音にしてみました。こういうのってむずかしいですね。
  • 08:45 木が切られるあたりから、夕方まで、原画は黒柳トシマサさんです。若いし、うまいし、イケメンだし、まったくもってけしからん原画マンです。ありがたや。
  • 08:46 爺さんネズミ役は青野武さんですよ! なんという贅沢! マイケル・ペイリン! 青野さんの声は「きこりの歌」つながりで、この直後の切り株の場面に進む伏線なのです(嘘)。
  • 08:47 環境破壊はいま、たくさんの説が入り乱れている状態で、とてもアニメでは扱えません。もし扱うとしたら、ロンボルグ的な視線も入れて「近視眼的にならないよう、真剣に考える必要がある」くらいの主題になると思います。問題意識は高まっていくでしょうし、これから扱われるべき大きな主題でしょう。
  • 08:47 護岸工事環境破壊か? 答えはNOだと、視聴者の私は思います。監督の私は、巣が壊されるショックを描くために、悪者あつかいする必要があると考えていたようです。
  • 08:49 折笠富美子さんのタータはいいですねー。原作はタータが主人公なんですが、アニメはチッチの活躍が増えてます。が、折笠さんの演技で、タータが前に出てきたように感じました。
  • 08:49 三匹が並んで走る場面(3カット兼用)と、イタチに襲われる場面の原画は植村淳さんです。ありがたや。ネズミの走りは、急ぐときは2コマ中2枚、通常は3コマ中2枚。動物の走りはパターンが少ないので、ガンバに似ています。植村さんのところは2コマ中3枚で、空中ポーズが入ります。
  • 08:49 ちなみに原恵一さんは、当初、このイタチを中心にした物語を考えていたようです(原作にもある)。それじゃガンバになってしまう、という理由で、いまのような形になりました。それくらいガンバは恐ろしい作品なのです。アニメ史に向き合うなら、これ以外の選択肢はなかったと思います。
  • 08:49 夜、根で三匹が寝ているカットは、写真をそのままレイアウトに使ってます。写真レイアウトに使ったのは、自然物では、ここと冒頭の川の3カットのみ。バス車内はさすがに写真レイアウトが多いですが、ほかは基本的に写真は参考程度にしました。
  • 08:50 自転車のかげに隠れて走り、猫を避ける部分は、某映画からアイデアをいただいてます。
  • 08:50 チッチの「え~、もう旅行おしまい?」という台詞は、原恵一さんのアイデアをいただきました。前述の「お前が食べ過ぎなきゃね」といい、なんか、原さんらしいですよね。
  • 08:51 ドブネズミたちに会ってから、チッチが転ぶまでの原画は、石井邦幸さんです。丁寧な仕事ぶりで助かりました。かなり立体的に描く方で、ほかの原画とは耳の形などがちがいます。
  • 08:52 ドブネズミたちについて、原恵一さんは「聞き分けのない乱暴ものが良い」と考える。私は「話せば通じるやつらであってほしい」と考える。ここらへん好対照ですね。いろいろ話し合った結果、原さんの方のプランにしました。
  • 08:53 クマネズミは、人間を利用して、レストラン自動ドアを出入りするみたいですよ。能力が高すぎる。
  • 08:53 つるや食堂は、松浦さんの小説半島』から名前をいただきました。『半島』に登場するつるや食堂はもう少し小ぎれいだと思うんですが、アニメではネズミが出てきてもおかしくない、時代がかった建物にしました。
  • 08:54 ドブネズミがトリモチにかかるアイデア原恵一さんのものです。
  • 08:55 赤い郵便ポストあたりは、レイアウト、BGの兼用を考えて脚本を書いてます。涙ぐましい……
  • 08:55 まあ、ぶっちゃけホークスです。
  • 08:55 子供たちが排水溝を泳いだり、グレンに誘われるまでの原画高野登さんです。私は高野さんの原画が好きなんですよ。ベテランの風格といいますか、シンプルかつ的確で、まちがいようのない原画、撮影指示、タイムシート。完成画面では伝わらない部分ですが、とても頼りになるうまさです。
  • 08:56 ベテランの風格は、この作品では、山内さん、高野さん、山崎さん、小野さん、寺田さんの原画で見ることができます。ありがたや。作画マニアの方々は、作画の実作業を経験してないと判別がむずかしいのですけど、ぜひこういう原画のうまさにも注目してみてください。
  • 08:57 横向き歩きのリピート作画、スライドは、単純ながらいちばんのリテイク回数でした。前足にあわせると後足がすべり、後足にあわせると前足がすべってしまう。むずかしいもんです。
  • 08:58 図書館のCパートは、鏡・ガラスモニタピアノ、逆さまの本『川の四季』、逆卵型の下水道。ねちっこく反転・反射を描く画面構成です。主人公たちが屋上に上がるまで、カメラ建物の外に出ません。図書館は窓ガラスポイントになるので、モデル杉並区図書館にしました。
  • 08:58 グレンの登場から別れまでが約11分です。テレビシリーズの半パート分。短い場面ですが、大塚明夫さんの演技がすばらしく、印象に残るキャラクターになったと思います。ちなみに原作のグレンは、ソシュール以後のポストモダン社会に生きる人間の苦悩を理解しているような、賢者ネズミです。
  • 08:58 収録は一日で終わらせる強行軍でした。お昼の弁当休みも早くすませよう、「30分くらいか?」と話していたところ、大塚さんがあのいい声で「15分だ!」と勇ましく叫び、笑いをとってました。大御所声優さんたちは、技術も一流ですが、現場の雰囲気づくりもすごいんですよね。勉強になります。
  • 08:59 大塚さんマジでかっこよすぎるぜ……
  • 08:59 鏡やモニタに映るグレンは、やっぱりアングル的におかしいですね。絵コンテに「おかしいですが堂々とやりましょう」と書いたのは自分ですが…。当時の私は、リアリティに足を縛られて窮屈な演出をしてはならぬ、などと考えていたんでしょう。視聴者の私は全体的にそういう傾向を感じました。
  • 09:00 原作のドブネズミ帝国が削られてしまったので、いちおう「なかにはいいやつもいるんだ」という台詞を入れました。ここらへん、面白いところなんで、ぜひ原作もお楽しみください。
  • 09:01 グレン大塚さんと、タータ折笠さんのからみは抜群ですねー。いいわー。
  • 09:01 「そうなんじゃないか」とか「そういうことなんじゃないか」は、松浦寿輝さんの作品にたびたび登場するので、グレンの台詞にしてみました。
  • 09:03スネークならダンボールに隠れるはず」という感想に笑いました。勉強不足でしたw。ただ、ハンカチに隠れるのは、バスの場面でタオルに隠れる伏線です。
  • 09:04 チーズケーキ番長なのに、ショートケーキを出しちゃって申し訳ありません。チーズケーキって絵にならないんですよね……。まあ、食べるほうとしてはそこがいいんですけど……
  • 09:05 給水機は原作になく、水の音、母の音、抱きつくタータ、川への思い、みたいなことをまとめて表現しようとした結果です。ここらへんはコンテを描いてうまくいったかも、と思いました。
  • 09:06 大塚さん……。
  • 09:07 シンメトリーの構図は、右を描けば左は反転してトレスできる、一枚描けば裏返しトレスで別カットも完成、という効率重視のために採用してます。みみっちいですね……
  • 09:08 図書館からの大俯瞰のBGは5回くらい兼用します。大変なカットはとにかく使いまわす。エコロジーであります。
  • 09:09 逆卵型の下水道、ここの背景は稲葉さんの担当です。描きこみすぎ!ありがたや。
  • 09:10 「あの雫が落ちたら」あたりは原作にありません。原恵一さんに「別れの場面をもっとじっくり」と言われたので、あれこれ迷って、こうしてみました。
  • 09:10 下水道プラットフォームあたりの背景は草薙の方が担当です。とくにマンホールがかっこいい。「クオリティが高くて驚いた」と美術監督の若いふたり、稲葉さんと日野さんも言ってました。私も上がりを見て驚きましたね。ありがたや。
  • 09:11 鉄砲水あたりの作画は、4カットほどが沓名さんの原画です。ここらへんは担当原画がとびとびなので、作画マニアの方でも見分けるのは難しそうですね。
  • 09:13 下水道のDパートから、ブルーのEパートまで、クレジットにないですが虫プロダクションが作画を担当しています。が、かなり原画がこぼれたので、手分けして描いてます。私も少し原画を描きました。
  • 09:13 下水道マンホールから煙草が落ちる場面。原恵一さんは喫煙者ですが「こんなことする人はいるのか? このシーン必要か?」と言ってました。私は「する人もいる。闇にぼわっと浮かぶ光は面白い、水の勢いを表現するため、またカップ容器で流れるくだりの伏線になる」と言い張って、入れた場面です。
  • 09:14 原恵一さんに口ごたえするとは、なんとも生意気新人監督であります。しかし、ひとつの作品にふたり監督は立てないので、仕方ない。
  • 09:14 カップ容器で流れる三匹、脚本ではお父さんの「しっかりつかまってろ!」という台詞が二回連続していました。が、山寺さんは何も言われずとも的確に判断して、二回目を「ちゃんとつかまってろよ!」に変更していました。これは収録中にいちばん驚いたことです。すげえ。
  • 09:14 こういう台詞が二回連続してしまうミスは、実はけっこうやってます。すべて私のミスです。次から気をつけます(もし次があるのならば)。
  • 09:14 カップ容器からチッチが落ちてしまうあたりは、石田慶一さんの原画です。暴れん坊ですねー。びっくりするくらい枚数の多い原画で、タイムシート等もひじょうに複雑、完成するまで画面がどうなるかわからなかったんですが、ど派手で面白い感じになったと思います。
  • 09:15 ブルーのEパートは、手水鉢・猫ベッド・染料鍋と、凹のような形のものを3つ。瓦屋根と鍋蓋で抜けている上の面を覆う、という画面構成。最後に、指輪が鍋蓋の上に置かれていたのは、構成上の理由があります(レイアウトを兼用する目的もあります)。
  • 09:15 少佐ーッ!
  • 09:16 けっこう小さい紙で作画しているので、大きいテレビで見ると粗が見えますね……。
  • 09:17 ブルーの家あたりは、美術監督日野さんです。上品な感じですね。
  • 09:18 内田百間の『ノラや』をやろうとして、やめました。ちょっと後悔してます。
  • 09:19 ブルーが「白を受け入れよ」とさとすくだりは、汚れたチッチを手水鉢に落とすところ、汚れたチッチを舌でなめるところ、瓦屋根の上の場面で計三回くり返されます。ここらへんはアニメオリジナルで、原作にない場面なんですが、好き放題やってるなぁ、と視聴者の私は思いました。
  • 09:19 ブルー役の田中敦子さんの演技がまたすばらしいですね。なんというか、包容力があって、長台詞も説得力をもっています。こんなに豪華なキャスティングなら、もっと台詞を増やせばよかったですねえ。尺が厳しいため、一文字二文字の単位台詞を削ったので、仕方ないのですが……。
  • 09:20 ブルーは友達がいない、必要ない、という原作を少し意識して、野良猫を追い払う場面を入れてみました。
  • 09:20 猫ベッドで寝ているお父さんに、タータが言う「ちょっと待ってね」の芝居が、実に折笠富美子さんらしくて、すばらしいですね。ここだけくり返して見たいほど。私は『あたしンち』のみかんファンなのです。
  • 09:21 ブルーの家の台所、染物の機材がならんでいる場面の背景も草薙の方です。とても丁寧な仕事です。たくさん描きこんじゃって、ほんとすいませんでした。山本二三さんは公演で、「平川監督空間フレーム内の何も描かれていない場所)恐怖症だ」と言っていたようです。ほんとすいません。
  • 09:22 染料鍋に入ろうとするチッチをブルーがはじくところ、絵コンテでは前足だったんですが、担当原画の方がしっぽに変更していました。ブルーはしっぽの雄弁なキャラクターだったので、私は「それだ!」と思い、すんなり変更しました。
  • 09:22 私のぬるい絵コンテを適宜変更していただいた、ありがたい原画は、小野隆哉さんです。またしてもベテランの風格! 原画は演出の領域に踏み込まざるを得ない、という好例ですね。
  • 09:22 私はブルー屋根のところの劇伴が大好きなんですよ。栗原さんの曲は、楽しげなものもいいですが、せつない曲がたまりません。
  • 09:23 「やさしさのない職場だぜ……」
  • 09:24子供がいるとそれはそれで」は原作どおり。こういうユーモラスな場面、いいですよね。
  • 09:26 原作動物病院アニメでは出せないので、ネズミたちがピアスを見つけるくだりを指輪に変更して、ブルーの場面に入れました。ピアス指輪に変更した理由は、丸いこと、尻尾に通せること、いろいろあります。動物病院は登場させたかったですねえ。残念。
  • 09:27 ジョン・フォード! でも真似することにも失敗している!
  • 09:27 公園のFパートは、高低差、3の均衡、人工的な自然、という画面構成。少し欲張りすぎたかもしれません。「3の均衡」は、1・2・4のときにバランスが崩れ、何かが起きる、たとえば3人の親子が座るベンチ下にネズミのお父さんが入ると、蹴り出されてしまう、など。うーん、ややこしいですね。

増田の文字数制限にひっかかったので(2)へ続く

2009-07-16

自分探し芸術はやめとけ

音楽したいのに芸大にこだわる理由はなにも見つからないな。

音楽したけりゃ、やれよ、と。

一人で生きてく覚悟をして、どんなに孤独に苛まれても、自分の信じる音楽のためにこそ死ねよ。

つまらんプライド馴れ合いたい怠情に流されるなよ。

誰に何を言われても我関せずで生きていけないなら、芸術なんか目指すなよ。やめちまえ。

ピアノが弾けないのがどうした?初見演奏なんて訓練じゃねえか。

自分の訓練が出来ないなら諦めろ。諦めて他の方法を探せ。芸大も音大も捨てて、それでも作曲すればいい。

死ぬ覚悟ってそういうもんだろ?

教師に見捨てられて死ぬって、何のためにだよ?自分プライドを守るためか。さっぱりわかんねえ。



それとも、芸大アカデミックなことを教わらないと作曲出来ないと思ってるのかな?

デッサン習わないと絵が描けないってのと一緒だな。

結局は他人に評価されたいだけだろ。芸大作曲科なの!凄い!って言われたいだけか?

卒業したらどこの大学を出たかなんて何の役にも立たないぞ。

毎年作曲科を定員通り15人づつ卒業しているとして、果たして何人が作曲生業に出来ているのか。

芸大出て、自分の作りたい音楽がそのまま認められて食ってる人間が何人いるのか。

大学なんてそんなもんだ。




芸大に行くことより、やりたいことやって生きてく方法を考えてみたらいい。

親のスネかじり続けて、女のヒモになって、パトロンごますって、それでも好きな作曲を続ければいい。

作曲するためにだけ生きればいい。あらゆる物を食い散らかして、人に迷惑かけ倒して、それでも作曲すればいい。

私学の高校に雇われて教員やりながらせっせと作曲するってのも堅実な方法だな。

理科ならまだ何とかなるかもしれんもんな。それでも奇跡だな。



諦めがつくまでやりたいことやってれば、どこかで成功するかもしれないしな。

運良く誰かに認められるかもしれん。賞が取れたりするかもしれん。

それでも最後の最後は誰にも看取られること無く、楽譜を抱いて死ねかもしれん。

それでもいい、ってのが覚悟ってもんだろ。



ああ、そうそう。

俺の爺さんは日本音楽コンクールで入選2回、1位1回取ってるんだが、エンジニアだったよ。

休みの日にはグランドピアノをぐらぐら揺らす勢いで弾いていたそうだ。

爺さんが勉強に使ったであろうヒンデミットスコアを持ってる。爺さんの朱書きがはいったスコアは迫力満点だ。

爺さんが1位を取った曲は交響曲。手書きのスコアが残ってる。出版されなかったし、演奏されたのも1,2回のことらしい。

それ以外にもスコアがたくさん。わかりやすい歌曲もあるが、難解な十二音音楽と思しき楽譜もある。

爺さんは家族を養って、それなりの遺産を残して死んだ。

幸せだったのか、不幸せだったのか、本当のところはわからない。

死ぬ間際までピアノを弾いていたそうだ。






中途半端自分探しのために、芸術はやめとけ。

そいつは中途半端な奴に触れないぐらいに熱くて冷たいんだよ。

俺はそいつに触れたがために凍ったままに燃え尽きている。


http://anond.hatelabo.jp/20090715014831

2009-06-19

通称「国営マンガ喫茶」って国会図書館じゃだめなん?

国営マンガ喫茶を支持する人たちはマンガアニメの保存をするため必要だという。しかし単なる保存目的なら、納本制度があるのだから国会図書館で十分だと思うのだが。マンガは言うに及ばず、アニメも多分納本制度対象でしょ。

Q1:どんなものを納めなければならないのですか?

A1:原則として、頒布目的として発行されたすべての出版物です。図書、雑誌新聞だけでなく、CDDVDビデオレコード楽譜地図なども対象となります。ただし、手帳カレンダーなどの簡易な出版物は納本対象とはなりません。

Q&A―出版社レコード会社

参照URL:

2009-06-16

表現するってめんどくさい

音楽にしても、アニメーションにしても、文章にしても

自分の頭の中には表現したいイメージと言うものがたくさんある。

何もアートだけに限らず、ビジネスでの企画人生設計だって同じ。

だけど、それを実現するためには楽譜の読み方を覚えたり

ソフトウェアの使い方をマスターしたり、たくさん本を読んで語彙力を高めたりしなきゃならない。

新しいビジネスをやるならお金を集めて必要な人材を揃えてこなきゃいけない。

でもそれって、俺が本来やりたいことじゃないんだよね。

例えるなら、ある料理を作りたいとして、必要な素材となる野菜の栽培から始めるようなもんなんだよ。

レシピは頭の中にあって、盛り付けのイメージまで出来てるのに余計な作業が多すぎるんだ。

それで、どうしても無駄なことばかりやっているような気がして何事も手がつけられない。

俺の頭の中にある色んなことをもっともっと世に出してやりたいと思ってるけど

無駄なこと、遠回りなことは極力したくない性格だからなかなか難しい。

表現するってほんとめんどくさいよね。

2009-05-25

http://anond.hatelabo.jp/20090525025113

あ、許諾を貰う貰わない=お金を払う払わないってのがおかしいってことか?

そうです。ワタシもあなたの意図を理解してませんでした。すいません。

非営利の場合許諾をもらわなくても、いいみたいですね。(著作権法38条


ワタシがいいたいのは「日本の場合、作者の死後50年で著作権が期限切れになるので、

クラシック音楽の場合、許諾もらわなくて営利使用しても、問題ないはず。」ということです。

ダイソーとかで100円でクラシック音楽CD売っているのは、

著作権使用許諾料が発生していないからです。

#いつのまにかツリーの大元が消えてますが、

#元々、学校部活でクラッシク音楽楽譜コピーすることの是非だったと思っていました。

http://anond.hatelabo.jp/20090525023417

クラブ活動での行為にも、営利行為と非営利行為の二種類があり、

教育活動の一環てのは非営利行為のみを指すはず。

作曲者にはお金を払わなくてもいいことが、演奏者にはお金を払って(あるいは貰って)いるのは矛盾じゃないか?

あ、許諾を貰う貰わない=お金を払う払わないってのがおかしいってことか?

学校部活動演奏会で、入場料をとらず、謝礼の支払いも一切無い演奏会のためならば著作権者に許諾を得る必要はない、コピー譜もおk

ならば入場料を取ったり謝礼金の支払いがある演奏会だったら、学校部活動演奏会でも著作権者から許諾を得る必要があり、

コピー譜?楽譜買ってよ」となる。はず。

横だけど、元々クラシック楽譜を(著作権所有者の許諾を得ずに)コピーして、

クラブ活動で使うことの違法か?が論点だったはず。

演奏者への演奏料?の話と混ぜて論点ごまかしている。

http://anond.hatelabo.jp/20090525022658

横だけど、元々クラシック楽譜を(著作権所有者の許諾を得ずに)コピーして、

クラブ活動で使うことの違法か?が論点だったはず。

演奏者への演奏料?の話と混ぜて論点ごまかしている。

http://anond.hatelabo.jp/20090525013023

ごめん。「松本零士 著作権」でググったが、何の事か判らない。

著作権保護期間を50年から70年に延ばす話?

70年以上前に作者が死亡しているクラシック楽譜コピーしても問題ないって話ではなさそうだよね。

文字だけでコミュニケーションしてるんで、もう少し具体的に書いてもらわないとわからないです。><

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