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はてなキーワード: レパートリーとは

2012-02-15

http://anond.hatelabo.jp/20120214223016

えっと、面白さ≒機転+レパートリー

で、高学歴教養ある≒レパートリー豊富

という意図で書いた。

返信をみると、

機転;元増田>その社長

レパートリー元増田=その社長

なのかなって思うけど、返信見る前だと

機転;その社長元増田

レパートリー;その社長元増田

の可能性のほうがおおきく見えたんだよ。

2011-11-26

http://anond.hatelabo.jp/20111126174642

各人の行きつけというかレパートリーの店を持ち寄って、じゃあ今日はそこ行くか、みたいなノリが普通だな

あるいは完全にノープラン適当に入るってのも良し

食事というよりも「どっか飲みに行く」的な集まりときは、後者結構多い

2011-08-20

【追記】「人生を楽に生きる8つの方法」は半分ウソだと思う。

人生を楽に生きる8つの方法

http://chaos2ch.com/archives/2982681.html

これを読んでいたらもやもやしてきたので書く。





4つだけは本当だということじゃない。

8つすべては「真実」に近いと思う。

実践できれば楽に生きれると思う。

それがいいとか悪いとかいう問題じゃない。

ただ、この理論だけでは結果的に不十分だとおもう。





いったいなにを欺いているのか?

この方法には2つのウソが隠されていると思う。

リンク先で語られている内容よりも

語られなかった内容に注意してほしい。






上のリンククリックした人は、それだけでかなり頭がいい。

つの方法を抜き出してみよう。




1、今に生きる

過去を悔やんでたらればを繰り返したり、起きてないことをあれこれ憂いたりするのは時間と労力の無駄遣いで非生産的

今の自分の状況や気持ちに行動原理をおく。




2、人や社会に期待をしない

求めたり「こうあるべき」とイメージを持ったりすれば、現実との差異にがっかりすることになる

基本は人生自己責任




3、他人は自己投影

自分が見ている他人は、他人という物質に反射して映った自分だと考える。

それが心地よくないものなら自分が変われば良い話




4、事象を引き寄せている(選んでいる)のは自分

その出来事を通して味わいたい思いや学びたいことがあるからそれを引き付ける。

災難ととるのではなく自分の選んだものと思って構える




5、自分がいなくても世界は回る

自分が思うより他人や社会自分を見ていない。

こうしなきゃ、こうでなきゃ、というのは自己満足であって、大抵の場合は不必要




6、ワクワクするものごとを選ぶ

自分の選択で他人が困っても、それは他人が対処すべき問題。

選択の連続人生で、自分の心がワクワクする方を正直に選ぶのが一番スムーズ。これができないと葛藤ジレンマに苦しむ




7、自分の行いは必ず帰ってくる

自分の行動は、空へ向けてボールを投げるのと同じ。

きちんと受け止めないでぶつかった時に、痛いと言って責任転嫁しようとしても事は進まない。

自分が受けたい言動をとればそのまま返ってくる。




8、物事は全て中立

「悪い出来事」「縁起の良い場所」なんてのは本当はなくて、全て中立な物事に自分意味付けをしてるだけ。

たとえば同じ場に居合わせ災害にあったとしても、ある人はたまたま見舞われたと感じるし、ある人は自分宗教の教えを遵守しなかったからと捉えるかもしれない。

自分の見方で世界が変わる。





方法自体はほとんど正しいとおもう。

ぐうの音もでない。

いろんな本を読んだり、テレビを見たり、人と話したりすれば

わりと納得できる考え方だなーと。

(というかこれがわからないとしんどい)






しかし、正しいということとそれが妥当であるということはまた別の問題だと思う。






でも、とりあえず

この方法実践することで人生が楽になる

ということはほぼ間違いないと思う。




世界じゅうの人がみんな

この方法を身につければ

きっと生きやすい世界が目の前に広がると思う。








ちょっと想像してみよう。





  • 過去のことは水に流してくれるし未来絶望しなくてもいいし(今に生きるから
  • あーしろこーしろとうるさく言われないし(人や社会に期待をしないから)
  • 相手を責める前に、まず自分の非を疑うようになるし(他人は自己投影から 以下略
  • 現状を肯定できるようになるし
  • 構ってもらえなくても大丈夫だと思えるし
  • 楽しいことを選ぶことを肯定できるし(仕事は厳しくあるべきなんてことも言わない)
  • 相手のことを慮ることが、自分をいたわることだと気付けるし
  • いいとか悪いとかい価値観に縛られなくなるし





現在あなた人生をおびやかす何者か

(親、兄弟、親戚、同級生、上司、同僚、社会のしくみ、政府日本テロリスト、なんでも)が

もし、これらの特性を身につけたならと考えてみよう。

こりゃパラダイスだ!

ぼくたちはお互いがお互いを認められるような

真に寛容な社会を実現できる!

誰と遊んでいようが楽しい

よーし!あの丘の上まで競争だ!






少なくとも2011年の今現在

これらの方法に従うことで楽に生きられると思う。







でもそれは「従うことができれば」の話。







つの方法としてまとめられた人生訓は

実際、どこの場でも目にする。

人生論」でも、「大往生」でも、「論語」でも、「エセー」でも、「徒然草」でもなんでもいい

長く広く読まれている「人生の教え」的な本を読んでると

最後にはだいたい前の8つくらいに収まる

(代わりにどっかの社長の話を聞いてもいいし、テレビ美輪明宏さんの話を聞いてもいい)。

昔の人は偉いなあと思う。






そういう感じの本はいろいろ読んだ気がする。

もちろん、まだまだ読み足りない。

なにせぼくはまだ今年から活字に触れはじめたばっかりだ。

きっと死ぬまで読んでも読み足りないのだけど

個人的には、ぼくの考えを

そういう本が「間違っている」と指摘してくれることを期待して

かばうんざりしながらもそういう本を読んでいた。






今のところ、ぼくの考えを「否定してくれる」本は見つからない。

いや、正確に言うと、否定してくれはするけども

それが納得できないのだ。

ぼくの読解能力がないだけならそれでいいんだけど

もしヒマならちょっとぼくの考えを聞いてほしい。








まず1つめのウソ

ぼくが言いたいのは

すべての人間がこれらの方法を実行するのは不可能だということだ。








古今東西のえらい人がみんな同じ結論にたどりつくなら

さっさとそれを実行すればいいのに

なんで同じ内容の本ばっかり書かれていくんだろう。

なんで大昔の本が現在ぼくらの胸に響くのかと聞かれたら

それが人間全体に広くみられる普遍的な問題だからじゃないかなあと思うけど

じゃあ、なんでその普遍的な問題が

大昔から今まで解決されないままなんだろう。






般若心経の新訳を読んだ。

あれもやっぱり8つの方法の言い換えみたいなもんだ。

聖書だってそんなに変わらないかもしれない。

ぼくらはなんで2000年も前の真理がいまだに実行できないの?








そりゃあれじゃないの?

本などの論理的なものほとんど触れないような

感覚で生きている人がすごく多いからじゃないの?








父ちゃんは「男はつらいよシリーズ」が好きで

こないだシリーズDVDツタヤで片っ端から借りてきて

大笑いしながら観ていた。





その中の一作で寅さんの「おいちゃん」が

実は若い頃は文学をやりたいと思っていたと話すシーンがある。





おいちゃんは父親にこう言われたらしい。







「団子屋に文学なんか必要ない」







男はつらいよシリーズフィクションだけれど、

しかに団子屋に文学はべつに必須ではないとおもう。

団子屋は文字より数字数字より団子が読めればいい。

団子屋が文字を読む必要がないなら、

本なんてまったく読まない人がいてもおかしくないんじゃないだろうか。







これは団子屋だけの問題か?







勉強するくらいなら技術を磨けと教えられた人は

かなり多く存在してるんじゃないのか?

それでなんの不自由もなく生きていけたなら

感覚だけで生きていくことを恥じることもない。

それどころか、論理的なことをバカにさえするかもしれない。






ぼくのお父ちゃん電気会社に勤めている。

難しいことはわからない。

バック・トゥ・ザ・フューチャーを何十回も観てるのに

なにがどうなっているのかいまだに理解できてない。

過去に戻ったり未来に行ったりすると

物語の内容がつかめなくなる。





でもそれがどうした?

父ちゃん電気会社に勤めている。

たんまり儲けている。家族を養っている。

バック・トゥ・ザ・フューチャー理屈がわからなくてもなんの不自由もない。






熱心な仏教徒

敬虔キリスト教徒のうちで

その「教え」に追随する人はいったい何人いるの?





わかりにくいな…。

例えば新興宗教信仰者なんかだと

ただ一つの「救われた経験」を足がかりにして

熱心に信仰する場合があるみたいだけど

その最初の救いを信じていたら

つのまにか犯罪者の仲間入りをしていたことだってあるみたいだ

オウム真理教の元信者のそういうエピソードを読んだことがある)。






大昔の日本の百姓のいったいどれだけが

仏教意図を理解していたんだろう。

念仏を唱えれば救われる」って

そそのかされただけじゃないのか?






文学がわからない団子屋。

バック・トゥ・ザ・フューチャーがわからないお父ちゃん

教えがわからない「熱心な」信仰者。

念仏を唱えるだけの百姓。

そういう人たちがいるかもしれないと思ったことは?






まり、ぼくが言いたいのは

人生を楽に生きる(たった)8つの方法でさえ

読めない人がいるかもしれないということだ。

読んだ人に待ち受けているのは

やるかやらないかの差でしかない。

でも、読んでない人はどうすりゃいい?

つの方法論理的にほとんど正しい気がする。

で、その論理を理解できなかったら?ほったらかし?





ぼくは8つの方法を否定したいわけじゃない。

くり返し言うけど、これらを全ての人間が理解して実践できたら

そりゃあもう素晴らしいことになるとおもう。





でも、現実はそうじゃない。

つの方法をはじめとする人生訓が何を語っているか、よりも

何を語っていないかをもっとよく考えたほうがいい。

この人生訓がなぜいいのかということを

絶望的なまでに理解できない人がいる。

そういう人たちは人生訓が提示されるたびに足場が少なくなっていく。

要するに勉強ができない、感覚で生きている人たちをないがしろにしているのだ。

このたぐいの人生訓すべてが。

掛け算までしかからない子どもに、方程式の素晴らしさを説いているようなもんだ。

上から目線で「こうしたらいいのに」と言ってしまってることになる。

いつまでも掛け算のところでつまづいて

文句ばっかり言ってる子どもはほったらかして先に授業を進めるべきなの?

掛け算のところに戻って教えなおしたほうがいいんじゃないの?






やっと言いたいことの一つが終わった。

冗長になりそうだけど

もうひとつ言いたいことがある。

更に絶望的な想定だ。








理論としては正しいのに極少数の勝ち組しかトクにならない?







さて、こんな文句をどこかで見たことがあるだろうか。



  • 時間は戻ってこない。目の前のことに集中しよう。(今に生きる 以下ry
  • 現実は甘くない。
  • 人のせいにしない。自分の態度を改めよう。
  • 自分ごまかさない。自分うそをつかない。
  • あなたがいなくても代わりはいます
  • 他人の選択で自分が困っても泣かない。
  • 責任を取りなさい。
  • 運、不運のせいにしない。





つの方法をもうちょい過激に言い換えてみた

(まちがってたら言ってください)。

なんかさぁ…

内容自体はそんなに変わらないのに

急にうっとうしくなった気がしない?





どこかで見たことあるなあ…

これどこで見たんやろう…

ああ、そうか








就活の時の企業パンフレットに載ってたわ。







「これ、うちの経営理念やわ」っていう人いる?

こういうことを上司先生や親に言われて

「だから頑張れ」で締めくくられて説教されたことある

その時どんな気分がした?

殺したくなった?

泣きたくなった?





人生を楽に生きる8つの方法

その2つめのウソにして、絶望的な想定はこれである

正義づらした誰かに強制されるのだ。

それが「楽に生きる」とは真逆の事態を連れてくる。

底辺を鼓舞搾取)するための大義名分になってしまう。

ぼくみたいなゴミクズ人間はそのことがよくわかる

(このたぐいの説教は何回も何回も聞かされているから)。

から近づきたくないのだ、こういう人生訓には。

うんざりするのだ。自己嫌悪するのだ。





この想定のたちの悪いところは

その大義名分が「間違ってない」というところだ。

誤解なら間違ってると指摘することはできるけど

これは単に曲解しかない。

各々の解釈の違いでしかない。





冒頭に述べたとおり、8つの方法

ほぼ正しいと思う。楽に生きるためならね。

え?

間違ってないなら実行できない人が無能怠惰なんだから仕方ないって?





wikipediaによると2009年の時点で日本ニート総数63万人

しかだんだん増えている。

彼らがみんな死んでしまえばいいと思うの?

賢くて強い人だけ生き残ればいいと思ってるの?

ニートだけじゃない。実際働いている人でも

これらの大義名分に苦しめられている人はいると思う

(実際これだけの説教レパートリーがあれば人格破壊するには充分すぎるとおもう)。




1つめのウソで挙げた、感覚で生きている人を合わせると

この方法に従えない人はかなり多いんじゃないかと思う

統計を出すつもりはないけど)。






1つめのウソで言及しているような

感覚で生きていて、なおかつこういう人生訓に苦しめられている代表選手

DQNとか低学歴低賃金職人とか派遣社員とかだ。




2つめのウソで言及しているような

搾取され支配され無能呼ばわりされている代表選手

ニートとかひきこもりとか普通会社員とかだ。





こういう人たちはまとめて死ぬべきなのか?

損する人のほうが多くないか





そう考えたら、「人生を楽に生きる8つの方法」が最後の答えだと思えない。

この考え方を否定してもらいたくてそういう本を読んでいた。

でも納得できない。

これでは救いにならない。

でもいつまでも状況に進展がない。

だれか否定してくれよ。

「おまえ間違ってるよ!」って。






1つめのウソについては別の解決策が見当たらないし探そうともしてないけど

(ぼくは感覚で生きる人間ではないからあまり真剣になれない)

2つめのウソはぼくにとっては生死に関わるまさに死活問題だ。

そして、その解決策をこの場で披露することを許していただきたい。






働きたくない働きたくない働きたくない

枠組みを作ろうと思う。

ぼくみたいなクズ人間ものほほんと生きていける枠組みだ。

ほとんど働かなくてもいいような枠組み。

楽観的な言い方をすると、これは収益を生み出せるかもしれない。

そうして、口やかましい人たちを黙らせる

(ぼくはこれが実現できないとリアルに死ぬしかなくなる)。

http://auauai.tumblr.com/post/9080858048

幸せものさしの種類がもっとあってもいいと言うのなら

生き方の種類だってもっとたくさんあってもいいはずだ。






これはブログでも書いてるけど

やりたいことはphaさんのギークハウス構想に似てると思う。





クズ人間を数人集めて家を借りよう。

クズ人間がお互いのクズ性を認めあう場所だ。

クズであることを糾弾されないリアル空間だ。

リア充は入っちゃいけない。怖いから。

ネットのような優しい空間であることを目指す。

優しくて閉鎖的な空間だ。

個人的にはなるべく一人でいたいんだけどそのためのコストが高い。

でも家の外にはクズ人間の敵がわんさかいる。

そういう人と連帯を組むことはしたくない。

じゃあ、ぼくが怖がらずに近づけるのは

同じ穴のムジナであるしかいない。

落伍者うつ病患者社会不適合者、怠け者…

そういう人たちととりあえずお互いを認め合う。

自信を少しずつ取り戻す。

まずはそこからだ。

だって生きていていいんだという相互理解をつくることだ。






心底、世の中に絶望していた。

人生訓の本にはそうあるべき人の生き方が載ってたけど

どれも納得できなかった。







太宰治とかの救われない小説

共感をもたらしてはくれたけど

やっぱり現実はしんどいままだった。







鴨長明吉田兼好良寛みたいに

山の中に草庵でも建てて住もうと本気で思っていた

(いまでもその選択肢を考えてる)。







いくら本を読んでも

現在の恐怖と、わずか数年後の不安を解決してくれるものすらなかった。








でも最近考え方が変わった。

それもやはり本を読んで変わった

(次に挙げるだめ連の本とはまた違う本だ)。








だめ連の本によると

一人の時に負うコストリスク労働量も精神的負荷も、

連帯すると分散される(当たり前か)。

家賃10万円の家を10人で借りたら一人1万円だ。そういうことだ。

だめ連はけっこうハチャメチャなことをやってたみたいだし

近隣の人の援助もあったらしい。

それはちょっとできるかどうかわからない。

でもぼくらにはインターネットというツールがある。

それもだめ連の時よりも更に強力に整備、普及されたものだ。





ニコニコ動画の「歌ってみた」からプロデビューする人がいたり

レゴ作って2chスレ立てるだけでプロビルダーになる人がいたり

自分の顔を毎日撮って繋げただけの動画Youtubeで何万再生もされたり

「ありがとごじゃいます」って歌って動画として公開するだけでテレビに出演できたり





要するに「好き」とか「やってみた」とかの

草の根レベルのちょっとしたアイディアを発表するだけで

負け犬から注目される人になる可能性がぐんと高くなっている。

ということは

そういうしょーもないアイディア収益化する可能性があるのだ。





リスクコストのかからなくて

ちょっとでもおもしろそうなことはなんでもやってみりゃいいのだ。

社会不適合者が集まっているということだけでもちょっとおもしろいかもしれない。





誰が許さなくても本当は関係ないんだよね。

自分が感じる心苦しさより欲求が勝てば、そっちの選択のほうがワクワクするものなはず



冒頭のまとめスレにはこんなレスもある。

心苦しさを飛び越えるほどの、欲求があればぼくらは動ける。

外にある楽しいことに手を出すのは怖いしめんどくさいけど

ネトゲくらいならちょっとやってみようかなーなんて思える。





とりあえずヒマならその家に集まってみて

生きるのに向いてない人がリラックスできる場をつくる。

なんかちょっとやる気出たり、アイディアわいてきたら

そういう人たちの「好き」とか「アイディア」を片手間でネットに発信してみる

(ぼくもいくつかアイディアがある)








奇しくもこの考え方は

人生を楽に生きる8つの方法の6つめに従ったやり方だ。

楽しいことだけを追い求めて生きていくことが可能かどうか確かめたいのだ。





収益化ができてしまえばあとはどうとでもなる。

しかし、生きるのに向いてない人がラクになれる場所

SNSでの付き合いで世界のツラさを「ごまかす」だけじゃない場所だ)

これができるだけでも意味はあると思う。





もうだから早く家借りよう。

とりあえず、ツイッターmixiメールかなんでもいいから連絡をください。

http://twitter.com/yukkun1986/

http://mixi.jp/show_profile.pl?id=25533767&from=navi

breed0902@gmail.com

ぼくは幸運なことに個人情報晒すことはあまり怖くない

(悪いことをまったくやってないってことじゃないけど)。

これが実現できないと絶望するしかない。

ぼくにとっては個人情報なんか出し惜しみしてる場合じゃない。





ぼくらクズ人間同士でつながろう。

もうイヤやねん。働きたくないねん。怖すぎるねんこの世界

たすけてくれよ。「私も怖かった」って言ってくれよ。

怖いよねー(*´・ω・`)(´・ω・`*)ネーって慰め合おうよ。

別に住まんでもいいのよ家には

慰めとか遊びとかアイディアの拠点にするねん。

もう疲れた。

もう待てない。

もう泣きたくない。

誰かが泣くのも見たくない。

ぼくが許せないのは自分と誰かが死ぬことそれだけだ。

きみは死ぬな。

どんなに腐ったような人間でもかまわんから生きてよ。

ぼくだって生きててもなんの価値もない。

それでも生きれるようにしたいのよ。

ぼくもきみも。

これがぼくらの「楽に生きるための一つの方法」じゃないかと思うんだ。






追記

コメントに返事を書く!




なげーよ。

ごめんなさい。短くしようともしてませんでした。

短く的確に書ければいいなと思います

書いていくだけでその練習になればいいななどと虫のいいことを思ってます




誰も強制してないし、できない奴を馬鹿にしてもいない。自意識過剰自分以下を眺めて満足したいだけでは?/「5. 自分がいなくても世界は回る」の「自分」は語り手を選ばないからこそ「楽」につながる

途中で途切れてしまうのでトラックバックとして書きます

2011-07-22

男の趣味評価(偏見大爆発)

無理

風俗お金性的なことをするってのが嫌、病気うつされる)

ギャンブル全般(ゲーセンとかのパチンコは見てて楽しそうだけど)

ネットゲーム(ハマるとリアルをないがしろにすると聞くので怖い)

 

きつい

アイドル(全く興味が持てないので一緒に楽しめそうにない)

低年齢アイドル(同上)

 

許容範囲

お酒(飲めない)

オーディオ(今のところ興味がもてそうにない)

スポーツ(正直スポーツマンとは友達になれそうにない)

登山キャンプアウトドアインドア派)

 

普通

声優

特撮

鉄道

深夜ラジオ

バイク

ファッション

楽器演奏

カラオケ

テーブルゲーム

釣り

 

嬉しい

アニメ漫画全般(おすすめものを教えてくれたらうれしい)

凌辱系アダルトゲーム(凌辱ゲー最高)

ロリアダルトゲームかわいい二次元女の子大好き)

萌えエロフィギュアエロ系は子どもができたら隠してほしいけど、人形は好き。作ってみたい)

同人コミティアとか一緒に参加したら楽しそう)

萌えライトノベルアニメとあるって萌え系に入る? 上条さんかっこいい!)

猫オタ・犬オタ(動物大好き! 話が合うとうれしい。でも爬虫類はちょっと苦手かも)

格闘系orシューティングゲーム(上手い人のプレイを見るのは好き)

熱帯魚きれいな魚は好き)

料理レパートリーが少ないので教えてほしい)

カメラ写真部に入ってたので撮るのは好き)

映画鑑賞全然知らないけど好きな作家さんが映画好きなのでおすすめを教えてほしい)

読書川端康成大好き)

歴史学問知識が増えるのが好きなのでいろいろ話を聞いてみたい)

 

http://anond.hatelabo.jp/20110721143713

2011-07-17

初音ミクLAライブ外国人感想その11

http://anond.hatelabo.jp/20110707195830

 初音ミク現象の持つCGM的側面については、外国人の感想でもしばしば言及されている。しかし、ワールドイズマインならぬWorld is Hers(世界彼女のもの)と題された以下の感想ほど、このテーマを正面から丁寧に描いたものはない。CGMこそ「クリプトン世界にもたらした最大の贈り物」との指摘はとても重要だろう。伊藤社長が主役を演じる世にも珍しい感想、という面からも一読の価値はある。

 urlは以下の通り。

http://www.manganews.info/the-world-is-hers-how-hatsune-miku-is-changing-everything-anime-news-network.html

+++++以下勝手翻訳+++++

世界彼女のもの:初音ミクはいかにして全てを変えたのか

 伊藤博之は自ら説明しようとしていた。

 「ヴァーチャルアイドル初音ミクを生み出した企業クリプトン・フューチャー・メディアのCEOとして、伊藤は人で溢れる大衆文化バンドワゴンの運転席に座っている。そして誰もが興奮しすぎる前に、彼は人々にこのバンドワゴンが何であるか理解させたいと望んでいた。

 「初音ミクは[一つのソフトウエアです」と彼は言う。「YAMAHAが開発したボーカロイド技術を使ったものです。[ボーカロイドは]歌声を作り出すエンジンで、我々はYAMAHAからその技術に基づく製品を開発するライセンスを得ました」

 言い換えれば、ミクのファンであると公言することは、KorgTritonキーボードあるいはフェンダーストラトキャスターギターのファンであるのと似ているのだ。君が応援するのは楽器――PCにインストールしなきゃならないうえに箱にはアニメ風のイラストが描かれているが、でもやはりそれは楽器だ。おまけにボーカロイドというブランドネーム自体はミクや彼女の華やかな友人たちに帰するものというより、むしろ彼らを動かす音声合成エンジンを指している。文字通りに取れば、「ボーカロイドのファン」であるとは、特定ブランドギター弦のファンであるのと同じである

 だが誰がそんな言葉遊びを気にするだろうか? どんな新興サブカルチャーでも、言葉に独自の意味が付きまとうのは普通である今日では「ボーカロイド」はそのイノベーションから花開いた仮想世界全体を示す言葉となっている。ボーカロイドとは作曲家がそのソフトを使って自宅スタジオで作り出した無限レパートリーを持つ曲のことであるボーカロイドとはそれぞれの曲に対応する画像動画ギャラリーであるボーカロイドとはそれらの画像から生まれたあらゆるミームや粗筋であるボーカロイドとはそれぞれ特有のボイスバンクを象徴するキャラクター群のことである。そして誰であれアニメエキスポに参加した者ならこう言うだろう。ボーカロイドとはそれらキャラのあらゆるバリエーションを含む姿にドレスアップしたファン層である

 これこそがクリプトンマーケディング・ディレクター佐々木渉すらも驚かせた口コミ波及効果だ。彼は「ユーチューブニコニコのような動画シェアサイトを通じて[ボーカロイドが]利用されるやり方」に驚いたと話す。「これらのサイトを使って、本当に口コミで仲間の間に広がっていきます。本当に過去に例を見ない[方法で]様々な国で人気を得ています」。つまり、本流エンターテインメントの大半が今なお企業の重苦しい手によって運営されている一方、自力推進型であるボーカロイド本質はあらゆるものをひっくり返したのだ。

 「ある意味、こんな現象相手に取り組む最良の手法を見つけるためもがき続けてきました」と佐々木は話す。「ファンからフィードバックを得るのが最良だと我々は信じてきました……いかに物事に対処するか、ファン層にとって最もよいことのためにどうするかを。急いで金儲けしようとは思っていません」

 クリプトンは、当時まだMP3ですら未発達の技術であり、ユーチューブ誕生に10年も先行し、そしてあらゆるものを可愛いアニメ少女擬人化するアイデアがまだ急増していない1995年設立された。「我々の目的はそもそもボーカロイド仕事にすることでも、[音声合成ソフトを作ることでもありませんでした」と伊藤は話す。「クリプトンは音全般――音と関係するソフト全てを取り扱う企業として設立されました」

 もし伊藤冗談めかして「ミクのお父さん」と呼ぶのなら、彼女の祖父母は最初ボーカロイドエンジン2003年に発表したYAMAHAの面々となるだろう。「そうした技術存在することは知っていましたし、それを使って何かできることがあるんじゃないかと思っていました」と、伊藤は当時について話す。「我々は既にYAMAHAと係わり合いをもっていましたので、彼らと連絡を取りそこから製品を作り出すことができました」

 だが、あたかも完成された合成音声で歌う天使の形でミクが天から降臨してきた訳ではない。彼女の根っこは、伊藤の説明によればとても粗末な形式の音声技術にまで遡ることができる。「日本では[音声合成ソフト結構一般的で、例えば駅などで使われています。そこでは列車の到着がアナウンスされたり、あるいは[乗車している場合]駅名が呼ばれたりします自動応答システムを使う電話はボーカロイドによって動いています」(想像してほしい、ミクの親戚の一人がカスタマーサービス用の電話回線で働く恐ろしいロボ電話であるという事実を)

 「当初[合成された]歌声を使うソフト存在しませんでした」と伊藤は続ける。「そうしたソフトにどの程度の需要があるのか、私には確信が持てませんでした。というか、はっきり言うなら、PCに歌わせることができるソフトを作るのにどんなメリットがあるのか分かりませんでした」

 この疑念こそが伊藤に次の手を講じさせた――それは最終的にはクリプトン歴史で最も賢い一手となった。「2004年、私は最初の[ボーカロイドソフトMeikoを作り、それに漫画風のキャラを付けました。ある人格が歌う[のを真似る]ソフトは人間にとって必要不可欠なものではなかったから、そうしたのです。人々にアピールし人々から愛されるようになるためには人間味を持たせる必要があると考え、そのための最適な手段が漫画キャラのようなものでした。このソフト結構いい成功を収め、そしてもちろん初音ミクの構想へとつながりました」

 そしてその次に起きたことは誰もが知っている。

 おそらく伊藤博之が成功した秘密は、クリプトン創業者である彼が音楽、サウンドエンジニアではなく、ソフト開発者ですらなく、何よりビジネスパーソンだった点にあるのだろう。伊藤は、あなたミュージシャンではないのかと質問されると笑い(彼はミュージシャンではない)、自身が経済を専攻したことを認めた。「音楽とは無関係です」と彼は言う。「ボーカロイドマーケティングに成功するうえで、私は自分が学んだスキルのいくつかを使ったと思います

 アニメエキスポ1日目のキーノート講演で、初音ミクボーカロイドカルトについてスライドショーを使った改まったプレゼンを始める際に、伊藤ビジネスマンとしての本領を発揮した。彼はまず自分が誰で彼の企業が何をしているかについて慣例となっている概要報告を行い、それから公式にクリプトン制作しているボーカロイドキャラクター」(あるいは、厳密に正確さを期するならソフトウエアパッケージというべきか)の一覧を示した。

 2007年8月31日に生まれた永遠の16歳、初音ミクは、今ではショーの目玉に位置している。人気で彼女に次ぐのは鏡音の双子リンとレンであり、彼ら独特の黄色い装飾と少年/少女のペアは、ミクの緑と灰色と同じくらいコスプレ業界では至る所で見かける。だが音楽制作者の視点から見ると最も用途の広い声は2009年製品である巡音ルカのもので、より深い音域と日本語及び英語で「歌う」能力を誇っている。何人かのファンは昔ながらのMeikoKaitoの旗を掲げている。その声は旧世代のボーカロイド技術の上に構築されているが、今なおクリプトンファミリーの中心メンバーである

 クリプトン以外のボーカロイドキャラサブカルチャー世界に入ってきている。たとえば声優中島愛のボイスサンプルに基づき、マクロスFランカ・リーモデルとしたMegpoidや、J-rockスーパースターGacktの声を使ったGackpoidなどがそうだ。より進取の気性に富んだ人々はUtauloid(日本語言葉『歌う』から来ている)と呼ばれるオープンソース音声合成エンジンまでも開発しており、その中で最も有名なのはピンクの巻き毛をした重音テトだ。

 音楽ソフトウエア・パッケージについて、それがまるで本物の人間であるかのように語るのは最初は奇妙に感じられるだろう。しか伊藤最初に作り出した時に予想したように、それこそがこのソフトをかくも魅力的にしている正体なのだ。これらのキャラがもたらした創造性は、伊藤プレゼンで誇らしげに見せびらかした数字によれば、ユーチューブで36万6000件、ニコニコで9万2600件に及ぶボーカロイド関連動画へと結実した。

 そしてこの成長するメタジャンルからあふれ出したマルチメディアコンテンツもある。クリプトンが運営するウェブサイトPiapro(『ピア・プロダクション』の省略形)には、ボーカロイドに触発された45万を超えるテキスト、音楽、及び画像創作物がある。さらに注目に値するのはクリエーターたちがどのように相互に刺激しあっているかだ。コンテンツを共有するポリシーの下、あるPiaproユーザーが音楽を制作すれば、別の誰かがそれを聞いて付随するイラストを描き、さらに別の人がその構想に従って短いアニメ動画作成する。そこでは、サイトルールに従い創始者を適切にクレジットに載せることだけが重要だ。

 何人かのボーカロイドファンはアート世界の彼方まで行ってしまい、エンジニアリングの成果をもたらした。最もよく知られているのは3DアニメーションプログラムMikuMikuDanceで、初音ミクキャラクターモデルを――実際にはどんなキャラクターモデルでも――特定の歌に合わせてリップシンクし踊らせることができる。より繊細な対象を扱っているのがVocaListnerで、本物の人間の歌手によるインプットを分析し、ボーカロイドプログラムのセッティングを自動的にその声にあわせて調整する。思いつきに過ぎない想像の飛躍ですら現実化し得る。初音ミク動画「Innocence」で取り上げられた「Ano Gakki」(『あの楽器』)というニックネームで呼ばれている奇妙な見かけのタッチパネルキーボードも、実際に使える楽器として再現された(それほど野心的でないバージョンならスマホアプリとしてダウンロードできる)。

 これら全てが意味しているのは、ほぼ完全にファンによって運行される賑やかで創造性に富む生態系存在するということだ。究極的にはそれこそクリプトン世界にもたらした最大の贈り物だろう。初音ミクボーカロイドソフトそのものではなく、それらが使われる方法こそがそうなのだ。企業という大領主によってではなく、消費者によって作られた完全なエンターテインメント形式。企業は僅かな道具と規則を与えるだけで、後は椅子に深く腰掛けて次に何が起きるかを見守っている。

 それでもなお、ボーカロイド体験を活気づけるため企業提供するイベントは多数ある。今年はアニメエキスポ日本以外では初となる「ボーカロイドライブコンサート」ミクノポリスホストを務めた。それはステージ上の綺麗なスクリーン投影するCGIアニメーションしかない(ほかならない)が、いい視野角と健全猜疑心の保留があればそのイリュージョンはなお印象的になる。さらに感動的なのはセットリストにある全ての曲が明らかにファンの作ったもの――クリプトンの地下室であくせく働かされるソングライター大量生産した製品ではなく、本物のミュージシャンボーカロイドという媒体を通じて自らを表現したものである点だ。

 だがコンサートはどのような限界が残されているかも暴露した。ミクの魔法は左右双方40度以上の角度では働かなくなった。調整の効かないボーカルは、時に楽器生演奏の下で迷子になっていた。そして音声合成技術のあらゆるイノベーションをもってしても、より繊細な耳にはなおミクが絞め殺されるようなロボットじみた変な声をしているように感じられた。でも、日本では生身のアイドルについてどう言われていると思う? 「アイドルは不完全であってこそふさわしい」。不完全さこそがミクをこれほど魅力的にしている。誰もが進行中の仕事に関与できるからだ。

 どんな未来があるか、誰に分かるだろう? クリプトンは既に英語版の初音ミクソフトが開発途上にあることを約束しているし、日本では新しい改良されたボーカロイドエンジンが開発中だ。それはつまり韓国語ですら歌えるボイスバンクを含んだ新たなキャラの登場を意味している。クリプトンオリジナルボーカロイド製品は、その声に新たな音色をもたらす追加物「アペンド」によって進化を続けている。そしてどこかで我々の誰にも知られていないマッド天才が、ボーカロイド世界永遠に変えてしまうようなアイデアにおそらく取り組んでいる。

 多くの人が知っているように、「初音ミク」という名は「未来最初の音」をもじったものだ。だがボーカロイド文化が広がるにつれ、この名前ますます不正確になっている。彼女はもはや未来の音ではない。彼女はまさに今の音である

+++++勝手翻訳終了+++++

初音ミクLAライブ外国人感想その1「再生の約束」逐語訳

http://anond.hatelabo.jp/20110707195830

初音ミクLAライブ外国人感想その2「再生の約束」フリーダム

http://anond.hatelabo.jp/20110708223459

初音ミクLAライブ外国人感想その3「ミクノポリスのボカレタリアートたちよ、団結せよ!」

http://anond.hatelabo.jp/20110709211718

初音ミクLAライブ外国人感想その4「仮想の歌姫:初音ミクの人気と未来音色

http://anond.hatelabo.jp/20110710234300

初音ミクLAライブ外国人感想その5「オレはAXには行ってないけど、まあとにかく……」

http://anond.hatelabo.jp/20110711212701

初音ミクLAライブ外国人感想その6「ミクノポリス:7月のクリスマス世界征服

http://anond.hatelabo.jp/20110712205546

初音ミクLAライブ外国人感想その7「AX11:ミクノポリスの印象」

http://anond.hatelabo.jp/20110713211501

初音ミクLAライブ外国人感想その8「ミクノポリスコンサートリポート

http://anond.hatelabo.jp/20110714210122

初音ミクLAライブ外国人感想その9「アニメエキスポ初音ミク

http://anond.hatelabo.jp/20110715222900

初音ミクLAライブ外国人感想その10「アニメエキスポ2011(抄訳)」

http://anond.hatelabo.jp/20110716194029

初音ミクLAライブ外国人感想その12「アニメエキスポ2011でのボーカロイド体験」

http://anond.hatelabo.jp/20110719031316

初音ミクLAライブ外国人感想その13「ミク:日本ヴァーチャルアイドルメディアプラットフォーム

http://anond.hatelabo.jp/20110719203237

海外blogに載っていたクリプトンインタビュー

http://anond.hatelabo.jp/20110723142345

2011-04-20

あいさつの魔法』に人気が出る6つの理由

1.あいさつだけで友達が出来るというウサン臭さ

2.あいさつによって発生するのは友達はなく駄洒落をかけた動物たちだけという不条理

3.あいつの語尾のレパートリーが少ないため、同じキャラが二回出てきてしまうというgdgd感

4.ありがとウサギブサイク

5.ポポポポーンという謎の掛け声

6.上記のような不条理を震災二日後に大量に放送した残忍さ

2010-09-20

初音ミクと見せかけの魔法

 海外blog初音ミクについて熱い(長い)文章を書き込んでいるのを見かけたので試しに翻訳してみた。無断翻訳なので匿名で。urlは以下の通り。

http://deliciouscakeproject.wordpress.com/2010/09/20/hatsune-miku-and-the-magic-of-make-believe/

=====以下翻訳=====

 初音ミクと見せかけの魔法

 初音ミク歴史は18世紀のヘタリアイタリアに始まる。

 そこにはバルトロメオクリストフォリって名前のすげえヤツがいた。こいつの得意技は楽器を作ることだった。何でも作ったわけじゃない。当時はひどく弱々しいちっこいもので、しょぼい羽柄が並んだ弦を引っかいて金属的なチャリチャリした音を出すもの、つまり鍵盤楽器を作っていた。いわゆる「バロックミュージック」ってヤツだ。クリストフォリが音楽技師として、また機械技師としてやったのは、弦を異なる強さで叩くハンマーを使った仕組みづくりで、それによって演奏家は小さい音(ピアノ)や大きな音(フォルテ)で演奏できるようになった。だもんで皆それをイタリア語ピアノフォルテと呼んだ。もちろん、今ではお前も俺もそして誰もがクリストフォリの発明品をピアノと呼んでいる。

 イタリアピアノ発明することによって、日本初音ミク発明するための扉を開いた。

  ***

 俺は今、ここサン・フランシスコの150席しかない小さな映画館で、秋のアイドル公演を待っている。チケット完売した「39[ミク][[Sankyu!]] Giving Day」コンサートの上演を見るために、愚かな時間無駄遣いをする連中が集まっている。コンサートじゃ電子的に創造されたポップアイドルつまり緑の髪をした女神が、ゼップ東京コンサート会場で生演奏するバンドにあわせて踊り歌っている様子がスクリーンに映し出されている。それはまるで、一部はライブなんだが、本当はそうではなく、「本物」のボーカロイドコンサートでお目にかかれるのに近いものだった。言ってみればゴリラズを見に行くのとそれほど違いはない。伴奏は本物のミュージシャンが作り出しているが、客が見ているのはいわば巧妙なごまかしの表層であり、音楽に命を持たせるために使われる動くペルソナだ。これがミクの魔法である。それは見せかけの魔法だ。

  ***

 クリストフォリがピアノ発明した頃、J・S・バッハ平均律クラヴィーア曲集を書いた。そこでは要するに鍵盤楽器の各音程間で一通り数学的な調整をすれば、突然どのような調号でも十分演奏できるようになるということが言われている。言い換えれば、何か妙なことをしようとした際にいつも調子はずれの音を出すのではなく、初心者から中級までのピアノの生徒がやらかす糞を抑えるような5フラットとか7シャープとかそういったことが完全にできるようになる。これによって18世紀の鍵盤楽器は初めて、いちいちくそったれな調律をしなおすことなく新しい楽想を試すことができる原始的なワークステーションとなった。

 数十年後、ようやくピアノ価格が下がり十分なほど生産できるようになったことで、それは非常識なほどの大金持ちだけの特別な楽器ではなくなった。代わりにそれは有名な王族たちのような常識的な程度の金持ちが購入できるものとなり、彼らは好んで地元作曲家を雇い自分たち(とその客)を楽しませるために音楽を書かせた。こうした作曲家の一人があのヴォルフガング・A・モーツァルトであり、彼の特別な才能は主に下ネタ女性音楽生徒に対する性欲の面で発揮された。もちろん鍵盤楽器からふざけた音を引き出す才能もあり、その短い人生の間にモーツァルトは最も好きな楽器ピアノに決定した。彼が書いた27のピアノ協奏曲(本当に素晴らしいのは最後の10曲ほど。アニメシリーズのようにモーツァルトレパートリーは後半になるほど良くなった)は、単に協奏曲形態にとって画期的な礎石となっただけでなく、ピアノ音楽の基礎を築いた。モーツァルト協奏曲はこう言っているようなものだ。「これこそピアノにできることだ! ピアノだけでなく、オーケストラと一緒でもいい! まさか今更ハープシコードに戻ろうってんじゃなかろうな?!」

 モーツァルトより後の時代の人間は皆彼に同意した。ひとたび音量の大小を調整できる鍵盤楽器を手に入れてしまえば、弱々しいチャリチャリした機械になぞ戻れっこない。これが230年ほど前の出来事だ。ミクへの道は一日にして成らず。

  ***

 ミクの公演にやって来たファンの男女はいろんな連中の寄せ集めだ。彼らの5分の1ほどは当然ながらボーカロイドコスプレをしている。何人かはケミカルライトまで持ち込んでいる。コンサート全長1080ピクセルの巨大なスクリーンで始まり、全劇場サウンド・システムが炸裂し、観衆は最初はためらいがちに見ていたが、最初のいくつかの歌の後は雰囲気が盛り上がってきた。彼らはスクリーンの中の群衆と一緒にリズムに合わせてケミカルライトを振り、曲が変わると歓声を上げ、各ナンバーが終わると拍手をした。単なる録音と録画じゃねえか、などというたわ言は知ったこっちゃない。理論的にはゼップ東京の群衆だって同じように録画を見ていたんだ。本当に「ライブ」で演奏される音楽など、現代においてはクラシックオーケストラ民族音楽演奏くらいしかないし、それにシンフォニーホールですら今日ではマイクが使われている。誰もが電子的な助けを借りて音楽を聴いている。ひとたび電子機器楽器として受け入れることを覚えてしまえば、ミクを愛するのは簡単だ。彼女モーツァルト魔笛アリアを歌っている動画を聞いてみよう。

http://www.youtube.com/watch?v=gr9fbQzNpqA

  ***

 19世紀欧州で、もしお前がピアノ演奏ができない作曲家だったとしたら、お前は存在していなかっただろう。それはもはや単に大小の音量で演奏できる楽器にとどまらず、巨大な和音構造物であり、多音パッセージワークであり、一人の演奏家の手で「あらゆる音符を見ることができる」ものとなっていた。もしピアノがなければきっと「2人のバイオリニストビオラ及びチェロ奏者各1人をかき集めて旋律が上手く行くかどうか調べにゃならん」てなことが起きていただろう。そしてもちろんチェリストは、ある音符について「どぅんどぅんどぅんどぅんどぅんどぅんどぅんどぅん」と演奏するようお前が何度も何度も何度もお願いするのにうんざりして1時間後にはそこを立ち去ったことだろう。

 少なくともピアノがあれば、お前の小さな指以外に迷惑をかけることなく「どぅんどぅんどぅんどぅんどぅんどぅんどぅんどぅん」とやることができる。

 かくして1800年代においてピアノは中心的な作曲道具となった。そして同時に社会中産階級が暇と屑な時間を持つところまで進化し、そしてもし彼らがスポーツゲーム発明しなければ、彼らは音楽その他を演奏したいと望み、そんでもって家に持ち込むためピアノを注文できるようになった。欧州だけでなく日本でも、少なくともウィリアムペリーが彼らを開国して西洋化が始まった後には、同じことが生じた。基本的にピアノ文明化の証と見なされ、そして有名な山葉寅楠ってヤツがイケてる連中のため日本製ピアノを作り始めた。

 19世紀末20世紀音楽制作にとって黄金時代だった。楽譜を買って他人の歌を演奏する方法で「音楽を作る」こともできたし、あるいは作曲理論について十分に学び自分の曲を創造するというやり方で「音楽を作る」こともできた。そうした取り組みの多くはピアノの周辺で起きた。ピアニストが力を得た。鍵盤があれば、お前はスターになることができた。

 そして、とんでもないことが起きた。

  ***

 ミクだけじゃない。巡音ルカとリンとレンも公演に出てきたぜ! 全ボーカロイドパーティだ。彼らの異なる声質と、ミクと組む様々なやり方は、見事な音の見本集になっている。他のキャラクターが登場するのを見た観客たちは熱狂している。異なるシンセサイザープログラムマスコットに過ぎないにもかかわらず、彼らはまるで我々の友であり家族であるかのようだ。ようつべニコ動を使って彼らを我が家へ招待しよう。彼らの声を我らの生活のサントラにしよう。電子的に作られたアニメキャラが本当のミュージシャンになれるのかって? おk、ならお前に聞いてみよう。魂のない箱がお前の周囲の空気を震わせているけど、それは本当の音楽なのかい?

  ***

 それこそが実際に起きたとんでもないことだ。録音された音楽。録音された音楽こそ、音楽史の中で起きた最悪の出来事だ。

 ひとたび蓄音機を、ラジオを、レコードプレイヤーを、カセットプレイヤーを、CDプレイヤーを持ってしまえば、音楽を楽しむのに「音楽を作る」必要はない。コンサートホールチケットを手に入れる必要もない。単に座って、電気を使った箱にお前を楽しませればいい。ピアノ専門家のための道具に成り下がった。それは淑女が結婚に必要な才能を覚えるためのものに、あるいは子供が(1)それを憎んでいることに気づく(2)両親が子供に才能があることに気づいてプレッシャーを積み上げ始める――まで稽古を受けるものとなった。もし(2)の現象が起きたなら、最後にはピアノを本当の演奏楽器あるいは作曲用の道具として使うようになるだろう。しかしそれはもはや「音楽制作」の中心にはない。

 さらに悪いことにロックギターをポピュラーにしてしまった。ギターが人気になり、ピアノは役立たずとなった。お前が鍵盤楽器を学ぶのは、ビートルズにしてくれるものを持てずバッハベートーベンにしがみつくしかないある種の意気地なしだからだ。誰が決めたルールか知らねえが最低だ。10代のころ、俺はピアノを使ってランキング上位40の曲を弾けたおかげで女の子たちに「いくらか」いい印象を与えられた。けど、結局はクラスの野郎どものうちその曲をギターで弾けるヤツがいつも勝ちやがった。くそったれ。

 だがここで思い出してくれ。俺は、イタリアピアノ発明したことが日本初音ミク発明への扉を開いたと言ってきただろ? ピアノ21世紀に飛び込むときに今一度変革に見舞われたんだ。

http://www.youtube.com/watch?v=-7EAQJStWso

  ***

 もし音楽を生み出す小さな電気の箱が「本物」であるなら、録音済みのコンサートに向かって「アンコール! アンコール! アンコール!」と叫ぶのは極めて正常だ。その音楽はお前を感動させたんじゃないのか? もっと聞きたいと思わないのか? というわけで映画館の観衆はもっともっとと叫び、そして彼らはアンコールを聞けることが分かっていた。なぜならそういう風に録音されていたから。ミクが公演を終わらせるため最後舞台に出てきた時、もう一度鑑賞力のある人々から歓声が上がった。それは人工的なものだが、とことん楽しむため我々はそれを本物だと見なした。まるでドン・コッブが[ネタバレ注意!!]インセプションラストで回転するコマから歩み去るかのように。ミクは夢のような存在だ。サウンド・エンジニアCGアーティスト音楽家が作り上げた美しい夢であり、決して卒業することも年を取ることもスキャンダルを起こすことも業界から追放されることも惑星上から姿を消すこともない完璧アイドルだ。彼女は実際、いくつもの「映像」を持っている。我々は皆、この音楽的見せかけの共犯者だ。過去の聴衆がモーツァルトオペラを、ガーシュウィンミュージカルを、あるいはかのすさまじいレ・ミゼラブルを本物であると信じたように。我々は十分深く信じられるようになるまで偽りの世界を本物だと信じるふりをする。その世界を感じるまで、見せかけの魔法を感じられるようになるまで。

  ***

 ピアノ最後の変革とは、もちろん電子化のことだ。

 真空管からトランジスタを経て迷宮のような電子回路まで。もしピアノの鍵盤が「あらゆる音符を見る」ことのできるインターフェイスだとしたら、それは作曲家に最も未来を感じさせるインターフェイスだ。そして我々にはシンセサイザーキーボードとMIDIコントローラーワークステーション世界が与えられており、そこでは遂にピアノが単なる「楽想を試す場所」から超越した。ちょっとした波形の調整によって、ハンマーと弦の機構に制限されることなくこれらの楽想を正確に響かせることができる。新しい音を作り上げることもできる。楽想の断片を記録し、他の楽想をその上に並べて電子キーボードを個人的な架空オーケストラに仕立てることもできる。ピアノピアノを超えた。それは作曲家の手の延長どころか、作曲家の心の延長となったのだ。

 一つだけ欠けているものがあった。声だ。

 そして、ご存知の通り、日本日本であり、彼らはやってのけた。彼らは人工物を誰よりも巧みに操った。彼らは本物の料理だと見栄えが悪くなるからという理由でプラスチック製の小さな食品サンプルを作った。本物の労働者は間違いを犯しがちだから製造ライン用のロボットを作った。本物の音楽家を家に入れるのは大変だから編曲家のために電子キーボードを作った。そして、人間の声を合成する技術が十分に発達した時、そしてそれが人工音声のためのペルソナ創造するというアイデアと衝突した時、ミクが見せかけの音楽における21世紀スーパースターになるのは当然のことだった。

 中にはボーカロイドというアイデア音楽家の全てを破壊するという人もいるだろう。全ての仕事ソフトウエアがやってくれるのに、誰が人間を必要とするんだ? 俺が思うに、ボーカロイドってのは偉大なる民主化の旗手であり、音楽家のために沢山の扉を開いてくれるカギなんだ。過去において、もしお前が作曲家編曲家あるいはプロデューサーなりたければ、まず自分の曲を書いてそれから演奏家を探し見つけ出すしかなかった。何しろお前の傑作に生命を吹き込みたければ、5人編成のバンド、20人編成のオーケストラ、そして3オクターブ半の音域を持つ歌い手がいないとどうしようもなかったのだから。マジ悲惨。だがミクがいれば誰もが作曲家になれる。誰もが自宅のスタジオで曲を作り、正しい機材があれば、電子機器を使った完全なポピュラーソングを生み出せる。ボーカロイド音楽家仕事を奪うわけじゃない。それまでミュージシャンには決してなれないと思っていた人々の中からミュージシャンを作り出すんだ。動画投稿サイトで毎日そうしたことが起こっているし、こうしたコンサートではそれまで決して聞いたことのないような人々が突然電子王国の宮廷音楽家になれる。非常識なほどの大金持ちだった王家の人々の手にあった手製の楽器から、平民たちの手に握られた緑の髪の女神へ。それがこの大きな3世紀の違いだ。

 何であれ多くの人々が音楽を作ることは、単に大人しく聞いているだけよりもいいことだと俺は信じる。俺は魔法を、ボーカロイドを、ミクを信じている。

=====以上翻訳終了=====

 誤訳は当然あると思う。でも面倒なので修正はしない。

2010-05-02

カラオケ嫌いが3時間カラオケに行った話。

しかも職場の、別の部署の、年上の皆様(つまり、さほど仲良くない人々)と。

30年生きて来たけれど、増田はかれこれ4〜5回ほどしかカラオケに行ったことがない。高校時代、初めて行った時はマイク回されても1回も歌わなかった(歌えなかった)

仕事柄、カラオケに行く機会が本当は多い筈なのだが、よっぽど近しい友人とでないと歌えないし、仲いい友人から誘われても、なんやかんやと理由をつけちゃ断って来た。が、昨日は「もう、どーでもいいや」と思って勇気を出して参加してみた。

カラオケ嫌いな理由のひとつに、「いまどきの歌を知らない(かといって懐メロも知らない)」ってのがあった。レパートリーが異常に少ない。小学生時代、まだカラオケを知らない頃に口ずさんでいたドラマ主題歌とかならかろうじて歌える(可能性がある)のだが、同年代と行くと「古い・・・」「・・・なんでその選曲なんだ?」「その歌手、好きだったっけ?」と突っ込まれるほど一貫性がまったくなし。だが今回、増田以外は40〜50台の男女バラバラなメンツであったため「おそらく増田さんは我々にもわかりそうなものを選んで歌ってるのだろう」と好意的な解釈をしてくれてた・・・ような雰囲気だった。参加者が5人だったので、レパートリーが少なくても時間が持ったことも幸いだった。途中で理由つけて早退しようと企んでいたのだが、なんだかんだでお開きとなるまで3時間同席してしまった。これまでは友人と行っても「あ、終電なんで」とか言って1曲歌って早退が定番だったのに。

幹事だった先輩(子持ち)は昔のアイドルソングや子供の好きなアニメの歌を歌っていたし、最年長の部長陽水からはじまり、何語かわからない歌を連続まくり。「しばり」もないおかげで、人目を気にせず自分も結構適当な曲をマイペースで選べた。

カラオケ嫌いな理由のふたつ目に、音痴なことがある。でも、テレビで「カラオケ大好きタレント」がたまに歌ってるのを見ると「あれ?こんなによくカラオケ行ってる人たちなのに、歌ひどくないか?」と思うことが度々あり、これも、勇気を出すきっかけとなったかも。増田は歌う経験が少ないこともあって音域が狭く、自分の声を思うようにコントロールできないのであるが、別に「音程」や「リズム」を知らないわけではないので、歌いながらズレの修正は可能だった。初めて歌う曲も、自分の音域に合いそうなものをカンで選べた。おかげで、初めて歌ってみた数曲も、「こりゃ次回持ち歌にできるかな?」と自己評価できるぐらいには歌えた。「歌が上手い」と評判の主任さんも、本業歌手でないから当然うまく声が出し切れなかったり、ちょこっと外すこともあった。それを聞いていると、「そーか、適当でもいいんだよね〜」とかまえずに参加できた気がする。

なお、今回の成功の一番の要因だが、アルコール入れてたことかもしれない。増田アルコールに弱いのだが、部屋に入ってから空きっ腹にビールをかけつけ3杯いった。「酔っちゃいました〜あはは〜」といかにも酔っぱらった雰囲気を醸し出していたので、他人の目線も自分の恥ずかしさも気にせずいられたと思う。ま、実際酔ってたけど。

嫌い嫌いといっても職業柄、カラオケに行けたほうがよいのだし、歌うことはストレス解消にもなる。これを機に、いやがらずにもう少し踏み出してみようかなと思った。

こんな体験談が、少しでも、全国のカラオケ嫌いの仲間の参考にでもなれば幸いである。

2010-04-06

5年かけて退化

社会人1、2年目の頃の自分は少ない給料ながらも年間100万の貯金をし、レパートリーも調理環境も乏しいのに毎日弁当をつくり出勤し、帰宅しては翌朝の弁当のおかず兼夕飯を作って食べた。

社会人6〜7年目の現在。かつての固定給よりは月給もあがったくせに毎月のように赤字貯金を切り崩して生活し、魚焼きグリルまでついている立派な台所環境引っ越したというのに、ほぼ毎日、外食をしている。

この生活、なんとかしたい。

赤字の要因:

仕事量の変化と残業(もっとラクな仕事転職はしたいけどこればっかりはね)

・ほぼ毎日の外食に間食(当然高くつくよね)

習い事レパートリーを増やそうと料理教室に通ってしまった)

・住み替え(会社近くに引っ越し、毎月1万ほど高くなった家賃

医療費その他(うつで通院&服薬治療中。そのため料理をつくる気力がない・・・というのは言い訳かもしれんが)

2010-03-10

主夫として貰って欲しい

趣味仕事は分けるべき」ってことでIT系の企業で働いてるんだけど、全然仕事やりがいを感じない。

しかも、今は平社員だから忙しくなければ定時で帰れるんだけど、昇進すると各種報告や事務作業が追加されて21時帰宅デフォ終電帰りも有りになってしまう。

無理だそれは。

誰か主夫として貰ってくんないかな。

家事は全然苦にならないんだ。整理整頓も好きだし、料理レパートリーは少ないけどレシピがあれば他のも作れる。全部任せてもらって構わない。

結婚後も仕事を頑張りたいキャリアウーマン募集中ー

2010-01-10

http://anond.hatelabo.jp/20100110142032

レシピどおりに作るのって、実は大事なんだよ

材料の量ひとつだって適当にやると美味くならない

レシピネットで探せば簡単に見つかるので、それを見てうまく作れたら、レパートリーとして作り方を自分レシピノートに残しておく

確かこんな感じだったかなで作ると、味もその時々だし、失敗するし、忘れるし

2010-01-01

人うぜえ、あああああ

親戚の息子が実家に教材持ってきてたから、勉強しろ、って繰り返し言ってただけで、その親戚の母親が「人のことより自分のことを考えてね」って嫌みったらしく文脈度外視で言うわけね。別に親戚の息子に勉強しろって勧めることに問題はない。その状況で「人のことより自分のことを考えてね」なんていう言葉が出てくること自体おかしいわけで、まあその母親も普段は冷静を装って八方美人にしてるけど、内心は崖っぷちなんだろうな。俺が子供に穏当な口調で勉強しろって言ってただけでそこまでヒステリックな反応を示すんだから。でさ、そういう反応や、可能な会話の範囲に限界があることから推察して、多分内心はギリギリなんだろうけど、普段の見た目はものすごく平静なのよ。どうやったらそういう芸当ができるのか若造の俺には皆目理解できないんですよ。内心崖っぷちな人は正直にオロオロしてたり青ざめていればよいわけでしょ。なんでわざわざ平静を装うのかね。平静だから余裕のある会話ができるかと思っていたら、ちょっとでもナイーブな話題になるとそれとなくカットされたり、予想外にも会話のレパートリーがなくて、頭が混乱するんだが。んでもってそういう具合だから親戚の集まりなんかでも会話は全然発展せず、当たり障りのない言葉の応酬で終了するという、単なるステータス・クオ以外の何物でもないクソ退屈な雰囲気に終始する。ぶっちゃけ人間がたくさん集まってこんな場しかもてないってのが人間社会として終わってるよね。不幸だよね。まず、人の気持ちを経験と勘で察しろとかじゃなくて、今持ってる気持ちを正直に表面に出すところからやり直せよ。

で、その親戚のババアってホント悪意の塊で、悪意でしか言葉を出さないクズなんだよね。まあ俺はエアコンの効いた部屋に居るから、そのババアの灼熱の悪意もシャットアウトできるわけだが、涼しい部屋に居ない人にとっちゃ、中年ババアの口から出てくることほど暑苦しいものはないよ。

2009-12-30

http://anond.hatelabo.jp/20091230183758

お金のことよりも、非コミュなので、子供を無事公園デビューさせてあげられるかどうかが心配です。

料理レパートリーも少ないので、しばらくは、メニューが少なくてもごめんなさい。

でも、近所のスーパー相場は全部調べたりとかはやってるので、予算的にはOKです。

前置きはおいておいて、

主婦は楽な仕事ですね。とは思いません。

楽も出来る仕事だとは思います。

手を抜かないでちゃんとやってる主婦の人は偉いなと思います。

手を抜いて、やってる主婦の人は、なんというか、それそうおうで良いと思います。

2009-12-29

研究者には社会性がないといわれることへの考察

 研究者には社会性のない人が多いという話はよく聞きます。自分大学にいた4年間をみてみると、研究の深いとこまでは何してるかわかんないのですが、しっかりしている人もいたし、そうでない人もいました。それは、約束時間を守る、人と親しくする、挨拶をする、気を配る、自分が間違っていた時には謝るなんてことなど一般的なことです。中には、そういったことのできない(だけなら、まだいいですが・・・)社会性というか社会人として人としてどうなの???とう人も見たり聞いたりしました。例えば、学生を道具のように扱っている、お茶を入れてもありがとうの一言もない、研究しかしない、人と接しない、他人を侮辱する人間性を否定するようなことをを簡単に言ったり、etc.

 それって何でだったんだろう?と今日は考えてみました。



社会性のない研究者タイプ

 恐らくいろんなタイプの人がいる、社会性に関しても、ある人、ない人、出来るけどやってない人、そういった人が、どうやって出来てくるのか?ということを考えてみました。



研究者社会性が無くとも何とかなってしまう

 研究して業績があって、会議や最低限の講義をこなせばどうにかなってしまう(実力主義なこの部分は、個人的に好感がもてます)。周囲にも、社交的でなくて大丈夫な人が多いので許されちゃったり、本人も学ぶ気がない。



出来るけどやんない

 「僕って、理系なんで社会性なくって、イヤ~、人と違うからまいっちゃうなww」みたいなナルシズムがあるタイプ。(これは私がオタリーマンを読んだ時に、この種のナルシズムをプンプン感じて、作者の鼻の穴が開いてる映像が浮かびました。あ これ完全にオタリーマン感想です。)



ニワトリが先かたまごが先か?: 社会性がなかったから研究者になった?

 これが一番に思いついたこと。昔から勉強ができるタイプの友人には、3種類の人がいた。

1.知的探求心、処理能力が高く、勉強が好き(正に研究者向きの性格という感じですかね)

2.ちっちゃい頃はそんなに勉強しなくてスポーツや遊びに夢中で、塾や高校に行きだしてからポテンシャルの高さを発揮する。

3.人付き合いやスポーツは苦手。勉強でなら勝負できる、勉強面でしかやることを見出せない。また、勉強しなければいけないという思い込みが強い。



 1.と2.は持ち前の処理能力の高さが目立つ人たち。

 3.のタイプの人って結構な割合を占めていると思うんですよ。たまに、3.のタイプは、成績いいけどそんな頭良くないよねなんていわれることがあるが、私はそうは思いません。そのタイプでも、本当に頭がいい人はいます。

 ただし、3.のタイプの人の社会性を問われると、根底にある(んではないかと私は思う)劣等感嫌悪感や、思春期青年期の複雑でやや乱暴な世代の中で人付き合いを学ぶ機会を拒否してしまったりで、コミュニケーション技術を育てず、結果的に社会性がなくなってしまうのではないかと思うんです。



(3.になれないタイプ、どこかで勝負できる場所を見つけたいけど、勉強やっても無理だったって場合には、別の場所を見つけることにはなるんだろうけど・・・うーんって感じ。)



 3.の場合、他のレパートリーがないから、勉強に特化して掘り下げることが出来たんだろうし、そのレパートリーの無さが、研究能力を高め、その人を生かしているとも言えなくはないと思う。成長過程で何かしらの傷をおって、人から離れ、それでもそれが本人を生かしているとしたら、その混沌さがまた、人間らしくも思えて、昔理解できなかった大学研究職の方々とも少しは歩み寄れそうな気がしました。

2009-11-01

http://anond.hatelabo.jp/20091101222614

これは俺自身にも提案していることなんだけど、料理教室に通うと一生の財産になるんじゃないかな。週1とかでも。

単にレシピってだけじゃなく、流布してるレシピに書いてない「手際」みたいなものまでつかめるんじゃないかと思うんだ。

さらにレパートリーが増えれば、一週間単位とかで献立が浮かんで、食材をムダなく使えるようになったりするような気がする(あくまで気がするだけ。ほんとうはわからん)。

あと昔、弁当爺が書いてて、ああそうかもと思ったんだけど、お菓子作りと料理はまったく資質が違うみたい。

料理って、ある程度感覚が優れてる人なら、材料とか調味料の分量とか、アバウトでもうまく調節しちゃうじゃない。あれ足りなかったらこれ多めにとか、この順番でやっちゃう場合は先にこれこれをしておくと、とか。

一方、お菓子作りってのは個人の工夫はあるにしても、分量とかはかなり正確に計ってキッチリやるって感じじゃないとうまくいかないらしい。

まあどちらにしろ、習って技術を身につけたいなあと日々思ってます。

2009-10-12

http://anond.hatelabo.jp/20091012171424

誰も知らないような古い歌をあえて歌うという発想はないのですか。

レパートリーに自信がなければ、他人とカブらない選択の方が得だと思うけどな-。

2009-10-11

http://anond.hatelabo.jp/20091011190705

天ぷらがあるから揚げる方はけっこういけるんじゃね?

あとは豆腐の使い方次第でレパートリーをどんだけ増やせるかだと思う。

http://anond.hatelabo.jp/20091011184447

ふっふっふ、ならば野菜と魚のみで料理をするがよい。

その単調なメニューを毎日毎日機械のようにつくりつづける退屈さに嫌気が差すであろう!

 

偏食で魚と野菜しか食わない親父の飯作ってたらほんと嫌気さした。

野菜→煮る・いためる・ゆでる

魚→煮る・生・焼く

これが肉だと、ゆでる・煮る・焼く・いためる・揚げると料理法に幅がでるので作ってるほうもすごく選択肢が広がる。

蒸しがないのは面倒だからやんないという理由だけではあるが、毎食それなりの味のものをそれなりの時間で提供するとなるとレパートリーがおのずと限られてくるのは確かだよ。

2009-10-08

おとこのひとって

どうしてそんなに

塩が好きなの




十分味のしみこんだ、居酒屋のしょっぱい唐揚げの上から醤油をふりまき

おしんこについては「味が足らない」と言い

冗談でその上に醤油をたらせば「……うまい!」とのたまい

ほっけの塩焼きの上にさらに醤油をぶちまき

もちろん塩をふった焼き魚も醤油で蹂躙し

「おいしいんだよこの店」と紹介してくれたお店はしょっぱくて素材の味より醤油味噌の味の方が濃いのです

コンビニ弁当は特に味が濃いとは思わないそうですそんな馬鹿

とんこつラーメンにハマったからといって一週間連続で食うとかありえん




ブラックジョークでこういうものがあるそうです

「夫に疲れた妻は離婚をしようとは切り出さない、ただ、黙って、

 保険金をかけた夫のスープに塩を小さじ一杯追加するだけ」




今なら言える

それは夫を成人病に陥れようとしているのではなく、その夫が塩味が好きだからです!!!

第一気付くだろ!小さじ一杯も塩を追加したら!しょっぱいねっていうだろ!

…………ついキレてしまいました

もちろんそのブラックジョークが、たとえ話だということは承知しております




四年前に結婚した友達が諦め顔で言っていましたっけ

「男にはカレーか肉を与えておけばいいの、味よりも、おかずの見た目が茶色くて腹持ちいいことの方が重要だから」

そのときはフーンと思っていましたがようやく実感できました

奴等に、細かい味は分からない!

しょっぱくて、満腹感が得られるものなら満足なのです!

ゲル状の暖かい料理なら、しょっぱくなくても満足してもらえますが

ゲルゲルしたレシピレパートリーはそんなに多くないのです……




しかし私はなんとかもう少ししょっぱくないものを美味しいと思わせたい

レシピ通りに作っても、容赦なく醤油をかけるおとこのひと………

というか、ぶっちゃけ、奴が特殊なのだと思いますが




そんなにしょっぱいのがすきですか

しょっぱいのんがええのですか

ごはんにだいじなことはのどごしですか

お願いですからもう少しよく噛んでください犬じゃないんですからあなた

よく噛めば素材の滋味がにじみ出てくるんですから





ところでしょっぱくなくて醤油ソースもかけずによくて

男性ウケの良い料理というものは何かありませんかねカレー麻婆豆腐以外で 何か

2009-08-05

暴論:図書館司書資格は必要か?

司書の方には大変申し訳ないが、図書館に「司書」というのは

果たして必要なんだろうか?

石原都知事が「司書っていらないんじゃない?」と物議を醸したらしいが。

現在、都内の図書館では「セルフ貸出システム」の整備が進んでいる。

セルフ貸出が普及すれば、貸出事務の部分は「自動化」されることになる。

返却はブックポストでOK。

そうすると後の主要業務は「延滞管理」と

「この本どこにありますかねえ」という迷子へのサービス

延滞管理は勿論のこと、迷子へのサービスも、司書資格が必要とは思えない。

あと考えられるのが、「蔵書管理」、つまり、限られた予算の中で、

どの本を購入して、どの本を閉架にして、どの本を廃棄するか、という点。

たしかにこの点は、「司書」の腕の見せ所のような気がするが、

「この1年間でどのような本が図書市場に出回った」という情報を有しているのは、

実は国立国会図書館じゃないのか?

であれば、国立国会図書館司書が、

人口100万人の都市であれば、この1万種類の本を選べばいい」

人口1万人程度の小都市図書館であれば、この1,000種類の本を選べばいい」と

アドバイスすればどうか?

人口5万人の稚内市図書館司書と、同じく人口5万人の豊見城市図書館司書が、

同じようなことに頭を悩ませる必要はない。

同程度の規模の図書館の蔵書レパートリー製作は、1名でいい。

というか、国会図書館が蔵書レパートリーを一元管理することによって、

「この本は尼崎図書館にはないが、西宮図書館にはあるから、実質的には不自由しない」

というような「全国的蔵書管理」が可能になる。

むしろ全国レベルアーカイブネットワーク、という観点から考えれば、蔵書政策は

国会図書館が一元管理した方が、蔵書の重複(予算無駄)、蔵書の漏れ(こっちの方が怖い)を

防止できる。

となると、司書の役割といえば、「起業指南」「ビジネス相談」とかになるが、

こういうことを図書館が行うこと自体、おかしな話じゃないか?

仮に公的セクターが行うとしても、市の商工会議所とか商工課が行うべき話だろう。

強いて地方図書館の役割を考えれば、

新聞折込チラシやミニコミ誌等、国会図書館じゃ収集しきれないアーカイブ収集の現場

としての役割は、ありうる。

しかし私見だが、この役割は、地方自治体公文書アーカイブ保管管理作業と

一緒に行った方が効率的になるんじゃないか?

そもそも、一般の利用者で、「司書資格を持った人が居てもらった方がいい」と

感じている人は、どれだけいるのか?

90%以上の利用者が図書館を「無料貸本屋」程度に考えている現状では、

司書はいてもいなくてもいい」のではないか?

2009-08-03

ustream.tvオカルト

ちょっとまえにヒトカラustで中継するってのをやったことがある。

PCLoox U、回線はイモバ、音を拾うためのマイクを外部入力接続


Twitterに曲名をPOSTしたりして、聞いてる人から「あらいい声」とか言われて調子に乗りまくって3時間も歌った。

レパートリーも尽きてきたのでそろそろ帰るかとPCの方を向くと


 PCから声がする。

最初ははっきりとした女性の声

 「だーれー?」

・・・・・・


気がつかないうちにSkypeでも起動していたのかと思いタスクバーを見るが起動しているのはブラウザだけ。

ustはいつから双方向になったんだ?」といぶかしげにPCを見つめるオレ。


その間もPCはぶつぶつつぶやき続けている。

なんかカチャカチャとした音(厨房の音のような?)と男性女性の声。何を言ってるのかはよく分からない。


不思議なこともあるものだと思いつつPCシャットダウンした。



あれはいったいなんだったんだろう?

2009-06-29

習い事中毒な私

子供時代はともかく社会人になってから加速していってる様子で、「何とかセーブしなきゃ金も体力も精神力も危ないぞ」、と思ってはいるのだが、酒やタバコのような中毒性があるのか、なかなか抜け出せないので困っている。ちなみに自分は酒もタバコも嗜まないのでわからないが、禁酒禁煙したいけどできない人というのはこういう気持ちなのかもしれない。

目的は、1モノ作りへの興味、2青春時代に一つの事(部活)しかしていなかったことの後悔、3友達作りってところ。

1はまあ、小さい頃から好きだった延長。ただし出来上がった作品(笑)を整理コレクション展示できるスペースはないから自重しなければ。

2の「部活しか〜」は、それはそれでいろいろな体験ができて意義あるものだとは思っているのだけれど、青春時代にできなかったことを焦って取り戻そうとしているような気がする。

特に大学時代にはサークル(とバイト)漬けで、勉学も励まず旅行もせず、さらに最後の3、4年生では就職活動が人並み以上に長くかかった(氷河期プラスα。自業自得だろうが、内定とるのに4年生の12月までかかった・・・卒論提出2週間前)ために、「単位もとれていちばん動きやすかった4年生の時に何もできなかった」という後悔の思いが強いのだと思う。もちろん学業卒論に対する後悔も多少あるが、さすがにそこまで取り戻す精神力財力(再入学とか大学院云々)はないのを良い事に、潔くあきらめている。

3・・・これが意外と難しいことを実感している。自分性格のせいもあるだろうが、以後、友達作りを習い事開始の口実にすることはできないなと思った。

以下にこれまでの遍歴を述べることとする。

<序章>

習字

期間:小学校1年〜高校2年(週1回)

動機:父親そっくりの汚い字を見たせいなのかはわからないが、母の勧めで始める。たいしてやる気もなかったが特にさぼったりもせず。

結果:だいぶ上達した。学校展覧会では良い賞をもらってさらに上の代表のようなものになったり。習字は辞めても字は毎日書くから、これが一番役立っている。行書はもうほぼ忘れてしまっている気がする。変体仮名とかは読み書きともに忘却の彼方に。

受験を機に辞めたが、せっかくなので師範の資格取れるまでやっても(再開しても)よかったのではないかと時々思うこともある。通っていた教室が遠いので(実家近く)、もう習うつもりはない。

エレクトーン

期間:小学校4年〜6年(週1回)

動機:近所の人から中古で譲ってもらった+友達のお母さんがピアノ教室をやっている関係で始める。

結果:ピアノの人に比べ、基礎練習をほとんどやっていないせいか、今では全く引けない(ピアノだとバイエルとかいうのをやるんでしょ?エレクトーンの人はなぜかそういう基礎をやらない教室だった)。ただし、他の人と比べて結構音感があることは子供心ながら判明した(それが絶対音感かは知らんが、聴音を間違えたことがない)

中学大学時代までずっと部活楽器をやっていたので、全くの無駄ではないかな・・・とは思う。いや思いたいだけか。

<第1章>

陶芸(月2回、3カ月コース)

期間:大学4年の1月〜社会人1年目の4月

動機:前から興味があったが、サークルバイトに明け暮れ習う余裕がなかった。卒業直前、大学バイト先の近くに教室があることが判明したため3カ月お試しコースに申し込んだ。

結果:ひととおり皿とか小鉢とか作った。社会人になってすぐ一人暮らしだったので、自分で作った食器類は今でもだいぶ重宝している。

先生や教室の雰囲気も楽しく、月1回からのコースもあり価格良心的なので今でもやってみたいなとは思っているが、現在の自宅からも職場からも離れた立地と、一人暮らし用の食器類は十分あるので作っても活用できないかな、と思い継続は断念。

●絵画教室

期間;大学4年の3月〜社会人1年目の5月頃(週1回)

・○ット○ッパー見て入会。教室の雰囲気にうっかり惹かれてしまった。

結果:講師引っ越しを機に自然消滅

・絵を描くのは好きだがうまくなったかは不明。楽しかったけどもういいや。

篆刻カルチャースクール

期間:大学4年の3月いっぱい(週1回、全4回の講座)

動機:高校書道時間篆刻をやって楽しかったのだが、満足いくものを作れなかったのを思い出して入会。駅前のカルチャースクール

結果:4個ほど作成。しかし、おす機会、ないんだよね・・・。

・いろいろ作れたし、腱鞘炎気味なのでもういいや。

自動車免許教習所

期間:大学4年の3月〜社会人1年目の夏

動機:本来は大学在学中にとるべき(?)はずだったが機会を逃していたため、卒業間際に慌てて通い始める。「マニュアルにあらずんば免許にあらず」という親の考え+MTATの違いすらわからなかった自分=運転下手なくせにMTコースを選択。

結果:どうにかMT取得。しかしペーパードライバー免許証使う機会は身分証明目的のみ。

・込み合う時期でなかなか予約がとれないうちに社会人になり、土日だけしか通えなかったためえらい時間がかかった。だがこれがきっかけで、「人は、土日だけでもコツコツ積み重ねれば結果が出せるんだ〜」と夢見る始まりになってしまったような。

<第2章>

大学通信教育課程(学芸員

期間:社会人2年目〜現在

動機:その気になれば大学時代に取れた資格なのだが、無知なため「学芸員」という存在すら知らず卒業間際に知ったが後の祭り。通信課程でもとれるらしいということを知り入学。

結果:自分は昔っから通信教育、自宅(自主)学習というものが全くできないタチだというのを忘れてた。自主学習テキストレポート類には全く手をつけていない。当然、資格は取れるわけがないまま学籍を更新し続けている。

・正直、資格をとったところで本気で目指しているわけで、そんな人に学芸員就職口はまずあり得ないのだけれど。スクーリングだけは真面目に行くためスクーリング科目だけは優秀な成績で単位取得だが・・・。

英会話

期間:社会人3年目7月〜今月上旬(始めは週2回、やがて週1回日曜午前に)

動機:一度は習ってみたかった。海外旅行のためと、ライブで好きなアーティストと話したいため。あと数年に1回海外出張当番があるため。

結果:資金不足と休息のため、更新の時期を機に、休止中。貯金ができたらまた行きたいと思っている。関係あるかわからんが、TOEICスコアが100上がった。

・土日は無駄ゴロゴロしがちな自分にとって、日曜午前にしっかり起きる習慣にはなった。気分転換頭の体操(ずいぶん高額な気分転換だなあオイ)。

フィットネス

期間:昨年4月〜現在(週1〜2回)

動機:仕事ストレスからお菓子を食べまくって太り始めた。同時期、上司や取引先の人が立て続けに健康を害して入院といったことが相次ぎ、「自分もこのままでは将来危ない」という思いから入会。

結果:過食が続いたためいったん太ってしまったのだが、危機感を覚えて最近は熱心に動くようになり、体重は戻りつつある。

・実はスポーツは苦手だったのだが、身体を動かしているときは仕事の事を考えないので気分がスッキリして良い。目標体重になったら辞めるつもりなのだが、そこまではなかなかたどりつけない。

料理

期間:昨年10月現在(月1回)

動機:一人暮らしのくせに料理が苦手で、新しく友達作りもできるかな、と思い立って入ってみた。

結果:レパートリーは多少増えて知り合いはできたが友達は・・・。

・こういうのってみんな(最初から)友達同士で入るんだね・・・。

華道

期間:1時間(体験レッスン)

動機:高校大学時代の友人達華道部に入っていたので興味があった。会社近くに教室があるのを知って体験に申し込む。

結果:楽しかった〜。写真撮った後は、お花を持ち帰らせてもらった。

・始めたいけれど、たとえ月1回でもこれ以上増やすのは無謀だと思い、踏みとどまった。

ドイツ語

期間:これから(入門編3カ月のみ)

ドイツ一人旅を機に習ってみたくなり、たまたま近所に格安の教室があるのを知って入会してしまった・・・。さあどうしよう。

2009-06-09

嫁さんが出て行った。(6/9夜、追記した)

「ごめん、私はやっぱり家には向かない。仕事がしたい」

と、言って嫁が出て行ったんだそうだ。ご近所の話。

家には新婚の旦那と、生まれて一年経たない赤ちゃんが残されている。

とりあえず赤ちゃんの面倒はご近所のおばちゃんが見ている。

旦那は茫然自失で、とにかく仕事には行っている。



近所ではもちろん「子供をほって出て行った嫁」の評判は最悪。どん底。挽回不能。

「嫁ありえない」「そんな母親は居ないほうがまし」

「旦那さんも大変ねー」などなど、レパートリー豊富だ。



でも出て行った嫁は高度医療専門職職業人だ。

その手で助けた命も、救った人の数も半端ない。

これからももっと沢山の人を助ける人だ。

命を助けるために粉骨砕身してこれまでがんばってきて

それをに生きがいにしている人だ。

そういう人が働くのって世のため人のためじゃないかな。



この嫁が男だったら、出て行かなくったってよかったんじゃね?と思った。


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一応続き。解決はしてない。

http://anond.hatelabo.jp/20090609223924

2009-06-03

増田の人ってはてな村民だからだろうけどいつも似た批判のしかたするよね。同一人物?と思えるくらい。

例えば、「一般化しすぎ」「お前はそんなに経験したのか?」「お前馬鹿って言われるだろ」という批判は増田特有。

異常なまでにこの傾向が強い。語彙のレパートリーも似たような奴らばかり。

まあ語彙は好きにしたらいいが、批判が単調なのはどうかと思う。ちゃんと相手の論旨を理解してそれに合った批判をして欲しい。

2009-02-21

父に最後に会ったのはいつだろうと思って、記憶を辿ってみた。多分5年以上前になる。

同じ市内に住んでるし、父の住んでるマンションの友達の家にたまに遊びに行ったりはしたけどずっと会ってない。



両親が離婚したのは私が小学生の頃だった。

小さい時、私は自分の殻に閉じこもる子だった(って言っても鬱とかそういうのでなく単にオタク気質だった)ので

その頃読んでた本の内容は覚えていても周囲の様子とかは全然記憶にない。

だから両親がなんで離婚したのか詳しい事情は知らない。

色々父の方に問題があったらしいのだけど、多分父の浮気が引き金だったような気がする。

母は父に黙って私と弟を連れて出て行った。

私は小学校から帰ってきて、家具の減った家を後にランドセルをカゴに入れて新しい家まで自転車をこいだ。

なんとなく寂しかったような記憶はあるけど、母に家を出て行くことを知らされた時に具体的にどう思ったのかは覚えてない。



私は母が世界で一番好きだ。こんなに素敵なお母さんは他にいないと思う。

そんな母が、父の話をする時だけ少し顔を引きつらせる。それが嫌で離婚の詳しい経緯とか理由は全然聞いていない。

所々見える断片から想像するに、あの頃の私が気付かないような所で色々と酷い人だったらしい。

私は母を心から信頼している。ちょっとやそっとの欠点くらいじゃ離婚なんてしない人だと思うし、

ここまで父のことを毛嫌いするようにはならないんじゃないかと思う。

母の周りで当時相談に乗っていた人たちも、あの人はほんとに酷かったと言っている。

母の誇張表現とかでなく、多分父は本当に酷い人だったんだと思う。



両親が離婚して片親になったことで、私にあまりダメージはなかった。

今の私の家は母と私と弟で完成しているし、そこに寂しさは感じない。

でも、最近なんだか父との思い出がぽつぽつ蘇ってくる。

昔、夜寝る前に聞かせてもらったギャグ交じりの昔話が毎晩楽しみだったこととか。

父と弟と三人でした風船バレーでお腹が痛くなるほど笑ったこととか。

うどんくらいしか料理レパートリーはなかったけど、それが物凄くおいしかったこととか。

あれよりおいしいうどんを私は今まで食べたことがない。

今もあの家に一人で住んでいるのかな。もしかしたら再婚とかしてるかもな。

この春から私は大学生になるけど、結局一度も高校制服を父に見せないままになってしまうなと思ったらなんだか無性に悲しい。

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