はてなキーワード: 誤訳とは
(訳注:長文注意。誤訳あったらごめんなさい。教えてもらえたらあとで直します)
村上春樹の作品世界にほぼ浸りきってやろうというつもりだった。
ところがその目論見は外れることになる。
期待していたのは、バルセロナやパリやベルリンのような街だった。
そこでは、市民はみな英語が達者で、さらにはジャズ、劇場、文学、シットコム、フィルム・ノワール、オペラ、ロックといった、
西洋文化のあらゆる枝葉に通じている……そんなコスモポリタンな世界都市を私は期待していた。
誰かに聞いておけば分かっていたはずなのだが、実際の日本はまったくそんな場所ではなかった。
実際に足を踏み入れることができる日本は、どこまでも頑固に、日本的だった。
そう思い知らされたのが地下だったというのは、我ながらよくできていたと思う。
アイロン掛けたてのシャツに包まれ、なんの躊躇もなく地下鉄の駅へと降りて行くや否や、
私は迷子になり、助けを求めようにも英語話者を見つけることができなかった。
最終的には(電車を乗り間違え、馬鹿げた値段の切符を買ってしまい、必死のジェスチャーで通勤客を怖がらせたあと)、
どうにか地上に出てはみたものの、もはやインタビューの時刻はとうに過ぎている。
私は絶望して、目的もなくあちらこちらへとさまよい歩いた(東京にはほとんど標識がないのである)。
そして蜂の巣状のガラス製ピラミッドのような建物の前で途方に暮れていたとき、
ついにユキという村上のアシスタントに見つけてもらうことができた。
あまりにもうかつな、アメリカ人的な私は、村上のことを現代日本文化を忠実に代表する人物として考えていた。
実際には彼は私が思っていたような作家ではなく、日本は私が思っていたような場所ではなかった。
そして両者の関係の複雑さは、翻訳を介して遠くから眺めていたときには想像しえないものであることが明らかになっていった。
村上の新作『1Q84』の主人公の一人は、自らの人生最初の記憶に苛まれており、誰に会ったときにも、あなたの最初の記憶はなにかと尋ねる。
それは3歳のとき、初めて家の門の外に歩き出したときのことだという。
彼は道をてくてくと渡り、溝に落ちた。
流されていく先にあるのは、暗く恐ろしいトンネル。
そこに差し掛かろうかというとき、母が手を差し伸べ、彼は助かった。
「明確に覚えている」と彼は言う。
「水の冷たさ、トンネルの闇、その闇のかたち。怖かった。僕が闇に魅かれているのはそのせいだと思う」
村上がこの記憶を語るとき、私は既視感とともに心の中でくしゃみをするような気持ちを覚えた。
その記憶には聞いた覚えがある、いや、不思議なことにその記憶は自分の中にある、と感じた。
ずっとあとになって分かったことだが、私は確かにその記憶を持っていた。
村上は『ねじまき鳥クロニクル』の冒頭の脇役に自分の記憶を写し込んでいたのだ。
村上を初めて訪問したのは、日本にしてもありえない夏の厳しさの最中、
週の真ん中、蒸し蒸しする午前中のことだった。
その結果、電力、公衆衛生、メディア、政治にも危機が到来した(当時の首相の辞職によって、5年間に5人目の首相が生まれることになった)。
大作『1Q84』の英語訳(そしてフランス語訳、スペイン語訳、ヘブライ語訳、ラトビア語訳、トルコ語訳、ドイツ語訳、ポルトガル語訳、スウェーデン語訳、チェコ語訳、ロシア語訳、カタルーニャ語訳)について話すためだった。
この本はアジアで数百万部を売り上げ、
まだ翻訳が出ていない言語圏ですらノーベル文学賞の噂が囁かれていた。
62歳にして30年のキャリアを持つ村上は、日本文学の最高峰としての地位を確かなものにしている。
疑いなく、彼は母国の表層とかたちを世界に伝える、想像世界の大使となった。
そのことは、関係者には非常に大きな驚きだったと言われている。
アメリカによる戦後占領を受けた1949年の京都、日本の前首都である。
「これ以上の文化混交の瞬間を見つけるのは難しい」と John W. Dower は1940年代後半の日本について書いている。
「これほど深く、予測不能で、曖昧で、混乱していて、刺激的なものは他にない」という。
「瞬間」を「フィクション」に置き換えてみれば、村上の作品を完璧に説明することができる。
彼の物語の基本構造は、互換性のない複数の世界に根を下ろした普通の人生であり、
そこは、さまざまな言語の喧騒に包まれた国際的な港湾都市である。
彼はアメリカ文化、とくにハードボイルド探偵小説とジャズに没頭して十代を過ごした。
二十代のはじめには大企業の序列に入り込む代わりに、髪を伸ばしヒゲを生やして、両親のすすめを押し切って結婚し、借金をして「ピーターキャット」というジャズクラブを東京で開いた。
掃除をして、音楽を聞いて、サンドイッチを作って、酒を注いで、
作家としての村上のキャリアの始まり方は、彼のあの作品スタイルそのものだった。
どこまでも普通の設定で始まり、どこからともなく神秘的な真実が主人公に降りかかり、その人生を根底から変えてしまう。
29歳の村上は地元の野球場の芝生でビールを飲みながら、デイヴ・ヒルトンというアメリカ人助っ人バッターが二塁打を打つのを見ていた。
平凡なヒットだったが、ボールが飛んでいくのを見て村上は天啓に打たれた。
そんな望みはそれまでなかったが、いまや圧倒的なまでだった。
そして彼は書いた。
数ヶ月のちに『風の歌を聞け』を書き上げた。
それは名もなき21歳の話し手が語る小さく凝縮された作品だったが、冒頭から村上らしさが見えていた。
アンニュイとエキゾチシズムの奇妙な混合。
わずか130ページで、その本は西洋文化をぶつ切りにして引用してみせた。
『名犬ラッシー』、『ミッキーマウス・クラブ』、『熱いトタン屋根の猫』、『カリフォルニア・ガールズ』、ベートーベン第三ピアノ交響曲、フランスの映画監督ロジェ・ヴァディム、ボブ・ディラン、マーヴィン・ゲイ、エルヴィス・プレスリー、『ピーナッツ』のウッドストック、サム・ペキンパー、ピーター・ポール&マリー。
以上はごく一部に過ぎない。
そしてその本には(少なくとも英語訳には)日本の芸術の引用がまったくない。
村上作品のこうした傾向は日本の批評家をしばしば苛立たせている。
そして一年後、ピンボール機を取り上げた次の小説を出したのち、執筆に時間のすべてを費やすため、ジャズクラブを畳んだ。
「時間のすべて」という言葉には、村上にとっては余人とは異なる意味がある。
30年を経て、彼は僧侶のように統制された生活を送っている。
すべてが作品を作り出すのを助けるように調整されている。
彼は毎日のように長距離を走り、泳ぎ、健康的な食生活を送り、夜9時には床につき、朝4時に起きる。
そして起床後5、6時間は机に向かい執筆に集中する(2時に起きることもあるという)。
「集中できないとき、人はあまり幸せではない。僕は考えるのが速くないけれど、何かに興味を持てば、それを何年も続けられる。退屈することはない。僕はヤカンのようなものだ。沸かすのに時間はかかるけれど、いつまでも熱い」
そうした日々の湯沸かしが続いていって、世界でも類まれな作品群ができあがった。
30年の歳月を経て積み重ねられたそれには人を虜にする不思議さがあり、様々なジャンル(SF、ファンタジー、リアリズム、ハードボイルド)と様々な文化(日本、アメリカ)をつなぐ位置にある穴を埋めている。
どんな作家にも、少なくともこれほど深くまでは、埋められなかった穴だ。
そして今、とりわげ激しく長い湯沸かしの結実として、もっとも長く、奇妙で、シリアスな本が上梓された。
彼は翻訳者を通して会話するのが嫌いだという。
なまりは強く、落ち着くべき箇所で動詞の活用が劇的に現れたり消えたりする。
とはいえ相互の理解に支障を来たすことはまずない。
特定の熟語("I guess" 「ではないか」、 "like that"「というような」)が、ときたまおかしな位置で使われることがある。
安全な言葉遣いから逸脱するのを楽しんでいる節が彼にはあった。
私たちは東京にある彼の事務所で席を持った。
数人のスタッフが靴を履かず他の部屋で作業をしている。
彼のキャラクターと同じように、アイロン掛けしたばかりのように見えるシャツだった(彼はアイロン掛けが好きだという)。
靴は履いていない。
彼はペンギンのある本の表紙を模したマグカップでブラックコーヒーを飲んだ。
その本とはレイモンド・チャンドラーの『ビッグスリープ』、彼の昔からのお気に入りの小説であり、今日本語訳をしている小説でもある。
話を始めながら、私はあらかじめ用意していた『1Q84』をテーブルの上に置いた。
その本は932ページあり、ほぼ30センチのその厚みは本格的な法律書を思わせるほどだ。
「大きいな」と村上は言った。
「電話帳みたいだ」
今年のはじめの大ニュースはアラブの春。その流れに乗って、思いがけず拡散された記事です。今年はこれに味をしめて翻訳を続けたという感があります。
次は東日本大震災。エコノミストはこの時点でなかなかバランスのとれたことを言っていました。
そしてオサマ・ビン・ラディンが殺される。ちょっと珍しい感傷的なエコノミストの記事でした。
ジャーナル購読料高すぎというアレ。初版では注を省略して公開してしまったことを反省しております。
これを含め Omegle ネタは個人的には面白かったのがいくつもあるのですが、なかなかうまく紹介できてないです。
ウィキペディアが言論統制と戦う。いまは英語版が似たようなことになろうとしてるようです。
ジャーナル購読料高すぎというアレ・第2弾。こちらはちょっと煽りが濃い。
妹さんから見たスティーブ・ジョブズの人生。"We all — in the end — die in medias res."(私たちはみな、最後には、途中で死にます)にはハッとさせられました。申し訳ないことに初版では誤訳が多かった(当社比)ので、あとで色々直しました。
急にdsbdに流れてきたので。
来年はネタ探しに力を入れ、月1くらいでで何かご紹介できればと思っております。
また、今年はあちらこちらに誤訳が目立ったことを反省しております。来年は、辞書や用例にあたることと背景調査を心がけたいと思います。
今後ともよろしくお願いいたします。
スラックティビズム(英: slacktivism)は、「怠け者(slacker)」と「社会運動(activism)」とを掛け合わせた合成語である。努力や負担を負わずに、社会運動めいたことをする行為を指す。
この用語は、社会に意味のある影響を与えていないのに、社会にとって良い活動をしたつもりになる自己満足的行為について、軽蔑を込めて使われている。こうしたスラックティビスト(スラックティビズムにあたる行為をする人)たちの行為は、多くの場合、個人の努力や負担を必要としない。
勝間さんの「まじめの罠」よりこのキーワード1つのほうがインパクトもあるしわかりやすいな。
「まじめの罠」は今年の買って後悔した本ベスト3。勝間さんどうしちゃったんやろうなぁ・・・。
これ、大人向けの本なんですか。
「まじめの罠」というキーフレーズの下、世の中のさまざまな失敗例が語られます。ですが、その「まじめ」が定義されていません。
最初にユダヤ人を大量に処刑したアイヒマンの例が出てきます。アイヒマンはまじめだから残虐な行為を行った、と著者は思いたいようです。ですが、違います。ミルグラムの本を著者は紹介していますが、ミルグラムは誰もが簡単に他人に「服従」することを心理学の実験で示しました。アイヒマンがまじめだったとしても、それが原因ではありません。二つのことが同時に起こったり、一つのものの中にあっりしても、一方が原因で一方が結果とは言えません。「まじめの罠」という著者の結論は著者が紹介したミルグラムの実験結果と矛盾します。読まずに想像で判断したのか。ネットの安直な解説を真に受けたのか。読んだけど理解できなかったのか。とにかく、自分で紹介した本の中身を理解していません。これはかなり恥ずかしいと思います。
クリステンセンの『イノベーションのジレンマ』も「まじめの罠」の例に紹介されています。クリステンセンの主張はまじめにやると失敗する、ではありません。長くなるので詳細は省きますが、その産業に属する企業群を支配する経済的な力学が働き、まじめに努力したとしても、やがて新興のベンチャーに負けてしまうというのがクリステンセンの考えです。まじめに努力しなかったらもっと早く負けてしまうのは言うまでもありません。ラーメン店の競争が激しい中、自分の味を求め新規開業する。これはまじめですか。いいえ、「わがまま」です。自分の好きなことをして儲けたい。そんなに世の中は甘くありません。意図的か無意識か、「まじめ」の定義が変わります。このやり方ならどんなものでも「まじめ」と言えてしまいます。
著者は「まじめの罠」というキーフレーズで、あれも説明できるよ、これも説明できるよ、と言いたいのですが、現実は著者の考えるほど単純ではありません。テレビの水戸黄門のファンは多いと思います。代官と越後屋は徹底して悪い人、搾取される百姓や町人は徹底して良い人。単純だから良いのです。仕事で疲れて帰ってきて、複雑な心理ドラマを観たいと思いますか。この本は普段活字を読まない人には読みやすいと思います。論理が単純だからです。ですが、現実の世界は水戸黄門とは異なります。単純で分かりやすいことと、正確であるということが一致することは稀です。だからこそ、物事を複雑なまま捉えて分析しないといけないのです。でなければ、どんな難しい理論もたとえ話で説明できてしまいます。著者に望むことは引用する文献をしっかり読むこと。著者にオリジナリティがなかったとしても、忙しくて専門書を読む時間がない人のために、原著を原語で(経営学や心理学の本は誤訳が非常に多い)精読して、読者に噛み砕いて説明してくれるなら価値はあると思います。逆に、いい加減な理解で読者に間違った知識を与えてしまうなら、読者は修正に時間が掛かります。その意味でこの本は星一つにせざるを得ません。買うお金、読む時間、間違いを修正する更に長い時間。大変な出費です。
この本には「私(著者)を嫌う人」の紹介とその批判がありますが、その定義も著者に都合の良い、やたら感情的で、論理性に欠如するような議論をする人たちに描かれています。自分が論破しやすい「私を嫌う人」像を作り、それを批判し、結果として自分の正当性を主張する。読者はその定義がそもそも正しいかを自分で検証してほしいと思います。
この本でたった一つ良かった点。自分の間違いを認めるのに躊躇してはいけないということ。人間は自分の間違いを認めたくありません。とくに高いお金を出した場合は価値があると思いたいものです。今までの投資が無駄になりますから。ですが、例えば今まで毒を薬だと信じて高いお金を出して買って飲んでいた人たちも、毒だと知ったらすぐに飲むのを止めるでしょう。正しいことを知ろうと思っても、間違ったことを覚えるなら、毒と変わりません。
この間漫画喫茶でドラゴンボールを改めて読んでみたんだけど、画力が圧倒的だってわかった。
画力だけで、迫力、スピード、臨場感、世界観、全てがなりたってる。
今読むと、ストーリーもセリフも珍しい部分はそうないんだよね。
むしろ、編集に言われるままに新シリーズ新キャラを出し続け場当たり的に続けたんだろうなって感想さえ受ける。
トランクスなんていうふざけた名前のキャラが準主人公でも不自然がないのはさ、あれは実は画力によるとこだったんだよ。
ベジータのセリフも、ベジータの行動も、ベジータがっていう前提がある素晴らしい。
ベジータらしさをどうやって演出してるかっていうと、初出は典型的な悪党だったし、ナメック星ではいきがった小物だったし、じゃあなんで人造人間編からの魅力はどっから来てるんだ?ベジータらしさってどこでわかるんだ?って思えば、恐るべきことに、単純に、絵をみればわかるということ。
ドラゴンボールは戦闘力という強さの数値化を発明したように僕は思っていたんだが、数字よりモブの解説より、なによりも絵で強さを表現するということの凄さ。
外国でウケたってのもわかるわ。
ニンジャがでなくても、サムライがでなくても、誤訳があろうと、識字率が低かろうと、文化的な前提が違おうと、きっと理解できるだろうなって思った。
市村佐登美さんによる翻訳を読んで、
上記増田訳には赤面ものの誤訳がいくつかあったのに気づきましたので、
いまさらながら、こっそり訂正しました。
あと、tsudaさんが拡散したあとだったので訂正するのに気が引けてしまったのですが、
"a better place" は「もっと良い場所」ではなく「天国」(d:id:finalventさん)ですね。
Google エンジニアの Steve Yegge 氏、Google+ への懸念を漏らす
http://japan.internet.com/busnews/20111013/8.html
で記事になってたけど、原文とちょっと要旨が変わっちゃってサービスへの警鐘みたいになってしまってたので、全文訳してみた。くそ長い。お暇な方どうぞ。
(2011/10/19 08:14)ありがたい誤訳の指摘をいただいたので3カ所修正。
Stevey の Google プラットフォームぶっちゃけ話
僕は6年半ばかり Amazon にいて、それから今はそれと同じくらい Google にいる。この二つの会社について強く感じることは(しかもその印象は日々強まるのだけれど)、 Amazon は全てにおいて間違っていて、 Google は全てにおいて正しいということだ。そう、やりすぎな一般化だけど、驚くほど正確だと思う。いやもうとにかくね。百、いや二百のポイントで二つの会社を比較することが出来るだろうけど、僕が正しく覚えていれば、 Google はそのうち三つを除いて優れている。実にある一点に関してはスプレッドシートを書いたんだけど、法務部が外に出すなって言うんだ。リクルーティングは惚れ込んだみたいだけどね。
つまり、まあ簡単に言えば、 Amazon の人事採用プロセスってのは基本的に欠陥品なんだ。だって、チームがチーム毎に、自分達のために人を採用するんだぜ。だから、色々平均化の努力はしてるみたいだけど、採用基準はチームによって信じられないくらいバラバラさ。そんでもって作業工程ってのも腐ってる。ソフトウェア信頼性工学なんてお呼びじゃないし、エンジニアに何でもやらせようとするんだ。コーディングする時間もないくらい。もちろんこれもチーム毎にバラバラで、要するに、運次第ってところ。施しやら困った人を助けるのやら、コミュニティに貢献するのやら、そんなのはもってのほか。ばかにしに行くんじゃなけりゃ、近寄るべきじゃないね。それにまた施設も染みだらけの壁に囲まれた箱みたいな家畜場で、装飾やらミーティングエリアなんてものには一銭も使ってない。給料やら福利厚生なんてのも最悪だ。まして最近じゃあ Google やら Facebook っていうライバルがいるのにね。社員特典なんてものも見たこと無かったな。採用通知の番号を照合して、ハイ終わり。コードベースも悲惨そのもの。エンジニアリング基準ってものがないんだから。チームによっては個別にがんばっていたくらいかな。
公平に言えば、彼らは良いバージョン管理ライブラリシステムを持っていた。これは僕らもまねるべきだし、僕らのところには同様のものが無い、良い pubsub システムもあった。でも多くの部分で彼らが使っていたのは、ステートマシンの情報を RDBMS に突っ込んだり読み出したりするだけのくそみたいなツールの塊だった。僕らならただでも欲しくないようなね。
僕が思うにその pubsub システムとライブラリ管理システムが、まさに Amazon が Google より優れている三つのうちの二つだ。
早期にリリースして、狂ったようにイテレートするってのも彼らのうまいところじゃないかって言うかも知れない。けど逆もまたしかり。彼らは早期にリリースすることを何にもまして優先する。品質保持やらエンジニアリング規則、その他長い目で見たら重要になってきそうなものはみんな後回し。そんなだからたとえ市場で競争相手よりアドバンテージがあったとしても、結局ちょっとしたことをやるのにも問題を起こしちゃうよね。
でも、一つ、そんな政治的な、思想的な、技術的なへまを補うだけの、彼らが本当に本当にうまくやってることがある。
Jeff Bezos は悪名高きマイクロマネージャーだ。彼は Amazon の小売りサイトの1ピクセルまで管理する。彼は以前 Larry Tesler を雇った。 Apple の主任科学者で、たぶん世界で最も有名で尊敬される HCI エキスパートさ。そんでもって、 Jeff は Larry が言ったことを、 Larry が辞めるまで3年間無視し続けた。 Larry は大規模なユーザビリティ研究もやっただろうし、少しの疑いの余地も無く誰もそのひどいサイトを理解できないってことをデモしたに違いない。けれど、 Jeff は1ピクセルたりとも動かさせはしなかった。トップページにぎっちりつまった内容の1ピクセルたりともね。それらはまるで何百万という彼の貴重な子供達なのさ。けれど Larry はそうじゃなかった。
マイクロマネジメントが Amazon が僕らよりうまくやっている三つ目ってわけじゃあない。つまり、まあ、彼らはうまくマイクロマネジメントをやっていたと思うけど、それを強みって言いたいわけじゃ無い。まずは何が起こっているかみんなに理解してもらうための文脈を準備しているだけさ。僕らはこれから、公衆の面前で、 Amazon で働きたけりゃ私に金を払えと言ってのける男について話すわけだからね。誰かが彼に反対したときは、彼は彼の名前入りの小さな黄色いポストイットを手渡して、誰が会社を動かしているかを常に忘れさせまいとする。思うに彼は全くの… Steve Jobs なのさ。ファッションとデザインセンス抜きのね。 Bezos はとんでもなく頭が切れる。誤解しないで欲しい。彼の前じゃ、普通のコントロールフリークなんてヤクが極まったヒッピーみたいなもんだよ。
それである日 Jeff Bezos が指令を出した。まあ彼がいつもやってることなんだけど。その度にみんなはピコピコハンマーで叩かれるありんこみたいに走り回るんだ。でもそのある一度、2002年かそのくらいのことだったと思うけれど、彼は指令を出した。とんでもなく巨大で、目の玉が飛び出るほど重たいやつを。普段の指令が頼んでも無いボーナスに思えるようなやつを。
彼の巨大な指令はこんな感じだった。
1)この時点より、全てのチームはサービスインターフェースを通じて全てのデータと機能を公開すること。
2)各チームは各々そのインターフェースを通じて通信しなければならない。
3)その他の全てのプロセス間通信は許可されない。ダイレクトリンク、他のチームのデータソースから直接データを読むこと、メモリ共有モデル、バックドア、全てを禁じる。ネットワーク越しのサービスインターフェースを経由した通信だけが許可される。
4)使用する技術は問わない。 HTTP 、 Corba 、 Pubsub 、 カスタムプロトコル、何でも良い。 Bezos は気にしない。
5)全てのサービスインターフェースは、例外なく、外部に公開可能なようにゼロから設計されなければならない。すなわち、チームは全世界のデベロッパに向けてインターフェースを公開することができるよう、設計し、計画しなければならない。例外は無い。
6)そうしない者は解雇される。
7)ありがとう!良い一日を!
ハハ!。ここにいる君たち150人ちょっとの元 Amazon 社員ならもちろんすぐにおわかりの通り、7番は僕が付け加えたジョーク。 Bezos は間違いなく君たちの一日なんかに興味ないからね。
それでも、6番は、本当だった。だからみんな一生懸命会社に行った。 Bezos は、さらに上級のチーフ熊ブルドッグであるところの Rick Dalzell に率いられた数人のチーフブルドッグを雇って、成果と進行を監視させた。 Rick は元レンジャーで、陸軍士官学校出身で、元ボクサーで、元 Wal(ごにょごにょ)Mart で拷問のような削減をやってのけた人物で、デカくて愛想の良い、「堅牢なインターフェース」という言葉を連呼する男だった。 Rick は歩き回り、「堅牢なインターフェース」について語り回り、そして言うまでも無く、みんなはいっぱいの進展をし、 Rick にそれを知らせた。
それからの数年間、 Amazon 内部はサービス指向アーキテクチャに姿を変えていった。その変化を形にしている間に、彼らは非常に多くのことを学んだ。 SOA に関する学問や論文は当時もいくつかあったけれど、 Amazon のとんでもない規模からすれば、そんなもの、インディ・ジョーンズに向かって「通りを渡るときは左右をよく見るんだよ」って言うくらいの意味しかない。 Amazon の開発スタッフはその途上でとにかくたくさんの発見をした。そのほんの一部をちょっぴり挙げると、こんな感じだった。
とまあこれらがほんの一例。他にもたくさんの、おそらく何百の、 Amazon が見つけた個別の発見や教訓があった。外部サービスにはおかしなところがいくつもあったけれど、君たちが考えるほどじゃあない。サービスに対して組織するってことは、外部のデベロッパを信用できないのと同じように、お互いを信用することなんてできないんだということを、チームに教えてくれたんだ。
http://hamusoku.com/archives/6109079.html
韓国サポーター「日本の大地震をお祝います」騒動…スポニチの写真「観客の顔を露出させ人格毀損」韓国側が反論報道
571:名無しさん@12周年:2011/09/28(水) 22:32:48.13ID:I3xR+P/L0
http://b.hatena.ne.jp/entry/hamusoku.com/archives/6104514.html
Gl17
これに「言う方が自国の恥」と思うか、「もっと酷いこと言ってやる」と思うか、てのが民度の分かれ目か。
「自国への中傷に大喜びで韓国Dis」する連中がどちらか。
/成る程「お見舞い」の方が文章は繋がるのか。
jollymolly
書き間違いの可能性が十分あるだろうに,「韓国人だから悪意があるに決まっている!」って決めつけて叩くニホン人がいっぱい.みにくい.
flasher_of_thought
真っ先に「誤訳?」と思ったけどなぁ。韓国なら同じ(元)漢字文化圏だから、悪意の可能性も否定しないけど。
真っ先に悪意を嗅ぎ取ったとしたら、たぶん受け取る側の意識にも問題がありそうだ。写し鏡だよ。
okra2
あっちのサイトではこういう輩に一言申しつつも日章旗を掲げる日本のファンにもチクリと言っておりますが
16. ハムスター2ちゃんねる 2011年09月29日 01:49 ID:JUuvN63n0 このコメントへ
> あっちのサイトではこういう輩に一言申しつつも日章旗を掲げる日本のファンにもチクリと言っておりますが
はてなのこれうけたw
マイアミに巨大カタツムリが大量発生、さらにカタツムリ教団まで登場
http://gigazine.net/news/20110920_miami_invaded_by_snails/
すっかり垢抜けない中堅オタニュースサイトになった感のあるGIGAZINEだけど、
久々に見てみたら相変わらずひどい。上の記事のなかに
また、直近の大発生を受けて、新興宗教「カタツムリ教団」が小規模ながら登場しており、アフリカマイマイを治癒力を高める存在としてあがめていると言います。
A more recent introduction several years ago was traced to small religious sects in Miami, where the snails are believed to harbor healing properties.
単にどこかの新興宗教がカタツムリを治療薬として利用したらしい例もある、程度の意味だろ。
これをどう訳せば ”新興宗教「カタツムリ教団」が小規模ながら登場” になるの?
わざとやってるなら東スポ以下のセンスだし、誤訳だとすればアホすぎる。。。
(記事タイトルにまで入れてるんだから、誤訳なんだろうな。。。)
ロケットニュース、ガジェット通信がオタ層を拾いつつ、適度に一般受けするネタを広く扱ってるのに対して、
GIGAZINEはいまだにあの強固な自社サーバー(笑)でこんな個人ブログ以下みたいなことやってるのかと思うとなんとも胸熱。
何がいやって、すべての面においてセンスがなさすぎるんだよ。。。。
職場で英語話すことは一切要求されないけど、最新の技術やサービスのこと調べるのに英語読めないと話にならない。高校時代は英語赤点だったけど、社会人になってから必要に迫られて読んでいるうちに、読むだけならあまり困らなくなった。
ちなみに低学歴。田舎の公立小中高卒。今は高校でもっと真面目に英語の授業うけて置くべきだったと後悔してる。ただ当時の英語の授業がいいものだったのかはわからないので、授業がダメと感じたら独学で英語を勉強したい。田舎の貧乏家庭だったので塾や習い事なんてありえなかったけど、こんなに英語が必要だと知って子供の頃の自分に戻れるなら、小学生から図書館に通うなりして勉強したい。
まず言語やソフトウェアのリファレンスが英語オンリーなことが多い。日本語があっても誤訳が多かったり古いバージョンの翻訳しかなかったり、Webサービスの API の仕様書は英語しかなかったり。
流行ってるWebサービスや技術が英語圏から来る。Twitter だって 4sq だって過去グーグルラボにあった技術だってまず英語しかなかった。日本語サービスは一年後なんて珍しくないし、サービスでさえそうなんだから、技術関係の文書や仕様書は英語しかないのがざら。何かトラブルあって解決法探したら日本語での情報は皆無で英語でならあるなんてしょっちゅうだし。
ちょっと方向性は違うけど、英語だからって避けてると勿体無いネットゲームもある。当然そういう所でバグ報告や要望あげるには英語書けないといけない。知り合いには学校では全然ダメだったが UltimaOnline や EQ や MtG で英語を覚えたってやつが結構いる。チャットとはいえ英語全然ダメってところからネトゲ内の英会話に困らないくらいの英語力になる人がいるのが実践の面白いところ。
このネット使えて当たり前の時代、日本語での情報量 <<<<<<<<<<<< 英語での情報量 なので、英語避けてると全ての情報量において損する。だから直接英語に関係ない仕事でも英語全くダメというのはそれだけ損する。
大げさにいえば情報格差。最近の例でいえば、エジプト、今ならリビアの状況なんか英語圏のメディアのサイトではリアルタイム更新で情報量もすごいのに、日本だと全然報道されねーとかよくある。大震災の時でさえ英語圏のメディアの方が図とか写真とかすごくね?って事があったのは記憶に新しいと思う。
世の中には、英語わからなくても困らないゲームでも UI が英語なだけでプレイできない、インストールの途中で日本語選べるのに言語選択までが英語だから怖くてインストールしない、仕事で DropBox 使いましょうってなったのに英語だから使えないとダダこねる、英語だけのサイトに飛ばされたら何かいてるかわからないから全部危険なサイトに見えてすぐブラウザ閉じるので仕事に必要なソフトウェアを SourceForge から DL してくれない、なんていう人が本当にいる。
いえいえ、反応してくれてありがとう。
その先生は文学部(英文科)の教授で、理系の必修の英語の講義を受け持つこと自体が珍しかったのだけど、
(他のクラスは講師とか非常勤講師とかもっと若くてフットワークが軽い感じの役職だった)
同じ大学っていっても小さな大学で学部間の教授の交流はないのもあり、
「理系=シコシコお勉強するばっかりのつまんないやつ」って意識が講義の合間の人生訓にでてきて
それがむかつくんだわ。
講義自体は真面目な英語の授業で短いながらも文学作品を選んできて一年間かけてやってくれたから、
問題無いんだけどね。
週末に行ってきたイベントだが、ちょっとインパクトが強すぎて、あとたぶん昼から通しで追っかけてるのは自分だけなので、この話誰かに伝えたい!と柄にもなく思ってしまった。
ここまで、日本語でウケを取り、アメリカ人にしか聞こえない英語をしゃべりつつの話。まじありえないレベルの覚悟と実践なんだが・・・!
この人のセッション、ブラジル事情の紹介みたいな話で大ホール側のセッションも覗いてみようかなと思っていた所にこれで、ただちに絶対参加すべきレベルのセッションに格上げされた。こんな人がいるとは。
で、昼休み後の問題のセッション。結局ツイートどころじゃなかったが、こんな感じ:
Javaはあれが酷いとかPHPがとかいう態度でRubyを使うのも無駄だ。
なんという激熱トーク。本当に小さかった南米のRubyコミュニティを仲間と共に成長させ、いまやRubyConf Brazilとか南米で何個もイベントが立ち上がるまでに育てた。この伝道のため、ここ数年で80箇所は回って普及に努めたとかとか。ブラジル事情への関心と関係なく、この熱量を体験できてよかった。
最後の時間オーバー後の「あと一言だけ(本当はあと1分だけと本人は言っていたのだが、わざと誤訳してタイマー役の人に会場から叫んだ自分w)」でどんなにダメだとされていても、諦めずに進めという、過去の偉人が貶められたり失意にあった時代の動画もよかった(もっとも、この話は知っていたのでインパクト自体は薄めだった)。
この後はLTとクロージング。
インパクト強すぎw
これ漫画系展開をバックボーンにしたエンタテイニングなスタイルだと理解せずに真に受けると大変だなと心配になったり。なにしろ上は三行だけど全部通しで書くと
真面目に受け取ったらヤバイ発言多すぎだろ・・・
こ れ が 締 め の 講 演 か よ !
そういえば途中にまどマギネタも入ってた記憶があるのだが、上のインパクトが強すぎてどこかに飛んでった。
その後の高橋さんの最後の挨拶とスタッフを集めてのスタンディングオベーションはちょっとうるっと来た。初参加だから今回の運営自体への思い入れはないのだけど、この回だけでも感激することが多かった。この完成度に達するまでどれだけの努力と熱意が投入されていたかと考えると。
隣の席が実はtdtdsさんでびびってたのだが、最初に立ち上がったのを見て、続く二人目のタイミングが大事!とすぱっと立ち上がってみてよかった。その後前列の人がみんな!立とうよ!みたいにやって一気に雪崩状態。
これで会議は閉幕したのだが、さらにherokuの緊急パーティーが開催され、思い切って行ってみた。まあ、懇親会に輪をかけたリア充な雰囲気でまともに話せなかったのだが、
こんな一日だった。熱かった・・・
初音ミクのLAコンサートに関して、Promise Of Rebirthと題したそこそこ長い感想を外国人が書き込んでいた。正直、随分と難解な表現が多く、翻訳も怪しげになってしまった。書き手のHN(wintermuted)を見るに、本来なら黒丸尚風に訳すべきなんだろうが、とても私には無理。とりあえず訳してみたのを置いておく。無断翻訳なので匿名で。誤訳はあると思う。
なお原文のurlは以下の通り。
http://animediet.net/commentary/mikunopolis-at-ax-2011-promise-of-rebirth
+++++以下無断翻訳+++++
メガゾーン23に出てきた謎めいたヴァーチャルアイドルの原型たる時祭イヴがSFにおける一種の狂信的比喩として想像をかき立てる場面に現れてから四半世紀強ののち、昨夜のアニメ・エキスポにおける比類なきイベントMikunopolisがちょっとした進化的な跳躍を成し遂げた。西洋におけるこの概念の最も著名な派生例がアル・パチーノの穏健な映画[シモーヌ]、及びウィリアム・ギブスンのほとんど遺伝的に接続された精神[小説『あいどる』]を通じた形をしていることを踏まえるなら、数千人のファン(及び間違いなく好奇心旺盛な連中)がオタク世界のデジタル彼女アンドその友人たちと伴にロサンゼルスのノキア・シアターをほとんど埋め尽くすなんてのは、まだまだ先のことだと考えらていたに違いない。不可解にも外部に広がった走査線から、ケミカルライトやネギその他に鮮やかに彩られた通路に至るまで、それはリン・ミンメイだけを認める歓迎の場であった。今なお振り払っている最中である土曜夜のイベント後の残響は、かなり深い思考を私にもたらした。
いつもカリスマチックなダニー・チューによる紹介と、それに伴うダンスロイドの形をしたリズム点火係は、その先に待っているものの興味深い味見役を果たした。この前座は、おそらく秋葉系(Akiba-kei)の空気に慣れていない聴衆にとって、何が次に来るかを示す重要なリトマス試験紙だ。このショーを準備する時間がほとんどなかったことが見て取れる点が、これが日本直輸入の製品であり、一見客に対するちょっとした警告にもなっていた。私自身が見いだした特に重要な点についてはすぐに述べる。
既に日本で有名になっていたコンサートの形式をカンニング済みだった客の大半は、青緑色の髪が次々と繰り出す人気のある曲と、目がくらむようなライブ伴奏(39s Giving DayのDVDで演じたオリジナル奏者の大半、及びこの有名なディスクには含まれていない弦楽器奏者の面々)の混合物を味わった。その間ずっと聴衆は大いなる称賛のためリズミカルにケミカルライトを振り、その動きが最後まで全公演を通じて見られたのは心強かった(こうした行為、及びその概念に対する彼らの長く続いた反応は、米国の聴衆にとっては奇妙に思われるものであることを、私はこの場で認めなければならない)。ボックス席に座り、ステージから1階席、クレーンカメラ、そして複数のカメラで撮ったHDスクリーンのハイライト映像まで含んだ全景を見る。多くのミクのファンかつアーティストが作った聴衆が親しんでいるヒット曲、World is Mineやポッピッポー、サウンド[ママ]、ロミオとシンデレラ、その他多く(どこかでミラクルペイントを彼女に演じて欲しかった)は、オープンソースな現象がほんの3年でどれほど広がったかを示している。そして特に歓迎された巡音ルカ、鏡音リン&レンの登場は、観客の熱狂をさらに高めた。センターステージに置かれたほとんど透過性のスクリーンに跳ね返るホログラフィックな投影機は、時にミクが踊りながら少し両端に近づくたびにその限界を示したが、同時にこの海外遠征の短い命に対する理解を伴ってある種の魅力ももたらしていた。
こうした話を正しい文脈の中に置くため、ちょっとした歴史を思い出そう――小さな子供だった私は、おそらくは地元の祭に毎年来ていたレーザーライトを使ったショーを見に行ったおかげでそれを一つの起源として啓示を受け、1980年代初頭に芽吹いてきた新たなテクノロジーに興味を抱いた。そのショーとは、要するに空気で膨らませたドームの中で音楽に合わせて行われたレーザーペインティングで、客は入場料を払い、床に置かれたたくさんのクッションの一つに腰を据えて15分から20分間、まばゆい光の列と、ミッシング・パーソンズやトーマス・ドルビーなどのアーティストの曲に合わせたアニメーションを楽しんだ。今となっては原始的なものに思える――ミュージックPVはいうまでもなく、コンピューターが生み出すアートとアニメーションにつながる想像まで至るには長い道のりがあった。また、こうした地味な傾向が存在しなければ、84年のマクロス映画における楽しいコンサートシーンもある種心を揺さぶるほどのパンチ力は持たなかったと敢えて言うこともできる。私が思うにそれは時代の刻印であるが、同時にライブエンターテインメントがどのように変化していくか数十年にわたる発展を知らせるものでもあり、おそらくは音楽芸術の愛好者がいずれはあるところで分裂に至ることまでも示唆していた。
なぜならこの時代に育った者にとって、アナログからデジタルへ向かう音楽の傾向が何か恐るべきものとみなされ、音楽業界で排斥されたことが一般的な心象として残されているからだ。子供の頃にクラフトワーク、デペッシュ・モード、ジョルジオ・モロダー、YMOやソフト・セルなどのファンだった者にとっては、誰かがシンセサイザーの人工性を嘲り、音楽の自然さを殺すと聞かされるのは珍しくもないことだった。そしてこの議論の中に何粒かの真実が含まれているとしても、それは一方で、当時は多数のコンピューターと故障の懸念とショーを乗り切るためだけに間違いのない注意深さを必要としたこれらのかさばったキーボードから音を創り出す人間の努力と創意工夫を、台無しにしていた。最終的にこの否定的な議論は多くの未来の音楽及び演奏形式に付きまとい、興味深い結末をもたらした。それはまたミクのライブ伴奏をこれほど楽しく必要な要素にもした(ギターの黒田晃年、ベースの田中晋吾、ドラムの折田新、キーボードの安部潤――言及すべき弦楽器部門を除く。いずれもとても素晴らしい)。スタジオミュージシャンは、あらかじめ簡単に録音することもできる演奏に大いに心をこめることになる。新たな道具を愛するアマチュア音楽家と、伝統的なものとの融合実験によって、このショーはさまざまな要素を混ぜたある種の喜んで受け入れられるシチューとなり、ときにいくつか二級品の歌があったにもかかわらず、既存の姿ではなく可能性を約束するものとして機能していた。――以上がショー全体で私が本質的に感じたことだ。
誰も見失わなかったよう望むのなら、この最終目標へと向かうDNAを手に入れることが私にとってベストなのだろう。なぜLAのショーはこれほど意義深いのか、そしてVOCALOID、ミク及びこのようなショーが持つ主要な意味あいとは何か。
さてこれは真に落とし穴的な回答である。なぜならアイドル歌手という概念及びヴァーチャルアイドルに伴う必然的結末まで考えを煮詰めるからだ。我らが今いるのは現実に近づいたキャラクターアニメーションの時代というだけにとどまらず、オープンソース化した大衆文化の可能性がある時代でもあり、我々はオタクの領域を超えて全く新しい何物かになるまで成長しうるアイデアをおそらく目撃している。YAMAHAが今年のNAMMショー[米国で開かれる楽器展示会]で多用途VOCALOIDを紹介したのを見ても、現状はメディアを通じた古い分配モデルが不可避の断末魔を上げるところに達したと敢えて見なせるように思える。スペイン製のソフトから取りだした一つのアイデアを、音楽作成のための輝かしい新たなモデルへと広げ、そして数が多すぎ、時に厄介な日本のアイドル歌手業界を考えた場合に多数の集団に働きかける天才の発案に過ぎないマーケティングにまで、拡大する。終わりなき競争、怪しげな才能、さらに怪しげなマネジメント、生死にかかわる健康上の危険、類似性、そして夢想を維持してほしいというファンからの圧力に満ちた困難な人生――そう、こうしたマーケティング方式とファンに駆り立てられた神話が混じり合って音楽のスーパースターたちにかくあるべしとする任務を押しつけるのは、それこそVOCALOIDにとって理想的シナリオだ――しばしば置き換え可能で、派生的、はかなく、言うまでもなく消耗品であるミューズたちが、変化もましてアイデアも嫌う文化産業のために存在している。
考えてもみてほしい。マイルズ・ダイソンの言葉を言いかえるなら、これこそ決して疲れることなく、興奮状態にもならず、二日酔いで仕事に出てくることもないアイドルだ。彼女はショーを続けなければならないことを知っており、一瞬のうちにコスチュームを変えられる。何よりファンが歌を作り、バンドが彼女の横で演奏しているという2つの理由で、その歌は偉大である。過剰な荷物と期待を持つことなく、アイドルが実行すべきだと期待されるあらゆることをする能力を自ら持つミクの存在そのものが、ある種の輝かしいアンチテーゼなのだ。彼女は文字通り、何でも人々の望み通りになれる。汗一つかくことなく。
そしてこれほど目立つ歓迎を伴う西洋への紹介は、日本人にとってだけではなく夢を共有できる分野を長く求めていた世代にとっても何か極めて特別なことの始まりであり、過保護にされることなくさらなる発展が期待できる約束されたスタートだ。そしてこの夜の感動的な聴衆たちから判断する限り、長きにわたる憧れはついにその実を結んだようだ。
イヴ、シャロン、レイ……君たちの歌がますます現実に近づいてきた……
+++++無断翻訳終了+++++
言うまでもないがシャロンはマクロスプラスのシャロン・アップル、レイはギブスンの小説に出てくるヴァーチャルアイドル、投影麗(Rei Toei)である。
初音ミクLAライブ、外国人感想その2「再生の約束」フリーダム訳
http://anond.hatelabo.jp/20110708223459
初音ミクLAライブ、外国人感想その3「ミクノポリスのボカレタリアートたちよ、団結せよ!」
http://anond.hatelabo.jp/20110709211718
初音ミクLAライブ、外国人感想その4「仮想の歌姫:初音ミクの人気と未来の音色」
http://anond.hatelabo.jp/20110710234300
初音ミクLAライブ、外国人感想その5「オレはAXには行ってないけど、まあとにかく……」
http://anond.hatelabo.jp/20110711212701
初音ミクLAライブ、外国人感想その6「ミクノポリス:7月のクリスマスと世界征服」
http://anond.hatelabo.jp/20110712205546
初音ミクLAライブ、外国人感想その7「AX11:ミクノポリスの印象」
http://anond.hatelabo.jp/20110713211501
初音ミクLAライブ、外国人感想その8「ミクノポリス:コンサート・リポート」
http://anond.hatelabo.jp/20110714210122
初音ミクLAライブ、外国人感想その9「アニメ・エキスポ:初音ミク」
http://anond.hatelabo.jp/20110715222900
初音ミクLAライブ、外国人感想その10「アニメ・エキスポ2011(抄訳)」
http://anond.hatelabo.jp/20110716194029
初音ミクLAライブ、外国人感想その11「世界は彼女のもの:初音ミクはいかにして全てを変えたのか」
http://anond.hatelabo.jp/20110717201147
初音ミクLAライブ、外国人感想その12「アニメ・エキスポ2011でのボーカロイド体験」
http://anond.hatelabo.jp/20110719031316
初音ミクLAライブ、外国人感想その13「ミク:日本のヴァーチャル・アイドルとメディア・プラットフォーム」
ほぼ毎日楽しませてくれる&ここで紹介されてる商品は結構自分にとってヒット。
なのでここのアフィで欲しいもの発見した場合はお礼代わりにアフィ通して買ってる。
毎月膨大に発売されるエロ漫画の雑誌&単行本をほとんど買っていてレビューしてくれてる。
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気に入った作家の作家買いをしたいとき、単行本だけでなく雑誌の些細な掲載情報まで網羅で全部出てくる。
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結構一冊一冊が安くないものなのでこれもプレビュー画像と内容まとめがあるのはうれしい。
ここも、購入を決めた教本は全てここのアフィ通して買ってる。
みんなもお世話になってるサイトのアフィは結構踏んだりしてる?
まあはてな界隈だとお世話になるサイトっていってもプログラムとかそっちのほうが多くて
あんまアフィでどうこうはないのかもしれないけど。
国産の情報は何でも隠蔽というが、海外報道なら信じる、しかし英語は読めない君らに捧げる。
英政府が福島第一原発の事故直後の3月上旬から下旬にかけ、放射線の放出が1986年のチェルノブイリ原発事故を上回ることを想定し、日本から到着した旅客への検査などを計画していたことが分かった。計画は結局、実施はされなかった。英紙ガーディアン電子版が21日報じた。
元記事はこちらな。
あと同じ記事から面白そうな箇所を。ちなみに逐語訳ではなく語順(つまり論理の流れ)をできるだけ保つように訳した。受験英語みたいな杓子定規を適用して「誤訳」と言わないように。実際、受験英語流に訳しても意味は変わらないよ。
Even in this worst case scenario though, the accident was expected to cause less harm than Chernobyl, where the reactor's burning graphite core threw radioactive material high into the atmosphere, and local populations were not evacuated quickly or barred from consuming contaminated milk and other products.
訳:ただしこのような(訳注:チェルノブイリより大量の放射能放出がある)最悪の場合でも、被害はチェルノブイリより下になると予測された。チェルノブイリでは燃え上がる黒鉛が放射性物質を大気中に放出した上、付近住民の非難も牛乳その他の汚染物質の規制も行われなかったからである。
国家社会主義ドイツ労働者党が誤訳であるというのは、アカデミックな世界ではもはや当たり前となっていますが、
未だに浸透してないことがよく分かりました。ナチスドイツ=民族社会主義が常識となるのはいつの日でしょうか。
用語の話以外のことに、うかつに触れるのはあまり好ましくない(正直、眠い目をこすりながらエントリをざっと読んだだけです)ですが、
印象とすると、大陸ヨーロッパ型の社会的市場経済、国家社会経済、民族社会主義、アングロサクソン型自由主義経済
の4つがごっちゃとなって語られているようですね。
混乱を生むのは仕方がないような気もしますが、教養レベルとして認知されて欲しいものです。
結局、大陸ヨーロッパについての教育がほとんどないのが問題の発端なんでしょうね。ナチスドイツの誤訳は、日本語のセンスの問題ですが。
海外のblogで初音ミクについて熱い(長い)文章を書き込んでいるのを見かけたので試しに翻訳してみた。無断翻訳なので匿名で。urlは以下の通り。
http://deliciouscakeproject.wordpress.com/2010/09/20/hatsune-miku-and-the-magic-of-make-believe/
=====以下翻訳=====
そこにはバルトロメオ・クリストフォリって名前のすげえヤツがいた。こいつの得意技は楽器を作ることだった。何でも作ったわけじゃない。当時はひどく弱々しいちっこいもので、しょぼい羽柄が並んだ弦を引っかいて金属的なチャリチャリした音を出すもの、つまり鍵盤楽器を作っていた。いわゆる「バロック・ミュージック」ってヤツだ。クリストフォリが音楽技師として、また機械技師としてやったのは、弦を異なる強さで叩くハンマーを使った仕組みづくりで、それによって演奏家は小さい音(ピアノ)や大きな音(フォルテ)で演奏できるようになった。だもんで皆それをイタリア語でピアノフォルテと呼んだ。もちろん、今ではお前も俺もそして誰もがクリストフォリの発明品をピアノと呼んでいる。
イタリアはピアノを発明することによって、日本が初音ミクを発明するための扉を開いた。
***
俺は今、ここサン・フランシスコの150席しかない小さな映画館で、秋のアイドル公演を待っている。チケットが完売した「39[ミク][[Sankyu!]] Giving Day」コンサートの上演を見るために、愚かな時間の無駄遣いをする連中が集まっている。コンサートじゃ電子的に創造されたポップアイドルつまり緑の髪をした女神が、ゼップ東京のコンサート会場で生演奏するバンドにあわせて踊り歌っている様子がスクリーンに映し出されている。それはまるで、一部はライブなんだが、本当はそうではなく、「本物」のボーカロイド・コンサートでお目にかかれるのに近いものだった。言ってみればゴリラズを見に行くのとそれほど違いはない。伴奏は本物のミュージシャンが作り出しているが、客が見ているのはいわば巧妙なごまかしの表層であり、音楽に命を持たせるために使われる動くペルソナだ。これがミクの魔法である。それは見せかけの魔法だ。
***
クリストフォリがピアノを発明した頃、J・S・バッハは平均律クラヴィーア曲集を書いた。そこでは要するに鍵盤楽器の各音程間で一通り数学的な調整をすれば、突然どのような調号でも十分演奏できるようになるということが言われている。言い換えれば、何か妙なことをしようとした際にいつも調子はずれの音を出すのではなく、初心者から中級までのピアノの生徒がやらかす糞を抑えるような5フラットとか7シャープとかそういったことが完全にできるようになる。これによって18世紀の鍵盤楽器は初めて、いちいちくそったれな調律をしなおすことなく新しい楽想を試すことができる原始的なワークステーションとなった。
数十年後、ようやくピアノの価格が下がり十分なほど生産できるようになったことで、それは非常識なほどの大金持ちだけの特別な楽器ではなくなった。代わりにそれは有名な王族たちのような常識的な程度の金持ちが購入できるものとなり、彼らは好んで地元の作曲家を雇い自分たち(とその客)を楽しませるために音楽を書かせた。こうした作曲家の一人があのヴォルフガング・A・モーツァルトであり、彼の特別な才能は主に下ネタと女性の音楽生徒に対する性欲の面で発揮された。もちろん鍵盤楽器からふざけた音を引き出す才能もあり、その短い人生の間にモーツァルトは最も好きな楽器をピアノに決定した。彼が書いた27のピアノ協奏曲(本当に素晴らしいのは最後の10曲ほど。アニメのシリーズのようにモーツァルトのレパートリーは後半になるほど良くなった)は、単に協奏曲の形態にとって画期的な礎石となっただけでなく、ピアノ音楽の基礎を築いた。モーツァルトの協奏曲はこう言っているようなものだ。「これこそピアノにできることだ! ピアノだけでなく、オーケストラと一緒でもいい! まさか今更ハープシコードに戻ろうってんじゃなかろうな?!」
モーツァルトより後の時代の人間は皆彼に同意した。ひとたび音量の大小を調整できる鍵盤楽器を手に入れてしまえば、弱々しいチャリチャリした機械になぞ戻れっこない。これが230年ほど前の出来事だ。ミクへの道は一日にして成らず。
***
ミクの公演にやって来たファンの男女はいろんな連中の寄せ集めだ。彼らの5分の1ほどは当然ながらボーカロイドのコスプレをしている。何人かはケミカルライトまで持ち込んでいる。コンサートは全長1080ピクセルの巨大なスクリーンで始まり、全劇場用サウンド・システムが炸裂し、観衆は最初はためらいがちに見ていたが、最初のいくつかの歌の後は雰囲気が盛り上がってきた。彼らはスクリーンの中の群衆と一緒にリズムに合わせてケミカルライトを振り、曲が変わると歓声を上げ、各ナンバーが終わると拍手をした。単なる録音と録画じゃねえか、などというたわ言は知ったこっちゃない。理論的にはゼップ東京の群衆だって同じように録画を見ていたんだ。本当に「ライブ」で演奏される音楽など、現代においてはクラシックのオーケストラと民族音楽の演奏くらいしかないし、それにシンフォニー・ホールですら今日ではマイクが使われている。誰もが電子的な助けを借りて音楽を聴いている。ひとたび電子機器を楽器として受け入れることを覚えてしまえば、ミクを愛するのは簡単だ。彼女がモーツァルトの魔笛のアリアを歌っている動画を聞いてみよう。
http://www.youtube.com/watch?v=gr9fbQzNpqA
***
19世紀欧州で、もしお前がピアノの演奏ができない作曲家だったとしたら、お前は存在していなかっただろう。それはもはや単に大小の音量で演奏できる楽器にとどまらず、巨大な和音構造物であり、多音パッセージワークであり、一人の演奏家の手で「あらゆる音符を見ることができる」ものとなっていた。もしピアノがなければきっと「2人のバイオリニストとビオラ及びチェロ奏者各1人をかき集めて旋律が上手く行くかどうか調べにゃならん」てなことが起きていただろう。そしてもちろんチェリストは、ある音符について「どぅんどぅんどぅんどぅんどぅんどぅんどぅんどぅん」と演奏するようお前が何度も何度も何度もお願いするのにうんざりして1時間後にはそこを立ち去ったことだろう。
少なくともピアノがあれば、お前の小さな指以外に迷惑をかけることなく「どぅんどぅんどぅんどぅんどぅんどぅんどぅんどぅん」とやることができる。
かくして1800年代においてピアノは中心的な作曲道具となった。そして同時に社会の中産階級が暇と屑な時間を持つところまで進化し、そしてもし彼らがスポーツやゲームを発明しなければ、彼らは音楽その他を演奏したいと望み、そんでもって家に持ち込むためピアノを注文できるようになった。欧州だけでなく日本でも、少なくともウィリアム・ペリーが彼らを開国して西洋化が始まった後には、同じことが生じた。基本的にピアノは文明化の証と見なされ、そして有名な山葉寅楠ってヤツがイケてる連中のため日本製ピアノを作り始めた。
19世紀末と20世紀は音楽制作にとって黄金時代だった。楽譜を買って他人の歌を演奏する方法で「音楽を作る」こともできたし、あるいは作曲と理論について十分に学び自分の曲を創造するというやり方で「音楽を作る」こともできた。そうした取り組みの多くはピアノの周辺で起きた。ピアニストが力を得た。鍵盤があれば、お前はスターになることができた。
そして、とんでもないことが起きた。
***
ミクだけじゃない。巡音ルカとリンとレンも公演に出てきたぜ! 全ボーカロイドのパーティだ。彼らの異なる声質と、ミクと組む様々なやり方は、見事な音の見本集になっている。他のキャラクターが登場するのを見た観客たちは熱狂している。異なるシンセサイザー・プログラムのマスコットに過ぎないにもかかわらず、彼らはまるで我々の友であり家族であるかのようだ。ようつべとニコ動を使って彼らを我が家へ招待しよう。彼らの声を我らの生活のサントラにしよう。電子的に作られたアニメキャラが本当のミュージシャンになれるのかって? おk、ならお前に聞いてみよう。魂のない箱がお前の周囲の空気を震わせているけど、それは本当の音楽なのかい?
***
それこそが実際に起きたとんでもないことだ。録音された音楽。録音された音楽こそ、音楽史の中で起きた最悪の出来事だ。
ひとたび蓄音機を、ラジオを、レコードプレイヤーを、カセットプレイヤーを、CDプレイヤーを持ってしまえば、音楽を楽しむのに「音楽を作る」必要はない。コンサートホールのチケットを手に入れる必要もない。単に座って、電気を使った箱にお前を楽しませればいい。ピアノは専門家のための道具に成り下がった。それは淑女が結婚に必要な才能を覚えるためのものに、あるいは子供が(1)それを憎んでいることに気づく(2)両親が子供に才能があることに気づいてプレッシャーを積み上げ始める――まで稽古を受けるものとなった。もし(2)の現象が起きたなら、最後にはピアノを本当の演奏楽器あるいは作曲用の道具として使うようになるだろう。しかしそれはもはや「音楽制作」の中心にはない。
さらに悪いことにロックがギターをポピュラーにしてしまった。ギターが人気になり、ピアノは役立たずとなった。お前が鍵盤楽器を学ぶのは、ビートルズにしてくれるものを持てずバッハやベートーベンにしがみつくしかないある種の意気地なしだからだ。誰が決めたルールか知らねえが最低だ。10代のころ、俺はピアノを使ってランキング上位40の曲を弾けたおかげで女の子たちに「いくらか」いい印象を与えられた。けど、結局はクラスの野郎どものうちその曲をギターで弾けるヤツがいつも勝ちやがった。くそったれ。
だがここで思い出してくれ。俺は、イタリアがピアノを発明したことが日本の初音ミク発明への扉を開いたと言ってきただろ? ピアノは21世紀に飛び込むときに今一度変革に見舞われたんだ。
http://www.youtube.com/watch?v=-7EAQJStWso
***
もし音楽を生み出す小さな電気の箱が「本物」であるなら、録音済みのコンサートに向かって「アンコール! アンコール! アンコール!」と叫ぶのは極めて正常だ。その音楽はお前を感動させたんじゃないのか? もっと聞きたいと思わないのか? というわけで映画館の観衆はもっともっとと叫び、そして彼らはアンコールを聞けることが分かっていた。なぜならそういう風に録音されていたから。ミクが公演を終わらせるため最後の舞台に出てきた時、もう一度鑑賞力のある人々から歓声が上がった。それは人工的なものだが、とことん楽しむため我々はそれを本物だと見なした。まるでドン・コッブが[ネタバレ注意!!]インセプションのラストで回転するコマから歩み去るかのように。ミクは夢のような存在だ。サウンド・エンジニアとCGアーティストと音楽家が作り上げた美しい夢であり、決して卒業することも年を取ることもスキャンダルを起こすことも業界から追放されることも惑星上から姿を消すこともない完璧なアイドルだ。彼女は実際、いくつもの「映像」を持っている。我々は皆、この音楽的見せかけの共犯者だ。過去の聴衆がモーツァルトのオペラを、ガーシュウィンのミュージカルを、あるいはかのすさまじいレ・ミゼラブルを本物であると信じたように。我々は十分深く信じられるようになるまで偽りの世界を本物だと信じるふりをする。その世界を感じるまで、見せかけの魔法を感じられるようになるまで。
***
真空管からトランジスタを経て迷宮のような電子回路まで。もしピアノの鍵盤が「あらゆる音符を見る」ことのできるインターフェイスだとしたら、それは作曲家に最も未来を感じさせるインターフェイスだ。そして我々にはシンセサイザー・キーボードとMIDIコントローラーとワークステーションの世界が与えられており、そこでは遂にピアノが単なる「楽想を試す場所」から超越した。ちょっとした波形の調整によって、ハンマーと弦の機構に制限されることなくこれらの楽想を正確に響かせることができる。新しい音を作り上げることもできる。楽想の断片を記録し、他の楽想をその上に並べて電子キーボードを個人的な架空のオーケストラに仕立てることもできる。ピアノはピアノを超えた。それは作曲家の手の延長どころか、作曲家の心の延長となったのだ。
一つだけ欠けているものがあった。声だ。
そして、ご存知の通り、日本は日本であり、彼らはやってのけた。彼らは人工物を誰よりも巧みに操った。彼らは本物の料理だと見栄えが悪くなるからという理由でプラスチック製の小さな食品サンプルを作った。本物の労働者は間違いを犯しがちだから製造ライン用のロボットを作った。本物の音楽家を家に入れるのは大変だから編曲家のために電子キーボードを作った。そして、人間の声を合成する技術が十分に発達した時、そしてそれが人工音声のためのペルソナを創造するというアイデアと衝突した時、ミクが見せかけの音楽における21世紀のスーパースターになるのは当然のことだった。
中にはボーカロイドというアイデアが音楽家の全てを破壊するという人もいるだろう。全ての仕事をソフトウエアがやってくれるのに、誰が人間を必要とするんだ? 俺が思うに、ボーカロイドってのは偉大なる民主化の旗手であり、音楽家のために沢山の扉を開いてくれるカギなんだ。過去において、もしお前が作曲家、編曲家あるいはプロデューサーになりたければ、まず自分の曲を書いてそれから演奏家を探し見つけ出すしかなかった。何しろお前の傑作に生命を吹き込みたければ、5人編成のバンド、20人編成のオーケストラ、そして3オクターブ半の音域を持つ歌い手がいないとどうしようもなかったのだから。マジ悲惨。だがミクがいれば誰もが作曲家になれる。誰もが自宅のスタジオで曲を作り、正しい機材があれば、電子機器を使った完全なポピュラーソングを生み出せる。ボーカロイドは音楽家の仕事を奪うわけじゃない。それまでミュージシャンには決してなれないと思っていた人々の中からミュージシャンを作り出すんだ。動画投稿サイトで毎日そうしたことが起こっているし、こうしたコンサートではそれまで決して聞いたことのないような人々が突然電子王国の宮廷音楽家になれる。非常識なほどの大金持ちだった王家の人々の手にあった手製の楽器から、平民たちの手に握られた緑の髪の女神へ。それがこの大きな3世紀の違いだ。
何であれ多くの人々が音楽を作ることは、単に大人しく聞いているだけよりもいいことだと俺は信じる。俺は魔法を、ボーカロイドを、ミクを信じている。
=====以上翻訳終了=====
誤訳は当然あると思う。でも面倒なので修正はしない。
レッテル魔とかレイプ魔とか規制魔とか、ホントオタク業界の周りは屑ばっかだな。
まぁ周りにクズが寄ってくるってことはオタクどももクズってことなんだろうけれども。
最近は村上隆&あずまんという史上まれなムサイオッサンコンビの話が盛り上がってるぽい。
どーでもいいけどこいつらと比べたらなんかアグネスとかかわいく見える。
規制派なんてのはあるいみドジっ子的な趣があってほほえましく感じる今日この頃であり、
どちらかというと村上隆の振る舞い=原作レイプ魔の方が害はでかい気がする。
いや、誤訳があっても業界が潤うならいいけどあいつ一人勝ちじゃん。意味ないよ。
どうせレイプファンタジーみたいな話をするならこいつにそのレッテル貼ってほしかったよ。
どうせならキラみたいに格好良い人だったら応援したのに。
韓国が首相談話を意図的に「誤訳」、文化財すべて返還要求の声も
韓国の中央日報によると、10日に日本政府が発表した首相談話を、韓国政府が談話の一部内容を意図的に誤訳していたことが分かり、論議を呼んでいる。
首相談話の原文では、「朝鮮王朝儀軌(ぎき)などの朝鮮半島由来の貴重な図書について、韓国の人々の期待に応えて近くこれらをお渡ししたいと思います」とされていたが、韓国政府は「お渡ししたい」の部分を「返還」と訳した。韓国政府は誤訳に対し、「われわれは『お渡し』という言葉を使いたくなかったため、韓国の視点が反映された『返還』という言葉を故意に選んだ」と述べた。
記事では、「返還」は奪ったものを返すことであり、「お渡し」は自分のものを人に与えることを意味するとし、まったく違う意味を持つ言葉であると指摘。さらに、「菅直人首相が『お渡し』という言葉をつかったのは、すでに問題は法律に基づいて解決済みであるからである」とした。
さらに記事では、韓国政府の気持ちも理解できるとしながらも、「他国首相の談話を自らの気持ちに合致するように翻訳するのは良いことではない」と批判。正確に翻訳し、日本政府の考え方を韓国国民に伝え、韓国国民に自ら判断させるべきであると主張した。
一方、中国の環球時報は12日、「首相談話は韓国で予想された効果を得ることができなかったばかりか、逆に怒りに火を注いだ」と報じた。首相談話で文化財をお渡しするとしたことで、「すべての文化財を返せ」との声が上がっており、韓国政府文物局などは、「朝鮮王朝儀軌だけの返還には断固として反対する」と発表した。(編集担当:畠山栄)
( ゚д゚)ポカーン
難しいなぁ、日本語でいうと国語の授業で文法なら習うけど実際に自然な日本語と言うのは主に会話の中で学んでいる方が多くて、良く文法考えるとおかしくね?って使い方は山ほどあるからなぁ。
たとえば、ぜんぜんOKってのは 昔は文法的におかし言っていわれていたけど、今ではアリだし。なんとなく、そういう感覚だよ。
ごめんね。小さい頃からプログラムと一緒に育ってきたから、良くも悪くも母国語感覚でプログラムを扱っているから、基礎知識を勉強すると言う概念が薄い。だから、改めて外国語として学ぶ人の気持ちは良くわかりにくい。
ただ、そういう生い立ちからの経験則でいうと、量だと思う。とにかく、数をこなすこと。そして1例1例事例研究をすること。
日本語の本は、誤訳とかが多いので、なるべく原著を読むか、著者が日本人で訳本じゃないものを探すこと、等かなぁ。
うまく言えないけど、一朝一夕に身につく知識は上辺だけの知識だから、本気でやるなら、焦らずじっくりだと思う。
同じことになっちゃうと思うけど、実務をこなすのが良いと思うよ。最初はアシスタント・見習い・ジュニアあたりで。指導も受けられるだろうし。
いちおうね。10年かけてわかったこと。20年かけてわかったこと。ってのが、あるわけよ。それが一朝一夕でわかられたら、ベテランとしては、うれしいけど、立つ瀬はないw。
わかったつもりになるんじゃなくて、ちゃんと分かるには年単位。そう思って、焦らなければ、だんだんできるようになるよ。ゆっくり、楽しんで。
二人の訳が違いすぎて、原文を読まないと何とも言えん。
ただ
「だれでもだれか他の人に優越感を感じないではいられないもんよ」と彼女はいった。「でもその特権を使うまえに、ちょっとした証拠をみせるもんなのね」
は意味がわからん。
単に駄訳だと思う。
「優越感を感じないではいられない」ってのはその言葉からして内発的なもので、それがどうして外部から与えられるものである「特権」になるのか理解不能。
それにそもそも曖昧すぎる。
漏れがバカだからかな?
村上春樹は「誰かに対して優越感を(以下略)」と「偉そうな顔をする」という内と外をちゃんと分けてるので混乱はない(訳が正しいかどうかはわからんけど)。