はてなキーワード: ネタバレとは
もう10年かそこらくらい、ラーメンズや、小林賢太郎単独の舞台や作品を見ている。
この間も最新作の「うるう」(小林賢太郎の演劇作品、KKPに分類されている)を観てきた。
もちろん、彼らしい、素晴らしい作品だった。彼が38歳のおじさんに片足突っ込んでいる年齢とは思えないくらいの体力を舞台から感じられて、ファンとしてすごく嬉しかった。
でも、思うところがある。
ここのところ、小林さん、新しいことやってない気がする。
Potsunen、小林賢太郎テレビは同じ仕組を使って新しい話を繰り出してることが多い。(もしかしたら目立つので多いと感じるのかもしれない)
うるうもそう。まだ東京公演と大阪公演が残ってるはずだから、ネタバレは避けるけど、僕はこの舞台の随所に散りばめられた「笑い」は彼が「創りだした」「過去の手法」を使ってる部分が多かったと感じた。
僕はもうそろそろ小林賢太郎がつくりだした「新しい」「表現方法」を使った「笑い」を見たい。
そして、うるうを観て、小林賢太郎は、自分で自分自身を収束させようとしているのかなと感じた。
過去自分が創りだした手法を用いて表現し、客席を笑わせる彼を観て、自分も声を上げて笑いながら、ふと、そう思った。
僕の杞憂かもしれないけれど。
いうなれば、ロックバンドの解散前みたいな感じだ。ライブで昔の曲をやり、昔からのファンはしみじみする。解散ライブではそのバンドの集大成、総集編みたいなセットリストで〆る。
ラーメンズ本公演が何年もやらないのは、ファンとしては当たり前のことだ。いつまでもゆっくり待ち続ける。
上に書いたことは僕の思い過ごしであればいい。切に願う。
ちなみに、僕は「男女の気持ち」が一番好きなコントです。
長文注意
迷ってました。
http://anond.hatelabo.jp/20120131004052
後者に決めました。
もちろんサプライズにしたい。
と思ったら、昼間も約束を平気で忘れたりする昨今。
忘れちゃ思いだし、忘れちゃ…を繰り返してる。
さっき、この件を思い出した時、
ここでもう一つ問題が…。
何度カーネーションを観る楽しみを奪われたことか。
そんな妻にサイズを聞いたら、
「ん?
………スイートテンならいらないよ(笑」
(笑ですよ、(笑 !!
もう頭にきて、
「絶対贈んない!」
って言ってやりました。
ええ、言ってやりましたともっ。
くだらない相談にバカにせずコメントをくれた方々、ごめんなさい。
我が家の結婚10周年は、何も形に残るものはなく、終わりそうです。
音声合成DTM製品「VOCALOID2 CVシリーズ」の第二弾である「鏡音リン・鏡音レン」を用いて作られた一連の楽曲作品。詳しくは検索。
小説とか漫画とか劇化もされてるようだけどそっちはノータッチなので除外。なんか詳細設定とか山のようにあるらしいけどあくまで元動画とその歌詞に情報源を絞る。
前者はある国で暴政を敷いた愛らしい王女が革命によって倒されるまでのことを歌った歌、後者はその王女に仕えた召使いの視点から同じ一連の出来事を歌ったもの。
YouTubeとかに死ぬほど転がっているのでこの文章を読む人にはできれば聞いといてほしい。ネタバレを含むので。『悪ノ娘』から先に。
英語版ならEnnという人? が歌ってるやつの歌詞が好きだな。情報量が多くて。
身も蓋もない言い方だけど「売れてる」から。
ニコ文化が中高生とかOTAKU中心に大人気とは知ってましたが劇って。コミカライズくらいまではわからんくもないが劇。
ファンとはいえそこまでのめり込むほどか。何がそんなに優れてるっつーかウケてるのだろう、という話です。
「優れてるからウケてるんじゃねーよ」というお話はあるでしょうがまあそこはおく。ぶっちゃけ「優れてない」点はいっぱい挙げられるし。
たとえば物語終盤の交代劇とかバレねーわけねーからね常識的に考えて、とか。
・仮にも国のトップなんだから、立てるならもっとマシな影武者を立てるのが普通というもので、脱がした瞬間バレるようなのに気がつかないとか革命が総崩れしかねない。
いや史上の狂乱というのは往々にしてそういう熱狂が高じてもはや狂気〜みたいな面があんだろうことは否定しないけど、そんなの後世には物好きな歴史家とかにケツの毛までひんむかれるレベルまで分析されるのが当然なんだからさ。恥ずかしい性癖が伝わっちゃってる為政者が今どんだけいると思ってんの。読んでないけど正直小説版にはクビ落としてから替え玉と判った革命軍の偉いさんとか偽史として押し通してきた『召使』側の話を証明しちゃったアマチュア研究家とかが裏で始末されるドロドロとかがきっとあった! と信じている。三次創作。
・本物も見物に戻ってくんなよ。そこでバレたらすべてがガチで水の泡よ。危険すぎるだろ。
…とか、突っ込みどころはとってもたくさんあるわけなんですね。文化ルーツもしっちゃかめっちゃかだとかそもそも歌詞がちょっと拙いとかね。
にも関わらず、絶賛者とかいっぱいいる作品でもあるわけで。合唱とか英語版とかあって再生回数すごいし。
何がそんなに人を酔わせるのかしら。それがロマンスというものなのか。
いやねーだろ。これロマンスじゃないじゃん。中世の騎士物語とかほんのちょっぴり読んだことあるけどコレジャナイ感すごいじゃん。
三大悲劇って言われてるけど悲劇ですらねーだろと言いたい。少なくともwikipedia曰くの古典主義的・新古典主義的「悲劇」では絶対ない。
それでは「これ」は何なのか?
まあアレじゃん。ジェンダー界隈でいう性役割意識がどうこうとかあと男の娘ブームとかなんかそんな。
あとこれ国家の皮をかぶった家庭悲劇なんですよね。一種のセカイ系というか。
このお話は王家に生まれた男女の双子のうち女が王家に残されて(おそらくは凄い抑圧とか受けて)暴君になって、男はどっか養子とか?出されて召使いとして戻ってきたつーことになっていますが、男をイエに残して女はよそに嫁がせるつーのがどっちかというと鉄板ですよねこういうの。
「なんでそんなことになっちゃったの」というのはきっと小説版とかが政治の派閥抗争がどうのとかに絡めて辻褄つけてると思うのでおいといて、「よくこれでウケたな」ってーのをですね。
この作品は基本的にすごいストレスを(受けたくないに決まってるけど)受けなくてはならない人間が見るとツボに来るようにできてるんスね。
よく何かこう、最近の若者は〜的な文脈で、男が女っぽくなっただの女が強いだのと言われますよね。いや印象だけど。自分の観測範囲内の話だけど。観測範囲内でもいい加減下火っていうか言い古されて説得力がアレな言説だけど。
少なくともこの作中ではまさに男がやるようなことを女がやっているわけで、そこんとこのギャップがウケてるっていうのはあると思うの。
鏡音リンってキャラクタ的には妹系ってんですか? 笑顔がかわいくてドジで〜みたいな感じだと思うんだけど、それが女故子ども故の残酷さみたいなのを全力発揮してるあたりのギャップもあると思う。
そう、彼女は良い為政者ではない。聖母聖女は齢14で「お金が足りなくなったなら〜、愚民共から搾り取れ〜♪」なんて言わない。普通の女でも言わない。
彼女はむしろ聖女みたいな女に恋人取られたら相手の国ごと潰して復讐する程度にはやりたい放題の女のコ☆です。
しかもそのレベルの人格破綻者まで「最初は無垢だった、ホントは彼女は悪くない」的な補足が入るわけです。これもウケたツボだろう。
イエのあれこれとか人間関係でむっちゃ我慢とか強いられてるけど正直破裂したい、けど破裂したらあとが面倒だけど破裂したいけどあああああとか思ってる人間にはとてもツボ。
破裂したい人間がなぜ破裂しないかって、破裂すると崩壊するナニカがあるわけで、この王女の話は破裂してナニカを崩壊させてしまったってことなので「ああ、あんな風にならないためにも我慢がんばらなきゃなー」とか、「私がしてきた我慢は正しかった!我慢しなきゃああなってた!ざまあwww」とかいろいろと解釈できて美味しい。
それだけなら単なる破滅劇なんだけれども、これを悲劇にするのが王女と対になる召使いの存在ですね。『悪ノ召使い』は『娘』よりもあとに発表された作品ですが、何千回単位だった再生回数を100万くらいまで押し上げたらしいっす。
「顔の良く似た」召使いは(内緒になってんのか知らんが)召使いってことになってるが王女と双子です。これをまず物凄く突っ込みたい。王家の血縁が人に使われる側に回ることのあり得なさとか。でもまあそれはいい。
召使いは破裂しそうな王女のそばであれこれ世話を焼くわけです。王女の命令なら惚れた相手も暗殺してくる。それくらい自分を殺している。
ある意味王家という枷つけられてる王女と完全に同類なわけですが、召使いはそれほど人格破綻してないというか暴君的な方向に爆発しそうではない。
彼には「王女のため」という大義があるからです。彼が背負っても良かったモノを彼女に背負わしたら歪んでしまった、王女がこんななってるのは彼にも責任がある。
だからその責任を果たすためなら、ほんのちょっぴりの「自分」も捨てられる。盲目的に尽くせる。
完全に「家庭なるもの」の中で板挟みになるガキそのものですね。あとほんのりとした近親愛。これがツボをつく。
オチはもうその最たるものですね。自分を殺して殺して殺して…の召使いは本当に自分を殺してしまう。王女はその代わりに助かる。
要は例えば機能不全気味家庭のお子様らには神話のように美しい物語だということですおわり。
鏡音リン・レンなるソフトは作中やファン間でも双子ってことになってますが公式的には「鏡に映るもうひとりの自分」的な感じではっきり双子ではないらしい。
というのもなんかこう、意味深ですね。
怖ェなーと思うのがこの作品が世界規模ですごい再生回数稼いでるという事実。
機能不全家庭の子どもにばかりウケてるわけじゃねーとは思うが、でも例えば上で述べたような「この身代わりはあり得ねーだろ常考」みたいな意見はたぶん野暮としてブーイング浴びるだろうし、きっと小説版あたりで「そうするしかなかったんだよ…」みたいなことが切々と説かれていたりして要するに反論として封殺されることが明らかなわけです。
実際には例えば召使いの行動として「二人で一緒に逃げる、最後まで王女のそばにいて守り通す」みたいなのがあっても良かったはずだし一昔前なんてそれで逃げ切れなくて死んじゃってーみたいなのが悲劇のテンプレ化してたような時代があった気がするんですが、そうならない。
何というか、すごい絶望的で、しかもその絶望が絶望のまま肯定されて同類間で共有されてる感がする。
そういう方法で絶望が連鎖して伝播しているような感じがするのです。
漫画家のとり・みき氏の言葉(の引用の引用)だけど、こういうのがある。
人が涙を流すのは必ずしも作品の出来とは関係がないのだ、と。
かつて自分が何かに感動した時にできた涙腺回路のようなものが頭の中にはあって、そこにピタリとはまるような場面だの言葉だのを見聞きしてしまうと、涙というのはどうやら自然に流れる仕組みになっているらしいのである。歳をとると涙もろくなるというのは、つまりそういう回路のパターンが増えているからではないか。
個人的にこれは結構ガチだと思っているんだけど、一点だけズレてる部分がある。
ここで書かれてる涙腺回路の起動スイッチである「感動」っていうのが、自分個人に限っていえば何か崇高なものに触れて心を動かされたとかではなくて単純に傷つけられたときのことを指すようになってんのね。
つまりこの文章に則って言うと、自分はある一定の場面とか言葉だのを見聞きしてしまうと自動的に繰り返し繰り返し傷つくようになってしまっている。
恐ろしいことなんだけれどこの「回路」が結構強固で、俺はこいつを潰しておかないと日常生活が送れないっていうレベルでいろいろと不便。具体的にいうとAED講習で実際の救命現場の録音(子どもが突然心停止して倒れたそばで手当てする人とか救急車呼ぶ人とかその子の名前を狂ったみたいな大声で必死で呼び続ける母親の声)聞いたときとか、アレ本当は命が助かる感動的な場面のはず(「とりあえずはもう大丈夫です」まで録音されてたはず)なんだからすごくイイ話だと理屈では思うしわかってるんだけど生々しいやりとりそのものがあまりにもショッキングでしばらく「親子」みたいなキーワードで突然ぼろぼろ泣くようになって本当に困った。もうすぐ一年になる例の津波関連も未だにいろいろな場面でダメージ。直に被災したわけでもないのに。
閑話休題。
だから例えば映画とか小説なんかで「泣ける」みたいのを売りにしてるのは基本見ない。
そういう作品は大体が回路起動ツボを外していて(かつ、他の例えば大爆笑回路の起動とかには結びつかないので)白けるが故に、そしてごく少数の作品は客観化が十分でツボ自体から適切に距離を取れるが故に、涙腺回路起動までに結びつくことは滅多にないんだが、それでも見ない。
何が楽しくてそんな自傷行為をせねばならんねん。
でも例えばナイフは指を切るだろうとかわかるけど、この作品で泣くようになるだろうとか普通は読んだり聞いたりするまではわかんないわけじゃん。
で、『悪ノ』シリーズも回路の起動スイッチになってしまったので、困ったなー。と思っている。前述の録音ほどの威力はないしもうだいぶ整理して削いだんだけども未だに人前ではこの曲聞けねえ。
あの召使いの台詞で泣かねー奴は人じゃねーみたいなコメントが動画についていたりして、それを「気持ちはわかる」と思ってしまう。
気持ちはわかるけど、実際問題召使い馬鹿だし王女も馬鹿でみんな馬鹿すぎて救いようがないと思う。「崇高なものが犠牲になる」みたいな楽しみ方は視点が狭すぎて阿呆だと思う。
いろんな人が感動してファンになって翻訳とかされてるのはわかるけど、作品としては全然優れてないと思うのです。
他の作品と比較してどうとかではなく、あの物語自体にもっと洗練の余地があるということ。
そして洗練されるとたぶんあれは悲劇オチ(と取ってつけたようなハッピーエンド後日談)じゃなくてちゃんと喜劇にもなれたはずだなー、悲劇にしてももっとレベルの高い悲劇になれたはずだなーと思うということです。
「物語の洗練」を。
機能不全家庭の傷なめ的なものでなくて、もっとちゃんと救いとか絶望とかが欲しい。
具体的にいうとこのネタで小説でも書いてそれで旅行のためのおこずかいとか稼いでみたいんだけども、まあおこずかいにならなくてもいいから二度と回路起動スイッチにこのネタで手を触れられる奴がいなくなるように自分でパテを塗っておきたい、そのために小説を練ってみたい、ということでした。
すでにやってる人いるけどねそれ。舞城とかね。でも最近なんか舞城も振るわないっていうか、「その先が欲しいんだけど!」みたいなあたりで止まっちゃってる感するからね。ジョジョノベライズ期待してます。
ネタバレ注意です。
4人の子供たち(17歳長女・14歳長男・12歳次男・5歳次女)を中心において、父、叔母、などの続柄表記をしていきます。
http://www.ntv.co.jp/kaseifu/relation/index.html
未視聴の方はわかりにくいでしょうから、公式の相関図片手に読むことをおすすめします。
父が職場の女性と不倫して本気になり、母に離婚届を突きつけた結果、母はショックを受けて入水自殺してしまった。
そのことがきっかけで、父が元々母を愛していなかったこと、妊娠されたから仕方なく結婚したことが判明する。
父は父親になる覚悟が無い状態で次々と4人の子供を作っており、子供への愛情も感じていなかった。
このドラマはミタや子供たちの活躍により、ただの無責任な一人の男が父性を獲得していくストーリーになっている。
大恋愛の末結ばれたはずの隣の夫婦も、夫が不倫しており、疑心暗鬼になった妻がストレスを5歳の息子にぶつけている状態だった。
妻が思いつめて心中騒ぎを起こしたことで離婚になり、息子の親権も夫に奪われ、希望を無くした状態で家から追い出される。
そんな長女を、部活の先輩が相談に乗るふりをしながら口説き落とし、呼び出して繰り返しセックスした後、
長女からの依存が面倒になってくると、今度は別の後輩を口説きはじめた。
裏切られたことを知った長女は先輩に別れを告げるが、はたから見れば"身体目当てのヤリチンにヤリ捨てられた"でしかない。
苛立ちをバスケ部の後輩たちにぶつけ、キャプテンとしての人望は失墜。ユニフォームをゴミ箱に捨てて非行に走り出す。
そして更につのった苛立ちを、ミタにヤらせてと命令してぶつける。
ミタの脱衣の途中で現場を長女に見つかり、強く非難される。
"父"との不倫が職場でバレてしまい、四面楚歌の状態で出勤する女性を、
父のライバル的な存在の同僚が弱みにつけこんで口説き落とし、肉体関係に持ち込む。
その同僚は出世のため常務の娘との縁談をまとめており、その女性の相手をまともにする気など全く無かった。
要するに"父"への当て付けのために抱いてみただけであった。
女性は会社を辞め、有名企業の社員からビラ配りのバイトに落ちぶれる。
娘、義理の息子、孫など、相手を問わずすぐに怒鳴り散らして威圧し、嫌われている祖父。
死んだ母の妹にあたる叔母のことも絶えず怒鳴り散らしていたため、
叔母はいつでも笑顔だが、常に人の様子伺いをして媚びまわり、ネガティブな感情を一切発露できない人間に育ってしまった。
ミタの母と義父(ミタ実母の再婚相手)との間に出来た種違いの弟はミタに執着していた。
弟だけでなく、義父からも肉欲を抱かれていた。
ミタは愛する男性と結婚して息子をもうけ、幸せな暮らしをしていたが、弟から執拗に肉体関係を迫られるようになる。
それを拒絶したことで弟は逆上し、家に火をつけてミタの夫と息子を焼き殺し、自殺してしまう。
ミタの両親とミタの夫の両親は息子を失って嘆き悲しみ、全てはミタが悪いのだと責める。
ミタの笑顔が男を誘うから不幸を招くのだと刷り込まれ、ミタは感情を失った。
散りばめられた男の弱さと肉欲、そして「汚い汚い汚い!!」と断罪する女子高生の長女が印象的だった。
長女は父の不倫によって母を自殺で失い、心の支えにしていた先輩からもヤリ捨てられた被害者だ。
ミタも義父や弟に情欲を抱かれ、その責任がミタの笑顔にあると転化されて苦しめられた。
「欲情させる女が悪い」の理屈だ。そこから生まれた憎悪によってミタは夫と息子を焼き殺され、自分の存在に対する罪悪感を抱えながら生きることになった。
ひたすら高濃度のミサンドリーを感じる家族モノのドラマだった。
物語が進むことで改善された男(父や祖父など)も居るが、「汚い」まま物語からフェードアウトした男もいた。
これが視聴率40%か。
根拠は↓
1.原作での庶民的な描写
・友人の治療費が払えなかった
・裕福ではない友人がいた(上流階級出身なら、下々の者と知り合う機会があまりない)
・ゾルディック家の富豪っぷりに驚く
・値切り交渉に長けている
2.アニメでの出身地の描写(参考程度)
・旧作では地中海沿岸みたいな国の一般家庭出身ぽい。
・新作では子供のとき下町っぽい所に住んでいる。新作はトガシが口出ししてるらしいので、多少信憑性があるかも?
・気さくで素直、かつ世話焼き
・チンピラ的言動
(レオリオの性格なら、友人のためにできることは全てやったはず。実家が裕福なら、調度品をちょろまかすくらいできただろう)
A.元々は由緒正しい家だったが、落ちぶれた
庶民の友人がいたことから、遅くともレオリオの子供時代までには家は零落していたはず。
自分の奴隷や使用人に、わざと「王」「貴族」みたいな名前をつけてニヤニヤしてた奴が歴史上に存在した。
(2011/12/03追記)
・本誌が発売されてしばらく経ったので、ネタバレについての警告を削除。
ひでえ小説だった。
オナニーマスターと山田風太郎を悪魔合体させて出来た生物の前後の穴にJOJOとガンパレが挿入してある感じ。
逆に言うとソッチ系で一生の作風を固定しかねない危険を孕んでいる。
登場人物のネーミングセンスがバラバラなのは複数の人間の悪ふざけをごった煮ているから?
この小説自体がダンゲロスというTRPGワールドへの招待でもあるらしい。
能力だけに専念するべきだったのに、なまじ腕が立つせいでどっちつかずに。
一番向いてるのはああいう至近距離遭遇戦で、
しかも始めたら敵を殺すか自分が死ぬかの覚悟で近寄り続けるしかない。
離れてしまえば防御の手すらない上に、
もう一度近づくチャンスがあるかもわからないので、
中距離・遠距離攻撃で狙い撃たれたらどう対応させる気だったのか。保険掛けても勿体無い。
別の門番が目を引いている間に横とか上とか下とかから突入すべき。
まともに体力ポイント奪い合うような戦いでは強そうな堅実な力だけど
こんなに操作や即死だらけの世界で「攻撃を受けてから発動する力」なんて悠長すぎるよ。
インチキしかいない世界に常識的なデッキ組んできちゃった真面目な人。
横田卓馬先生はバトル描写・エフェクト作画についてはエモ方面ほどは上手くないと感じるので
この原作をどういうトーンで描いていくかなっていうのも楽しみ。
あと下世話な話で、こんなひどいのがどれぐらい売れるのかなっていうのも見守りたい。
http://anond.hatelabo.jp/20111021103234
の追記部分移動
追記。
「面接では面接テクニック以外で勝負が決まる」って言っときながら、その後書かれているのはどう見ても面接テクニックだろ
という人がいて、読み返してみたら、確かにそんな感じですね。これだけ読んだら就活本と対して変わんねーや。
ただ、話を聞いてる時は、面接の前にもう勝負は決まってるんだなーって話だと思ったんです。
単純に私の理解がダメと言うかまとめが下手ですね。所詮Dランのまとめか、と思って笑い捨ててくださいorz
一応自分が理解してる範囲で補足すると
例えば「相手に印象を残そうと思うなら伝えたい事をできるだけ短くて強い言葉に絞る」については
テクニックでもあると思いますが、そうやってピンポイントで言える強みを作るのが大事だという話だったと思います。
「説明できる強みを作る」のであって「中途半端な強みをソレっぽく説明する」ではない。この順序を逆にしてはいけないってことを強調されてました。
最後の「就活本読むな云々」についても、これは要するにテクニックがあればなんとかなるという希望は捨てなくてはいけないのに、
こういう本は間違った希望を与えがちだから良くないという話でした。
とにかく、いくらテクニックがあっても、元の部分が大したことなかったら駄目だって話でした。
追記2。
追記1を書いた後にこういうコメントが来たので困惑しています。
あのねえ、面接の前に勝負は決まっているの。面接で逆転しようとしても無駄。
まさしくこれが私が記事で書いていることのはずなのに、どうしてこういうコメントが来るのか心底理解に苦しみます。
追記3。
どうも冒頭から「印象をよく見せるテクニック」みたいに読めてしまうみたいですね。。。
そうじゃなくて、こういうふうに「印象というカタチで凝縮する」技術が必要なくらい、
素材としての自分を高める必要があるって話だったはずなんですよ。
そう考えると、後ろに書いてあることを前に持って来るべきだったのかな。でもそれだと先輩の話してた順番と違うしな。
私が聞いてた時はすんなり頭に入ってきたのに、私が書くとみなさんにすんなり伝えられない。やっぱり先輩パネェっす。
追記4。
こうみなさんの意見を聞いてあれこれ補足をしているうちに、
たとえ元ネタが良くても相手にそれを伝えるにはたくさんフィードバックもらって修正していかなきゃいけないんだと思いました。
しかし、その一方で、私の拙い文章まとめでもこれだけブコメを得られたということから、
やはり元ネタが良いことは、下手な文章テクニックよりまず重要なのかも知れないなとも感じます。
先輩が言いたかったのはそういうことなのかな。
追記5。
いろいろ考えたんですが、まず箇条書きにしたのがいけなかったような気がしてきました。
1000ブクマ達成しました。だからどうしたといわれるかもしれませんが個人的にはとても嬉しいです。
読んでくださったみなさん。ありがとうございます。少しでもみなさんの参考になれたなら幸いです。
この記事は若手経営者として成功している方のメルマガの内容を自分なりに解釈してまとめたものです。
ただの、そのメルマガの著者がDラン卒であるのも、私が彼と同じ大学であるのも事実です。
昨日出てたネタバレ画像を見る限りでは、お願いだけじゃなくおねだり(対価)の軽重基準にもミスリードがあったんだな。
「重い」と思われていたあのおねだりも、「○○ごっこ」の体で叶えてやれば問題なかった可能性が高い。
正確に応えなくても喜んでくれればそれでよかったんだ。
http://anond.hatelabo.jp/20111011200303
が興味深かったので、ファンは対象外なのかな、と思いながらあえて読んだ。
上の書評はネタとしては面白いけれど、書評としては不適切なのではないかと思う。
この本はとてもシンプルに「小説のルネサンス」を主張していると思う。カジュアルに言うなら松岡修造の「お米食べろ」と同じノリだ。
「小説の読み方の教科書」では、小説の面白さの源流のようなものを求めて古きを探る。
そして、ドン・キホーテとハックルベリーの冒険という作品にいきあたり、世の中にはこんなに素晴らしい小説があったのだと興奮する。
さらに、現代は大衆がこの素晴らしい小説の持っていた力を失っている。そもそもその存在すら忘れ去れれていると嘆く。
もっとこれらの古き時代に学び、これらの良さを取り戻そうと誓う。(自分でやろう、とするところが個人的には好きだ)
そしてそのためには読者がこれらの小説を楽しむ力を取り戻すことが必要だ、と考える。
そこで、まずこの2つの小説を作者なりに読み解く姿を披露することで、読者と面白さを共有し、読書の楽しみを体験させる。
そして、こういう面白い小説を取り戻そう。「小説を読んで、心のそこから面白いと思う感覺」を養おう、と主張している。
NHKスペシャルの歴史ドキュメンタリーを松岡修造が担当しているような、そんな熱くて小気味良いノリは読んでいて楽しかった。
「小説の読み方」についてはおまけ程度の分量しか書かれていないが、ここでも
ストーリーの筋をおいかけるのではなく味わうことを中心に考えよう、と思い切ったことを主張している。
そのためだったら、あらすじは最初から知った上で読んでも構わないだろう、と言い切っている。
「ネタバレ」を食らったくらいで楽しめなくなる本を読むことは読書ではない、などと勇ましい限りだ。
実際私も、一度読んだ本でも本当に面白いものは何度読み返しても面白いと感じるし、
他の人の書評などで「別の読み方」を見つけた時などに嬉しく思うことがあるので言わんとすることは何となく分かる。
論理的には粗だらけだが、非常にシンプルかつ力強いメッセージのある本だと思う。
こういう本を書ける作者の小説はさぞ面白いのだろうかな、と期待させられる。
なんとなく「夢をかなえるゾウ」の二番煎じだろう、みたいに思って敬遠している内にタイミングを逸してしまい、
ドラッカーブームも長続きしなかったため、今更読んでもな、とは思っていたが、今からでも読んでみようか。
ただし全面的にほめられるかというとそうでもない。
構成と文章はかなりいただけない。
まず冒頭から特定の人物に向けての非難のようなものが始まり、ソレについての正当化のような文章が続く。
経緯を知らない私には心底どうでもいい話であり、蛇足以外の何者でもない。サービス精神の真逆である。
始めは作者にネガティブなイメージを持ち、立ち読みだったらこの時点で読むのをやめていただろう。
また、この読者批判?のようなものは、その後の文章でもちょくちょく顔を出し、そのたびに嫌な気分にさせられる。
どうしてこんなに前向きな主張をする人が、些細なことでネチネチと文句を言っているのだろうと不思議になった。
作者の主張とテキストの間に一貫性を感じないのは気持ち悪さを感じて非常にマイナスだった。
上の記事が「ファン向け」と言われたのもわかる気がする。上の記事で言うところの
は確かにあり、私にはこの部分は非常に読んでいて邪魔臭く感じた。シンプルな話をややこしくして何がしたいんだろう。
小説ではこのようなことがないようにお願いしたい。
が出現します。
歩いて南へ行くと・・・
↓
魔王を倒した後の
↓
↓
むっちゃ強いので、相当気を引き締めて戦いましょう。
「オラ、何だかすっごくワクワクしてきたぞ!」
倒すと、倒すまでにかかったターン数を教えてくれます。
何度でも戦えます。(ドラ○エの○竜と一緒。)
ゴミの様な弱さになってました。
以下は、アイテム収集率100%にする為の
岩山と岩山で囲まれた水路を南下した先にある
※追記 コメント欄にて巴さんが教えてくれました。
本当にありがとう。^^
キノコは5~6体の集団で出現する為、
↓
勇者のかぶと
アルバマの街の牢屋の鍵の扉の人が
↓
勇者の盾
コマの街の川を隔てた南の陸地を進んで行きましょう。
↓
↓
緑手下
↓
赤手下
↓
青手下(他の2体より強力、レベル30手前推奨)
↓
正義の証
3体の魔王の手下を倒したら、
↓
↓
ダイア装備があるので、レベル上げがてら揃えましょう。
↓
↓
黒手下、勇者の鎧
総力を結集して、挑みましょう。
攻撃力アップと各種バリアを張り続け、
↓
奇跡の鎧
って言ってたじいさんが。4つ揃えて話すと・・・
↓
(逆でも良いのですが)
頑張って魔王を撃破すると、
(次回作に含みかな?)
お疲れ様。
船を手に入れたら、船で行けれる町で
最強の装備がある街「ハワード城」へ行き
(当然、海周辺や城の周辺の敵は、船入手時のレベルでは、
↓
ポートタウン上のほこらのじいさんに言われた様に
金の鍵を探しに行きましょう。
↓
その前にテレポートの表示順で言えば、
アルバマの街にとりあえず行っておきましょう。
↓
では、金の鍵をゲットしに行きましょう。
船でいける所に一通り行っていれば、
カタの街へは、コマの街から南下し岩山に囲まれた
↓
カタの街のじいさんが金の鍵について
↓
↓
金の鍵をゲットしたら、今までの街や城の
金の鍵の扉を片っ端から開けていきましょう。
すると、ハミルトン城の金の鍵の扉の向こうの老人が
↓
孤島の村「マダカスの村へ」
○○の場所で「真実の石を」ゲット。
↓
↓
岩山に囲まれた場所から、一箇所陸に上がれる場所が。
陸に上がって、道なりに北上して行くと
どうにも橋が直らない様なので、下の岩山の中へ進み
↓
(井戸には何も無いし調べる事も出来ません。スルーで)
したら街の外へ行きましょう。
北東の壊れた橋を見に行きつつ、フィールドを良く見ると
↓
橋直しの名人ハジルが橋を修理中に
「何か」を落としたらしいので、
橋に行って見ると…橋が直ってて…兵士に話すと…
↓
オープニング~船ゲットまでです。
↓
ぐるっと周るとほこらがあるので行って見ましょう。
↓
そうこうしてる内に、回復魔法を覚えたら
砂漠を抜けた場所にあるコマの町へ。
↓
買える限り武防具を購入したら
↓
腕試しの洞窟の宝箱を残らず頂いたら、
今度は、コマの町からとことん東へ行った先にある
ポートタウンの町へ
↓
武防具を買える限り購入し、町の人と話すと
「船の製造は特殊な金属がいるってばよ」
特殊な金属を探しに。
↓
南へ下りきったら、今度は東へ。
岩山に囲まれた城、ハミルトン城へ到着。
敵も強くなり距離もあるので、
↓
王様と話すと、
王様の娘が駆け落ち中との話も。
↓
↓
ミズウリの町には、駆け落ち中の姫と町の青年、
発掘権を奪われた町民の不満話等が聞けます。
↓
ロマリオの町には船を手に入れるまでで
何とか町までたどり着き、レベル上げついでに
町周辺の敵を倒して、装備を全て揃えましょう。
町の娘の「あの鳥捕まえて~」は捕まえられませんのでスルー。
↓
兵士に話すと「聞いてない、帰れ」→
↓
「船作るから、ちょっと待っててね。」
船が完成する間、周辺の町を旅しましょう。
↓
船が完成したら、乗り込んで出発です!
それ1話しか読んでないだろう
ネタバレだけど、途中でいじめっ子とも和解してるし、本題は10歳の時に彼と彼女が負ってしまった心の傷なんだよ
彼よりも彼女の方が、彼の双子の弟の死に深く関わってしまっていて、その秘密をずっと独りで抱え込んでいた
って言ってもいじめっ子の罪が許されるわけじゃないけど、あの1話の場面から、ようやく彼と彼女は自分の心の傷と向かいあうことになる
あれが無くて、二人がそのままお互い関わらないままだったら、二人は心の傷を心の傷とすら認識できずに、きっと歪んだ大人になっていただろう
(暗すぎる話って部分への反論だよ)
ネタバレみたいなのが多くあるからstay/nightみてからのほうがいいと思う。
関係ないけどおねがいツインズがおねがいティーチャーの続編ってことを知らずにみてました。
アニメ、電脳コイルがBD-BOX発売記念で無料公開をしていると聞いて見てみた。
なかなかはまって、あの世界についていろいろ思いを馳せたりしたので整理してみる。
ネタバレ前提なので嫌な人は帰るか今なら間に合うから本編を見るのがオヌヌメ。
※1-13話が5日の正午まで
14話以降が11日正午まで
以下ネタバレ含む長文
今回本編を見るまで電脳コイルで知ってることといえばメガネの子供たちが出るアニメで、
なにやら近未来っぽい雰囲気というくらい。面白そうという印象はあるにはあったが、
金を払ってまで見ようという程の興味はなかった。無料だし見てみるかってレベル。
メガネをかけた子供たちが現実と仮想の入り混じった世界で日常を派手に暴れまわる。
話が進むにつれ伏線らしきものがいくつも出てくるのが次の話を見る気を起こさせて
くれるものの「早く次が見たい!」という気分には全くなれず。
登場人物は個性的なのだが、こちらがワクワクするような強烈なキャラクターが見当たらない。
ヤサコはもちろん、一匹狼イサコは厨二病持ちにしか見えないし、地元っ子たちは馬鹿ばかり。
不思議な電脳世界の描写は面白いが、けっこう危なそうなのに大人は無関心なのに違和感。
メガネの修理代をお年玉換算したり、ごっこ遊びを仕事と呼んだりするのは子供らしさが出ていて好印象。
何話か見たあとで、どうして気分が乗らないのか考えてみて、
登場人物の行動やその動機が抜けていて、そのくせ失敗にまるで懲りず、真面目にバカを続ける様子が滑稽だからか?
という一応の結論を出した。
怪しげで危険そうな道具を買っては、不毛な争いや、探偵ごっこを繰り返す。
メタバグ、メタタグ、イリーガル。説明でどういうものかは理解できても子供がなぜそれに並々ならぬ情熱を注ぐのか?という動機がいまいちはっきりしない
そのため、どうも彼らのテンションに乗り切れない。
心が動かされた回数は片手で数えられるほど(世知辛ぇ…!)。
物語は夏休みが始まり、合宿の肝試しを舞台にした戦いが繰り広げられた。
イサコがイリーガルを捕獲吸収!ハラケンの過去!謎の数字4423!
だからぁ!得体のしれないものに熱上げ過ぎだぞお前ら!…置いてきぼりな僕を尻目に物語は加速するっっ!!?
イリーガルの魚…( ´_ゝ`)フーン(テクスチャ食って巨大化したら何なの…)
ここまで11話、日を跨いでいるとはいえ5時間以上…僕の頭は悶々とした気分に満ち満ちていた。
そして12話。予想外の形で、その悶々ダムが決壊した!それは放流という秩序めいた開放ではなく、事故的で唐突な決壊だった。
懲りないイリーガル探し…(ダイチ/ウンチには笑えるようになった)。
ダイチ父「ボッサボッサだったぞおおwwがははwww」( ´_ゝ`)
登校日『髭エエエエェェェェ!!!!』( ´_`)ソウイウ ハナシネ
全員感染( ^ー^)デスヨネー
ΩΩΩΩ<よ、余計なもん作ってんじゃねぇええ!!( ^∀^)ワロタwww ← テンポの良さに押されつつある
※ここで初めて経過時間をチェックした…内容濃すぎだろ!
ヤサコ「私はもう宇宙計画よ!」「あとちょっとでロケット-」ダム決壊(゜∀。)ウヒャヒャヒャヒャ
子供のセリフは今までにないくらい重いのに髭で台無しなのが可笑しい。
今まで蓄えた笑いを解放するかのように笑った!と同時に笑いとは別の充実感があった。
締めはまぁ普通だったが、この話のお陰でようやく視聴態度を体が理解した。
間違いなく神回。
12話の髭騒動でようやく初めて満足感が得られた。
リズムよく斜め上に展開するストーリーは間違いなくここまでで随一だ。
しかしそれとは別に子供の成長がわかりやすく描かれていることが、今までの話で蓄えた僕の苛立ちを解放してくれたようだ。
それを見ていてスカッとした側の気持ちとしては
「おぅ、ようやく賢くなってくれたじゃないか!」といった感じ。
頼りなくて何も出来ないと思っていた子供が見せた成長への喜びとでもいうか…。
続く13話を不思議と楽しく見終えた時、再び似たような気分になり、現実の親心ってこういう感じかもしれないなんてことを思った。
子供は大層に「仕事」なんて言いながら、てんで価値のないことに熱を上げている。
それを見て大人は馬鹿らしいと感じて、はじめのうち叱ったのかもしれない。
しかし冷める気配を見せない熱意を目の当たりにして、勝手にすれば?と
黙認という名の降参をし、以後は最小限のおせっかいをのぞき、無関心に転じる。
そんな毎日のなかで子供は自分の世界を必死に駆けまわり、大人が無駄と信じて疑わない仕事のなかで知らず知らず賢くなる。
同時に大人の気づかないレベルで心も豊かになっていく(僕の中での1-11話)。そしてある日突然、大人の目にも分かる形で驚くような成長を見せつけるのだ(12話)!
僕は今まで大人の目線で子供の世界を見せられ続けていたのだ。そりゃ面白くなくて当然だ。
大人はあまりメガネを使っていないか(作中の描写や、フミエが花屋を見てメガネ持ちだわというセリフ)、
電脳空間には無関心のようだ(関わるシーンがない)。
メガネで見える電脳空間でいきいきと走りまわる子供は一見とても危なっかしく見えるのに
先生や親、周りの大人はほとんど感心を払わない違和感は終始ついてまわっていた。
この関係が現実を生きる大人と子供の距離感によく似ていると感じるのは僕だけではなかろう。
そこまで考えると、この作品の「メガネ」やそれを通すことで見える世界は「色眼鏡」という言葉と似た意味の
子供と大人の見える世界の違いを示しているのではないか。という考えに至った。
メガネの役割がわかった所で、そこから見える世界と一般的な子供時代らしいネタを試しにヒモ付けしてみよう。
| 電脳霧 | 空き地や廃墟は好奇心を刺激する |
| メガシ屋 | 言わずもがな |
| メタバグ | 子供たちの流行アイテム。大人にはガラクタのようにしかみえない |
| メタタグ、電脳ツール | 子供の遊び道具や遊び方 |
| サッチー、キュウチャン | 怖い近所の大人 |
| イリーガル | 野生の小さな生き物 |
などなど
そんな見方でストーリーを思い返すと、ヤサコが引越し先の遊びの文化を全く知らなかったのを、
最初はネットワークも発達してそうなのに独自の文化が形成できるんか?と思ったことも間違いだったとわかったり、
オバチャンなんて近所にいる面倒見のいい年上のお姉さんまんまじゃないか!とか、
大好きだった空き地が突然工事で入れなくなった時の気持ちとか、
近未来っぽいあれやこれにノスタルジーな要素をいくつも見出すことが出来る。
序盤に不満としてあげた要素もけっこう説明がつくんじゃないかな?
13話見終わってようやく本質に気付いた…遅すぎの部類だろうな。
最初のナニコレツマンネという大馬鹿な勘違いへの戒めで書いた。ホントどんくさくてすんません。
電脳コイル、かなり味わい深い作品でした。子供と大人とじゃ楽しみ方がてんで違う作品だ!
後半はどうなるんだろう?10話までに様々な謎が生まれ11-13話でイリーガルが
取るに足らないバグではないという流れになった。後半でどのようなドラマが
繰り広げられるのか全く想像はつかないが、楽しみ方を理解した上でみることができる残りの話がただ純粋に楽しみだ。
時間をかけて一話ずつじっくり楽しめたらいいな!
だいぶ長くなった。思いつくままなので冗長になるのは仕方ないにしても長い。
見て過ごしてしまった増田さん!いるかなぁ?少しはお役に立てていれば幸いです。
後半を見ても、今回のようなビックリはたぶん起きない気がするので
こんな長文はこれっきりでしょう。おしまーい。
※若干ネタバレ注意
アイドルマスター3話にて、765プロアイドル総出で田舎へ営業へ行くのだが
移動手段が自動車、しかもまだ貧乏プロダクションという事で専属のドライバーがいる訳でもなく、
15人乗りのハイエースと思われるレンタカーで、スタッフ自らがドライバーになるというもの。
そのプロデューサーが仕事疲れからか営業が終わり、帰る頃には眠りこけるという流れ。
そこで帰路のシーンになるのだが、アニメとはいえ、製作スタッフはテレビでは考えられないミスを犯す。
そのシーンでのドライバーは、秋月津子…もとい、秋月律子嬢なのである。
総勢14名が1台の自動車に乗車している事になる。
つまるところ、中型以上の運転免許が必要になってくる。
しかし中型自動車の限定解除をするには、最低でも20歳以上でないと不可能。
きめ細かく作った設定が逆にアダになり、律子嬢は道交法違反をしてしまった。
この状況をどうにかする為には、シーン丸々差し替えか、律子嬢の年齢の改ざんのどちらかを迫られる。
幸いにも1話の免許公開シーンでは、生年月日の生まれた年にはモザイクがかけられていたので、
実は20歳でした、でごまかす事ができる。ただ長年確立してきた設定を簡単に覆していいのだろうかという話ではあるが。
アニメスタッフがこのミスをどう修正していくのか、楽しみである。
実際俺のほうが上手いんだけど、実体験からアドバイスすると「名人様」「指示厨」「ネタバレ厨」という罵倒を浴びせられる。
まあそういうふうに思われてる人間が動画あげたってまた罵倒されるだけなので動画投稿はしないが、なんせこいつらがカワイイ。
なんていうんだろう、「ちょっと男子!しっかり歌ってよ!」って仕切り屋がまとめ出したときに向けたくなる、生温かい目線といえばいいだろうか。
というか、実況動画で初見の奴とかまじで邪魔なので、初見実況でもない限りネタバレモードは絶対に崩さないし、
初見だからって攻略サイト見て悪いという決まりもないので、積極的にアドバイスという名の指示をする。
http://d.hatena.ne.jp/kaien/20110702/p1
スロウハイツの神様は本当にいい物語だとは思うので、この記事を読む前に読んでほしい。
この記事を読むと、この記事を読まずに読んだ時とおそらく得られる体験がおおきく変わってしまう。
逆に言うと、この記事を読むならば、もう原作の方は読まなくていいんじゃないかと思う。
どっちか片方を選択しないといけない。
作者は他のプロ作家と戦いながら、こういうネタバレ評者とも戦わなければいけない時代。大変だな。
映画好きな人ならわかると思うけど、別にあらすじを知っていても
一部のトリック的な部分はともかくとして、
核の部分はやっぱり読まないとわからないし、ネタバレ読んでても感動できるものは感動できる。
そういうもんです。
だからどうぞ気にせずブログ記事を読んだ上で本も読むといいよ。
ちなみにこの部分の記述を読んで
すべて物語というものには差別構造がある。ある人物を「主人公」としてクローズアップし、特権化し、その人物の悲劇を人類最大の悲劇であるかのように描くというどうしようもない欺瞞の構造。
その構造そのものを鬼頭は批判する。それはリアルではない、物語のなかで端役としてどうでもいいように死んでいくだれそれにも、実は何十年かの人生があり、かれが死ねば泣き叫ぶ家族があるのだと、そう告発する。もっと想像力を働かせろ、物語が切り取っている部分が世界のすべてではないのだと、そう思い知れ、と。
あまりにも「正しい」告発である。わたしはうなずくことしかできない。その通りだからだ。しかし、同時に、人間は「愛という名の差別」から自由になることはできないこともまた事実なのだ。
わたしたちは物語を通してその登場人物に愛着を感じ、その人物を「特別」にしてしまう。ほかのどうでもいい脇役、端役に比べ格段に重要ないのちだと錯覚してしまう。決してそうではないはずなのだと、理屈ではそうしりながら。
物語にひそむ、この「愛」、この「差別」は、本質的にどうしようもないものだ。どれほど批判されても、わたしたちはこの構造から抜け出すことはできない。これは人間の「愛」の限界でもある。わたしたちは、物語的に理解できない百万人の死より、物語として理解できるひとりの死のほうを哀しむ生きものだ。わたしたちは物語を通してしか世界を把握できない。
そして――『スロウハイツの神様』は、『ぼくらの』とは対照的に、物語を称揚する。物語の魅力、その迫力、ひとを天上にまで導くその圧倒的な力の賛歌をうたい上げる。物語は素晴らしい。それはひとの人生をも変える力をもっている、ほんとうに素晴らしくまたうつくしいものなのだ、と語りあげる。
そして辻村はそれをひとつの物語のかたちで表そうとする。この物語の最終章のもつ怒涛の迫力はどうだろう。わたしは思う。あまりにも不自然だ、こんなことがあるはずはない、と。しかし、その一方で、わたしはまた思う。これこそ世界だ。このようにありえないことがじっさいに起こる場所、それが世界なのだ、と。
そうだ、ご都合主義かもしれない。やりすぎかもしれない。何かが過剰で、しかもべつの何かが過少であるのかもしれない。しかし――しかしそれでもなお、この物語は、わたしの心を打つ。ここで語られているものは、ある人間が生み出した物語が、ほかの人間の心を捉え、その人生を変えてしまうことはありえる、奇跡は起こる、という信仰だ。
その奇跡の瞬間、灰いろの生は輝きを取り戻し、彩りを増し、信じられないようなうつくしさでわたしたちを圧倒する。それをまえにして、わたしたちは思うのだ。ああ、生きていて良かった。生まれてきて良かった。
この世界は暗黒かもしれない。人間の宿命は絶望かもしれない。それでも、ここに一冊の本がある。一篇の物語がある。それははるか遠く、わたしをしらず、しろうとも思わないだれかが、それでもわたしに向けて放擲したメッセージボトルだ。それは長い長い旅の末、ついにわたしに届き、そしてわたしの生を変えた。
ああ、それはなんて素晴らしいことなのだろう。その「エウレカ!」の瞬間、わたしの世界は黄金の光に包まれる。エウレカ! わたしは見つけた。わたしはついに見付け出したのだ。生きる理由を。それは一作の、ただおもしろいだけの物語だ。しかし、その物語があるだけで、この世界の地獄のすべては許せる。
愛しているよ、とわたしは思う。この世界を愛しているよ。どうして愛さずにいられるだろう。このような物語を生み出したその母なる世界を。この物語が生まれえたというだけで、すべての悲惨、すべての苦しみは許される。それほどに、わたしはこの物語を愛している。
kaienさんには「ワールド・イズ・マイン」の感想を書いて欲しいと思った。
どちらかというと「ぼくらの」寄りの作品だと思うんだけれども、しかし「スロウハイツ」的な部分も感じる。
物語とか世界というより、人間そのものが大好きな人が書いた作品だと思う。
なので、こういう作品をkaienさんがどう評価するのか読んでみたい。
アクセル・ワールド8巻がとても面白かったのですが、未解決の伏線が多すぎてよくわからなくなってきたのでまとめてみました。
同じ作者さんのソードアート・オンラインも含めて思い切りネタバレしてますので、未読の方は注意です。また、多分に私の推測を含んでいます。
4巻で「フルダイブを実現したヘッドギア型VRマシンが開発されたのは2022年の5月」という記述があるが、これはソードアート・オンラインの世界でナーブギアが開発された時期と完全に一致する。ということで、作者がこの二作品に何らかの関係性を持たせようとしているのは確かだと言える。
あくまでも別の作品なので、ソードアート・オンラインの方のネタバレになってしまうようなことは書かれないと思うが、今後も分かる人にはわかる、というレベルの繋がりは出てくるかもしれない。