はてなキーワード: 失楽園とは
http://anond.hatelabo.jp/20100611200158/ 「2ch既婚女性板の「アンチスレ」調べ」
現在話題沸騰のこれ(ブクマ300超え!)、自分も読んだ。興味深い、興味深すぎる。
そこでフィールドワークですよ。友達・家族に「鬼女でアンチスレ立ってそうな人」って誰だと思うか&その理由聞いてみたよ。回答者は男女/既婚未婚混合。鬼女板住人はいない(ハズ。自己申告上はゼロ)。実際アンチスレがあるのを知ってるばあい(「雅子さんてアンチすごいんでしょ、見たことあるよー」とか)、その人以外でありそうな人を答えてもらった。一応複数回等可で。
長いうえに瘴気が渦巻いてるんで、ご了承を。
…ふう。ここまで読んでくれた人乙。超乙。
一応、元増田に敬意を表して(?)簡単な傾向分析を。
男単体(玉置浩二とかキムタクとか辻とか。「吉本芸人」含む。○○夫妻って嫁とペアじゃなく、男だけっていう意味ね)を挙げたのは全員女の人。男のほうが「女の敵は女」て考えてるのかな。ただし朝昇龍を挙げたのは男。あまりのボンクラ回答に飲みの席がザワ・・・となったw
悪妻系(高木広子・本田の元嫁・古田の嫁・サッチー・田中の元嫁)を挙げたのは全員男。逆に玉の輿とかイケメンとくっついた「だけ」の人(伊東美咲とかイチロー嫁とか稲葉嫁、エビちゃんなど)は女。例外として「カカの嫁」を挙げたのは男で、女の子から「あそこまで完成度高いと嫉妬も何もないんじゃない」て突っ込まれてた。男は職務を果たさない嫁、女はおいしいとこを持ってく同性が嫌い?
ブリッコ系(安めぐみ・小林姉妹・宮崎美子・神田うのらへん。聖子さんも)は、意外と全員男が回答。女が嫌う女といえばブリッコでしょ!と決め打ちしてるきらいがあるようだ。
最近の洋ゲー和ゲー論争やその周辺をみていると、そんな気になる。
http://www.eiren.org/toukei/data.html
これをみてほしい。映画の興行収入データの推移。かつて、映画は娯楽の王様だった。スクリーンの数は今の何倍もあった。黒沢、小津、溝口と世界的な評価を受ける監督がひしめいていた。世界的にも映画大国だった。
ところが、テレビの普及もあってスクリーンが急減する。70年代くらいからは入場者数も減っていく。単価の上昇もあって収入は増えるが、結局80年代に入り収入も減り、90年代には完全に下火になる。
一方で洋邦比率もみてみると、50年代60年代はまさに邦画全盛期だったが、70年代に逆転し始めて、90年代には何とも洋画が70%近くになる。僕はこの頃高校から大学で過ごしていたが、周囲の雰囲気を見ても「邦画なんて見るものじゃない」だった。この頃の人に映画について聞いてみると、好きな映画はことごとく洋画でしょう。個別の推移を見ると、飛び抜けて収入を稼ぐ邦画があるものの、全体としては洋画が中心。
例えば、入場者数が最低を記録した96年前後の洋邦比率はを見ると、
というもの。
実際の中身をみてみると、
という感じ。
なんてものだった。まさに今のJRPG批判と一緒。
あと10年もすれば、日本におけるゲームなんて「わざわざ一万も二万もする、ゲームしかできない機械なんて買わない、スマートフォンで良い」「和ゲーはありきたりでつまんない」「洋ゲーの派手な演出の方がなんだかんだで金かかっているし、面白い」という評判になって、ゲームをやるとしたら「とりあえず任天堂」か「洋ゲーのローカライズ待ち」なんてことになるかもしれない。
だから、まさに映画の70年代から80年代に差し掛かっている今この時点で上を目指せないゲーム会社は、早晩ダメになるし、日本の市場のためにも良くない。今は、宮本茂が黒沢明、堀井雄二が小津安二郎でいてくれるけど、その後継者が日本、海外で成果をあげられなくなったら、衰退して、ジリ貧になるね。海外指向を非難するユーザーらも同罪。別につまらないゲームは無理にやらなくてもいいけど、非難するのは意味がない。
個人的な感覚では、iPhoneゲームが既にそうなっている。一部の大手が既存の資産を投入しているけど、やっぱりアメリカの会社で作ったゲームの方がよくできている。日本発もそれなりだけど、続けるだけのモチベーションのあるものが少ない。「日本ではiPhone市場が...」なんて言っている間にアメリカ発、場合によっては中国、韓国発のゲームがどんどん質を向上させている。収益方法も無料でスタートでその後利益をあげる仕組みも整っている。Facebookとか使って利用者を根付かせる方法も確立している。
これで仮にiPhoneがもっと普及して、市場として本腰入れたいと思った頃には、とっくに参入余地がなくなっているよ。まあ、既に日本でも100万台とは言われているけど。
なんで、ゲーム会社、クリエイター、そして利用者も今の日本のゲーム業界が置かれている時代をもうちょっと自覚するべき。まあ、もしかすると、もう遅いのかもしれないけどね。
恋人ができると身体の形がかわるからすぐにわかると、そう友人に言われたのはほんとうだと、最近になってわかるようになった。
もともとやせていたはずなのにウェストが細くなり、ちょっときつかったはずのレギンスにすこしだけ余裕ができる。ゆびがすこしだけ柔らかくなり、身体の関節がすこしだけやわらくなる。
いつも三日坊主の、思い出したようなヨガをたくさん思い出すようになったわけではないし、朝に走るのを週1回から週2回に増やしたわけでもないし、食事の量がこれといって減ったわけではないのに。
それでもベルトの穴はふたつ内側になる。
やせているやせていると言われつづけて、えっ? わたしそんなにやせてないよ? と締まらないウェストを見て思っていたのだけど、恋人ができたわたしのウェストをみてやはりと思う。やはり、無駄なものがついていたのだねぇ。
恋人とは電話だけの関係で、毎日のようにきっかりと一時間だけ話す。男性恐怖症のわたしをみて、こわがる必要はないよとやさしくいって、どうしたらこわくないだろう、電話なら大丈夫かなと、わたしのキャリアにすんなりと変えた。
それからのわたしの午後八時はバイトや見たいテレビがないときの日課になっていて、彼が職場から帰ってきて、食事をして、トイレに行って、コーヒーを入れて、メールをチェックして、緊急性が高い問題が起こってないことを確認してから、それから電話代の心配がいらない時間までがふたりの時間になる。
まるで講義みたいだというと、彼はむかしの恋人の話をし、恋人というのはちょっとでもゆだんしていると5時間でも6時間でも平気で長電話をするので、それぐらいがちょうどいいし、家賃並みの電話代に怯えるのはけっこうつらいものだよという。なにも話をしないで、もうねた? いまなに読んでるの? とかそんな会話しかしていないのに、電話を切ることができなくなってしまうのだという。
たしかに、午後九時がくるのはわたしにとってあまりうれしいことでないし、できることならずっとつながっていたいのだけど、どのみち無料で電話を掛けることができるのは午後九時までだし、どんなにあまいたべものも、ずっと食べ続けていると麻痺してきてしまうものだと、そう思って我慢することにしている。恋人曰く、実際のところ恋愛でいちばんたいせつな時間は、お互いを想って餓える時間なのだとか、ほんとうかどうかは知らないけれど。
わたしがその餓えを実感したのは、身体の形が変わり始めてからだ。
ずっとなぜだろうと思っていたのだけど、それがセイテキコウフンのせいだと気付いて、まっかになるのが顔だけでなく、それがくびすじを降りて、両腕を通って指先まで紅くなり、胸や背中を走って、細くなったウエストを下って、ももから足の指先まで、はずかしさに染まる気がした。
色気づいているのだって誰かに気付かれるのではないかと思うと、恥ずかしくなる。
はっきりと男性を受け入れるカタチに自分の身体が変わっていくのに愕然とする。
電話で話す恋人に、男を感じているのだと思うと申し訳なくなる。
あなたが好きなのはそんなところじゃないのに。
でも、男であるあなたも好き。
こんなことになってしまったのは、わたしが彼に興味本位で聞いたからだ。
男の人って、結局、女の子と寝たいだけなのでしょって。
彼は困ったようにことばをとぎり、電話の向こうでなにかを悩んでいた。話そうか話すまいか悩んだ末に、前の恋人の話をはじめる。とても正確になにがどうなり、どうなっていくのか、それを正確に話したのは、彼が自分の気持ちをはっきりと伝えたかったからだと思う。彼は伝えたかったのだろうと思う、火遊びをはじめて、お互いがお互いに溺れるようになるとろくな事がないよ、ということを。
まるで失楽園のような恋愛を、わたしとしたいわけではない、ということを。
彼はいまでも、前の恋人を溺れさせてしまったことを悔いていて、わたしとまた同じことになるのを極度にこわがっている。だからわたしが男性恐怖症で、電話しかできないことに、思いのほか満足しているようで、それでも、このまま一生電話のままであることも怖がっていて、その両側を振り子のように揺れつづけている。
それでも、彼の話はわたしにセイテキコウフンがどのようなものかを教えてしまい、ときどき朝目ざめると、ベッドの中でとうとつにそれにおそわれる。
隣に恋人が寝息を立てていて、わたしがおでこをなでるとねぼけまなこでわたしの背中に腕をまわし、ぎゅうと抱きしめられる。そんな妄想にとらわれて、その激しいセイテキコウフンのあらしに一時間も二時間も土日はおそわれる。
彼がとてもいとおしくなって、その腕にぎゅうと包み込まれて、彼の胸の中に沈んでいく。わたしも彼の背中に腕をまわして、彼を包み込む。そうやって心臓をどきどきさせて、あらしに吹き荒らされているうちに身体のカタチが変わっていくことに気付く。
色気づいているんだ、わたし。
同じような方がいるのか、それともあまりに自分が異常なのか知りたくて書きます。
40すぎて毎日エッチしないと仕事が手に付きません。30分も仕事をすると、エッチなことが浮かんできます。私の性癖につきあってくれる女性がいるので、こっそり仕事中でも、「あなたがほしい」とか「犯したい」とか「もうぬれているだろ」とか携帯でメッセとばしてます。場合によってはいろいろな画像も交換したりしてます。仕事が終わると、すぐに彼女のところで飛んでいきます。でも、エッチしたい衝動はつのるばかり。
彼女に会うと、たぶん計測したら1時間1万回くらいピストン運動しちゃってます。けだもの状態で、1時間、2時間と過ごします。至福の時です。
趣味も、ネクタイで相手を縛ることから始まって、赤い紐で亀甲縛り、そしてパドルでおしりたたきとすすんでます。
でも、次の朝には飢えた自分がいます。また仕事をしていても、すぐにどうやって彼女をいじめたらいいか妄想してしまいます。
もうオナニーを覚えたサル状態で、このままでは「失楽園」か、「あべさだ」の世界までいっちゃいそうです。
いったいどうしたらよいのでしょう。
http://anond.hatelabo.jp/20090613094632
確かに、逆もある。つーか、彼女と私の性癖は一致しているので、その意味では幸せかな。彼女にも、私にも、いろいろ歴史があって、思い出があって、縛ったり、たたいたり、つねったりするのも、どこかでその歴史が作動している気がする。
http://anond.hatelabo.jp/20090613130333
私の体験じゃソースにならないですかね。
いま、ここで、たびたび加筆している裏で彼女とはどこで『ああ、いけないわ、だめ、どうしましょ』な露出セクロスをしようかメールでやりとりしていました。まだ、私も彼女も、その手の雑誌から謝礼をもらったことはないです。普段見かけられたら私も彼女もごくごく普通の大人に見えると思います。ここで書くことも性癖を満たすこと以外には、「百害あって一利なし」、どころか「一万のリスクあり」です。それでも、性癖は止められません。
そして、私が知りたいのは40面してこんなことをしている私は単なる変態で社会から抹殺されるべきなのか、みんな平気な顔しているけど、性癖は性癖で隠しているけどヘンタイなんだよ、ということなのかということです。
超名作
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名作
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良作
北回帰線 赤と黒 阿Q正伝 ボヴァリー夫人 失われた時を求めて 1984年 キャッチ22
ゴリオ爺さん ガラス玉演戯 ユリシーズ 響きと怒り 城 アンダーワールド 異邦人
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佳作
怒りのぶどう 大地 世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド
グレート・ギャッツビー 明暗 老人と海 夜の果てへの旅 スローターハウス5
感情教育 ハムレット 失楽園 オデュッセイア モンテ・クリスト伯
クオ・ワディス 大使たち イワン・デニーソヴィチの一日 ライ麦畑でつかまえて
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豊饒の海 ティファニーで朝食を レベッカ 万延元年のフットボール
決壊 初恋 アルジャーノンに花束を グランド・フィナーレ 椿姫
見えない都市 百年の孤独 オネーギン オブローモフ 外套 暗夜行路
でもほとんどをお断りしてます。
理由は
・予算が限られているから。BLは一般性が低くて優先順位が低い。
・書かれている性描写が「興味本位」で「好奇心を煽る」ものであるから。
(堺市のBL所蔵数を見て、金に余裕あるなあと羨ましくなった。)
これは人によって基準が違うだろうから難しいけど。
図書館側がそう判断した理由は、リクエストされた本の掲載雑誌が「びしょぬれ」とか「性感帯」とかそういった名前が多かったから。
明らかに性描写を目的とした(男性向け成人雑誌のような)本だったので、お断りに。
まともなのもあったけど内容を確認する性描写のシーンが多くて駄目とか。
だからたエロが駄目ならなんで「失楽園」とかどうなのっていう反論を聞いたけど、それは作家が有名でだから。
あ、BLと言えば「終わりのないラブソング」は置いてある。
これは作家が有名だからってのと、性描写が「興味本位」で「好奇心を煽る」ものじゃないって判断されたから。
中には「興味本位」で「好奇心を煽る」ものじゃないBLって意見もわかるけど、
図書館側としてはBLばかりに手間とってたら他の作業が滞っちゃうので、
最近ではBLは基本的に受け入れないようにしてる。
http://anond.hatelabo.jp/20081018212017
いわゆる「失楽園」のようなことにするつもりはまったくない。そういう破滅的な思いは、二人ともさらさらない。
最後に死ぬってわけじゃないってくらいだろ、違うのは。他人(特に身内)から見れば十分破滅的行為だと思うが?
ただ、お互い、家族を大事にしながら、同時に別の人間と契りを結ぶ。そんなことがあり得るのかどうなのか分からない。ただ、少なくとも、いま俺たちの前には間違いなく存在しているのだ。
いや、存在していると思い込みたいだけだろう。家族を大事にするとは何か、妻を、子どもを大事にするとは何か?子どもに、妻に、自分の今の状況を言えるか?言ったうえで、納得してもらえると思うのか?
家族を大事にする、そう言いながらお前は自分を大事にしているんだろう?妻のため?子供のため?いや、違うね。自分のせいで子供たちが悲しむのを見たくない、妻とトラブルを起こしたくない、でも自分は自分の欲望のままに生きたい、そうなんだろ?
ばれないように浮気をすることが、家族を大事にするということか?お前は浮気じゃないというかもしれない。だが、お前の妻や子供たちはお前をそういう目で見るだろう。
子供を愛しているなら、死ねるというのなら、今すぐ死ね。くだらない妄想に浸っているお前を殺せ。自分を殺して生きろ。子供のために。
それができないなら、家族を大事になどとたわけたことをぬかすな。子供を裏切り、子供を欺いて生きていく、畜生になり下がって生きるとでも言え。
初めての増田。自分が増田を使う日が来るなんて思ってもみなかった。けど、どこにもはき出す場所がないのにはき出したいという思いがあることに自分も気がついた。
いまの嫁とは20代半ばに結婚した。職場恋愛だった。自分より少し年上だったが、ほぼ一目惚れだった。すぐにデートに誘い、すぐに告白して付き合いはじめた。結婚まで2年とかからなかった。
それから10年近くたった。嫁とは一度離婚の危機もあった。だが、それをなんとか乗り越えたいま、日々細かな喧嘩は結構するし、ここ数年sexもしていないが、それでもかなり良好な関係だと思う。子供も2人できた。上は男の子、下は女の子。二人とも本当に可愛い。愛おしい。この子たちのためになら、何のためらいもなく死ねる。心の底からそう思える。
そんな俺が、いま新しい女性と密かな関係を持っている。この4月に転職した先で出会った会社の同僚。彼女も少し年上。奇遇にも同郷で、共通の友人もいたりして、とても話が盛り上がりすぐにうち解けた。すぐに、食事に誘った。二度目のディナーで関係を持った。
結婚してからこれまで、何度か浮気の経験はある。生意気な言い方だが、すべて女性のほうからのアプローチだった。しかし、俺は、離婚するつもりは毛頭無いこと、純粋なsexだけの関係なら喜んで、という大層身勝手な条件を出して承諾した女性とのみ、関係を持った。同時期ではないが、これまで3人ほどそういう女性がいた。
しかし、今回の女性は、単なるセフレではなかった。そうしたくはないという思いが、どこからとなく湧き出てきた。刹那的な性的欲求も当然あるが、それ以上に、長く大切にしたいという思いが日々強くなっていった。彼女と一緒にいると、日々自覚すらしないストレスさえも、緩やかに癒され、本当にリラックスしている自分を発見した。彼女も同じように思ってくれているという事実がさらに俺を高揚させた。
この思い。どこかで感じたことがある。そう、いまの嫁と最初に出会った頃だ。嫁と付き合い始めたときも、こんな自然な感じだった。だからこそ、この女性は特別と思える何かを感じたわけだし、だからこそすぐに結婚しようと思えた。
いま、また再び、そう思う女性が現れてしまった。
実は、彼女は結婚している。しかも子供も1人いる。旦那とは仲は悪くないそうだが、ここ数年sexしていないらしい。まさに、俺と同じ状況だ。お互い結婚して、子供いる。お互い、伴侶や子供のことは大切に思っている。失いたくないと思っている。だから、お互い離婚しようなんて気はさらさらない。それはしっかりと2人で確認済みだ。
しかし、どう表現すれば良いのだろう。いまの家族を失わずしながら、また新たな伴侶を得る。こんなことが可能なのだろうか。あって良いのだろうか。お互い、互いの家族を不幸せにしたいという思いはまったくない。しかし、お互い、本当に心から愛し合っている。自分でもよく分からない状況なのだが、本当にそんな状況なのだ。
いま、俺と彼女は、法的な枠組みからは一切逃れた、二人だけの間にしか成立しない、婚姻関係を結ぼうとしている。正式な伴侶や家族はこれからもお互い大事にしながら、しかし、男と女という面でのみ、二人の間で、長く愛し合うという約束をしようということになった。結婚指輪(のようなもの)を買って、まもなく彼女に渡すことにしている。
いわゆる「失楽園」のようなことにするつもりはまったくない。そういう破滅的な思いは、二人ともさらさらない。ただ、お互い、家族を大事にしながら、同時に別の人間と契りを結ぶ。そんなことがあり得るのかどうなのか分からない。ただ、少なくとも、いま俺たちの前には間違いなく存在しているのだ。
この不思議な関係と不思議な状況について、俺自身もまだよく理解して受け止められていないところがある。正直、いつまでこんな関係が続くのかも分からない。不安もある。ただ、こんな普通あり得ないような状況が、こんな平凡な俺に起こったということを、いまどこかに記しておきたいと思って、初めて増田を使ってみた。何も期待せず。しかし、何か期待して。
自分で振っといてあれだが、もうこの話題はやめようよ。どっちにしたって寂しい。
素敵なら素敵で、素敵な分寂しくなるなんて、なんて寂しいんだ…。
確実なものなど一つもない、だから素敵。いやあでもやっぱ寂しいよそれは。耐えられねえ。
20代で小説読んだときはアホかよと思ったが、
今なら「失楽園」の心が、少し分かるような気がするよ…。
北風抄 - ”文学賞批判”を批判する
『文学賞メッタ斬り! 受賞作はありません編』(大森望・豊崎由美著、パルコ出版)は、書名どおり芥川賞・直木賞や主要文学賞選考のあり方を”メッタ斬り”する対談であり、ことに、選考委員のお歴々が実はまったく小説を読めていない、批評能力に乏しい─と軽い調子で鼻で笑って斬るところがミソであるようだ。
そのあたりはまあ読み流すとしても、白山市制定の島清恋愛文学賞にまで鉾先が向けられるとなると、ちょっと黙過しにくくなる。
「島田清次郎は二十歳のときに書いた『地上』という小説でベストセラーになったばかりに人生を誤ったんですね」との認識も粗雑に過ぎるが、「最後は早発性痴呆(現在の統合失調症)と診断されて精神病院に収容され、肺結核にかかって三十一歳で死んじゃった。こういう人を記念して恋愛文学賞を創設した白山市はたいへんな勇気があるなと思いました」との発言には大いにひっかかるものがある。
この「たいへんな勇気」が肯定的な意味で使われているのではないことはもちろんだ。この筆法でゆけば、三島由紀夫賞も、”市ヶ谷の自衛隊駐屯地に突入、日本刀で総監に斬りつけ、割腹して果てた人物を記念して文学賞を創設した”出版社はもっと「たいへんな勇気」があったことになる。
『メッタ斬り』の対談者は石川県人が島田に寄せる微妙な心情に全く気付いていない。「島田清次郎の悲劇は何がしか石川県人の心を揺さぶるものを秘めている」(水洞幸夫氏)のであり、夢や理想や栄光を求めて東京へ出たものの、空しく挫折した無数の石川県人と島田が重なり、郷関に残った者ともどもシンパシーを呼び起こされるのかもしれない。私などは、この賞の創設を、痛ましい限りの生を余儀なくされた島田の鎮魂として意義深い、と勝手に解釈している。
『メッタ斬り』の島清恋愛文学賞への批判はそれだけではない。批判の大半は、選考委員のひとりへのかなり激しい誹謗で占められている。名前を秘すのはかえって失礼だから挙げておくが渡辺淳一氏のこと。近代文学の名作をも”メッタ斬り”にした『百年の誤読』でも、豊崎氏は渡辺氏のベストセラー『失楽園』をこっぴどくやっつけた。『メッタ斬り』では、同じくベストセラーになった『愛の流刑地』に罵詈讒謗の集中砲火を浴びせている。
豊崎氏らが『愛の流刑地』を読めないのは勝手だが、だからといって渡辺氏の選考委員としての資質まであげつらうのは行き過ぎも甚だしいと言うべきではないか。失礼千万ではないか。私個人としては、第九回の岩井志麻子氏(『自由戀愛』)、第十回の谷村志穂氏(『海猫』)の受賞など、わが意を得たりとひそかに喜んでいただけに、見当違いの選考委員攻撃には不快を禁じえない。
『メッタ斬り』が巻末で小説群を百点満点で点数評価しているのも賛成できない。文学作品はこんな評価方法にはなじまないはずだ。文学批評なるものは、褒めようと貶そうと、読者にひとつ読んでみようと思わせるのが”芸”であり、点数評価では”芸”も何もあったものではない。『メッタ斬り』が全編真摯な態度に欠け、先に述べたように当世流行の軽い”ノリ”で批評して見せるのも不快。蟷螂の斧に過ぎない地方からの発言だが、とにかく書いておきたい。