2019-05-30

無敵の人と無情

ユゴー小説レ・ミゼラブル」の主人公の1人はパン一つ盗んだ罪で19年投獄された男バルジャンだ。

19年も刑務所にいたバルジャンは、ごく僅かの刑務の給金だけを手に、仮釈放という札をつけられて社会に放り出される。仮釈放の札のせいで、仕事もなく、泊まるところもない。まさにバルジャンは今で言う無敵の人だったのではないだろうか。

彼はその後、ある司祭に招き入れられ、一晩の宿にありつく。しかし、その恩にもかかわらずその晩彼は司祭財産を盗む。

盗みを働き、逃げる最中バルジャンはあっさり捕まり司祭のところに連れ戻されるわけだが、司祭は「それはあげたのです」と言いバルジャンを庇う。

この司祭の優しさが、まさに無敵の人への救いの手であり、「例え攻撃されたとしても助ける」という聖人君子のような振る舞いだ。

バルジャンは、回想の中で「世界は俺を憎んだから、俺も世界を憎んだのだ」「しかしあの司祭はどうだろう。そんな俺を救った」と考え改心する。

今の世の無敵な人は「世界からまれ世界を憎んでいる」人たちなのだろう。そして救いの手の届かぬところにいるのだろう。

小説舞台フランス革命後の荒れたフランスであり、革命の後にも関わらず格差は色濃く残る。姉の子供に食べさせるパンをたった一つ盗み投獄されたバルジャンも、その格差どん底の人々の1人であった。

小説舞台から200年経った現代でも、格差に苦しむ人大勢おり、かといって物語のように救いの手は存在せず、無敵の人が闇落ちしているのは全く嘆かわしい。

司祭のように右の頬を打たれても左の頬を差し出すことは我々には真似できるものではないし、せいぜい憎まれないように底辺に触らず生きる他ない。無敵の人を追い詰めるなという論調は、触らぬ神に祟りなし、でしかなく、全く根本的な解決ではないのだと思う。

しかし、無敵の人を救う税など余っていないのだから、仕方ねえなあとも思うのだ。

ああ無情。

(ミュージカル版の「バルジャンの独白日本語歌詞ネットで見れるので、気になる人は見てほしい)

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん