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2018-05-06

anond:20180506205817

ヤマアラシジレンマじゃないけど、

要は近すぎるとダメなんじゃない?

ブクマ程度に距離が離れていれば問題ないのかも。

2018-02-24

ヤマアラシジレンマ

人と関わるとイライラする

なぜか?

思いやりが相手にないか

それに尽きる

思いやりのない相手と関わってもイライラするだけ

から思いやりのあるなしを見分けなければならない

しかし思いやりのない人に関わらざるを得ない時もある

そんな時は必要最小限に関わりを留めよう

逆に思いやりのある人はいるのだろうか、、

何十年か生きてきたけどいないに等しい

皆それぞれ癖があり私をバカにしたりぞんざいに扱ったりする

それはそうだろうな、人は誰しも自分のために生きるのであり自分が一番可愛いのだから

私を労ってくれる人がいるほうがおかしいのだ

結論として人それぞれがそれぞれを守るために生きるのであり、私自身も自分を守るためだけに生きていいのだ

2016-11-08

http://anond.hatelabo.jp/20161108230226

20歳ってえてしてそういう悩みになりますよね。

すごく、わかります。25歳の私でもそういう悩みを持ちます

つらいですよね、自分以外に認めてほしいのに、認められない。

からあなたも「特別」になりたいのではないでしょうか。

思うのですが、こういう悩みを持つ人は大体「そもそも自分から他人を信じられない」

ヤマアラシジレンマ的な性格が強い人だと思います

自分とはこの20年間で十分おつきあいされたでしょうから、そろそろ他人に興味を持つと良いのだと思います

かくいう私も変革中です。

2016-09-25

聲の形」見たのでおすすめする

はじめに

公式の書き方や、巷で燃えてる情報だとどんなところが魅力なのか分かりづらいなと思ったので

見るかどうか迷ってる人に向けて

どういうところが面白かったかなど書きます

 

ある程度あらすじを書かないと正直何も言えないので

導入部分だけネタバレします(いじめあたり)

 

もちろん大事な部分はネタバレしませんが

情報ゼロで見たい人は読まないようにしてください

 

ちなみに原作は読んでいません、あと私はおっさんです

  

全体的な感想ネタバレ無し)

正直予想を遥かに超える良い作品でした

Key作品を手掛けていたときのような京アニ彷彿とさせます

キャラの繊細な心理描写が、鼻に付かない程度に上手く表現されていて

一冊の小説を読んだかのような読了感を覚えました

 

テーマも非常に面白いです

一般的物語というのは人と人の関係によって生じるものが多いですが

この作品は「いじめっ子いじめられっ子障害者)」です

このような加害者被害者という関係性の作品は無いこともないですが、ここまで真正から

アプローチして面白くできていることに驚きました

まるで新しい味のラーメンを食べたときのような、「なんだこれ、旨いな」感がありました

 

原作シナリオ大分改良を重ねられているらしく、映画もできすぎているくらいによくできています

特に登場人物の心の変遷が面白いです

 

おすすめできる視聴者層ネタバレ無し)

この話は、もし小説だったなら学校図書室に置いてありそうな話です

なので、老若男女問わずおすすめできると思います

 

もちろん、もっとハチャメチャな展開を希望する人にはおすすめできませんし

小学生には難しいかもしれません

 

導入部分のあらすじ(ネタバレ

物語主人公石田将也が自殺を図る意味深なシーンからまり

そもそもなぜそうなったか小学校時代に遡ります

 

石田は小6の頃、元々粗暴なガキ大将タイプ少年でした。

どのクラスにも一人はいるような悪ガキですが、割りとクラスに溶け込んでいました。

 

そのクラス聴覚障害者西宮硝子が転校してきます

障害を持った児童普通学級に入ることはままありますが、様々な要因により、このクラスではうまく行きませんでした。

やる気のない教師。陰口を叩く女子。やがてそれはエスカレートしていき、明確にいじめに発展していきます

 

石田も、何を考えているかからないような彼女に対して「気持ち悪い」と思うようになり

途中からはいじめ筆頭として直接手を下すような存在となっていきました。

 

しかし、補聴器を何個も紛失させるなど度が過ぎたため、ほどなくしていじめがバレます

そしてクラスメイトはその罪を全て石田に負わせました。

それどころか、今度は仲の良かったクラスメイト石田いじめターゲットとするようになります

 

母親にもバレ、大金を弁償するという苦い思いをする石田

その石田に、いじめられていた西宮けが優しくしようとします。

しかしその行為理解できず、石田さら西宮に辛くあたるのでした。

 

そのまま何も解決せず、西宮は転校してしまます

 

石田は小6から高3まで「いじめっ子から近づかない方がいい」という理由いじめられます

それによってか、西宮硝子に対して行った罪の重さを自覚し、結果すっかり自己否定人間不信のような鬱屈した人間と変貌します。

人の顔すらまともに見れなくなった石田は耐えられなくなり、母親が払った弁償金をバイトで稼ぎ、そのまま死ぬつもりでいました。

 

そんな中、石田は通っていた手話教室で5年ぶりに西宮硝子と再開します。

果たして2人はどうなってしまうのか!

 

※ここまでが導入部分で、こっからスタートだと思います

おさえておきたいポイント

要点

 

疑問

これらが分かったとき、私は「いい作品だ」と思いました

その後の展開は?

 

石田西宮クラスメイトを中心に展開しま

 

個人的面白いと思った点

 

石田とともに罪悪感を覚える

最初石田○ねとしか思いませんが、いつの間にか感情移入していきます

すると西宮とどうなろうが、必ず罪悪感がつきまとい、優しい行動にすら違和感を覚えていきます

「俺なんかが話していいのか」「嫌がっていないか」「喜んでもらうにはどうすればいいのか」

そんな感情ラブストーリーで感じるものに少し似ていますが、罪の意識が強い分、別の何かです

喩えるならヤマアラシジレンマでしょうか(エヴァネタ

このモヤモヤ感は是非味わってほしいです

 

登場人物の変遷が面白い

西宮という存在によって、登場人物が思い悩みます

そして西宮自身も思い悩みます

 

そのどうしようもない中で、状況だけが変わっていきます

その登場人物の心情や状況がどんどん変遷していく過程面白いです

  

小学校時代西宮登場前と後、高校時代西宮登場前と後と、フェーズが多く

その上家族まで関わってくるため、なかなかに層の厚い話に仕上がっています

 

登場人物の配置

周りの登場人物が、いじめ筆頭から部外者まで連綿と配置されているところも面白いです

現実でも問題の中心に近い人だけが存在するわけではありません

西宮と他の者、石田と他の者の距離感一定ではないのですが、そのことで良いテイストが出ていると思います

  

加害者被害者

加害者被害者というテーマは実際のところ非常に難しいです

バランスを欠くとどちらかにご都合的になったり、ダレたり、気持ち悪さが残ります

でもこの作品はそういう灰汁が出てないんですよね

 

永束くん

永束くん

 

おわりに

聲の形はいいぞ

 

2016-06-07

http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20160606131354

http://anond.hatelabo.jp/20160606131354

zu-ra ちゃんと読んでないけど、とにかく気持ち悪い。恋愛解説はいらない。解説せずに気持ちを共有できるのがパートナーなんだよ。

じゃあ顔がキモいだのファッションセンスゼロだの言わなくても伝わるんじゃないかな^^

Cru 確かに男女逆にしたら評価最悪だ。なるほどー。しかしそれで元増田攻撃するのはどうか。男女関係には入れ替え可能対称性はないとまず認めるべきなのかも。

女性DVは男が泣き寝入りするのがあたりまえだよね~わかるぅ~

suna_kago 先ほどの記事の「怒るコメント」側ですね。駄目男を好きな女の愚痴惚気が、自分を駄目だと思いたくない無関係の駄目男のプライドを傷つけた、ということだと思います

DVし慣れてる自分ダメだと思われたくなくて傷つけられたプライド他人投影しはじめたのかな?

dgen ダメ男を好きになるタイプってことでいいんじゃないの?母性本能をくすぐられて「あなたダメな人だから私が面倒みてあげる」的な。男だってドジっ子を守ってやりたくなるとかあるでしょ?

atoh “ありのままアナタが好き”って増田が思ってるってわからないってなんだかもうすごいな。

好きならDVしてもいいよね~わかるぅ~

white_rose 上から目線て言ってる人たちは、童貞コミュ障で顔がいまいちな人は好かれる理由がないと思ってるぽいんだよな。魅力が特筆されてなくても良いところあるんだろうと普通に思うけど、彼ら自身が信じてないのだろう

童貞コミュ障で顔がいまいち」とわざわざ言う必然性がない、という話を全く理解できていない。「おまえが童貞コミュ障で顔がいまいちでも気にしない」のが事実からといって「おまえは童貞コミュ障で顔がいまいち」と発言していい理由にはならない。それをわざわざ口にして「世間一般からしたらおまえのスペック価値がないけどわたしに愛されてることに価値見出してね」という典型的DV洗脳手法をやってることが悪だという話だ。

skgctom 「自分がしくじった事を素直に認めて謝罪し改められる誠実さ」と「プライドの捨てどころを知っている事」の2点において元増田彼氏はその辺の男と比べ物にならない程精神が高スペックな気がするんだけど…

書いてもないことを妄想っすかいつどこで認めて改めてプライドを捨ててる描写がなされてるのか意味不明

mukudori69 うすぼんやり感じてたけど、やはり元増田に反感をもつ人は「スペックの低さ」に言及されたことに怒り、そこから全てを邪推してる。信じられないかも知れないが、人を好きになる要因てスペックだけではないんだよね!

Ayrtonism 元増田が「スペック関係ない」っていうつもりで書いてる文を、この増田曲解してる。アンサー増田としては低レベルで、さすがにちょっとかわいそう。

fjsk 他者向けのアドバイス記事何だかスペック解説含めた内容になるのは普通じゃ?会話の100%再現してるわけじゃなし。センシティブすぎるよ…

babi1234567890 なんでそんなひねた見方をするんだ。あれは、顔が良くないとか、作法を知らないとか、童貞とか、そういったことじゃないことを重視している女性がいることを示すエールじゃないか

cauchym 元増田読んだけど、これ「彼氏の良いところを増田に明記してなかっただけの話」に思えた。本筋とは関係いから。それをここまで叩けるって、偏執というかお客様体質というか。恐ろしい。

童貞コミュ障で顔がいまいち」を本当に気にせず愛してるなら口にする必要性がない、口にする時点で改善しろという欲望の発露と見るのは当然。わざわざスペックに触れずにはいられず、自分好意理由を伝えられない時点でスペックしか見てないんだなぁと思われるのは上記で述べたとおり当然。むしろ好意があるからDVをしてもいいというのがまちがっているという話だ。

pew だから最後に、相手事情理解を示した上で「私が彼が(に?)自信を与えられるよう〜」で締めてるでしょ。彼氏経験不足に起因する問題で、どうしてパートナーにばかり理想的配慮を求めようと思えるのか。

他人説教するときブサイク!と叫んでから初めてもセクハラにはならないと、良い社会だなぁ

spiral ヤマアラシジレンマを軽く思い出したけど、これに引っかかりを感じるってどれだけ自己否定?w 風船に爪楊枝生やしたヤマアラシで誰と会っても破裂して文句言うんだろうな。

morita_non 非モテ(もう死語かも)の典型的思考自分のような低レベル人間を好きになる低レベル人間を好きになることは出来ない。みたいだと思った。

ブクマカにありがち。議論の詳細に一切触れなかったり関係のない部分でマウンティングだけしかできない脳を晒せる格好良さ。

2015-12-01

http://anond.hatelabo.jp/20151130233842

これをハリネズミのジレンマと言います

お互いに針が刺さらない丁度いい距離が見つかると良いですね。

 

そして、関係ないけど

なお、実際のヤマアラシは針のない頭部を寄せ合って体温を保ったり、睡眠をとったりしている。(wikipedia嘘か誠か事典より引用

想像すると、なんかかわいい

2015-11-09

http://anond.hatelabo.jp/20151109043446

ブコメありがとうございます。私の場合は、

  • 愛撫の時、指に力が入り過ぎたり、動きが速すぎたりして痛い
  • 挿入時、まだ十分に濡れておらず、擦れる感じで痛い
  • 角度や勢いによっては内臓がぐりぐり圧されている感じで痛い

などでした。

三番目の項目については、婦人科検診で子宮筋腫発見されていますので(経過観察中です)、その影響もあるのかもしれません。特定の角度や体位は避けるようにしています

痛みには、健康状態や体のリズムもあるでしょうし、お互いの気持ちの盛り上がり方や距離感もあると思います

夫は恋人時代から「痛かったらすぐ言ってね」「○○ちゃんの気持ちがいいことを教えてほしい」と

いつも言ってくれていましたので、私も安心して「痛いよ」「触るか触らないかぐらいの力がいいです」と

感じたことを告げていました。

セックスときに率直になれたことは、ヤマアラシたちの針を徐々に短くしてくれたように思います

2015-08-07

心理学詳しい人おしえて!

それほど親しくない人とは普通に付き合えるのに

親しくなるとぎこちなくなったり、相手を試すような行動をとってしまう症状を示す用語ってなんでしたっけ。

ちゃんとなんとか症候群みたいな名前だったと思います

私がぐぐってもヤマアラシジレンマしか出てこないけどこれじゃないです。

Yahoo知恵袋でも質問投げてますけど反応が帰ってきません。

2015-08-02

新聞の「平和への句」、ただの“恨”だらけでは?

実家で取ってる新聞の1面に毎日平和の句?」みたいなのがのってんだけど、世界平和に向けた願いを読むというよりも、ただの日本国政府批判が目立つ気がする。

平和の為に世界がどうあるべきかとかではなく、ただただ「日本が悪い」「もう一度戦争をしようとしている政権を許すな」みたいな。

なんていうかな、攻撃されても手を出すな、とか、殴られても防戦(抵抗)するな、みたいなのは本当に平和の句なのか?

殴られても防戦しなければ、相手がますます殴ってくるだろうに、それが本当に「平和なのだろうか。

それってただの「やられっぱなし」「サンドバック」「かも」って言うと思うんだけど。

ヤマアラシが針を持つのも悪いみたいな理論だよね。

2015-06-21

マッドマックス観た!!!!序盤のあらすじをわかりやすく紹介する!

ドンドコドンドンドンドコドンドンドンドコドンドンドンドコドンドンドンドコドンドン

ドンドコドンドンドンドコドンドンドンドコドンドンドンドコドンドンドンドコドンドン

ドンドコドンドンドンドコドンドンドコドコドコドンドンドンドンドコドンドンドンドコ


シュッ パクッ


ぶおおんん


ドカーーーーーーーーン!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!


おんぶおんぶおんぶおおん


シュッドカーーーン!!ゴロゴロゴロゴロゴロゴロ!!!!!


パパ~



( ゚д゚)ハッ!  ジュー!


ガシャン ドッ ブラーン ガキーン!!! ジャボン!!!!!


イモータンジョーイモータンジョーイモータンジョーイモータンジョーイモータンジョーイモータンジョーイモータンジョー!!!!!

どばああああああああああ

ひゃあああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!


大隊長?」「東よ!!!


スプレンディーーーーーッド!!!!!


出陣だああああーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!!!

ハンドルをもてええええええええええええ!!!!!!!!!!!!!!!

V8V8V8

ドンドコドンドンドンドコドンドンドンドコドンドンドンドコドンドンドンドコドンドン

ドンドコドンドンドンドコドンドンドンドコドンドンドンドコドンドンドンドコドンドン

ドンドコドンドンドンドコドンドンドコドコドコドンドンドンドンドコドンドンドンドコ

ぢゅいーーーーーーーーーーーーん ぶぉん

ヤマアラシ族だああああ!!!!!!!!!

がつーん がつーん どかーん!!!!!!

追っ手だあああああ!!!!!!!!!!!!!!!


ごうんごうん ぐるぐるぐるぐるぐる どかーん どかーん どかーん!!!


( ゚д゚)ハッ!

2015-03-25

http://anond.hatelabo.jp/20150325023346

愚行権定義だとか、公共の福祉抵触しない程度に個人の欲望は優先されるとか、自然状態人間社会契約することで社会が成立するだとか

そういう理由でそれに意見することはできるけど、俺が描いていたのは、そういう文脈じゃないんだよ

出発点は「碇シンジがどうしてアスカの首を絞めたのか」「碇シンジの結末はあれで良かったのか?」と言う所

Air/まごころを、君に(以下、旧劇)」での2回の首絞めはどのような経緯だったのかと言うのが不思議だった

そして、どこか自分自身でもその行動に共感する所があったから、色々と調べて、他のエントリでも記述していた

結論から言えば、「碇シンジの首絞め行動には共感する部分があるが、それは余りにも典型化され過ぎていて、それが故に劇的で。劇的であるがゆえに、(アニメからというのがわかっていつつも)その描写に”気持ち悪さ”を覚える人もいると言う気持ちが分かる」と言う感触だった

人間と言う存在を1列にした時に、その端っこの部分にいるような感触がした

もちろん、アニメというのは個性能力も可愛さも格好よさも病理も苦悩も、極端化するものから仕方ないし当たり前だ

人は典型化されるから、分かりやすく特徴が表現される劇的な描写っだからこそ共感する

からこそ、本来であれば碇シンジの個人の人生で賄われるべき事柄に、アニメ描写必要性で以って全人類を巻き込んだ所に気持ち悪さが感じるという意見にも共感すべき所があるという感触だ

さて、細かい経緯を描き並べる

適当に拾い読みしてくれれば良い

碇シンジが首を絞めた理由としては、ここを参考に所が大きい

碇シンジは父親に捨てられたという体験がもとになり、いわゆるヤマアラシジレンマになっている状態だ

自分には価値がないから捨てられる」「捨てられるのは嫌だ、だから最初から関わらない」「人と関わりたいが、捨てられるならこちらから捨てる」という心情である

精神分析で言うなら、自体愛・自己愛の所で止まり対象愛、つまり他者他者として認め愛そうとはできない部分だ

(つまり自分を愛していて、安定しているか他者を愛することで自分も満ちるようにできる、共生的な状態にないと言う事)

旧劇における結末は、どのようなものだったか

描写としては「碇シンジ他者存在必要とし、全人類との一体化を否定してアスカと2人きりになった」という所だろう

すべてを一つにしてしま混沌を母的な存在とするなら、自己他者を切り分けて境界線を引くのは父的な存在である

父的側面の足りない碇シンジ自分とい他者を切り分けられたのは、極端な自己愛から脱却しつつあることを意味する

(なお、旧劇の該当シーンで地球細胞分裂のようになるのは、人が”切り分ける”事を通して分離個体化する事のメタファーとして効果的だったという感想自分は持っている)

人と他者が分離すれば、そこには常に自己愛の危機がある

ATフィールド訳語絶対恐怖領域である事を待たずとも、当たり前のことである

人は他人を受け入れたりもするが、受け入れなかったりもすると言う話に過ぎない

しかし、碇シンジはそうした絶対恐怖領域に耐えられるのだろうか?

碇シンジは旧劇終盤でアスカの首を絞めた

それは、「もしアスカが起きたらまた自分は拒絶される、だから拒絶=殺害したい。でも世界にはアスカしかいない、拒絶したら、もう2度と他者と触れ合えない。でも、でも、でも」と葛藤している所を表している

からアスカが「大丈夫、怯えなくてもいいよ」と頬を撫でると力が緩み、涙を流した

ここでアスカが言った「気持ち悪い」の意味に関しては、本筋とは関係ない上にまだ把握できていないので割愛する

さて、旧劇における首絞めの理由共感できる部分があると思った自分は、その過程(人類補完)と結末(アスカへの首絞め)が碇シンジにとって救いとなっているのか、新劇場版(以下、新劇)が作られたと言う事は、同じ結論にはならないのではないかと思った

(例として、新劇・破における碇シンジ自分個人の理由から綾波を救出し、周りの意見を聞かなかった結果、Qにて自分言葉が届かなくなってしまったなど、旧劇とはまた違う結末になりそうという所だったり)

そして、もし結論が違うのであれば、旧劇の過程結論は間違いだったのかと思った

シンジデストルドーはどのように救われれば良いのか、分からなくなった

そこで、エヴァに関しての考察は停止して、救いとは何かについて別の視点から記述した

結論から言えば、人は完璧世界(他者が居らず、自己愛けが満たされ、幼児的万能感の世界で神になる、自分が傷付かない世界)を目指そうとすれば死ぬしか無くなり、生きることは苦しんで研鑽したり、自己に閉じこもり堕落する事を繰り返し葛藤しながら何とかやっていくことに過ぎないということだ

坂口安吾が「生きよ堕ちよ、その正当な手順の外に、真に人間を救い得る便利な近道が有りうるだろうか」と言いつつも「だが人間永遠に堕ちぬくことはできないだろう」と言った事と同じである

生きると言うことは決して楽なことではなく、むしろ葛藤を抱え、時に逃避したり自責感に自殺を選びたくなっても、ともかく自分なりの現実を作り生き続ける事に他ならない

そこまで考え、旧劇における結論他者存在がまだまだ希薄だが救いがあると思った

碇シンジ他者を認めつつあり、自分葛藤自分なりに処理していくことができるようになるだおる

しかし、その過程にてエラーがあった

碇シンジは、生きるか死ぬかの所で他の他者すべてを巻き込んでしまった

復活したのはアスカだけである自分は思っている

あの世界では、もう生きようと思っても生きられない

さらに言えば、その過程碇シンジと同じように葛藤を抱えて生きようとした全世界人間の救いを奪ってしまった

そうした自分勝手な行動によって他者の救いを奪ってしまった事、そしてやっと他者を認めつつあるのに、アスカ以外の人間を復活できなかった事から生じる生きられなさ

そういう結論から碇シンジ内面が何の関係もない他者人生世界の命運と”繋がってしまう”というエヴァンゲリオンに「だからエヴァンゲリオンを見た時の気持ち悪さはそこにあるんだと思う」という感触があることに否定が出来ない

いわゆるセカイ系の気持ち悪さと言い換えても良い

現実世界において、どれだけ葛藤を抱えても世界他者が壊れないのと別に

セカイ系においてはそうした葛藤世界他者が結ぶつきやすく、すぐに取り返しのない事に合ってしま

ある意味で、作品世界全部が主人公と一体化しており

それはその作品世界主人公が神になり、幼児的な万能感を得ているような感触を受ける

からこそ、最初エントリでは「だからエヴァンゲリオンを見た時の気持ち悪さはそこにあるんだと思う」と書いた

2013-04-30

青二才の人はどうすれば精神リストカットをやめられるのか

真夜中に眠れないほど精神的にめいってしまたから書いた。久方振りに「どうしようもない」ほどの体調不良経験してるが…涙も治そうという気力も出ないことに危機感を感じてる。本音しか書けなくなってしまったよ

TMくん( @tm2501 )のはてブや発言を読んでいると痛々しいと思うんだが、いわゆる「イタイ人」ではないんだよなーと思ってて、色々考えた結果「精神リストカッター」というあたりで腑に落ちた。彼の魂はどうすると救われるかなと思ったりする。

一応、振られたから返しておきます。「精神リストカッター」ってなんぞですか?

あ、言葉自体は私の造語なので…。「肉体ではなく精神ココロ)に対し自傷行為を繰り返す人」くらいの解釈でおねがいします。ちなみにTMくんに自覚があるかどうかは関係ない。外野から見てそう見えるって話なので。

小学校でたときには少なからず、自覚があったので否定はしません。(詳しくは今日の朝に投稿した記事で)それは歪んだ家庭環境ゆえに仕方ないものだと思ってます。気がついたときに僕が病まずに努力し続ける精神を獲得するためにはこれ以外の方法が当時はなかったと

あ、その行為自体は否定するつもりはないのです。あんまりいい意味に使われない言葉ではあるので申し訳ない。…どっちかというと、今のTMくんがどういう方向に進みたいのか、永遠にリスカし続けることをよしとするのかみたいなのが見えてこないなーと思って。

そこで望みが叶えば、ある種真人間になれるチャンスはあると思うのですが…自分の現状から言えば、劣化有村悠みたいな末路しか見えないのは認めますね。彼よかコミュ力社会性はあるが、才能も知識もない。行くも引くも地獄になるのは確かに目に見える話ですね

真人間じゃないとという考えが、凝り固まってるなあと思いますバイリンガルを目指せばいいだけなんだけどね、これって。別にどれか1つのコミュ世界だけじゃないわけだし。それに、才能や知識なんかなくたって、生きていける世界は多々あるんですよ。

言われてみると、昼と夜の顔(公私)を両方ともをちゃんと作ろうとすると、どうしてもひとつの顔につながるようなルートを求めてしまうのがダメなのかもしれませんね。才能や知識のいらぬ世界で大多数の人は生きていくはずだが、それを説明する言葉を僕はもってない

なんとなくだけどオンリーワンNo.1以外は全部ダメ!思考が見え隠れしてるなあと思います。合わせ技で1本!もありなんだよとかそういう風に考えられるといいかなあと。あと、公私は無理に1つにしなくていいと思う、というのが私自身の経験則

オンリーワンNo.1以外は全部ダメ!思考」真に戦うべきはこの思考なんですよねぇ…。これのおかげでたった一人でブログを大きく出来たけど、これのせいで二つの道を緩やかに成立させることが手抜きに感じてしまう。どちらか一本をすごく真面目にしてしま

青二才の敵は青二才自身の自意識。 ここに気付いたのはエライ。 あと一歩だ。頑張ろう。


オタクコミュニケーションは手軽に深いコミュニケーション体験を得られて、麻薬的な快感を味わえてしまうんですよね。それをうっかり10代前半とか半ばに覚えると、なまじ味わってしまっただけに、この感覚を味合わえないコミュニケーションを異様に軽視しだすと思いますオタクコミュ障の原点は多分ここなんだと思う。、刺激が強いコミュニケーションを求め続けた結果がそれかも……という事で次なる仮説を考えておりますwそれぞれ味わいは違うけどおいしい、って理解ができればなんとかなるとも思うんですが、ジャンキーヲタコミュにハマると難しいかもですねぇ。

無分別にオタクな用語をバラまいた結果、それまで築けていた間柄が傷つき、ボロボロになっていく過程こそが、コミュ障への過程のものなのではないか。まさにどこかのヤマアラシジレンマではないか。さて。この段階で分別があり、それまで使ってたコミュニケーションも手放さなければ、おそらくコミュ障の症状は軽度で済むと思う。問題は「闇に呑まれよ」ではないが、なんとかしてこのジャンキー快感を味わえるコミュ方を駆使したい誘惑に抗えなかった人だ。当人は、ただ刺激の強いコミュニケーションをしたいだけなんだけど、周囲から見たら突然コミュニケーションプロトコルが変わった人は一般的に「奇人」と言われる。親や友人に奇人扱いされるようになったら、いよいよオタクコミュニティしか場所がなくなる。距離感おかしくなるのは、自分通信プロトコルが変わった自覚なしに、相手に通じない、刺激的なプロトコルを発し続けた結果なのか。通じればコミュが成立するけど、通じないコミュニケーションはひたすらノイズでうるさいだけだ。けど 「ぼくのかんがえたさいきょうのプロトコル」 が通じないことは二重の苛立ちを生む(素晴らしい物が認められない苛立ちと、通じないことそのものへの苛立ち)けど、自分プロトコルに酔ってるから捨てられず被害が収束しないのか。本来はバカバカしいし投げ捨てるべき物なんだけど。あと、ここまで来ると多分、通常の汎用的なプロトコルが下に見えてしょうがない。だからこれを採択する気はないし、おそらくこれを使ってる連中を見下してる。とすると余計に殻に籠もって、自分だけの歪なプロトコルに益々酔いしれていくのか。うわあ。本来は相手に通じてナンボのプロトコルなのに、どんどん自分しか使えない役に立たないプロトコルに入れ込んでいくアンビヴァレンツ。しか翻訳すら許さない(翻訳はこの役に立たないゴミにあるはずのない品位を貶めることになるため)からゴミ加減が益々kskするだけなのに余計に…うわあ。あとはこのサイクルが行くところまで行って煮詰まれば、どこに出しても恥ずかしいコミュ障がいっちょ上がってしまうのか。ぐへえ。やばい。開ける気の無かったパンドラの箱無用に開けた気分だ。しか希望がないorz

この話の元は、まぁ案の定実体験なんですが、10代前半のオタ成り立て(罹患したて)の頃が案の定一番酷くて、「自分日常会話が全てマンガアニメセリフで成立できてる」って信じ切ってた頃があったんですよ。だからプロトコルに酔うというのは実体験なんです。オタク人生25年、もっと早く気付こうよ。ヒントはいっぱいあったし、多分この話は20年前ぐらいの自分でも理解できるよきっと。

自覚があるので読ませてもらいました。私自身汎用的なプロトコルとの上下関係を明確に定義したことはありません。ただ、私の中でこれで勝たなきゃ本当に母親に幼いときから押されていた「そんなこともできない奴」の烙印で一生涯潰され続ける。その絶望と戦ってたら、こうなりました

多分ここに明確な上下関係を見出す人は少ないと思います快楽に支配されると、快感にならないもの意識すらしないからです。ただ、使い方によっては確かに武器にも杖にもなると思いますが、頼りすぎると自分に跳ね返ってくるだけです。

そこなんですよね。承認欲求が強すぎる状態を僕の基準地点にしてるから話がずれたり、煽り耐性が落ちてしまったりしてる。問題だとは思うのですが、オタク界隈の悩みゆえ明確な言語化・相談ができにくい内容。ゆえにバランスのいい状態でかつ僕の自己同一性が守られる形をもってない。そういう意味じゃ少し違うのかなぁ…と思うのです。まがいなりにも自分の頭と目で作ってきたモノに評価を受け、オタク的な人だけではなく幅広い層からの支持から得た自信なので、それゆえに過信しすぎていた部分が強かった。(成功体験認識してしまうとそれを修正するのは難しい)

なるほど。あの鋭い舌鋒の台所を垣間見た気分です。でもこれを明確にコントロールできる人はやはりそういないですよ。タイミングの調節だけなら簡単にできるけど、威力とかキレ味のコントロールは強めることにしか大概の人は興味ないでしょうから、強さだけを求めてしまうと思います成功体験と結びつくと尚更修正は辛いと思います自分でつかみ取ったもので構築したとなったらなおさらですわ。壊す必要はないけど、見つめ直すことはオススメします。

くそのとおりです。昔に比べて、「一般的な思考」よりも、先にエッジの効いた青二才節が先に思いつくようになったため、知らぬ間に相手から失言扱いされるケースが増えました。演じ分けとまで言わなくても、「一般的な思考」と並列できる程度には戻したいですねぇ…。最近、悩んでいるのはその力加減なのです。オタクブロガーのままリア充真人間になるという路線でここ数箇月書いてきていたが、これがどちらからも不評であり、僕自身が疲れはててしまう事に最近気づいてしまったため、力加減の変えどころが分からず、思案していますね。正しい変化とか、更生とかそういう枠組みに入りたいとは思わないが…自分のやっていること、考えていることに無理や限界があるというのはわかる。そういう時の選択肢が欲しいねぇ…自分で作りこんでしまった自我ゆえに、一般的な処方箋を頭ごなしに押し付けられるのは御免だ。適切なモノを選ばないと

炎上以外成功してないから、他のEXITを見つけられないから困っている」というところまで自覚があるならもう少し。炎上以外の方法で注目を集められる実力を身につけよう

個人的にはオタクのままリア充になって、自分がいる場所視野を広げてしまいたいなぁ…と最近は考えるようになりました。それゆえ、オタク同士の座談会にわざと女性ナース親子)を呼んで、ホモソーシャル的な議論にしないような事をしました。

と思ってたら、どうしてこういう小手先に頼ろうとするかな。 その程度の工夫でなんとかなるような悩みならそんなにひねくれたりしないでしょう。 強がらないでもっと自分の抱えてる悩みを真剣に見つめよう

本人がまとめててワロタwww   http://togetter.com/li/485119

2012-11-06

攻撃性の論理

ものすげえムカつくことを言ってくる奴に限って

来歴が何か不遇だったり捻じくれてたりでかわいそうな奴である法則

要はヤマアラシの刺なんだよね

と思うと正直同情してまう

向こうは針逆立てて背中から突っ込んでくるというのに

でも奴に刺されて血まみれの自分をきちんと認識すると

何故かそれほど熱くはならない

ただし逆に痛みは倍加するしかわいそう度にあてられて涙が出てくる諸刃の剣

なんでこんなことしてるんだろう

なんでこんなことしなきゃならないんだろう

お前もわたしも

と思い始めると

マジ宇宙滅べってなるレベル

虚無感虚脱感がやばすぎる

血まみれの手が

もう気にならない

2012-09-22

東京の人は冷たい

田舎者は口をそろえて言うけどそれは間違いで、雑音まみれの都会生活で頭の中からゴミを追放するための生存戦略なのだ

田舎暮らしではヤマアラシのように押し寄せる余計なノイズに悩まされる経験が皆無だからからないのだろう。

確かに冷たいと無理矢理言い切れなくもないがそれは大きな誤解であって、逆に田舎者ちょっとしたアクシデントがあっただけで

すぐに周囲の目が一斉に集まるという注意散漫さを持ち合わせている(そういう散漫さは都会では紳士的でないとされる)のだからあいこではないのか?

2011-12-18

牙を持つ事を恐れる人々

自分の吐く言葉

自らの振る舞い

搾り出す行動と影響が、他人を傷付けてしまう恐怖

それを強く感じる人々がいる

自らの持つ牙を、それを抑えられない自身を

恐れ、嫌い、諦める

それでいて、他人を求めて止まない

そんな自らの身勝手嫌悪しつつも、止められない事への絶望

ヤマアラシジレンマを誰よりも体現する人々は

誰よりも他人を傷付けたくないと思っている

そう思ってしまうことが、何よりの不幸かも知れない

求めなければ、適わない事からの痛みを受けないのだから

2011-05-07

ヤマアラシジレンマ

http://anond.hatelabo.jp/20110505221836

誰もいなくなった場所うずくまる

遠くに遠ざけてしまった人達が見える

姿が眩しい、見えてしまうのが辛い、思い至るのが苦しい

一度も知らなければ、感情の向け先がなければ良かったのに

しいほどの熱を持ってしまえば、それだけ失った時に得られる空虚感は大きくて

それでも、近寄れない

なのに、近寄りたい

その存在に触れることと、奪うことが同義で、コインの裏表で、延長線上で

自分のことをまるで子供のようだと思う

加減を知らないために玩具を壊して、勝手に泣いて

欲しくないように振舞って、壊してしまうのを避けるような


辛い

乾きすぎて、足りなすぎて、寒すぎて

1人では居られなくて

紛らわすのが、自分を誤魔化すのが精一杯で、言葉遊びで煙に巻くのが最大限で

きっと、その思いは強すぎて誰も受け止められないのだと思う

相手を食い潰してしまうのだと思う

分かってるから、近寄れない

分かっていても、近寄りたい

ヤマアラシジレンマ、だと思う

2011-04-13

http://anond.hatelabo.jp/20110413115904

いやいや踏ん張って無いし

で、ベテランアドバイスしようとすると「うるせー」と突っぱねて

ヤマアラシ状態の新人には首になってもらうしか無いだろうさ。

2009-05-24

日本人女性精神が軟弱になってきている

以前日本人女性と付き合っていた経験から言えば、明らかに今の日本人女性精神は軟弱になっている。

これは一種の社会問題だと思うので、ここに書こうと思う。

俺は日本に住んでいたが、成人してからはアメリカに住んでいる。

日本人女性恋愛する機会は成人してからほとんど無かった。

しかし、たま日本人女性と交友を持つ機会はあり、日本人女性精神構造をかいま見る機会はある。

そこで思ったことだが、日本人女性はなんでも男性のせいにするというある種の甘えが常態化している。

なるほど日本人は甘えの強い民族だということは、「甘えの構造」を紐解くまでもなく今や世界的に当たり前の認識であるが、

ここで言いたいのはそういうレベルのことではない。

今の日本人女性にはこれまでの日本人に見られなかった新しい傾向が広く見られるのである。

それは、どういうことか。こんな例がある。

女性男性に限らず他の人間に何らかの不満を持ったとする。この時に、不満の解消を相手にさりげなく求めるような行動をまずとる。

これは人間として自然なことであり、とくにおかしなことではない。度を過ぎると問題ではあるが。

次に、この行動の結果として、相手が不満に気づいてないかのようなレスポンスを返したとする。

そうすれば女性はなぜ不満に気づかないのかと少し怒って、より不満を強く主張する。

ここまではいいのだ。ここまではなんということのない人間らしい行動である。

問題はこの次である。この次に、相手がやはり不満に気づかずに、不満の原因となっている言動をとり続けた場合である。

このとき、今の日本人女性は、不満をより強く主張することはせずに、「ネチネチした人間だ」とみなすのである。

ここが非常におかしい。今の日本人女性の極めてねじまがった精神なのである。

そのようなおかしな精神一部の人だけならまだしも、それが当然であるかのように日本人女性全体に見られることが、なおさら異常である。

では、これの異常性についてより詳しく見てみよう。

アメリカ女性のばあい、相手に対する不満を持続的に感じたばあいには、相手が分かるまで強く改善を要求する。

昔の日本人女性のばあい、相手が不満点を改善しない場合、我慢するかより強く要求するかどちらかであった。

ところが、今の日本人女性はどうだろう。相手の人格のせいにするのである。これは自我を守るための一つの有効策ではあるだろうが、

さすがに過剰反応であり、それだけ強く自我を守らねばならないほど日本人女性精神が軟弱になっていることを意味する。

言うまでもないことだが、相手が不満点を改善しない原因にはいろいろあり、人格というのはその一つに過ぎない。

人格以外に、不満点を相手が自覚していない、不満な気持ちが相手に伝わっていない、特別な事情があって相手に不満を与えているその言動を止めることができない、

といった原因があるものである。これらの原因の可能性を考察することなく、すぐ人格のせいにしてしまうのは、

じっくりと相手について理解を深めながらコミュニケーションをとることを最初から放棄しているのである。

なぜ放棄しないといけないかというと、それくらい自分を速やかに防衛しないと自我健全に保てないからであり、それくらい精神が軟弱ということだ。

思うに、こうした日本の風潮のなかで育った子供は、コミュニケーションを粘り強くすることを学ばず、

いつでもコミュニケーションは切ることができるものと考えるようになるだろう。

そういえば、メールやりとりでもすぐにブチる日本人女性が多いように思う。まことにゆゆしき事態である。

このように着脱が自由なコミュニケーションというのは便利で身軽な面もたしかにある。そういう意見はたしかに一理あるとは思う。

しかし、そのような考え方が日本、とくに日本人女性のあいだで広まったことで、日本人女性精神の軟弱さが加速するのではと心配である。

粘り強くコミュニケーションしたり物事を理解したりする練習を教育に取り入れるべきである。

【追記:ブクマコメについて】

既視感増田には週に1回くらい書いてる。毎回長文。

ネチネチしてる→そんなことはない。サラッとした文章でもないけど。これくらいで嫌悪感持ってるようじゃ、他人の意見聞く耳がなさすぎる。それじゃ世界観狭くなるよ。もしあなたが男性ならちょっと引く。/今気づいた。長文だからネチネチしてると言われてるのか?それだったら別問題だな。

周りに配慮を求めすぎている→いや自業自得だから勝手にしろと思ってたけどさすがに危機感持ったので文章にした次第。日本だと「郷にいれば郷に従え」で自己正当化する所があるからなあ。

俺も相手の人格のせいにして自我を守ってる→とくに守ってないけど。ネチネチしてると言われたのは俺ではなく知人。「あの人ネチネチしててやだ」って俺に愚痴ってきたわけ。本人の前で「ネチネチしてる」って言えるくらい精神強かったら俺がこんな文章書くことも無かったろうに。

ふられたかなんかあったんですか→いいや?ディープな会話に差し掛かると身をかわすところが日本人女性特有だなと興味深く思って。興味深いけどよくよく考えるとこれってヤバイ状況だなと。

比較対照はWASPですか→サンプルに偏りがあるのは致し方あるまい。反例があるなら提出してもらいたい。

観察対象が狭いだけ→だから反例を。確かに狭いとは思いますよ。

日本は「気(心)」でアメリカは「言語」でコミュニケーションする→その通りだね。アメリカでは多様な価値観の人が共存しているから、相手の気持ちをそう簡単に推測出来ない場合が多い。ちゃんと話し合わないと分からない。

派閥とか同調圧力では→周りもゆるくコミュニケーションしてるから自分もということ?確かにそれもあるけど、それを続けることで粘り強いコミュニケーション能力が失われ、

精神が軟弱になるという面もあるよね。その面から書いたのがこの文章。

見当違いのコメ多くね→予想はしてたけど、なんでかねえ。ネットだからか。ちゃんと相手の言ってること受け止めないで勝手解釈してコメントしてるって感じ。

わざわざこんな長文を書くということは、増田はまだ日本人女性に期待しているということか→なぜ長文なのかがまず分からない。日本人女性には別段期待してるわけではないが、同じ日本人としてしっかりして欲しいとは思う。

おっさんを見てみろよ。キミの指摘がピッタリ当てはまるよ。→ん?おっさんはゆるーいコミュニケーションとは対極のコミュニケーションをとっていると思うけど。

おっさんが、「これだから若者は」などとすぐ言うのは、別に精神が軟弱だからではなくて、単に頑固だから。どちらにせよ、自我を守っての言動には違いないけど。

不満点を改善することを簡単に諦める+人格のせいにする+コミュニケーションを絶つ=相手が根気よく付き合うほど自分にとって重要存在じゃないorむしろ切り捨てがメリット(不満→人格ではなく人格が不満を産む)

→もちろん相手の重要度は、対話を諦める時の一つのファクターだけど、他のファクターとして精神の強さもあるでしょ。

その精神の強さが昔の日本人女性と今の日本人女性と比べた場合、危機的レベルにまで弱まっているということを言ってるんだけど。

何人と付き合ったのよ→自慢ではないが恋愛が俺の人生の中心にあるので結構たくさん恋愛経験してるぞ。とはいえ100人もいないわけだから、あなたは少ないと言うんだろうね。

私の周りの女性は強いけどな。もはや男性に何も期待してない。→男性に期待してないのは強いと思うけど、ここで言ってるのは粘り強い対話をするための強さだからね。

男性なんてくだらないわ」という感じに男性との対話を拒絶しているのであれば、その強さは自我を殻で守って維持しているから強く見えるだけだよ。

積極的に自我を相手に晒して対話を続けていける人のほうが、たとえ見た目でやんわりした印象があっても実は強い。

我慢して付き合わないといけない男性ってビジネス以外でそういると思わないのだが→その見方は悲しい。恋愛相手、友達、たくさんいるだろう。それにあなたにとって

粘り強い対話は「我慢」かね。それも悲しいなあ。

上にも書いたけど、「どこで対話をブチるか」という決定には、相手の重要度以外に、精神の強さという因子も関係してるでしょ。

自分精神の弱さを棚上げにして、「あんな奴大事じゃないからブチったのよ」ってのは、違うと思うんだよ。

一般化しすぎるのは良くない→気づいたらすぐ発言する。これが俺のやり方です。間違ってると思うなら反例をどうぞ。

そもそも比較対象の昔っていつくらい昔?明治とか大正じゃないよね?→本文読めば分かると思うけど。

上から目線で語る→勝手にそっちが自己卑下してるだけじゃないの?でも仕方ないのかな上下関係を重んじるからね日本社会は。

不満があると人格のせいにする欧米女性もけっこういる→人格のせいにすることを問題視しているのではなく、大した対話もなしに人格のせいにせざるをえないような精神の軟弱さを問題にしているんだよ?

男と比較した実例を出せ等の批判→みかん物価が値上がりしているという証拠を挙げるのに、りんごとの比較は必要か?つまり、そういうことだ。

日本人女性精神の軟弱化を証明するのに、男性との比較は必要ない。ちなみに、俺は明らかに性差があると考えている。

アンタが女性メールしても切られまくる→そんなことはないよ。あなた女性でしょ?そういう茶々を入れてないで現実に向き合って欲しいものだ。

日本の催しももう少し子供が積極的に参加する物があるといいのでは→そうですね。催しに限らず能動参加をたくさん教育に取り入れるべきだと思います。

たま日本人女性と交友を持つ機会はあり」程度の情報でしかない→多忙だから継続的に交友を持っている日本人女性は少ないが、

たまに交友を持つ女性・一時的に交友を持つ女性はたくさんいるという意味なんだけども。

べつに恋愛関係や友人関係ではないよ。仕事趣味などでお話するような相手ね。一般化しすぎという意見が多いが、それもまた少々過剰な意見だ。

帰納した結果を反証するような事例があったらそのたびに主張を修正していけばいいのであり、全ての事例を集めてから帰納して主張しないといけない道理はないよ。

類は友を呼ぶ→少なくとも俺はそうやすやすと対話をブチったりしないけれども。

ある視点からは“軟弱”と感じられるようにならざるを得なかったジェンダリズムがあるのでは?→そうだね。それもあるし自業自得でもあるから放置してたんだけど、

先日日本人女性に「あの人ネチネチしてんのよ」って愚痴られた時に、よくよく話を聞いてみればどうも女性側の早とちりであるらしいことが分かったのを機に、

もしかしてこの状況ヤバいんじゃないかなと思って、他の人の意見を聞く意味でも文章にした次第。

改善を要求するコストが高いなら関係性を絶った方が現在社会では安上がりなので、合理的。つまり、あなたの代わりはたくさんいるってこと。ま、女性の方が合理的ってことかもね

→面白い意見女性のほうが計算高いから改善を要求するよりもコストの少ない、関係性を絶つという選択肢を選ぶ、ということだね。

しかし、相手をよく知らずに関係性を絶つことは激しく不定なリスクをともなうよね。そこまで計算してる人なんているのか?

それに、女性精神の軟弱さを合理的だからそれでいいんだよと自己正当化してるのではという疑念は拭いきれないな。

外国住まい恋愛人生の中心とは何というスイーツ男性スイーツという言葉誤用

「こうした日本の風潮のなかで育った子供は、コミュニケーションを粘り強くすることを学ばず、 いつでもコミュニケーションは切ることができるものと考えるようになる」それなら、女性限定ではないのでは?

男性女性に好かれるために粘り強く相手を受け入れる必要があるので、それが良い訓練になる。だから、男女を比べた場合、

男性のほうがまだ本文の意味精神が強靱ということになる。しかし、今後は男性もますます軟弱化していくのではないかな。

マジックワード「人それぞれ」→思考停止言葉でもある。

要約すると、“日本女性の皆さん、僕は人情の機微に疎いのではっきりわかるように言ってくれないと困ります。鈍いからといって嫌わないでください。”

→はっきり言わないことを問題視しているのではない。本人の意志でさりげなく伝えようとしているのであればまだ救いがあるのかもしれないが、

最近日本人女性はそれさえも早々と諦めている。俺はよく恋愛相談に乗るから分かるが、好きな彼氏に対してさえも粘り強い絡みが出来なくなってきている。

だから、相手が重要でないから切っているんだよという批判は当たらない。社会学では「ヤマアラシジレンマ」という言葉があるが、

その話で言えば針が刺さった時に与えられる痛みが以前より激しくなっている。だから「ゆるーく絡める彼氏が欲しいな」という女性最近やたらと多い。

うつ病不安症などが日本人女性の間で増加するなど精神的な弱さが表面化してきていた時点で、日本人女性大丈夫かよと心配していたが、その予感は的中したようだ。

個人的には僕も含めて日本全体が「人のせいにする」ようになったと思う。要は増田も人のせいにしてるんだろうね。

→1:1のコミュニケーションでは入念に自分のせいであるかもしれない可能性を検討すべきだというのは同意だけど、

日本人女性全般を語る時まで慎重になってたら誰も何も社会問題指摘できなくなっちゃうよ。

それに、観測者が俺であることによるサンプルの偏りには気を配って、今回の一般化に踏み切っているよ。

というのも、俺はいろんな人が証言する日本人女性の話やいろんな日本人女性がする俺以外の人間との人間関係の話を聴いてきている。

だから、「お前がメールして切られまくってるんだろ」等の「俺側に問題あるんじゃね」という形の批判の多くは的外れだと思う。

確かにこんな面倒くさそうな男に積極的にコミットするような粘り強さは持ち合わせていない。→上のコメント読んでほしい。

この増田みたいな欧米かぶれには「もっと対話しろ」と言われる一方、保守的日本人からは「もっと慎ましくしろ」と詰られる。日本人女性ってホントに大変だね。

→慎ましさは積極的に対話しないこととは別では?

「我慢せずに受け入れない」選択肢が増えただけでは?→そう。コミュニケーションが着脱可能になった。それによって、粘り強いコミュニケーション能力が衰退した。

その結果、粘り強いコミュニケーションをとるには多大な努力を必要とするようになってしまった。教育改革が必要である。

それから、上のヤマアラシジレンマについての箇所読んでほしい。大切な人と仲良くすることさえ出来なくなっていることから、単に受け入れない選択肢が増えただけではなく、

精神が軟弱になっているのだと分かる。

鏡を見ろ→類は友を呼ぶに対するコメント見ろ。

2008-10-27

anond:20081027174339

ヤマアラシジレンマみたい。

ショーペンハウアーはこの寓話のむすびに、自分自身の中に温かみを多く持つ者は、

いざこざを与えたり与えられたりしないように、むしろ社交から遠ざかることを好むって書いてる。

当然この哲学者は一生独身だった訳だけど。

2008-06-08

[][]人間関係には距離をおけ!

教訓 9. 人間関係には距離をおけ。

人には距離が必要なのです。

これは、日本のコトワザの「三尺下がって師の影を踏まず」や「親しき仲にも礼儀あり」と同じ考え方といえるでしょう。

車の衝突事故を防ぐために「車間距離」が必要なように、

人間社会での衝突を回避するためには「人間(じんかん)距離」を置かなくてはならないと、

外山滋比古氏は「英語ことわざ集」で書いています。


◆名言『真の愛は、相手を自由にこそすれ、不自由にするものではない』から学ぶ幸せのヒント [まぐまぐ!]

真の愛は、

相手を自由にこそすれ、不自由にするものではない。

走行する車が、

安全に走るために車間距離が必要なように、

人と人の間にも、

適当人間(じんかん)距離がなければならないのだ。

真の愛 - ☆ 真実のメッセージ ☆

Amazon.co.jp: 愛をつかむ―心に美しい花を育てる人に (PHP文庫): 渡辺 和子: 本


孤独は山になく、街にある。

一人の人間にあるのではなく、大勢の人間の"間"にある。

三木清


車間距離というのがあるように 人と人との間にも距離が必要だと思うのです

頭まで登って、顔まで舐めだす奴がいる。 俺はそういう奴が大嫌いなんだ。

【人間関係】ヤマアラシのジレンマ【アンビバレンス】

[人間関係は腹六分]

君は君の友にあまりに近づきすぎて彼に隷属せずにいることができるか

相手の同意なく相手を支配できるほど優れた人など存在し得ない。

自分の期待に答えることを相手に要求するのは、「支配」です。

相手の期待に答えることを自分に要求するのは、「隷属」です。

支配したり、服従したりしないで、それでいて、何者かで在り得る人間

私は私のことをします。ですから、あなたはあなたのことをして下さい。

愚か者でないかぎり誠実であることは危険である。バーナード・ショー

君子は和して同ぜず小人は同じて和せず

君子の交わりは淡きこと水の如し、小人の交わりは甘きこと醴の如し

小人と仇讐することを休めよ、君子に諂媚することを休めよ。

出会いは偶然、別れは必然。

Yahoo!辞書 - 人間(にんげん)万事塞翁(さいおう)が馬

2008-03-31

ヤマアラシのジレンマ。

スキ。でもホシクナイ。

キミはアノヒトのモノだから。

ネガワナイ。モトメナイ。

キライ。でも離れたくナイ。

キミはワタシのモノじゃないから。

アキラメたい。アイシタイ

でもキミはいつだってワタシを所有したがるんだ。

そばにいられない。そばにいたい。

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