はてなキーワード: ネガとは
ネガな事ばかりあげつらう人は言うまでもないが
「甘えちゃう」までならわかるけど
なんでそこで出る発作的行動が「ヒスる」みたいなネガティブなものなんだろう。
そこで出る行動がカラミとか誰かの悪口みたいなネガティブなものだと嫌だよね。
甘え方が「ベタベタする」とか「若干無理目な要求をする」とかそういうポジティブな甘えならそんな嫌がられないし、
酔い方が「馴れ馴れしくなる」とか「げらげら笑う」とかそういうポジティブな酔い方なら嫌われないよね。
人間だからある場面で羽目を外したくなる気持ちはわかるし許されるべきだけど
そこでネガティブなイヤ~な行動ばっかり見せる人って
嫌われる一方だと思うんだけど。
そこでネガに行くのが本人的に不可避かつ必須ならもうしょうがないけど、
「羽目外し」=「ネガ行動」みたいな学習がたまたまなされてるなら
不幸なことだよね。
http://anond.hatelabo.jp/20110825105018
お金持ちに大量に触れて初めて気づいた8の共通点
ここでの
と定義。
1代、としたのは、2代目金持ちニートがいると、兆戦しなくても金持ちになったりで、ほとんど偽になるのでw
→親切が定義されていない。判定不能。しゅーりょーw
よって、偽。
これは一見有りそう。
それを踏まえて、判定すると、(するなw)
反例:企業オーナーで、不親切でも社員から搾り取ってれば利益でるから、この時点で対偶は偽。
よって、
真ではない。
これは無駄遣いの定義と貧乏の定義が必要。あと、最初の所持金の設定値も必要。よって現時点では判定できない。
ある人が50万円を所持していて、
この人物が21回飲み代を消費した時点で、この人物は貧乏になる。
この定義だと命題は真。だけど、飲み会開催の周期や収入月額も計算に入れないとおかしい。
面倒なので、ここまで。
とりあえず、真。
よって偽。
これは偽。
よって偽。
詳細略。
よって、偽。
勉強の定義が不明。だけど、仕事内容を覚えるのも勉強だとすれば、
真。
確かに働く暇もなく語っていれば、貧乏になるわな。
よって真。
よって、偽。
この命題のために、最初にお金持ちの定義を、1代で3億円、と定義しなおした。
よって真。
対偶:短期的にポジティブ、長期的にネガティブはお金持ちではない。
反例:日本は長期的には終わってると説きつつ、眼前のビジネスにポジティブに取り組んでいる方々。
よって偽。
偽:お金持ちは周りを大切にする
真:お金持ちは語るより聴く
真:お金持ちは挑戦する
という結果に。
論理的に判定してみたが、実際にまとめて見ると、驚くほどシンプルである。
だがこれを全部できている人はなかなかいない。
お金持ちになりたいと思っている人は、真のところだけをマネしてみるとお金持ちにすこし近づけるかも知れない。
(1代で)お金持ちになる方法って、要は元締めになることだろ(笑)
http://anond.hatelabo.jp/20110826000200
をミックスすると、
・無駄遣いせず、
・元締めになる方法を聞き、
・元締めになるために兆戦する、
そういう人が、お金持ちになる。
「もっとよくできるかも」と思えない心がネガティブ視点を生む から引用
1を進歩したい派、2を現状で満足しろよ派と仮に名前をつけると
漠然とネガティブなこと言っちゃいけないって馴れ合いはすごくいやだね
ポジティブな人というのは要するに恵まれている環境を持って・・・
面白いのが、 ネガティブ野郎はどうやったら改心するか で、これは内容は 「もっとよくできるかも」と思えない心がネガティブ視点を生む と同じことを言っているのだが、
同じ問題点を指摘しているのだが、言葉が逆になっているのだ。この二つのいいたいことは結局同じで、現状で満足しろよ派のかりそめのポジティブポジションの危険性を説いている。
これがどういうことかというと、かりそめのポジティブポジションに引きこもり「もっとよくできるかも」と行動する人をネガティブだと決め付ける人が社会に多いという問題がそのまま現れてる。
そういう意味では、かりそめのポジティブポジションに引きこもることをネガティブと言っている【「もっとよくできるかも」と思えない心がネガティブ視点を生む】の方が尖った意見ともいえなくはないが、結局言ってる事は同じなんだよね。
みな、問題には気付いていて、同じことを問題だと思ってる。この辺にポジティブネガティブ論争の解決のヒントがあるように思うのだがどうだろう?
タイトルは何をあたりまえな、と思われそうだが、この当たり前のことを元増田はちゃんと説明していないのではないだろうか。
「ちくしょう、これはこうすればよかった。」
「あなたのあれはこうすればもっとよくなると思う。」
こうした言葉を「文句ばっかりいうなよ」「ネガるなよ」「現状で満足しろよ」とネガ発言ととる人がいる。これをポジティブだと考えてる人は、
と、現状で満足せずに「もっとよくできるかも」と考えているのだが、ネガだと取る人は彼らが現状で満足していないことにネガティブを感じる。ここで断絶が生まれてしまう。
ポジティブに受け取る人→現状で満足してない、進歩したい (前向きな俺はポジティブだな)→反省点はこうだな
ネガティブに受け取る人→現状で満足しろよ (文句いわない俺はポジティブだな)→ネガ言うなよ
全く同じことに対してこうなってしまう。ポジティブに受け取る人はもっとよくしようと考えている自分はポジティブだと思っていて、そのための反省や見返しや考察をする。ネガティブに受け取る人は、文句を言わないでやれてる自分はポジティブだと思っていて、だからこそ前者の反省や見返しや考察がネガに見えてしまう。会社や学校で、こうした断絶によるトラブルを経験したことのある人は少なからずいるだろう。
わかりやすいのが、創作系の馴れ合い。上達するには悪い所もびしびし言い合っていかないといけないのに、全部ネガだときめつけて、「ネガティブなことはいわないようにしましょう」と馴れ合う。そういう集団は上手くならない。見かけ上の仲の良さだけだ。
上手くなる人たちは、悪い所をびしびし言い合っても、そもそもネガを言われたとは考えない。否定的な事や批判を言われても冷静にそれを意見として受け止めて次に生かそうとする。
ネガティブに受け取る人がエスカレートすると、肯定的な意見以外は全部ネガだと受け取りがちになる。「私の周りの人は愚痴や文句しかいわない」と。そうなると、問題点を指摘されても素直に受け止められないから、取り巻く状況が改善せずに悪化していき、雪だるま式にネガだと感じる原因は増えていく。
さらにエスカレートするとネガティブだと感じることの原因を外部に求めるようになる。その根本は「もっとよくできるかも」と思えないことに起因してる。自分や現状が改善するという選択肢が無いから、外部に原因を求め、外部のアラがきになり、さらに世界がネガティブに染まってみえてしまう。そして愚痴を吐き出すようになり、周りの人までそのネガ循環に影響されていく。
この手の愚痴というのは、自己反省が伴わず、それこそ殆どの人にネガティブ発言、よほどポジティブに物事を取る人にもノイズとしか受け取れないようなものだ。
「もっとよくできるかも」と考えられる人はべつに恵まれた環境にいるわけではない。同じ環境にあっても、ネガだと思う人と、そうでない人がいるだけだ。
http://anond.hatelabo.jp/20110813021554
「もっとよくできるかも」と考えられるようにしてあげる。強制的に何かをやらせるのではなく、解決の糸口をいくつか提示して自らの気付きを待つ。
一度でいいから小さな事からでいいから、自分自身の力で成功や勝利を味わう機会にめぐり合えるよう協力する。うまく行く時はこんな感じなんだなという経験が1度でもないと、失敗した時にこうすればよくなるかもとは考えにくいものだ。それが全く考えられなくなる事を、人は負け癖がつくという。
かなり前に自分が書いた物だけど↓
http://anond.hatelabo.jp/20100816184559
少し話の方向性は変わるけど、漠然とネガティブなこと言っちゃいけないって馴れ合いはすごくいやだね。
本当に信頼できるとか仲がいいとか仕事がかみ合う相手ってのは、良いところも悪い所も言い合って、そしてそう言われても人格否定のようにとらずとられず、物事を純粋に意見言い合えるもんだと思うんだ。
仕事でも生活でもゲームのチームでもスポーツでも、ここはこうした方がよかった、あそこがミスだったよな、あれはもっとこうできないのかって言いあえないと上達しないけど、そうやって"前向きな反省会"をしている時に「文句ばっかり!ネガばっかりでいやだ!」ってヒス起こす人いるんだよなー。そういう人いるとチームが上達するのが一気に難しくなる。
うまく行かない原因を自分らじゃなくて他者に求めて、「あそこの会社がああだからうちがうまくいかないんだ」「あそこのチームがずるいから」ってのは前向きな反省会でもなんでもないし、文字通り何も生まないネガだと思う。そういうのこそ非難されるべきなんだけど、前にいくための純粋な意見交換までネガで括ってよしとしない風潮は本当にメンドクセーと思う。
好きなものをその時々に応じて「価値がある」とか「美しい」とか「建設的だ」とか自分勝手に賞賛する
…いやごめん、それは憶測かもしれん。
でも高確率で人は好きなものを自分の周りに置こうとしたり、追い求めたりする。
わざわざ自分の嫌いな曲を集めて聴く人なんてまずいないし、
苦手な人と付き合うという人も…いるかもしれないけど苦痛だと感じているかもしれない。
(自分が何かを嫌うという「対象への嫌悪」それ自体を好む人はいると思うし、実際にいる)。
ネガティブな発言は人を不幸の方向に導く。
不幸せになりたい人なんてのはほとんどいなくて、みんな自分が幸せになりたくて必死だというのが現状だ。
金がほしいし、
恋人がほしいし、
仕事したくないし、
気ぃ遣うの疲れたし、
時間がほしいし、
休みたいし、
あのボケナスの脊髄ひっこぬいてフニャフニャにしたろかっておもうし、
あー遠いなー 幸せって。
だからまあ、どこの誰かも知らん人のネガティブ発言を聞いてるヒマなんかこれっぽっちもない。
ストレスばっかりたまっていく。
もうちょっと説得力のあるというか、全体の最大幸福のための話だと、
要するにネガティブな発言を吐いても、主体も客体もだれも幸せにならない。
(私はいいけど)他の人が迷惑するからやめろ、という感じで主語が大きくなる。
ネクラではない「明日が楽しみな人たち」は、自分が幸せだと周りも幸せになるということを知っている。
その逆の発想で自分の不幸を拡散すれば周りも不幸になってしまうじゃないかとかなり注意勧告される。
更に明日が楽しみじゃない人たちにとってもこの説はけっこう支持される。
糾弾されるのはネクラでネガティブ発言をやめられない人たちだけになってしまった。
(ベテランのネクラになると自分をネガティブな気持ちに落としこむことですら快感になったりする。
それでもネガティブな発言をする人はあとからあとからどんどん増えていく。
仕事場や学校でたまるストレスを愚痴として発散するのと似ている。
みんな人生という仕事場でたまったうっぷんをちょっとでもごまかしたくてネガティブ発言をする。
「イヤなら見るな」と言われてもムリだ。
あーじゃあ、そういうネクラな人の心理状態を鑑みて、慎重になってネガティブ発言は見逃してあげるべきなんだろうか?
友だちのグチを聞いてあげることは許して、ほかの人のグチは聞かないし許さないだなんて不公平なのかも?
そんな誰かが割を食うような解決方法はイヤだなあ。
ネクラな人だって「我慢してやってんねんぞ」みたいな態度を感じると気ぃ悪いわ。
できればwin-winの関係がいい。
もうちょい考えを深めてみよう。
論争が起こることのそもそもの疑問が二つある。
ネクラな人たちにとってこの世界は、悲しみとか怒りとか醜さとか無意味とか悪に溢れているように見える。
しかし、もっと冷静になって考えるとそれは世界の一側面でしかないことに気付く。
ネクラな人たちが見る世界と同じくらい、そこには楽しみとか喜びとか美くしさとか価値とか善がある。
実際、自分を劣悪な環境に置いていれば、どんどんネガティブになっていくけれど、
ちょっと笑える話を聞いたり、
お酒を飲んだり、
気の置けない友だちと話したり、
引越ししたり、
仕事をやめたりするだけで、なんかちょっと楽しくなる。
環境の改善する度合いが高ければ高いほど(つまり劣悪な環境から離れれば離れるほど)、
(世界が変わるのを期待して待っていても、その前に狂うか死んでしまうかもしれない、
もっと悲惨なのは、より悪い方に世界が変わっていくかもしれないということだ)。
ぼくの書いたことがもし正しいとすれば、ネガティブな発言を我慢するだけでない、もう一つの道が見えてくる。
世界のことをよく知っている人がいるならば、この世界はどうしようもないと思っている人に向かって
と教えてあげることである。
これがやはり根本的な解決となる。
できれば言葉で教えるだけでなく、一緒に楽しいことをするといい。
言葉による理論ではなく体験による感動で理解してもらうといいんじゃないかな。
人にはその避けがたい特性があるから、誰か忍耐強い人が世界の素晴らしさを説く前にケンカが起こってしまうのだ、
たぶんね。
しかし、だからといって個人的には「対象が嫌いだ」という感情を封殺してしまいたくはない。
人はなるべく朗らかに、全てを愛する博愛主義者のように生きたほうがいいんだろうか?
そんなせまっ苦しい考え方のために人が生きているとは思えないし思いたくない。
人はもっともっと多様な価値観や考え方を持っていいと思う。
ニューギニアの島では弔いの儀式として食人の文化があった気がする。
今はない?
かならずしも弔いのために用いられた儀式ではない?
それを野蛮で邪悪な悪習だと言えるのは現地人でない人だけである。
アフリカの牧畜民ヌアのコミュニティでは、不妊の妻にかわって姉妹が夫の子を生んだり、
またその逆や、あるいは夫が子を持つ前に死ぬと兄弟が亡兄の妻との間に子を作ることがある。
前者の場合は夫の子であり、後者の場合は弟の精子で宿った命でも、亡き兄の子どもということになる。
この社会でいう夫とは、彼らの生業手段である蓄牛を婚資として支払ったものだ。
日本では親子関係は血のつながりなんだけど、彼らは牛のつながりであって、
ぼくらは彼らをバカにする時、彼らはぼくらをバカにするのだ。
「血のつながりってwwwwwつながってるわけないやろwwwwww」
ある事象に価値があるとかないとかって判断してしまうのは多くの場合、
特定のコミュニティ内でしか成立しない狭い考え方による独断と偏見でしかないのかも。
あれ?ちょっとまてよ…。
ぼくさっき”個人的には「対象が嫌いだ」という感情は封殺してしまいたくない”と書いたよねえ?
んで、
今その理由を書いたよねえ。世界にはいろんな価値観を持った人がいて、
それを認め合っていいんじゃねーの?みたいな。
「みんなちがってみんないい」論法。
でもちょっとまって。
ネガティブな発言をする人は、世界を(あるいは自分を)嫌悪している。
バーロー「あれれー?どっちの人たちも{きらい}って感情は同じだねー。」
そうなのだ。
ネガティブな発言というのはポジティブな感情ではない。絶望とか嫌悪感の表出なのである。
ネガティブ発言を許せないという人は「○○が嫌いだと、人が言うことは嫌いだ」と言っている。
これはなんともバカバカしい話だ。
自分の嫌いは認められても、他人の嫌いは認められないと言っているのだから。
ぼくは個人的にはみんなちがってみんないいと思ってるんやけど、
その前提が成り立つことを許してもらえるなら、
「自分の嫌いを認めるなら、他人の嫌いも認めていいんじゃないか?」
ってことになる。
そうじゃないと「ネガティブ発言やめろ!」と言うたびに自分のクビを絞めてることになる。
ブーメランが飛んですぐに返ってきてる。「あんたがやめろよ…」と。
このバカバカしさは「ネガティブ発言をするな」という注意喚起のけっこうな抑止力になるかもしれない。
わーい!ぼくらは誰のことを嫌いと言ってもいいんだぞー!
○○のバカヤロー!!必死に走って間に合わずに目の前で電車のドアが閉まってしまえー!!!
というわけで
これでみんなハッピー?かな?
間違ってるかなあこれ?
2つ目は若干強引な感じもするから、もっといい方法あったら教えてほしいな~◎
ここまで読んでくれてありがとうございました。
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追記
現段階で寄せられたコメントにできる限り返答していきたいと思います。
どうしても批判のほうに目がいってしまって精神的にキツいです。
お前が一番ネガティブなんじゃね?って誰か突っ込んであげるべきだと思うの
ぼくはたぶんネガティブなんだと思います。ポジティブそうに見える書き方になっていますが、
ネガティブさを排斥しようとする状況が見るに耐えられないのです。
せめて「死にたい」ぐらいは言わせてほしいのです。ほんとに死なないために。
そういう人がたくさんいると思うんです。たぶん。
殺したくないんです。
ごめんなさい。生きててすいません。
生きてるんじゃなくてまだ死んでないだけのような気がしています。
ぼくはあなたのような人と共に生きたい。許しあいたい。強い人が怖い。
よかったらぼくのブログを読んでください。
http://d.hatena.ne.jp/yukkun1986/
新人の頃、意識的なマイナス思考が仕事には重要だと教わった。物事のいい面よりも隠れた危険性を常に考えろという「かもしれない運転」的なやり方
建設的なマイナス思考ですか。たしかにそれはいいのかもしれないですね。
未来という不確定性を検証するための思考はプラス・マイナス関わりなく可能性の一つとして考える余地があるのかもしれない。
ぼくはなんの役にも立たない(かもしれない)マイナス思考も封殺したくない。
あとでよむ
お願いします。
そうだね~、「いけない」ていう義務的じゃなくって、「いいたくないなぁ」ってね、うん。
誰も傷つけたくないのですが、それよりも自分が傷つくことのほうが怖かったりします。
これに関して自分は結論がまだない
ぼくもたくさんの意見をいただいて、
これで終わりにすべきではないと思いました。
そうなんです。相手の気持ちを考えることができれば、ぼくらは少しは寄り添えると思います。
問題は、双方にその余裕があるのかということです。
個人的にはぼくたちはもうちょっと相手を褒めたり、甘やかしてもいいんじゃないかと思います。
もうこれ以上人が病んでいくのは、堕ちていくのは耐えられない。
結論は俺も同じ考え。
現状が少しでもラクになればいいんです。
死ねばラクになれる、みんながもっと優しくなってもきっとラクになれる。
ぼくはどうせなら後者のほうがいい。
わーい。ネガティブ発言してもいいんだー(違)
ぼくはそれを咎めません。咎められません。
でも彼らを嫌いになれないのです。
ぼくがもうちょっと社会的に弱い立場だったら、
その立場を利用して言い返すこともできたのに、だなんて
【一番いけないのは、お腹が空いていることと、一人でいること】という話。
どこかで泣いている人がいたら、笑わせるんじゃなくて
バーローww
ちょっと悪ノリが過ぎたかも知れません。
でもあなたが喜んでくれるなら、それはよかった。
注意喚起くらいなら別にいいよ。強制力もないし、カウンターできるし。ポジであれネガであれ、みんなで同じ方向向いてるのが一番キモい
カウンターできません。
ぼくが正しいとか間違ってないなどとは思えないのです。
ちきりんさんが最近おすすめしていた「若者殺しの時代」という本の中では
バブル経済のことを「国中上げて間違ったことはやってないだろうと思っていたのだ。」と表現していました。
ぼくが合ってるとも思えませんが、じゃあ世の中の望むべく方向が合っているのかと考えると、
ポジティブ思考のイケイケで日本は負けただろwww / 「文句言う前に努力しろ」の一言で様々なデモが潰れちゃってるんだよね、それ一番言われてるから。
ぼくはネガティブで、基本的にネクラだと思います(たまにはポジティブにもなりますが)。
「文句言う前に努力しろ」の一言でいったい何人が死んでいるのだろうと思うと、ほんとうに恐ろしい。
暗い人は四六時中年中無休で暗いわけではなく、暗いことを言う確率が高いのでは。明るい人も同様。10回会って7回暗かったら70%の暗い人確率/キャラってやつなのかしら
そうだと思います。
ネガティブな発言が少しでもその人の気を紛らわせることができているのなら、
それでまだ死なないでいてくれるなら、死んでしまうよりははるかにマシだと思います。
ネガティブな発言をしている人間はネガティブ志向と解釈してしまう時点で説得力が無い。ネガティブな事をいう奴は人生を面白がっている奴も多い。ポジティブバカのように人生を楽しもうとはしてないかもしれないが。
これはたしかにそうだと思います。ネガティブ発言を風刺漫画のようにコメディに昇華する人はいると思います
(その喩えが適切かどうかはわかりません)。
読みにくいけど、今抱えてる問題意識に近かったので読んだ/かくして、「そんなネガティブ発言してると、世間からうざいやつだと思われちゃうよ」という太宰メソッドで注意勧告する羽目になって自己嫌悪するわけよ。
人間失格にある
(それは世間が、ゆるさない)
(世間じゃない。あなたが、ゆるさないのでしょう?)
(そんな事をすると、世間からひどいめに逢うぞ)
(世間じゃない。あなたでしょう?)
自己嫌悪するしかないほど逃げ場がありません。もう首を絞めつくしました。
ぼくはそれをどうにかしたい。
何かを貶める発言をするなら逆の考えの人達から反感を買うくらいは覚悟してないとそれは甘え。反感を買ってでもする意義があると思う発言だけすればいい。
甘えたいです。ごめんなさい。
ほんとは人をイヤな気持ちにさせたくないです。ごめんなさい。
自分にウソをついて「大丈夫です」と言う度に、自分が嫌いになっていく。
皆でネガティブ言い合って皆でそれを嫌い合う。それが公平なのかも。どちらかが我慢するのはどうかな?/寛容さは大切だと思うけど。。
例えば、学校でデブな同級生に向かって「やーいデブ」と悪態をついて、
ひるんだり、へこんだりせずに「デブで悪かったな!」と言い返せることが対等で良い関係を作るのかもしれません。
乙武さんはそういうことをやっているので、みんなが彼のように強くなれればいいなと思いますが、現実はそうはいかないですね。
メンタルの弱い人に救済を。
あなたは素晴らしい人だと思います。あなたのような人が救いになるんじゃないかと思います。
出家するべき
今も思っています。
「ネガティブ発言を許せないという人は「○○が嫌いだと、人が言うことは嫌いだ」と言っている。これはなんともバカバカしい話だ。」…「フジテレビが嫌いだと、人が言うことは嫌いだ」と言っている人は多いね。
誰のこともあまり嫌いになれない(苦手な人はいます)ので、嫌いだと言ってる人に遭遇すると混乱してしまいます。
長期的な幸せを望みます。それと同時に短期的な不幸・死の連鎖を止めたい。
それらが同時にこなせたらどんなにいいだろうか。
何が間違っているのかぜひ教えていただきたい。
前にポジティブシンキングだかの企業が倒産したような。見えてる世界で綺麗醜いを言うことはプラスマイナスはないのかな。それをどう思って聞くか言うかでかわるのかな。
解釈の違いで人の反応は変わるかもしれません。
そういう人たちは怖いですが、ぼくには彼らを叱りつける権利がない。
しかし、気に入らないという思いが誰かを殺しているのかもしれないならば、
ぼくはこのケンカをやめさせたい。
ぼくもそう思います。
もし、将来ネガティブにならざるを得ない状況がひっくり返ったとしたら(つまり誰もが「明日が楽しみな人」になったら)、
根本的な解決になるかもしれませんが、その分ネガティブ発言への風当たりの厳しさは増すだろうと憶測します。
だから、やっぱり「それでいい」ということにしたい。
ぼくはもっともっと慎重になりたい。
間違ったことをしたくない。だから、
アクセル・ワールド8巻がとても面白かったのですが、未解決の伏線が多すぎてよくわからなくなってきたのでまとめてみました。
同じ作者さんのソードアート・オンラインも含めて思い切りネタバレしてますので、未読の方は注意です。また、多分に私の推測を含んでいます。
4巻で「フルダイブを実現したヘッドギア型VRマシンが開発されたのは2022年の5月」という記述があるが、これはソードアート・オンラインの世界でナーブギアが開発された時期と完全に一致する。ということで、作者がこの二作品に何らかの関係性を持たせようとしているのは確かだと言える。
あくまでも別の作品なので、ソードアート・オンラインの方のネタバレになってしまうようなことは書かれないと思うが、今後も分かる人にはわかる、というレベルの繋がりは出てくるかもしれない。
ここ数年、悪口、陰口、意地悪・・・ネガティヴなことを言うクセが治って幸せと思うことが多い。
まぁ、完全に治っていれば、治って幸せ・・・と思うこともないのかもしれないから、治りかけなのだろう。
あるサイトに、あるモノをアップロードして、人に見られる環境にあるモノがあるが、たまーに、ポツリポツリとまったく知らない方から、ネガテイヴなコメントがつく、そうするとメールボックスにメールが届く。
そのコメントを書く人に、以前は、「チェッ」とか思っていたけど、最近はまったく思わない。
「ああ、そうなんですか」と思うだけ。
そういう人生もあるでしょうし、そういう時期もあるでしょうし、そういう気分だったのかも知れないし、ずっと、そういう方かも知れないし、まぁ、それぞれ。
僕は、「そうなんですか」の「そう」でなくて、僕は、良かったとそう、思うだけ。僕はね。
今日、ゼルダとパルテナ以外のプレイアブルソフトを一通り遊んで来た。
本体付属のARゲームとジャイロを使った顔シューティングゲームが面白かった。
拡張現実モノはいままでもPCやiphone等で色々触れてきたが、携帯機のコンパクトなサイズに一つのゲームとしてまとまると、結構な新鮮味を感じる事ができた。
IMAX3Dの映画を観るのなんかとは、比べものにならないくらい疲れる。
並行法とか交差法とか使う系の「浮き出る本」
アレを延々見ているような感覚だった。
結構疲れる割りに、3Dに慣れてしまうともうソレが当たり前な感じに思えて新鮮味はすぐに薄れた。
初めて2画面タッチペンゲームで遊んだ時の方が新鮮味は長続きしたような気がする。
まとめ
この増田の大学時代の知り合いだと思う。巧妙に大学名とか年齢とかフェイクを入れているけど。
増田さんへ
実際に、少人数のゼミに入ったとき、派手な子が多いので、失敗したなって思たんだ。
うまくやっていけるか心配だったんだ。
はじめは自分にとって、最初増田さんはいい迷惑だった。むしろ嫌いだった。
自分のバイトも有ったから、皆で飲み会とか真っ平ごめんだった。
皆でいるよりは自分の家にいたほうがよかった。
でも、増田さんはゼミの地味な人達も、派手な人達も、皆で一緒に楽しく遊ぼうって言ってたよね。
仕方ないから、付き合いで一回顔を出したのを覚えてる。
確か、都内の山に行く、みたいな企画でさ、
意外と面白かった。
「一緒にしよう!」の声が、嬉しかった。
夏は海に、川に、花火に行って、冬はロッジ、クリスマスパーティー。
今までそんなことしたことなくて、全部新鮮で。
高校時代、誕生日もスルーだった私が、皆に祝ってもらった時は、ちょっと泣いちゃった。
「もっと自分でなんとかしようよ!」って言ってきたよね。
それがすっごく嫌いだった。でも、増田さんを嫌いになれなかった。
増田さんの弱さを知ったのは、増田さんが冬に、サークル棟の前で、うずくまってしゃがんでいた時だった。
部室の鍵が開かなくって、入れないだけの事なのに、うずくまってワンワン泣き出して。
彼氏が増田さんの肩を抱いてあげながら、こっちを向いて「こいつ、弱いところあるから」
って言ったのが忘れられない。
増田さんが何と戦っていたのかは知らないけど、増田さんはとっても弱い人だったんだね。
傲慢で、でも、いつも楽しそうで。
本当は弱くて、ネガティブで、駄目なところもいっぱいあるのにみんなに隠して、みんなに愛されて。
でも、増田さん、嫌いになれなかったよ。
具体例が無いとわかりにくいから、ネットゲームで例える。
もっと一般度が高い例があるだろうけど、それだと読み手の個人的な感情や好き嫌いが入りそうなので。
AさんとBさんはネットゲーム1で楽しく遊んでいました。
ある日を境にだんだんAさんがネットゲーム1のことをネガり出すようになりました。
運営のやり方が汚い、新規ユーザーの質が悪い、最近のアップデートは糞だ、新規スキルのバランスが悪い…等など。
Bさんが楽しく遊んでいるとAさんがログインしてきて、文句ばかり言います。
Bさんは、たしかに昔とは色々変わったけど運営は結構頑張ってると思うし、Aさんは昔の資産や経験にこだわりすぎて視野を狭くしているように感じていました。
新規ユーザーのことだって、ユーザー一人一人にたいした問題はない、新参がおかしな方向に行きがちなのは、おかしな情報が蔓延していてそれに真っ先に染められてしまうからだと考えています。残念なことに、初心者狩りといってギルドのメンバーを増やすためだけに見かけの豊かさを振りかざして初心者を取り込もうとする人たちがいます。彼らは、初心者にライン工のような作業やマイルールをおしつけています。Bさんは自分のできる範囲で、縁のあった初心者を自分のギルドに入れています。それは自分自身の楽しみでもあります。
Aさんを新しいイベントに誘っても「どうせ~~でしょ」とログアウトするようになってきました。そんなAさんを構ってるより、初心者の育成や新しい出会いに労力をつぎ込んでいた方がBさんは楽しいに決まってます。二人はだんだんと疎遠になって、Aさんはいつのまにかログインして来なくなりました。
しばらくたって、久しぶりにAさんがログインしてきました。なにやらカムバックキャンペーンというやつで2週間だけ無料で引退ユーザーがログインできるようです。
B 「久しぶりだね。Aがいない間に色々変わったよ。新人もずいぶん上手くなって、こないだはCのチームに勝ったよ。Aが復帰するならおいでよ。」
A 「相変わらずだなこのクソゲーは。俺はいまネットゲーム2をやってるんだ。昔チームにいたDっていただろ。あいつとあいつの知り合いもまとめて引き抜いてやった。今日はこのクソゲーからネットゲーム2にメンバーをスカウトしに来ただけだ。」
A 「ああ楽しいよ。ネットゲーム1は~のバランスがクソだろ、それで~システムが~でおかしいし、ユーザーの~がクソだろ。~ってアイテムは本当に終わってるだろ。(ry」
B 「俺らは楽しんでやってるんだ、文句だけ言いにきたなら帰ってくれよ!それとうちのギルドメンバーにこのゲームをけなすメールを送り続けるのもやめてくれ。」
A 「ネットゲーム2が素晴らしいからやってるんだ!」
B 「別に俺はネットゲーム2のこと嫌いじゃないよ。本当はネットゲーム2の方が楽しいのかもしれない。ただ、知らないだけだよ。でもそれとネットゲーム1がクソかどうかは関係ないだろ…」
A 「ネットゲーム2の素晴らしさを広めるには、お前らがやってるゲームがどんなにクソかわからせる必要がある!」
B 「おまえウザいよ…」
Aさんが本当にBさんの心を動かしたかったら、Bさんの今やってることは認めた上で、Aさんが新しく取り組んでることがいかに良いかを説明するべきだったはずです。
おちついて考えるととても当たり前のことなのに、これができなくてAさんのようになる人が多いと思いませんか?
今の~~がダメだ、~~はもうダメだ、~~の方がいい。仕事法、勉強法、政党、宗教、代替医療、ダイエット法、好きなアーティスト、プログラミング言語、Twitter、mixi、適当なものに置き換えておk。身に覚えがあるはず。
人にモノを薦める時、このことをちょっと思い出して欲しいな。
「人にモノ薦めるときにネガしか吐かないのをやめようよ」に沿うなら、このタイトル自体も、「人にモノ薦める時はまず素晴らしさを説こうよ」になるはずなんですが、それだとインパクトが薄いかなーと思って悩んだ末にこうしました。ダブルスタンダードでごめんなさい。
それと、新しくモノを薦める時だけでなく、それをやめさせたい時も同じですね。やってることを叩きまくるよりも、やめたらどんな魅力があるかを説いて相手に興味をもってもらう方が成功率が高いです。
↑
ニコニコ大百科で「東方がネタにしているが、東方と直接関係無い項目」はどこも殺伐とした雰囲気がある
ZUN氏の創作は何らかの元ネタを匂わせる二次創作的スタイル。
よって「熱心なファン」は元ネタを探ろうとする。しかし元ネタ側にとって東方という尺度で語られるのは不快
よって衝突が生じる。
「ゲームもやらないで騒ぐ」のが東方厨のイメージだが、むしろ深く追求する熱心なファンにこそ厨の要素がある
ただ電波曲で騒がせておけばいずれ飽きたものを、「原作ではこうだ。公式ではこうだ」と余計な知識を植えつけなかったであろうか?
「ゲームをしないで二次やるのはにわか」などと言ってゲームをさせ、弾幕を出すゲーム動画に「東方」とコメントさせるような人を育成しなかっただろうか?
文章まとまらんね。
東方の人はもっとうまく心の毒を吐けないものかなあ。アイマスの如くアンチスレでネガな感情を出して表ではおくびにも出さないという建前と本音の使い分けとか。