はてなキーワード: 同調圧力とは
元記事
http://yorogame.blog137.fc2.com/blog-entry-513.html
9条には問題があることを知っている人はいるだろう。だけど、税金を使った事業、公務員などがどのような理念の元に動けと書いてあるか、そのことを強く考え思った人は日本人全体でどのくらい居るだろうか?憲法には全体の奉仕者という言葉が使われている。私はトルストイに感化されてからこの文章を読んだので、とても美しい社会を善くする概念だと勝手に思った。そしてその全体の奉仕者という概念に多くの税金により給料を得ている人間はそれほど熱意をもった意識をしていないかもしれないと思った。
また、ネットとTVの間には断絶があると言うべきだろう。ネットの人間がTVで語ることはあるが、可能性の喚起という観点でみると、相互に繋がりを持たせることに、それほど効率的なやり方ではない。なんか知識人っぽいひとがごちゃごちゃ言う番組はみんないろいろ言うから、理解するコストが高い。これだ!という正解をしめすことよりはインパクトが無い。なのでネット人がTVにでても、ネット人に興味をもってネットのそんな情報を見るのは、もともとそういった資質の高かった人と言う事も出来る。
そして、日本を本当に良くする為に私は、ある程度国民に判断の指針となる理念をもってもらうため、近代国家の行動の拠り所である、法、をそれの最上位である憲法の重要さを多くの人に見られるように説くことではないかと思う。
現状の憲法の厳密な、正しい正しくないではなく、憲法の理念に基づいた行動というのを国民が意識するようになったら、憲法の解釈は人によって多少差はあるにせよ、ある政治問題について考えるための、体系的な前提を持つことになるので、それを前提として政治意見を言えば同意を得やすくできるのでは無いかと思う。
そのための行動として最も効果的だと私が思うのは、選挙で当選する見込みがあるか既に当選した政治家が、日本の様々な問題点を全て憲法に対する意識が欠けているということに帰結させるような理屈で、日本社会を善くしようという、国民にポジティブな意識、モチベーションを喚起する理念を語ることが良いのではないかと思う。現在は断絶的なメディア間の差異で国民は虚無感を抱く可能性がとても高いが、その理念に基づいてTVもネットも語るというある種の、政治意見がとるフォーマットを構築することが効果的では無いかと思う。
そしてネットとTVと新聞の世界を繋げるために、政治家はTVで希望を語り人気を集め、その詳しい論拠はネット上にあると示すという形をとるのは効果的ではないかと思う。
大阪の政治では根源的なありようのような希望を語ることによって支持をえてるように伺える。そういったやり方を模倣してその流れを促進すれば日本は今よりもっと良くなる可能性があるのではないだろうか。
また考え方をかなり飛躍させて言うなら、多少政治色をもった意味で、中国等海外で人気があり日本でも知名度の高いこの文章は雑感のまとめであり厳密性には欠ける。
私がこの文章で問題にしたいのは、日本におけるネットのTV、新聞がどのような役割を果たしているかということある。
TV・新聞といったオールドメディアと、それと比べれば、まだ若いメディアといえるインターネットが日本全体に相互に与え合っている影響を考察し、その問題点から、今日本にいる政治的影響力を持ちうる人間はどのように振る舞うべきかと言う事までを書く。
まず、社会に対して書かれた文章というものは、文章を書く人間が、抱いた、(社会を)こうしたいという意識を、書くという方法を選択した結果生まれた成果物である。
という見知でこの文章では、各メディア(主にネット・TV・新聞)の主張を捉える。
そういった視点として、メディアの主張の厳密な正しさより、そのメディアの志した方向性によって流れされた情報と、それによって喚起さうる国民の感情について考える。
まず、311の地震では、日本の各メディアはその問題に関して様々な意見が流れた。地震発生直後は地震その物の話題が大きかったが、原発の問題が発覚してからは少しずつ原発に関する情報が増えて行ったと思う。
この時とそれ以降に、私が感じた事を書く。
私が一番中もくしたのはツイッター上で様々な見解が流された点だ。私が一番印象的だったのは池田信夫氏である。彼は原発の取材をした経験があると語り、様々な自説を展開していた。それに対して色々な池田氏に対する意見が流れていた、私には批判的な意見が優勢にみえ、池田氏はあまり信用できないなという意識をもった。しかし、他の発言力の高かった人達の発言を見ても、実際どういうことなのかよくはわからなかった。
当然である。原発問題初期は原発について情報が不足していて、推理のような部分が多分にあったからだ。色々な人が原発で何がおこっているかについて色々な意見をいっているように見えた。
そして時間が進むと、放射能の問題がでてきた、それに付いても様々な意見が流れていた。
私は無職なので、一日中でもその情報を追う事もできた。だがそんなことをしたいとは全く思わなかった。色んな意見が交錯してかつ、正しい情報すら不確かな要素をもっているこの状況に情報を追うより、ある程度(半年~一年くらい)立ってからそういった過程を経て生まれた、纏まった情報、例えば新書などを見たほうが確実に問題が良く分かるだろうと思ったから。それに、私が原発のことを知っても、対して社会に意味は生じないという思いが意識の片隅にあった。
その間のTVと、ネットの関係はどうであったかは詳しくはわからないが、様々な原子力に関連のある組織が善意でネット上で公開したものにたいして、TV側が紹介をするということはあったとだろうと思う。それによって、日本社会に対する情報の取得源としてTVの比重が大きい人間に、ネットの情報を参照するための意識を喚起した可能性は高い。
だがこのことによって、日本社会は対して良い影響を受けなかっただろう。何故なら、一般人が原発に関して詳しい情報を知ること自体に私はあまり意味が無いと思うからだ。まず理解するのがコストが高い。そこで問題にたいする意識が削がれるだろうと思う。そして一般人は政治的影響力があまり無いので、厳密に正しいという情報をもっていても有効活用はあまりできない。そしてそれらの厳密な情報は政治的影響力の高い人間にとってこそ有効であることは云うまでも無い。だが日本のネット上では政治的な問題の意識の高い人間の間で、原発の科学的に厳密な情報を求める意識が高くなっていたと思う。だが現在から見て見ると、科学的な厳密さを考える事をもっと専門化にアウトソージングして、その原発問題の結果が与える影響とそれにより、日本社会が取り得るべき選択の可能性に、日本国民の意識というコストを割くべきだったと私は感じる。これはあくまでネットの情報をあまり熱心に追わなかった私の感じたことである。本当にどのメディアも積極的に見ていなかった難しくてめんどくさくてついていけないと思ったから。
原発の科学的情報を流すという方法とることの理由の根本は、日本社会を善くしようという物であると思う。その方法がもつ目的の効果を最大化させるために取り得る方法は何か。
国民に問題が起こっているが、対処にあたっていて良い結果を生むために努力をしているという姿勢を示すことである。それにより国民は政治に希望と期待などのプラスの感情、モチベーションが喚起される。よってあの次点で注目を集めるべき情報としては、正しいやり方でやっているという理念を示したものである。それにより希望をもてば人は情報を自分から進んで集めるか、焦りのような感情をもって科学的厳密さを追うこともなかっただろう。
当時にこういう指摘をしたひとはいたかもしれないが、正直全然探す努力をしていなかったので全く知らない。何か政治に語りたいなら積極的に情報をあつめるのが筋だろうけど、そういう動機付けが全然得られなかったんだ。そういった感情を掘り下げて得た見知で纏めているののがこの文章でもある。
それで原発初期から少しして以降の私の事を書く、私は精神病院に入院していた、院内ではTVしか見られなかった。3週間くらいで退院したが、TV軽くみたりネット軽くみても、原発に関しても地震に関しても似たような話というか、個人的に目に付く範囲で見た場合、個別の問題とでもいうべき問題について色々書いた文章ばかりにおもえて、はっきり云ってこういう物を私が読んで何か考える事に何の意味があるのかという思いを持っていた。そういう問題点を指摘したひとはあったかもしれない、だけど目に付かなかったのでどうでもよかった。
病院から退院してからは、大帝国とかランスクエストをやったりしてた、他に適当に本よんだり、読書メーターというのを初めて読書の記録をシステム的につけるようになって中々本を読むのが楽しくなったり、英語の勉強したりしていた、政治的なことに関してはそれなりに適当に見てたけどあまりよくわからなかった。だが10月02日にLeague of Legendsというゲームを始めて猿のようにやりまくっていた12月20日までやった。1試合平均35分前後かかる試合を900試合くらいしたと思う。その期間いつもみている政治的な主張の多いblogとか20サイトくらいいれているgoogle リーダーに全然アクセスしなかった。
それで、League of Legendsを止めてからまた本読むのが楽しくなってきて、色々と読んでいた。LoLで得られた経験から、本を読んで色々より強い影響を受けて、適当にblogにアホなおもいつき書きまくってた。どのような影響を受けたかというと、トルストイを読んで、社会全体の幸福を志向する事の美しさみたいなものを学んだ。
話を戻そう、つまり、色んな人が色んな目的でいろんなことを言っていたと思うが、私は2ヶ月もそれを無視してゲームやり続けても何とも思わなかったのだ。それがどういうことかというと、メディアは私の理屈で言えば、私の行動を変えさせる、メディアがしたい問題提起に私のモチベーションを喚起させる行動をとることは不可能ではなかった、何故なら凄い影響力の高い意見なら、私の見ている範囲のネットのblogにも情報は届くからだ。
そういう可能性をに影響を与える方法をとるということを考えることが大事であると思う。
その方法論を私なりに書きたい。
まず日本人には、共通のどういう社会を目指すべきかという根本的な理念が欠如しているように思う。たとえば憲法である憲法は理論上は国家のありようを書いた文書だ。9条には問題があることを知っている人はいるだろう。だけど、税金を使った事業、公務員などがどのような理念の元に動けと書いてあるか、そのことを強く考え思った人は日本人全体でどのくらい居るだろうか?憲法には全体の奉仕者という言葉が使われている。私はトルストイに感化されてからこの文章を読んだので、とても美しい社会を善くする概念だと勝手に思った。そしてその全体の奉仕者という概念に多くの税金により給料を得ている人間はそれほど熱意をもった意識をしていないかもしれないと思った。
また、ネットとTVの間には断絶があると言うべきだろう。ネットの人間がTVで語ることはあるが、可能性の喚起という観点でみると、相互に繋がりを持たせることに、それほど効率的なやり方ではない。なんか知識人っぽいひとがごちゃごちゃ言う番組はみんないろいろ言うから、理解するコストが高い。これだ!という正解をしめすことよりはインパクトが無い。なのでネット人がTVにでても、ネット人に興味をもってネットのそんな情報を見るのは、もともとそういった資質の高かった人と言う事も出来る。
そして、日本を本当に良くする為に私は、ある程度国民に判断の指針となる理念をもってもらうため、近代国家の行動の拠り所である、法、をそれの最上位である憲法の重要さを多くの人に見られるように説くことではないかと思う。
現状の憲法の厳密な、正しい正しくないではなく、憲法の理念に基づいた行動というのを国民が意識するようになったら、憲法の解釈は人によって多少差はあるにせよ、ある政治問題について考えるための、体系的な前提を持つことになるので、それを前提として政治意見を言えば同意を得やすくできるのでは無いかと思う。
そのための行動として最も効果的だと私が思うのは、選挙で当選する見込みがあるか既に当選した政治家が、日本の様々な問題点を全て憲法に対する意識が欠けているということに帰結させるような理屈で、日本社会を善くしようという、国民にポジティブな意識、モチベーションを喚起する理念を語ることが良いのではないかと思う。現在は断絶的なメディア間の差異で国民は虚無感を抱く可能性がとても高いが、その理念に基づいてTVもネットも語るというある種の、政治意見がとるフォーマットを構築することが効果的では無いかと思う。
そしてネットとTVと新聞の世界を繋げるために、政治家はTVで希望を語り人気を集め、その詳しい論拠はネット上にあると示すという形をとるのは効果的ではないかと思う。
大阪の政治では根源的なありようのような希望を語ることによって支持をえてるように伺える。そういったやり方を模倣してその流れを促進すれば日本は今よりもっと良くなる可能性があるのではないだろうか。
またこれらの考え方をかなり飛躍させて言うなら、多少政治色をもった意味で、中国等海外で人気があり日本でも知名度の高い蒼井そらが社会の理想と希望について語りながら、性的な事を行う映像を創ることもまた効果的であるといえる。
その理屈を使って、ネット上で論じられる著作権問題を憲法が持つ全体の利益という視点を重視して、多少厳密さを欠いたうえで語るなら、インターネット上の無料コピーは日本人が一般的に思っているほど、あまり悪いこととも言えないという理屈も導ける。
ネット上の無料コピーによる、著作権侵害が違法であるといっても、動画サイトで見るのは良いが、ツールを使って落とすのはよくないとかそういうのは根本的に考えたら些末な問題でやってることは本質的には同じとも云える。それを差異があるように演出しているのはあまり社会を善くするという意味は無いと云う事もできる。なぜなら、どのような方法であれネット上で無料コピーにより著作権を侵害するという行為によって逮捕される人は現状、全然居ないに等しいからだ。なのでこのような違法としていて一部はそれを遵守せよ!と感情的になっているがその視点は近視眼的ということもできる。そういったあまり根本的に考えなていない意見によって脅迫をかけるような同調圧力と化していると思う。全体の利益という視点を重視したら、違法としててもろくに取り締まりもおこなっていないやったもん勝ちみたいな、現状の無料コピーに対する意識というのは不自然です。赤信号は場合によっては無視してもいいという意識は誰でももっているように、無料コピーにしても、目立つ形でやった人間以外ととても運の悪い人以外には、取り締まりなど無いに等しいから、やるのは個人の判断で赤信号を渡ることと似たようなこと。という意識を多くの国民がもっていたほうが国家としては健全だと私は思う。その国民の意識に応じて法を変えれば良い。
そのようなそこの浅いときに、脅迫的ともいえる同調圧力意見というのはネットにはありふれていて、その思考方法を変化させるためにも、国家はどうあるべきかという形を分かり易く国民全員に伝えなければいけないと思う。
(終わり)
日本のメディア間の隔絶について 日本のおけるネットとオールドメディアの最適な関係の構築方法の模索
この文章は雑感のまとめであり厳密性には欠ける。
私がこの文章で問題にしたいのは、日本におけるネット、TV、新聞がどのような役割を果たしているかということある。
TV・新聞といったオールドメディアと、それと比べれば、まだ若いメディアといえるインターネットが日本全体に相互に与え合っている影響を考察し、その問題点から、今日本にいる政治的影響力を持ちうる人間はどのように振る舞うべきかと言う事までを書く。
まず、社会に対して書かれた文章というものは、文章を書く人間が、抱いた、(社会を)こうしたいという意識を、書くという方法を選択した結果生まれた成果物である。
という見知でこの文章では、各メディア(主にネット・TV・新聞)の主張を捉える。
そういった視点として、メディアの主張の厳密な正しさより、そのメディアの志した方向性によって流れされた情報と、それによって喚起さうる国民の感情について考える。
まず、311の地震では、日本の各メディアはその問題に関して様々な意見が流れた。地震発生直後は地震その物の話題が大きかったが、原発の問題が発覚してからは少しずつ原発に関する情報が増えて行ったと思う。
この時とそれ以降に、私が感じた事を書く。
私が一番中もくしたのはツイッター上で様々な見解が流された点だ。私が一番印象的だったのは池田信夫氏である。彼は原発の取材をした経験があると語り、様々な自説を展開していた。それに対して色々な池田氏に対する意見が流れていた、私には批判的な意見が優勢にみえ、池田氏はあまり信用できないなという意識をもった。しかし、他の発言力の高かった人達の発言を見ても、実際どういうことなのかよくはわからなかった。
当然である。原発問題初期は原発について情報が不足していて、推理のような部分が多分にあったからだ。色々な人が原発で何がおこっているかについて色々な意見をいっているように見えた。
そして時間が進むと、放射能の問題がでてきた、それに付いても様々な意見が流れていた。
私は無職なので、一日中でもその情報を追う事もできた。だがそんなことをしたいとは全く思わなかった。色んな意見が交錯してかつ、正しい情報すら不確かな要素をもっているこの状況に情報を追うより、ある程度(半年~一年くらい)立ってからそういった過程を経て生まれた、纏まった情報、例えば新書などを見たほうが確実に問題が良く分かるだろうと思ったから。それに、私が原発のことを知っても、対して社会に意味は生じないという思いが意識の片隅にあった。
その間のTVと、ネットの関係はどうであったかは詳しくはわからないが、様々な原子力に関連のある組織が善意でネット上で公開したものにたいして、TV側が紹介をするということはあったとだろうと思う。それによって、日本社会に対する情報の取得源としてTVの比重が大きい人間に、ネットの情報を参照するための意識を喚起した可能性は高い。
だがこのことによって、日本社会は対して良い影響を受けなかっただろう。何故なら、一般人が原発に関して詳しい情報を知ること自体に私はあまり意味が無いと思うからだ。まず理解するのがコストが高い。そこで問題にたいする意識が削がれるだろうと思う。そして一般人は政治的影響力があまり無いので、厳密に正しいという情報をもっていても有効活用はあまりできない。そしてそれらの厳密な情報は政治的影響力の高い人間にとってこそ有効であることは云うまでも無い。だが日本のネット上では政治的な問題の意識の高い人間の間で、原発の科学的に厳密な情報を求める意識が高くなっていたと思う。だが現在から見て見ると、科学的な厳密さを考える事をもっと専門化にアウトソージングして、その原発問題の結果が与える影響とそれにより、日本社会が取り得るべき選択の可能性に、日本国民の意識というコストを割くべきだったと私は感じる。これはあくまでネットの情報をあまり熱心に追わなかった私の感じたことである。本当にどのメディアも積極的に見ていなかった難しくてめんどくさくてついていけないと思ったから。
原発の科学的情報を流すという方法とることの理由の根本は、日本社会を善くしようという物であると思う。その方法がもつ目的の効果を最大化させるために取り得る方法は何か。
国民に問題が起こっているが、対処にあたっていて良い結果を生むために努力をしているという姿勢を示すことである。それにより国民は政治に希望と期待などのプラスの感情、モチベーションが喚起される。よってあの次点で注目を集めるべき情報としては、正しいやり方でやっているという理念を示したものである。それにより希望をもてば人は情報を自分から進んで集めるか、焦りのような感情をもって科学的厳密さを追うこともなかっただろう。
当時にこういう指摘をしたひとはいたかもしれないが、正直全然探す努力をしていなかったので全く知らない。何か政治に語りたいなら積極的に情報をあつめるのが筋だろうけど、そういう動機付けが全然得られなかったんだ。そういった感情を掘り下げて得た見知で纏めているののがこの文章でもある。
それで原発初期から少しして以降の私の事を書く、私は精神病院に入院していた、院内ではTVしか見られなかった。3週間くらいで退院したが、TV軽くみたりネット軽くみても、原発に関しても地震に関しても似たような話というか、個人的に目に付く範囲で見た場合、個別の問題とでもいうべき問題について色々書いた文章ばかりにおもえて、はっきり云ってこういう物を私が読んで何か考える事に何の意味があるのかという思いを持っていた。そういう問題点を指摘したひとはあったかもしれない、だけど目に付かなかったのでどうでもよかった。
病院から退院してからは、大帝国とかランスクエストをやったりしてた、他に適当に本よんだり、読書メーターというのを初めて読書の記録をシステム的につけるようになって中々本を読むのが楽しくなったり、英語の勉強したりしていた、政治的なことに関してはそれなりに適当に見てたけどあまりよくわからなかった。だが10月02日にLeague of Legendsというゲームを始めて猿のようにやりまくっていた12月20日までやった。1試合平均35分前後かかる試合を900試合くらいしたと思う。その期間いつもみている政治的な主張の多いblogとか20サイトくらいいれているgoogle リーダーに全然アクセスしなかった。
それで、League of Legendsを止めてからまた本読むのが楽しくなってきて、色々と読んでいた。LoLで得られた経験から、本を読んで色々より強い影響を受けて、適当にblogにアホなおもいつき書きまくってた。どのような影響を受けたかというと、トルストイを読んで、社会全体の幸福を志向する事の美しさみたいなものを学んだ。
話を戻そう、つまり、色んな人が色んな目的でいろんなことを言っていたと思うが、私は2ヶ月もそれを無視してゲームやり続けても何とも思わなかったのだ。それがどういうことかというと、メディアは私の理屈で言えば、私の行動を変えさせる、メディアがしたい問題提起に私のモチベーションを喚起させる行動をとることは不可能ではなかった、何故なら凄い影響力の高い意見なら、私の見ている範囲のネットのblogにも情報は届くからだ。
そういう可能性をに影響を与える方法をとるということを考えることが大事であると思う。
その方法論を私なりに書きたい。
まず日本人には、共通のどういう社会を目指すべきかという根本的な理念が欠如しているように思う。たとえば憲法である憲法は理論上は国家のありようを書いた文書だ。9条には問題があることを知っている人はいるだろう。だけど、税金を使った事業、公務員などがどのような理念の元に動けと書いてあるか、そのことを強く考え思った人は日本人全体でどのくらい居るだろうか?憲法には全体の奉仕者という言葉が使われている。私はトルストイに感化されてからこの文章を読んだので、とても美しい社会を善くする概念だと勝手に思った。そしてその全体の奉仕者という概念に多くの税金により給料を得ている人間はそれほど熱意をもった意識をしていないかもしれないと思った。
また、ネットとTVの間には断絶があると言うべきだろう。ネットの人間がTVで語ることはあるが、可能性の喚起という観点でみると、相互に繋がりを持たせることに、それほど効率的なやり方ではない。なんか知識人っぽいひとがごちゃごちゃ言う番組はみんないろいろ言うから、理解するコストが高い。これだ!という正解をしめすことよりはインパクトが無い。なのでネット人がTVにでても、ネット人に興味をもってネットのそんな情報を見るのは、もともとそういった資質の高かった人と言う事も出来る。
そして、日本を本当に良くする為に私は、ある程度国民に判断の指針となる理念をもってもらうため、近代国家の行動の拠り所である、法、をそれの最上位である憲法の重要さを多くの人に見られるように説くことではないかと思う。
現状の憲法の厳密な、正しい正しくないではなく、憲法の理念に基づいた行動というのを国民が意識するようになったら、憲法の解釈は人によって多少差はあるにせよ、ある政治問題について考えるための、体系的な前提を持つことになるので、それを前提として政治意見を言えば同意を得やすくできるのでは無いかと思う。
そのための行動として最も効果的だと私が思うのは、選挙で当選する見込みがあるか既に当選した政治家が、日本の様々な問題点を全て憲法に対する意識が欠けているということに帰結させるような理屈で、日本社会を善くしようという、国民にポジティブな意識、モチベーションを喚起する理念を語ることが良いのではないかと思う。現在は断絶的なメディア間の差異で国民は虚無感を抱く可能性がとても高いが、その理念に基づいてTVもネットも語るというある種の、政治意見がとるフォーマットを構築することが効果的では無いかと思う。
そしてネットとTVと新聞の世界を繋げるために、政治家はTVで希望を語り人気を集め、その詳しい論拠はネット上にあると示すという形をとるのは効果的ではないかと思う。
大阪の政治では根源的なありようのような希望を語ることによって支持をえてるように伺える。そういったやり方を模倣してその流れを促進すれば日本は今よりもっと良くなる可能性があるのではないだろうか。
また考え方をかなり飛躍させて言うなら、多少政治色をもった意味で、中国等海外で人気があり日本でも知名度の高い
この文章は雑感のまとめであり厳密性には欠ける。
私がこの文章で問題にしたいのは、日本におけるネットのTV、新聞がどのような役割を果たしているかということある。
TV・新聞といったオールドメディアと、それと比べれば、まだ若いメディアといえるインターネットが日本全体に相互に与え合っている影響を考察し、その問題点から、今日本にいる政治的影響力を持ちうる人間はどのように振る舞うべきかと言う事までを書く。
まず、社会に対して書かれた文章というものは、文章を書く人間が、抱いた、(社会を)こうしたいという意識を、書くという方法を選択した結果生まれた成果物である。
という見知でこの文章では、各メディア(主にネット・TV・新聞)の主張を捉える。
そういった視点として、メディアの主張の厳密な正しさより、そのメディアの志した方向性によって流れされた情報と、それによって喚起さうる国民の感情について考える。
まず、311の地震では、日本の各メディアはその問題に関して様々な意見が流れた。地震発生直後は地震その物の話題が大きかったが、原発の問題が発覚してからは少しずつ原発に関する情報が増えて行ったと思う。
この時とそれ以降に、私が感じた事を書く。
私が一番中もくしたのはツイッター上で様々な見解が流された点だ。私が一番印象的だったのは池田信夫氏である。彼は原発の取材をした経験があると語り、様々な自説を展開していた。それに対して色々な池田氏に対する意見が流れていた、私には批判的な意見が優勢にみえ、池田氏はあまり信用できないなという意識をもった。しかし、他の発言力の高かった人達の発言を見ても、実際どういうことなのかよくはわからなかった。
当然である。原発問題初期は原発について情報が不足していて、推理のような部分が多分にあったからだ。色々な人が原発で何がおこっているかについて色々な意見をいっているように見えた。
そして時間が進むと、放射能の問題がでてきた、それに付いても様々な意見が流れていた。
私は無職なので、一日中でもその情報を追う事もできた。だがそんなことをしたいとは全く思わなかった。色んな意見が交錯してかつ、正しい情報すら不確かな要素をもっているこの状況に情報を追うより、ある程度(半年~一年くらい)立ってからそういった過程を経て生まれた、纏まった情報、例えば新書などを見たほうが確実に問題が良く分かるだろうと思ったから。それに、私が原発のことを知っても、対して社会に意味は生じないという思いが意識の片隅にあった。
その間のTVと、ネットの関係はどうであったかは詳しくはわからないが、様々な原子力に関連のある組織が善意でネット上で公開したものにたいして、TV側が紹介をするということはあったとだろうと思う。それによって、日本社会に対する情報の取得源としてTVの比重が大きい人間に、ネットの情報を参照するための意識を喚起した可能性は高い。
だがこのことによって、日本社会は対して良い影響を受けなかっただろう。何故なら、一般人が原発に関して詳しい情報を知ること自体に私はあまり意味が無いと思うからだ。まず理解するのがコストが高い。そこで問題にたいする意識が削がれるだろうと思う。そして一般人は政治的影響力があまり無いので、厳密に正しいという情報をもっていても有効活用はあまりできない。そしてそれらの厳密な情報は政治的影響力の高い人間にとってこそ有効であることは云うまでも無い。だが日本のネット上では政治的な問題の意識の高い人間の間で、原発の科学的に厳密な情報を求める意識が高くなっていたと思う。だが現在から見て見ると、科学的な厳密さを考える事をもっと専門化にアウトソージングして、その原発問題の結果が与える影響とそれにより、日本社会が取り得るべき選択の可能性に、日本国民の意識というコストを割くべきだったと私は感じる。これはあくまでネットの情報をあまり熱心に追わなかった私の感じたことである。本当にどのメディアも積極的に見ていなかった難しくてめんどくさくてついていけないと思ったから。
原発の科学的情報を流すという方法とることの理由の根本は、日本社会を善くしようという物であると思う。その方法がもつ目的の効果を最大化させるために取り得る方法は何か。
国民に問題が起こっているが、対処にあたっていて良い結果を生むために努力をしているという姿勢を示すことである。それにより国民は政治に希望と期待などのプラスの感情、モチベーションが喚起される。よってあの次点で注目を集めるべき情報としては、正しいやり方でやっているという理念を示したものである。それにより希望をもてば人は情報を自分から進んで集めるか、焦りのような感情をもって科学的厳密さを追うこともなかっただろう。
当時にこういう指摘をしたひとはいたかもしれないが、正直全然探す努力をしていなかったので全く知らない。何か政治に語りたいなら積極的に情報をあつめるのが筋だろうけど、そういう動機付けが全然得られなかったんだ。そういった感情を掘り下げて得た見知で纏めているののがこの文章でもある。
それで原発初期から少しして以降の私の事を書く、私は精神病院に入院していた、院内ではTVしか見られなかった。3週間くらいで退院したが、TV軽くみたりネット軽くみても、原発に関しても地震に関しても似たような話というか、個人的に目に付く範囲で見た場合、個別の問題とでもいうべき問題について色々書いた文章ばかりにおもえて、はっきり云ってこういう物を私が読んで何か考える事に何の意味があるのかという思いを持っていた。そういう問題点を指摘したひとはあったかもしれない、だけど目に付かなかったのでどうでもよかった。
病院から退院してからは、大帝国とかランスクエストをやったりしてた、他に適当に本よんだり、読書メーターというのを初めて読書の記録をシステム的につけるようになって中々本を読むのが楽しくなったり、英語の勉強したりしていた、政治的なことに関してはそれなりに適当に見てたけどあまりよくわからなかった。だが10月02日にLeague of Legendsというゲームを始めて猿のようにやりまくっていた12月20日までやった。1試合平均35分前後かかる試合を900試合くらいしたと思う。その期間いつもみている政治的な主張の多いblogとか20サイトくらいいれているgoogle リーダーに全然アクセスしなかった。
それで、League of Legendsを止めてからまた本読むのが楽しくなってきて、色々と読んでいた。LoLで得られた経験から、本を読んで色々より強い影響を受けて、適当にblogにアホなおもいつき書きまくってた。どのような影響を受けたかというと、トルストイを読んで、社会全体の幸福を志向する事の美しさみたいなものを学んだ。
話を戻そう、つまり、色んな人が色んな目的でいろんなことを言っていたと思うが、私は2ヶ月もそれを無視してゲームやり続けても何とも思わなかったのだ。それがどういうことかというと、メディアは私の理屈で言えば、私の行動を変えさせる、メディアがしたい問題提起に私のモチベーションを喚起させる行動をとることは不可能ではなかった、何故なら凄い影響力の高い意見なら、私の見ている範囲のネットのblogにも情報は届くからだ。
そういう可能性をに影響を与える方法をとるということを考えることが大事であると思う。
その方法論を私なりに書きたい。
まず日本人には、共通のどういう社会を目指すべきかという根本的な理念が欠如しているように思う。たとえば憲法である憲法は理論上は国家のありようを書いた文書だ。9条には問題があることを知っている人はいるだろう。だけど、Permalink | トラックバック(0) | 04:44
②guldeen氏は別に強い同調圧力をかけてはいない。苦労することによる他人に対する許容力を向上させる方法の提案ではあっても強制ではない。提案の拒否もできる。
「同調圧力」なんてなしでも、拒否の自由ありでも、シバキあげる事は可能です。
そもそも
「飲食業でもっと辛い思いや忍耐を経験するのがお勧め」というコメントは、
形式上は「提案」ですが、実際に元発言者(若い人でも無職でもない)が飲食業に転職するわけがないことは
guldeenさんも☆つけてる人もみんなわかってますよね。
これは実態的には「提案でもなんでもなく
「修行が足りない」「苦労が足りない」って言ってるだけですよ。
「飲食業でもっともっと辛い思いをするまではお前は何にもわかってない」
「修行の足りないお前の『子供の騒音が辛い』はただの甘えだから却下」
と言ってるだけ。
「お前が修行しない自由はあるよ?
でもお前が修行するまではお前の意見は半人前だから認めない。却下。
おっと、お前には拒否する自由があるんだからシバキ上げなんて言うなよ?」
「ベビーカーもちの子連れ母親です、エレベーターがない駅の長い階段は本当に辛いんです」
とい声が議題になったとしますよね。
これを
「この母親は、近場のジムでもいいのでウエイトトレーニングをオシシメ(提案)。
7kgごときのベビーカーというか日常支持する重量の大半は笑って許せるようになるよ(迫真)。」
masudamaster masudamaster
差別発言を禁止するのは言論弾圧だ!と同じ骨子のことを言ってるな増田は。
「頼む、親子で死んでくれ」って言ってる奴の方が同調圧力側なんだよ。
2011/12/19
いや全然違うでしょ…
失礼だけど、話の主旨がわかってますか?
「『親子で死んでくれ』は言いすぎでしょ」っていうブコメが人気1位を取ってたなら別に疑問もわかずに流しましたよ。
「接客業を体験してもっと辛い体験をしろ」っていうブコメが人気1位だったから、これは違和感があるなあと言ってるんですよ?
実は寛容やリベラルとは正反対の論法なのにそう扱われていないのが不思議なわけですよね
「車内では歌うのぐらい我慢しろ!しつけが足りない!」
と
「騒音や迷惑行為ぐらい我慢しろ!接客業での辛い体験が足りない!」
と
実は同じこと言ってんじゃんね
こういうのってはてなでチラホラ見るけど
みなさんいったい寛容になりたいのかしばき上げたいのか
どっちなんでしょうね
と言ってるんですよ
あと個人的にはどっちでもいい
ヘビーなネットユーザー男子の不愉快なところが盛り上がっているようなので、ヘビーなネットユーザー男子の私(観測範囲:はてなブックマーク、Togetter、Favstar、vip、2chコピペブログ、ネットウォッチャーのTumblr等)による感想。
これはTwitterで見かけた。しかし発言者@kuromohairがラディカルフェミニストを自称していて、尚且つ「ラディカル・フェニミストの発言」とする題名でトゥギャられていたためフェミニストからの批判もあった。
発達障害者や同性愛者へのヘイトスピーチを繰り返す「ラディカルフェミニスト」 - Togetter
・オタクが非常識な行動をして非オタクに迷惑がかかった話を聞くと、加害オタクに肩入れする。空気を読むことを強制される日本の同調圧力への批判などにつなげて、なんとしてもオタクを擁護する。
「同調圧力批判でオタクの非常識を擁護」はよくわからない、というか見たことが無い。それ抜きで強いて挙げるならハルヒダンスやオタ芸に「いいぞもっとやれ」と喝采を送るニコニコ動画あたりか。
驚異的人数でハレ晴レユカイを踊るoff in 秋葉原(本番) 325 秋葉原駅前 ‐ ニコニコ動画(原宿)
・虐待や母子家庭、貧困家庭など本人には避けようの無い不遇な環境で育ち、結果としてグレたり低学歴になった人間に対して「自業自得」「ざまぁ」と叩く。結局低学歴DQNには共感できないから叩き、コミュ障には共感できるから擁護しているだけ。
コンクリ犯に対するバッシングと加藤に対する擁護、みたいな扱いの違いは散見される。オタクに対する表現規制問題でネットが盛り上がっていた頃、福岡で実施されたヤクザ雑誌規制は完全にスルーされていた。「低学歴には共感できないから叩き」という記述から察するにはてなダイアリーを指していると思われる。
・ストーカー被害に悩まされ、暴行を受ける恐怖に日々怯えている女性に対しても、「そこまで思われること、欲望されることをありがたく思え」と考えている。女性から需要の無い非モテ男性は「誰からも欲望されない最も不幸な存在」と吐き散らす。ストーカーを純愛呼ばわりする人間も存在する。
ストーカーを純愛呼ばわり、は見たこと無いが、欲望されていることをありがたく思え、は増田とはてなハイクでみた。「非モテ男性」と記述されていることからもはてな界隈を指しているものと思われる。
現実で女に拒絶されているから妄想の中でさえ和姦など想像できない
・「女には穴があるから人生イージーモード」と「男は何歳になってもモテ続ける優れた存在、女はあっという間に羊水腐って可哀相」を、状況に応じて使い分ける。
これは2chまとめブログでよく見かける。既婚の若年女性芸能人のスレッドと未婚の壮年女性芸能人のスレッドを比べればわかる。ソースは多すぎるくらいなので貼る必要もないだろう。
・男が「調教しやすいから」という理由で処女を選ぶのは当然の権利であり正義だが、企業が「調教しやすいから」という理由で新卒を選ぶのは「再チャレンジを阻む日本の悪習。欧米を見習うべき」と叩く。
前者と後者が同一であるという確証は無い。というか関係無いのではないかと思う。ただしYahoo!知恵袋やTwitterで、「処女厨と新卒主義はメンタリティが似ているのではないか」という指摘なら見た。
・男が女を年齢で選ぶのは「妊娠可能年齢を考えた上での本能的な判断」であり正義だが、企業が「伸びしろが無いから」「高給を要求されるから」「研修などの投資を回収しきれないから」などの理由で、採用を年齢で差別するのは「再チャレンジを~」という理由で悪。
同一人物が言っているところを見たことが無い。
・男が女を「若い」「美人」「処女」「育ちがいい」などの高付加価値スペックで選ぶのは当然の権利だが、女が男を「イケメン」「背が高い」「高学歴」「安定高収入」などの高付加価値スペックで選ぶのは「卑しい」「これだから最近の日本の女は」と叩く。
見たことが無い。「※イケメンに限る」のことを指しているのかもしれないが、これは「卑しい」という意味ではなく「男性全員を対象にしているかのような指南記事」に対する批判であり「自分とは関係の無いこと」という自虐。「これだから最近の日本の女は」はネットというよりリアルでの飲み会で壮年男性がこぼすことのほうが多いのではないかと思われる。
・男の理想を叶える二次元美少女は至高の存在であり、二次元をたしなむ男は最善の選択をしている紳士だが、おばさんの理想を叶える韓流ドラマやスターの存在は韓国による攻撃であり、ファンのおばさんは反日キチガイ。
ネトウヨとオタクは重なるのか、という話になっているようだが、それはそこそこ重なる層もあると思われる。しかし本質は他クラスタに対する嘲笑ゲームでありオタクや韓流に限られないと思う。
なんというか・・元増田は捏造すんな。はてなブックマーカーは都合の悪いことを全部2chのせいにすんな。
http://anond.hatelabo.jp/20111218204414
(追記)元増田に1.5(?)が追加されたようなので。
知的障害者や脳性まひなどの重度障害者は社会に貢献できないから見下していい、関わりたくないと考えるが、アスペは「本人も苦しんでいる」から庇護されるべきで、アスペという病気を学校や企業が理解すべきであり、人事や上司はアスペへの理解と愛情をもってアスペが能力を発揮できる環境を整えるべきと考えている。多くの女性がアスペを恋愛対象として避けるのも差別だと考えている。理解と愛情をもって接するべきなのは常に周囲だけであり、本人は「病気だから」という理由で好きなように振舞ってよいと考えている。
これは『メンヘルは「本人も苦しんでいる」から庇護されるべきで、メンヘルという病気を学校や企業が理解すべきであり、人事や上司はメンヘルへの理解と愛情をもってメンヘルが能力を発揮できる環境を整えるべきと考えている。多くの男性がメンヘルを恋愛対象として避けるのも差別だと考えている。理解と愛情をもって接するべきなのは常に周囲だけであり、本人は「病気だから」という理由で好きなように振舞ってよいと考えている。』という精神疾患者が言ってもいないのに、そう思っているに違いないと思われていること・・をアスペルガー障害と勘違いしたか意図的に改変したものだろうと思われる。
アスペの無神経な発言によって傷つけられた人についての話を聞くと、加害アスペ側に肩入れする。
理由は自分の中にアスペ的要素があり、アスペに共感しやすいから。
知的障害者や脳性まひなどの重度障害者は社会に貢献できないから見下していい、関わりたくないと考えるが、
アスペは「本人も苦しんでいる」から庇護されるべきで、アスペという病気を学校や企業が理解すべきであり、
人事や上司はアスペへの理解と愛情をもってアスペが能力を発揮できる環境を整えるべきと考えている。
多くの女性がアスペを恋愛対象として避けるのも差別だと考えている。
理解と愛情をもって接するべきなのは常に周囲だけであり、本人は「病気だから」という理由で好きなように振舞ってよいと考えている。
オタクが非常識な行動をして非オタクに迷惑がかかった話を聞くと、加害オタクに肩入れする。
空気を読むことを強制される日本の同調圧力への批判などにつなげて、なんとしてもオタクを擁護する。
虐待や母子家庭、貧困家庭など本人には避けようの無い不遇な環境で育ち、
結果としてグレたり低学歴になった人間に対して「自業自得」「ざまぁ」と叩く。
しかしいじめが原因でコミュ障になり、就活などで不遇な目に遭った人間は擁護。
結局低学歴DQNには共感できないから叩き、コミュ障には共感できるから擁護しているだけ。
ストーカー被害に悩まされ、暴行を受ける恐怖に日々怯えている女性に対しても、
「そこまで思われること、欲望されることをありがたく思え」と考えている。
女性から需要の無い非モテ男性は「誰からも欲望されない最も不幸な存在」と吐き散らす。
結局、強烈な欲望を向けられて恐怖を覚えた経験が無いから被害者には共感できず、
「男は何歳になってもモテ続ける優れた存在、女はあっという間に羊水腐って可哀相」を、状況に応じて使い分ける。
前者は低学歴・貧乏・母子家庭などのスペックの低い女性を「女ってだけで恵まれてたはずなのに何やってるの?w」と叩くときに使い、
後者は高学歴・高収入・勝ち組などのスペックの高い女性を「調子に乗ってるようだけど女ってだけで負けだからねw」と叩くときに使う。
男が「調教しやすいから」という理由で処女を選ぶのは当然の権利であり正義だが、
企業が「調教しやすいから」という理由で新卒を選ぶのは「再チャレンジを阻む日本の悪習。欧米を見習うべき」と叩く。
男が女を年齢で選ぶのは「妊娠可能年齢を考えた上での本能的な判断」であり正義だが、
企業が「伸びしろが無いから」「高給を要求されるから」「研修などの投資を回収しきれないから」などの理由で、
採用を年齢で差別するのは「再チャレンジを~」という理由で悪。
男が女を「若い」「美人」「処女」「育ちがいい」などの高付加価値スペックで選ぶのは当然の権利だが、
女が男を「イケメン」「背が高い」「高学歴」「安定高収入」などの高付加価値スペックで選ぶのは「卑しい」「これだから最近の日本の女は」と叩く。
男の理想を叶える二次元美少女は至高の存在であり、二次元をたしなむ男は最善の選択をしている紳士だが、
おばさんの理想を叶える韓流ドラマやスターの存在は韓国による攻撃であり、ファンのおばさんは反日キチガイ。
韓流に限らず女の理想を叶えるフィクションの存在は「ブスやババアの哀れな現実逃避」とみなされ嘲笑の的となる。
「お前んちのガキの歌をバスの中で聞いて可愛い!なんて思うのはお前だけだということが。頼む、親子で死んでくれ」 - Togetter togetter.com
というtogetterがある。
内容はまあタイトルで大体わかると思うけど
バスの中で歌う子供とそれを注意しない親について怒る人のツイート他。
これについたはてなブックマークの反応で
ぶっちぎりの一番人気を獲得したのがこれ↓
guldeen guldeen society, communication, もめごと, traffic, 子ども, family
片岡K(@kataoka_k)さんは、コンビニでもいいので接客業を体験してみる事をオシシメ。
いやホント、接客業をしてみると、忍耐力というか他人の失敗の大半は笑って許せるようになるよ。
2011/11/21Twitterでのツイートを閲覧26 clicks Add Starshadow-toon52tsugo-tsugo
この論理の骨子は要するに
・もっと辛い目に遭えばわかる
・お前は苦労が足りない
・文句言うな、不満は甘え
ってこれ
なんでこれだと絶賛するんだろう。
他にも
「それを禁止するルールはない」「うるさいこというな」「尻の穴が狭い」のように
寛容さや自由さを押す声が多い。
一方で
「絶対譲れ」「譲らないなんて許せない」のように
厳しいルール主義の声で一色になる。
別にどっちに賛成だ反対だというわけではないんだけど
筋と言うか、一貫性に欠けるような気がする。
1.マナーに異常に厳しいが、融通が利かずユーモアがない(ジョークやいたずらをしないけど、靴を並べないと怒る)
確かに。自分はそうでないつもり。
2.自分の気持ちに素直じゃない。損得で行動する(いつも本当の気持ちで行動しない)
自分でも、自分の気持がわからない。言い換えれば、素直な行動が思いつかないので、行動のしようがない。
3.自分が成功しないんじゃなくて、他人が成功するのが悔しい(成功している人の悪口をいう。でも悪いことや失敗している人の悪口はいわない)
4.ブランド物など他人と比べる、相対的な方法でしか幸せを計れない(私の国では考えられないくらいみんなブランドものを持っている!)
人間だれしも。日本人に限らない。はず。ただブランド志向は日本人特有かも。でも、ブランドはブランドたる品質があるから。
5.差別はないけど、いい人でも仲間はずれにしたりいじめたりする(みんなだれかのことが嫌いなのかな。怒っている。)
人間だれしも。日本人に限らない。はず。ただ同調圧力は明らかに強い。
6.おいしい食べ物でも文句を言う(なんで?おいしいのにといつも思っている。日本人はとにかく文句をいうが何もしない!)
確かに。褒め方を知らない人が多いし、文句をつけることがカッコイイと思われている。
7.感情表現が変(愛してるというと軽いといわれるがほんとなのに。私や私の外国人の友達もよく軽いといわれる)
確かに。お世辞が蔓延しすぎたツケかも。
8.性別の特徴をみとめない(男は強くて、女は弱い。そういうことをいうと怒る。でも女は男より綺麗でしょ?)
そうかなあ。
9.英語が話せない(日本人は小学校から勉強している?私は日本語が2年ではなせる)
ペーパーテスト特化の教育体制。話す訓練はしていないに等しい。日本語だけでもほとんど不自由しないという事情もある。
…デスヨネーとおもう。
”ほとんどのAndroid端末では「最新OS」を利用できない” 理由は ”OSが配信されるには携帯端末メーカーを経る必要がある” そして ”OSアップデートを手がけるよりも、消費者に新機種購入を促したいというのが本音”
企業側に ”OSアップデートを手掛ける” 動機をもたせる → 1.手掛けると得になる、 2.手掛けないと損になる
他人が腕の毛剃ってるかどうかなんて気にした事ないし、剃ってないけどそれを指摘された事もないけど。
中学生になって皆が腕や脚を剃り始めたので、私もその流れに従って剃るようになった。
母にはそんな細かい産毛を処理するなんて神経質すぎる、頭おかしい、と言われた。
でも皆剃ってるので、剃らないと不潔な人みたいに見られるし、剃らざるを得ないのだ。
今日飲んだ取引先の人が、男なのに腕がツルツルだった。
驚いてガン見してしまった。薄いとかではなく完全に剃っている。
男なのに剃るなんて神経質すぎる、頭おかしい、と思った。
そこで中学のとき母が言ったことと同じ感想を抱いていることに気付いた。
一人が剃ると、剃らないことが不潔に見えて、周りも剃らざるを得なくなる。
ワキを剃る。スネを剃る。腕を剃る。
みんなが剃るようになれば専用カミソリが売れ、脱毛エステも儲かる。
最近では海外セレブが陰毛を永久脱毛しているとかで、日本のモデルが真似しているそうだ。
そのうち男も女も陰部まで含めて全身ツルツルじゃないと不潔、なんて言われる時代が来るんじゃないか?と思えてくる。
無毛状態が当然になることで損する団体は居ない。
関連商品が売れ、経済活動が活発になるだけ。すばらしいことだ。
ただ、一人ひとりの負担が増える。肌が荒れる。そして荒れた肌をケアするためにボディバターやローションが売れる。
くだらない。ばかげている。
でも私は不潔な人扱いされたくないがために全身のムダ毛を処理し続ける。
世間様に迎合し、流れに加担し続ける。
http://d.hatena.ne.jp/gorotaku/20110906/1315295815
大学生はそんなに怯えているのか。外的な要因と内的な要因が考えられる。外的な要因としては:
1. 生まれた時から不景気で、周りに「やりたいようにやって社会的に成功した」モデルがいない
社会人からしたらこういうのは「バカ」とか「怯えている」って評価できるものだというのは昔から変わらないと思う。
ここでいう「バカ」っていうのは、「長いものにはまかれろ」的に振舞って自分で考えたり率先したり行動できない、という意味ね。
でもこれって子供側から言わせてもらうとかなり理不尽な話ではないだろうか。
マスコミやら学校の先生やら母親やらは、こういう「バカ」=従順な子供を求めているんじゃないかと思う。
こういう人たちが自分たちで責任を取りたくないから、とりあえず子供たちは良い子で問題を起こさないでいてほしいことを強く要求する。
むしろバカと言われる人たちほど、こういう「馬鹿げた」要求に素直に従ってきた「賢い」子供たちだと思うわけで。
子供たちが今まで教え込まれてきた「賢い」が、就職活動においていきなり「バカ」と呼ばれる。
子供たちが考える賢い、と社会人が求める賢い、が致命的にずれている。おそらく180度逆、くらいに。
だから、大人たちが学生をバカ呼ばわりすればするほど、子供たちは自分たちの考えで「賢く」なろうとしてますます使い物にならなくなっていく。
90年代は「一部の優秀な学生」と「それ以外のバカ」を分けて、
本当に優秀な学生にだけ賢くあることを求め、あとはバカでいいよ、というメッセージを送っていたから
今みたいに「賢くなろうとしてよけいバカになる」学生は少なかった、とそれだけのことだと思う。
っていうかこの問題ってバブル崩壊後からずっとずっとずっと言われてることだよね。
学生側はその時から大きく変わったわけじゃない。少なくとも努力はしている。「賢く」なろうとしてる。
(いや、真のゆとりがいることは事実なんだけど、それはマスコミが偏った報道しすぎ)
努力できないわけじゃないんだから、求める「かしこさ」が変わったなら、大人たちがそうじゃないって教えてやればいいだけの話だ。
それなのに、実際は、この認知のズレを放置したまま子供の危機感を煽るだけ。
なら、そのズレに従ってよけい両者が遠くなっていくのはあたりまえだと思いますが?
アホみたいなバブル景気が終わって、大量一括採用して育てるみたいなのがそもそもそぐわなくなった。
で、これが日本の大人の汚いところだけれど、自分たちの行いを反省してやり方を改めるのではなく、
採用の目標が上がったり、教育に向けられるリソースが減って目標を達成できなくなると、その言い訳として「学生が馬鹿になった」というようになった。
情けない大人たちのいっときの責任逃れが、いつまでも継続して、不幸なすれ違いが続く。そんなところじゃない?
情けないとは書いたけど、実際は、個々の仕事が忙しすぎて自分以外のことを考えられないようにしてる日本の企業文化が駄目だと思うわけですが。
結論。学生たちは、企業とか大人が求める「優秀な学生」とかなんだとか、そういうのは全く無視すればいい。
「学生はバカ」って言うような人に限って、平凡でつまらない大したことのない大人だと思っていれば間違いない。
本当に優秀な人は、問題を感じたときに、そういう他人に責任を押し付けて終わりにするようなことはないからね。
「大人たちが言う優秀」って基準を捨てて、自分で考えよう。
同調圧力って言葉ではしょっちゅう使うけどどういう意味だろう。
まずWikipediaで調べてみた。
職場などある特定の集団において意思決定を行う際に、少数意見を有する者に対して暗黙のうちに多数意見に合わせることを強制することを指す。
多数決ではなく、全会一致を求められる場面で発生する。
少数意見を有する者に対して強制的に態度変容を強制する手段はさまざまな方法がある。
・少数意見を有する者に対して物理的に危害を加える旨を通告するような明確な強制
・多数意見に逆らうことに恥の意識を持たせる、少数意見を有する者に対するネガティブ・キャンペーンを行い風評被害を与える
・「一部の足並みの乱れが全体に迷惑をかける」と主張する
・意見の根拠を問い質す
ある特定の集団が集団の内部において異論や反論などの存在を許容せずにある特定の方向に進んでいく事.
多数決で意思決定を行う場では起こらず、全会一致で意思決定を行う状況で発生する。
これに服従の心理とか監獄実験のアレとかもまじってくるのかなー。やだなー。
「斉一性の原理」や「沈黙の螺旋」を抑えるための方法も考えられている。
・「自薦の用心棒」の活躍を止めるためには、反論の動機も根拠も客観的であるとの姿勢を貫かなければならない。
・「沈黙の螺旋」を克服する一つの方法は、議論の中で「悪魔の代弁者」(多数派にあえて反対する者)を用意することである。このような立場をあえて設定する
などが挙げられている。
以下余談。
1つは少数者を排除する方向。これはわかりやすい。
でももう1つあると思う。
多数者にできるだけ過激な言動を取らせる方向が。
そして、どちらかというと、いじめってコッチの方向の圧力が問題じゃないかと思う。
斉一性の原理が働いている時、たぶん、やってる本人たちもおかしいとは思ってる。
だから「何があっても許し合おうね」みたいな雰囲気ができる。
で、それを確認する儀式が行われる。
簡単に言うと、「通常時だったら反社会的な、非道徳的な行為」をやらせる。
「この場での多数側に賛同することはとても重要だから、そのためだったら悪いことをしても許される」となる。
そうやってるうちに、だんだん善悪の感覚が鈍ってくる。常識的に考えることができなくなる。
そこまでしないと「集団がひとつの意見に集約される状態」ってのはできないんだろう。
私の親はとにかく無神経なものいいが目立つ人だった。
子供である私に対してだけならともかく、PTAや近所の人との会話でもいつも無神経な言動ばかりだった。
そのせいか、近所の親や学校の親でも悪評が立ち、地区の子供会でも学校でもよくいじめられた。
そのことを報告しても「あんな常識のない奴らが何をいおうが俺には関係ない」と放置された。
どうしてこんなに無神経なことを言って、しかもそのことをおかしいとおもえないんだろう。
どうしていつも周りと摩擦を起こし続けているのに自分が正しいと信じて疑わないんだろう。
田舎育ち、団塊どまんなか、社畜人生、そういったものが両親の人生にどう影響を与えてるんだろう。
そう思ったら、両親の態度も、いろんな同調圧力の結果なのかもしれない、と思えてきた。
村全体が、ろくに目的もなく一致団結するためには、こういう歪んだ方法が必要なんかもシレンけど。
なんというかほんと気持ち悪いです。