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2021-01-15

anond:20210115075520

事件当時ロマン・ポランスキー監督は不在で(映画でもその通り)、犯人たちに襲われていない。

現在も存命で去年も作品を出している。(少し昔の作品だが、戦場のピアニストはかなり話題になった作品

殺されたのは妻で女優シャロン・テートと、友人。

しか殺人犯とは何ら関わりがなく、以前に引っ越した住人と勘違いされて彼女らは殺された。監督らの素性は事件関係がない。

この映画が救ってみせたのは監督ではなくその妻、シャロン・テートだ。

今でも語り継がれる悲劇女優だ。

劇中でも説明される通り、当時売り出し中の女優で、監督の子供を妊娠中だった。

この映画ではシャロン・テートの魅力的な姿が何度も描かれ、しかし最終的にディカプリオが彼女の家に招かれる場面ではインターホン越しでのみ会話し、ディカプリオと同じフレームには映らない。

とても誠実な描写だと思う。

この映画が憎んでいるのはマンソンファミリーだ。

実行犯殺害を指示したチャールズ・マンソンは額に鉤十字タトゥーを入れているが、タランティーノ過去イングロリアス・バスターズで憎きナチの額に鉤十字を刻んだ。(ちなみにこのナチ将校役の俳優ポランスキー監督映画おとなのけんかで主演してる)

そしてイングロリアスバスターズでは「映画を使って」ナチどもを焼き殺したように、この映画でもマンソンの手下を「映画小道具を使って」焼き殺す。

イングロリアスバスターズの隊長は、ブラッド・ピットだった。

1969年は「ロックが死んだ年」ともいわれ、アメリカにとって大きな節目だったことには違いがない。

しか監督タランティーノは「ハリウッド監督」ではないし(アメリカ映画ハリウッド映画ではないのがややこしい)、彼はハリウッドアメリカなどメインストリーム以外の映画も浴びるほど見ていて、それこそ中国香港日本などアジア映画に多大な影響を受けた人間である

デビュー作も香港映画オマージュなくらいだ。

キルビルが急遽テイストの違う二本立てになったのも、チャイニーズオデッセイという香港映画の影響である。(チャイニーズ~は一作目がコメディで、二作目が恋愛もの

(タラオールタイムベスト一位に挙げている続・夕陽のガンマンイタリア産マカロニウェスタンアメリカ映画ではない。ちなみに監督セルジオ・レオーネが撮ったワンスアポアタイムインアメリカも長いけど大変な名作。セルジオ・レオーネ監督の大ファンでもあるし、タイトルからもわかる通りタランティーノはかなり影響を受けている。~インアメリカについては、ラストデニーロの微笑みの解説を見ると、また味わいが増す)

ブルース・リーの話が出てきたが、タラキル・ビルでは死亡遊戯衣装を真似し(何の説明もなく出てくる「カトーマスク」も、グリーンホーネットブルース・リー演じるカトーがつけていたマスクのこと)、主人公ブライドの使う技はブルース・リーワンインチパンチで、必殺技は(ブルース・リーに影響を受けた)北斗の拳の技のようだ。オーレン石井へ敬意を示す闘いは、ドラゴンへの道のチャック・ノリス戦を思い起こさせる。

キルビルで描かれる復讐暴力の虚しさは、燃えよドラゴンブルース・リーが奇妙な泣き顔で表現したのと同じものだ。

そして敵役ビルには、ブルース・リードラマ企画を奪った俳優デヴィッド・キャラダインを配している。

キルビルはある種、ブルース・リーを主演に見立てているのだ。

タランティーノは、そういう監督なのである。ちなみにブルース・リーの主演が叶わなかったドラマ企画が、ちょうどワンス~の時代の頃の出来事でもある。

ちなみに、キルビル前後編になった元ネタチャイニーズオデッセイの主演はチャウ・シンチー少林サッカーが有名)であるが、彼もまたブルース・リーマニアだったりする。(ドラゴン怒りの鉄拳パロディや、少林サッカーカンフーハッスル等、ブルース・リーネタ多し)

少し脱線するが死亡遊戯という映画もまた、「ブルース・リーという俳優の死後に、彼が生きているかのように撮られた」特別作品で、その点がワンスアポン・ア・タイム・イン・ハリウッド共通している。

(すでに香港ではスターだったが)ブルース・リーハリウッドでの売り出し中にこの世を去った人なのだ。(ワンス~劇中でシャロン・テート自分映画を見るシーンがあるが、ブルース・リー燃えよドラゴンの公開やそのヒットを目にすることがなかった)

ちなみに作中で喧嘩していたブラピ本人もブルース・リーおたくである。楽しかっただろうなあ。(ファイトクラブでの物真似が彼のアイデアというのは有名)

あとワンス~作中のブルース・リー調子こいてるのは、実際の彼がああいキャラだったためでむしろファンとしては大喜びするポイント。(ブルース・リーの物真似をするときは、顎をしゃくって半目で相手文字通り見下したように眺める。服のセンスも、実際にああいチンピラのようなダサいファッション

何より、タランティーノは「超」がつく映画狂で、大げさではなく映画から人生のすべてを学んだような人間だ。

あらゆる映画を吸収し、現実にはモテないスーパーボンクラだったくせに、(映画から知識だけで)玄人好みの渋い「中年恋愛映画」すら物にしてしま監督である

落ち目だった俳優を「自分が好きだから」という理由で起用し、劇的にカムバックさせたりと、フィクションの力で現実を変えたこともある。

(※ネタバレ注意:この俳優とはジョン・トラボルタのことだが、タランティーノの好きな某映画ではヒロインを救えず、せめて「映画の中だけで生かす」ことを選ぶ。言うまでもなく、ワンス~を思い起こす)

(というよりもともと映画のものが、亡くなった俳優の生きている姿を見られるタイムマシンのような装置なのだろう。そういう評論はよく見る)

そして、前述のイングロリアスバスターズではユダヤ系の、ジャンゴではアフリカ系の観客の心を、荒唐無稽フィクションで熱く揺さぶった。

ヘイトフル・エイトでは差別主義者と黒人和解をそれこそ「フィクション」という小道具を介し、素晴らしい形で描いてみせた。

日本ではネタにされがちなキルビルも実に真面目な女性映画である。「五点掌爆心拳」などという冗談のような技で、男女の歪な恋愛関係を誠実に描いたのだ。この映画では男はみな弱くて使えず、女性は強く逞しい。

タランティーノは「強い女性」を描く監督としても有名だ。殺人鬼変態スタントマンが、女性スタントマンたちにボコボコにされる映画デス・プルーフも撮っている)

タランティーノフィクションの虚しさも当然知っているだろうが、同時にフィクションの力を強く信じている人間でもあるのだ。

虚構の無力さをただ嘆く監督ではないと思う。

(ちなみにデス・プルーフの主演であるゾーイ・ベルキルビルユマ・サーマンの「スタント」をしていた女性で、ワンス~にも出演。例の「ブルース・リーとの喧嘩」で車を壊されたひと。死亡遊戯キルビルワンス~と考えてみても面白い)

(ディカプリオについては、ある種かなり本人に近い役。若手時代から演技力が高かったのに、レヴェナントで受賞するまでアカデミー賞からは長年ずっと無視され、色んな人に揶揄されてきた。アカデミー無視されてきたのはタランティーノも同じ)

もちろんワンスアポン・ア・タイム・イン・ハリウッドは、ハリウッドやその他の「アメリカ黄金時代」への郷愁が詰まったお伽噺ではある。

しか元増田は表面的な考えで映画を語っていると思う。

歴史を描いた作品理解するには、ある程度の知識必要だ。

2020-12-12

anond:20201212135331

作品には現在の作り手が介在できるけど、歴史はすでにあるものとして介在できないから?

歴史を改変した作品っていうと、最近タランティーノ映画何本かがそうかなと思うけど、「改変」が作品テーマにとって重要という明確な理由がある。

→とくに理由もなく歴史を変えるのは、作品鑑賞にとってノイズになるから良くない、のかも。

なんか理由があるのか?って本筋と関係ないところで勝手推理ちゃう

 

過去作を再アニメ化するなどの際に、現在価値観刷新すべきなのはなぜか」については、個人的には「刷新しても、しなくてもいい」と思う。

2020-12-05

anond:20201205123949

はぁ~。だめだこりゃ。同じ人?

大人向け=幅があると思いこんでるのが悲しい。

トムジェリとか別に大人向けじゃないけど表情くるくる変わりますよ。

そして元増田もおそらく評価するカートゥーンなんて、自分の表情を鏡で見まくって描いてます

これは描くものとして当然の行為だし、Gigazineソースかなんかで明示されてた記憶があります

自明なのでソース提示はいらないレベルだけど。

元増田を言えばAKIRA、俺も大好きですよ。フリクリも好き。

でもトップをねらえ!と言うと急にオタクカルチャーだと言って否定するわけでしょ。SFですらないと。

オタクの一部にオタク向けしか理解せずにサブカル否定する狭量な人が居るのもたしか事実だ。

しかしそれがオタクカルチャー否定要素になるという言説自体片腹痛い

そしてオタクカルチャーが他のカルチャー言及したとき、それが本格的ではなく稚拙だ、とするのはより滑稽。

まして増田のように感情表現依拠させて否定するなど愚の骨頂。

俺はそれぞれの文化が花開けば良いと考えてるだけです。

余談、萌え絵表現の幅が狭い

俺もハンコ絵が一時期嫌いだったので実は深く意図を汲み取ると言いたいことはわかる。

でも萌え絵というものはそのバリエーションにこそ骨頂があるんだよ。

分部分のディテールを損ねてでも「属性」という付加物で勝負する。

そしてその多様化で生き残ってきた。決してリアル系作画映画など他のサブカルチャーに引けをとっているという比較対象で使うものでもない。

藤本タツキマンガ表現の中でなんとなくタランティーノっぽい空気を漂わせてるとどっかで書いたけど、藤本のそれにしたって心の片隅では「漫画でそれやらなくてもなあ」という部分と、こいつすげえなという部分の二種が混在する思いだ。

萌え絵はそれの中で優れた歴史表現を含めていて、それ自体文化だ。

本来なら比較対象にするほうがおかしい。

俺は萌え絵の中心を走ってないけど、君はそんな俺の半分も理解してないよ。

から君もにわかだと思う。

2020-12-04

アニメオタクアニメに何も貢献していない。むしろ害悪だ。

自分の中でのアニメオタク特に萌えオタ)に対する嫌悪感が一体何なのかきちんと考えてみた。

すると恐るべき結論に達してしまった。これから書くことは正直私も断言して良いものかどうか躊躇している。しかし、アニメ文化の発展のためにも、心を鬼にして書かなければいけないことだ。

アニメオタクは何もアニメに貢献していない!

今までも、そしておそらくこれからもずっとそうだ。これは岡田斗司夫のような豚野郎の言う「オタクは死んだ」でも、東浩紀のような豚野郎の言う「読者の質が悪い」でも、宇野常寛のような豚野郎が言う「萌えオタはクズ」でもない。もっと根幹に関わる重大なことだ。そして恐ろしい事実だ。

まず、オタクオタク向けに作ったオタクアニメが大きな評価を得てきたことは今まで一度たりともない。

名作を作ったクリエイター側は言うまでもなく、『ガンダム』の富野由悠季は仕方なくアニメ現場に降りてきた人だし、『攻殻機動隊』の押井守は元々映画監督志望でジャン=リュック・ゴダール敬愛していてたまたまタツノコプロ求人が目に入ってアニメ業界入りした人だ。

「でも、今は世界的にアニメブームが起きているじゃないか」と萌えオタがブヒブヒ言ってきそうだが、それは幻想である。まず90年代後半に盛んに言われた「ジャパニメーションブーム」を取り上げると、これは岡田斗司夫オタク地位向上のためにでっち上げものだ。本人も後にそれを認めており、外から圧力に弱い日本オタク市民権を得るにはそれしかなかったと言っている。この岡田斗司夫苦肉の策電通村上隆が乗っかり、ジャパニメーションブームという虚構ができあがったのだ(元々別称だったジャパニメーションという言葉を良い意味として輸入したのが村上隆である)。

それは今まで世界的な評価を得てきた作品を見ていけばわかる。

まずは、宮崎駿アカデミー賞も受賞し、名実ともに日本代表するアニメーション監督といった地位を得ているが、その作風アニメ界ではむしろ異端であるスタジオジブリ的なもの宮崎駿的なアニメは本人にしか作れず、その作風を引き継ぐような後継者は未だ誰一人いない(宮崎駿の後進育成が下手という話ではない。宮崎駿に影響を受けた人間が外で宮崎駿的なアニメを作ったっておかしくないのに、そんな人は日本はいないのだ。海外ではどうか? そう、モンスターズインク制作したピクサーが後継にふさわしいだろう。言うまでもなく彼らはアニメオタクではない)。

宮崎駿にはオタク的なるものを避けて避けてやっと今日地位を築いたという歴史がある。オタク的なものを避けて世界評価を得た、これは非常に重要ポイントだ。

押井守もその一人だ。『うる星やつら』を制作し、オタク向け監督の一人で終わるかもしれなかった彼は『機動警察パトレイバー2 the movie』や『攻殻機動隊』においてオタク向けアニメ想像力を捨て去ることで作品の強度を確立した。『ビューティフル・ドリーマー』はどうなんだ、という声があるかもしれない。これには後に押井守がこう語っている。「劇場版第一作『オンリーユー』を作ったとき原作者ファンが喜ぶことを全部詰め込んだ。上映されると当然原作者ファンは満足したようだが、作品的には酷い代物だった」。この諦観によって『ビューティフルドリーマー』は作られた。オタクから距離を取ることで傑作に仕上がったのだ。

他にも大友克洋の『AKIRA』だって一見すればわかるようにオタク的な想像力から離れたものであり、渡辺信一郎の『カウボーイビバップだってそうだ。

オタク監督だと言われるウォシャウスキータランティーノだってウォシャウスキーSFの人で決してオタク想像力に耽溺しているわけではないし、タランティーノ高校中退して一日中映画を見まくっていた怪物だ。

エヴァンゲリオン無視しているじゃないか、と言われるかもしれない。確かにエヴァオタクオタク向けに作ったオタクアニメであり、社会的現象を起こすほど大ヒットしている。だが、これ一本でもってオタク想像力勝利にはなりえない。何故ならオタク外にも評価されたオタク監督庵野ただ一人、例外中の例外なのだ。その庵野ですら、オタク偏狭さに嫌気がなして反オタク改宗した。その事実オタクは裏切った、とこれまた偏狭さを見せて批判している。

このようにオタクオタク向けに作ったオタクアニメで傑作が生まれたことは、一件の例外を除いて存在しない。オタクが喜ぶ想像力や「萌え」なんてもの全然強度を持ち合わせていない(十年前にオタク想像力オタクに受けていたクリエイターの今の地位を思い浮かべて欲しい、それが十年後の山本寛新房昭之の姿だ)。

しろオタクの好みに少しでも外れると烈火のごとく怒り、作画監督が少しでも個性を出すと作画崩壊と騒ぐその類まれなる偏狭さは害悪だと言ってもいい。

オタクオタク的な想像力から外れるような、例えば『スーパーミルクチャン』や『TAMALA2010』のようなアートアプローチからまれた傑作を評価できない。どちらも発売時にはタワーレコード平積みされ、オタク想像力は一瞬で敗れ去った。

それどころか『フリクリ』をオサレだとかラベリングして嘲笑するほど、子供のような舌でもってクレームをつけて回っているのだ(『フリクリ』はガイナックスが作ったオタクアニメじゃないかという屁理屈が聞こえてきそうだ。ガイナックスは今や庵野の反オタクキャンペーンによってオタク的な人間駆逐されており、鶴巻は反オタク急先鋒である)。

そして、それは明らかにアニメ進化を阻害している。その理由を書こう。

まず、オタクが大好きな絵柄、要するに萌え絵はアニメーションに不向きなのである。あの頭と目が大きく、等身が低くて身体か華奢という構造は、見た目通り人間的に動かすというのは困難だ。だから、どのアニメにおいてもよく動くと言われるもの萌えから距離を取っている。萌え絵を選択すると自動的紙芝居的な動きが縛られたものしか作れなくなる。ディズニー萌え絵を選択せず、あのような絵柄なのは動かすことを念頭に考えているからだ。

しかし、アニメオタク萌え絵以外の絵柄のアニメを「絵が変」と言って嘲笑し、批判する。ここがアニメオタクの一番の問題点であり、私が害悪と言い切る理由だ。

例えば近年稀に見る傑作である鉄コン筋クリート』を例に出そう。この作品も「オサレ」「絵が変」といって批判されているが、この作品こそアニメーションの快感、動くことの快感を思い出させてくれるものはない。画面の中を縦横無尽に動き回るキャラクター達が見るものの心を掴んで離さない。そして、それはアニメオタクが「変」といって批判するその絵柄が貢献している。もし、この作品萌え絵だったらここまで動くものになってはいない。現にそんな作品はない。

そして、アニメーションの快感を蘇らせたのがオタク外のマイケル・アリアスだったことは非常に重要だ。アニメオタクアニメーションのことがわかっていない。だからスタジオジブリ的なものピクサーに取られ、アニメーションの快感マイケル・アリアスに取られてしまうのだ。

もう一度言おう。オタク想像力は強度を持っていないし、オタクが好むアニメ絵はアニメーションに向いていない。アニメーションに向いているオタク的じゃない絵を排除するその思考アニメ進化を阻害している。

アニメオタクが本当に現実逃避ではなくアニメのことを愛しているのなら、今すぐアニメを見るのをやめて即刻退場することだ。それが一番の貢献だ。

2020-10-28

呪術廻戦がオタク向け

anond:20201027103914

よくわからんなー。

メジャータイトルじゃないのは理解できるけど、オタク/サブカル/ジャンプ向けというよりマガジン系の少年誌読者向けというか。

荻野真孔雀王)や荒俣宏帝都大戦:これ、タイトル意識してる?)とか知ってるおっさん受けもある程度はあるかもしれない。

昔はゴッドサイダーとかオカルト志向のもの結構あったんだけど、今はすべてが暴かれた時代なので、そもそもジャンルとして出てこないんだよね。少なくともメジャーどころでオカルトものは少ない。

ただ、リーマンショックからの延々と続くデフレ経済津波コロナと続いてオカルトが注目される下地はできているので、そこでキュレーションされた結果出てきたものなんだろう。

構造としては特殊体質の天才主人公プロフェッショナル師匠型の人物、バトルの仕組みという少年漫画的な要素は網羅していて、学園物が入って連載が続けやすいようにする工夫(という名のバッドノウハウ)が見られる。

ジャンプにはジャンプ漫画家に課せられたそれこそ呪いってものがあって、ジャンプ漫画家王道となったものを履修させられる。だからDB流行ったらトーナメント常態化し、ワンピ流行ったら友情を組み入れることを意識させられる。ヒロアカで学園が出てきたら学園を入れたほうが良いとなる。葛藤して真っ向から打ち勝つという古びた概念も入れなければならない。

がんじがらめの伝統芸能の中でジャンプらしくない、と言われるのはさぞ作家にとてはプレッシャーだろう。それこそ藤本タツキのようなナチュラル天才レベルでなければ(※)ジャンプ評価軸に入ってしまう。

というわけでオタク層というにはちょっと遠い。

せいぜいTwitterで消費される層をそんなふうに呼んだのだろうか?

各々が思い浮かぶオタクというイメージが違うんだろう。

作品のもののことを言えばこの手のものにあるグロさが足りんかなとは思う。味方の人間が半分取り込まれ意識があるのに真っ二つにする胸糞系のエピソードとか(原作にはあんのか?)。

藤本タツキは厳密に言えば天才というより映画を見すぎたオタク作家だと思っている。つまり天才というより天才に近い秀才という印象がある。このタイプ理論に凝り固まって小島秀夫みたいなガチガチに固められた世界観を構築するか、ウィットに富んだ世界観を構築するかに分かれる。見たものも影響してて、藤本は明らかにタランティーノファン(というかそんなこと言ってた気がする)。

2020-07-15

極悪インディアンブロンドカウボーイが成敗してヒャッハーなんて今じゃ許されんしな

ヒロイン性奴隷にされてウハウハも似たような価値観じゃね 差別エンタメとして楽しむやつ

タランティーノが露悪的なパロディ立ち位置でやるなら許されるって感じかも知れんけどあいmetoo親玉悪事にだんまりだったから今やるのは旗色悪いかもな

2020-07-01

anond:20200630233220

以下思い込み駄文

第一オタクコンテンツはもともと大量消費を狙って作られていたわけではないということ。

マニアック一部の人間の欲求で先鋭化してゆくメディアだった。

まりオタク産業とは一種インディーズムービー的な消費傾向を持っていたと言える。

これは泣きゲーエロゲなんかもそうで、オタクコンテンツ全体は分断されているからこそ特異性を発揮していった。

そして元増田の言うように『攻殻機動隊』『AKIRA』『エヴァンゲリオン』『カウボーイビバップ(も有名だがそこまでエポックメイキングではなかったような)』などの登場によってスターダム地位を獲得したかのように見えた。

ところがこれは業界を萎縮させるものだったと思う(登場したことが悪いとはいってない)。

業界オタク受けよりも世界一般層を意識するようになってしまったし、現場がどう思おうが出資側は視聴者層の拡充を求める。ずいぶん世代が飛ぶけどそこからネトフリやらAmazonやらがアニメに乗り気になって今の現状がある。

今となれば北米市場アジア圏のオタク需要を狙う産業になってしまい、皮肉にもライトオタク化した「一般オタク層」という微妙ライン層がTwitterで消費して流すだけのものになってしまった。

まり尖った作品が出しづらくなった割に、土壌としては邦ドラを見るような層を取り込めなかった。

このどっちつかずの状態でご新規を獲得しようとしても伸びるはずもない。むしろすり減ってゆく。

すり減りの原因はパチ屋高齢化や他の経済的な要因も大きいが、コンテンツ自体目線からするとこういう流れがあるんじゃないかと。

もちろん最初から一般受けなんて狙わない監督もいるけど、こういう人たちは同じようにハリウッドにもいるので。


変わってるけどメジャーという監督もっと増えてもいいとは思う。湯浅監督や幾原監督みたいな。

タランティーノとか変わってるけどメジャーしかB級だし。

2020-06-22

男はアナルセックスされた方がいいのでは?

昔は「オカマ掘る」などと言われて、それこそホモ趣味以外は拷問に近い行為ではあったのだろう

少年院刑務所に入ると「オカマ掘られんぞ」などと脅し文句が広く出回ったほどである

実際ほんとのこれほど酷い辱めはないらしいが

ふと、タランティーノパルプフィクションの例のシーンを見ていて思った

あれを気持ちいいと思えるのであれば、生命体として二度美味しいことになるのではないか、と

セックスする度に思っていたのだ

女性は余りに気持ちよさそうにする

だけれど男ははっきり言えば気持ちいいのは射精ときだけだ

なのに女性ピストン運動最中喘ぎまくる

不公平じゃないか男女平等の世の中で

ホモ趣味だけに男がアナルセックスされることに気持ちよさを見出すのを独占させておいていいのであろうか?

ホモ趣味がなくったって、それこそバイセクシャルになったほうが二度美味しい

 

 

 

でも勇気がない

そう考えると棒を突っ込まれ女性って凄いよなぁ

硬い棒を突っ込まれるんやで?

何の話や

2020-06-04

anond:20200604020348

あれってどこかタランティーノ感あるよね。

どこと言われると難しいけど、群像の人となりをわざと平べったく描写する感じとか。

写ってる人たちが迫ってくる感じではなく、チープで乾いていて笑えるというか。

2020-03-20

タランティーノ順番に見てる

ジャッキー・ブラウンまで来た。

個人的にはこれが一番渋くて好きかなぁ。

次は断片的に見たことあるキルビル

2020-01-26

映画公開される度に出来る公式サイトがすぐ消えちゃう

ナントカ.com

公開終わったらさっさと消えちゃうの困んない?

せっかく後で見ようと思ったのに。

例によってkillbill.com開いたら映画関係ないあやしいウェブサイトだった。

結局いろいろ検索してたどり着いたのが、、

ユマ・サーマンキル・ビル』で無理やり車を運転させられ衝突。死ぬ寸前だったという映像を公開。タランティーノパワハラワインスタインセクハラ告白。」

https://rockinon.com/blog/nakamura/172917

あー大変だったんだなー。。

2019-12-09

ラジオとして使えるお勧めアニメ映画を教えてくれ

勉強したり、友人とクッソくだらないLINEとかやってる間に「聴ける」アニメドラマ映画を教えてくれ。

普段はほぼ全くアニメは見ないんだが、こないだ何を思ったかアニメあそびあそばせ」を見たんだ。

そしたらめちゃくちゃ面白くて、それ以来画面は見ずに延々と聴いていたらこれがとても具合がよくて、いろんな作業がはかどるんだよ。

キャラクターの演技が大げさすぎて笑っちゃうし、唐突にマジトーンの声になったり飽きない。基本セリフで全部進んでいくので、声だけ聴いてても問題ない。

こういうアニメ映画は他にないだろうか。

とりあえず映画パルプフィクション」とか「デスプルーフ」とかタランティーノ作品はいけることが分かった。

他におすすめラジオ用途に向いてる作品を教えてくれ。

あそびあそばせ」はもう20周くらいしてるんじゃないかという勢いだ。そろそろセリフを全部を覚えてしまう。

俺を助けるつもりで教えてほしい。

よろしくお願いします。

2019-11-25

anond:20191125152922

ジュールスが劇中で唱える聖書の一節はエゼキエル書25:17とされているが、セリフの後半部分しか合っていない。これは、タランティーノが独学で映画を学んだときに見た千葉真一映画ボディガード牙』に、アメリカ供給会社勝手に付けた文を引用したものである

2019-10-27

スペシャルアクターズ」を作った上田監督

関係者がもしこの文章を目に止めたら、上田監督に伝えてください。

カメ止めは面白かったよ。知人がFacebookで勧めてたのでみた。大笑いして泣いた。家族みんなと一緒にもう一度見た。

TV放映の時も家族全員で見て笑った。楽しい時間ありがとう

今はSNSがあるから、本当にいいものを作れば自然と広まる。人間は感動したり、本当に心が動くと他人に伝えたくてしかたがなくなる生き物だから。もちろん関係者の懸命の努力もすばらしかったが。

今回はどうだろう。

Twitterでこの映画を褒めたたてている人は確かに数人いる。しかし、現実を見てご覧。カメ止めに観客が集まりこの映画が貸し切り状態になる理由はただ一つ。

映画がつまらいからだ。観て金と時間を損したと思うからだ。

出演者の多く、編集演出学生レベルだが、何よりひどいのは脚本出演者部活のノリでわいわい作ればいい脚本ができるとでも思ったか自分脚本がかけないのに、なぜプロジェクトキャンセルしなかった?

今の上田監督空っぽだ。大丈夫原点復帰しただけ。

敬愛するタランティーノ映画を見て、そのあと自分作品を見てご覧。「俺のもなかなかいけてる」と本当に思うか?

これから何年かかるか何十年かかるかしれないが、また袋に面白ものがたまったら映画を作ったらいい。その時は観に行くよ。

2019-09-13

anond:20190830213443

>(タランティーノは "zeitgeist" という単語を本当によく使う)

本作ではカートラッセルが言ってたような気がする

2019-08-30

昔々、ハリウッド

 

 『ワンスアポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』が目前に迫っているというのにまだまったく心の準備ができていない。大波が押し寄せてくるのを確かに認めながら、砂浜で引き波に足を取られたまま呆然と立ち尽くしてしまっているような、そんな状態だ。

 

 『Once upon a Time in...Hollywood』というタイトルをはじめて聞いたときマジで引退しようとしてるの…!?と思った。現時点では「10作品撮ったら引退する」と言っていたり(今回が9作目)、「今度のが大ヒットしたらこれでおしまい」と言っていたりまだ判然としないのだが、そういうゴシップ的な憶測はさておき、このタイトルが持つインパクトはあまりにも大きい。セルジオレオーネ意味合いもさることながら、それ以前にこの響きだ。

 『昔々、ハリウッドで』。響きとしてあまりにも最終回すぎるのだ。仮に『クエンティン・タランティーノ』というドラマがあって、その主人公クエンティン・タランティーノ監督した作品が、ドラマ1話ごとのタイトルになっていたらと考えてみてほしい。第1話「掃き溜めの犬ども (Reservoir Dogs) 」、第2話「三文小説 (Pulp Fiction) 」、第3話「ジャッキー・ブラウン (Jackie Brown) 」、第4話「ビルを殺れ (Kill Bill) 」、……と進んでいって、第9話「昔々、ハリウッドで」である。どう見ても第9話で最終回じゃないか。こんなに引退作にふさわしいタイトルってなかなかないと思う。

 

 なんてことをメモしていたら、タランティーノ子供が生まれるとのニュースが飛び込んできた。引退について語るのを話半分に聞きながら、だがこれで子供でも出来たりしたら本当に映画撮らなくなるかもな……とか考えていたのだが、うーん、思ったより早かったなあ。つまりこのところとみに饒舌になっていた引退話は、子供が生まれるという予測のもとに展開されていたわけだ。それにしてもさ。田中裕二子供が生まれたり、タランティーノ子供が生まれたり、そんな日が来るなんておれは考えたことなかったよ。

 といっておいて何だが、タランティーノの言う「引退」について想像するとき、たしかに寂しくはあるけれども、意外と悲観的な気持ちにはならないというのが今の正直な気持ちだ。

 というのは、ひとつには、映画監督以外のフィールドでの仕事が見られる可能性に期待しているからだ。これは本人も言っていることだが、本を書いたりしたいらしい。タランティーノが書いた批評本なんて出たらぜひ読んでみたい。もしかしたら小説を書くかもしれない。それこそパルプフィクションを。あるいは脚本を書くかもしれない。脚本タランティーノ × 監督デヴィッド・ロバート・ミッチェルなんて映画がつくられたら……など夢想するのも楽しい

 書く仕事ばかりとも限らない。いまのところ引退を語るうえでタランティーノが前提としているのは「劇場公開用映画」の監督業であって、フィルムに対する彼の偏愛と執着も、その前提があればこそ要請されてきたものだったと思う。その最前線から(いったん)身を引いたときある意味でそれは「引退」だが、またある意味でそれは「解放」ともいえるのではないか。何が言いたいかというと、Netflixなどでタランティーノドラマシリーズ制作する可能性はかなり高いのではないかということだ。この期に及んでタランティーノ劇場長編映画デジタルで撮る可能性はほとんど考えられないが、これがドラマシリーズだったら話は別だ。

 タランティーノがつくるNetflixドラマがあったら、それはどんなものになるだろうか。そのヒントになるような発言最近あった。自身監督作に登場したキャラクターのなかで、タランティーノが今でも折に触れて思いを馳せる人物がいるという。彼が挙げたのはザ・ブライド、ビル、ハンス・ランダアルド・レインの4人。タランティーノはそれぞれの人物にまつわる、いわばスピンオフ的なサイドストリーについての妄想を語っていた。

 ①ザ・ブライドが10年後、15年後、どうしているか。娘はどんな人物に成長したか。これは長いあいだ噂されてきた『キル・ビル Vol.3』がもし実現した場合ストーリーになるだろう。

 ②ビルはいかにして巨悪となったかエステバン・ビハイオ、服部半蔵、そしてパイ・メイという3人の「ゴッドファーザー」との関係を通して、ビルという悪魔人物オリジンを描く物語

 ③ハンス・ランダナンタケット島でどんな生活を送っているのか。ナチスきっての「名探偵」だったランダが、戦後20年くらい経ったナンタケットで起こる殺人事件解決してゆく物語

 ④アルド・レインは戦後どうなったか教科書に載るレベルの「英雄」としてアメリカに帰ったはずのアルドが、ナチスにおけるフレデリック・ツォラーのように映画に主演する…という話。

 なにこれ超おもしろそうじゃん!!!!! 全部見たい。見たすぎる。小説でもいい。読みたすぎる。ここで思い出したのだが、そういえばタランティーノこそ、地味に自分作品世界相互につなげてきた人だった。別の映画に登場するキャラクターたちが生きる一つの世界について語るとき、若き日の彼はたしかサリンジャーを引き合いに出していたように記憶するが、これって今風の言い方をすれば「タランティーノバース」だ。もちろんタランティーノ世界MCUのようになってほしいなんて気持ちは毛頭ないけれど、ジャンゴのサイドストリーはすでにコミック化されていることだし、劇場映画としてはおそらくもう実現しないであろうヴィック&ヴィンセントヴェガ兄弟の話だって、何かしらのかたちで語られる可能性は全然あるわけだ……ということを、妄想できることがうれしい。それにしても「私立探偵ランダ in ナンタケット」は見たすぎるだろ。

 で、仮に、タランティーノがこの次に撮る映画が本当に彼の「引退作」になるとするならば、その一本はやっぱり『キル・ビル Vol.3』であってほしいと、私はそう願わずにいられないのだ。 

 

 話を元に戻そう。『ワンスアポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』の公開が迫っているのに心の準備がなにもできていないという話だ。この映画タイトルからしてこの有り様なものから映画監督クエンティン・タランティーノいかにも「集大成」という感じがしてしまうのだけれども、しかし実際はそうでもなくて、むしろ今までになく「タランティーノっぽくない」映画になっていたりするんではなかろうかと期待している。それはひとえにこの作品が、タランティーノ本人にとってきわめてパーソナルなものとなっているような印象を受けるからだ。

 『ワンスアポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』について、現時点で、私は予告編以外の情報をすべて遮断している。サントラにも触れてすらいない。だから実際どんな映画になっているのかはまったくわからないのだけれど、タイトルをはじめポスター予告編を通して強く喚起されたのは、「郷愁」の念だ。それは1969年、大きな変革を遂げようとしていたハリウッドとその時代精神タランティーノは "zeitgeist" という単語を本当によく使う)に対する郷愁であり、タランティーノ自身の幼少期へと向けられた郷愁でもある。しかしながらこの郷愁こそ、これまでのタランティーノ映画からほとんど感じてこなかったものであり、ゆえに今作はどうにも「タランティーノっぽくない」ような気がしてしまうのだ。

 タランティーノは、過去映画音楽からさまざまな要素をためらいなく取り入れることで自分映画をつくってきた人だ。その特徴はたしかタランティーノについて語るうえで欠かせないものだろう。でも彼の作品に宿る魅力を考えるうえでもっと重要なのは、そうした引用(あるいは盗用)のひとつひとつが、観客に郷愁を呼び起こすための装置には決してならないという点だ。観客を過去へといざなうことで「懐かしさ」に浸らせるのではなく、かつてとてもエキサイティングものとして消費された文化の「エキサイティング感覚自体をそのまま現在再現してしまえる才能。それがタランティーノのすごいところだと思うし、その意味で、郷愁、というのはむしろタランティーノ映画から最も遠いところにあった感情ではないかと思う。ところが今回の『ワンスアポン・ア・タイム・イン・ハリウッドから郷愁が強く香ってくる。そのダイレクトさがとても気になるのだ。それはとりもなおさず今作の特異な舞台設定によるものだと思うけれど、開映が迫っているためちょっともう書く時間がない。超中途半端

ワンスアポン・ア・タイム・イン・ハリウッド観た

うーーーむ

タランティーノだし予告から楽しみにしてて絶対見るぞって感じでいたけど

見終わって期待ほどうおーおもしれーって感じにはならなかったなー

レオナルド・ディカプリオが5分に一度タバコをふかす映画だった

2019-05-31

ショーシャンクの空にを好きって言うと映画好きが反発したりマウントとってくる」って話がネットでたまにあるけど、経緯をよくわかってないと思うんだよね!

あのさあ!もうハラスメントだよあれ!こっちは辟易してるんだよ!

どういうことか説明する!

ショーシャンクの空にって2000年くらいまではそれこそ映画好きとか、頻繁にレンタル店にいくような人とか、一部での知名度しかなかったんだよ。グリーンマイルの方が有名なくらいで。

それまでもじわじわ口コミで人気はあったんだけど、2000年くらいかネットの普及で一気に広まって、普段映画に興味ない人とかヤンキーまで、マイフェイバリットだわ~泣けるわ~見てないの人生損してるわ~と言い出したわけ。

しかも、口コミの広がり方が「知る人ぞ知る」みたいな説明だったから、

それに影響されて、みんなちょっと通気取りなの。

マイナーって言われるんだけど~みたいな。

マトリックス見たけどつまんなくてさ~、で、オススメされたから期待しないで見たショーシャンクが超名作で~みたいな。

映画好きはそういう話題を振られやす存在から他人の影響を受けたのが丸わかりの一つ覚えみたいな感想をあちこちで散々聞かされてきたんですよ。

ひとと映画の話をしてると、すぐショーシャンクの話になって、「ラストの爽快感ヤバイ」「これこそ名作だよね~」みたいな定型文を、毎回毎回違う人から聞かされるの。

同じ人気映画でもバックトゥザフューチャーはひとと話すと語るポイント結構バラけるんだけど、ショーシャンクは大抵感想が揃ってるんだよね。スタンドバイミーは、ショーシャンクの感想語りに似てるかも。

そういう部分まで透けて見えて、でも直接指摘する事も出来なくて、毎回「アイタタタ~」って思わされる辛さがわかりますか!

サブカルっぽい奴と映画の話をすると、「空気人形とかエレファントとかバッファロー66とかタランティーノとか、時期によってみんな同じ映画の話をする」って映画好きあるあるなんだけど、ショーシャンクはサブカル以外にも、皆から言われるんだからね!

それも一時期じゃなくてず~っとだよ!

サブカルよりひどいよ!

人によってはこういうのを20年くらい経験してきたって事を知ってもらうと、映画好きの辟易加減もよくわかると思う。

若い人だと中学くらいからそういう体験をしてるんだから人生の半分以上でこの苦痛を味わってるんだよ。

自分の好きな映画の話で。

「他にもいい映画はいっぱいあるよ」とか言いたくもなるよ。

別にマウント取ってるんじゃないんです、話を変えたいんです。またおんなじコピペ感想文を聞かされるのがいやなんです!

そういう経緯とか背景が、裏にはあるんですよ。

2019-01-25

anond:20190125181438

タランティーノに誠実さを感じる()人は、相当人経験というか洞察力というか、いろんなものが足りないと思う。

彼の映画を見れば見るほど伝わってくるのは、小心で、勇気名誉のようなこととはまるで無縁の臆病な人格だ。

強い者に立ち向かっていくようなガッツが全くない人間なのがはっきり伝わってくる。

例えばリアルに女や黒人が怖そうな人間いじめられてる場面に出くわして自分一人しか止められる人間がいないというときには、汗をだらだら垂らして薄笑い浮かべながら誤魔化してなにもしないような男だろう。

それが面白いから俺はタランティーノ映画をみるんだけど。

anond:20190125112140

タランティーノの『ジャンゴ』は、アメリカ白人監督が、西部開拓時代黒人主人公にして、差別的白人ボコボコにする映画だった

この作品で、副主人公白人男は保身のため差別的白人に表面だけ調子を合わせつつ最後黒人相棒のため戦うわけだが、白人男性としてのタランティーノの誠実さを感じる

日本でもこういうのが描ける監督とか脚本家とか出てきて欲しいとは思う

(ま、タランティーノ女性出演者にはパワハラ常套のおっさんだが)

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