はてなキーワード: 知的障害者とは
一理ある。
そして、知的障害者同士であれば結婚しても問題ないんじゃないかな…と思ったが、子ども同士も結婚できないから無理かな。
いや、知的障害者同士が現行法で結婚できるんだから、むしろ未成年でも互いに同年齢同士なら結婚を解禁する方向に進むべきなのでは。
お互い責任能力がある大人だから、というのは良い基準なんだが、
それでも近親婚と重婚はどうするか決めなきゃいけないんだよなあ。
君らは婚姻の可否条件について線の引き直しを国家に要求している。
線を引き直すなら、なぜ線を引き直す必要があるのか。
引き直すとしたら何を基準に引き直すのか。
そもそも今までの線は何を基準に引かれていて、それは妥当と言えるのか、
という点を明らかにしていかないと新しい線を引くことはできないだろう。
「小児婚や動物婚はNG。なぜなら、相手の責任能力は判断力・意思伝達能力に難があるから。
でも同性婚は、大人同士なら責任能力・判断力・意思伝達能力に問題が無いのだからOK」
という理屈はかなり筋が通っている。
ただ、それを基準とするなら、近親婚もOKだし、重婚もOKという事になる。なぜなら、双方に責任能力・判断力・意思伝達能力に問題が無いから。
それでOKなのか、という話になる。
また、責任能力に難がある、いわゆる知的障害者や薬物依存症患者は結婚していはいけない事になる。
じゃあ今度は、それならなぜ現在の婚姻制度は知的障害者や薬物依存症患者でも結婚して良い事になっているのか。
近親婚は閉ざされた環境での強制につながる可能性があるからNG、という話になるなら、
次は、じゃあ義理の兄弟姉妹間の婚姻が認められているのはなぜか、それは妥当性があるのか、という検証が必要になる。
また力関係が強制につながる可能性があるという理由で認められないなら、
利害関係のある人同士が結婚する事は認められていいのか、という点を検証する必要が出てくる。
利害関係が強くて事実上拒否が不可能である人同士が結婚しても良くて、強制される「可能性がある」だけの近親婚が禁止されて良いのか、という話にもなる。
「同性愛は病気じゃない」と主張するのは自由だし、それについては某国会議員だって異を唱えてはいないだろうが、
どこまで認め、どこからは認めないのか。そこに線を引くのがなぜ正当と言えるのか。
君らが要求してるのはそういう話なんだから、当然ペット婚や機械婚が許されるのかという点も同じまな板の上に乗るさ。
そうは思わないか?
そんな帰りの電車の中、座席は埋まっていて優先席だけガラガラだった。
幸い立っている人がいなかったので、「誰か来たら立とう」と優先席に座らせてもらった。
その後、杖をついた70代くらいの女性が乗車してきたので席を譲った。
お礼を言われた後、その女性の何かいいたげな強い視線を感じたので目を合わすと、
色々と話しをされていたが、要約するとこのような内容だった。
・重度の知的障害を持っている方は、全ての行動において介助が必要であり(恐らく知的だけでなく、重度の身体障害もお持ちの方について言及しているのだろう)、
介助する人たちも大変そうである。
・軽度の方はある程度自分の感情や意思を伝えられることもあるが、重度の知的障害の方は何も伝えられない。
・何か障害を持っていても、気持ちを言い表せない人もいる。そんな人が優先席に来ることもあるのだから、
その電子機器(その時kindleを読んでいた)は使用してはいけない。
なぜ、いきなり相模原の事件について語りだしたのか。一番私に言いたかったことは何だったのか。
そこまで聞いて、やっと理解できた。
その後もその女性のお話は止まらず、「子供は時間が経つにつれて成長するが、重度の障害を持っている人の知能は一切成長しない」
「トマトは水をやれば赤くなるが、障害のある方は何か働きかけをしてもトマトのように変化しないので可哀そう」などと話し続けていた。
もう、我慢ならなかった。
「私の持っている電子機器(kindle)はスマホなどの通信機器ではない。
更に言えば、今はもうスマホやタブレットもペースメーカーに影響がないことが証明されている。」
と突っ込みたい気持ちもあったが、そんなことよりも言いたい大切なことが沢山あった。
重度の障害のある方も、沢山成長をしますよ。変化もします。そして、私はそういう方々と関わってとても楽しかったです。
障害のある方と接点が無い方にも、そのような良いことをもっと広めたいですし、差別をなくしたいと思っています。
それでは降りる駅なので、失礼します。」
途中、女性が何か口を挟んできたような気もするが、気にせず話し切って私は電車を降りた。
私はそこそこの年数、重度の知的障害者施設(重度の身体障害も持つ方も沢山いた)で支援者として働いていたので、
話したいこと、理解して欲しいことは本当は山ほどあった。
しかし降りる駅に到着しかけていたし、これ以上色々話すと感情が高ぶって穏やかに話せなさそうだったので、
そう伝えることが精一杯であった。
私が関わった、沢山の障害のある方の顔が頭に浮かんだ。大好きな人たちの顔だ。
悔しくて悔しくて、たまらなかった。
福祉の仕事をしていた時もそのような差別的な話をされたことはあったが、
久々にそんな話を面と向かって話されたので、悔しさと怒りの気持ちが一段と溢れた。
TVや何かの記事でわかった気になって、同情するふりをして差別をする人たちは沢山いる(当人たちは差別をしている意識がない場合もあり、余計厄介だ)。
確かにLGBTの人達を救済するのであれば、少子化対策としてではなく人道的見地からの社会福祉給付金の形であるべきだと思う。
障害者自立支援法のような法整備をきちんとして、その上で税金を使うというのであれば、世の中の理解を得られる。
初めからそれをしないで少子化対策だとお茶を濁している理由ははっきりしているんだよね。
本当に人道支援として税金を使うとなると、LGBTを障害者と同じ扱いにすることになるから。
正直言って、国民のほとんどの本音としては「LGBT=知的障害者と同じ」という認識だけど、それをはっきり言うわけにはいかないから。
それは違う、という反論が来るだろうけど、「障害者自立支援法のような法律の精神は一体何だろうか考えてみればいい」と最初に書いておく。
メディアがこの問題について発信する情報は、同診断を受けないことを決断した人、
あるいは受けて陽性が確定したけれども生むことを選んだ人を取り上げる「美談」が殆どで、
陽性確定者の多数派である中絶手術体験者の声が反映されていないと感じます。
<経緯>
30代の終わりから不妊治療を始め、40代の始めだった2016年に体外受精で初の妊娠。
同年に新型出生前診断を受けたところ、18トリソミーであることが確定し、手術。
<手術に踏み切った理由>
試験勉強と育児を両立させるために、健康児であることは大前提でした
(夫婦共に健康なので、子どもも健康な状態で産まれると思い込んでいました)。
医療的ケア児であれば、受け入れる施設も限られ、お世話に忙殺されることが予測されます。
「もし産むと、あなたは毎日家の中で赤ちゃんに付きっ切りだよ」と夫に言われ、
自分のキャリアが崩壊する怖さから思わず「それは無理」と言い返しました。
さらに、その子が将来、認知症などで要介護状態になれば、入れる老人ホームはあるのか。
ネット上には、医療的ケア児の受け入れ先や成長後に関する情報がほとんどなく、不安に駆られました。
・胎児は女の子でした。心配なのは、この社会で知的障害者に多発する性被害です。
あるいは通所途中で誰かから……と考えると、とても我が子にそんな辛い体験はさせられないと思いました。
もはや「自分たちさえ良ければ産める」という問題ではないと思いました。
知的障害児を生んだ場合、私の知性すら信用されなくなるのではないか、
友人知人からも憐みの目を向けられるのではないか、と懸念しました。
そしてこのように考えること自体、自分の中に知的障害者への差別意識があるのだと、
認めざるを得ませんでした。
<なぜ、新型出生前診断を受けたのか>
私たち夫婦は高齢なだけに、「障害がないことを確認し、安心してその後の妊娠生活を過ごしたい」と考えて
同診断を受けることにしました。
私としては、「事前に疾患がわかれば心の準備ができる」とも思っていました。
その時点では、どんな疾患のある子でも受け入れて産もう、と漠然と考えていたのです。
ところが、いざ診断で陽性判定が出ると、上記に述べた様々な不安が一気に押し寄せ、
坂道を転がり落ちるかのように、気持ちは中絶手術へと傾いていきました。
しかし、実際に手術によって死産した我が子と対面した時、愛しさが込み上げ、
「なぜ息をしていないの。お願いだから生き返って!」と号泣しました。
手術を受けてから後悔しても遅いのです。
「安心したいから」という理由で受ける人は多いようですが、お勧めしません。
私たちの経験上、陽性判定を受けると冷静な判断力が失われ、未知の将来への恐怖心から、
とにかく「生活が変わらない選択肢」を選びたい強い誘惑に駆られます。
従って、診断を受けるのは、
「陽性の場合は産まない」と決めた時のみとするのが良いと思います。
陽性でも産み育てることを決めているのであれば、「心の準備」は産んだ後からでも間に合うのではないでしょうか。
染色体異常を持って生まれてくる可能性への心配はあるにしても、
あらゆる状況を想定して、妊娠中に情報収集しておけばいいと考えます。
<カウンセリングのあり方>
私がカウンセリングを受けたのは、出産予定先だった大学病院の産婦人科医からでした。
18トリソミーとして生まれる子どもの知的・身体的特徴について説明がなされました。
ただ、私たち親が知りたいのは、「そのような疾患を持つ子どもをどうやったら育てていけるのか」です。
医療的ケア児には、健常児にとっての保育園や幼稚園、学校に代わる施設はあるのか。
成人後の住居や生活費はどうするのか。
そうした社会的サポートに関する情報は医師からはほとんど与えられず、私たちは不安に駆られるばかりでした。
是非、これらの情報に詳しい専門家をカウンセラーとして配置して欲しいと思います。
<メディアのあり方>
冒頭で述べたように、新型出生前診断に関してメディアに登場する当事者には偏りがみられるため、
診断を受けるかどうかを迷う人にとってはあまり参考になりません。
私自身、診断を受けるかどうか、手術に踏み切るかどうかを判断する際に、
心細さを抱えながら性急な判断をせざるを得ませんでした。
メディアが同診断に関する美談ばかりを取り上げることは、中絶手術を選ぶことを暗に非難するメッセージとなり、
その結果、手術体験者からのアドバイスが発信されないために、受診者及び受診者予備軍が的確な判断ができないという、
以上、ご参考まで……。
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もう、日本は終わりだ。
無免許で死んだのは馬鹿としか言いようがないが、それ以上に「事故の関係者」にTwitterで凸している知的障害者の方が気になる。
普通、事故で生き残った人に「お前も死ねば良かったのに」なんて言葉が吐けるものか?
「この言葉を言ったら、きっと傷つくだろうな」という、人に当たり前に備わっている感情が、欠落しているのだろう。
だからネットにしか居場所がない陰キャの道に堕ちたに違いない。
明らかに年々、ネットに住まう「陰キャ」たちの知能レベルは低下していっている。
彼ら陰キャは、自分の殻に閉じこもって他者との関わりを遮断している。
だから自分がどれだけ愚かなのか、死んでもそれに気づくことはない。