はてなキーワード: 普通とは
毎日のように「私のこと好き?」だの「別れたほうがいい??」だのメッセージ送ってきてた元カノ、確実に病んでいたと思うのだけど少し気持ちが分かった。
今付き合ってる人が連絡を送っても翌日から翌々日返信のタイプなので、重要視されていない感じが凄く、自分なりに時間や労力を注いでいる割に関係性が良くなっていないような気がする->不安。みたいなプロセスをたどってる。
ただ交際前からそういう連絡出不精みたいな節はあったのでそれが彼女の普通と感じることができれば特に何も感じないと思うのだけど、不安感というかもやもやする気持ちがある。
多分元カノも同じような感覚をどういう機序であれば持っていたような気がしており、なるほど連絡をされない側はこんな気持ちなのかと初めて理解できた。
連絡しない側からするとこれが普通なんだから信頼してくれなのだけど、連絡されない側からすると信頼できるほど人間性が分かっておらず、ないがしろにされている->不安という感情が芽生えるのだなぁという。
---
後これは蛇足だけど不思議なことにこうして連絡頻度が低くされると妙に執着心みたいなものが芽生えてしまっている気がする。
何かの本で足りないと感じるものほど執着するみたいなのを読んだ気がするのだけど、自分が求める連絡頻度より低いとある程度気になっていることが前提ではあるけど、より執着してしまう感じがする。メンヘラ製造の一つの手法かもしれん
ワイの身体エビデンスではコーラ辞めてダイエットコーラに変えたらそれだけで体重の上昇が止まったし
今でも週に2ℓを2本くらい飲むけど、その後のダイエットにも悪影響が出てない
何かが残る時って、その時に「価値があるから残そう」という意志が発動してる時の方が稀で、
普通は特に代替すべき計画もないからなんとなく残っちゃった→それが時を経て価値が出てきた、っパターンだと思う。
個人的には市美術館(藤子F)もあり、足を伸ばせば能作の工場見学も楽しく、鮨は美味しいし、クラフト系の店も多くて楽しかった。
アニメはヒットするけど漫画は、漫画と音楽の相性が悪すぎて漫画自体は相当苦労すると思う。
ベック・ケイオン・ぼっち・ロック淑女、 バンド漫画って大抵プロアマが集まって最初に結成したバンドで武道館を目指すのがテンプレみたいになってるけど
最初の1~2巻で全員集まって以降最終巻までずっと同じメンバーでやる訳じゃん。飽きますって。読者絶対飽きますって。マンネリ化しますって。
そこにメンバー間の痴情やバンド解散を持ち込んでお約束をぶち壊したのがふつうの軽音部なんだけど、やっぱ一期一会でメンバーが変わってかないと絶対飽きると思うんだよね。
アジア諸国で戦争歴史がどう伝わってるか見たことあるんか?日本軍の残忍さを記録してるところは1つ2つじゃないよ?日本軍は野蛮白人から救ってくれた希望の黄色仲間じゃないよ?
日本軍は植民地を奪ったナマイキな格下じゃないよ?昔は野蛮だったが日本がイキり始めた頃は、出始めの人権思想があったからな
何の利益もなくても人を殺す日本軍に引いてたんだし、核爆弾は普通国内から反対票出てくるから使うことすら難しいんだわ、日本はほぼ全員の賛成で核爆弾の使用が可決したんだよ
世界中の人権教育反戦教育自体は合理的で劇薬じゃないはずなんだが、日本の戦後の反戦教育はひどいからな
ただ学生運動もどうだろうね、日本人が挫けた政治無関心のきっかけは安保理反対運動と言われているが、安保理をやめさせるなんて無理だと理解できない学生運動当時の日本人の知能の低さが根本的な原因だよ
ちょっと英語がわかって国際社会情勢に興味があれば、日本軍の野蛮さは当時の価値観ですら受け入れられないほどに突出してたから。
安保理なしにあんな野蛮大日本国家の野放しを許す政治家なんて政治家やめたほうがいいわけ
野蛮国家は必要に迫られてるわけでもないのに意味不明なことを言って自国民を抑えきれずに戦争仕掛けてくるでしょ
ロシアと領土問題を抱える日本人がロシアの敗北を願い苦戦を喜ぶのは普通だと思うんだが
ウクライナの苦戦を嬉しそうに語る人はどういう望みがあるんだろ
「単純に予想があたったのが嬉しいだけ」
というならまあわかるが
そして無事漏らしたので記念ぱぴこ。
せっかくだからレポするよ。
6月に割と大きめな人前に出る用事があるからいっちょダイエットでもしたろかなと思って、オルリスタットを処方してもらったよ。
昔ゼニカルを使ったことがあり、その時も寝ている間に無事漏らしたことがあったから効果のほどはなんとなく知ってたよ。
久々に揚げ物が食べたくなっていた増田は早速服用したよ。
食事内容はささみチーズカツと冷蔵庫に余っていたししゃも、ハムサラダだよ。
ビールと一緒に胃に流して満足しながら眠ったよ。
その日は在宅勤務だったよ。
こういうのはガスが溜まっているときの痛みだと経験的に理解していたし、コードを書く手を止めたくなかったし、一人だったからそのままおならしようとしたよ。
その瞬間だったよ。
じっとりとした何かがおしりから勢いよく漏れる感触があったよ。
トイレには油たちがどろっと浮いてたよ。
パンツには油がじっとり、ズボンにまで滲み出た…とはならなかったよ。
なぜなら増田は前回の教訓からおむつ型のナプキンを履いていたからね。
ただし、それでもおむつ裏に染み出すギリギリだったので、なんとか一命をとりとめたなと安堵したよ。
油とうんちまみれになったナプキンはそのままゴミ箱に突っ込んで新しいナプキンに変えて増田に書き込んでいるのが今だよ。
ナプキンは必須だよ。できればオムツ型だと寝ているときも安心だよ。
思っているより質量が出るから、普通のタイプのナプキンだと横モレするかもしれないよ。
ただしオムツ型はもっこもこなのでタイトなパンツスタイルには向かないよ。
言いたいことはそんな感じだよ。
全然違うし、よく考えたら服がないがしろにされてる絵に腹を立てていただけだったわ
イラストは服が9割、これだな
服がかわいくないといくら線と塗りが良くて目がかわいくても受け付けないわ
服がめちゃくちゃな絵はすべて台無し
服がかわいいならデカチチでもいいものだ…(個人的にはF~Gカップくらいまでがライン)
普通のブレザーに見えるくせにダイビングスーツみたいに体に張り付いてるタイプはかわいくない
以上
(もやしとチャーシューどーんみたいな、いかにも二郎系っぽいやつ)
一杯飲んだ帰りに一人で行ったから頭もぼんやりしてるし注文のやり方とかも訳わからんしで
なんか店の人に迷惑そうにされて恥ずかしかったわ〜って言ってて可哀想だった
ニンニクとか野菜とか聞かれて全部普通サイズでって言ったらハァ?みたいな顔されたらしい なんでだよ
入りやすそうな見た目してお気軽にどうぞとか言っといて何の説明もしてくれないの飲食店として致命的じゃん
なんかいかにも二郎系で一見さんお断りみたいな店ならまあギリ分かるんだよ、でもそこの店、店構えは普通のラーメン屋なんだよ メニューは二郎系なんだけど
そもそもラーメンなんか大した飯じゃないのになんで客側があれこれ覚えないと駄目なんだ?
よく見るやつだし食ってみるかみたいな
・「児童・学生時代に教師が日教組だった(せいでなんらかの不利益を被った)」
・「○○(思想・信条的な何か)をしたら職員室に呼び出された」
というたぐいの話が広く出回っている。これらの話には大体、平和教育、人権・道徳教育、同和教育への批判的見解が含まれているようだ。
組み合わせて例えてみれば、「平和教育の時間に日教組の教師が反自衛隊的な講話をした。それに対して冷静に反論する感想文を書いたら職員室に呼び出された」みたいな話だ(あくまで例えである)。
別の例を挙げれば、「人権 本物はやたらに言わない」と描かれた人権ポスターと、それを描いたとされる小学生のエピソードが、たびたびなにかの機知のように出回っている。(参考:https://twitter.com/PatriotNewsJPN/status/170058241861103616)
あるいは、別に「放送委員として給食の時間に彰晃マーチを流したら職員室に呼び出された」みたいなものもその一種かも知れない。単に流行に乗ったのかそれともオウム真理教に対する何らかの確固たる意志があったかは分けられるだろうが。
私は90年代後半~0年代に、関東の一都市の公立学校で義務教育を過ごしたが、
教師が日教組であるとかそうでないとかを意識したことはないし、
あるいは何か「大人の建前に都合の悪い」ことをして職員室に呼び出された経験や、それを見聞きしたこともない。
(子どもらしい単純な悪戯や、非行、それに対する指導などは見聞きしたことはあるし、理不尽な教師の思い出もいろいろあるが)
もちろん、年代や、日教組の組織率など地域的な差はあるだろう。(一般的に東日本より西日本の方がその様な教育に熱心と言われているようだ)
しかし、そんなに、一言で言えば、アグレッシブな対立がしょっちゅう存在するのだろうか。
特に大きな疑問として「職員室に呼び出された」という話の場合、その職員室に呼び出された後の話がほとんど見受けられないのである。
それほど思い出に残る、思想的な挑戦の末に職員室に呼び出されたのなら、その職員室での対面の場で何か大きな教訓とでもいうべき体験がありそうなものだが。
2014年、横浜の中学生が、修学旅行先の長崎で、平和教育を行っていたガイドの被曝者に対し「死にぞこない」と暴言を吐いたという事件がある。(参考:https://hi-hyou.com/archives/1193)
これは学校という閉じた空間ではなく、学校外に向けて起きた事件といえるが、ネット上で見られるエピソードには当然これ程のインパクトがないし、裏付けもない。
普通のいたずらや非行とも違う、早熟ともいえる思想的対立を経て、「教師が日教組である」と喝破したり、平和教育などへの批判的精神を表明したはずの人々は、実際何を得たのだろうか。
もし、なにか、「担任教師が日教組だったから~」「(社会的・歴史的な何かについて)〇〇したら職員室に呼び出された~」といったエピソードを経験した(起こした)り、それについて見聞きした方がいたら、ぜひ反応を頂きたい。
できれば、大まかでよいので地方・年代とその時の歳・公立か私立か・職員室なり説教なりの対立で何が起きたのかなど、当時の環境も添えてほしい。