はてなキーワード: 頭脳とは
派遣の人の話では、コンビニ専門派遣は皆、通常のコンビニ業務の経験があって研修も受けてきたプロだ…………プロなんだけど、コンビニって同系列の店舗でも、店によって仕事内容や作業手順が細々と違うため、初めて勤めるお店でいざ働こうとしても、そこで常勤している人達には、全然全然、及ばないらしい。なので、派遣はどの店に行っても、レジ打ちとレジ周りの仕事しか基本的に任されない。だから永遠にルーキー状態なのだそうだ。
実際、一緒に組んでみると、知識面ではただバイトしてるだけでは知り得ないことをよく知っているし、トラブル解決にかけては本当にプロで頼もしいんだなぁ、と思う。しかしやっぱり雑用を頼むとかなり時間がかかってしまうので、派遣の人にはレジにずっと居てもらった方が、組むこちらとしては楽は楽だ。
けれども、派遣の人としては、どの店に派遣されてもお客さん扱いされて、相棒があくせくホールやバックヤードで働いているのに自分はレジのとこにずっと立っているだけ……というのは心苦しいのだそうで、雑用でも少しは割り振って欲しいと、内心ずっと思っていたのだそう。でも指示待ちしてる方が無難で揉めないので、普段は自分から仕事を下さいとは言わないということだった。
私は根が不精に出来ているので、立ってる者はつい使ってしまう。そんな訳で派遣の人にもホイホイ仕事を任せてしまっている。そんなの、当店では私だけだ。他のバイトの人達は皆、派遣の人にはレジ打ち以外何もやらせない。皆ベテランなので、慣れない派遣の人にやらせるよりも自分でやる方が速いと思っているし、実際速いので、一人で全部やってしまうのだ。
昨日は、派遣の人に雑用までして貰えたお陰でかなり助かった。オーナーからは、レジを全面的に派遣の人に任せて、検品や品出しその他雑用は全部私がやるように言われてたのだけど、一人じゃどう考えても終わらない量の仕事があったので、どうしても派遣の人にも割り振るしかなかった。私以外のバイトだったら皆一人で抱え込んで、残った仕事は次の日の昼勤をあてにするんだろうけど。
ちょっと問題だったのは、私も派遣の人も仕事を相棒と分担してやるということにあまり慣れていないということで、互いに自分の仕事に夢中になってしまって、お客さんがレジに並んでるのに気付かない、という場面が何度かあったこと。自分と相手の仕事のうち、優先度が高いのはどっちか?手が放しやすいのはどっちか?判断するのが難しかった。けれども、しばらくしたら慣れた。
お互いに自分が自分がっていうタイプだったら、険悪になってしまっただろう。しかし、何も言わないだけで「この人と組むとやりづらい……」と思われている可能性もなくはないよなぁ、なんて想像した。普段は、仕事が終わったらすぐに仕事のことは忘れてしまうようにしているけど、こうも何も悪い事が起きた訳でもないのに反省に時間使うなんて、精神的に自主残業してるみたいだな。効率のいいこととは言えないのかもしれない。
この店の先輩として、派遣の人に上から圧力かけ気味に命令してしまった方が、効率がいいのかもしれない。お互い気が楽かもしれない。でも、派遣の人はずっとレジ打ちさせられるよりもやりがいがあると言って、嬉しそうに雑用を請け負ってくれる。物珍しいから喜ぶのであって、すぐ慣れて面倒臭いと感じるだろうか?よくわからない。
私の方としても、派遣の人との仕事のバランスに気を遣って働くのは、戦略ゲームでもしているようで面白いと思ったけど、これが日常になってしまったら疲れるだけかもしれない。
楽しい、けれどこれって、たった時給900円でする仕事?という疑問が湧く。楽しいのは今だけかもしれない、時間外頭脳労働を発生させてしまって、良かったのだろうか?
派遣の人の為にもなったのだろうか?本人は楽しんでたみたいだけど、他では指示待ちでただ使われるだけの立場だというし、私とたまたま組んだことで、他の人と組んで指示待ちする事が苦痛になったりはしないのだろうか?
今まで単純作業のバイトしかしたことなく、これじゃいけないと思って、昔からちょっとフォトショがいじれるんでそれを活かして、30前で就活したら雇ってくれる場所があってさ、
今日初出勤だったのだけど、これがまったく向いてなかった。
出社してとりあえずOJTがはじまったんだけど、まったく仕事が進まなかった。自前の異常なまでの人見知りから何を何枚必要か聞くこともできないまま、ライセンスがないCS2でwebから持ってきた写真を切り抜いて配置なおしてるだけで、
新卒で就職できなかったとき、自分は人より無能だなとつくづく思ったものだけど、久しぶりにあの感覚を思い出すというか、自分って頭脳労働に仕事向いてないんだなとつくづく思いました。
異常者からは以上です。
とりあえず、院生で中の上の成績でそれでもポンコツとかいうのはやめた方がいいです。
無用な自己卑下は周囲の人間に対しての意図しないマウンティングになってしまいます。
就職してからは、今よりもいろんな社会階層の人たちと接することになりますので、あなたが持ってて(できて)当たり前のことが必ずしも他のすべての人にとっての当たり前ではありません。
もちろん、そんなこと頭ではわかっているかもしれませんが、実際に人と接してみないと実感できないことでもあります。私もそうでした。そうやっていろんな人を怒らせてしまいました。
「すいません早稲田卒なんで頭悪いんです勘弁してください」
「十か国語しかしゃべれないので私には語学の才能なんかありません」
「応用情報処理技術者を小学生のうちに取れなかった私はチンパンジー並の頭脳です」
と言っているのとほぼ同義だと思ってください。
キミが年金払わなきゃええやん?
キミが払う分の年金はあくまで自分自身の分なのになぜか他人に干渉してくるくらいなのだから
そうすれば自ずと海外から優秀な頭脳が集まるし、優秀な若者もお外に出て帰ってこないとかないでしょう
そんな大それたこと・・・なら出来る事をやればよろしい、例えば60歳以降のキミのキャリアプランだ
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介護させるなんてどこにも書いてない
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ならば関係ないじゃん
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老人ばかりの重税の国なんて企業も優秀な若者も逃げるわな どんなプラン組んでも老人の数に対して介護要員すらろくにいない国になったら死ぬしかないじゃん
未婚化も少子化もどうでもよかろう
こんなに優しい言及は初めて見ました。確かに私には多少の貧困を覚悟でアーティストの道を歩んでいる人々の生き方を批判する権利はないし、自分のようにやりたくない仕事でもそれなりの給料を求めて働くのと、自分の好きなことのために貧困に耐えるのとでどっちが偉いかみたいな優劣はありません。
むしろ彼らの生き方に憧れている部分もあるのですが、貧しい食生活とか作品作りに必要な道具を買うにも困る生活を送っている人を見てしまうと、「どうせあんまり私には才能なさそうだから今の仕事続ける方が良いか」という結論になってしまいます。
そんなに贅沢はしていないつもりですが、毎月ある程度のお金が自動的に口座に振り込まれる生活に慣れきっていると、「仕事をとることから始めないといけない」「作品のレベルが低かったり、相手のニーズに合っていないともうそこからは仕事を頼んでもらえない」という働き方に恐怖を感じます。
若いときは「こんな仕事早く辞めて、多少給料が安くても好きな仕事がやりたい」と思っていましたが、早期退職をすれば退職金が上乗せされる歳が近づいてくると、「やっぱり退職金が沢山もらえる歳まで続けよう」となってしまいます。自分にさほど才能がないと思うから今の仕事にしがみついてしまうのですが、生活に困らない給料の代償として若いときの頭脳と体力とチャレンジ精神を失ってしまったように思います。
現代社会はいらないと言っているのに、今の東京は使おうとしている時点で詰んでいる件
しかし平成には多くの若者が自然参加した素晴らしい「新鮮な日本」は使おうとしない
平成10年から東京を中心に灘、開成、江戸川取手、女子御三家などの有名私立高校の(自慢を兼ねた)全国的高校偏差値差別ブームの到来
Z会などが用意した新しい教材が全国的に読まれ、添削指導にも花が咲いた
その後も、福岡や大阪、東京で、ネットカフェ、吉野家、マクドナルドなどの初オープンという、それまでになかった鮮やかな新型文化のパレードがあった
そして河合、駿台、代ゼミなどの予備校で花開いた爆笑講義や、東大京大早慶などの冠模試、
これらを使い倒して現在の東京都心部の文化を形成した、3、40代の真夏のような旋風があった
その渦中にいた者たちは「醜悪な国家を排斥し、自分たちが新しい時代を作る」と、肩で風を切ってこの島を席巻した
多くの頭脳派が夜も寝ずに使える教材は使い倒し、やりがいをもって生きて生きて生きまくった、真夏のような時代だった
その過程で、全国の学問、大学は切り捨てられ、大学は東大京大早慶だけが残された
そんな「新鮮な日本」があったのが平成、今後もそんな様にできないならお先真っ暗だ
試験を受けないと高校生になれないのが差別とか何とかいうより、だいたい同じぐらいの頭脳レベルの生徒を一つの学校に集めた方が教える方も教わる方も楽なんだと思うよ。出来の良い子と悪い子が一つの教室にいると、出来の良い方に合わせたら出来の悪い方はついて行けないし、レベルの低い方に合わせるとレベルの高い子が退屈する。
だからみんなが偏差値の高い高校を目指して勉強するのは間違っていて、それぞれ自分の頭の出来に合わせた学校に行くべきだと思う。ただ、その振り分けを教師とか学校が勝手にやると納得しない受験生や保護者が続出するので、試験という平等そうな手段をとるのでしょう。