はてなキーワード: 都市化とは
第2次世界大戦後の日本社会に顕著に進行した現象。家制度の廃止,核家族化,民主的な道徳教育の普及,6・3・3制の施行と
それに伴う進学率の増加,進学競争の普遍化,都市化,情報社会化,テレビの普及,大衆社会化,経済成長などを背景にして
育ってきた子供たちをいう用語。昔の特に農村や小都市での牧歌的な生活のなかで育った子供と比較して,その特徴を
きわだたせるのに用いる。 1960年代を中心に盛んに使われた。基本的には世代論の子供版であり,そこに知的興味という
教師であった阿部進が学校の内外を問わず子どもと触れ合う中で「戦前と戦後では子どもの気質が違う」ことに気が付いた。
発見を元に2冊の本を書き上げると、それぞれ20万部を超えるベストセラーに。
https://kotobank.jp/word/%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E3%81%A3%E5%AD%90-60833
https://anond.hatelabo.jp/20170901172529
私よりずっとこのような事件に詳しい2氏ならば「6000人にはこんなにしっかりとした根拠がありますー! バーカバーカ!」と
が、それをせずに迂回した。
これはたしかにダセエ。ダセエのでブコメで端的に指摘しておいた(b:id:ss-vt)。で、ここでも書いてみる。
すでにBuzzfeedでも報じられているように、古賀議員は都議会において、大正9年の国勢調査をひいて関東地方の朝鮮人人口の少なさを指摘している。
が、この当時朝鮮人の内地への渡航は急増していたのである。大正9年の国勢調査では、内地の朝鮮人の総人口は40,755人。いっぽう同年12月末現在の内務省警保局による調査統計では30,189人となっているが(多くの要因で数字に大きな差がある)、内務省統計を年次ごとに追うと大正10年38,651人、11年59,722人、震災の起きた大正12年末には80,415人に至っている。これには朝鮮の植民地化に伴う小作農の貧窮化や、第一次世界大戦後の好況に伴う内地の工業化・都市化の進展、また大正11年末の渡航自由化(大正8年以降、三・一独立運動の影響で朝鮮人の内地渡航は制限されていたが、企業は日本人よりも安価な労働力として朝鮮人を求めた)など、複数の要因が影響している。
東京府 2,485人、
埼玉県 78人、
千葉県 40人、
神奈川県 782人、
合計3,385人。
震災直後の首都圏で何が起きたのか?――国家・メディア・民衆 / 山田昭次 / 日本史 | SYNODOS -シノドス- http://synodos.jp/society/14990
から大正12年の数字を引用して、古賀議員の発言形式に合わせると、以下のようになる。
東京府 8,567人、
神奈川県 3,645人、
合計12,840人。
「工業化・都市化の進展」に伴って多くの朝鮮人が労働力としてやってきたため、東京・神奈川といった都市部や工業地帯に集中しているわけだが(横浜での虐殺目撃証言の多さにも反映している)、少なくともこの時点で、
とは言えなくなる。
また自分が直接参照した一次資料として、国立国会図書館デジタルコレクションに所蔵されている『在京朝鮮人労働者の現状』(東京府学務部社会課、1929年) http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1445292 には、大正12年の「在京朝鮮人労働者」は5,347人と記されており(警視庁調べ)、アジア歴史資料センター所蔵の『在京朝鮮人状況』(朝鮮総督府警務局東京出張員、1924年5月) http://www.jacar.archives.go.jp/das/image/B03041602800 によれば、「八月末震災直前の見込綜数は八千人を超へ」ていたという。
繰り返しになるが、とりあえずこのあたりで「6000人という数字は当時の関東の朝鮮人人口より大きい」とは言えないことをご理解いただけるだろうか?
ちなみに6,000という数字の具体的な出所は、震災直後に在京の朝鮮人迫害事実調査会が独自に調査を行い、上海の大韓民国臨時政府機関誌『独立新聞』に12月5日付けで発表された数字6,661人。この調査の10月末までの中間報告では2,613人という数字が出ていて(当時東京で催された経過報告会でも発表された)、その後さらに神奈川県で遺体を発見できなかったおよそ1,800人などが追加されている。シノドスの山田名誉教授は「追加合計数の根拠を今日解明することはできない」としていて、その点ではたしかに6,000人という数字の根拠は薄いのだが、同時に帝国政府がマトモな調査を行わなかったことにより、これをデタラメであると断ずる根拠もまた乏しい(はからずも、秦郁彦が『当時ロクに調査せず公文書も終戦時に焼きまくった以上、30万人に代わる数字を日本側から出すのは無理』と嘆いた南京事件と似ている)。少なくとも犠牲者数のもっとも大きな数として採用せざるを得ないわけである。
内閣府のホームページで公開されている、災害教訓の継承に関する専門調査会による報告書 http://www.bousai.go.jp/kyoiku/kyokun/kyoukunnokeishou/rep/1923_kanto_daishinsai_2/pdf/19_chap4-2.pdf で
殺傷事件による犠牲者の正確な数は掴めないが、震災による死者数の1~数パーセントにあたり、人的損失の原因として軽視できない。
という書き方になっているのは、そうした事情によるだろう。
追記
b:id:y-wood 8500人のうち6000人殺せるのか、すげー。『「6000人という数字は当時の関東の朝鮮人人口より大きい」とは言えない』
揶揄のたぐいだとは思うけど念のため。
「6000人」というのは虐殺犠牲者の総数である。東京府の朝鮮人人口と比較するのは不当。ついでに、古賀議員が何故か東京・神奈川・千葉・埼玉に限定しているのもいささか不当で(たとえば群馬でも、自警団が警察署を襲撃して朝鮮人17人を殺害した藤岡事件などが起きている)、山田名誉教授のシノドス記事によれば茨城・群馬・栃木を加えた関東地方1府6県の大正12年朝鮮人人口は14,144人となっている。
また、山田名誉教授の著書内容の、内閣府の報告書のコラム『殺害事件の検証』 http://www.bousai.go.jp/kyoiku/kyokun/kyoukunnokeishou/rep/1923_kanto_daishinsai_2/pdf/22_column8.pdf からの孫引きになるが、例の「6,661人」のベースとなった在京朝鮮人側の調査では、東京府の犠牲者数はおよそ1,000〜1,400人。最終的に『独立新聞』に掲載された数は1,781人となっている。
y-wood氏の言葉を借りるなら
「8500人のうち1800人殺せるのか、すげー」
となるが、現実味は如何?
b:id:fu-wa 戦争知らないんだろうなあ。戦車でダーってやっても6000人殺すのってものすごく大変なんだよ。
ルワンダではそれこそカマとか棍棒とかのたぐいで、およそ100日で50万〜100万人が殺害されている。こうした事態と「戦争」を比較するのは不当。まして、繰り返しになるが「6000人」は関東地方1府6県の総数である。「戦争」を持ち出すなら、せめて戦域や作戦継続期間が同程度に及んだ戦闘でなければならない(それでも戦闘員vs戦闘員では不当だが)。
少子化の原因はまず非婚化なわけで、中絶や子供の支援は少子化対策とは別の話だと思いますね。
そもそも自分は、十分な支援さえすれば少子化が改善するという発想自体に否定的なんですよ。
都市化が進んで、女性にリプロダクティブライツを認めた以上、少子化になるのはやむを得ない。
でも、無理矢理結婚させられたり出産を強制されるよりはずっといい社会じゃないですかと。
今まではそういう概念のなかった田舎から余剰人口を補充できたけどそれももう無理で、
移民を受け入れるかの議論も、結局は地獄を国内の田舎に求めるか外注するかの差でしかない。
少子化を本気で解決するなら、究極的には精神論しかないと思ってます。
政治家の肩を持つようで嫌な気分になりますが、だから少子化対策は宿命的に的外れにしかならない。
老人介護などのケアサービスは洗濯や掃除といった労働とくらべて自動化が難しく、人間が労働せざるを得ないという問題がある。
しかし、各家庭に労働者(家族含む)が赴いてケアサービスを施すのはたいへんコストが高く効率も悪い。
そこで、老人ホームなどの集約型ケアサービスがあるわけだが、これをもう少し大規模にして都市化したらどうか。
公営の都市では衣食住とケアサービス、医療サービスを集約的に提供し、規模の経済による効率化によってコストを圧縮する。
その都市への居住権を割合安価に設定し、国は年金支給に相当する金銭を回収する。
都市サービスでの労働者は若者でも良いし、体力のある市民の老人でも良い。
何もかもをコントロールする政策では上手くいかない可能性もあり、企業の参入を妨げたり入札制にするのもデメリットがあるので、
ただ単に公共集合住宅を大量に用意して、老人の入居とケアサービスの運営を優遇するだけでも上に挙げた状態に近づくかもしれない。
老人の居住選択の自由を奪うという批判はありそうだが、安価にサービスが受けられるという効用を求めて自由意志でやってくるという建前にしておく。
困窮する老人も出てくるなか、個人あるいは単世帯として生活するのはしんどいので、同世代のコミュニティを半人工的に形成して効率よく生活してもらうのも良いのではないだろうか。
盆踊りの実態は乱交パーティーだった、みたいな話。よく目にするけど、実は確たる証拠はないんだよね。
夜這いの風習がーって言う人もいるけど、その風習は近代以降に始まってたりする地域も多い。
少なくとも鎌倉自体くらいまでは、西日本では現代社会的な乱婚状態だったけど、東日本では一夫一婦制が強固だったことが研究で分かっている。
(一番わかりやすい例は、源頼朝が貴族の嗜みとして他の女と寝たら北条政子がブチ切れした事案とか)
これは都市化がヒトの乱婚化を促進するということなのかもしれないね。SEX AND THE CITYだね。
特に江戸期の農村では長子以外の男子が子どもを持つこと自体が望まれていなかったわけだから、
夜這いみたいな風習ですべての男子が性へのアクセスが開けていること自体が不自然なのよね。
ま、そこら辺も含めて実態はよく分からないんだからさ、ロマンチックラブは近代以降でーとかバカの一つ覚えみたいに言わない方がいいよ。