はてなキーワード: 薄っぺらとは
関係ないがクソ深海魚って本当に知識も語彙力も無いんだな!また作品を貶めるのに過去の偉大な作品を持ち出して貶してやがる。
その二つが如何に価値ある作品かを理解できてないから、総合的な質でなく表層だけの質感こそクオリティだと勘違いする。どちらも現場のリソースを最大限まで引き出し最大限までデフォルメした、一つの時代を表す良質な作品だのにだ。
古く薄っぺらい知識で語ることしかせず自分でロクに作れない癖して他作品にムクムクした言動、本当に水棲生物にロクなの居ねえわ。□の主たるムクムク大先生だってデフォルメ絵で売ってるのにな?こりゃ大先生を心では見下してる輩の言動としか思えないぜ。
個人中小に大手ほど負けるのはマネジメントを理解できない無能老害上層部の、現場に対する無理解だ…ってことすら分からないんだろうな。
最近、教え子に薄っぺらい人生だなって言われて狼狽えている増田を読んだ。
僕も時々「自分の人生はなんて薄っぺらいんだ」と自己嫌悪になることがあって考えこんだ。
まず、薄っぺらい人を探そうとした。
喫茶店で新聞を読みながらモーニングを食べる冴えないオッサン? 奥さんに家を追い出されて来たのかもしれない、ひとり身なのかもしれない。それなりに修羅場を潜り抜けてきたのかもしれない。窓際かもしれない。人生の意味について悩んでいるかもしれない、いないかもしれない。
コンビニですれ違ったヤンキー? 僕の知らない苦労があるだろうし、喜びもあるだろう。クルマも服もセンスは違うけど、きっと違う世界で同じ時間を生きてるんだよ。
引きこもりの人? 実家暮らしの苦労は絶えないだろう。未来に不安も感じるだろう。時間の流れも感じるだろう。引きこもり者の配信を見たら実母とバトルが始まってみている僕の心拍数が上がった。いったいどこが薄っぺらいと言えるか。
次に、薄っぺらくない人を探そうとした。
インドに行ってバックパッカーになればいいのか、アニメを見てひとりでキャンプを始めればいいのか、脳梗塞で半身不随になればいいのか、若年性アルツハイマーの親を抱えて介護で絶望すればいいのか、沢山お金を稼いだらいいのか、ツイッターで100億円配ればいいのか、映画スターに、漫才師に、落語家に、パイロットになればいいのか。
どうやら、どれも当てはまりそうにない。
タイトル通りなんだけど、とある女性向け界隈で二次創作をしていた。
最初こそ楽しく活動できてたけど、次第に人が増えてきて、馴れ合いみたいな雰囲気になった。
女同士の薄っぺらい褒め合いみたいな。
カプの話もするけど、なんでいうか元のキャラのかけらもないような改変やパロばっかりが増える。
未成年も増えて、同人のルールが危うげなところがでてきてカプ全体の民度も下がってきている現状。
正直自分が二次創作するのが楽しくない。このままここにいたら推しカプは好きなのに、嫌な思い出しかでき無さそうだったので、思い切って全部切った。
結果としてすごい気持ちが楽になった。
イベントで話す人もいないけど、その分自分で好きに活動できてる。
増田の体験談や人生などの日記に出没し、根拠がないのにすぐなんでもかんでも嘘松だと断定して、真実を暴ける俺賢いアピールする妖怪だ!
女性の増田が書いたらしき彼氏がどうのやらコスメがどうのやらの日記に出没し、根拠がないのに「これを書いたのは女のふりをしたおっさんだ」と断定して(以下略)
増田に定期的に現れ、「私は同人活動をしている。」などの書き始めから界隈の裏事情(という名の愚痴)を膨大な文章量で書き連ねていく妖怪だ!この妖怪の日記は複数あるが、不思議なことに内容はどれもこれも似たり寄ったりな上に、文字数に反して内容はそこそこ薄っぺらいのが特徴だ!
なんというか「みんなそれぞれ違っていて尊重されるべき」って価値観が出てきたら、そういうキャラの扱いって難しくなるんだよね。
つまり、最終的に敗者を引き受けさせなければならないんだけど、昔とちがって「厭味な奴だから幸せにならなくてもスカッとする」とはならないんで、基本的には
(1)違う価値観に生きるようになる
(2)違う相手を見つけるようになる
(3)退場する
の三通りのいずれかの手段をとることになる。でも(1)だとライバルキャラの人間性にゆがみが生じる(例としてはスラダンの流川(非人間的なまでにバスケ一筋))し、(2)だとライバルキャラの恋愛自体がヒロインからヒロイン以外に流れるため軽く見える弊害がある。ようするにただのチャラ男に成り下がり、主人公が越えるほどの目標ではなくなる。(めぞん一刻はそこをなんとかしようとはしていたが。)
そこで(3)の手段を使うわけだが、これは結構究極の一手というか禁じ手に近くて、劇的なだけに軽く真似をすると本当に作品が薄っぺらくなる。きわめて必然的でありつつ、でもまさかねと思わせないといけない。もっとも有名な例はやはり「タッチ」だ。まあそこで死なせるしかないわけだけど、ほんとに? みたいな。実は、「タッチ」より先にこれをやったのが多分「あしたのジョー」なのだろう。どちらの作品でも、「ライバルの死」自体が主人公というより物語にめちゃくちゃ大きな影響を与える構造をしているくらい重い出来事として扱われている。これを軽々しくやれば、ただの猿真似にしかならない。だから、簡単にはまねできない。大きな分類では、「ワンピース」のエースもこれにあたると言っていいんじゃないかと思う。
というわけで、こういう面倒なキャラはもう最初から出さないという方向になってきたのだろう。しかしそれでも主人公の周りに魅力的なキャラは配置したい。そこで、冨樫が「幽白」や「ハンター」でやったように、主人公の周りにいる同性の美形キャラは属性やトラウマによって最初っから全く方向性の違う存在と位置付ける、みたいな解決方法が昨今では普通になった。そもそも人間じゃないとか、非人間的なほど復讐に取りつかれた存在(クラピカ)や女性より微妙に主人公の方を見ている存在(キルア)みたいに。「進撃の巨人」なんかでもこの文法を使ってる(リヴァイとアルミン)。ちなみに、実写版の進撃はその狙いをまっっったく理解せずにミカサとシキシマ(リヴァイみたいな存在)のラインをつなげる…みたいなアホな設定にしてしまい、最後にシキシマをしょうもなく殺す安直な物語づくりにするしかなくなってめちゃくちゃ薄っぺらい「人間ドラマ(笑)」が顰蹙を買ってしまったのは皆さまご覧のとおり。関係者には猛省を望みたいね。
コーキングってさ
時々うんざりする。
コーキングで、励ましたい」
って、いってて、失笑した。
どうしようもないと思います。
それより、少しでも存続できるようにふるさと納税したり
自分のネットワークで地元の浴場の良さやノベルティグッズ(あるのか?!)を広めたりするほうが
現実的じゃない?
そもそも、地元、地元、っつってるけど、地名すら言わないの変。
旧態化を食い止めるために、人呼びたいなら、自分の数千人の
フォロワーだけでも地元の浴場をアピールするとかすれば良いじゃん。
結局、そうやって言いたいだけでしょ。薄っぺらい。
呟くだけで何考えてんの?
すごくカチンとくる。
私は選んでここにいるけど、選べずに残る人もいる。
コーキングで浴場の旧態化が食い止められるって発想自体、失笑。
なんで全てそれなの?
自分でなんで動かないの?