はてなキーワード: 液体窒素とは
ここ数日増田がゴキブリゴキブリとうるさいので、罵倒語としてゴキブリを使う新たな流れがきているのかと思いネットを探索してみたが、特にそういうことはないようだ。一時大増殖した「低能」と同様少人数によるムーブメントなのだろう。
このゴキブリ瞬間ぶっ殺し薬剤なんだけど「ソルベント」っていう画材が一撃必殺の威力を誇るのでオススメ。
その証拠に画材のくせにカスタマーレビューがゴキブリについて書いてある
http://www.amazon.co.jp/dp/B006JHAQ70/ref=cm_sw_r_tw_awdl_0eSCvb0T9B8PH …
というのがヒットする(https://twitter.com/Enbos/status/607121783980834816)。
お前なあソルベントってなんだよ一般名詞を商品名にするのはやめろってお父さんあれほどいったでしょ、と思ったが、この名前で20年以上販売されているようだ。これはもう、今さらやめろといっても仕方のないことである。
それはさておき、このソルベントなる液体の主成分は、おそらくアセトンだろうから、あまり濫用するべきではない。よほど狭くて密閉されたところで使わない限りMSDSでいうところの管理濃度に達することはないが、傷口や目についたりするとすごく痛い。ましてコンタクトレンズについたら痛いではすまない。量にもよるが、床の塗装もはげる。化学系の研究室では、ドラフト内で使用するように指導されている、はずである。
…とここまで書いておいてなんだが、実はおれも学生の頃、研究室のゴキブリ退治にアセトンやその他の溶媒を使っていた。
当時学生の間では、「ゴキブリに液体窒素をかけたけど逃げられた」「やっぱりアセトンだよね」「THFで瞬殺だぜ」(一応書いておくと、THFは過酸化物を生成するためこのような使い方は非常に危険である。真似するのはやめよう)などという会話が日常的に行われていたが、やはりそれだけ安全教育がゆるゆるだったのであろう。
参考までに書いておくと、おれの経験ではゴキブリに最も有効な有機溶媒はジクロロメタンである。その威力を一言で表現すると、瞬殺無音、実験器具の洗浄に使う関係で常に手元にあるため使いやすく、アセトンよりさらに即効性があり、もちろん爆発性という点ではTHFよりはるかに安全である。
ただ残念なことに、ジクロロメタンは有機溶媒のなかでもかなり有毒な部類で、PRTR法で厳しい管理義務を課せられており、もはやゴキブリを見つけたからといって気軽に使うわけにはいかない。
ソルベントもだめ、ジクロロメタンもだめ、ではいったいわれわれはどうしたらいいのだろうか。
季節はこれから夏にむかう。奴らの姿を見かける日も多いだろう。しかしわれわれは、最強の切り札を封印したままゴキブリとの戦いを続けなければならないのだ。終わりのない戦いを…。
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.asahi.com/articles/ASH5J0DLMH5HPTIL03C.html
私は医者で研究者です。この件について思うことを書きます。中の人ではありません。
まず、この恣意的に一方的な病院側の過失を匂わせる見出しに納得できません。
しかも一方的に破棄したような印象すら受けますが、実際には「管理が十分でない環境」だったとのことです。
ですが本文を書く記者とタイトルを付ける担当者は違うという話も聞きましたので、
また病院と家族との意思疎通と契約についても議論のあるところですが、
それは専門家に譲ることとしまして、今回は技術的なことに絞って書きます。
精子は液体窒素中で保存します。酵素活性がほぼ完全に失われ半永久的に保存できますが、10年単位では部分的に失活していきます。
液体窒素で満たされたタンク中にバイアルを保存するのですが、液体窒素は揮発するため定期的な補充が不可欠です。
液体窒素の管理と補充は1年あたり10万円単位のお金がかかります。
1タンクに1,000本単位で保存できますので、バイアル数が多ければ単価は小さくなりますが、
液体窒素に次ぐ保存として超低温冷凍庫(ディープフリーザー、商品名からレブコと呼ぶことも)があります。
これは-80ºCですが、酵素活性を完全には抑制できないため細胞の保存だと3年程度が限界です。
多くの病院の検査科に常備されていますので、ランニングコストとしてはほぼタダです。
勝手な予想ですが、精子の「管理が行き届かない状況」だったという部分からの推測するに、
精子が液体窒素から超低温冷凍庫に移されたものと推測されます。
「さんざん催促したけど取りに来ないが、捨てるわけにいかないし液体窒素の継続は無理だからレブコに移しとっか」的な。
あるいは液体窒素の管理補充ができていなかった可能性もないわけではないですが、普通は起こりえません。
液体窒素に10年、その後で超低温冷蔵庫に2年と考えると、印象としては精子が起きるかどうか微妙なところですが、
今回は運悪くダメだったということでしょう。
ただ保存状態との因果関係は証明できませんし(液体窒素中に10年の段階でダメだった可能性もある)、
理想的な保存条件でも10年以上となると誰も保証はできないと思います。
またこういった状況を十分に勘案せずに記事にした新聞社も問題です。
追記・補記
誤解があったなら究極的には説明する側(医者)の方が悪いんでしょう。
不幸な結果が必ずしも医療側の過失に起因するわけではないし、
やり場のない怒りや悲しみを理不尽にぶつけられることもあります。
要点はあくまで、
1.「書類のような置いとくだけならタダ」のものを「無断で捨てた」みたいな論調は違うよ
2.今回の「直近2年の保存条件が悪かったこと」と「精子が失活してたこと」の因果関係すら科学的にはわからんよ
ということです。
不謹慎な例えとしては、
「催促しても取りにきてくれなかった冷凍牛肉を、冷凍庫がいっぱいだからチルドに置いといたら腐ってた」
さらに補足
「病院側の対応に問題がなかった」と主張したいわけではありません。
病院側と患者側で言い分が食い違っているので判断できないから、今回は置いておくとして、
技術的な側面と実務的な側面について誤解を解きたいということです。
説明責任については、もっと情報が揃ってから、法律の専門家が議論すべきことです。
http://hagex.hatenadiary.jp/entry/2013/12/21/093819
こういうヨタ話を、真偽定かでない、という前提で広めることは、遠まわしな化学へのディスリスペクトであると思うので突っ込んでおく。
元記事を要約するとこうである。
20年前、学生実験で、アルカリ金属の爆発事故が起こり死人が出た。この学生実験は、学生自身がテーマを決めて行う形式で、アルカリ金属の水への反応速度を測定することを目的としていた。アルカリ金属は本来石油中に保管するべきものであるが、石油が蒸発してなくなっており、蓋を開けると発火したためあわてた学生が水をかけた。この水は発生する気体の体積を水上置換により測定するために用意されたものであった。爆発がおこり、巻き込まれたり戸棚のガラスがささって、複数の負傷者が出た。一人が後に亡くなり失明した人もいた。この事故は今でもアルカリ金属の危険性を示すために話されている。
もう書くのも面倒になるくらいデタラメで突っ込みどころが多いのはおわかりだと思う。
まず事故の事実関係であるが、おれは90年代に大学で化学のお勉強をしており安全なんちゃら講習会にも毎年ちゃんと出席していたにもかかわらず、この事故の話を聞いたことがない。また、大学で実験がらみの爆発事故がおきれば事例集( 田村昌三編「化学実験における事故例と安全」など。この本は化学屋なら誰しも背中がぞわぞわする怖い本である。google booksで読めるよ!)に掲載されそうなものだが、この事故は未掲載、検索しても2ちゃんのまとめスレばかりがヒットし、実際の記録が見当たらない。ちなみに、これも20年前に起きた北大の液体窒素事件は「液体窒素 窒息」でちゃんとヒットする。
だからこれは作り話、でいいのだが、ディティールがあまりにも不自然なために突っ込みたくなる。そもそも、学生が自分でテーマを決めて実験するなどという学生実験はない。だってそうでしょうそういうのは卒論だよ。いくつか用意されたテーマの中から学生が選ぶという形式なら有り得るが、アルカリ金属と水の反応なんてのは水素と酸素が生成する例の奴なわけで、反応してできるのは水なのに何をどう水上置換するというのか。また、気体の体積を正確に測定するのはものすごく面倒であり、それを基に反応速度を決定しようというのは労のみ多くて功少ない狂気の沙汰である。こんな実験を一応プロである教官が用意するとは非常に考えにくい。
次に、アルカリ金属の保管であるが、アルカリ金属は本来石油に保管するものではない、というか、石油とかアルカリ金属というのは概念であって、こんなところでこんな書き方をしては「迫力無し練習しとけ!」と言いたくなる。まともな記述能力の持ち主なら、当然、金属ナトリウムは灯油に保管する、と書くところである。もちろんMSDSにもそう書いてある。
そして、石油が蒸発してなくなっており、という記述であるが、金属ナトリウムの保管に使われる「石油」が蒸発してなくなることはない。まあ戦前の試薬を発掘したとかなら別だが。この部分からも書き手の理解の曖昧さがうかがえる。思うにこの書き手は、水をかけると発火するベリー危険物であるアルカリ金属をわざわざ灯油などという可燃物に浸漬するのは何故であるか全く注意を払っていないのではないか。灯油の方がまだしも安全だからだよ。そんな蒸発してなくなってしまうような低級炭化水素に漬けたら危ないだろうが。
きりがないのであとは手短にまとめるが、「蓋を開けたら発火した」という記述も突っ込みどころである。かりにむき出しの金属ナトリウムで湿度100%であったとしても、室温ではそんなに素早く反応しないし、発火してもまわりに可燃物がなければ燃え続けることはない。また、戸棚のガラスがささるのも爆発の方向を考えたらおかしいし、いくら20年前でも金属ナトリウムを扱うときは防護眼鏡をつけていた筈なのにそういった記述もなく失明したことになっているのも無理がある。
以上を要するに、これは内容のほぼ全ての部分に疑問符をつけたくなる出来の悪い作文であるが、実をいうと最近これと同じくらいウソ臭い文章を見かけたので紹介する。
にわかでも
にわかでも
にわかでも、興味を持ってくれるだけいいじゃん
一見さんでも、名前だけでも分かるくらいの知名度があるならいいじゃない
些細なことがきっかけになって、本腰入れてくれる人がいるかもしれないじゃない
同じ穴の狢なのに、先に知っていた、自分の方がより深く知っている、分かってる!私だけ!私だけなの!私とかと○○さんだけなの!
みたいな変な優越感というか選民思想というかそんなものを滲み出してドヤ顔で、
これだからにわかは、などといかにもゴミを見るような目(をしているだと思う)でつぶやいたりなんなりして、
ご新規さんを馬鹿にするような風潮は因果地平の彼方に消え去って二度と再生すんなと願っています。
ゼータクだよ、ゼータク。あっちゃこっちゃ飛び回って目障りなイナゴどもを殺虫剤かけた上で液体窒素浴びせて粉砕したいとかさ、
あるいは、アニメが放送され始めたから、それまでのファンの複雑な心境はわからなくもないが。
ちっさい界隈で、代わり映えしない面々で仲良くぬるくねたねた傷の舐め合いをするかのような語らいをして、
引退しますー、とか、他のでっかいジャンルにハマっちゃった、とかって人を血涙流して見送りながら、
昔の本とか見て、あるいは自分の本とかを見て、初見ほどの効果は期待出来ないが、ある程度時間を置いてからの再読なので新たな解釈を見つけたり、あるいは自らの感性そのものが微妙に異なってきているからこその新鮮に見えるものがあったりして、新たな萌えを発見して補給したりとかですね、
なんか主旨から外れたから無理やり軌道修正するけど、注目すらされず新規さんもにわかさんも来ないマイナージャンルや隆盛期はとうに過ぎたジャンルから見れば、そういった人たちを敬遠するジャンルの人たちの、頭掻き毟って髪の毛一万本くらい抜きたいくらい羨ましい。禿げろ。禿げてしまえ。
いいじゃん、にわか。興味を持ってくれてるじゃん。人気の証拠だよ。
そのままがっちりホールドしていれば、何年後でも思いを共有できる仲間になるかもしれないじゃん。
あ、そのときにあなたが同じジャンルで活動しているとは限らんね、ごめんごめーん☆
たとえ付け焼刃の知識であろうと、そのジャンルのことでお話が出来る、そういう人が絶対的に絶望的に少なくてさー、嫉妬しちゃいますよ。
なんか、誰の役に立つのか分からんけど、私が高校生の頃にこういう説明があったら良かったなぁ……とふと思ったので書いてみた。
さて、大学の理学部物理学科に入学するとしよう。基本的に物理学科は、専門が進んでいくと、
この2系統x2分野で、4カテゴリだけに全てが収められる。意外に思われるかもしれないが、私も当時(学部3年頃)びっくりした。本当にこの4つしかない。
まず理論系と実験系だが、その名の通り。理論系に進むと実験はやらずに、ひたすら理論だけ。本当に紙と鉛筆だけで物理モデルと数式を弄るだけのツワモノもまだいるけど、最近は、第一原理計算などのコンピュータシミュレーションも多い。
一方実験系に進むと、元旦に液体窒素を汲んで延々と真空ポンプのお守りをしたり、「吸い込むと死ぬ」「空気に触れると爆発する」とかナチュラルに危険すぎるガスをぶぉんぶぉん基板に吹き付けたり、TEM(透過型電子顕微鏡)の試料作成と軸合わせに12時間かけたあとに休憩も取らず深夜3時から測定開始したりする。要するに不死身である。しかも給料ももらわずに学費を払ってこれをやるのだから真性マゾである。……話がそれた。
大学院進学の際、実験系には希望すれば誰でも進めるが、理論系へは相当の能力(とりあえずはテストの成績と言って良い)が無いと進むことはできない。まぁ学部3年くらいになれば、物理ができるヤツと物理ができないヤツの本質的な差が自他ともに見えてくるので、みんな自分がどっちに進むべきかはおのずから悟って判断する。そのため、「理論系に進みたかったけど成績が足りずに不本意ながら実験系に行った」って人は、実はほとんどいない((が、一部の実験系の人はやはり理論系の人にコンプレックスを持っており、理論の人を揶揄する実験系の人も時々いる。そういう人は学生時代はあまりそれは出ず、准教授や教授クラスになってそうなる人が多い))。私の周りでも、理論系に行った人たちはやはり「天才」と呼べるだけの圧倒的物理センスを持っている人ばかりだった。
なお、実験系から理論系へ、または理論系から実験系へ移る人も、滅多にいないがいる。そういう人はものすごい変人か、ものすごい優秀かである。もちろん、変人かつ優秀の場合も多い。
先ほど言ったように、物理学科ではこの2つの分野しかない。意外だろうけどそうなのである。
物性物理学は、モノの性質を「なぜだろう」と問う学問である(と思う)。例えば物性理論の第一原理計算では、「なぜ銅は銅としての性質を持つのか」を、原子番号の29という数字だけ入れて作り上げようとする。一方、物性実験系だった私は、毎日毎日ひたすら真空ポンプのお守りをしながら、ナノ微細構造の作成とその電気特性を測定していた((今日は作成温度500度、明日は550度、明後日は600度……お、550度が一番いいな。みたいな))。その他、金属や半導体、光デバイス、磁性や超伝導、電磁気的性質、まぁそのへん全部物性系である。応用例も広く、就職も比較的マッチングしやすいので、物性実験系が物理学科のもっともスタンダードな専門となる。
一方、素粒子は毛色が違う。「素粒子」と「原子核」で分ける人もいるけど、面倒なので一緒にする。有名なところでは加速器をやってる人たち。高エネルギーと呼んでいる大学もある。要するにモノの性質を問うのではなく、モノを作っている原子の中身とその構造を追っていく学問だ。クォーク、ニュートリノ、グルーオンなどSF好みな題材が多い。素粒子は物性と違い、その経験を活かして就職しようとしても口が少ないため、アカポス狙いになってなかなか難しい。ただ、学部卒や修士卒で就職するつもりで専門に拘らないなら、分野なんて全然関係ないので気にしなくていい。素粒子から普通にリクルートや電通、化学系企業なんかに行った人はいっぱいいる。しかし博士課程に行くと……ポスドク地獄まっしぐらが待っている、気をつけよう。
みんな大好き宇宙論は、宇宙地球科学科が無い大学だと物理学科の素粒子に繰り込まれてしまう。高エネルギーとか場の理論とかになると、どうしてもそちらなので。
なお、物理学科に入る人で「宇宙論やりたい」って人はたくさんいるけど、講義が進んで悪魔のテンソル計算が山のように出てくると、多くの人が挫折してむしろ宇宙論が嫌いになってしまう。足の上げ下げ、共変・反変、今思い出しても夢に見そうだ。
二股の末に振られた相手である元彼はとうとう「さすらいのボヘミアン」になりました(本人談)
(「さすらいのボヘミアン」を読んだ直後に「ボヘミア~ン♪」とアレが脳内再生されたw)
いまだによりを戻そうと持ちかけられている。
ポケットの中の通帳は叩いても残高は増えないねとか、
マッチを灯してもすてきなご馳走は出てこなかったとか、
もう笑いのネタを提供するためにメール送ってきているとしか思えないwww
さらにこの大震災。
お望みの求人なんて皆無なほどまでに冷え込み、ハロワに行ってもなにもない。
「もう日給30万(原発作業員)しかないのかな」と同情を誘っているけれど、
そんな度胸なんてこれっぽっちもないって、よーく知ってるよwwwww
携帯アドレスからメールが来なくなったので、滞納解約か壊したかしたんでしょう。
Gmailから何度か来てるけど、週に何通か濃いのが来るだけになった。
ちなみにアドレスはbokeo.lovelove.masuda@gmail.com(名前なので伏せた)だ。馬鹿だこいつ。
当然、返信は一度もしてない。
《にゃあにゃあ》
猫澤洋介さんは瓦版「にゃん厨放浪記」(02年02月02日)で、液体窒素は「ピンピンに冷えている」なのか「ギシギシに冷えている」なのか、どっちが正しいかを論じておられたが、私も液体窒素は「ギシギシ」と表現しても良いとは思っている。
だが、表現法はともかく、液体窒素があれば一瞬にして人体が凍ってしまうようなものだと、コミックなどでは表現されていたりするが、あれは本当なのだろうか。希にバナナで釘を打ったり、本当にごくごく希にきのこで釘を打つような輩までいるが、彼らにちょっときいてみたいものである。
そもそも液体窒素は恐ろしく冷たいはずなのに、なぜ常温で保存できるのだろうか。気体にならなければおかしいのである。これはなんらかの陰謀であると考えている。
だからというわけでもないが、猫澤洋介さんが瓦版で、「液体窒素をつかえば冷蔵庫にビールを入れ忘れたときにも簡単に冷やす事が出来るが、アレで冷やしてもあんまし良い事ないんだよねぇ」(02年02月02日)と書いておられたが、それはもしかしたら、冷やしすぎているからでないか。
日本のビールは、冷やさなければうまくないように製造している。しかし冷たすぎれば良いというものでもなく、凍ってしまえば飲み物では無くなってしまう。コクだの喉ごしという次元の話ではないのである。
やはり液体でないとコクというか味は感じられないはずである。
コーヒーも同じくで、アイスコーヒーはアイスだから良くないのである、コールドコーヒーあたりがちょうど良いのではないか。勿論、私はアイスコーヒーなどと言う軟弱な冷たい飲み物は飲んだ事があるはずもなく、妄想にすぎないのだが。
結局、何がいいたいのかというと、あんまり飲み物は冷やすものじゃあないと言いたいのである。例えば、冷たいビールを一気に飲むのは爽快感があって良いが、グラスに残ったビールをしばらくしてから飲むと、逆にビールの味は良く感じられるようになる。
誤解してもらいたくないのは、よく感じられた味は別に美味しいというわけではない。日本のビールは冷たくて美味しく感じられるように作られているからだ。
だから、ゆっくり飲めば美味しくないので、すばやく飲む事が要求されるのである。素早く飲んでしまう事で、満足感が得られない為、どんどん次のビールを注文してしまう事になる。それは大手ビールメイカアの陰謀ではないだろうか。
軟弱な日本の若者はそのような陰謀に気がつかず、ビールを慌てて飲んでしまう事になるが、私のような達人ともなれば、大型冷蔵庫の中でビールを飲むから大丈夫なのである。しかし、次の日には色々と不便があるため、最近はあまりビールを飲む機会が無いのが残念である。
「我が流派のサイコ」は普段から液体窒素を持ち歩き、ビールギシギシに冷やして飲むという。見習いたいものである。
ところで、ビールの由来はご存じだろうか。ビールとは、漢字で微異留と書く。つまり、微生物による異化作用、つまり発酵を行い、製造したものである事を示している。我が国独自の技術である事がこれによりわかろう。
ところが、この技術を盗んだ外国では、異を煎ると勘違いし、暖かい状態で飲む風習が広まったという。その後発祥の地で在る事は忘れ去られ、ビールは異国で洗練されていったのだという。これがビールの歴史であるが、長い歴史を経て暖かい状態で飲むものとして完成されたのである。
最近、私はほとんどアルコールは飲まなくなった。だいぶ前、冷えたビールを立て続けに500mlのビールを10缶飲んだ翌朝、ふと感じた事があった。それは何かというと、ハテ、私は10缶もビールを飲んだのかしら?というものだ。確かに目の前には空になった缶が転がっている。しかし、途中からの記憶がはっきりしないのである。
その後も友人達と冷たいビールをがぶ飲みしたあとは、何となく記憶が曖昧になって、翌朝素っ裸で自宅の玄関前に転がっていたりするのだ。ところが、燗にした日本酒やショーチューのお湯割りなどをちびちびやった次の日には記憶がしっかりしているのである。
ようするに、冷たいビールをガブガブ飲ませ、意識を失わせてその間に何らかの情報を引き出そうというものである。いつだったかテレビでやっていたキャトルミューテレイションとやらと同類であろう。キャトルがなんなのかは定かではないが。
他にもこういう事があった。私は九官鳥を飼っていて、名前は灸ちゃんと呼ぶのだが、毎晩酒を飲んでいた頃は、どうしても相手をしてやれなかった。そのせいか、灸ちゃんは声を掛けても応答してくれないばかりか、ぷいと、後ろを向いてしまう有様であった。さすがの私も、これではいけないと思い、九官鳥に向かい合う日を意識的にもうける事にしたのだ。世間で言われている、『キュウカンビ』というものである。最近の私は月に一度程度のお酒にしているが、その甲斐あってか、灸ちゃんとは会話の成り立つほど意思疎通が行えるようになったのだ。
つまりは、冷たいビールをあまり飲み過ぎるな、と言う事である。さらに、お酒全般についても『キューカンビ』を設けるなど工夫が必要なのである。
これが、小便法の離論から導き出された紛れもない事実なのである。
パソコンが壊れた時に、自分で壊れた原因と箇所を特定して、自分で直す。
そもそもメーカー製PCを買わない。買うとしても、理由は安いか、時間がないか、領収書が落ちるから。
パソコンのCPUやメモリよりも、電源やマザーボードに気を使う。
HDに入ってるデータの半分以上がバックアップ。mp3とかも、ちゃんとバックアップがある。
「ファイル名を指定して実行」の履歴には、[dxdiag]と[regedit]がある。
delegateをいくつか知ってる。
超高性能。なのに、超静音。
ガス冷は、結露に悩まされる。
vi最高。
エ○ートマザーは、ちょっと怖い。
zum○xと赤い彗○は、やめとこうかな。
部屋に液体窒素がある。
ナナオいいねぇ。
ペジエ曲線が無くても、なんとかなる。
fusianasanで出てくるIPは俺のじゃないし。
やっぱアセンブリが一番はえぇな。
SD-90に満足できない。
不発弾処理とかいうともっと生理的なやつを連想するのだが実際あまり変わりがない。
一回泣けば終わる、というか社会的に見てあまりにリスクが高いので、相手の体に触れる前に終わらせたほうがいいタイプの一過性の恋愛感情をどう始末するか、というのはそろそろ標準的な手法を確立して広めたほうがいい気がする。カイシャというのも昔と違ってずいぶん危険な、多様な権力関係でがんじがらめの場所になったようだし、セクハラコードの厳格化とかストーカー防止法とかで、歪んだ対処の余地もなくなってきているからだ。
要するに基本的に恋愛感情は発見次第安全に潰すことを考えたほうがいいということ。(そして誰も結婚せず孤独に死んでゆくのがこの社会の進んでいる方向であると思う)
まあしかし爆弾の解体に液体窒素冷却が必要なのと同じ理屈で、リード線を切るのに「告白」が何らか必要であるならば、性的な快楽の手当を別口で供給しながらでないと不発弾処理というより自爆になりかねんのだよな。
「好きだと感じる」こと自体を姦通であるとするタイプのモラリズムは寧ろ「踏み越え」を助長しそうで賛成しないんだが、どうも性体験のないお子様ほどこういうモラリズムに傾くんじゃないかとか、偏見かなぁ。
追記:もちろん世知辛く世間に迎合順応するより恋愛を貫くが重要だ、世の中はなんでもありだというのも一つの考え方です。ただそれにはなっから不向きな人間もいるので。