不発弾処理とかいうともっと生理的なやつを連想するのだが実際あまり変わりがない。
一回泣けば終わる、というか社会的に見てあまりにリスクが高いので、相手の体に触れる前に終わらせたほうがいいタイプの一過性の恋愛感情をどう始末するか、というのはそろそろ標準的な手法を確立して広めたほうがいい気がする。カイシャというのも昔と違ってずいぶん危険な、多様な権力関係でがんじがらめの場所になったようだし、セクハラコードの厳格化とかストーカー防止法とかで、歪んだ対処の余地もなくなってきているからだ。
要するに基本的に恋愛感情は発見次第安全に潰すことを考えたほうがいいということ。(そして誰も結婚せず孤独に死んでゆくのがこの社会の進んでいる方向であると思う)
まあしかし爆弾の解体に液体窒素冷却が必要なのと同じ理屈で、リード線を切るのに「告白」が何らか必要であるならば、性的な快楽の手当を別口で供給しながらでないと不発弾処理というより自爆になりかねんのだよな。
「好きだと感じる」こと自体を姦通であるとするタイプのモラリズムは寧ろ「踏み越え」を助長しそうで賛成しないんだが、どうも性体験のないお子様ほどこういうモラリズムに傾くんじゃないかとか、偏見かなぁ。
追記:もちろん世知辛く世間に迎合順応するより恋愛を貫くが重要だ、世の中はなんでもありだというのも一つの考え方です。ただそれにはなっから不向きな人間もいるので。