はてなキーワード: 死刑確定者とは
精神病質者かつ音に対し極端に過敏だった男
1. 苦情は言っていた:
1974年4月ごろには一度妻とともに「自分が在宅しているときはピアノを弾かないで欲しい」と申し出たこともあったが、その後も被害者宅ではピアノを弾くのをやめなかったため、Oは次第に「ピアノを弾くのは自分への嫌がらせのためだ」とも思い込むようになった[4]。
2. 妻との離婚が決まっていた
事件1週間前には「親のしつけが悪いからまず親を殺そう」と犯行機会を窺いつつ[33]、凶器の刺身包丁・ペンチ・背広・ガーゼなどを購入していた一方[36]、このころには妻が離婚話の相談のため八王子市内の実家へ帰っていた[32]
1974年8月28日7時15分ごろ、加害者O(事件当時46歳)は階下の被害者方で響いていたピアノの音で目が覚め起床したが、それまでの経緯などからピアノの音を非常に気にしていたことに加え、それまでは9時過ぎにならなければ鳴らなかったピアノの音が朝早くからなり出したことに憤慨した[37]。また前日に挨拶に来た女性に対し自分がBの悪口を話したことを思い出し「Bが自分への嫌がらせ目的で子供にピアノを弾かせている」と邪推したため、Bへの憤りを抑えることができなくなったOは女性B(事件当時33歳)・長女C(同8歳)[注 19]・次女D(同4歳)をこの際一気に殺害しようと決意
井本は4月13日に東京拘置所で被告人Oと面会して特別抗告するか否かの意思確認を行ったところ「抗告しないでほしい。もうこれ以上(裁判で)争わず死なせてほしい」と回答されたため特別抗告を断念し、抗告期限が切れる1977年4月16日をもって正式に死刑が確定した[71]。
その後、同会は200人の会員を集めた会合で被告人Oの刑事裁判を支援することを決め[27]、計100通近くの嘆願書を集めて提出したが、これは被告人O自身が証拠採用を拒否した[57]。
望んだ死刑は行われず今や最高齢(2024年96歳)死刑受刑者である。
しかし、死刑囚O(現在96歳)は自身の希望に反して未だ死刑を執行されておらず、死刑確定から43年が経過した2020年(令和2年)9月27日時点でも[72]、死刑確定者として東京拘置所に収監されている[9]。また、2012年(平成24年)4月時点までに再審請求を起こした事実も確認されていない[73]。
法務省は25日、大阪市で1985~94年に9歳の女児ら女性5人が殺害された「警察庁広域指定122号事件」で殺人罪などに問われ、死刑が確定した鎌田安利死刑囚(75)ら2人の刑を、同日午前に大阪、福岡両拘置所で執行したと発表した。
死刑執行は昨年12月18日以来で、現安倍政権下では9度目(計16人)。未執行の死刑確定者は125人となった。
他に執行されたのは、福岡県で98~99年に起きた連続保険金殺人事件などで殺人罪などに問われ、死刑が確定した吉田純子死刑囚(56)。
確定判決によると、鎌田死刑囚は87年1月、大阪市住吉区の路上で、小学3年生だった女児(当時9歳)を車に乗せ、自宅でいたずらしようとしたが、泣き叫ばれたため首を絞めて殺害。85年5月~94年3月には、金銭トラブルなどから主婦や飲食店員ら19~45歳の女性4人を殺害した。
1審・大阪地裁は99年に死刑を言い渡し、2審・大阪高裁も2001年に死刑を維持。最高裁が05年に上告を棄却し、確定した。
死刑制度の是非はともかく。こういうことがあった、という記録に。
ちょうど、このニュースが流れた時、私は本当にたまたま某刑務所の作業技官の詰め所(事務所?)にいた。
昼休みに入ったところだったので、事務所には10人ほどの技官がいて、お弁当を出したりしながら談笑をしていたのだが、ニュースが流れた瞬間なごやかだった雰囲気が凍り付くのを感じた。
全員がテレビの画面に見入り、誰も何も言わない。身動きすらしない。
誰かが「あぁ」とこぼしたのが聞こえた。それで金縛りが解けたように全員がテレビから視線をはずした。疲れたようにいすに座る人もいた。
全員の表情を見ることは出来なかったが、見えた人はそれぞれ苦い顔をしていた。
犯罪を犯した人の更正に当たる仕事をしている人からすれば、たとえそれが(一般から見て)死刑になって当然という風に見られる人間であっても、辛いことなのだろうか。そこを本人たちに聞くほどの度胸は私にはなかったが。