はてなキーワード: 危ない橋とは
転職していろんな企業に努めているし、大企業の時に与信を通すようにいろいろ手配もしたし
ベンチャーの時に、通してもらうようにがんばったよ。
実務こなした上で、『そうじゃない奴が沢山いるから、重荷になってる』っていってんだよ。
気軽に、あぁじゃぁ、XX社まわせばいいや。10%上積みすれば金額一緒でしょ。なんてやつはゴロゴロいるんだよ。
たしかに、与信とおすの大変だから10%払う気持ちもわかるけどな・・・
あまりにも、ひどい状況が多いんだよ。
口座がしなんかが、ザラな状況で与信も糞もあるかって思うよ。でもな 社内政治で出世のためには危ない橋を渡れないから、みんな口座がしの方を選ぶんだよ。
でも、口座がしで与信がクソで被害を食らうのは、最終的にはユーザーだったり会社だったりするんだけどな。
真面目に与信通す社員の方が割を食うってふざけんな、って話だろ。
かろうじてアラサー。
ハタチそこそこの段階で
「駄目だ私、男の人と結婚できる気がしない」
「俺は一生働きたくないでござる!」
されて、こりゃ駄目だ、と見限り、
29歳の時にその後付き合った彼氏に振られ、
あ、もう結婚するのやめよう。ってか無理だろ。色んな意味で。と悟りを開き、
所が30を超えて結婚を諦めてたら、その後妙に次から次へと告られ結婚を迫られということが増えた。理由は謎。
けれど、別に「もう結婚しないって決めたから!」という頑ななソレではないけれど、
それでも「喜んで!」とは言えない相手ばかりだし
(私のほうがお高いのよ、という意味ではなく、一人で生きようというぐらいのぼんやりした気持ちを曲げるほど相手が好きではないのに、こんなババァ相手では可哀想であるという思考から)
お断りしまくっていた。
で。だ。
積極的にお断りする程でもないひとに、
「私ほかの人とあってますけど」
と言い、それでもいいよと言われてぼんやり会い続けていた。
(ちなみにお付き合いをしているわけではないので、身体の関係どころかキスどころか多分手も繋いだこともないんじゃないかな……)
嫌いではないし、結婚前提ではあるけれど、僕もゆっくり考えたいからーという人である。Aさんとする。
ピンと来ないけど結婚するとしたらこの人と結婚するのかもしれんなぁ。とボケーと思っていた頃、
友だちの紹介で人と合うことになった。
はぁ、どうも。ぐらいの感じでノコノコ出かけて会った時、久しぶりにドキッとした。
別に一般的に見てイケメンだとかそういうわけではない。えーと、お金持ちでも何でもない。っていうか知らないし友達の同僚だから大体その辺りはそんなもんだろう的な。
とにかく、パッと見て、わー、好み!だと思ったのだ。好みってなんでしたっけ。ぐらいの感じになっていたけれど、わぁーと思った。
話しても話が合うし、とにかく楽しい。
彼の好み、持っている小物や服装、あーウンウン解る!それいいね!の連続。この人をBさんとする。
……これが悪かった……。
私も母もメッチャ信じているというわけではないけれど、地元で有名な占い師みたいなのにノリでみてもらうことに。
そうしたら、
「Aさんのほうがいいよ」
なんとなーく母はそれから「Aさんとはどうなのよ」で
私も「Bさんじゃなかったのかな。。。」とか考えてしまう。
というか、将来的になんか腹が立ったことがあった時に
と思ってしまう気がして、Bさんにグイグイ行っていいのか迷ってしまった。
Aさんのこと嫌いではないし、どう考えていいかわからなくなってきてしまった。
既婚の人に相談したら
「両方付き合ってみてこっちがいいやと思った方にすればいいじゃない」
とか言われた。
えー……それはどうなの……
それはどうなのとか思う私だから駄目なんだろうか。
優柔不断というかなんというか、なんとなく「親がこうして欲しいんだろうなぁ」と思うとその空気を読んで、強制されたわけでもないのにそっちを選んでしまう。
そう言う所が自分でも嫌だし、自分の目でちゃんと選ぼう、と思うんだけど、すっごく好き!っていう状況になったこともない。
なんかもうめんどくさくなってきてAさんでもBさんでもない人と出会いに行ったほうがいいんじゃないのーとか思い出した始末。なんて自我がないんだ私は……。
どうやって選べばいいんだろう。
容姿とかまぁ二の次だろうと思うし、金銭とかについては正直些細過ぎてどうでもいいと思う。
好きになったらその人を選ぼうと思うんだけど、人を好きになるってどうやってなればいいんですかね。
私は昨年の11月に、近所の川に架かる橋から飛び降りました。死ぬつもりでした。
家を飛び出して、母が追いかけてきました。現実から逃げたい一心で欄干を乗り越えました。橋から落ちてゆく間、不思議な体験をしました。心の底から"開放感"を感じました。
もう、何物からも邪魔されない、という。とても清々しく、いっそ「気持ちいい」という感覚でした。さほど高くない橋だったのですが、意識はそこで一旦途切れました。私はあの時、一度死んだのだと思います。ですが、すぐに激しい痛みで意識が回復しました。脊椎の粉砕骨折、肋骨、鎖骨の骨折、肺がつぶれる。
病院で10時間に及ぶ手術をしました。手術で、輸血を受けたそうです。
もうあの日から9ヶ月。私はずいぶん変わりました。「自分一人の身体じゃない」という意識が強くなりました。以前はリストカットは常習者でしたが、あの日からは、本当につらいときは頭をよぎることはあります。でも、切りたくありません。夜に川から引き揚げてくれたレスキュー隊員さん。病院の整形外科、精神科、循環器内科の先生方、看護師の皆さん、理学・作業療法士の先生方。特に、CICUには1ヶ月以上いたので、不安なときに話をしてくれて、心強かったです。
今、私は自分の足で歩いています。自分の手でこれを書いています。顔にもほとんど痕は残っていません。週末に病院に行って、折れた鎖骨を支えているプレートを外す手術をいつにするか決めます。
約束はできませんが、私はもう自殺はしないと思います。あれだけの人たちに助けられ支えられ、守ってもらった"命"。
片手の指の数くらいは未遂で危ない橋を渡りました。自分の命なんて、ちっぽけで軽いものだと思っていました。
でも、違います。命を創るには、一人じゃ足りないんです。父親と母親が揃わないとだめなんです。皆、産まれた時から一人じゃないんです。時にはそれが鬱陶しく、「何で頼んでないのに産んだんだ」と、私も親に言いました。でも、それも成長していくには必要な発言だったのかもしれません。
"生きる"とは、感謝の上に成り立っているものだと思います。"生かされている"のです。
私もこれから先の人生で、「生きるか、死ぬか」と悩むことがあるかもしれません。
私はひとりじゃない。
以前の続き:http://anond.hatelabo.jp/20121214003650
結婚したいと思った。
最近周りの人たちが次から次へと結婚していく。20代前半から30代後半まで独身者が既婚者になっていく中で、まぁそのうち時期が来れば自分もと思いながら気に留めずにいた。正直、一人でいることにはあまり苦はない。他人と暮らすことは楽しそうだとは思うけれども、それよりも日々のめんどくささのほうが圧倒的に大きいことを知っているからふんぎりがつかない。だいたい結婚とかその前に相手がいない。できる気配もない。
昔、一度だけ結婚しそうだったことはある。この間ぽろっと親しい人と飲みながらその話をしてしまって、あの時の感覚がよみがえってきた。ずいぶん昔とはいってもたかだか四年前だから残っていてもおかしくなかったのに、ずっと忘れたふりをしていただけなんだろう。
意外に苦労してるんだね、と言われて薄く笑うことしかできなかった。言われてみればその通りだ。あの時は婚約破棄をしたわけだし、まだ言ってないけどそのあと別件で鬱にはなるし、過労で死にかけたこともあるし、自殺未遂もある。殺されかけたことだってあるし、極貧生活に絶望していたこともある。それが今はただの平凡なサラリーマンだ。平凡なサラリーマン生活を送っていることの方が不思議でしょうがないくらいなのに、なぜかそのことを忘れていた。まだあのころに壊した体は元に戻っていないし、精神の状態だって危ない橋を渡りながらという感じなのに、どうしてつらいことを忘れていけるんだろう。どうして何もかも、知らなかったふりをして生きていくことができてしまうんだろう。あの時、つらかったんだった。
なんとなく笑ってやり過ごしていたのに、なぜか急にふっと結婚したいと思った。誰かと人生を分かち合いたいと思った。ただ少し、そのつらさを分け合う人がいれば、大変だったんだねとか苦労したんだねとかその言葉一つだけで、この重い荷物だっていつか本当に忘れていくことができるし、背から下ろすこともできるだろうと、なぜか根拠もなく思った。
でも、熱い湯につかりながら酔った頭で考えていたんだ。この生活を変えるきっかけがない。出会いもない。変わっていく予感が全くない。きっとまだ結婚できないんだろう。相手もできないんだろう。自力でこの荷物を背から下ろさない限り、だれとも出会えないんだろう。
結婚したいなぁ。
欧米の状況はよく知らないが、中国や東南アジアではエロや暴力を含む表現は厳しく規制されている。
お行儀の良い子供達はおとなしく与えられた検閲済み書籍を読んでいるが
(主に日本産の)漫画やポルノからそういったものを摂取している。
で、今回そのようなアングラ娯楽の供給源であった日本での表現が規制された場合、何がおこるかというのは非常に興味深い。
妄想してみると、おそらく、アジア全体でエロや暴力表現がアングラ化して先鋭化するのではないかと思う。
これまで手軽に手に入る日本産の娯楽で満たしていた欲求が満たせなくなれば、子供達は別のソースを求めてネットのより深い部分を探すようになるだろう。
そして洒落にならない本当の無検閲、無修正のエロと暴力にたどり着く。
今でも特に刺激をどん欲にもとめる子供は既にそこまでたどり着いているだろうが、より多くの子供がそれに触れるようになる。
同時に各国のアングラ出版業者は失われた日本産の娯楽の代替として自国産のエロと暴力を生産し始めるかもしれない。
それはそれで面白そうな世界ではある。
実は「地方分権」って、「愛国心」とか「宗教」とかの助けがないと、危ない橋でもあるんだよねェ・・・
ttp://chiraurasouko.blogspot.com/2009/12/blog-post_9329.html
299 ◆h26ZWDGHQc sage ▼ New!2009/12/09(水) 07:17:47 ID:/BkfXyZu
実は「地方分権」って、
「愛国心」とか「宗教」とかの助けがないと、危ない橋でもあるんだよねェ・・・。
明治以降「中央集権」を図ったのも、「安全保障上、政治に地方色を出すと危ない。」からだと思うのね。
今は「道州制」ぐらいの段階でお茶を濁して段階的に「地域色」を出さないと、
「統一して中央が司らないと危ない安全保障・外交」にも、勘違いした「地方」が暴走する「可能性」があるから。
別に九州や北海道が、ではなく、等しい可能性ですべての道州にその可能性はあると思うのね。
「ローカル内」で経済・娯楽(実はこれが一番重要な気もする)が回るのであれば、
301 日出づる処の名無し sage ▼ New!2009/12/09(水) 07:21:19 ID:oTiicxaD
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君主論の書かれた時代のイタリアみたいになるんではないかなーと思ってます。
町ごとにバラバラ。
結束力が無い国。