はてなキーワード: 伝統とは
ようやっとPezyの件もほんの少しだけ続報が来ましたね。
の記事のコメントでなんか、やたらに、「特捜部の狙いは資金が流れた「先」である可能性がある。」とか「その資金の流れが捜査される中で、贈収賄などの余罪が浮かび上がってくるかどうか、」とか「おそらくはこの助成金詐取話から先にいろんな枝葉がついて別の嫌疑が取り沙汰されたり、ネトウヨ方面が騒然とするような話もいろいろと出てくる」とか「こんなので特捜が・・・」とか「特捜が出てくるからには・・・」とかいろいろ言ってるけど。
特捜の主な仕事は伝統の政治案件もあるけど、最近は経済案件が主体だぞ?
・6/19 安藤ハザマを捜索 東京地検、除染費水増し請求疑惑 :日本経済新聞
・7/19 ソニーグループ元役員ら逮捕=架空発注で詐取容疑-東京地検:時事ドットコム
・7/26 成田空港元役員ら起訴=業者に便宜、60万円収賄-東京地検:時事ドットコム
・11/21 金密輸で韓国籍男2人逮捕=消費税1億円超を脱税容疑-東京地検:時事ドットコム
・11/29 整体チェーン創業者を在宅起訴=法人税4300万円脱税-東京地検:時事ドットコム
・12/4 今回のPEZY
・12/9 リニア中央新幹線関連工事の入札不正 東京地検特捜部が大林組を捜索(1/2ページ) - 産経ニュース
特捜の部長さんも「財政経済事件の専門集団として、国民の方々が不公正、不公平と感じ、水面下に隠れた事件を手がけていきたい」て言ってるし。
東京地検:新特捜部長「水面下に隠れた事件手がける」 - 毎日新聞
今回のは目立ってる個人・団体を見せしめ的に逮捕するよくある経済事件でしょ。
なので、陰謀論者の言うことは真に受けないでね?マスコミの変な煽りとかも気にしないほうがいいよ?
※すべて二次創作の話
死ネタというのは、版権キャラクターが物語内で死ぬタイプの二次創作である。例えばドラえもんだとかプリキュアが悪人に殺されてしまうとか、不治の病にかかって死んでしまうとか、そういうタイプの二次創作である。
死ネタを含む物語は、伝統的に、事前に「これは死ネタです」とワンクッション置かれることが多かった。読者に心の準備を促すためである。しかし最近は、あるいは昔からいたのかもしれないがSNSで可視化されたことで、このワンクッションに異を唱える同人作家がちらほら出てきた。「私の創作で読者の心にインパクトを与えたい。キャラクターが死ぬという描写をみることで引き起こされる絶望感を味あわせたい。だから死ネタとワンクッション置きたくない。だって一次創作なら死ネタですなんて書かない。これはクレーマー読者に同人屋が譲歩しすぎた結果だ」
もうね、アホかと。人の心をズタズタに引き裂くことが「インパクト」であり「芸術」とか言ってるの、例のクソみたいな意識の高い現代アート集団と同じじゃん。まだオリジナルでやるならそれもありかもしれんが、人様からキャラクターとか世界観とか全部借りパクして芸術の名をかりたテロ行為とか、は?って感じじゃん。原作をテロ行為に使うなよ……って、もうずっとモヤモヤしてんですよ
それ自体は殆ど失敗しているので結局外部に敵をつくる以外に生き残る道がなく、外部に敵をつくるのは思想の左右関係なく一定の連帯を保つのに効果的であるから「連帯感を保つために外部に敵をつくること」をメタ化してそれ自体が“伝統”となってしまえば最早そのやり口は陳腐な嘲笑の的でしかないのだが、意外に人間というものはメタ的に物事を考えることができる実例をその場で説明してその場で納得しても自分の実生活や実生活の積み重ねかつ延長であるところの思想に反映することができないので、つまり外部に敵をつくって生き残るのがホモ・サピエンスの頭の中身をしつけるのにもっとも効果的な方法で、同時に現生人類の限界点であり知性の敗北の象徴とも言える
偏差値60の受験生が入学したがるような、施設や教育体制の優れた大学を作れ、と読みかえればいいのかな?
しかし立地の良さや伝統までは作れないから、それを覆すほどの魅力となると、都会の偏差値60大学を上回るスペックが必要になりそうだ
人気エントリーより
[例1]
「日本スゴイ」と異世界技術チートは、どこか似ている - シロクマの屑籠
http://b.hatena.ne.jp/entry/p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20171123/1511428961
→一番人気のブコメ
xevra 日本スゲーは嘘だから問題なのだ。20年間全く進歩できず後進国に転落した日本にはもう凄いものなど無いのだ。無いのに有るかのように嘘ついて国民が誤解して、現状に満足して、さらに転落するから問題なのだ。
日本では当たり前の「漢文」に中国人驚愕「要求高すぎでしょ」 - ライブドアニュース
http://b.hatena.ne.jp/entry/news.livedoor.com/article/detail/13930639/
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mahal 傍目から見たら「その時間で中国語教えろよ」なんだろうけど、日本文学の素養とか日本史の史料とかを大学レベルでちゃんと読もうとするなら、漢文読めないとどうにもならないとか、そういう事情は割と伝わりづらい。
[例2]
ようやくわかった。アベノミクスとは「社会主義化」のことだった(宿輪 純一) | 現代ビジネス | 講談社(1/3)
http://b.hatena.ne.jp/entry/gendai.ismedia.jp/articles/-/53509
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giyo381 もともと世界一成功した社会主義国って呼ばれてたよね。株式持ち合い時代もコーポレートガバナンスとかなかったし。正直寝言がすぎる
アベノミクスとは「社会主義化」ではありません - Think outside the box
http://b.hatena.ne.jp/entry/totb.hatenablog.com/entry/2017/11/23/195549
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なんだそりゃw
そりゃー、戸籍とか制度面の話をするなら現行の体制になったのは明治ご一新このかたでしょーね
その一点については竹下とかいう政治家(俺はあいつの晩餐会についての意見には賛成しない)の言ってることは正しい
お前の「庶民の婚姻は明治から」とかいうバカクソ言説は間違っておりウンコ
な?
バカは黙れっていうこと
横だけど
同性パートナーを認めない竹下氏の言う事もなんだかなあと思うが
増田みたいな配偶者=セックス相手としか考えないってのもなんだかなあとしか
だから昔は(特に武家の)結婚というのはまず家同士の繋がりと跡継ぎの確保が第一であって、
当事者同士の恋愛感情なんてものは別になくてもよかった事実がある
そして個人の恋愛自体、同性間だろうが異性間だろうが、マイノリティとして隠れるべき立場にあった
単にどちらも抑圧の対象でしかなかったというだけのことを、なぜ「昔は同性愛に寛容だった」
ということにしなければならないのか、これが衆道ageに対する個人的な疑問
で、この制度が形を変えつつ敗戦まで続いた以上、制度としての結婚は異性間のものだった、
というのはもう疑いようのない歴史的事実だ
江戸期以前に遡っても、同性間の性交はあっても同性婚はなかっただろう。
同性で祝言挙げたとか所帯を持った例なんか有史以来なかったはずだ。
衆道とかお稚児さんは主従関係による性欲処理であって、みんなそれとは別に子を作るために女性を娶っている。
我が国の伝統としては「同性間の性交は許容するけど婚姻相手は異性に限る」と言うのが正しくて、