はてなキーワード: 中森明菜とは
X(Twitter)とか色んなところでのジャニヲタの戯言をまとめた結果。
所属:小栗旬、綾野剛、田中圭、坂口健太郎、間宮祥太朗、赤楚衛二ほか
事務所の壁を越えて俳優の労働環境の改善を働きかけている小栗旬が社長に就任した事で話題になった事務所。業務提携にはあのBTSもいる。2023年夏クールの地上波連続ドラマではジャニーズに次ぐ6枠で主演という飛ぶ鳥を落とす勢い。事務所全体で推しているファンが多いのも肯ける。俳優として手堅く育成してくれる事間違いなし。
ワタナベエンターテインメント系列。以前は成宮寛貴や新田真剣佑も所属していた。こちらも俳優を手堅く育ててくれそうな事務所として人気。
韓国のHYBEという事務所の日本法人。元欅坂46の平手友梨奈を含めてアーティストが2組しかいないので、グループの引取先候補として売り込み要望が多い。
所属:DISH//、超特急、窪田正孝、山田孝之、岡田将生、柳楽優弥、山崎賢人、横浜流星、濱田岳、林遣都ほか
かねてからジャニーズ事務所と仲が悪いという噂のある事務所。横浜流星は2025年の大河主演。ここもグループごと引き取ってくれそう。
舞台に強い事務所で、舞台出演の多いタレントのファンからの希望が多い。あと紅白の枠が取れそう。
所属:氣志團、フジファブリック、石黒賢、成田凌、渡辺大知ほか
ソニーの芸能事務所部門。グループごと引き取ってくれそう&紅白の枠が取れそう。
SMAP解散騒動に半ば巻き込まれたらしい田辺、最近中森明菜と接触してるっぽい研音、JO1らのファンの方が嫌がりそうな吉本。
男だけど小学生ぐらいの頃の光GENJIは好きだったのでよく見ていたし応援もしていた
ミュージックステーションは好きだったのでよく見ていたが最後にジャニーズが出てきたら、
チャンネルを変えることはなかったけど「気持ち悪いなぁ」という嫌悪感はずっと持ってた
世間的にも騒がれたりしていなかったので、性加害は昔の話で和解したのかな、ぐらいに思っていて
そこから過去の中森明菜事件とか見てますますジャニーズ嫌いになった
正直、このあたりの事例を見てなぜジャニーズのファンを続けているのかさっぱりわからないし
百歩譲って推しだけを応援しているのならジャニーズ事務所から出ることを希望するんじゃないかとも思う
「視聴者も悪い」という言い方はどうかと思っていて
ミュージックステーションで見たいアーティストが出てるのに横にいるジャニーズを見ないなんてことはできない
嫌いだし見たくはないけど渋々見ている、という視聴者に向かって「お前らも同罪」というのはちょっと違うと思う
公然の秘密として語られていたのに
「知らなかった」
「聞いたことはあったけどただの噂ぐらいだと思っていた」
などと言って自己肯定するファンは加害者意識が無いんじゃ無いだろうか
もちろんトップオブトップで本人とジャニーズ事務所の人間が悪いとして
https://note.com/eclipse1228/n/n548a742c5a0b
これを読んで、はぁ、構造似てるなぁと思った。
こんな感じちゃう?
山下ー小杉ラインが長年の盟友関係でがっちり義理で結ばれてるラインで、小杉がジャニーズとべったりだから、勢い、山下達郎もそこに忖度。竹内まりやのアルバムのライナーノーツで山下達郎が中森明菜の駅の歌い方をきつめにくさしてるのがなんとなく頭に残ってたんだけど、小杉が中森明菜と近藤真彦の件で暗躍していたとかいう嘘かほんまかわからん噂を見て、あーそうなんかって数十年の時を超えて、俺の中で伏線回収した。中森明菜ってジャニーズにとっての邪魔ものだから、ジャニーズに忖度した小杉に忖度した山下達郎もこんな感じで、悪口にブーストかかるんかぁと。知らんけど。
そもそも『駅』は荒井由実『卒業写真』のアンサーソングであって楽曲提供した中森明菜とは関係がなかった。
ただユーミンの了承とか全くなかったので今の今まで指摘されても違うと言っている。
もし明菜が「卒業写真のアレですよね」とかしつこく言って逆鱗に触れたのならその通りなんだろうけど、性格的に可能性が薄い。
大体明菜もその後その役目を『難破船』が代替してくれたので(お登紀さんがどこまで考えたかは何とも言えないが)そこまでこだわりはないだろうなと。
夫妻の代表作「駅」は中森明菜の依頼で作られた曲で吉次氏の兄故克久氏の編曲。複雑過ぎる人間関係。
その後批判が殺到して、ラジオで「あれは本人のことではなくスタッフの理解不足のことを言ってただけで……」と言葉を濁してたのもよく覚えております。
あと、まりや氏の曲(シングルアゲインだったかな?)がヒットした時「こんな歌謡曲な曲調がヒットするなんて日本人はレベルが低過ぎる」というニュアンスの発言をしたんですよね。で、その後に作った曲が「硝子の少年」。何なんだ、この男は!?と思いましたよ。
YouTubeのコメント欄にありましたが、竹内まりやさんの『駅』、「私だけ愛してたことも」のところが、竹内まりやさん本人の歌い方と中森明菜さんのとでは主語が違って伝わって来るんですね。
歌手・中森明菜👉私だけ一方的に彼を愛し続けた。彼は私のことなど愛していなかったのに…
作詞・竹内まりや👉彼は私だけをあんなに愛してくれた。今となってわかるの
ってこと!?
中森明菜の、サビが「…それぞれに待…つ…人のもと…へ…」の曲聴いたらさみしくなったので竹内まりやの、サビが「それぞれに待~つ笑 人のもとへ~笑」の曲聴いた
あとなんかライターじゃない、ガスコンロじゃない、なんか火をつける道具みたいな名前の音痴のジジイ
中森明菜というそれこそ1000年、いや10000万年に一人の稀代の歌姫をつぶした最悪の悪魔どもだ
てめえら全員の命ひっくるめても中森明菜の価値の一億分の一にも及ばねえよ、ゴミ以下のザコが
死後中森明菜はぜったいに極楽へ行ける 人々を衆生を幸せにした功徳により
金屏風界隈のやつらはぜったいに確実に無間地獄に落ちる
1975.4.25 シュガー・ベイブが「DOWN TOWN ⁄ いつも通り」 でエレックレコードからレコードデビュー
1976.12.25 山下達郎が小杉理宇造の尽力によりアルバム「CIRCUS TOWN」でRCA ⁄ RVCからソロデビュー
https://www.musicman.co.jp/interview/19480
1980.12.12 近藤真彦が「スニーカーぶる~す」でRVCからレコードデビュー
1981.9.30 近藤真彦のシングル「ギンギラギンにさりげなく」発売 B面「恋のNON STOPツーリング・ロード」の作曲編曲は山下達郎
1982.2 小杉理宇造がRVCから独立 アルファ・ムーンを設立 山下達郎も移籍
1982.5.1 中森明菜が「スローモーション」でワーナー・パイオニアからレコードデビュー
1982.6.30 近藤真彦のシングル「ハイティーン・ブギ」発売 A面「ハイティーン・ブギ」B面「Momoko」共に作曲編曲は山下達郎
1984.9.13 近藤真彦のシングル「永遠に秘密さ」発売 A面「永遠に秘密さ」の作曲編曲は山下達郎B面「One more time」の作曲は山下達郎 編曲は山下達郎・馬飼野康二
1984.10.24 近藤真彦との交際を噂された中森明菜が「ザ・トップテン」の公開生放送で近藤真彦のファンから帰れコールを受ける
https://m.bilibili.com/video/BV11K4y1E7rm
1985.1.26 近藤真彦・中森明菜主演映画「愛・旅立ち」公開
1986.12.24 中森明菜のアルバム「CRIMSON」発売 10曲中「駅」「告白」「OH NO, OH YES!」「赤のエナメル」「ミック・ジャガーに微笑みを」の5曲が竹内まりや作詞作曲
1987.4.29 中森明菜が「夜のヒットスタジオ」で「OH NO, OH YES!」を歌う
https://youtube.com/watch?v=3srAJ5bXpRk
1987.8.12 竹内まりやのアルバム「REQUEST」発売 中森明菜への提供曲「OH NO, OH YES!」「駅」のセルフカバーも収録
1987.10.17 中森明菜が東京厚生年金会館でコンサート 「ミック・ジャガーに微笑みを」を歌う
https://youtube.com/watch?v=tippJz4YGe4
1989.12.28 メリー喜多川の強い勧めで中森明菜がデビュー以来の所属事務所研音から独立 小杉理宇造と新会社コレクションを設立 しかし小杉理宇造はすぐにいなくなりコレクションは機能不全に陥る
https://youtube.com/watch?v=AzEHq7Pb2f4&pp=ygUP6YeR5bGP6aKo5Lya6KaL
1990 アルファ・ムーンがワーナー・パイオニア傘下になる
1991 ワーナーパイオニアがワーナーミュージック・ジャパンに改称
1992 中森明菜がワーナーミュージック・ジャパンとの契約を解消
1993.3.31 中森明菜が「夜のヒットスタジオ RETURNS SPECIAL」で「駅」を歌う
https://youtube.com/watch?v=2AnW6M3b-9g&pp=ygUS5Lit5qOu5piO6I-c44CA6aeF
1994.7.25 竹内まりやのベストアルバム「Impressions」発売 山下達郎がライナーノーツを執筆 「駅」のライナーノーツ全文
「87年のアルバム「リクエスト」のコンセプトのひとつに、「他人に書いた作品を自分で歌う」というのがあり、「けんかをやめて」「元気を出して」などと同じく、この作品も、もともとは、さる有名アイドル・シンガーのために書かれたものである。
まりやは当初、この曲を自分で歌うことに難色を示していた。マイナー・メロの「歌謡曲的」なアプローチだからというのがその理由だったのだが、歌謡曲とそれ程縁のない(?)私の耳には、この曲はとどちらかといえばイタリア風に聞こえたし、また、そのアイドル・シンガーがこの曲に対して示した解釈のひどさに、かなり憤慨していたこともあって、ぜひとも自分の手でアレンジしてみたいという誘惑にかられ、彼女を説得してレコーディングまでこぎつけた。
その後このヴァージョンは有線放送で1位になるなど、今では竹内まりやの代表作のひとつとなっている。メデタシ、メデタシ」
1995 小杉理宇造がワーナーミュージック・ジャパン代表取締役会長就任
2003.11 小杉理宇造がジャニーズ・エンタテイメント代表取締役社長就任
2013.11.28 竹内まりや×クリス松村「Mariya's Songbook」対談
https://natalie.mu/music/pp/takeuchimariya02
「クリス ここまでは若くてかわいらしいアイドルにピッタリな曲が多いんですけど、「駅」とかはまた違いますよね。
竹内 「駅」は確かに違いますね。頼まれたときから、明菜ちゃんには濡れた哀愁メロディの曲を絶対書きたいと勝手に思っていて。そのマイナーメロディの雰囲気に合わせて、昔の恋人を駅で偶然見かけてすれ違う……というストーリーを彼女の写真を見ながら組み立てていきましたね。歌詞自体は当時の私が歌ってもそんなに違和感のないものだったと思いますけど、マイナーコードであれだけベタな歌謡曲メロディを書いたことはなかったんで、それ自体が面白かった。
竹内 本当にそうなんですよ。明菜ちゃんの持ってる佇まいやイメージがそういう発想をくれたと思ってます。自分で歌う曲じゃないからこそ、ああいう哀愁メロディにしたわけですから。明菜ちゃんという素材があってこその曲だったと思いますよ」
以下好きな歌詞の曲。
タイトルに「北ウイング」を持ってくるセンスにしびれる。このタイトルじゃなきゃヒットしなかったと思う。
恋人を親友に取られる、よくある主題でありながら過不足なく渦中の女性の気持ちを詩に収めている。最近シティポップのリバイバルで若い子の間でも聴かれてるらしい。
今度は友達の彼氏「アキラ」への横恋慕が主題。特定の名前を登場させることで逆に誰でも感情を代入しやすくなってる。
エスニックな雰囲気に合わせて作られた歌詞がプロの仕事を感じさせる。
サビの最後の、アジアの国の言葉をリズミカルに重ねるところとか、どうやったら思いつくんだろう。
この曲の歌詞もいいよって知ってたら教えて。
見てないし、見る気もないけれど、ジジイなので、第1回東京国際映画祭をテレビ中継した時の
大惨事を思い出したよ。明石家さんまと片岡鶴太郎が来日していた海外の大スターに向かって
当時流行っていた自分の持ちギャグを相手の反応を無視して執拗にぶっこむ国辱的な中継を。
結局、日本ではバブル時代のウジサンケイグループのノリをいまだに克服できてないということ。
昼間にやってる『ぽかぽか』なんかも、バブル時代のウジテレビのノリでサムすぎて正視できない。
>1985年5月31日午後、渋谷NHKホールに常陸宮ご夫妻をお迎えして開会式が行われ[33][34][35]、
>村田敬次郎通産大臣、三木武夫元首相、鈴木俊一東京都知事ら政財界代表や[35][36]、国内外の映画
>関係者、各国駐日大使[17]、三船敏郎、勝新太郎、高峰秀子、栗原小巻らが出席[35][37]。岡田真澄
>が司会を務めた[36]。瀬島龍三組織委員会会長、鈴木俊一東京都知事などの挨拶後に『乱』がオー
>プニング上映された[33][38]。『乱』は海外招待客100人を含む映画関係者2500人のみで、一般客
>は入れなかった[39](1985年6月1日から一般公開)。ほとんどの映画人が絶賛したが[36]、『影武
>者』でトラブルを起こした勝新太郎が「いたずらに長い。見る人のことを考えてない作品。戦闘シ
>ーンは見飽きた」などとこき下ろした[36]。同日夜に東京プリンスホテルでウエルカム・パーティ
>が開かれ[34][40]、この模様の一部がフジテレビ『おもしろバラエティ』枠で生放送された[17][41]。
>司会はタモリと明石家さんま、沢口靖子[42][40][43]。ハリソン・フォード、ブリジット・フォッセ
>ー、ジェームズ・ステュアート、ヘルムート・バーガー、ソフィー・マルソーなどの海外スターの
>他[34]、中曽根康弘首相[33]、三船敏郎、三橋達也、安西郷子、司葉子、仲代達矢、宍戸錠、吉永小
>百合、石坂浩二、ピーター、島田陽子、松坂慶子、中井貴一、片岡鶴太郎、田原俊彦、近藤真彦、
>中森明菜、池田満寿夫、佐藤陽子、手塚治虫、石森章太郎、小森和子らと[36][40][41][43]、鹿内春雄
>フジテレビ副社長と頼近美津子が結婚後初めて公式の場に出席した[40]。出席を予定していた黒澤明
>は欠席[17]。黒澤は御殿場で静養中で[44]、映画祭期間中も姿を見せず、来日した俳優、監督や『ニ
>ューヨーク・タイムズ』や『ガーディアン』の記者30人から面会申し込みがあったが全て断った[44]。
>ウエルカム・パーティでは、ハリソン・フォードがグラス片手に会場を回るなど[40]、有り得ない
>ような豪華なパーティであったが[40]、生中継は構成が悪く、タモリと明石家さんまが司会をふざ
>けたり[42][45]、会場には海外からのビッグスターが顔を揃えているのに彼らへのインタビューは
>なく、当時日本で人気があったマット・ディロンをアメリカに訪ねたVTRが流れる間の悪さで[45]、
>マッチや中森明菜がステージで映画とは関係ない歌をうたい出したとき、招待客は何が始まったの
>かとビックリし、まわりをハラハラさせた[45][46]。フジテレビが当時、「楽しくなければテレビじ
>ゃない」というキャッチフレーズを打ち出し『おもしろバラエティ』枠で放送したことで、新聞各
>社に悪評の投書が殺到し[45]、好評がゼロという珍しい事態になり[45]、「ユーモアとスマートさに
>欠けたドタバタ司会、日本には機知と弁の冴えでわかす芸人はいないのか」「日本語でくだらない
>言葉を外国人に言わせるな」「少ない時間で映画と関係ない歌を三曲も歌わせるな」「外国から大ス
>ターを集めながら、大切な機会を無にした」「まさに島国映画祭だ」など[45]、「時と場」をわきま
>えぬ企画などとマスメディアに叩かれた[47][48]。この日の開会式とウエルカム・パーティを合わ
>せた費用は1億5000万円[39]。