はてなキーワード: ジョッキーとは
・競馬関連のイベントに参加して、抽選で当たったジョッキーのサイン入りゴーグルについて、「サインは洗ったらきれいに消えました!これから大切に使います!」とイベントの主催者のTwitterにリプライする
・競馬場内のイベントで当選した、有名な馬のゼッケンを「毛もついてて汚いから洗濯したら、半分くらいに縮んだから犬の敷物にしてるの〜」と笑顔で話す
(競馬のゼッケンは、毛や汚れも含めて貴重なものとしてそのまま保管するのが通常。有名な馬であれば尚更。)
・「○○が乗ってた馬のゼッケンが当たったけど、犬の敷物にしようとしたら嫌がってた。犬も○○は嫌いみたい(笑)」と○○騎手のファンに話す。
全部同じ人がしたこと。
彼女は今どうしてるんだろう。競馬場で会うことももうないけど、数々の奇行と、周りが引いてるのに気付かずそれを笑顔で話す様子はたまに思い出してしまう。
いまだ無敗。今年の大本命。
父エピファネイアはジャパンカップ&菊花賞馬だし、産駒の傾向から言っても距離は大丈夫な感じがする。
まだ22歳の若手で経験の浅さが気になるが、彼が勝てば「戦後最年少のダービージョッキー」ということになる。
これまでの最年少は「僕はダービーに乗ったんじゃない、ヒカルイマイに乗ったんだ」で知られる田島良保か。歴史ですねえ。
これまで6頭のダービー馬を出しているディープインパクト産駒だし、
もともと末脚が自慢で桜花賞よりオークス向きだと言われていた馬だが、
これほど人気しているのはもちろん14年前のウオッカを想起するからだろう。
はたして勝利の美酒に酔えるか、それとも。
あのフォイヤーヴェルクの弟、というだけで競馬ファンはドキッとするのではないか。
デビュー前には「別の生き物」「凱旋門賞を意識している」などと絶賛されつつ、いざ走り出したら負け続けでがっかり、ということで有名な馬である。
ちなみに今でも現役で、障害重賞まで勝っているのだから、普通に考えるとなかなか優秀なのだが、さすがに前評判が高すぎた。
というわけで、「フォイヤーヴェルクのように騙されるんじゃないか…」という不安の意味でも、
「もしかしたら真の怪物は弟のほうなのかも…」という期待の意味でも、実績以上に注目されているのがグレートマジシャンなのだ。
ちなみに母系はドイツ血統で、産駒の傾向から見ても、距離は伸びるほど良いのではないかと思われる。
鞍上は和田竜二。あの覇王テイエムオペラオーの主戦だった男である。
その彼が「オペラオーに近い」と絶賛する馬こそ、このワンダフルタウンなのだ。
本当なの? マジでオペラオー? だったら鼻差圧勝してしまうじゃないか?
青葉賞の勝ち馬はダービーで勝てない、というのが競馬界のジンクスなのだが、はたしてどうなるか。
やはり見逃せないディープインパクト産駒。牡馬ではこの馬が筆頭格か。
兄に皐月賞馬アルアインがいる良血で、共同通信杯ではエフフォーリアに敗れるも、毎日杯で驚異のレコード勝ち。
鞍上は福永祐一。3年前に悲願のダービー制覇を果たし、昨年は三冠馬でダービーを勝った男が連覇を狙う。
母クロウキャニオンは、毎年のようにクラシック戦線を賑わせる仔を産む名牝だが、
今年こそGIを、それもダービーを勝って、兄姉たちの無念を晴らせるか。
ちなみに馬主は金子真人で、もしヨーホーレイクが勝てば、なんと5度目のダービー制覇である。
ウマ娘的には…
私も素人には違いないんだけど、その素人に競馬の知識で負けているところがどうなのよと思うのだ。私は競馬で儲けたいわけではなくて、馬の写真を撮りたくて、どの馬やジョッキーが強いのかをチェックするために競馬をかじっている状態である。お遊び程度の金額で馬券を買うならいいけど、ほどほどにしておいて欲しい。
うちの父は競馬のG1レースがある度に友達の家に行って飲み会をする。競馬を酒の肴に飲み会をやっているわけである。よく考えてみると70歳を越えているのにそんな飲み会をやって新型コロナウイルスに感染したらどうするのだという問題もあるのだが、父からそういう楽しみを奪うと家でゴロゴロして動画を見ているだけのYoutube廃人になってしまうので、とりあえずここではその問題はおいておくことにする。
が、父は全然競馬に詳しくない。まぁ付き合いで馬券を買っているだけなので、下手にのめり込まれるよりましかもしれないけど、年1回だけ「優駿」(JRAが出している競馬雑誌)を購入し、ときどきG1レースをテレビ観戦するだけの私のほうが詳しいとはどういうことだ。昨日実家に行ったので、「有馬記念とはファン投票で選ばれた馬が出場するレースだ」と言ったら、「へぇ、そうなんだ」と感心していた。ある程度競馬好きな人が主催しているんだろうに、お友達もそんな基本的な情報を知らないんだろうか。今日も有馬記念を酒の肴にするために出かけているはずだが、いったいどんな馬券を買っているやら。
それなのに、WIN5とかいってレース5本の1位を当てないといけない馬券を買って、「当たらなかった…」と凹んでいるので呆れる。そんなもん競馬予想のベテランでもそう簡単に当たらないし、それだからこそ当たった場合の払戻金が大きくなるわけだけど、なぜ大した知識もないのに、そういう大当たりを狙うのか。それだったらそれぞれのレースで1番人気から3番人気までどれが勝っても多少払戻しがある馬券を買った方が良くないか。
競馬のオッズは何だかんだ言って競馬ファンたちの知恵の集合体だ。自分でパドックの馬たちの様子を見て「今日はコイツの調子が良さそうだ」とか判断できる玄人以外にとっては、ある程度信じる価値のあるものだと思う。一番人気がレースに勝つとは限らなくても、2位とか3位に入る可能性は極めて高い。知識がないなら大人しくオッズに従い、それにプラスして自分の好きなジョッキーや馬がいればその馬券を買えばいいと思うんだが、父はなぜか大穴を狙う。玄人が自分の目を信じて他人と違う馬券を買うのは自由だと思うけど、素人が真似をすると馬券が全部紙くずになるのが落ちだ。たぶん一番人気とかを買うと、100円が120円になったりするだけで儲かった気がしないのでつまらないのだと思うが、ろくに知識もないのに大当たりを狙おうとするのがおかしいと思う。
父は株もやっているが、ときどき謎理論を発明してそれに基づいて売り買いをする。大人しく証券会社の担当者のアドバイスを聞くときもあるが、平日に暇があるとチャートに張り付いてやたらと売り買いしているらしい。父は「信用買いだから大丈夫なんだ」と主張し、私は信用買いというものがよく分かっていないしいちいち父の取引に付き合いきれないので聞き流すことも多いが、「この欲深老人が、いつか大損するのではないか」というのが心配でしょうがない。現役時代はそこそこ名の通った会社で管理職をしていたので、それなりの収入があったはずだが、今もその感覚でいられては困るのである。まったく困った年寄りである。
https://anond.hatelabo.jp/20201219095651
(出来事)
1856 日米修好通商条約締結
1860 横浜の外国人居留地において、競馬が行われる(居留地競馬)
1869 戊辰戦争終了
1870 東京招魂社(現・靖国神社)において、初めて洋式競馬が行われる(招魂社競馬。1898年まで)
1874 台湾出兵
1877 西南戦争開始~終了
1894 日清戦争開始
1905 日露戦争終了
桂太郎内閣による馬券発売の公認(黙許)(公認競馬。中央競馬のルーツ)
馬政第一次計画の制定(第一期:1906年~1923年、第二期:1924年~1935年)
帝室御賞典(東京)創設
1907 小岩井農場が種牡馬インタグリオーと20頭の繁殖牝馬(小岩井農場の基礎輸入牝馬)をイギリスより輸入する
1910 韓国併合
改正競馬規程(閣令)を根拠として、産牛馬組合による競馬が開催されるようになる(地方競馬のルーツ)
主要競走に騸馬(せん馬)が出走不可に。芦毛、月毛、河原毛が出走不可に(毛色の制限は1928年まで)
帝室御賞典(阪神)創設
1911 優勝内国産馬連合競走(連合二哩)創設(ラングトンが第1回の勝馬となる)
宮崎競馬場において、商品券付き勝馬投票が実施される(事実上の馬券)。1914年までに全ての競馬倶楽部が実施するようになる
1914 第一次世界大戦開始
1918 第一次世界大戦終了/シベリア出兵(1922年まで)
1922 帝室御賞典(札幌)創設(1937年秋まで。1922年~1924年は春のみ。1925年~1937年は秋のみ)
帝室御賞典(福島)創設(春のみ。1922年春~1937年春)。帝室御賞典(函館)創設(秋のみ。1922年秋~1936年秋)
1923 関東大震災/旧競馬法制定(馬券発売再開)/馬政局廃止
帝室御賞典(函館)創設(春のみ。1923年春~1937年春)。特殊ハンデキャップ競走創設
1925 濠抽混合創設(当初の名称は各内国抽籤濠州産馬混合競走。1932年より目黒記念)
下総御料牧場が2頭の繁殖牝馬(種正・稙道)をアメリカより輸入する
1928 横浜特別創設(1943年秋まで)/連合二哩(牝馬)創設(1928春~1941秋)
1931 満州事変
下総御料牧場が3頭の繁殖牝馬(星旗・星若・星友)をアメリカより輸入する
1932 東京優駿創設(1950年より「日本ダービー」の副称が付く。ワカタカが第1回の勝馬となる)
下総御料牧場が3頭の繁殖牝馬(星濱・星谷・星富)をアメリカより輸入する
1934 中山大障害創設
1936 二・二六事件
1937 日中戦争開始
天皇賞(帝室御賞典)創設(連合二哩並びに各競馬倶楽部で行われていた帝室御賞典を統合。当初秋2600m、春2700mで施行され、第3回からは春秋共に3200mで施行。ハツピーマイト(ハッピーマイト)が第1回(1937年秋・東京)、ハセパークが第2回(1938年春・阪神)の勝馬となる)
連合二哩はこの年限りで廃止。各地の帝室御賞典はこの年春限りで廃止
菊花賞(京都農林省賞典四歳呼馬)、優駿牝馬(オークス)(阪神優駿牝馬)創設
1939 皐月賞(横浜農林省賞典四歳呼馬)、桜花賞(中山四歳牝馬特別)創設(五大クラシック競走が成立)
1941 太平洋戦争開始/セントライトが初のクラシック三冠を達成
1944 競馬開催の一時停止。この年の競馬は能力検定競走として施行される(戦前の競馬はこの年限りで終了)
2歳(旧3歳)競走が競走体系に加わる
1949 朝日杯3歳ステークス(1991年から牡馬及び騸馬(せん馬)限定のレースとなる。現・朝日杯フューチュリティステークス)創設
阪神3歳ステークス(1991年から阪神3歳牝馬ステークスとして牝馬限定のレースとなる。現・阪神ジュベナイルフィリーズ)創設
1951 中央競馬における重勝式馬券の発売(1961年廃止)
トキノミノルが無敗で二冠を達成
日本中央競馬会(略称は1986年までNCK。1987年からJRA)発足(国営競馬時代の終了)
啓衆社(競馬予想紙を発行)が啓衆賞を設け、各年に活躍した競走馬を表彰することを始める(1972年から『優駿』(日本中央競馬会の機関紙)の主催による優駿賞、1987年から日本中央競馬会の主催によるJRA賞となる。最初の年度代表馬はハクリヨウ(ハクリョウ))
1955 日本中央競馬会が英国ジョッキークラブとの間に騎手に対する制裁の相互実施協定を締結する(国際交流の始まり)
東京大賞典(秋の鞍)創設
1958 ハクチカラが戦後の日本調教馬として、初めて海外に遠征する
1956 有馬記念(中山グランプリ)創設(メイヂヒカリが第1回の勝馬となる。八大競走成立)
1963 中央競馬において8枠制が導入される
メイズイとリユウフオーレル(リュウフォーレル)の2頭が年度代表馬に選出される
1965 シンザンが天皇賞秋・有馬記念を制覇し、五冠を達成(当時牡馬が出走できる大レースを全て制覇)
1967 栗東トレーニングセンター開場
1968 中央競馬における繋駕速歩競走はこの年限りで廃止される
1970 大阪万博
スピードシンボリが初めて有馬記念を連覇し、1967年以来2度目の年度代表馬に選出される
1971 ニクソン・ショック
貿易自由化に伴い国内生産者への保護政策が実施されたことにより、持込馬が有馬記念を除く八大競走への出走権を失う
トウメイが天皇賞秋・有馬記念と連勝し、牝馬として初の年度代表馬に選出される
1972 沖縄返還
地方競馬における騎乗速歩競走はこの年限りで廃止される(中央競馬では戦前限り廃止)
ハイセイコーが中央競馬に移籍し、好成績を挙げ、国民的人気を集める(1974年の有馬記念2着(勝馬はタニノチカラ)を最後に引退)
1974 単枠指定制度の導入(1991年10月5日廃止。最初の指定馬は同年の皐月賞におけるキタノカチドキ。最後の指定馬は1991年のセントライト記念におけるレオダーバン)
1977 テンポイントが有馬記念でトウショウボーイとのマッチレースを制し、年度代表馬に選出される(3着はグリーングラス)
1978 美浦トレーニングセンター開場
なんかここ10年くらいの競馬は騎手にしても種牡馬にしても一局集中し過ぎてつまらない
昔は乗り替わりが今ほどなくて中野とか大西みたいな微妙な騎手がそのまま日本ダービー出て勝ったりしてたよね
今だったら絶対に乗り替わりでしょ G1の出馬表見ても騎手が毎回同じような面子なのはどうかと思う
若い頃の横山典なんてメジロライアンで駄目騎乗しまくってもそれでも乗り続けさせてもらってそれで一流ジョッキーになったわけじゃん
エージェント制の弊害なんだろうとも思うけど、これじゃ若手騎手が一向に育たないと思う
種牡馬にしてもSS系ばかりでつまらない なんだこりゃみたいな零細血統の馬が昔はたまに走ってたのになあと思う
産駒のメルシーステージが重賞連勝したおかげで、種牡馬廃用になって行方不明になってた父のステートジャガーの捜索がはじまって種牡馬復帰出来たエピソードとか大好きだったわ