障碍者に金を払うことなく感動ポルノを楽しむようになってしまったから問題になったのだと思いますよ。
元々は、感動ポルノに出て稼ぎたい障碍者も居れば、逆に感動ポルノ扱いされたくない障碍者もいるのだという
えせはら(似非原重雄)
@esehara
なけなしの金をはたいて、石田さんに送るためのAmazonギフト券を買ってきた。
5,000円は出してくれんじゃないの?
元増田はわざわざリンクして、見せた動画がIPAの動画であると言っているし、それで嫌な予感がしたとまで言っているのだけれど、実際どの動画を見せたのかがわからないのがもやっとする。
元増田のリンクを見ると、子供向けの映像もあるようだけども、どの動画を放映したのだろう。動画がたくさんあって、映像を全部開いてチェックしようという気力はさすがに持ち合わせていない。
ドコモの「スマホ・ケータイ安全教室」あたりであれば、こんなことにはならない(ならなかった)のではないか。
ドコモの「スマホ・ケータイ安全教室」は、ドコモがインストラクターを派遣して無料で実施するという講座である。個人では呼べないようだが、元増田は「自治体の催しか何か」だといっていたから、それならドコモも来てくれるだろう。
ドコモが主体の講座だから、携帯電話への不安を煽るだけの内容ではないはずだ。実際、同教室の保護者向け教材を見た限りでは、「インターネットをうまく使うのが大事」「親が見本を示せ」みたいな話になっている。
親のリテラシーや子供の知識を根拠に釣りだと言い切る指摘があったけれども、弱い根拠だなと思う。
「スマホ is 危険!即解約!」みたいな反応をする親が本当にいないと?
まだ文章の書き出しと締めくくりの部分の描写が雑であることを根拠にしている指摘の方がしっくりくる。もっとも、これも身元が割れないようにするために行っていると主張されれば、否定は出来ないように思う。
釣り、創作、誇張含むだとしても、割と悪い方の想定としてはあり得る内容だと思った。
「親は、元増田に書かれているようなことをリスクとして把握した上で子供にスマホを契約しているのか。最悪そのようなことが起こっても淡々と対応できるのか」という問題提起としては、ありだと思う。元増田が釣りなのだとしたら、制作意図を改めて聞いてみたいところである。
D(電通)がニュースや報道で取り上げられると、それに追随してH(博報堂)のことも何らかがニュースになるんだよねぇ。
そこにはいろんな要因があると思うけど、
ノートの冊数がいくつだみたいなことを競ったり、
それをまるで美談の様に語ったりというのは、
そういうことで評価されようって人を増やしていくよね。
長時間労働はなくならないよ。
試用期間で働きぶりを見て切らなかったのも会社側
これでもう十分に給料分働いていることになる
それを考慮に入れてなかった貴様が給料分働いてない無能だったというわけだ
バーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーカ
ずっと強い女になりたいと思いながら,今まで生きてきたにゃ
腕っぷしが強いとか,気が強いとかではなく,きちんと自立していて,問題解決のために理論的に動き,感情の制御ができて,他人に寛容な女になりたかったにゃ
今もそう思っているし,完璧ではないにしても,そうなれるよう出来る限りの事は最大限行っているつもりだにゃ
何度か好きな人ができたことはあるけれど,自分から好きだと伝えたことはないにゃ
そのことが原因なのは自明であるが,感情の押し付けによる軋轢を防ぎつつ情報伝達を遂行するにはどうすれば良いのかがわからないにゃ
無論,愛されたこともないにゃ
一度,同級生とそういった類の話になった際,「隙がない」と言われてしまったにゃ
意味がよくわからにゃかったので,詳しく話を聞くと,「優しいのはわかるが,バリアがある」のだそうだにゃ
自立していたいと考えて生きているにゃが,そのことが原因かと聞いてみると,「おそらくそのせいだと思う,そんな感じがする」と同級生は言ったにゃ
同級生は大変恋愛経験が豊富で,私とは全く違う性質の人間であるにゃが,いくつも人として尊敬できるところのある人物だにゃ
そんな彼が,「女性は貴方よりももう少し笑っていて,とぼけていて隙がある方がいい,男はそういう女性にしか近づけないから」と言ったにゃ
なんとも言えない気持ちになったにゃ
笑顔はこれからの人生で必要になるだろうから,きちんと身につけるとして,その他の要素をいかに調達したものかと悩んでいるにゃ
私はとぼけてもおらず,隙のある人間でもないようにゃので,そういう人間に見せるには,ある種の嘘をつくことになるにゃ.俗に言う「養殖」とよばれる技術であるにゃ
しかしそれは,恋愛をするためだけに外面を取り繕うようなものであり,恋愛を抜きにしても,人間関係を執行する上で非常に不誠実であるように思われるにゃ
私はそういう人間ではにゃいし,そういう人間を求める人に,自身の欲求をもとに自身をあてがうようなことは大変失礼に思われるにゃ
一方,恋愛を遂行するためにそういった要素が不可欠であり,その要素を取り入れないということが恋愛に対して不誠実であるにゃらば,
嘘をつかない私という存在自体が,恋愛という事象そのものに対して失礼であるということになるにゃ
これらの仮説に対する答えを私は持ち合わせてはいないにゃ
子供が欲しいとか,愛し愛されたいとか,そういった事柄を補填するものはいくつもあるため,あまり重要なことではないにゃ
人間という群れの一個体として,私に恋愛という役割が期待されていないのにゃら,そういう人生を歩むのも良いにゃ
ただ,死にゆく親を目の前にして,「私は人間として恋愛という役割を期待されていないにゃ」とは,とても胸を張って言えないような,そんな気がするにゃ
クライアント・お客様優先で体育会系、パワハラ当たり前の職場だってこと入社する前にわからないのか?
幼い頃から、自分が生まれてきたことに負い目を感じてきた。それを克服できたと思っていたけれど、本当は何一つ変わっていなかった。
両親は若い頃共に夢を追っていた。私が生まれたことでそれを叶えることが出来なくなった。もともと堅実な生活をする道から外れてきた人たちだから、私を養うことが難しく、常に家計は逼迫していた。両親は必死に働く中ですり減っていった。それが私のためにされていることだということは、幼い頃から言い聞かされてきたから分かっていた。私はいつもありがとうと言っていた。でも本当は、その愛情が苦しかった。
私が生まれなかった人生だったら、二人は歌と絵で成功することができたかもしれない。芸術家として生きることができたかもしれない。その可能性を潰したのは私だ。だから、私なんていなければよかったのにと、いつも思っていた。そのことを口にしたことはない。口にしてしまえば、その愛情を裏切ってしまうから。胸の奥に押さえつけた言葉が痛かった。寂しかった。
考え方が変わったのは、進学してひとり暮らしをはじめてから。誰かの子どもであるという立場から離れた生活を送って、自分自身を見つめ直す機会を得ることができた。ひとり暮らしをすると、何から何まで自分でやらなくてはいけない。はじめは大変だったけど、自分で自分のことを支えるということに、確かな手応えを感じていた。
人生の意味は誰かに与えられるわけでも、どこかに落ちているわけでもない。人生の意味は自分で作り出すものだ。自分がこの世界に生まれてよかったと思わせるのは自分しかいない。そう思えるようになった。
それからは自分の人生を肯定することに必死だった。手に職をつけて仕事に就いて、自分がいる意味を感じられる状況を作っていった。自分を肯定するには健康であることも大事だから、運動をして、睡眠をとり、酒を絶ち、瞑想の習慣を身につけるようになった。とにかく自分を後ろ向きにさせるようなものは何一つないようにしようと懸命だった。
両親は相変わらず生活に困っているようだった。だから今も、お金を送っている。そうすれば、自分が生まれてきたことの負い目をいつか帳消しにできる。これも自分の人生を肯定するために必要なことだと思っている。
冷静に考えれば、とても恵まれた人生。両親には愛されて、とにかく仕事にはありつくことができて、生きることができている。虐待されて育った人もいれば、過労で自殺した人もいることを考えれば、私が悩むことなんて、後ろ向きになる資格なんてないのだ。おこがましいのだ。恵まれた人生に、多くの犠牲の上に立つ私は、自分のことを考えるより他人のためにならねばならない。
そう考えられるようになったことで、自分は自分の人生を肯定できていたのだと思っていた。きちんと前を向いて生きているのだと思っていた。
でも今は疲れてしまった。
年齢を経るにつれて、気力は衰えていく。肯定していく力が徐々に弱まっているのを感じるようになった。
そして気がついた。自分は人生を根底のところで肯定していない。安心できていない。ただ仕事とか、義務感とか、いっときの気晴らしでごまかしていたのを、人生を肯定することとすり替えていただけだということを。
本当に自分を肯定できる人は、頑張る必要はない。なにもしなくても受け容れることができている。こうするべきだとか、こうあることが正しいとか、そんなことは何も考えていない。
ときどきそんな、自然体で自分を肯定できている人と出会うことが合って、私にはまぶしかった。そのまぶしさを感じるたびに、悔しくなった。悔しいと感じている自分に気づいて惨めな気持ちになった。
何のオチもないし、とっちらかった文章だし、具体的な話もほとんどないし、こんな話をここで書いて何の意味があるのか、自分でも分からない。
ただとにかく疲れた。それをどこかで書いてみたかった。一度も他人に伝えることができなかったことを誰かに読んでほしかった。
もう前向きに生きるのが疲れたんだ。
疲れたよ……。
パワーハラスメントなる用語があったのかどうか、そんな時代の話。
私は社員五人という小さな会社に勤めていた。非常に小さな業界で、環境コンサルタントという分野に属する。大枠としては土木・建築分野に入るかもしれない。そうした大手コンサルタント会社からこぼれてくるような仕事を拾って商いをしていた。たまたま、転職しようと思って転職雑誌を見てたら自宅に近いところになんだか業種が良く分からないその会社の募集広告があったので応募し一発採用となった。当時は私のような特に何のスキルもないような人でも転職なんか簡単だった。それもそのはず末期ではあったがバブル時代はまだ続いていたから、そんな小さな会社でもそこそこ給料はよかった。
初めてパソコンに触った。というか、パソコンなしでは成り立たない職種で、まだCUI→GUI移行期の時代で自分でプログラムを書かないといけない仕事だった。今ならエクセルで表やグラフなんて簡単に作成できるが、当時はプリンタに直接描画命令コマンドを送るという恐ろしく面倒な事をしてたのが懐かしい。グラフなんかXY-プロッタで作図してたんだよ。ページプリンタを導入してからは少し楽になったけど、ともかく、今の時代なら10分あれば出来る仕事が何時間も掛かる、そんな時代だった。
社長は私の10歳年上で、とある地方の有名大学出身者。一方私は、大学進学を諦めた専門学校出身者。退職するまで、この差別がずっと続いた。社長は当初は学歴など関係なく仕事の能力が大事だ、みたいな事を言っていたが、口では言わないが他の大卒社員にはそこまできつく言わないのに私だけにはほんとにきつい言葉を放つ。もっとも、私もかなりバカだったと思う。何せビジネスマナーすらろくに知らないレベルで、前の仕事は工場内作業者だったので定時になればタイムカードを押して帰ればよいというような考え方や、仕事というのは与えられた仕事を教えられたとおりにするものだという考え方が身に染み付いてしまっていて、なかなかそんな自分を変える事が出来なかった。
とは言え、自分自身でもそのことにすぐ気がついて自分を変えようと努力していたのは事実である。昼休みになれば近くの本屋さんに行ってビジネス書を立ち読みしたり、あるいは購入したりとか、残業も構わず何時間でもやったり徹夜もしたり、気づいた事があれば率先して色んな提案をしてみたり、内実はともかくとしても結構頑張ったと思う。でも、社長はそうして私が努力している事を評価する事はほとんどなかった。今でも忘れられないのは、社長と二人きりの状態で私が遅くまで残業して作業している最中に「お前は頑張りが足りない」ときつく叱責された時の光景である。流石に今まさに一人で頑張っている私自身にそれはないだろと思ったのでぶちぎれて「今こうしてやってる最中にそれはないでしょ!」と言い返したら、後にも先にもその時一回きりだけど社長は私に詫びた。で、それ以降も、事ある毎に散々「努力が足りない!」のような内容で酷く罵詈雑言を浴びせ続けられたのである。「辞めてしまえ!」など日常茶飯事だった。しかも、他の社員がいようと、取引先に出かけてようとそんなの関係なくやられた。
褒められたり普通に対応してくれたこともないではない。ある定型的なデータのとりまとめなどは私は誰よりも早かったので、しょっちゅう感心されたものである。しかし、多少なりとも高度な仕事は私には与えられる事は決してなかった。多分、私でも出来たろう。しかし、「無能な」私にそんな高度な仕事を任せたら滅茶苦茶される、というのが社長の考え方だった。社長は人に教えるのがド下手で、社員の誰もがそう言っていたが、とにかく教えられてても話があちこち飛ぶし、こちらが知らないことなのに知ってなければいけないか如くに説明する事柄も多く、何を言っているのか良く分からない。その上、それでもきちんと理解できたように振舞わないとすぐ不機嫌になるので、こちらも質問もしづらい。分かってないような反応をしようものなら「お前何聞いてたの?それはこうなってるって分かって当然だろ!」と、そもそも理解させようという気がない。それでも大卒社員には私とは違って多少は丁寧に説明していた。私は徹底的にバカにされた。
そんな風に何年かやってると、自分自身でもどんどん自分を卑下するようになり、自分がダメなんだと自分で自分を追い込むようになっていった。朝起きるのも辛く、朝が来るのが嫌で夜もなかなか寝ようと思わなかった。それでも、結婚もし子供も生まれ家庭を持つようになって、そう簡単には転職もままならない。それに、他の会社に言っても似たようなものかあるいはこれより酷いかもしれない、などと考えてしまい、ならば会社にい続けるのであれば、どうにかして社長に認めてもらう他はない、などと思うようになっていった。だが、そんな社長と私との人間関係下ではうまく行く筈はない。向こうは私を完全に見下しているから、何をやっても悪循環、少しでもミスしようものなら罵詈雑言。仕事があまり与えられなくなり、「役立たず!」「いったいお前ここに何しに来てるの?」「他のみんな頑張ってんだから朝早く来て掃除でもしとけ」など等どんどん扱いは酷くなっていった。遅刻も何度もするようになり、無断欠勤もしばしばするようになって、結局、非常に些細なことで滅茶苦茶に叱責されたのを切っ掛けにして、退職する事になった。
社長は悪い人というわけではなかったと思う。多分、何とか私も頑張ってもらおうとは思ってたんだと思うけど、仕事という厳しい現実の前に不条理なまでに厳しくする事になってしまったんだろう。ともかくも、病院には行かなかったので診断されたわけでもないが、おそらくは私は鬱病に近い状態に陥ってた。次に転職するまで、ちょっとした個人的仕事と実家の援助で食いつなぐこと三年掛かった。退職するまでの2年くらいは毎日死ぬ事を考えたけど、既に子供もいたし、死の選択は許されなかった。
・・・・というより、私は今生きている。そして、あんなに酷いパワハラ状態だった会社での事が、実は様々に今の仕事に生かされている。パソコンとかもそうだし細かい仕事のやり方とか、あるいは社長があの時何故罵詈雑言叱ってたのかとか冷静に考えて実務に役立てたりも出来ている。私個人の体験だけで大きなことは語れないとは思うけど、彼女は死ぬべきではなかったと強く思う。生きてさえいたら、まだまだ道はあったはず。無論、精神状態が追い詰められて鬱病になって死を選択してしまうことになってしまうのも仕方ない面もあると思うけど、出来る事なら逃げて生き延びて欲しい。人間は弱いけど、それでもなお強く生きることも出来る、と私は思う。