はてなキーワード: 脈絡とは
自分はこんなにタブを開いているが読んでいるのだろうか、全て読む必要があるのだろうか、したいことはなんだったんだろうか。
はてブやツイッターを見ながらタブでどんどん開いていき、読むのがめんどくさくなったらブクマをはる。なんのための情報集めだったんだろうか。
有益な情報がたくさん見つけられて、興奮する瞬間もある。
『有益な情報』、特に『ライフハック』と呼ばれるものは”方法論”で、”こうすればうまくいく”とか”これはよんどくべき、やっておくべき”だとか。
そんなこんなで、情報を集めたあと、実際に自分の行動を選択する瞬間がやってくる。
現実に活かす時だ。この時を待っていた。
有益な情報の中から『選択』をする。全てをやる時間はないし、それぞれの情報には齟齬が生じる。そこで取捨選択が必要になってくる。
このときに無意識なうちに心がけてしまうのが、『一番公平で』、『一番万人に通用しそうな』、正しく一番『合理的な』方法や情報はどれであるか。
ここで変なのが、はなっから『自分』が存在しないということである。合理的というのはいかに自分を消すかということであり、万人に通用するような一般則をみいだすかである。自分という文脈を完全に無視している。ある意味自分を否定することから始まる。
もう一つおかしなことがある。選んでいる自分自身は『合理的』・『無私的』かもしれないが、その情報は論理の飛躍があるかもしれないし、誰かの主観が凝り固まったものかもしれない。
ここで言いたいのが、論理の飛躍や、主観の凝り固まりが情報の質を著しく損なうものであるかといえばそうでもない。
むしろ、強烈に面白いと思われる物、人、情報は往々にしてなんらかの論理の飛躍、論理では説明できないなにかを内包している。
面白いというのは価値である。絶対である。面白さ=品質である。
しかし、面白い情報を集めることに意味があるのだろうか。それらを厳選して、凝縮して、合理的に、無私的に。
集めている段階から自分を殺しているのだから、自分の血にも肉にもならないし、なったとしても魅力的ではない。つまり面白くない。
情報の質はそれぞれ高いかもしれないが、それが脈絡なく量となって降りかかって来る頃には無価値となる。
結局人が求めているのは成長と共感である。自分自身の成長を感じる、か、自分自身と照らし合わせる、の2択である。
その情報が嘘かホントか、合理的か非合理的か、が問題になる情報は少ないし、そもそもインターネットという媒体にはそぐわない。
嘘でもいい。自分にフィードバックがあれば。自分にフィードバックを求めるためには、インターネットの中に自分を置かなければならない。虚構の固まりの中に。
発しなければ、返ってこない。今受け取っているものはその他大勢に発せられた無価値なものである。孤独を催させ、自分を否定するだけのものである。
ライフログとしてのインターネット。情報を体験に変えるものと信じて。
いつも何気なく、インターネットを見ていたブラウザ、Internet Explorer。Safari。どれもただブラウズ=閲覧という意味を越えている。
もともとそうなのかもしれない。自分自身が入っていかなければならないのかもしれない。インターネット探検家として。
インターネット探検家。私自身、いつもそうありたいと思っています。
そして今、卒業して新たな人生を踏み出すあなた方にもそうあってほしい。
ありがとうございました。
この騒動にいろんな人がそれなりにいろんなコメントをしてるけど
サヨの人はほんとに脈絡無く「ウヨがどうしたこうした」が出てきて
ひょっとするといまネットで一番頭悪いのってサヨの人なんじゃないだろうか。
「頭悪い」という状態は
必ずしもお勉強の積み上げがないということではなく
思考が目の前の状況に適応できなくなってるということで、
ネットで見かけるサヨの人と言うのはまさに
何を見ても「ウヨ憎し」かリベラル演説で思考が強制終了してしまう状態。
これは完全に「頭が悪い」と言える。
あれも原発に関する不安で思考が変になって「頭悪い」になってしまってる状態。
自分の専門分野の斬り方で専門外のものを手当たり次第にいじると
これも物凄い勢いで「頭悪い」になっていってしまう。
要するにこの文で何を一番言いたいのかというと
ある時点の流動的な1形態であって
クソ映画だとわかってて見たのにそれでも見てられないぐらいの凄さだった。
一応全部見なきゃいけないと思い録画して早送りしながらなんとか最後まで見た。
が、『ICHI』では演技が下手っていうレベルを超えているのでまるで演技する気がないように見える。
だいたい綾瀬演じる市は
極度に感情も表情も乏しく能動性の無い女、というつまんない人格に設定されていて
ほとんどのシーンでただ周囲の人の話を無表情無反応に聞いてるだけということになる。
こんな役を大根にやらせるので、本当に「ただ立ってるだけ」「座ってるだけ」をしていて、演技する気がさらさら無い。
(このただ座ってるだけの女にオッケーをだす監督も凄い。
静かな役なんかだけはやらすなと言いたい。
あまりの異様さに「こいつなんなの……!?」と違和感を覚えるのも最初だけで、
視聴者はすぐに市がどうでも良くなる。
他の登場人物も全くキャラが立ってないにもかかわらず。
眠くなるのとも違う新感覚。
悪役は中村獅童演じる「万鬼」という剣客が頭目の不良グループだが、
この万鬼は顔の火傷で仕官出来ないのを悩んでるだけのしょっぱい奴で
万鬼党は狂気と破壊衝動で暴れるだけの、バカが好んで描くタイプの悪役。
経済観念すら乏しくわざわざ住み心地悪そうな岩場に男だけで住んでおり
唯一の寄生先である宿場で無意味な殺戮を始めるようなアッパッパーだから
話の溜めもクソも何も無い。
悪い親分のところに市が上がりこんで行って
下手に出たりとぼけたり脅したりするような駆け引きも全く無い。
ほとんどショッカーレベルの悪役なので中学生以上だとシラフで見ていられない。
日曜朝の30分戦隊物でも『ICHI』よりはマシな脚本を書いている。マジで。
(一方、善良な民衆側の宿場の顔役は復帰直後の窪塚洋介がいつものあの抑揚で演じているが
全てが意味不明な『ICHI』ワールドの中では大変好感の持てる常識的なアンちゃんに仕上がっている。
この映画を見た人間はみんなちょっと窪塚洋介を好きになれる。)
・八州周りが宿場にやってくると街道の民衆が総出で土下座。大名か。
・八州様を宿場の顔役達が供応してるところに脈絡も無く万鬼党襲来。
よりにもよって八州様の目の前で住民の殺戮を始める。
「やや展開が無茶だけど万鬼党に抱きこまれてる八州だったかー」と思って見ていたら
血刀下げた万鬼党は震える八州の胸倉を掴み「見なかったことにしろよな!」と恐喝。
無頼の主人公が八州周りを殺しちゃうトンパチ展開も時代劇では稀にあるが、
田舎ヤクザが八州周りを単純に脅しつけて帰す展開は何気に史上初なんじゃないだろうか。
脚本書いてる奴〇ね。
綾瀬演じる市はただ杖持って伏し目がちにしてるだけ。
盲人の剣客、という役作りが物凄く大雑把に、
2「その上で自分なりの市の癖を作る」
だとして、
1すらやる気が全く無い。
歩き方も話掛けられたときの反応も何もかもが健常者。
一応目をはっきり相手に向けないことだけはしているが
内向的な市の性格なので多分目が見えても同じような動作になる。
平時でも修羅場でも、耳や全身で周りを窺う演技がまったく無い。
市の挙動は常に、ただ物事への反応が鈍い重度の鬱病さんかなんかにしか見えない。
というか、これさあ、製作陣は盲人を描く気なんか無かったんじゃないか?
なんか意図があっての事か、単にめんどくさかったのか、なんだかわからないが。
(少なくとも市の盲目設定を取り除いても『ICHI』には全く支障が起きない。
また、斬り合いだったら斬り合いで、
息を詰めたり飲みこんだりするような演技も綾瀬は全くやらない。実力伯仲の命懸けの斬り合いでも。
クールビューティとかそういう問題ではなく、もはや製作陣は脳や神経に障害がある。
こいつらが持ってる感情演出手法は目の端からポロリと流れるふざけた一粒涙だけ。
ダイジェストでレイプされる市の目の端から同じ涙がポロリと流れるのはもう完全にギャグ)
酷すぎる。
下手とかじゃなくてもはや意味不明。
監督は剣劇なんてもんに全く興味が無い上に勉強する気すら無いのが雄弁に伝わってくる。
動きの流れにケレンミ・リアリティどっちも求めない凄い奴なのはわかっていたが
『ICHI』ではそういう酷さが悪化している。
その綾瀬の棒みたいな動きばっかりクローズアップする撮り方するので
もうどういう攻防なのか誰にもわからない動きをする。
手傷を負うシーンは必ず腕や腿がアップになって服が破れるカットで説明し
どういう流れでそこを斬られたかは多分考えるつもりすらない。
時代劇を見てれば殺陣の下手糞な役者なんかはいくらでも出てくるし
(スローモーションでバチャバチャと血を出すのだけはお気に入りみたいで、
市も蹴られて盛大に血を吹くがあれはどう見ても内臓破れてるレベルの量。
何も考えて無いからどうでもいいんだろうが。)
市が能動性皆無なので
「稽古中の事故で母親に怪我させてから真剣が抜けなくなった」という
万鬼の顔面コンプレックスに匹敵するぐらいしょーもないトラウマでグジグジ悩む男で
万鬼党との戦いに加勢しては刀と鞘を持って「抜けないいいい」とパントマイムをするのが持ち芸。
毎度渾身の力で刀を抜こうとするが
いや、「真剣が抜けない」ってそういうことじゃないだろ。
この演技指導した奴も素直に従う大沢たかおも、脳腐ってんのか。
一応筋を最後まで書くと
それを綾瀬はるかはお得意の何も演技をしてない「本当の無表情」で聞き流し、
でもなんか心が動いて戻ってきて
宿場は救われた!終わり。
だんだん浪人に惹かれていった(ような描写は乏しいので鑑賞者が補わないといけないけど)市の脳裏一杯に
フラッシュバック的に大沢たかおの笑顔が映し出されるとこが感動シーンの最高潮ですが
盲人の市がどうして浪人の顔を知ってんでしょうね。
そこは聞き覚えた声とかかつて握った手とかで演出しろよと感じますが
前述の通り市の盲人性を真面目に扱わない製作陣にはどうでもいいことだった。
根本的な間違いとして、
更に自閉的な性格をあててしまったらどうにも話が成り立たない。
なんだかんだ言いつつ相当な世話焼きで、
腰は低いけど欲も意地もあるし優しいしよく怒る。
これぐらい濃い人格が噴出してくるから目の見えない体と釣り合いが取れる。
主役の人格はやはりアクの濃い悪い奴になっている。)
中学生が初めて書いた小説の主人公みたいにおもしろみのなーい傷心由来の内向的な性格で
こんなもんを目の見えない体に入れたらそりゃ話が動かずつまらん事になるのは当たり前。
おわり。
まず自分は女性だが、周りには何故か彼女が出来ない男の友人知人がいる。
その一方で特にイケメンでもないのに彼女が絶えずいたり、早々に結婚している友人知人もいる。
いろんな要因があるのかも知れないが、決定的な違いは「人の話をちゃんと聞くか聞かないか」であると思い至った。
例えば何か話を振った時に、それが全く興味のない話だった場合に
「へえ、こうこうこういうことなんだねー。それは◯◯(モテが興味を持つ分野)だったらこうでああで・・・」
「◯◯ってこうでああで・・・」
と、こちらが振った話は完全無視で、脈絡もなく自分の興味あることだけ延々と話す。
と言った具合で、非モテに「話聞いてた?」と思うことしばしばあり。
別にこちらが興味持つことに興味持てと言っているわけではない。
こちらの言うことに同意しろって話でもない。
まずはこっちの話をたとえ興味なくてもちゃんと聞けよ、という話。
基本的に女性は話を聞いて欲しい人が多いので、話を聞かないタイプは敬遠される。
得てしてこういうタイプは気が利かない。
さっさと先に歩いて行ったり、エレベーターでさっさと降りたり、飲食店でこちらの同意も得ず喫煙コーナーへ行ったり。
そのくせクリスマスメッセージとかよく分からないところで気を配る。
変に独善的だったりする。
俺のお気に入りの飲食店チェーンが最近韓国料理味のメニューを出したんだよね。
俺は韓国に対しては、韓流アイドルとかに向けるプラスの興味もないし、
かといって韓国ゴリ押しやめろ!日本から出て行け!とかフジにデモるほどのマイナスの興味もないんよ。
心底興味ないわけよ。
テレビつけて韓国の話ばっかりなのは、ちょっとやめてほしいかなー?って程度?
その程度の関心なわけ。
でもまあ好きな食い物屋が新メニュー出したとあらば大喜びで食いに行くじゃない?
で結構うまいねと思ったわけよ。これは個人の好みの問題だけどね。
ほんで嬉々として2ちゃんのその飲食店チェーンのスレに行ってレポ書きこもうとしたの。
したらもう目を疑うような韓国バッシングの単発ID荒らしが巣食ってるわけ。
彼ら曰く
「韓国料理味出すなんて〇〇も韓流に身売りしたんだな。きっと大株主が韓国系なんだろう。」
「韓国料理味出すとか神経疑う。韓国系企業なら衛生管理もザルだろうし食中毒出るんじゃね」
「韓国料理味が出ただけで店のすべてがマズそう気持ち悪い。しばらく近づかないでおこう」
まあここらの新メニューに絡めたバッシングはまだ良いけど(いや良くないけど)
しまいにゃあ、韓国は売春婦の血筋だから~、とか、何の脈絡もない暴言もチラホラなわけよ。ここまで来ると不快よ。
誰かが「〇〇チェーンに関係ない話はスレチだからやめないか?」ってやんわり排除しようとしても
「ほーーら韓国擁護が来たww早く祖国に帰ってくれねえかなーw」
「韓国擁護するとかお前らほんと情弱だねw」・・・馬の耳に念仏状態。
こいつらは一体なにがしたいんだろうか理解に苦しむよ。
俺はもともと「韓流ゴリ押しって、言われてみればそうかなー?やめてくれたらいいよね?」程度の認識だったのに
こいつら見て「ゴリ押し反対派はキチばっかじゃん・・・ネトウヨ何考えてんだ怖え」に変わったわけよ。
これってネトウヨのネガキャンして韓国擁護派を増やす逆キャンペーン?とか考えるのは考えすぎかな。。。
ごめんねおじさん情弱で。
俺のお気に入りの飲食店チェーンが最近韓国料理味のメニューを出したんだよね。
俺は韓国に対しては、韓流アイドルとかに向けるプラスの興味もないし、
かといって韓国ゴリ押しやめろ!日本から出て行け!とかフジにデモるほどのマイナスの興味もないんよ。
心底興味ないわけよ。
テレビつけて韓国の話ばっかりなのは、ちょっとやめてほしいかなー?って程度?
その程度の関心なわけ。
でもまあ好きな食い物屋が新メニュー出したとあらば大喜びで食いに行くじゃない?
で結構うまいねと思ったわけよ。これは個人の好みの問題だけどね。
ほんで嬉々として2ちゃんのその飲食店チェーンのスレに行ってレポ書きこもうとしたの。
したらもう目を疑うような韓国バッシングの単発ID荒らしが巣食ってるわけ。
彼ら曰く
「韓国料理味出すなんて〇〇も韓流に身売りしたんだな。きっと大株主が韓国系なんだろう。」
「韓国料理味出すとか神経疑う。韓国系企業なら衛生管理もザルだろうし食中毒出るんじゃね」
「韓国料理味が出ただけで店のすべてがマズそう気持ち悪い。しばらく近づかないでおこう」
まあここらの新メニューに絡めたバッシングはまだ良いけど(いや良くないけど)
しまいにゃあ、韓国は売春婦の血筋だから~、とか、何の脈絡もない暴言もチラホラなわけよ。ここまで来ると不快よ。
誰かが「〇〇チェーンに関係ない話はスレチだからやめないか?」ってやんわり排除しようとしても
「ほーーら韓国擁護が来たww早く祖国に帰ってくれねえかなーw」
「韓国擁護するとかお前らほんと情弱だねw」・・・馬の耳に念仏状態。
こいつらは一体なにがしたいんだろうか理解に苦しむよ。
俺はもともと「韓流ゴリ押しって、言われてみればそうかなー?やめてくれたらいいよね?」程度の認識だったのに
こいつら見て「ゴリ押し反対派はキチばっかじゃん・・・ネトウヨ何考えてんだ怖え」に変わったわけよ。
これってネトウヨのネガキャンして韓国擁護派を増やす逆キャンペーン?とか考えるのは考えすぎかな。。。
ごめんねおじさん情弱で。
父ちゃんが言ってました。
あなたが天の座にて見ておられることが
私にとってはずっと重荷でした。
最近とある記事が1000ブクマを超える反響を及ぼしたのを見て、
というわけで草食系ガールの人は「もしドラ」を読めばいいと思う。
岩崎さんが「マネジメント」を読んで心打たれた箇所を紹介するというコーナーでした発言。
最近は、愛想を良くすること、人付き合いを良くすること、人間を助けることが
マネージャーの資質として重要視されている。 そのようなことで十分なはずがない
事実、うまくいっている組織には、必ず一人は、手をとって助けもせず、
とっつきにくく気難しく、わがままなくせに、しばしば誰よりも多くの人を育てる。
それを一つ一つですね、ひっくり返していく、と。」
岩崎「これ。危険なんですよ。駄目じゃないんですね、危険である、と。」
(このあたりにむちゃくちゃ力を込めて朗読)
マネージャーに出来なければならないことは、そのほとんどが教わらなくても学ぶことができる。
岩崎「僕は、常に親からあるいは周囲から、人と仲良くしなければならないとずっと言われ続けてきたんです。でもそのことに対する深い疑問がありましたね。それで物事が解決できないし、良くもならない、と。
むしろ愛想をよくし、人を助け、人付き合いを良くすると、かえって事態が悪くなるということを本当に多く経験してきたんです。笑いなさいとか、人を助けること、人付き合いを良くすること、本当にすごく言われ続けてきて、「自分が本当に駄目なんじゃないか」と、生きて行く資格がないんじゃないかというくらい追い詰められたんです。
しかし結果的に僕はそれが捨てられず、人間からどんなに嫌われようと、自分の正しいと思うことを貫いてきたんですね。それがですね、誰にも言ってもらえなかったそれが、ここに、強い言葉で書かれていたって言うのが、まぁ心を深く打ちましたですね。うん。」
要するに、ドラッカーという権威ある人の言葉は、ある種の人間にとって、自己を正当化してくれるバイブルみたいな存在なわけね。
聖書もそうだけど、「自分が神の下にあって、敵対するものは討ち滅ぼしても構わない。むしろそれが神の国に至る道、正しいことなのである」くらい
敵を明確に設定してくれて、自分を正当化してくれる宗教ってのは、ある種の弱いくせにプライドが高い人間を惹きつけてやまないと思う。
もちろん、マネジメントも聖書もこんな単純な話ではないもっと深遠な知恵を授けてくれるものであるが、手っ取り早く強烈な救いを求める人はこういうところに飛びつくんだろうな、と。
実際こういうレベルで追い詰められた人間に、弱音を吐くなとか言っても無理。
「貴大くんはね、ほんとうはやさしい子なんだよって、先生ゆってた……」
会話としては何の脈絡もないところで、突然ぽつんと、オルタが呟いたことがありました。
学校はこどものだいじなところ。先生は熱心ないい先生。そして貴大くんも、ほんとうはやさしい、いいこども……
それじゃまるで、オルタの胸のなかにある、この苦しみだけが、よぶんなものだということになってしまう。
そして次第に、先生に告げ口もしなくなり、わたしにもなにも言わなくなり、「ほんとうはいい子」な貴大くんからの仕打ちにもできるだけ耐えて、一番いいことは、もう自分がこれ以上、なにも言わないことだと。みんないい人なんだから、後はわたしががまんするだけなんだと。それがクラスのみんなのためなんだと、自分に言い聞かせながら、きっと最後まで、先生みたいな人たちの期待どおりに、がんばりぬいただろうと思います。
最後まで……
つまり、
壊れるまで。
もしドラの主人公は、倫理感とかバランス感が崩壊している人物で、
他人の感情を無視して自分の考えをガンガン推し進めていくタイプであり、
一晩経ったらはてなブックマークが増えてて、なんだか申し訳ない元増田です。
元増田の言及はとてもいい加減なので、この件の正しい事の顛末は 「ヒナニー事件」でニコニコ大百科を探せばいい。『なお、この発言に関して運営は、発言直後、ロウきゅーぶ!終了後、アニメクルーズ終了後の計3回謝罪している。』(現時点の当該記事より引用)といった対応から、今回の件は生放送内だけの事件として、あとは関係者が視聴者の見えないところで責任取ったり取らされたりお金の問題で決着つけたりしてるんだろうと思う。
ていうか未成年キャラ相手に性的な話云々については、たとえばニコニコチャンネルではR-15も放送してるんで、気にし始めるとキリがない。それに、品のないコメントで溢れかえるのはニコニコならではのことなので今更気にしなくともよい。最近では、何の脈絡もなく淫夢厨(ゲイビデオに端を発する一部独特な言い回しをよく使うユーザーを指す。ブロント語みたいなものと思えばよい)が沸く中で配信を完走したAチャンネルという例もある。今回問題になったワードは、新たなニコ厨発のネットスラングとして、ロリキャラが出るアニメに対して末永く使われることだろう。なんだよ結局権利者にコメント誘導されてんじゃねーかばーかばーか、というのはニコニコチャンネルの動画で言ってはいけないお約束なので大目に見てほしい。
面白がって例のワードを乱発する輩はたいてい他の動画でも同じ事をやっているため、キーワードでNGをかけるのではなくIDでかけるとよい、ということが上記ニコニコ大百科のスレ内でコメントされていた。これも一種の馬鹿発見器になっているのだろう。このような点を踏まえ、元増田の選択肢には、
5. 184コメントは非表示 を 強制的にデフォルト にする。
という選択肢を付加しておきたい。そういう機能がニコニコ動画にあるかどうかは知らない。無かったとしても権利者が申し入れれば機能追加は容易だろう。有料にせずともコメが荒れにくい、馬鹿を特定した上でNG可能、という点で、個人的にはいい方法だと思ってる。
神様のメモ帳→ロウきゅーぶ!と繋いで1時間小倉唯でまったりするのが最近のマイブームです、と一応日記のようなことを書いて終わり。
ここのところ急に。
いったい何なんだろうこれは。
別にデブに恨みがあるわけでもないし、健康状態や生活や仕事も良好。
突然なんの脈絡も無くデブへのイラつきがインストールされた感じ。
街などでデブが近い距離で視界に入るとイラーッ!っとしてしまう。
不様に突き出した腹、みっともなく横に広がる尻。
もともとデブには寛容、というか何も感じないほうだった。
子供の頃から、デブがいじられたり馬鹿にされたりしてるの見てもよく理解できなかった。
今はデブを見た瞬間「怠惰」「だらしない」「図々しい」のような価値判断がパーン!と頭に入ってきて
目の前の見知らぬデブにすごい迷惑をかけられたような気持ちになっている。ヤバい。
デブをやたら嫌う人がたまにいて理解できなかったけど
急に理解できるようになってしまった。
なんでデブなのにそんなアホみたいな量の昼食を買い込んでんだよ。
この宇宙人に突然注入されたような、特定対象限定の説明不能のイラつき・怒りと言うのは何なんだろうか。
あーデブ全員死なねーかなー…
ちなみに見ている動画はゲーム実況、ゆっくり実況、TASなど。
自分でコメするときは滅多に無い(半年に1回あるかないか。あまりにコメの少ない作業用BGMとかに
大抵の場合、悪口。見ていて不快なのでNG。コメで不毛な喧嘩が始まっていたりもする。
「『女』をNGにしたら他のコメも巻き込まね?」と思うかもしれないが、ニコニコは小2文化。
主婦もスイーツも腐女子も、女だったらウゼーとおっぴらに叩いていいのである。
これらの単語は、ニコニコの特性上有益なコメもなく、ただ目障りなだけなので消去。
(いじってないので、今のverと違いがあるかも)
昔のニコニコプレーヤーで、ポチポチ押せば簡単にコメントを装飾できる、それに対応するNG
バカの一つ覚えで目立ちたい奴のほうが圧倒的に多い、そしてそういう奴に限ってロクなことを言ってない
「高校生で見てる奴いる~?」画面を埋め尽くす「ノ」「ノシ」
中高生はなぜ生まれ年を主張したいのだろう…
流れるコメへ、矢印で指摘してまで言いたいことがある…それは多くのケースが悪口である
「とりあえず覚えた言葉使ってみたい」のだろう、脈絡もないとことで「孔明の罠」や「フラグwww」
それでコメ欄で「ここ孔明じゃねーだろ」といさかいが起きていたりする。ワロス。
バカ、アホ、死ね、殺す、などは気にならないし、あまり見かけない
むしろバカなど「バカwwww」と相手のバカさ加減を褒める意味合いで使われることもある
中高生も
社会人もおっさんも
でもここ最近、明らかに見てわかる中高生が減ったような気もする。
なんなんだろう。
スイーツなだけな人なら、まぁそういう人かってお申し接点もないから気にならないけど、
技術系の仕事してる女性でなんとか女子って名乗る人が増えてる気がする。
女子って名乗ってるけど20代後半、または30代だったりするし、それって女子なの?とか思うわけだ。
あとなんだろう。
いちいち♪マークつけてみたりとか、なんの脈絡もなく◯◯の香水がお気に入りでどうたらとか言い始めたりとか、なんとかでランチ♪とか。
なんかすごく似あってないのに頑張ってる感が漂ってたりとか、勉強会でちやほやされて彼氏できちゃって、調子こいてる感とか。
なんだろうなこのイライラ感。
嫉妬なのかもな。
その事実に気がついたのがあまりにも唐突かつ脈絡の無いことだったので、わたしは心底びっくりした。
夜中に一人でテレビを見ていた最中のことだった。マグカップに紅茶を満たして、いやにCMが挟まれるアクション映画を眺めていたわたしは、ふいにわたしという内実が空虚であることを悟った。
それはもう天啓というか、ピンと光り輝く雫が頭の上に垂れてきたような発見であり、驚愕に眼を見張るだとか愕然のあまり硬直してしまうなんていう身体的反応をも許さず、呆れんばかりの正当性でもってわたしの身に降り掛かった。否定することも拒否することも叶わない。ただひたすらに、ああそうなんだ、と納得することしかできなかった。
わたしという人間は、その精神の底に到底見過ごすことのできない黒穴を孕んでいる。穴は、いわば吸引力を持たないブラックホールのようなもので、わたしが見たり聞いたり触れたりして得た感動なり情動をするすると呑みこんでいってしまっている。
思い返せば、わたしは誰かからよく冷めやすい性格をしているよね言われたことが多かった。マグカップをサイドテーブルに置いて記憶の糸を手繰り寄せてみると、出るわ出るわ、級友や部活友達、先生やサークルの仲間、同僚や上司からも、冷めやすい性格であることを示唆する言葉をたいへん多く頂戴していた。
家族からも頻繁に言われていたくらいだった。ぼんやりと映画を眺めながら、わたしはわたしの中にぽっかり開いた黒穴を意識してみる。
膨らみを持った円筒形のわたしの底に、黒い点がちょこんと穿たれているようなイメージ。上の方から注ぎ込まれたたくさんの感情は、円筒形のわたしに認識されながら、やがて黒穴へと近づいていく。ぎゅーっと引き伸ばされるように圧縮されて、底の見えない穴の中へと落ちていく。
なるほど。確かにそういうことになっている。それは紛れもない事実だった。確認はできないけれど、わたしはどうしようもなく確信してしまったのだ。気付かされて、受け止めてしまった。わたしの中にはびっくりするくらい何でも呑み込む黒い穴が存在している。
わたしは、助け出したヒロインを目の前で殺されてしまった主人公をぼんやり見やりながらふと、黒い穴に落っこちた感動や情動はどこへ行ってしまったのだろうなあと思った。わたしの中にある黒穴に落ちたのだから、当然わたしの中にまだ残っていてもいいような気がするのだけれど、なんとなくそれは間違いであるような気がしてならない。
なにせわたしには、受け取ったはずの感動を絶対的に手放してしまっているという実感があったのだ。いや、実感などというあやふやな判断で論じなくてもいい。事実として構造上わたしはそれらのものを汲み取ることができていないのだった。
記憶として、あるいは思い出としてならば、確かに追想することは可能である。感傷に浸ることだってできる。身悶えするようなこともいくつかは経験してきたのだから、そう言った記憶を思い返すことなら、わたしにだってきっとできる。たぶん絶対にできる。
でも、追体験だけは絶望的に不可能だ。わたしはその時その時で落ちゆく感動を確かに観測してはいたものの、それがいったいどのような感動なのか、どのような実像を持つ『もの』であるかを、記録すること以外に汲み取ることができなかった。いつどんな時であっても、わたしは落ちゆくものどもについて、実体があるものとして肉体的精神的感覚で感じ取ることができなかった。
つまるところ、それらの経験はただただわたしの前を通りすぎていっただけで、最終的に穴に落っこちたのだ。その先のことは全くわからない。どうなってしまったのかなんて今まで考えたこともなかった。
どうしてなのだろう。どうして穴の奥のことがわからないのだろう。考えて、わたしは黒穴の底を覗き込んでみようと意識を傾ける。わたしの中にある黒穴。きっと見つかると信じていた。目の前の画面では派手な爆発が断続的に生じている。誰かが大声で叫び声を上げている。紅茶は半分ほど飲んでしまっていた。結局黒穴の底はちっとも見通せなかった。
不思議なものだ。少し疲れたわたしは眼を閉じて深く息をついた。それからもう一度、不思議なものだと思い直す。わたしの中にあるはずの黒穴は、わたしではないどこかへとその穴をつなげているのである。その精神的構造上の不可思議さが奇妙だった。わたしはわたしとして今ここにいるはずなのに、そのわたしの中にわたしではないどこかへとつながる穴が開いている。わたしはわたしであるはずなのに、同時にわたしでない何か、あるいはどこかを内包している。受け皿としてわたしは、決してその穴の行く末を確認できず、ただただ呆然とすることしかできないのである。
すごいな。素直に感心した。わたしとわたしの中にあるわたしじゃない黒穴との間に生まれた関係性にひれ伏さんばかりに感心してしまった。不思議なことがあるものだ。三度そう思ってわたしは紅茶をすする。ずるずるずるずると。たいへん美味しく頂く。上手に淹れられたのだ。少なくなっていくのが惜しいくらいだった。空になってからも、寂しい気がして紅茶を吸い込み続けた。どんどんどんどん、吸い込み続けた。するとマグカップが、マグカップを持っていたわたしの手のひらがきゅーっと引き伸ばされて口の中に流れこんできた。音もなくわたしはわたしの身体を呑み込んでいく。するするするすると呑み下していく。右手を、肘を、肩を。喉は一度も嚥下していない。それでも勢い良くずずずと呑みこんで、右胸を下半身を、左脇腹を胃を肺腑を心臓を左腕を両耳を頭蓋を眦を鼻頭を、どんどんと口の中に含んでいく。
ついには口まできゅるるんと吸い込まれて、わたしはわたしの中にあった黒穴になる。黒穴がわたしで、わたしは黒穴の中にありながらまたその中に黒穴を抱いており、何度も何度も吸い込み吸い込まれていくことを繰り返している。
わたしという内実は空虚なのだ。
一際大きな爆発音と閃光がテレビから発せられた。はっとして我に返る。いつの間にかマグカップを手にしてぼんやりしてしまっていたようだった。
映画の中で助けだしたヒロインを主人公が抱きしめている。この先彼女は殺されるのだっけ。思ってぼんやり見ていたけれど、結局最後までヒロインは死ぬようなことはなく、悪役は倒されて幸せなエンディングを迎えることができた。
チープな物語。あんまり面白くなかった、と感想を抱きながら、淹れてから一度も口に付けなかった紅茶を飲もうとマグカップに手を伸ばした。
あるね~それ!
俺の職場にすぐ人の悪口言うオバハンがおったのだけど
悪口対象の人物とはほぼ無関係に「けちんぼ」か「暗い」って言うんだよね。
ちょっと不思議に感じてたんだけど、オバハンと付き合っていくうちに理由がわかった
総合職第一期として男社会の中で頑張ってきた(その中で心が歪んだ)人だったのよね。
つまり「貧乏」「けちんぼ」は思春期から大人になるまでずっと本人の引け目だったトラウマワードで、
「暗い」は社会人になって以降絶対言われないように努力を重ねて忌避してきた言葉だったの。
だからそのオバハンが人を貶そうと思いたって、しかし相手に特段の落ち度がない場合、
脈絡なく「けちんぼ」か「暗い」が出てきてしまうって仕組みだった。
なんかコワ悲しい話だと思わん?
更に言うとオバハンは既に両親と死別して独身子無しだった。