はてなキーワード: キャッシングとは
以下の状況でスタート。
・大学3年の時、高校から好きでよく会ってい友人どまりの先輩に振られて、激鬱に(相手はバイト先オーナーと不倫中)
・当然就活とか手につくはずもなく、再度就活しようとわざと留年、それを2回。しかし氷河期でどうにもならず
・結果として無職の25歳が世に放たれ、学生時代に作ったカードのクレカキャッシングとかで生活。都内一人暮らし。
でまあ、暇だったので増田を読んだり書いたりしてた。100−200くらいは当時ブックマークされたエントリもあったかも。
いろんな人生の人がいるよね。はてな村は、増田にはその、カフェラテでいうと一番黒い部分が集まってると思うんだけど、
有益なライフハックや、面白い記事も多くて、無職の自分の参考になるものも多かった。
人生の役に立った増田記事も多いので、過去の振り返りを書いて、それが誰か読んだやつの参考になればいいなと思う。
・学生時代に借りた家賃2万の風呂なしアパートからスタート。学生街にあった最安値物件を借りて、大学院生のふりをして入居
・派遣フルタイム仕事を開始。最初時給千円台だったと思うけど、どんどん契約の切れ目で乗り換えて時給2100円のヘルプデスクを開始
・それで月収30万くらいにはなったので、8万円とか普通のアパートを借りられるようにはなった。でもまだ年収300万円台
・初の正社員(外資)へ就職、派遣で外資オフィスにいたりもしたので、英語読めます、外人と働くの抵抗ありません(抵抗ないけど話せない)と自己アピール
・「年収300万円台なので月額40は欲しいです!」と言ったらエージェントが交渉して月40x12で年収480万の正社員になった
・しかしスキルが足らず2年以内に首。外資だからクビになる。(これ以後も何度かなった)
ここまでが初めて正社員になるまで。
・都内の家賃を払えないので郊外に引っ越す(都内でも2−3万で風呂付きのエリアはあるぞ)
・半年間、十数万円の雇用保険手当をもらいながら、郊外のサイゼとかでパソコン開いて無限インターネット
・色々あるエージェントに登録してたら、数ヶ月のお仕事(時給二千円ちょい)をもらう
・その次に、またテクサポで時給二千円台、年収300万円台の暮らしを再開して、一年半派遣低収入都内住み。
・流石に三万のアパートから一時間半かけて都内に来るの厳しくて職場付近に七万のマンション借りる(なぜかエアコンなくて冬は震えてた)
・一年半派遣して、正社員になりたくて就活開始。結果、月給50万x12で年収600万でまた外資の正社員になれた。(単に前任者がやめて、自分のスキルがマッチした幸運)
・5年半くらいそこで正社員をやった。
・ADHDなので、職場の人間関係が厳しくなり(まあそれまでも数ヶ月とか2年以内に辞めてたんだけど)転職を検討
・東京から離れ、名古屋で心機一転、契約社員として勤務開始(なんか面接官が元お客様で、安かったんだけど惹かれてしまった)
ここまでのまとめ 0→350→480→0-→300→380→600みたいに年収は推移してる。(自分でも書いてて意味がわからん人生だけど、このあとさらに意味不明になっていくよ)
・名古屋の暮らしに耐えられず(名古屋一度住めばみんな耐えられないと思う)、三ヶ月で契約更新せず都内に戻る決意を固める
・当時普及し始めてたリモート面接で、東京の国内ベンチャーに内定、入社。ベース50x12+ボーナス200≒年収800に。
なんとここまでで3回無職になっています。年収推移位は、0→350→480→0→300→380→600→800→0
・みんなが名前を知っている外資を10社あげたら出るような会社、それらを5社1−2年で入ったり辞めたりした。
・前職の800から一度700に下がったけど、年収下がってモチベ上がらないのと、体調もキツくてすぐに辞めた。
・その後、今700で月給65万くらいなので、800万台後半がいいですと探し、870で転職。
・でも当然、ADHDなので、職場では人間関係がキツくて常時転職を考えるように。
・再度入院、入院中にリモート面接をし、1000を超える内定を得た。病院の庭からノートパソコンで面接したよ。
・1000になってもやっぱりADHDで職場では人間関係がキツくて、すぐ退職。外資ジョブホッパーとして完全に手慣れてきて、一年で転職
・「今1000なので、サインインボーナスを100とか載せて1100とかでどう?」と言われて入ったが、割とボーナスが出て1150
・「今1150なので、まあそれ以上なら」みたいな感じで1200を超える。この時点で、月収が100を超えた。
ここまでの年収推移位は、0→350→480→0→300→380→600→800→0→700→870→1000→1150→1200
なんかRPGのボス戦で死んだキャラを繰り返し生き返らせて戦ってるみたいだね。
まとめると
・派遣時代に外資オフィスでサポートやったので英語に抵抗がなくなった
・「月収〇〇万円にあげたい」とエージェントに言うと、それを満たす契約でいい感じにまとめてくれた
・一度無職になって絶望しても、わりと雇用保険で無職を食いつなげて助かった。
・退職前に郊外に家賃安い部屋借りれば、雇用保険の範囲で長期耐えられる。
・外資は一年半でやめるようなやつでも割とスキルマッチすれば雇ってくれる。
・年収何度も下がってるけど、その時に学んだスキルがマッチして、のちに高待遇につながったりもした。低収入でも腐らず学べばいいかも。
国内企業はもう、履歴書の職歴見ただけで書類通過することはないと思うんだけど、
また無職になってみて、今後何ができるか考えてみたいと思う。現実的には、また外資かフリーランスしかないと思うけど。
親には国公立大の学費を払ってもらい、月数万円の仕送りを貰っていたが別に太い実家ではない(と思っている)
就活は氷河期とリーマンショックの間の世代で大学を出て就職は普通にできたから運は良かった方だ
学生の頃にバイト代を貯めて韓国とタイに行き、日本と違う空気や文化やメシに触れるのが楽しかった
地方の安月給の会社に就職してからも通勤途中でよく読んでたのは海外旅行のweb記事で、それによく出てきたのが会社辞めて世界一周してる人たちのブログとかだった
なんだかんだ5年で会社辞めることになって、退職届出した時に貯金が250万ほどできており、ふと世界一周できるな?したろ!
行きたい所は3つだけ決めていたが、ルートは未定で、基本的に現地で次の目的地への交通手段を手配する感じだ
最初の目的地はネパールで、上海から昆明まで40時間超の長距離列車で移動し、そこから飛行機でカトマンズに入る
漫画版神々の山嶺を読んでエベレストを見たかったので、ベースキャンプへのトレッキングをした
4500mを超えたあたりからクソしんどかったが生のヒマラヤは鮮烈だった
そっからインドに行き、一ヶ月ほど時々腹を壊しながらカレーを食べつつインド人に騙されたり頻繁にボラれたりし、スリランカからシンガポールへ飛び、シンガポールから第二の目的地タイのバンコクへ陸路で移動する
その後ビザが必要なミャンマー以外のインドシナ半島各国を麺や焼き飯を食いながら一周し、次は西へ行きたいと氷入りのビールを飲みながら思っていたところ、マレーシア航空のドバイ行き格安チケットを見つけたので予約し、ドバイではオイルマネーの力に驚嘆し、世界一高いビルのブルジュハリファは入場料が高かったので外から見た
飛行機で紅海対岸の禁酒国家イランへ、イランは旅人には親切にしろと刷り込まれているムスリムの国なのでいい所だが、テヘランのバスで男にケツを撫でられる
後で知ったがゲイがバレると当地では死刑になるので外人をターゲットにするそうだ
イランは当時も経済制裁の影響でatmでのキャッシングが使えず、米ドルを街中で両替するのが面倒なことと、酒が無いので1週間くらいで出国することにし、バスを乗り継ぎアルメニアに抜けて飲んだワインはクソうまかった
当時まだグルジアだったジョージアはワインもうまいが料理がとてもうまい、元栃ノ心さんがワインの輸入するそうでがんばってほしい
シュクメルリが話題になったがヒンカリ、ハチャプリ、ほか名前もわからん料理などどれもうまかった
黒海沿いに移動して、パンがクソうまいトルコでカッパドキアとイスタンブールを回り、ボスポラス海峡を渡ってようやくヨーロッパへ入り、ブルガリアでヨーグルトを食べて元琴欧州鳴戸親方の生地ヴェリコタルノボを歩いた
ヨーロッパはさすがに文明的で、旅するのに快適であまり苦労した覚えがない
バルカン半島経由で北上し、ポーランドから船でスウェーデンに渡り、ノルウェーでサーモンを食うため北極圏の町トロムソに行き、魚屋で買ったサーモンとオスロで買っておいたスシライス(カリフォルニア米)を炊いて寿司を作って、ホステルで一緒になったドイツ人カップルに振る舞いながら500mlで1本700円くらいするシロクマのラベルの缶ビールを飲んでいたところ、オーロラが出たので見られたのは幸運だった
ノルウェーは物価が高すぎたためオスロ空港で出国前に2晩ほどベンチで寝てたら警備員に注意される
インドで知り合ったスコットランド人学生を訪ねてライアンエアーでオスロからエジンバラへ、夜ギグに行こうと言われて半地下のクラブへ連れて行かれる
さっきまで壇上でサックスを吹いてたシュッとした青年が普通にアンフェタミンを勧めてきてびびったが、すでにエールで酔っ払っていたので楽しかった事しか覚えていない
そこからメシと酒がクソうまいバルセロナへ飛び、夜な夜なバルでセルベーサを飲み、昼はパエリアを食ったりおやつにバレンシアオレンジをかじり、マドリードの安宿の屋上テラスの藤の椅子に座ってチーズとハモンで赤ワインをやりながらどこに行くか迷っていたところ、サウジアラビア経由エチオピア行きのチケットがあったのでアフリカに入り、大地溝帯に沿って南下し、ケープタウンまで陸路で移動することにした
アフリカはどこの国も同じで当然黒人ばっかりでメシがまずく、衛生状態も治安も悪く交通機関もクソだが、ヤリまくって産みまくって死にまくるという原始の人間の生活を見られたほか、やたらと多い子供は汚いがかわいかった
あとサバンナは最高にきれいで、朝焼けの露に濡れた草原が輝く景色は忘れがたく、ライオンやキリンやゾウは動物園で見るのと全く違う美しさだった
ナミビア、ボツワナ、南アフリカはサブサハラの中でも経済が強いのでそれなりに文明的な旅ができたが、ナミビアの乗合バンのエンストはしょっちゅうで、止まったバンを乗客みんなで押しがけした
乗客同士で一体感が生まれて面白い体験だったが、ライオンのいるサバンナで夜中2時に止まった時はヒヤヒヤした
ケープタウンで久しぶりにうまいワインを飲みながら南米行きのチケットを探して、カタール経由ブエノスアイレス行きを見つけ、カタール航空の機内食のハーゲンダッツが久しぶりのまともなアイスクリームだったので感動して3個も食べた
アルゼンチンは肉とワインがメチャ旨く安いので、毎日安ワインを1本ずつ開けた
チリのワインも当然うまく、フロンテラというのが安くてお気に入りだった
このワインは日本でも飲めるが、やはり現地と味が違うような気がする
アルゼンチンやチリはバス網が発達していて、車内は三列シートが基本でゆったりでき、パーサーがいて食事やワインのサービスもあり快適だったが、普通に丸2日バス移動とかがあり広すぎである
南部パタゴニアの名峰フィッツロイやチリのパイネでトレッキングをして、道中一緒になった日本人女性に恋をするが思いは伝えられずそのまま別れた
この人とは帰国後たまに会ってメシを食う仲だが、一度冗談ぽく結婚しないかと言ったら、お前のような貧乏人とは結婚する訳ないと言われた
チリを北上してアタカマ砂漠の星空を見て、それから三番目の目的地ウユニ塩湖へ向かう
昔ポカリスエットのCMでビートたけしが立ってた鏡張りの景色で有名な所で、ちょうど日本の大学の春休みシーズンだったため、ウユニの街は日本人学生だらけでちょっと辟易したが、さすがに見渡す限り鏡張りの光景や遠近感の無くなるほど遠くまで広がる塩の平原はめちゃくちゃにきれいだった
そのあとペルーへ移動しマチュピチュに行ったが、すでに遺跡を腐るほど見ていたのでやや感動が薄かった
ペルーあたりからラムが安いので、全世界同じ安心安全のコカコーラを買って毎晩ラムコークを飲んでいた
バスを乗り継ぎエクアドルのグアヤキルに行き、ガラパゴス行きの飛行機を待つ
グアヤキルで数日滞在した安宿から15分くらい歩くと、カラフルな家がびっしり建つ丘があったので、ぶらぶらしていたらおばちゃんに呼び止められる
スペイン語はほぼわからないが、この先に行くと死ぬ的な事を言っているようで、あとで調べたらその先には有名なスラムがあった
別に一人で帰れるがおばちゃんの息子らしき人にホテルまで送ってもらう
グアヤキルは新婚旅行で訪れた日本人夫婦が強盗に遭い、旦那さんが殺された事件があった所である
ただしガラパゴス諸島は観光地のため、先進国並みに治安は良く、物価も同じくらい高い
アシカやウミイグアナがうじゃうじゃおり、進化論で有名な鳥のフィンチも数種類見てリクガメも写真に撮れたのでとても満足した
南米本土に戻って北上を続け、コロンビアのボゴタでオーパーツの黄金ジェットを見たが絶対あれは魚だと思う
このあたりで日本を出て1年少々経過しており、だんだん旅に飽きて働きたくなってきたので日本へ帰るチケットを探しはじめ、フロリダを経由してニューヨークから日本へ帰還した
成田の「おかえりなさい」のサインを見て泣きそうになり、缶コーヒーとコンビニのざるそばがうますぎて泣いた
使った金は約200万円、1年1ヶ月の旅だった
今はちゃんと再就職していい年になってしまい、結婚して子供ができたりして、出張以外でなかなか海外に行くことはないが、たまにあの頃は楽しかったなあと思い出す
初対面の人間にこんなこと言われても困ると思いますが、話を聞いてくれるとうれしい
この日記を読んで本当にびっくりしてしまって、返信をするためにはてなのアカウントを作りました
こんな言い方をすると恩着せがましく聞こえると思いますが、恩を着せたいわけではなくて必要を感じたからです
道を歩いてて急にぶっ倒れた人がいたら声をかけて、必要があれば救急車を呼ぶでしょう? それと同じ
あなたはそれくらいやばい状態って分かってもらいたくてわざわざ書きました
ごめん、糾弾したいわけではないです
日々のしんどさを麻痺させるために自分で見つけた最適解が今のその生活なのだと思う
自分なりの最適解を見つけて頑張って生きてるのはすごくえらい
でもあなたは本気で困窮してないって言ってるけど、慢性的にキャッシング枠を使い切ってその生活をしている状態は本気で困窮している状態です
相談するのは恥ずかしいという気持ちはわかる、こんなの困ってるって言っても自分の気持ちの問題だし……くらいに思ってるかもしれない
でも本当に手遅れになってしまう人は、あなたみたいにその瞬間まで自分が本当に困窮していることに気づかないんだよ
あなたの大切な人(家族や友人でもいいし、もしそんな人思いつかないというのであれば「もしいたとしたら」って想像でも全然いい。大切な親友や恋人とかね)がもしそんな状況に陥っていたらどうする?
大好きな彼女が毎月キャッシング上限まで使って服買いまくってそれですり減ってるとかさ
耐えられなくない? 今すぐ助けなきゃ本気で手遅れになる、って思いませんか
わたしはあなたに対してそう思ってるよ。ものすごい依存症ですよ。重い精神疾患です
責めたいわけじゃなくて、例えば大怪我して血を流しているのにそんなに痛くないし手当しなくて平気って自分で思ってる人みたいな状態ってことです
今のうちに、恥ずかしくって相談できないな、これって寂しいよなぁ、くらいに思えているうちに人に相談してください
たぶんもっと症状が進むともっと相談するのが怖くなる、億劫になる
とは言っても家族や友人に相談するのはすごくハードルが高いと思う
まずは「(自分の住んでいる)都道府県 依存症に関する相談窓口一覧」とかでググってみてほしい
具体的には精神保健福祉センター、保健所、依存症対策全国センター、ASKなどのNPOとかかな
どこに相談したとしても無碍にはされないはずですよ
もしあなたの症状はその機関では対応できないということであっても適切なところに繋げてくれるはず
それができなければそれはその機関の問題で、あなたが恥ずかしいことをしたというわけではないです
依存症に困ってる人を手助けするって名目のくせに出来てねーじゃんダメ機関だな、くらいの話です
頼むから人に相談して、適切な対処をして依存症から抜け出してください
そして幸せに生きてくれ
なけなしの100万ぐらいあった貯金を風俗にはまって溶かして、
おろした現金を握りしめて風俗に行く生活をしているが誰にも言えないし相談してない
貯金が目減りしたときに自分の収入にあった通い方に安定させたかと思ったが毎月クレカのショッピング枠とキャッシング枠が回復するのを待つ自転車操業になってしまってる
使いすぎた月は現金もキャッシング枠もなくてクレカ支払いでしか生活できない一週間、とかたまにあってヒヤヒヤする
金を工面することは楽しくはないし無駄にすり減る
本気で困窮しているわけではないけど相談するには恥なのでできない。
根本的な問題は女がいなくて風俗に通ってしまう環境と浪費癖なのだけど、
「P(パパ活相手)は別だよ、あくまでも彼らは私の将来に投資してくれてるから、恋じゃなくて私の未来にお金払ってくれてる。しかも、私の将来価値わかるような能力のある人々だから」
「おぢたちは能力も何もないただ恋にお金を払うお馬鹿さん。能力ないから資産も築けない精々500(万円)くらいが関の山」
「ジジイが定期預金解約してくれたり、カードのキャッシング限度上げたりしてまでお金くれるようになって怒号は嬉しいです🥰」
「男性に傷つけられるなら、とことん傷つけてもらい、その対価をもらおうと考えるようになった」
「今回、私のようにりりちゃんに救われた女の子たちから、りりちゃんを奪ってしまった。公認会計士や弁護士になり、りりちゃんの子どもだましの魔法ではなく、正しいやり方で女の子たちを救いたい」
「私のように傷付けられ苦しんでいる、りりちゃんに救われた女の子から、りりちゃんを奪ってしまいました。だから私は、弁護士になって、りりちゃんの子ども騙しの魔法じゃなくて、クリーンな法律で、正しいやりかたで、りりちゃんの代わりに、ひとりでも多くの女の子を救えたらなと思っています」
「私が一番つらく、一番努力していると思っていました。自分が、自分が、自分が…、そう考えていました。」
「逮捕されるまでは1人で戦っていると思い込み、好きでもないおじさんに毎日LINEし、お酒を飲み、公認会計士を目指して週50時間勉強をして、くたくたでした。」
「今回、私のようにりりちゃんに救われた女の子たちから、りりちゃんを奪ってしまいました。りりちゃんの子どもだましの魔法じゃなくて、クリーンな法律で、正しいやり方でその子たちを救わせてほしい。守らせてほしいです。泣き寝入りさせたくないし、無理してつらい仕事をしてほしくありません」
「私は合コンをセッティングしてあげることはできませんが、どうして恋人ができないのかを教え、異性に嫌悪感を抱かれないよう、プロデュース、コンサル、支援をすれば、一助になると思っています。被害者の方々にしっかりとしたパートナーができれば傷は癒えていくと思いました」
「被害者の方から示談の条件として、かなり高額な慰謝料を請求されました。加害者として反省していますが、その要求をのむということは、昔から性被害を受けていた私にすると、少しくやしい思いでした」
「心の“見えない傷”は難しいですが、お金に関しては慰謝料もお渡ししたことで、目に見える傷は回復というか…できたと思っています」
「(頂き女子になった経緯は)それは(拘置所の)外に行ってから話したいなと思っていて。私的にも面白い経緯があったので、そこは自分で発信していきたいです。X(旧Twitter)や、SNSを使って発信を考えています」
「大切な人に金銭的にも損失を与えてしまったので反省しています」
「(拘置所で)ずっと勉強をしているのと、結構つらい日々を過ごしていて。反省をする中で、最終陳述でも話したかと思うんですが、過去に受けていた性的トラウマのフラッシュバックを受けて、幻覚幻聴を覚えるようになりました」
「(性的トラウマは)例えば被害男性からですね、恋人関係とはいえ頂き女子は男性とエッチをしなくてもお金を頂けるってところじゃないですか。でも、お金をもらう時に、そういう関係を示唆されるというか『エッチするならお金あげるよ』とか。車内で覆いかぶされたりキスされそうになったり…でも被害男性からは500万円を頂いているなら相殺されていいかなと、その時は思っていました」
「今まで(男性に)すごく消費されてきたので、過去に普通の居酒屋バイトでベロチューされたり、家庭教師の売り込み電話みたいなのをするバイトなのに風俗のコールレディ代わりに使う方とか。あとは、高校の受験日に痴漢にあって落ちてしまって」
「みんなにですね。会計士や弁護士になれるわけないだろっていう批判が多かったと思いますが、そういう人に復讐をして、なれるという姿を見せたいです。頂き女子は世の中にいっぱいいると思うんですけど、ちゃんとした形でお金を稼いで男性から消費された時の反撃というか、その方法をしっかりと教えてあげたいです」
「(拘置所を出たら)一番は、逮捕されてもそばに居続けてくれた方、外にこの後出てもよくしてくれる方に、恩返ししたいと思っています」
リボ・キャッシング含めて300万の借金があったが返済が月に10万を越えてしまい返済が厳しくなり、たまらず親に
「ご、ごべんなざい!月々のお小遣いではやっていけずにギャンブルで増やそうとした結果借金が増えてしまった;;」
と打ち明けると即日現金で300万を用意してくれて、
「払ってこいバカタレ」
それ以来お金を稼ぐ大変さを痛感したのでお小遣いだけでやりくりをするようになり、人生をやり直せている。
それで思ったのが、300万を即金で用意してくれないような人は親になるべきではないんじゃないかと思った。
お金によって親に感謝・尊敬することがあったのだから、その逆もあるんだと思う。
なんというか、負の連鎖を断ち切るセーフティーネットみたいなの(人生を手軽に終わらせられる施設とか)があると助かる人もいるんじゃないかなとか思った。
何度もチャンスは与えてきた。
決して少なくない金額を貸し、そのたびに彼女はまつ毛エクステだのネイルだのにその金を使った。
自己破産の手続きを取れば車がなくなるというので、自分が乗っている車を渡したが、
生活費を切り詰めながら、自分の子どもに使う金を回しながら、何をしているんだろうと毎日思っていた。
2年間、援助を続けた。
家計簿をつけて収支を把握し、毎月収支が少しでもプラスになるように計算して過ごせといった。
そのうち、家計簿に本当のことを書かなくなった。
しまいには、祖母名義のクレジットカードでキャッシングをして、お金を確保していた。
今思えば、母の手は、いつもきれいなネイルアートが施されていて、
60を前にした皺が目立つ白い手に不釣り合いだった。
限界だった。
自分の家庭を守るために、母と縁を切ることにした。
「なんでこんなに頑張っているのにそんなひどいことをするの。
というようなことだった。
母に何か母らしいことをしてもらった記憶はない。
主に私を育ててくれたのは祖母で、母はいつも好きに生きていた。
楽しい思い出や、美しい思い出など、何もないはずだった。
それなのに、非常に悪いことをしている気持ちにさせられた。
自分が加害者であるような、人の幸せを壊してしまうような、そんな痛みだった。
正しいことをしているはずなのに、苦しくて辛くてたまらなかった。
一種のマインドコントロールなんだろうか。
まだ、回復できたとはいえないが、ここで負の連鎖は立たなければならないと思っている。
今は少し休んで、時が過ぎるのを待とうと思う。
ちょうど、桜田淳子の合同結婚式などで世間を騒がせたあとくらいで、たぶん霊感商法とかもまっさかりの頃だ。
ちなみに、私は信者ではない。
私は中学生くらいのころにビデオセンターに連れていかれたが、幸か不幸か中二病をわずらっており、「自分こそが神」だと信じ込んでいた。
そんな私には、ビデオの内容は全く響かなく、母親は私を信者にするのをあきらめたらしい。
とりあえず、表面上は。
しかし、毎日毎日、お風呂の時に風呂場で私の名前と「伝道できますように」を連呼する。
センターに連れて行って積極的に勧誘することはあきらめたけれど、心の底では私も信者になることを願っているのだ。
実家の壁は薄い。
声は丸聞こえである。
その声を聞くたびに、とても気持ち悪く、気分が最悪になって病みそうになる。
母のせいで、家庭はめちゃくちゃだ。
旧統一教会は、今の名称を世界平和統一家庭連合や、世界平和女性連合という。
人の家庭を壊しておいて、何が世界平和だ、真の家庭だ、真の父母様だ。
母は、貯金も家計のお金も献金しつくし、弟の奨学金にまで手を付けて、
私にクレジットカードのキャッシングをさせようとし、父にばれ夫婦げんかになり、離婚騒動になった。
結局、世間体もあり離婚はしていないが、夫婦仲は冷めきっている仮面夫婦だ。
心理学も学んだ。
毎日毎日、私のフルネームを言われて、悪魔のような伝道できますように、の唱和。
私が家を出ても、続くのだろう。
私が旧統一教会信者になることは、天地がひっくり返ってもないが、日本には言霊という概念もある。
幸い、私は昨年結婚した。
もうすぐ、家も離れる。
でも、母は直らない。
いっそ、死んでほしい。
と思ってしまう。
親不孝者なことは承知の上だ。
育ててくれた恩はある。
信者でない部分の母は好きだ。
でも、20年来の信者である母には、宗教ももうきっと母の一部なのだ。
一番いいのは、宗教を辞めてくれることだけど。
そんなのは無理なので。
母の死を願ってしまう。
親不孝者の雑記でした。
奨学金を借りた。
抜け出すために大学進学を決めた。親を見るに低学歴は貧困の再生産だということを子供の頃からうっすら理解していた。ところが進学するだけの金はなかった。
奨学金を借りて卒業と同時に500万の借金。初任給手取り16万〜18万前後になるとは聞いていたからその中から毎月2万を十数年払うのはきついと説明会で瞬時に判断した。
しかし、大学に行かない限りはキャリアの制限がひどい社会。当時はキャリアという考えはなかったが、大学にいかないとまともな職にはつけはいイメージはあった。
その場で思いついたのは自己破産で奨学金を飛ばそうという計画だった。
世の中にはなんの苦労もせず、仕送り20万で親が学費も家賃も払って、学生として遊んでクリーンな状態で卒業できる人間がいる一方で、日々バイトに明け暮れ卒業したら500万の借金するやつもいる。不公平を覆すためには頭を使うしかない。誰かに肩代わりさせてでも、自分だけはババを引くのは避けなければならない。
高校生のころ、そこそこネットができたのでカードローンや自己破産についてのseoライターをやってお金にしていたのも役に立った。
決めたらあとは自己破産の条件や計画的に不自然に見えない方法を模索するだけだった。
立てた計画は学生時代に生活苦で借金をして、その重荷が積み重なって(返すための借り入れをするような悪循環になって)自己破産。メインはそっちでついでに奨学金もきついから飛ばそうというシナリオ。
大学生活はアルバイトで月10万を稼ぐ一方で、カードローンやキャッシングで250万の借金をつくった。
卒業と同時に借金は奨学金を含めて750万近くあった。そこから一年で借金をさらに100万増やした。これは借りたお金を返すために別のところから借りたり、職場の近くに引っ越しをしたりして増えた。
全て借金だ。どうせ破産をするのだし、自分の懐は一切痛まない方法を自然と選択していた。
自分の給料なんて、都内だと家賃と生活費と勉強の自己投資やたまに旅行にいくとすぐになくなる。
2〜3回払った所で、弁護士に泣きついた。弁護士は借金の総量が自分の年収の2倍になると返済は難しくなるからすぐに破産したほうが良いと、待ち望んでいた言葉を言ってくれた。
支払いは分割にしてもらい即決で、契約をした。
依頼したその日から返済は止まった。
半年後には借金はチャラになった。クレジットカードが使えなくなったがデビットカードでなんとかなる方が多かった。あと、スマホの分割支払とかもできなかったが、会社の福利厚生にスマホを新しく買うと半分だしてくれるというのもあり、その条件が一括支払だったりしたので、あまり気にぜず過ごせてきた。
それから8年が経ち、先日クレジットカードが復活した。年収は1500万近くあるので、いま思えば飛ばさなくてもよかったとは思うが、飛ばしたからこそ、キャリアを磨くことに集中できたとは思う。
それは、正直に奨学金を払っていて、借金までつくってどうにもならなくなっていた、いつかの自分のような友人に自己破産を勧めたところ、破産後にその友人は急に副業で成功して年収が1000万近くまで上がったのを見たからだ。
本人は家賃更新の更新料が払えないし、以前なら借り入れをしてなんとかしのげていたかもしれないが、自己破産をすると一切借り入れができない。ということで、少しでも副業で家賃更新分くらいは貯めておこうという気持ちだったらしいが、それが当たったのだ。
借金をしていたままなら、こうはならなかっただろう。借金から開放されたことて、行動的になり、それが成功に繋がったのだ。
自分にも同じことが言える。もし、奨学金にいっぱいいっぱいになっていたなら、今の成功はなかったと思う。
まあ、ずるいとか、思う人は思えば良い。貧困家庭はなりふり構っている余裕なんてないんだよ。
追記-----
年収1500万にまでいった方法を知りたいという人が何人かいたが、転職を繰り返してスキルを身に着けた結果だ。最初の会社は2年で辞めた。年収350万もなかった気がする。ボーナスもなかったしね。
今はITのフリーランスで高単価の仕事を2つ掛け持ちしてやっている。SEやマーケ界隈で仕事の掛け持ちができるようになると、これくらいは行く場合がある。
(1500万まで行ける人はどれくらいいるかわからないが、1000万くらいはざらにいる。)
フリーランス1年目は月80万と少しで契約していたが、昨年さらに好条件のところが見つかり、稼働時間も少し開いていたので掛け持ちをしたら月120万越えまでいった。
あとはITとは関係ないけど趣味が副業的にお金になっているものがある。
ここまで考えられるなら、本当は頭がいいんじゃないの?
という人がいるが、本当に特定の興味のある分野しか勉強ができないんだ。しかも特定の分野もわりとできるというくらいで、成績がずば抜けて良いわけでもない。
給付型の奨学金なんて、取れないよ。だから貸与型しかなかった。金もないし、学もないのに大学に行きたいなんて、わがままだよね。
頭の回転もそこまで早くないよ。ただ、多方面から物事を考えるのが好きで法律や制度の隙間を見つけるのが得意なだけ。
大学在学中、割と早めに生活保護の親も死んでいるので、リスクオンの行動がいよいよ現実味をまして行動に移せただけ。
こう思うと人生は運の要素が強いね本当に。父が生きていたら、こうはならなかっただろうね。
あと節税もちゃんと考えているから、正直な年収でいうと半分くらいにまで下がる。上記で語ってきたのは年商になる。稼いでいるし贅沢をしているのにみんなと同じくらいの税率でごめんね。
年商といっても業務委託形式だから、正直に確定申告をしようとすると、自分が支払うお金って交通費くらいなんだ。すべて自分のスキルを使って稼いでいるし、仕入れ費用や在庫を抱えているわけではないからね。
法人化すると色々と節税スキームが使えて、生活費や娯楽費は大半が経費として付けられるんだ。
単純に使いきれないお金が口座にたまっていって、それがイコール年収みたいな計算になっている。
最後に、なんでこんな話をしようかと思ってかって言うと社会に対する恨みがあるんだろうね。
奨学金制度なんて、みんなこのスキームを使ってぶっ壊れてしまえとか、そんな破滅衝動にも似た感情があるんだと思う。
ブコメにもあったけど、結局、勧善懲悪なんて物語の上での話でしかなくて、個人の利益を最大化させる思考をしているやつが勝つんだ。
そんな社会はおかしいと思うし、そんな社会に一石を投じれたらいいなと思う自分もいる。
反面、自分は幸せになったのだから、自分のように倫理観無視した結果幸せになった人が増えてほしいと思う。
計画的な破産は詐欺罪だという人もいるけど、その立証が難しいことは承知したうえでの破産だ。
縛られてほしくないと思う。
今は情報にアクセスしやすい時代。考えられる知恵と知識を使いきって、何が何でも幸せになる人が増えてほしいと思うばかりだ。
あ、あと、クレジットカードの読み物の人(id:cardmicsさん)、ブコメありがとう。アイコンですぐにわかったよ。
SEOライターをやっていたときに金融系をメインにしていたから本当に学ばせてもらった。あなたのおかげで金融リテラシーがついた。良いか悪いかは別として
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奨学金を借りた。
抜け出すために大学進学を決めた。親を見るに低学歴は貧困の再生産だということを子供の頃からうっすら理解していた。ところが進学するだけの金はなかった。
奨学金を借りて卒業と同時に500万の借金。初任給手取り16万〜18万前後になるとは聞いていたからその中から毎月2万を十数年払うのはきついと説明会で瞬時に判断した。
しかし、大学に行かない限りはキャリアの制限がひどい社会。当時はキャリアという考えはなかったが、大学にいかないとまともな職にはつけはいイメージはあった。
その場で思いついたのは自己破産で奨学金を飛ばそうという計画だった。
世の中にはなんの苦労もせず、仕送り20万で親が学費も家賃も払って、学生として遊んでクリーンな状態で卒業できる人間がいる一方で、日々バイトに明け暮れ卒業したら500万の借金するやつもいる。不公平を覆すためには頭を使うしかない。誰かに肩代わりさせてでも、自分だけはババを引くのは避けなければならない。
高校生のころ、そこそこネットができたのでカードローンや自己破産についてのseoライターをやってお金にしていたのも役に立った。
決めたらあとは自己破産の条件や計画的に不自然に見えない方法を模索するだけだった。
立てた計画は学生時代に生活苦で借金をして、その重荷が積み重なって(返すための借り入れをするような悪循環になって)自己破産。メインはそっちでついでに奨学金もきついから飛ばそうというシナリオ。
大学生活はアルバイトで月10万を稼ぐ一方で、カードローンやキャッシングで250万の借金をつくった。
卒業と同時に借金は奨学金を含めて750万近くあった。そこから一年で借金をさらに100万増やした。これは借りたお金を返すために別のところから借りたり、職場の近くに引っ越しをしたりして増えた。
全て借金だ。どうせ破産をするのだし、自分の懐は一切痛まない方法を自然と選択していた。
自分の給料なんて、都内だと家賃と生活費と勉強の自己投資やたまに旅行にいくとすぐになくなる。
2〜3回払った所で、弁護士に泣きついた。弁護士は借金の総量が自分の年収の2倍になると返済は難しくなるからすぐに破産したほうが良いと、待ち望んでいた言葉を言ってくれた。
支払いは分割にしてもらい即決で、契約をした。
依頼したその日から返済は止まった。
半年後には借金はチャラになった。クレジットカードが使えなくなったがデビットカードでなんとかなる方が多かった。あと、スマホの分割支払とかもできなかったが、会社の福利厚生にスマホを新しく買うと半分だしてくれるというのもあり、その条件が一括支払だったりしたので、あまり気にぜず過ごせてきた。
それから8年が経ち、先日クレジットカードが復活した。年収は1500万近くあるので、いま思えば飛ばさなくてもよかったとは思うが、飛ばしたからこそ、キャリアを磨くことに集中できたとは思う。
それは、正直に奨学金を払っていて、借金までつくってどうにもならなくなっていた、いつかの自分のような友人に自己破産を勧めたところ、破産後にその友人は急に副業で成功して年収が1000万近くまで上がったのを見たからだ。
本人は家賃更新の更新料が払えないし、以前なら借り入れをしてなんとかしのげていたかもしれないが、自己破産をすると一切借り入れができない。ということで、少しでも副業で家賃更新分くらいは貯めておこうという気持ちだったらしいが、それが当たったのだ。
借金をしていたままなら、こうはならなかっただろう。借金から開放されたことて、行動的になり、それが成功に繋がったのだ。
自分にも同じことが言える。もし、奨学金にいっぱいいっぱいになっていたなら、今の成功はなかったと思う。
まあ、ずるいとか、思う人は思えば良い。貧困家庭はなりふり構っている余裕なんてないんだよ。